久しぶりの登校とはいえ、季節は九月の頭、気温がひどく蒸し暑い事実に変わりはない。二〇〇三年度、二学期めに突入する港区のある私立高校の話だ。
あぢーとぱたぱた襟元を仰ぐ者、汗をハンカチで拭う者、できるだけ木陰を探して歩く者、半裸になって駆け出す者(そして生徒指導に叱られる者)多種多様。幸いにして潤沢な資金を有する私立高校は、一度校舎内に入ればたいてい空調も効いている。
一様に類似した服装で、生徒たちはぞろぞろと列をなしている。
「純丘〜」
「おっ、も……」
二、三歩たたらを踏んだ純丘。ぐるっと首を回して犯人を見留め「……いきなり伸し掛かってくるのやめろよ」と、苦言を呈した。
4 months ago
一方で、今年度も純丘のクラスメイトたる赤岸は虚を突かれたような表情を浮かべていた。
「聞いてる? 聞け?」
「なあ純丘」
「なあじゃないんだよな」
「もしかして痩せた?」
純丘は思わず口をつぐんだ。「違うか、やつれたな」赤岸の言葉は、今度は確信を持った響きをしている。
蝉の声響く中、首元に巻きついた腕を引き剥がして、純丘は辟易とつぶやいた。
「……なんでわかんだよ……」
「お前が俺が飛びついたぐらいでふらつくわけないじゃん?」
「それは過言」
「でもやつれたよな」
普段であれば、いかにもそれっぽい言い訳がつらつらと、流れるように複数出てくるところだ。沈黙するあたりよっぽどの不調に分類される。
赤岸はしばし思考して、重ねて尋ねた。
「今日暇?」
「ひま……というか、アルバイトがない、から、特定の予定はない。勉強するつもりだったが」
「よしわかった。今日カラオケで」
「は?」
「カラオケで。メンバー募集してもうちょい増やすとして」
「受験生だって自覚あるか?」
思わず問いかけた純丘に「あるけど」赤岸はあっけらかんと答えた。文化祭用に作成した団扇でぱたぱたと首元を仰いでいる。
「俺あともう合否出るだけだし、たぶん受かってる」
「そういやAO受験だっけ……すごい自信だな」
「あれで俺が受かってなかったら世の中が狂ってる」
「落ちてたら指さして笑ってやるよ」
「そこは慰めてくんない? 受かるから要らないけど」
そういうとこだな〜。生ぬるく見つめてくる同級生に「受かるっての」赤岸は威嚇した。
「んでそうじゃねえや、なんなら峰上とかもう合格してるから嬉々として参加してくるだろ」
「俺は受験控えてるんだが……」
「奢るけど」
「何時どこ集合?」
「まだ幼児の誘拐のほうが難しいんだよ」
たとえば爆音はストレスを麻痺させる効果を持つ。たとえば大声は副交感神経を活発化させるはたらきがある。理屈として落とし込まずとも認識している人間は少なくはない。
カラオケがストレス解消法のひとつとして度々名を連ねるのはそういうことだ。楽しいしね。
始業式終了後、学生服の集団がカラオケに出向く姿など珍しくもない。
「ひょっこりひょうたん島入れたの誰? 次だけど」
「田中さん」
「田中」
「タナっちゃん」
「あたしー」
二〇〇三年からざっと数えて三十年は前の、人形番組の主題歌だ。数ヶ月前、巷で噂のアイドルグループがカバーした際には大きな反響を呼んだ。
高く澄んだ声は音程はもちろん、振付まで完璧で「田中、ファンなわけ?」「そうだよ。有名じゃん。髪型とか思っきりまりっぺだし」「あ、あー……!」他愛もない会話がその傍らを流れていく。
さて一方純丘はそのさまを眺めながら、掌中のドリンクをどのように消費するか考えていた。コーヒーと緑茶とカルピスを比率2:3:2で混ぜた劇物だ。本当にどうしてそうなった。
ドリンクバーの悪ふざけで悲しき存在を生み出してしまったならば、もちろん責任持って処分しましょう。それはそれとして、判断力が低下していると自覚していながら、知人の甘言にホイホイ乗ってはいけない。こんなん美味いわけないだろふざけんな。
あくまで個人の感想です。
「榎くんのドリンク、酷い色してるけど、なに?」
「ドブ」
「え?」
「……ごちゃごちゃに混ぜた悪ふざけの結末。マジでどうしような〜……」
頭を掻く純丘に「ああ、さっきドリンクバーに集まってたのってそういう……」同クラスの加賀は、苦笑いをこぼした。ちょっとずつ飲んでからカルピスかコーヒーの量足したら? あれ味濃いし。続けて述べられた提案は確かに妥当だった。
「カラオケとか、みんなではしゃぐの、あんまり好きじゃないと思ってた」
「……俺?」
平日午後のドリンクバーは、さすがにほぼ無人で、純丘はぱちぱち瞬きをした。頷いた加賀は「だから、いるの不思議なかんじ」と続けた。
「まあ、滅多に行かないのはそうだけど、わりと好きだよ。金と時間が無いだけ。今日は赤岸が奢ってくれるっつーから」
「え、あれ方便とかじゃなくてほんとのほんとなの?」
「方便て。ホントだよ。俺ぐらいだろ洗濯代行サービスとか校内でやってんの」
もしも生徒の大半がそんなことをしていたら、学校は福祉関連の支援をより取り入れるべきだろう。
「それは、そうだね……えじゃあ意外と夢の国とか好き?」
「あー、中学のときに一度だけ行ったけど、楽しかったな」
ちびりと飲んで顔を顰め、カルピスを追加投入。かき混ぜる。再びちびりと飲む。人が少ないのを良いことに、ドリンクバーを占拠して繰り返しエンドレス——あれこれ逆に、最終的な容積増やしてねえ? 純丘は今更思い当たった——世間話をしていたところに。
「あ」
「げ」
「は?」
「……あっ?」
低音三重による蝶々の種類合唱。ではなく。おそらく彼らの目的もドリンクバーだろう。ばったりと鉢合わせたド強面の長身三人に、純丘は目を丸くした。
相手側が外見からしてあまりにも輩なものだから、隣にいた加賀はわずかに後ずさったし、純丘の袖を引いた。早く逃げよう、の意志表示だろう。これはこれで正しい反応だ。
実際輩だと純丘は知っている。
見覚えも、ある。
「お久しぶりッス」
「なんでここにいんだよ……」
「金の借りはチャラってことになったよな」
「今日はまるで別件だし、そもそも俺は君らがここにいるとか知らなかったからな」
そんなに露骨に嫌がられることをしたかどうかでいうとした。めちゃくちゃした。一番ストレートに牽制してくるのは望月で、武藤もまあまあ嫌そうで、まともに挨拶をしたのは斑目ぐらいだ。
ちなみに最近純丘が気づいた事実に〝斑目が丁寧に見えるのは単に序列にしこたま従順なだけ〟がある。根拠のひとつが東京卍會への態度だった。
まあそれはいいとして。
こいつらカラオケとか来るんだな、純丘は感心すら抱いた。
「あ、の。榎くん……知り合い?」
「知り合いっつったら、そうだな。どっちかってっと後輩の……んー、てか、部屋戻ってていいぜ。俺まだドリンクバー使うからここいるけど、加賀さんはそうじゃないだろ」
「えっと、大丈夫なの?」
「あ? そういやヨメ連れッスか」
ちょいと首を傾げた斑目が尋ねる。「なわけ、単なる同級生」純丘は呆れた表情を隠そうともせず、答えた。
「邪魔して悪かったな」
「ただの同級生だっつってんだろ。他にも友達と来てるし」
「……榎くん、戻ってるね」
「ん。付き合わせて悪かった、いろいろありがとな」
衒いもなく礼だけを述べた純丘に、ぎこちなく頷いて、加賀は踵を返した。視線だけで見送って、純丘はそこで首を傾げた。
「しかし君ら、年齢制限も関係なく、クラブとかにいるイメージがあったが。カラオケとかも来るんだな」
「灰谷みてェなバケモン金持ちと一緒くたにすんじゃねえよ」
「あーね?」
ハイブランドをぽんと着用する少年たちと比較されると言われれば本当にその通り。ただし「たまに灰谷が面白がって呼ぶとかその程度だよ」「ああ、その程度はあるのか」続けられた言葉に純丘は肩をすくめた。
ちなみにクラブには風営法が適用されるので、十八歳未満の出入りは従業員・客問わず法律で禁止されている。
「まあさておき、ドリンクバー使わねえの」
「あんたが邪魔だよ」
「それは悪い。ちなみにコーヒーとカルピスと緑茶の組み合わせは俺はオススメしない」
「なんでそんなん混ぜた?」
こちらもご尤もな指摘だった。
誤魔化すように手元のドリンクを呷って、吐きそうな顔をする純丘。自業自得コンボをキメた男は放置して、ドリンクバーのコーラなりサイダーなりを注いでいく。
ああそうだ、と武藤がふと視線を投げた。純丘は呼応するように首を傾げた。
「イザナの今の様子、知らねえか」
「……連絡取ってないのか?」
「テメェの件からろくに共有されなくなったが?」
「
「それは本当にすまない……斑目くんは?」
「……俺
「ああ、うん、そうだな」
武藤の方は意図的ではなかったとはいえ、期せずして情報漏洩に加担してしまった二名。継いだチームで年下かつ新設のチームに挑んで、完膚なきまでに敗北した一名。
まあ、対処として妥当。
ちなみに前者の原因は純丘榎本人な上、後者は居合わせている。本人は狙ってもいないどころか、できるだけ不良と呼ばれるたぐいに関わる事柄を避け続けているはずだが、大概に縁がある。
「俺も知らねえけど、心当たりぐらいはあるな……見つけたら知らせとけばいいか?」
「いや生死だけ教えろ。呼ばれてもねえのに把握してたらボコられる」
「アそう」
ヤンキー理論というか、暴力が説得力を持つ理論をよくわかっていない純丘は普通に引き気味。と同時に、灰谷で慣れきってもいるのでひとつ頷いて了承した。把握するぐらい良くない? とも思ったが。
どちらかといえばこれはヤンキー理論というより黒川イザナの暴論。
いつもの半眼のまま、眼前の男を眺めて、武藤は「で」と言葉を続けた。
「竜胆が最近様子おかしいのはオマエだよな」
ほぼ断言だ。
一度口を開いて、やめて、純丘は首を横に振った。否定の意味ではなく、誤魔化すのも意味がないな、と納得した仕草だった。
「君ら意外とマメにつるむよな。……苦情か?」
「大人しくてやりやすいからそのままにしとけよ」
「なるほど、最悪な発言だ」
そういうところがS62世代。仲が悪いわけでもなさそうだが、たぶんそれフツーに落ち込んでいるのでは? ぐらいは純丘にもさすがにわかる。
——……いや、落ち込むのか? 本当に? 竜胆が? ……あいつが? ……マ確かに人間だが。
偏見まみれの思考を頭の片隅に追いやって、純丘はグラスをかるく片手で回した。さっき誤魔化しがてら一気に呷った結果、そろそろ飲み干せる量しか残っていない。
「てか、君ら、意外と距離感近いな。あいつがわざわざ誰それと喧嘩したなんぞ言うとか、思わなかったが」
「はあ? 言うわけねえだろ」
「……はあ……?」
望月によるノータイムの反駁。形容しがたい顔をした純丘に「カタギの仲良しこよしじゃねえんすから」斑目も呆れたように言った。カタギがどうのこうのは純丘は知らないが、確かに純丘の従来の見解と一致している。
一致している、が。
「……俺と竜胆が喧嘩してから日が経ってるし、最近あいつと会ってないけど。それほんとに俺が原因か?」
「は?」
「そんな露骨に〝こいつ正気?〟みたいな顔されるかよ」
「他人に大概興味ねえあいつがズルズル引きずってる時点で、蘭じゃなけりゃあとは灰谷兄弟のカタギの方のアニキしかいねえだろ。今入れ込んでる女がいねえのは割れてんだ」
いつも無口な武藤にしては、かなり喋った方だった。斑目はとっくに興味をなくして早くしろよと望月を急かしていたし、望月はコーラとカルピスとコーヒーを混ぜていた。たぶんやめたほうがいい。
純丘は意味もなくひと呼吸置いた。
「……なるほど? 兄ではねえが」
「兄貴分の方の兄貴」
「ナルホド」
聞きたいことはいろいろあった。今の灰谷兄弟の認識って灰谷三兄弟なのか、とか。俺の名前や顔が出回ったら困るけど程々なんだろうな、とか。
いろいろありすぎたので、純丘はとりあえず手元のドリンクを今度こそ飲み干した。
「ッア゛ー酒飲みてェ。なんでビール出してねんだよこのカラオケ」
「ドリンクバーに当たるなよ、俺もまだ使うんだから壊されたら困る」
「……うーす」
「あからさまに嫌そうな顔を……せめて俺がいないときにしてくれ」
ちなみに純丘の記憶では、このカラオケではアルコール類を提供していたはずだった。なんなら純丘が今日見たメニュー表にはしっかり掲載されていた。
確かにこのツラで酒を出せと言われても、怯えてメニューごと隠すかもしれないというのは納得する。下手に酔って暴れられても鎮圧も難しい体格揃いだ。
……おそらく常習的に行われている未成年飲酒に関しては、綺麗に黙殺するものとした。
俺はなんも聞いてない。灰谷とどうせ同年齢なんだろうが実際彼らの誕生年なんぞ俺は聞いてないつまり知らない。知らないったら知らない。
改めて穏当に烏龍茶を注いで、部屋に戻ってきた純丘は、ドアノブに手をかけようとしたところで部屋の内側から「帰ってきた!」と扉が開いた。
「は? なに」
「ほら言ったろ、問題ねえって。純丘だし」
「なんだよ……」
大丈夫か? 警察呼んだほうがいい? 口々に心配される文脈がいまいち見えない。「なんで?」説明を求めるように純丘は視線を左右に振った。そこで彼を無遠慮に指差したのは峰上だ。
「ここは俺に任せて先に行け! ……ってやったって?」
「……すまん、いつの話?」
「だよな、さっきまでヤンキーといたって言うけど知り合い?」
「知り合い。後輩の……なんだろうなアレ、トモダチ? とりあえず知り合い経由の知り合い」
「……その後輩もしかしなくてもデカめの刺青してない……?」
「……あ、峰上には写真送ったな。そういや」
「初見マジでビビったからアレ。マジで。本気で。んで、そのヤンキーから金脅し取られたことある?」
ここまで来てようやく純丘は、どういう誤解をされたのか把握した。
現在、顔に心配の色もなく、なんなら疲れた顔をしているのは峰上と赤岸のみ。以前勉強会をしたメンバーで、かつ、今日ここにいるのは彼らぐらいだ。そのため彼らは、龍宮寺のこめかみを走る刺青を目撃したことがあり、同じく初対面の純丘が動揺もなく——即ち、派手に染めた髪と、目立つ刺青にも慣れた様子で——応対していたところも見た。
「心配かけて悪い……が、俺が貧乏なのは、イチから一人暮らししてるせい以外のなんもねえよ。あいつらはマジでただの知り合い」
「だ〜ってよ、解散ッ! 次俺さくら歌うから」
「ここ卒業式の会場だったっけか」
そこで不良とつるんでんの? とならないあたりは日頃の行いが良い証明。ただし、脅し取られているとかいう発想がものの十数分でほとんどに信じられてしまうあたりは、彼の金欠が知れ渡っている証明。
峰上がさくらを熱唱する間、不在中に届いていたタコ焼きを純丘はひとつつまんだ。チープに、手軽に美味しい。黙々と食べながら、純丘は思考を巡らせる。
たとえば、当然のように灰谷兄弟と結びつけて論じられる己のこととか。
たとえば、ヤンキーと揃えると被害者として語られる己のこととか。
二学期め
:二〇〇三年だとまだ三学期制&夏休みが八月三十一日までの学校がだいぶ多い
まりっぺ
:元モー娘。の2期メンバー、三代目リーダーも務めた
コーヒーと緑茶とカルピスを比率2:3:2
:味覚次第だと思うが個人的にはただの罰ゲーム
風営法
:風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律
コーラとカルピスとコーヒー
:おすすめはしない
さくら
:森山直太朗の曲
世界ウルルン滞在記二〇〇三年一月〜四月のエンディングテーマ