【完結】罪状記録   作:初弦

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お前らの罪を許しきれない
傷害致死罪


♪♪♪

 軽快な音を二重に奏でて、ケータイはほとんど同時にメールの受信を告げた。各々が開いた画面上、光が組み合わされて文字をかたどる。

 

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From:アイツ

To:RH-2000haikyo…@…

Title:無題

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 本文まで黙読し、灰谷兄弟は顔を見合わせた。どうにも珍しいことだったので。

 

「……兄貴、フクブからメール来た?」

「来た。これメモったのミスったパターンだろ」

「だよな……珍し」

「マ明らか体調崩してんだろ、これ。内容的に。死んでそー」

「……体調? 純丘?」

「そー」

「あいつ大丈夫か?」

「……。え?」

「は、イザナが他人の心配したァ!?」

「ボコられてェのかテメェら」

 

 

   ガチャン!

 

 

 間近で響いた音に純丘は咄嗟に跳ね起きた。ばくばく跳ねる心音に「あれ、生きてんじゃん」あっけらかんとした声も加わって、振り返った拍子に鋭く頭が痛んだ。

 

「ゔ」

「あらァ、死んでんじゃん? 三途の川の反復横跳びウケるわ」

「つか、フクブって人間だったんだな。体調不良になるとか」

 

 枕元にしゃがみ込む気配、笑みを含んだことばがベッド脇を通り過ぎていく。カンカカカン、軽い高音とともに蛍光灯が部屋を照らした。涙目の瞳に光が差し込んで——むしろ、刺し込んで——純丘は再び、呻いた。

 

 声だけでわかるだろう。

 

「……なんで?」

「やぁっぱ送信ミスかよ、俺らバイク飛ばしてきたのに」

「ボウリング行って飯食ったあとにな」

「それ言っちゃダメじゃね?」

「そ……。なに……は?」

「これ、なーんだ?」

 

 ぼやけた瞳の前にケータイの画面が翳される。何度かまばたきをして、純丘は目を細めて、ようやく液晶に焦点を合わせた。

 

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From:アイツ

To:RH-2000haikyo…@…

Title:無題

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・病院

・ゼリー

・ポカリ

・タオル

・保冷剤

・薬受取

 -End-

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 ちなみに〝アイツ〟とは灰谷兄弟のケータイに登録された純丘の連絡先につけられた名前だ。電話帳五十音順でおおよそ一番上。

 

 ……心当たりはあった。純丘は静かに額に手を当てた。

 

 彼は未送信メールにToDoリストをメモするタイプだ。そして灰谷兄弟には、この内容の文面を宛てた記憶こそないが、確かにメールを送ったはずだ。

 あいにく操作中の純丘榎の意識はかなり朦朧としていた。

 

 なるほどつまり送信ミス。

 

「……悪ぃ。しばらく来んな、って、送ったつもりだった……」

「ンなこったろうと思った」

 

 あっけらかんと答えて、蘭はケータイをポケットに仕舞った。竜胆はといえば、ガサガサとレジ袋を漁っている。彼らが踏み込む際にそんな音がした覚えも、なくもない。

 

「なー腹減った。ここで飯食っていいよな?」

「最近……作ってねえし、ろくなもんねえけど……」

「材料買ってきたから作れるぜ〜フクブは粥?」

「……吐いても文句言うなよ」

「ヤそれは文句言うだろ」

 

 粥作れんのか君ら、から更にオブラート引っ剥がして返すポンコツ具合。大概に失礼な発言に、冷静に返したのは蘭である。彼の辞書に病人という言葉と語義の登録はあっても、容赦という言葉と語義の登録はないし、人情の登録はあるがほほほぼ活用しないので登録の意味もない。

 

 ……で。

 いざ実食し、まず発言したのは蘭だ。

 

「食えんだろ」

「食えるな」

 

 無の表情で粥を貪りながら、純丘は同意した。ついでに、紛れ込んでいた卵の殻に気づいたので、一瞬思考して、おもむろにそれを飲み込んだ。小さめだったので違和感に目を瞑れば支障はない。さすがに丸々入っていた場合は取り除いただろうが。消化器官のどこぞに傷がつきかねないので。

 

「マジでやめてくんね?」

 

 さてこれに苛々と反論を呈しているのは竜胆である。何故彼が、といえば、実は粥も野菜炒めも作り手は灰谷竜胆くんだった。純丘のアパートに設置されている共同キッチンはおそろしく狭いので、料理するならば一人で立つしかない。まあいけるだろと立候補したので任された次第。

 

 ここで問題。

 料理初心者スキルのくせ、家に最先端IHコンロが設置してあるタイプの人間が、オンボロガスコンロでの調理に早々順応できるだろうか。

 

 なお完成品は焦げた肉と火の通ってない野菜類の炒めもの、長時間煮込まれて半分ぐらいの具材が原型を留めてない粥。

 ……いろいろと察していただくとして。

 

 なんでだよ、首を傾げたのは蘭だ。

 

「くたくたの人参とかろくなもんじゃねえし、このぐらいが良くね?」

「あのさあそれくたくたもクソも生焼けって言うんだわ。知ってろ? 知ってて? 知れ」

「俺歯も腹も丈夫だかンな〜」

「ふざっけんな」

「こっちはちゃんと煮込めてっけど」

「煮込み過ぎて具べっちゃべちゃなの見えてるよな? それとも風邪って目ェ見えなくなんの?」

「まあ鼻詰まってっから味こそよくわからんが。悪いな」

 

 あと風邪の亜鉛不足というやつ。入れる順番と煮込む時間を間違えた結果、ほぼ液体と化しているほうれん草を頬張る純丘に「ちがう、そうじゃねえ」竜胆は震える声を絞り出した。なんなら身体もワナワナと震えている。

 

「いや、もう、捨てろよ! あーあハイハイ悪かったよ! 兄貴と病人の手伝い断って一人で作ったらこのザマだよ!」

「食い物捨てるとか一ヶ月一万円生活してからも一度言え」

「俺に作ってくれたんだよな? え? 兄ちゃんからメシ取り上げるってんの? ずいぶん偉くなったよな、竜胆?」

「ほん、クソ……マジでクソ。ガチでクソ。死ねいやむしろ俺が死ぬ」

 

 うるせーなァとそろそろ煩わしげな顔つきの蘭の後ろ、純丘がベット下の収納を開ける。取り出したのは開けられてないカップ麺だ。

 

「食いたくねえならこれ食っていいぜ。俺は粥食うけど」

「俺も炒めモン食うけど」

「……バカしかいねえ……」

 

 ともあれ仲は悪くない。少なくとも、このようなやり取りが行われる程度には。

 サクサクと食事を終えた蘭は、純丘の鞄を勝手に漁っている。彼の腕が引き抜かれたのは「ごちそーさま。ありがとう」と純丘が手を合わせたちょうどそのときだ。贈られた謝辞に竜胆は苛々とした顔で舌打ちをこぼした。拗ね方の治安がいちいち悪い。

 

「処方箋、取り行って来てやるよ」

「……いやに、親切だな?」

「貸しな」

「おう返せよその処方箋。保険証もスったのわかってんぞ」

「う〜そうそ、まじで取ってきてやるよ。だいぶ無理してんだろ今」

「なら揶揄うな……ありがとう」

「ドーイタシマシテ」

 

 処方箋を片手に、財布をポケットに、背が高い蘭は玄関を出る際にちょっと頭を下げた。そういや身長抜かされたな、思いながら、純丘はふかく息を吐き出した。

 がちゃんと玄関扉が閉じる。カンカンと階段を降りていく音がする。

 

「……竜胆」

「……ン」

 

 呼ばれた少年はまだ不機嫌だが、視線を上げた。

 

「皿洗い任せてもいいか?」

「……良いけど」

「ありがとう。俺は、少し寝る……」

 

 ベッドに乗り上げた純丘は、ものの十数秒で寝息を立て始めた。竜胆はほんのわずかな間それを眺めていたが、とりあえず、食器類を抱え上げた。

 竜胆の皿洗いの手付きは、決してスマートではないが、毎度食器を割るほどでもない。アパート備え付けの流し台からは当然(?)お湯は出ないが、季節は夏、太陽に炙られた水道は「あっつ!?」火傷しかねない温度だった。

 

 金属製の階段をカンカンカンと再度上がって、玄関扉を開け、竜胆は心底嫌そうに眉を顰めた。外気温とほとんど変わらない蒸し暑さ。

 相変わらずエアコンろくに効かねえな、このボロ屋。心中で一言愚痴って、扇風機のスイッチをつける。ガキキと噛み合わない駆動音を鳴らしながら、四枚の羽は回り出した。

 

 純丘はどこぞの伝手を利用して、あらゆる生活用品をタダのような値段で買い取って、バラして組み立て直して、使い倒している。妙な音を立てる扇風機もまた、中古と中古を組み合わせて動くようにしたのだろう。

 

「電気代……」

「あー払う払う。……起きてんの?」

「あっつくて寝らんねえ……」

「……ならフツーに点けとけよ。てかこれ俺が点けなかったらそのまんまだったわけ?」

 

 竜胆は再び卓袱台の前にあぐらをかいた。ずいぶん前に興味本位で買って、それ以来元副部長宅に置きっ放しのゲーム機に、意外にも埃は積もっていない。家主が掃除しているのだろう。

 午後の盛りに分厚いカーテンを締め切って、その上で蛍光灯をつけている。室内——純丘の言葉を借りるなら〝俺の城〟——は、外界から切り離されたような雰囲気を湛えている。

 

 とはいえもちろん、夏は暑いし、空調の効かない三畳間も暑い。あくまでも切り離された、ように見えるだけでしかない。

 

「……フクブさあ」

 

 と、竜胆は言った。

 

「なんだよ」

 

 純丘は応じた。己の目元に腕を乗せている。

 

「佐野真一郎のことスキだったわけ?」

 

 返答には三分ぐらいの間があった。「……まず、確認させてくれ」再び口を開いた純丘の声音は、極めて平坦だった。

 

「そのスキはどういう意図で聞いてる?」

「キスとかセックス」

「ない。マジでない。有り得ない。死んでも、ない」

「ふーん。なら、家族になりたかった?」

「いいや、全く。……本当になんの話だ」

「大将がシンパイするって相当だぜ」

 

 少し沈黙して、純丘は、寝返りを打った。狭苦しいベッドの上で寝返りを打つのは、少々のコツがいる。

 ぼさぼさに跳ねた前髪の、そのうちがわを、竜胆は伏せた視線で窺っている。

 

「……黒川くんと、君らの間に、俺のプライバシーへの配慮はないのか?」

「ねえだろ」

「そうか」

「あとフクブの趣味、年上だろ」

「……いや、そこはまるで心当たりがねえ」

「は? フクブが言ってたくね?」

「まるで覚えがねえ……」

 

 記憶の齟齬に当惑する二人。焼肉を食すついでの雑談を、一年以上経っても覚えている竜胆と、一ナノも覚えていない純丘、という図だ。

 

 閑話休題。

 

「……どちらにせよ、俺の恋愛対象は女性で、それ以上に、色恋沙汰はしない」

 

 体調不良で弱った目には、どうにも照明が眩しい。にじんだ視界を閉じて、純丘は溜息混じりに答えた。

 

「真一郎さんのことは人間として好きだよ。あの人が俺の家族ならいろいろ違っただろうとも思った。でも、家族になりたいとは思ったことがないし、これからも、おそらく思わない」

「なんで」

「……それは、何に対する、なんで?」

 

 これは純丘から見た印象だが、灰谷兄弟のうち、特に灰谷竜胆には、そういうところがあった。

 

 純丘と灰谷兄弟の相性は、悪くはないが、さして良くもない。そも彼らの思考回路や生育環境にはかなりの隔たりがあるので当然だ。彼ら自身、程度の差はあれど、お互いの噛み合わなさを自覚している。

 普段から明確に線引きしていること、双方が一定の距離を維持していることなどから、話題に上がる頻度は少ない。それでも、時折、純丘は灰谷兄弟を理解できないと実感する。逆もまた然り。

 

 その上で、とりわけ竜胆には、敢えて踏み越えようとする傾向があった。

 

 ……というより、元来灰谷竜胆は外界への興味が薄い。正確には、強い興味を示す対象が、狭く、深い。兄弟たる蘭にも類似の傾向こそあるが、竜胆はよほど顕著だ。だからこそ、彼は他者の観察を苦手としていて、度々結論を急く。

 また、ごくまれに興味が湧いた事柄には、不用意なノリで手を突っ込む。

 

 引き際を間違えて噛まれることも、しばしば。

 

「そんなん他人だろ。他人ならどうでも良くね」

「その感想は場合による」

「どうでも良くねえから佐野真一郎のことで寝込んでんじゃねえの? それとも、他にもなんかあんの」

「……場合による」

「……俺フクブのことワケわかんねえってずっと思ってんだよな」

「……なにが言いたい?」

 

 純丘のつぶやきは、抑揚を、意図的に統制している。膝の上に顎を乗せた竜胆は、眼鏡のレンズを隔てて、眼前の顔を眺めている。布団に半分ほど埋もれた口元。両眼は限りなく細められている。

 

「フクブ、いつもほんとのこと言わねえじゃん」

「そかね」

「そだろ。一コ前で黙んだろ。いつも」

「……」

 

 数回、純丘は瞬きをした。何度めかで目尻にしずくが流れた。クリアになった視界の中、竜胆は、純丘の想定よりも平坦な顔つきをしていた。

 

「佐野真一郎、殺されたんだってな? んで、ヤッたのは東卍(トーマン)の奴ら——佐野万次郎、マイキーのダチ」

「……それ、」

「知ってんだよ。たりめえだろ。コッチのことはコッチで出回んだから……フクブさあ、知り合いだろ、そいつら。そーいうの、初めてなんじゃね、オマエ」

 

 ——まだ二十そこらだろう。どうして? 殺されたんだよ。バイク屋、テープ貼ってあったし。優しい人だったのに、誰が? 新聞だと、少年だって。名前報道されてないよ。見たよわたし、男の子が連れてかれてた。あれが犯人? あー、知ってる、そいつ。確か——

 

 人の噂も七十五日。

 しかし間違いなく、場地圭介と羽宮一虎の名前は、罪状は、とうに特定されている。

 

 刑法二百四十条。強盗が、人を負傷させたときは無期又は六年以上の懲役に処し、死亡させたときは死刑又は無期懲役に処する。通称強盗致死傷罪。

 ただし犯人の年齢が触法少年に当たるため、少年法に沿った処遇が適用される。

 

 そして。

 

「今更ビビってんの」

 

 十三にして人を殺した少年が、あの頃よりもいくらかあどけなさの落ちた顔立ちが、純丘を眺めている。

 

「俺らのこと、今更」

 

 安いパイプベッドが軋む。身体を起こした純丘は、垂れてきた前髪を煩わしげに指先で払った。やはり大きく動けば頭痛が響く。鋭くにじんだ痛みに彼は目を細めた。

 

「ビビってねえよ……」

「よーやく身に沁みたって?」

 

 反駁を打ち消すように声が大きくなる。普段より、竜胆の語調は、わずかに上擦っていた。バカにするというよりは——

 

「オマエのことも何度も()りかけたモンな、はは、他のヤツらみてェにボコられなくって良かったじゃん。うっかり死んでたかもな、狂極の副総長みてーに、佐野真一郎みたいに」

「なんでそんな」

「なんでって、じゃあなんで、なんでこっち見ねェわけ。今日」

 

 ——咄嗟に純丘は記憶を辿った。

 

 意識した事実はなかった。そのはずだった。意識せずに、目を逸らしていたと言われれば、そうかもしれなかった。

 口を噤んだ彼に、竜胆は「やっぱさあ、そうじゃん」と、乾いた笑い声を立てる。

 

「なあ、今更だよ。今更……俺らは、ついウッカリ、ゴミを一人殴り殺したんだぜ。とっくの昔に」

「それとこれとは、関係、ないだろ」

「関係あんだろ」

「……関係ねえよ。君らが人殺しなんて、それこそ、何年も前からの話だ」

「そーだよ。何年も前からの話に、オマエが、今になって、ンなうざってえツラしてんのがムカつくんだよ」

 

 はっきりと棘を含んだ声に、純丘はぐっと唾を飲み込んだ。

 元々不調で、気分が沈んでいたことも相まって、なんだか、ひどく腹立たしかった。理不尽だとさえ思う。

 

「……やけに突っかかってくるな」

「黙ってるよりマシじゃね。言わねえ見せねえコソコソやってるだけのを察しろっつう方がおかしいだろ。俺なんか間違ったこと言った?」

「だからって、なんでも言やあいいってもんじゃねえだろがよ」

 

 ほとんど食い気味に純丘は反駁した。ぐるりと回る視界を抑えて、伏せた視線は皺の寄った布団を睨んでいる。

 

「言っても意味ねえことをわざわざ言って、なにか、変わるか? そんなに気に食わないなら、ここに来なきゃいいだろ……」

「ッそうじゃねえんだよ!」

 

 壁に打ち付けられた後頭部は、それでも頭を苛む鋭痛よりはマシだった。「ッテェ」襟首を掴んだ拳に爪を立て返し、純丘は、今度は敢えて竜胆の表情を確認しなかった。

 

「放せ」

「意味わかんねえよ。オマエ、いつも……」

「……意味わかんねえのはこっちだよ。放せっつってんだろうがッ」

 

 この状態から鳩尾に踵を入れるあたりが純丘が生き残ってきた所以である。

 

 

 

  傷害致死罪

 

 

 

「……あのさー、」

 

 蘭は半分笑っている。

 

 彼の帰宅時、すでに、竜胆は、爪で引っ掻かれたような切傷複数と、額と顎のあたりには青痣を二つほど拵えていた。純丘は、目尻と口端を軽く切っていて、思いの外盛大に血が流れていた。二人とも、額は汗ばんでいて、髪の毛も服装もぐしゃぐしゃだった。

 

 なんなら三秒前までは進行形で取っ組み合っていた。

 

 薬局で薬を買って戻ってくるまでの間に勃発した喧嘩。当然経緯など知る由もない。

 物理的に引き剥がした男の感想がこちら。

 

「俺救急用品とか買ってきてねえんだけど。マジで薬しかねえよ?」

「ベッドの下」

 

 純丘は端的に述べた。敷いた布団をクッションに、立膝をついて、自らの足の間を見つめる元副部長。「いや、それは知ってっけど」蘭は笑みを剥がして、呆れたように彼を一瞥した。

 

「……とりあえずこれ薬と処方と明細な。割れたコップは捨てとくぜ」

「……ありがとう」

「どーも? んで竜胆、オマエからな。デコ出せよ」

「俺帰る」

 

   スタスタスタ、ガチャッ、バン

 

 擬音に直すとまさにこのように、竜胆はアパートの外に退出した。明らかに足を引きずった歩き方で、しかしあまりに素早い動作だった。

 迅速な撤退に「おー……」蘭の応答は語尾が尾を引いて、消えた。

 

 足元を見つめていた純丘は「……頭痛ェ」顔を上げる。下敷きにしていた布団を掴んで、一息でくるまった。

 

「今度こそ寝る」

「血ィつくぞ」

「あとで洗う」

「……フクブさあ、肩ンとこ痣あるだろ。あと、足首捻った?」

 

 双方に沈黙が降りた。三帖間にはたった二人。布団から髪の毛だけがはみ出している方と、真顔でそれを見下ろす方。

 後者が再び口を開く。

 

「出せよ」

 

 命令形。

 布団がもぞっと揺れた。

 

「いいよ……あとでやる」

「ふらっふらのくせにな。てか、中学んとき問答無用で竜胆の服剥いでアイシングしたのだれだ〜?」

 

 純丘榎くんですね。なまじ前例があるといざ立場逆転した際に反論できない。

 

 渋々布団から這い出た純丘に、こいつホントちょろいなー、蘭は感慨に近い感想を抱いた。ちょろいというよりは、お互いにお互いの弱みになる事項を把握しすぎていた。わりと似たようなことを、純丘も灰谷兄弟に対して度々思っている。

 保冷剤を固定する一連の動作は、至極手慣れている。今までの場数の賜物だろう。純丘はもちろん手当の知識は諸々兼ね備えているが、たとえば、あんまりな流血は生理用品に吸わせると色々隠しやすいとか、反応に困る情報はだいたい灰谷兄弟経由で知った。

 

「そんで、なにかあったんだよな?」

 

 目の真横、血を拭ったこめかみにガーゼを慎重に貼る。手当てというよりはなにかの職人の手際に類似しているので、たぶんちょっと前にでも観たテレビに影響されたのだろう。

 

「……あったけど」

 

 純丘は、いかにもどうでも良さそうに、投げやりに言い捨てた。

 

「それこそ竜胆に聞いとけよ」

「喧嘩は両方の言い分聞くもんだろ。マァいいけど、他に怪我ねーの」

「……君、そういうの気遣うタチだったんだな」

「そういう?」

 

 眉を上げた蘭を、純丘はぼんやりと眺めている。この間まで茶髪だった髪は、再び脱色したのか、鮮やかな白金髪になっていた。

 ……枝毛が一本、枝毛が二本。

 

「言い分とか、怪我とか」

「しっつれ〜なやつ〜……てか、フクブが言うわけ」

「は?」

 

 何本かわからなくなった。

 

「〝は?〟じゃねえよ。なんでそうなったか聞いて、怪我どこにあるか聞いて、それオマエが毎回やってることだろ」

 

 状況が飲み込めていない顔つきの純丘に「で、俺らの喧嘩でわざわざどっちの話も聞くとか、フクブぐらいだろ」蘭はそう言葉を続けた。

 

「……それは、知らない、が」

「俺が言うのも当然じゃね」

「……。とうぜん」

「……フクブ、頭動いてっか? だいたい風邪っぴきが竜胆とやり合ってそんなんで済んでんのがおかしいってんだよな」

 

 蘭、と口に出した自覚は純丘本人にはなかったが、蘭はそこで口を閉ざした。明色の瞳が、少し高さを変えて、焦茶に間違いなく合わせられる。

 覗き込む角度の視線を、見返して、純丘は尋ねた。

 

「俺、君らにビビってるように見えたか」

「……ビビってるやつは、こんなクソ狭いトコで、タイマンで取っ組み合いなんざしねえよ」

 

 ご尤も。

 半眼で応じた蘭は、とはいえ心当たりはあったらしい。少し首を傾げて、あー、ちいさく声を漏らした。

 

「なんか余計なこと考えてんだろーなってのは、思ったな?」

 

 余計なこと。余計なこと、だそうだ。

 純丘の脳裏にはいくつかの言葉が浮かび上がって、消えていった。いくつかの光景が浮かび上がって、また消えていった。

 

 夜道へ身を翻す男。廊下に蹲る少年。陶器の洗面台。薄っぺらい封筒。一様に黒い服。蛍光灯を反射して艶めく数珠。合わせたてのひら。

 耳にこびりついた、木魚の、音。

 

「あー、こいつ目の前見る気ねえなあ。俺らが来てるってのも、ぜんぶ、見たくねえんだなあ。……てな」

 

 膝の上、顎を乗せた蘭が、うすく微笑んだ。

 

「今は見てんな?」

「……そうだな……」

 

 目眩は収まらない。頭痛は鳴り止まない。三帖間はひどく蒸し暑い。

 傷が熱を持って、いよいよ絶不調な己を自覚して、純丘は嘆息した。




IHコンロ
:日本で初めて発売されたのは一九七四年
 二〇〇三年時点の普及率はかなり低め

くたくたの人参
:「隠しきれない」の詐欺罪編参照

亜鉛不足
:ただの水が死ぬほど不味いなんてことある?(ある)

太陽に炙られた水道
:しばらく水道出しっぱにしないと火傷する
 類義語は「冬、ギリ氷点下ではない外気温の水道水」

置きっ放しのゲーム機
:プレステ2
 「数えきれない」住居侵入罪編参照

フクブの趣味、年上
:「数えきれない」暴行罪編参照
 本当に特にそんなことはない

触法少年
:犯罪を冒した&十四歳未満で刑事責任を問われない年齢の少年らをこのように呼ぶ
 二〇〇七年以前は十四歳未満の少年たちは少年院送致できなかった
 ……(S62世代や羽宮一虎くん等を眺めて)
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