【完結】罪状記録   作:初弦

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金で買えないものはない

 純丘が金を稼ぐ方法は極めて合法だ。塾経営、複数のアルバイト。そして一定の額を社会勉強がてら、投資にも運用していた。

 投資で儲ける方法はシンプルだ。社会情勢に張り巡らせるアンテナと、多様な知識。世情を読み切って、然るべき場所、然るべきタイミングに、然るべき金額を投下し、回収する判断力。

 

 ……なお、投資が〝ギャンブル〟としばしば評されるのは、それを読み切る能力が果たしてどれだけ多くの人に備わっているか、という話でもある。

 

 純丘にその能力が備わっていたかというと、いずれ開花する兆候はあったが少なくとも中高生の間はあくまでも投資の初心者でしかなかった。

 図書館の教本や、先人に聞いて回った知恵を参考にしつつ、少額で投資を続けてコツを掴み始めてしばし。

 

 時は二〇〇一年。記念すべき二十一世紀最初の年。

 灰谷兄弟は仲良く少年院入りの真っ只中。純丘は純丘で、当時入学したばかりだった高校にも慣れて、生活に一旦の落ち着きを得た頃。

 

 具体的には九月十一日と申し上げれば伝わるだろうか。

 

 ワールドトレードセンターの中核をなすツインタワービル、およびその周辺一帯のインフラストラクチャの崩壊。ペンタゴンの通称で有名な、アメリカ国防総省本庁舎の部分的倒壊。そしてワシントンD.C.を目指して道半ばで途絶えた一機。

 かの大規模テロ事件は世界情勢を混乱に突き落とした。当然、リアルタイムの世情が反映されやすい株価にも、投資家の予想もしない乱高下が発生する。

 

 相変わらず少額の投資をしていた純丘は数ヶ月単位でその様子を眺めていたが、さて、ここで彼はなにを思ったか血迷った。

 原油ETFに投資したのだ。

 

 

 

  金で買えないものはない

 

 

 

 ETFとは上場投資信託を指す。品数や種類は投資信託よりも少ないが、少額からの運用が可能なために純丘は元々そちらを活用していた。

 当時の原油価格は大幅に下落しているその真っ只中だった。もともと世界的な景気低迷によって下降気味だったことに加え、原油先物市場で最大規模のWTI原油先物は、その名の通りアメリカのテキサス州(や、ニューメキシコ州)を中心に産出される原油が商品だ——そらあ、未曾有のテロ事件直後ならば、そうもなる。

 

 危険を前に人は散財を控え、蓄える。人間の心理としてごく当然の理だ。

 投資家ももちろん該当する。

 

 当時のOPEC——原油産業の安定化を図るために組まれた組織、石油輸出国機構の略称だ——が、非OPEC産油国と協調減産成立を条件に原油の減産を決定したことも、石油市場の先行きへの懸念を作った。

 非OPEC産油国とOPECの増産・減産はしばしば目論見が一致しなかった。

 とんでもない勢いで下がり続ける原油先物を眺めて、それでも純丘が二〇〇二年三月限のものから手を出し始めた結果。

 

 これが跳ねた。

 

 非OPEC国の相次ぐ減産表明、期日通りOPECの二〇〇二年一月からの減産開始。

 供給が絞られた結果、相対的に需要が高く釣り上げられる。需要が多ければ、価格は上がる。簡単な図式だ。

 

 また、当時の現代史にはいくつか大きな変革があった。

 

 たとえば二〇〇一年九月十一日に崩壊したワールドトレードセンターが、国防総省本庁舎の一部が、ペンシルベニア州の野原に上がった黒煙が、引っ括めて9.11と名付けられたのは、大きな変革のひとつであったからだ。

 歴史は地続きだ。十六世紀は遠い昔だが、その頃起きた出来事すべて等しく、今の地盤を形成する一部になる。海を挟んだところで同じく地球の話でしかない。

 ゆえに変革は派生する。蝶の羽ばたきが台風に変じるなら、およそ三千人の被害者を齎したテロ事件は、最終的になにを引き起こすだろう。

 

 起こってしまったひとつが、イラク侵攻だった。

 

 湾岸戦争ないし、大量破壊兵器の有無を危ぶんだ国連特別委員会が関わる経緯、テロ事件直後の情報の錯綜やプロパガンダ、戦争の是非に関する後々の分析、戦中や戦後の詳しい経緯——については、軒並み割愛する。世界史や政治のテキストとにらめっこした方がよほど有意義だ。

 

 とはいえこれだけは注釈を入れておくべきだろう。

 

 イラクはOPEC原加盟国に該当する。

 原油産出国でも主要なうち、一国。

 

 戦中では原油需要がむしろ下がる、とは現在の通説だ。兵器等によって消費される石油よりも、戦中の消費意欲の低迷で下がる需要の方が大きい。

 ただし、重要なエネルギー源たる原油を必要とする層は、確実に、常に存在している。

 元々原油は先物取引でも乱高下の大きい部類で、世情がどう影響を及ぼすかは注意して観察せねばなるまい。少なくとも、当時のアメリカの態度は、テロ事件直後からイラクとの争いを予見させた。

 

 そして原油価格は跳ねた。二〇〇一年末の底値と比較し、二〇〇三年には倍まで跳ねた。

 このときは多くの人々が予想もしていなかったが、数年後にはおよそ八倍の値を叩き出している。

 

 戦争にはあらゆる思惑が絡み合い、あらゆる事柄が変動する。得をする者も間違いなくいる。損害は、取り返しがつかないことも、また。

 どちらにせよ必要な情報はこれだけだ。

 

 二千万円超の養育費の返済と高校への支払いを同時進行していた純丘榎は、期せずして余裕を手に入れた。

 

 人の命と引き換えの金だ。大義名分を掲げた掃討を知っている。稼いだ方法を敢えて誰にひけらかすこともない。

 人は生きるために命を消費していく。食事のために野菜を食べる。そのために命を手折る。肉を食べる。そのために命を屠る。

 

 そういうことかどうかはわからない。世間が動いて、社会が動いて、その余波で手元に金が転がり込んだことだけが事実だ。

 たくさんの手続きを越えてその金が様々な代金として消えていったのだって事実だ。

 

 なお前振りここまで。

 

 五月五日。こどもの日ないしゴールデンウィークの最終日として名高い当日午前。

 純丘宛にかかってきた、一本の電話から、話は展開する。

 

 延々と鳴り響くコール音が本日の彼の目覚まし時計の代わりと相成った。

 

『純丘クン、久しぶりぃ』

「あぁ、お久しぶりです……なんか用すか?」

 

 なんとも甘ったるい声。布団の中を這いずって、右目をすがめる純丘。

 

『嫌そうな声出さないでよお』

 

 声はさらに甘ったるく溶けた。

 

『ところで今純丘クンが保有してるので一番跳ねそうなのってメディアシークだよねえ』

「なんで把握されてるんですか? 把握してなにをしようとしてるんですか? てかなんで今言った?」

 

 おおよそ寝起き。寝癖のついた前髪を軽く撫でつけて、純丘は辟易とつぶやいた。

 

 図書館で株式のテキストから始まり、経済学、近現代史の資料とあらゆる株価の推移を時系列ごとに比較、等ひたすらに投資関連の文献を漁っていたのが、善良ないち中学生ことかつての純丘榎。

 彼はそれだけに飽き足らず付近の大学にアポイントメントを取り、経済学の教授に知的好奇心をもとに質問もしていた。なんなら時間がカチ合えば講義に潜り込むことさえあった。アグレッシブクソ度胸である。

 

 当時の学生たちはやや遠巻きに見るなり興味深く近寄るなり笑い転げるなりしていたが、そのうち笑い転げていた学生が今の通話相手である。情緒の発露方法こそまあまあ謎だったが、投資についてやたら詳しく教えてくれたため、純丘にとってある意味師匠に該当する。

 

 なお原油が盛大に跳ねた当時も何故か純丘が大儲けした件まで知っていて、寄越した電話の向こうで一頻り爆笑などしていた。

 純丘には師匠がわからぬ。

 

 走れメロスのパロディをしている場合ではない。

 

『それはさておき』

「さておき……?」

『純丘クン今ひまぁ? ヒマだよねえ、寝てたもんねえ』

「ひま、は、まあ……」

 

 実際暇でなければ純丘は六時には起床しているタイプだが。

 

「……俺寝てたって言いましたっけ」

『口調でわかるよぉ、でヒマな純丘クンにぶん投げたいことがあってね』

「はあ」

 

 純丘はすこぶる興味なさそうな声で相槌を打った。

 投資について丁寧に教えてくれた件には感謝しているが、その感謝ももう返済完了扱いでよかろうとばかりに面倒なちょっかいを出され続けているので。

 

 面倒なちょっかいってなんですかと聞かれると一連の会話でわかる通りだ。こんな感じ。

 

『かわいくて賢くてお金になりそうなうら若き少年がさ? ちょおっと最近音沙汰ないから様子見に行ってくんない?』

「そういう役回り多いな」

『なんて〜?』

「俺犯罪に加担はしねえっすよ」

 

 明らかに話を逸らした純丘に『へえ』と相手はいかにも意味深な声を漏らした。

 

『純丘クン今犯罪に加担させられるんじゃないかなあって思ってるんだあ。ずいぶん失礼じゃなあい?』

「犯罪に加担はしねえっすよ」

 

 純丘は頑なに繰り返した。『人を疑うのは良くないよ?』通話越しに揶揄いまじりの言葉が飛ぶ。

 

 疑われるようなことしてない人はそもそもそんなこと言わない、とか突っ込んではいけない。

 ヤブヘビなので。

 

『だいいち、犯罪じゃないよお。これは』

()()()……?」

『ちゃんと巻き込まないようにしておくからねえ』

 

 アンタほんと今どんな仕事してんの、思った純丘だったが言葉はちゃんと呑み込んだ。巻き込まないようにってそれ巻き込む主体の発言、とかも思ったがまるっと消し去った。

 いち個人が買った株までわかりそうなポジションはだいぶ限られてくるが、関わらないし考えないのが吉。

 

 察さなければ回避できない場合もあるが、察した瞬間嬉々として引きずり込んでくる人間もまあまあいる。

 

「……見に行くぐらいなら、やらんでもないすけど、今の情報で探し出せる気はしねえっすよ。かわいくてとか主観すぎるし」

『んとねえ、数字の九に井戸のイで九井くん。名前は数字で一って書いて、ここのいはじめ。髪の毛きれいな黒でね、目が細くて、吊り目の、鼻は低い方かなあ?』

 

 ベッドから這い出ようとする中途半端な姿勢のまま、純丘はふと動きを停止した。

 

 つい今しがた告げられた内容を脳内で復唱。ここのいはじめ。九井一。

 目が細くて、吊り目で、鼻は低い方。……髪色は、変えるのが極々簡単なので、あまりアテにもならないが。

 

 賢いと評されるなら、そこには振る舞いも伴っているはずだ。

 加えて〝お金になりそうな〟——危うい言い方には敢えて目を瞑るとして。

 

「……そいつ、ココって愛称つけられてませんでした?」

『心当たりあるのぉ?』

 

 あるかどうかでいえば、確かに、純丘の記憶にてひとりほど。

 面識はない。又聞きの又聞きレベルで把握してはいる、ぐらいの位置だ。顔も一応目にしているが、逆に言えば目にしたことしかない。

 

 純丘の恩人が経営していたバイク屋に、時折訪れる厳つい様相の人々。今思い返せば暴走族の装束では、と察せられる集団に紛れ込んだひとり。

 細い目つき、醒めた空気。どうもいつも一歩引いたところから眺める姿。彼もまた、純丘榎とは類似していながら異なる立ち位置にあった。

 

 名前を知ったのは人伝だ。

 

「〝金稼ぎの天才〟?」

『そだねえ、その子だよ。ほんとに知り合いなんだあ?』

「……あんま期待しないでくださいよ。俺だって都合ってもんはあるんで」

 

 外出となれば着替えが必要になる。もそもそ寝巻き代わりのジャージを剥いで、適当なシャツを肩に引っ掛ける。

 寝ぼけ眼なりに動き出した純丘の耳元、ケータイ越しに『いいよお』と鷹揚な言葉が下った。

 

『純丘クン今んところ一般人だしねえ』

「そすね、一般人に頼まないでください」

『信者いっぱいいるだけの一般人だもんねえ』

「余計な修飾語は要らねえんで」

 

 信者いっぱいいるだけの一般人とかいう一文がまず矛盾極まりない。

 

 首を横に振って、純丘はシャツの袖に腕を通す。カロリーメイトはブランチがてら、電子レンジの上に重ねて置いてあるうち一箱を手に取った。ついでに冷蔵庫のはちみつ飴を一コ。チョコレートをふたつぶ。

 糖分と脂質が肥満のもとだと言うならば、逆説、エネルギーを効率よく補給するには糖分と脂質が重要ってワケ。

 

『やっぱその道のプロに頼むのが一番だよねえ』

「俺なんかのプロ名乗ったことないんすけども」

 

 しみじみとした言葉に、純丘はそろそろ困惑が隠せなかった。やたらと任される人探しとて、別に純丘の専門ではない。

 

 とはいえ引き受けたからには仕事はするもの。純丘は心当たりのいる場所へと顔を出しに行くわけである。

 肝心の真一郎に確認するすべが存在しないので、佐野家ごと選択肢から消去。

 イザナを凸るのが最も確実だろうが、最近純丘はイザナに付き纏っていない(語弊)ため、直近の行動サンプルが少ない。居所を突き止めるには数日を要する。そして筆不精にメールと電話のレスポンスは期待してはならない。

 社会生活どうするんだろうなという純丘の感想は、いいとして。

 

 というより普通に先に確認できる心当たりが二名。

 

「九井一って知ってるよな」

「へえ、フクブとうとうそーいうのに手ェ出すんだ?」

 

 そーいうの、に心当たりはなかったが見当はつくので、純丘はとりあえずひと呼吸置いた。

 コーヒーを口に含んで、竜胆は揶揄うように目を細めている。灰谷兄弟のもう片方は、現在長い毛足のカーペットにでろんと眠たげに溶けていた。蘭は寝起きから活動までに時間を要するタイプ。

 

 毎度おなじみ——というほどの登場頻度でもないが——六本木高層マンションの一室。絶景と評すにふさわしい窓は現在締め切られている。

 下手に南向き買いやがって眩しくて仕方ねえ、以前舌打ち混じりにそのように説明していた。遮蔽物がない高層階では、差し込む日光が有り余ってどうやら地獄の模様。

 純丘にはもはや縁のない悩みだ。へえそうなんだって思います。

 

「あいにく、探せって言われて仲介してるだけで俺自身は用もない」

「ツマンネ」

 

 舌を出したのもやはり竜胆だ。彼の頭をがしがしとかき回して「俺は娯楽じゃない」額をぺしっと叩き、そして純丘は後輩の兄弟らに非常に胡乱な視線を向けられていることに気づいた。

 

「なんだよ」

「……フクブさあ、俺のことガキに見えてたりするワケ?」

「……。アごめんフツーに道場のチビどもと同じ扱いしたわ」

「素直に認めてんじゃねえよ腹立つな」

「認めないとそれはそれで難癖つけるくせしてよ」

「は? マジウザ一度わからせてやんねえとな?」

「今日は遊びに来たんじゃないんだが!?」

 

 戯れる程度の関節技でゆうゆう命を摘みかねないのが、灰谷竜胆という男。雑に実力を測ってくるので手加減を間違えることしばし。

 腕をねじ込んでわりと本気で抵抗する純丘を眺めて、あくびをこぼし、蘭は寝返りを打った。うつ伏せ、そのまま床に頬杖をつく。

 

「九井ね、知ってっけど。……フクブこそどういうやつか知ってんだよな?」

黒龍(ブラックドラゴン)の資金源確保要員だろ。まあもう手ェ引いてるっぽいが?」

「……マジで知ってんのな?」

「前に世間話で出たんでな」

 

 上体を起こした蘭に応答、同時に純丘はげしげしと後ろ蹴りを繰り返す。三撃目で位置と距離感を把握、足を刈って竜胆ごと倒れ込む。

 下敷きにされた竜胆はすぐさま跳ね起きようとして、その勢いを利用して更に横に転がされて「あ゛ー!」叫んだ。

 

「ウケる」

「ウケてんな君の兄弟だろ止めろ、ああクソ関節固めるのは卑怯だろ!」

「っし取ったァ!」

「フクブぬるぬる動くよなー」

「起き上がったかと思ったらポテトチップス開けてんじゃねえよ」

 

 他の二人が格闘し始めるとポップコーンを用意するのが竜胆、ポテトチップスを持ってくるのが蘭、巻き込まれないよう即座に出かけるのが純丘。お決まりのパターンである。

 

 お決まりになる頻度かといえばまあそう。

 喧嘩するほど仲が良いというよりは、単に争い合うのが好きなだけ説が今のところ最有力。

 

「今連絡取れるかはわかんねえぞ。あの守銭奴最近音沙汰ねえし」

 

 リビングに広々と横たわるソファを観戦席と定めたようだ。一八〇近くが横たわってもなお大きく余るクッション、その中央を陣取って、蘭はカチカチとテンキーを操作している。なんだかんだ要求を通してくれるご様子だ。

 

「てかフクブよく知ってたよな、フクブのくせに」

「言わんとすることはわかるが。……前に斑目くんと駄弁ったときに、そんな話聞いたなって思ったんだよ」

「あー、獅音ならそりゃそうか。イザナのお下がりのひとりだろ」

「お下がりのひとりとかいうワード」

「間違っちゃねえだろ?」

「そうだな、倫理観以外な」

 

 呑気な口ぶりながらも竜胆は、純丘の腕を固めてぎりぎりと締めている。純丘は純丘で、冷静に回答を述べながらも、竜胆の足を抱えて捻り上げている。

 双方肉体言語の会話に慣れきった手付きだ。並行して音声言語でもちゃんと会話できます。

 

「相方が少年院(ネンショー)入ってからマジですぐ手ェ引いたんだよな。危機感強ェやつだわ」

「相方?」

 

 尋ねた純丘に「乾青宗」蘭は端的に答えた。

 

「乾……セイシュウ? でいいんだよな、まあ音が特徴的で覚えやすいが……」

「ソ。お綺麗なツラ半分ぐらいケロイドの、ハイヒール野郎。見りゃ一発でわかるぜ」

「なんだろうな、君らがハイヒールとか言うと殺傷力高そうなイメージしかない」

「マ合ってる」

 

 しれっと返された言葉に純丘の目が死んだ。竜胆をガッチリ下に抑え込んだまま目だけが器用に死んでいる。

 そのさまを大した感慨もなく眺めて「あと」とついでのように蘭は言った。

 

「初代黒龍(ブラックドラゴン)の信者」

「……もしかして真一郎さんの信者だったタイプだったりしねえ?」

「そだなあ」

「そなのかあ」

「そいつそンとき少年院(ネンショー)ぶち込まれてんだけど、訃報聞いて一頻り暴れて刑期延びたんだと。ウケるくね?」

「なにもウケないがなるほどな」

 

 死後も()()()()の方々からやたら噂が出回る性質は健在のご様子だ。

 死してなお響き渡る名声ともなれば、いよいよ軽口以上に宗教じみてくる。

 

「……というかけっこう詳しく知ってるな」

「俺たちお得意様だかんなあ♡」

「ああ……」

 

 わざとらしく甲高くトーンを上げられても邪悪さは変わらない。

 

「首突っ込んだのがちょうど大将が総長ンときで、そっちでもよく話も出たし。あいつとセットだとわりかし要求通しやすい……」

「そりゃ兄貴はそうかもだけどさあ。アレだって仮にもH1世代の狂犬だぜ?」

「竜胆はも少し立ち回り覚えろよ」

「君らもそんな名前で呼ばれてなかったか? なんとか世代」

「S62?」

「ああ、生まれ年か」

 

 平成元年。昭和六二年。純丘榎は相変わらず不良文化に疎いので、一年区切りの世代とはまたずいぶんサイクル早いな、ぐらいにしか思わない。

 興味なさそうな元副部長——の一方で、足を固められながらも心底イヤそうな顔をした竜胆に、蘭が目ざとく口端を吊り上げた。

 

「ま、竜胆は違ェけどな?」

「ほら言いやがった!」

 

 不機嫌も顕に竜胆は、掴んだままの肩に体重をかけていく。音を立てて軋む関節にいきなりなんだよと若干引く純丘。

 

「てか、違ェってなに?」

 

 そして今しがたの会話内容に疑問符がひとつ。

 

「別に早生まれでもねえだろ、弱ェわけ?」

「弱くねェし」

「言葉選びが悪かったのは謝るから俺で実証しようとすんな」

 

 発言する際にはTPOを考えた方がいい。とりあえず取っ組み合いの最中に相手を煽るような発言は避けるべきだろう。

 

「俺は六二年の五月、竜胆は六三年の十月。俺ら、一年半違ェの」

「……は!?」

 

 純丘が腕に籠めていた力が一瞬緩んだ。すぐさま竜胆は勢いつけて、自分の身体ごと純丘を仰向けにひっくり返した。

 一方の蘭はあっけらかんとしている。ポテトチップスの袋に片手を手首まで突っ込んで、わし掴んだチップスを頬張るように咀嚼する。

 

意外に(ひあひい)驚くよな(ほおおふおあ)……俺らの誕生日知ってんのに。人間って十月十日経たねえと生まれねェんだぜ?」

「誕生日は確かに覚えとるがよ、生まれ年から違ェのは想定外だよ。同学年ならせいぜい、腹違いの数ヶ月差ぐらいにしか思わないだろ……」

 

 そうでなくとも明らかにワケアリ家庭だ、気軽に首を突っ込むわけにもいくまい。

 藪を突いて蛇どころかヤマタノオロチが鎌首を擡げたとして、未成年どころか当時義務教育真っ最中の子どもがなにをできるわけもない。

 

「いや、待て。そうだよ君ら同学年だったよな。少なくとも中学じゃそう扱われてたよな。……日本に留年制度はあっても飛び級制度はねえぞ」

 

 記憶を辿った純丘の確かめるような発言に、蘭は薄く微笑んだ。

 

「……話逸れてんぜ?」

「そういう君は露骨に話を逸らすよな……」

「まあ好きに想像しろよ。なーんでも? 気にしねえぜ、俺はな」

「含みがありすぎるんだよ」

 

 溜息混じりに言って、純丘は顔をしかめた。先程よりも容赦なく関節がぎりぎりと痛む。

 冗談じゃなくそろそろ骨が折れそうだ。

 

「余計なこと言ってんじゃねえよ兄貴」

「わーり、にしてもオマエ相変わらず一人だけ年下なの気にしてんのな?」

「兄ちゃんさあ反省って知ってる!?」

「知識と実践は違ェのよ」

「口ばっか上手ェよな!」

「おいちょっ」

 

 竜胆は苛立ち混じりに、純丘の腕を無造作に関節と逆方向に畳む。

 焦りの滲んだ元副部長の制止の声は、残念ながら一足遅い。

 

  ボキ

 

「あ」

 

 明確に鈍い音が響いた。

 竜胆が思わず漏らした声も、やべやらかした、の意が大きく占めていた。

 

 フローリング上にて折れてない方の掌をきつく握って、やがて純丘は声を絞り出した。

 

「……なあ、俺、遊びに来たんじゃねえって言ったよな? なにか言うことは?」

「……フクブ痛くても声上げねえよな、パンピーなのに。でも弱くなった?」

「感心してないでまず謝れ俺に。第一こっちはわりと勉強漬けで鈍ってんだよ百歩譲って今君が当たるとしても間違いなく矛先は蘭のはずだろうがそろそろ俺は怒っていいからな」

「マジゴメン」

 

 傍らで眺めていた蘭はとりあえず、九井への連絡を一旦後回し、最寄りの病院に連絡した。

 元副部長と灰谷兄弟は出会いからして出会いな関係。打撲やら捻挫やらはわりかしカジュアルにやらかすのだが、一応ラインは決めており、じゃれ合いで骨折はアウトゾーンだ。

 

 まあこれは竜胆が悪い。

 

「……ア? 噂をすればニアピンじゃね?」

「うん?」

「フクブのお目当て」

「……ほんとじゃん」

「……あっ、九井一?」

「ヤ乾の方。アレ」

 

 ところ変わって品変わり、人生万事塞翁が馬。

 病院の待合室を通りがかった少年に最初に気づいたのは蘭だった。

 

 ぱっと振り返った純丘の視界、端っこの方を、淡色の髪の少年が横切っていく。咄嗟に走り込んだ純丘が「うわ、乾くんだよな? 久しぶり、真一郎さんの店で——」流れるように話を振って己のペースに乗せて言いくるめていく。

 待合室の対角線上から眺めていた灰谷兄弟は、おもむろに顔を見合わせた。

 

「よっぽど詐欺師に向いてんだよな」

「これ帰っていいやつ?」

「ちゃあんと精算してからな。領収書渡さねえとあいつ怒んだろ」

「返さなくてもいいってのこんな端金……」

「ワケわかんねえプライドだよマジ」

 

 

 

 いきなり絡まれた被害者・乾青宗は、純丘の想定よりも穏便な人間だった。

 

 ……そも、純丘に初期インストールされている()()の印象はS62世代で、それより話が通じる相手は大抵全員穏便判定になる。基準がガバガバ極まりない。

 

 とはいえ、乾の態度が穏便だったのは間違いない事実だ。

 また、きちんと根拠に基づいた穏便さでもあった。

 

「アンタのことなら知ってるよ」

「まじか。そりゃ光栄だな」

「真一郎くんの家に手伝いに来てるカタギ、純丘榎ってンだろ」

「はーははは……あの人なにほざいてた?」

「怒られるから本人には言うなって言われてたな」

 

 とんだ言い逃げだ。死んでいればそりゃあ怒ることもできない。こめかみを抑えようにもあいにく腕は骨折したばかりで吊っている。内心葛藤する純丘の内心はつゆ知らず「あと」乾は真顔で続けた。

 

「真一郎くんの通夜でワカくんと揉めたろ」

 

 一旦、無意味にギプスを撫でた。

 そして純丘は首を傾げた。

 

「誰から聞いた?」

 

 灰谷兄弟が提供した情報を彼はきちんと頭に入れていた。

 初代黒龍(ブラックドラゴン)に憧れ、八代目たるイザナの統治下にいた少年。一度はしょっぴかれ、佐野真一郎の訃報に暴れたために収容期間が延びた。

 

 通夜に同席できるはずがない。

 

「本人」

「なるほど」

 

 果たしてどちらから聞いたのか。

 どちらにせよ、純丘が把握している限り本件の当事者は二名だ。黒川イザナの名前はどう捻ってもワカとは呼ばれない。

 

「あの人ワカクンてのか」

「知らねえの」

「知らんよ、俺は真一郎さん個人と交流があったクチだ。ワカクンサン? も通夜が初対面だよ」

「今牛若狭でワカくんな。……イザナくんと仲良いわりに?」

「……これ聴取かなんかか?」

「チョーシュ?」

 

 ぱちぱちと目を瞬かせた乾に「捜査の聞き取り的な」純丘はそう付け加えた。

 

「刑事ドラマとかでありがちなやつ」

「ああ……違うけど、気になるよな」

 

 それは普通にそう。

 

 イザナくん辞めちまってから全く話に出ねえし、とも乾は言った。

 頭を掻こうとして腕を吊ったままなのを思い出して、純丘は溜息をついた。やはり怪我はなにかと面倒だ。

 

「話してもいいぜ。できればどっか腰落ち着けられるとこがいいな。俺腕がこうだし」

「そこは同感だ、座れる場所がいい」

「今更だけどめちゃくちゃボロボロだもんな……」

黒龍(ブラックドラゴン)再興のためだから、これぐらい」

 

 一応滅んでたんだな。……再興するほどのものか?

 

 ド失礼な感想を口にはしない猫かぶり野郎が純丘だ。

 黒龍(ブラックドラゴン)をイザナが散々引っ掻き回したことは彼もそろそろ把握している。

 

「……イヌピー、なにしてんの?」

ココ(ふぉふぉ)

「なんだって?」

「ああ、九井くんだろ、君」

 

 こんにちは、と頭を下げられて「こんにちは……」九井は困惑を含めた表情でとっさに会釈を返した。不良のわりに礼儀正しい。

 

 喫茶店のテーブルうち一席。

 テーブルの足、端っこにヒールを引っ掛けて、乾はずごごごとフラペチーノをすすっている。表情は虚無で、フラペチーノについてどう思っているのかは全くわからない。口をつけてるあたり不味くはないのだろう。

 

「俺はまあ怪しい者では……あるかもしれないが君らをどうこうそうとかは特に思ってない」

「怪しいですね」

「まあそうだよな。とりあえず名乗っとくか、純丘榎と申します」

「……九井一です」

「うん知ってる」

 

 なんで、の顔をする九井はごく当然だ。なんなら苗字を言い当てられたときからなんだコイツと思っている。

 

 ともあれ一時の目標は達成した。面識だけは作っておけばあとはどうにでもできるのが純丘榎。

 利き腕はギプスで固定中のため慣れない手つきでコーヒーを口にふくんで、彼の口調は、あくまでも柔らかだ。

 

「S.S.Motorにちょいちょい顔出してたんだよ。君も何度か見かけたな、九井くん……いや覚えてないならそこまで必死に思い出そうとしなくてもいいが」

 

 なにせ腕を組んだ長考に見合うほどの密接な関係はないので。

 見かけたという言も正確には〝遠目でちらっと見た〟〝帰りしなにすれ違った〟の程度だ。覚えてなくとも無理はない。

 

 いや本当に。

 

「スタバ奢りだってよ。ココでもたらふく食えるな」

「……その言い草、九井くんもしかしてけっこう食べる方か? それならちと支払額が変わってくるが?」

「奢ってくんねえの」

「ねだる仕草が上手いな。乾くん、俺の予想だと君は一人っ子か末っ子だと思うんだけどどうだろう」

「末っ子だったよ」

「印象通りだな」

 

 過去形に突っ込んだところで藪蛇なのは見えたこと。目に見えた地雷を軽い気持ちで踏む趣味はない。

 

 さらりと流した純丘は「まあそもそも最初に奢るっつったときに注文されたのはフラペだけだしな」と続ける。いかにも不服そうな表情で乾はストローをまた咥えた。

 

「イヌピー……前からの知り合いか?」

「ほぼ初対面」

「マジで何」

 

 九井のコメントはことこの場において間違いなく正しい反応だ。

 しかしまあどれだけ尤もな意見でも少数派であれば淘汰されるのは自明の理というやつ。

 

 このくだりは東京卍會でも繰り広げられていたので、たぶん九井は三ツ谷や龍宮寺と仲良くなれるタイプ。




原油
:正確には乱高下と評するのが正しい

ETF
:実はこの時期原油ETFは存在していないがフィクションということで敢えて入れた
 東リべ原作の時期と改正前少年法が合致してないのと似たようなものだと思ってほしい

南向き
:タワマンだと遮蔽物がないので本当に眩しい
 らしい
 住んだことない

刑期
:逆に、いわゆる模範囚だったらちゃんと仮釈放とかもある

生まれ年
:キャラブックの芭流覇羅(バルハラ)黒龍(ブラックドラゴン)編を参照!
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