本誌完結おめでとうございます(数日ぶんのフライング)
サクラサク
西暦二〇〇四年。
本当の物語が始まるよりも前、春の日差し明るい午前。あるいは素行の悪い子どもたちがようやく寝入った、ほとんどそのすぐあと。
灰谷兄弟は爆音で叩き起こされた。
甲高いコール音。灰谷蘭のケータイへの着信だ。
名義は【アイツ】と記されている。
身じろいだ体躯。目を半分開けて、閉じて、伸びた腕が床の上をしばらく這って、傍らのクッションを手繰り寄せる。
サクラサク
プツッ、
とコール音が途絶えた。純丘は肩と耳でケータイの画面部分を挟んで、テーブルに置いた封筒をがさがさと漁っていたところだった。
テーブルの隅には半分飲んだコーヒーカップと、一口ぶん崩されたケーキが皿に乗っていた。ついでにボールペンが二本。机の隅で絶妙なバランスを取っている。今にでも落ちそうなので回収したほうがいい。
「おっ繋がったな。もしもーし?」
『ブッ——殺すぞテメェまじ』
「うん? よお竜胆オハヨ」
あっけらかんと純丘は言った。どちらか正確に言い当てられた少年は『死んでくんねえ? 今すぐ』地を這うような声で返した。真剣で、心からの言葉だった。
つまり殺意がこもっていた。
「ちなみに蘭は?」
『寝てんだよ! つか俺も寝てたんだよ! 兄ちゃんがいつまでも出やがらねえから——ハ? あのクソバカドブゴミ兄貴頭っからクッション被ってやがる』
「蘭らし……んぐふ、あははは」
『笑い袋がよ、足の指どれから折られてェ』
「合格祝いにしちゃ派手だな、どの指も嫌です」
学校から受け取った書類を開いて、項目を読み込んでいく。ボールペンをくるくると回している。
ケータイはあまりにウルサイので、若干耳から離して片手で掲げていた。
「つか君ら、今日同じ部屋で寝てたのか? 個室あるよな」
『あ゛〜……? リビング……あー……ブランドからシャトーのいいやつもらっ』
「ナルホドたらふく食って飲んでそのまま寝落ちしたんだな〜了解了解。それ以上話すなよ?」
『……さっき聞き流したけど、合格祝いって?』
何事かを飲み込んで尋ねた竜胆に「合格だよ」純丘は再びケータイを耳元に挟んだ。
桜前線はまだ九州に到達してもいないが、梅前線は二ヶ月も前に東京を通り過ぎている。春の花かおり、新学期が現実味を帯びてくる時期の今日この頃。
「国立」
『ああ、大学……あ? 国立? 待って国立? エ今日何日?』
「うはは。君もわかんじゃんな。ビンゴだよ、三月十日」
やけに機嫌よく笑う純丘の電話越し、ま、まじ? 完全に目が冴えた声色で竜胆が呆然とつぶやいている。
ん゛んうるせえ〜とその向こうで蘭は、くぐもった唸り声を上げている。
兄の抗議も気にせず、竜胆のトーンは更に跳ね上がった。
『まじで? どっち?』
「俺らが日本のどこ住んでんと思ってんの。アッハハハ! 日本国内で期待される出来としてはおおよそカンペキだ」
『……きっ、もォ……』
心の底から絞り出した声だった。
「オイ、先に祝えよ」
『ヤきめェよ。フクブマジでどういう頭してんの? ああいうのってメガネかけて猫背で髪の毛ぺったりしてる根っからのガリ勉が受かるとこだろ』
「君そろそろその口縫い付けられたほうがいいぜ」
とんでもないステレオタイプの偏見だ。純丘はいつものように釘を刺した。
実際のところ、かのような一般的に最高峰と呼ばれる大学の合格者は〝幼い頃から英才教育を受けさせてきました!〟を全面に主張する富裕層の方が多い——格差の再生産に関してはれっきとした論文なり書籍なりがあるので、ここでは置いておこう。
「まあ勉強量は明らかに足りなかったけど、積み重ねと受験マジックで合格ギリギリのラインに滑り込んだっぽいな。この点数だと。重畳」
『きめぇな』
「うるせーぞ? 大事なことはただひとつ、これで俺は晴れて四月から専門学校に通えるということだ」
『……。ア?』
明らかに怪訝な声だった。純丘の側からは確認できないが、通話向こうの竜胆の表情も露骨に怪訝な顔だった。
それもそうだろう。
『専門?』
「学校。簿記の専門な」
『……大学は?』
当然出るべき疑問だ。
純丘は専門学校から貰った書類にもそもそと内容を書き込んでいる。
「俺が家を出る条件のひとつがな? ある大学に合格することでな?」
『ウケりゃいいのかヒきゃいいのかわかんねえよ』
「その二択ならウケてろよ。どうせ専門学校と国公立大の一年にかかる学費はどっこいどっこいだ」
『なら国立行っとけっての……』
「常識人みたいな発言するな〜」
『オマエまじで今日テンション狂ってっからってなんでも許されっと思うなよ』
ほとんどキレ気味だった。おこな竜胆に「ごめんて」それでも純丘は機嫌よく笑っている。
「基本的に生涯年収は大卒の方が高いけど、どっちかってっと俺の目当ては専門家の元で学べる資格。通う年数が少ない方がかかる学費も減るし、塾運営をさっさと本業にできた方がまだ楽だしな」
『ヒいとくわ』
「はあ……?」
なんでこいつたまに〝俺が絶対的に正しいに決まってるが?〟みたいな反応すんだろな。竜胆はしみじみと思った。
永遠に明かされないかもしれないので先に開示しておくと、周囲に彼ぐらいちゃんと法を守り続けている人間がいないためである。だいたい全員犯罪者!
よくよく考えるとまあまあろくでもない。
「あと生活費を返し終われば俺は晴れて自由の身だ」
『あと何千万あんの?』
「ん〜? ふふ……五百万」
『……フクブマジでどっからその金出してんの?』
これは貧乏暮らしの元副部長との付き合いで、金の価値をよくよく理解してしまったボンボンの言葉。
一般的に、中学生までの子どもを育てるのには、公立校に通わせていても二千万近くかかると言われている。完全に私立校通いなら、その倍。習い事の量および種類によってはさらに倍。
……明らかに高校生の返済スピードではない。
特待生で授業料タダ、自営業の兼業で生活費のほとんどを経費として計上し税金を差っ引いてるとかそういう問題ではない。
「合法だぜ?」
『あ〜っそぉ……』
そ〜だろうよ、竜胆の目が死んだ。
港区内で違法なやりくりをしていたら六本木のカリスマの目に遅かれ早かれ止まる。
だからバケモンなんだよな。
『……るっせえ』
『あ』
掠めるような音、切断される通話。これは蘭にたたっ切られたな? 予想をつけたところで、純丘のケータイに再び着信が入った。
着信主は〝オーキッド〟……だからポケモンではなく。
さてはて天丼ネタは置いておこう。電話代を気にするみみっちさもやはり確実に覚えられているという話だ。
「あざっす」
『ごーかくオメデト寝てるとこ邪魔してくんじゃねえよ死ね』
「ストレートな罵倒が来たな……」
『合格したっつってもわざわざ電話かける前にテメェならアポなしとかなんも気にせず家来んだろ、よっぽど早々なご連絡が必要なお題目があんだよなァア゛?』
『機嫌わっる』
「脅しかけられてるのかこれ」
輩巻き舌と死を希望する言葉のセットなので、うまく運ばせれば脅迫罪ぐらいは成立することだろう。寝起き悪いな〜ぐらいの気分であしらっている純丘がやはりややおかしい。
いつものやり取りというだけだが、いつものやり取りの治安がまず悪い。
「そう言われるとそこまで早々な連絡事項ではなかったかもしれねえな」
『あ〜っそお……どの指から折られてェ?』
「しみじみ思うんだが、君ら〝あっそ〟の言い方同じだな……」
概ね感心している場合ではない。八つ当たりで提示されるのが拷問の手法だ。
「指の前に連絡事項だが、俺もうアパート引き払ったから渡した鍵返せよ〜こっちで処分しとく。溶かす」
『は?』
「ガスバーナーでちゃちゃっと」
『いやそこじゃねえよバカ?』
『つかまずフクブはそろそろ蛮族の鍵処分をやめろ』
「蛮族は鍵なんて持ってないからな」
『だっ……からそ〜じゃねえんだよな〜?』
『マジで成長しねえ』
鍵は不燃ごみか金属類として出しましょう。それか普通に大家に返しましょう。
三月十日
:三月十日に合格発表がある大学は限られてきますね
そういうこと
格差の再生産
:教育にもお金がかかるよねって話
電話代を気にするみみっちさ
:「数えきれない」参照