【完結】罪状記録   作:初弦

27 / 128
本誌完結おめでとうございます!


平等に無価値

 さすがに開店前のクラブに客はほとんど皆無だ。角張ったかたちの一人がけソファに腰掛けて、九井は、いかにも不審に思ってます、の顔で眼前の笑みを眺めた。

 

 六本木に君臨するカリスマ兄弟で名高いふたり——のうち弟の方だ。いかにも無害そうに微笑んでいて逆に有害さが隠しきれない。

 いつもはデフォルトで仏頂面だろうが、九井はそう罵った。心の中で。

 

 かの兄弟は、全体的な彩りや服装は異なるが、顔立ちや表情の作り方は至極そっくりだ。いざ似たような表情をさせればご覧のとおり、三日月を東の空に浮かべたような笑顔は、彼の兄に酷似している。

 

 心中の辟易が隠しきれない溜息をひとつ。そして九井は、相手の要求を確認した。

 

「……買いたいってのは、ヤクそのものじゃなく、販路と金の流れの方なんだよな?」

「そ。購入リストとかならベストなんだけど」

「お得意様には悪ィけど、いくら金積まれても出せねえよ」

 

 九井は手を振った。だから出直せ、彼の目が明確に語っている。

 

「だろーな」

 

 マそうなるよな、竜胆にも驚きはない。

 

 

 

  平等に無価値

 

 

 

 組織だった窃盗団を設立し、今はそれらを子飼いの傭兵として仕立て上げた少年。金を積めばなんでもやるとは、豪語する通りの実績がある。

 そして金の流れには情報が付随するもの。把握していないはずがない。

 

 ……とはいえ、ここで断られるのもまた当然といえる。

 

 金で顧客の情報を流した瞬間、瞬く間に信用を失うだろう。情報の購入者もまた顧客のひとり。誰が何を調べた、も情報として使い道はある。いつ何時裏切られるかわからない。

 金を手元に集め溜め込み、金を理由に動く者が、金を理由に裏切るならば、今後誰からも信用されない生き様を覚悟するべきだ。

 

 九井の言葉は竜胆としても想定内だ。

 想定内であろうとは九井側もわかっているからこそのこの態度だ。

 

「つうわけで本題なんだけど」

 

 表情をすんと落として、竜胆は、続いてそう切り出した。

 

「ちょっと横浜にあるチームに入りたいってヤツらがいてさ、繋いでやってくんね?」

「……最善は尽くせるぜ。ただクオリティは金と状況次第だな。……その〝ヤツら〟ってのは?」

 

 ドア・イン・ザ・フェイスにはお粗末だが、ここで情報を手に入れられれば儲けもの、ついでに九井の利用価値の再確認といったところ。

 

 コレを冗談半分でやってるところが灰谷兄弟の厄介さなんだよな。

 死んだ目で現実を噛みしめた九井は、ふと、かつんかつんと響く靴音に釣られるように顔を上げ——ぎょっと目を見開いた。

 

「よお九井くん、二度目まして」

 

 片腕を上げた男を竜胆は目だけで一瞥した。呆れを含んだ仕草で、ぐるりと首を回す。

 

「——主にこいつな」

「……灰谷兄弟の手駒かよ……」

「手駒、マァそう見えるか」

 

 頷いて、純丘は挨拶代わりの手を下ろした。ソファの背もたれに同じ手をつく。

 

 そして一言。

 

「……キッ、ツ……」

 

 真に迫る声色だった。

 心底から嫌そうなそれだった。

 

「っとくけどフクブみてェな態度の下っ端とか、マジでいたら速攻ボコってっかンな?」

 

 苛立たしげに舌打ちを放つ竜胆には、さよけ、と気のない相槌。放たれた拳をギプスの着いた腕でガードして、空席に腰掛けた彼——純丘榎、と本人が以前述べた名前を、九井は覚えている。そのときもギプスは同じ腕についていた。

 さすがに首にかけられた三角巾は外れて、それでも癒合はまだ遠いらしい。

 

 ギプスつきなら骨折した腕でもガードしてよかったんだっけ……とは九井の頭をちらっと過ぎった思考だ。

 良いか悪いかでいうとまあ良くはないです。

 

「偽名か」

「は? ……ああ、フクブってのはあだ名だよ。灰谷どもぐらいしか使わねえ」

 

 それはそれとして確かに純丘榎は本名ではないことも間違いない。

 彼の個人的事情は九井には関係ないので割愛。

 

 どちらにせよ、九井の訝しげな表情は変わらない。

 

「俺の記憶じゃ……アンタは、族のことには関わらねえ、堅気って話だったって話だが」

「乾くんから聞いたか?」

 

 確かめるように混ぜっ返しておきながら「まあ、事実だよ」純丘は足を組んだ。

 

「族のことにはなるだけ関わりたくはないな。〝六本木のカリスマ兄弟〟と親交を持つ気にはあまりなれんし、君のように〝金ををつくる天才〟とも同様だ。それらの肩書を一旦脇に置くならまた別として」

「話が矛盾してねえ?」

 

 堅気ではないなら九井が敬語を使う必要もない。

 いかにも不審そうに己を見やる少年に、さてどこからどこまでどのように説明したものか、純丘はすこし頭をかしげた。

 

 彼本人も、本当は、ここまで出張るつもりは微塵もなかった——話が少々、ややこしくなってしまっただけで。

 

「……とりあえず今の俺は、黒川イザナを筆頭に集まったS62世代に恨みを持っていて、灰谷兄弟に折られたこの腕は一生モノの後遺症が残って指先は動かせないという設定なんだが」

「……なに言ってんだアンタ」

「そうなるよな」

 

 至極常識的な反応。

 

 確かに、S62世代のタチの悪さを鑑みればいかにもそのへんにいそうではある。

 ただ隣に灰谷竜胆がいる現実を加味するだけで一気に様子がおかしくなるし、しれっと付け足された〝という設定なんだが〟がもう胡乱極まりない。

 

「なんつうか。……踊るプチ囮捜査線に協力してほしいんだよな」

「それマジでダセェしサムいから使うなっつったろがよ」

「俺もダサいとは思うけどまあ伝わるし誰も他に案出さなかったろ」

「……俺には伝わらねえんで、説明してくれませんかね」

 

 堅気なら敬語は一応使うタイプの九井一。とはいえこれは皮肉や嫌味の意味をふくんだ言葉遣いだ。

 

 囮捜査は、潜入捜査や秘密捜査とも言い換えられる。

 犯行グループに潜入するなり、あるいは犯人の策に引っかかったふりをするなり、現行犯ないし決定的証拠を掴んだ状態まで持っていくことで、犯人を確実に逮捕できる可能性を上げる捜査方法だ。

 

 日常に関わる案件であれば、万引きGメン詐欺グループの摘発にしばしば〝囮捜査〟という単語が揃えて報道される。被害者が逸早く気づいて警察に通報、警察官の指示に従って、詐欺に引っかかったふりをして犯人をおびき寄せる。

 大きな事柄になれば、諜報機関が組織だった犯罪を摘発するため、捜査員を派遣する場合もある。

 

 フィクション作品でも、たとえば今野敏著作の警察小説に〝潜入捜査〟とタイトルそのままの作品が存在している。東野圭吾著作、映画化もされた小説〝マスカレード〟シリーズも潜入捜査ものだ。

 易しいところでいうなら、青山剛昌著作の少年漫画〝名探偵コナン〟では幾人もの潜入捜査官が登場する。

 

「君、師匠……あー、甘ったるい喋り方で、経済市場にやたら詳しくて……意味深な言動してきて脅し文句が株価操作で他人の私有財産の情報を何故か微に入り細握ってて底が見えねえ人知ってる?」

「……アオサギのこと言ってんなら」

「伝わるのかよ……」

 

 聞いた方は正直ダメ元で特徴を羅列してみたつもりだった。伝わるのかよ……。

 

 なお、横で黙っている竜胆は、沈黙しながらも若干引いていた。

 ンな知り合い心当たりあってほしくねえわ。

 

 純丘曰くの師匠、九井曰くのアオサギは、名前がいくつもあって誰にどう使っているのか本人以外誰が把握しているのかも不明だが、幸い純丘も本人から聞いたことがある名称のうちに〝アオサギ〟は含まれている。

 

「九井くんの話もちょいちょい聞いていてな。気にかけてたから今度連絡してみるといい、」

「本題は」

「……君のいうアオサギ、マトリでな」

 

 天使が通った。

 

 たぶん五、六人ぐらい通った。ちょっと長かった。

 

「……マトリ?」

「マトリ。麻薬取締官。一般司法警察職員じゃなく、厚労省管轄の——」

「意味は知ってンだよ」

 

 つらつらと述べられる言葉を九井は早口に遮った。

 

「アレが公僕? 冗談にしちゃきついぜ」

「俺もそれは思った」

「……マジで言ってる?」

「残念なことにな。本人に確認してもいいが——」

 

 言いながら、純丘が差し出したのは、話題の当人が顎元に拳を寄せてにぱっと笑顔な写真。

 ……顎元に寄せたその手に握られた物品は、麻薬取締官の身分証で、胸元に同様のバッジが写り込んでいる。

 

「言えば本物提示してくれるぜ」

 

 澄ました口ぶりの純丘も、元警察署長に尋ねて、実際紹介された相手がまさか知己とは想定していなかったし、邂逅一番眼前できゃぴ♡とこのポーズをとられた時はさすがに〝無〟の表情になった。

 これは余談。

 

「一時間も経っちゃいない、竜胆から持ちかけられた話はまさか忘れちゃねえだろ。君には川崎・横浜一帯でMDMA(モリー)の売買に携わる筋者——の、傘下に該当する(チーム)との仲介をしてほしい。工藤照樹って名前の構成員がいるとこで頼む。報酬は弾んでもらえると思うが」

「——冗談じゃねえ、警察(サツ)に協力しろって?」

 

 黒塗りのテーブルは、渾身の力で叩けば当然とんでもない音が響く。

 

「警察じゃなくマトリだが」

「誤魔化すなよ。それこそ客の信用が落ちる……ガキのお遊びか慈善事業とでも思ってんのか? 随分舐め腐ってくれるな」

「舐め腐っているとはそれこそ随分だな」

 

 目を細めた竜胆が口を開く前に、純丘が混ぜっ返す。己のギプスを指で撫でている。

 

「そうではないからこそ正面から持ちかけているんだが」

「はァ、残念だな。俺は乗らねえ。他所を当たれよ」

 

 にべもない。

 

 だよなあ、竜胆は内心再度つぶやいた。

 

 もしもの話だ。

 どこそこのチームが潰れた原因は、新人が警察の回し者だった、紹介したのは九井一らしい——なんて噂が広まれば。

 知っていたならば、秩序側に協力する、アングラ界隈の要注意人物。知らなかったならば見る目のないぼんくら。どちらにせよ客足は途絶えるだろう。

 

 足を組んだ竜胆は、純丘の交渉の行く末をただ眺めている。

 好感度だけで落とすところは何度か見てきたが。なにぶん元副部長は堅気だ。()()()()の内情を明確には理解していない。

 

「麻薬取締官は特別司法警察職員だ。該当分野の犯罪に限り捜査を行える——翻せば、専門外の分野の犯罪は管轄には含まれない。通報の努力義務はあれど、場合によっちゃ見逃してもらえる。だから君も野放しにされている、今のところ」

「脅しにしちゃ稚拙だな。パクられた方がまだマシだよ、あいにく」

 

 鼻で笑った九井の言葉は、真実、本心だ。

 彼らには彼らのルールがあり、矜持がある。

 

 純丘にはそういう、独自で暗黙のルールはよくわからない。

 

 とはいえ覚えのあるやり取りだ。

 中学のとき、初めて遭遇した、あまりに埒外のいきものたち。ふたりの兄弟。

 

「……まあ、それはそうだろうな」

 

 純丘はまず肯定した。「別に応じてくれなくてもいい」とも続けた。

 続けながら、内心で回顧した。

 

 当時もそうだった。クラスメイト、担任、部活の先輩、誰の言葉も何一つ聞かない、そういう少年らだった。

 

「ちなみに君の協力が得られない場合潜入という手段が取りにくいから、捜査の過程でうっかり乾くんにいくつかの余罪を追加して再び少年院に放り込む可能性もあるわけだがそこはご了承していただけるだろうな?」

「悪魔か?」

「人間だよ」

 

 そして当時も、曲がりなりにも特別らしい片割れを引き合いに出したことが寛解のきっかけだった。なんとなく同じ内容を想起していた竜胆が、そこまで思い出して目がやや死んだ。

 こいつマジで怪我は躊躇うわりにノータイムで盾取るよな、倫理観を説くくせに仁義が死んでんだよ、人の心ってねえの?

 

 そこになければないですね。

 

 まあ口に出して尋ねたところで、君らに言われるとは思わなかったな、真顔でそう返されるがオチだろう。

 十代前半にして喧嘩の弾みで傷害致死の片棒を担いだ奴がなんかほざいてらァよ。

 

「協力してくれるなら、君が危惧しているようなことにはならないと約束——契約しよう。これは自慢になるが、俺は一度近くにさえ寄れればあとはどうにでもできる自信がある」

 

 純丘の口ぶりは最初から最後まで淡々としている。

 理由を並べて、揺さぶって、メリットを提示して、相手によくよく説くことで納得させるいつもの手口。すなわち説得。

 

 彼が九井にナメてないと返したのは紛れもなく本音だ。軽んじるような対象ではない、そういう人間だと知っている。

 それこそ、建前だけを伝えて、騙し討ちのように忍び込んでもよかった。壊滅したあとどのような害を被ったところで知る由もない。そういう挙動も、できなくもない。

 

 そして、そうはしなかった。

 

「近寄らねえとどうにもできない。君は金さえ積めばなんでもすると、なんでもできると言っている。だから、今、こうして頼んでいる」

 

 九井はしばらく沈黙していた。

 いかにも嫌悪の顔つきで、それでも、引き結んだ唇がわずかに動いた。なにかを口にしかけて言い淀む。

 

 同じことを三回繰り返して、彼は顔を上げた。

 ぬばたまが純丘と竜胆を刺すように見つめた。

 

「聞きたいことがある」

「どうぞ」

「さっき〝チームに入りたいヤツ()〟っつったよな?」

 

 前提条件再確認。

 

 些細な違いを言葉の綾として見過ごせば、齟齬はいつか、手痛いしっぺ返しとなって襲い来る。九井一はよく弁えている。

 

「ひとりはアンタだとして……他は、まさかとは思うが灰谷兄弟か? さすがに顔割れてんだろ」

「もちろん、違ェよ」

「じゃなきゃ困る。……なら、なんで灰谷兄弟を通した? この内容ならアンタが直で俺に聞けばいい。それかイヌピーでもアオサギでも使えただろ」

「……選択は自由だろ?」

「敢えて部外者を選ぶ意味がわからねえんだよ。灰谷兄弟はどこに関わってる」

 

 純丘と竜胆は視線だけを交わした。

 わずかに肩をすくめる竜胆。首を傾げる純丘。両手がジェスチャーに類似した動きを見せる。

 

 明らかに、眼前で敢えて己を排斥した上でなんらかのやり取りが行われている——しかも、敢えてやり取りを見せられている事実に、ものすごく嫌な顔をする九井。

 

「……そーだな」

 

 結局、次に口を開いたのは純丘ではなく竜胆だった。

 同意に近い声色はお隣の元副部長に、続いて視線は九井に向けられる。

 

「どこまで知りてェ?」

「依頼に関わっていて、かつ俺にとって知っていた方が都合がいい情報」

 

 細く息継ぎ、九井は付け加えた。

 

「あと俺が関わらねえし知らねえ方がいい範囲」

「本当に頭が良いんだな」

「……嬉しくないね……」

 

 純丘はシンプルに感心したゆえの発言だったが、九井の方はお気に召さないご様子だ。

 人質まで取られてお気に召すことなど、当然なにひとつないだろう。

 

「俺とか兄貴は関わってンよ。……このへんは詮索しねえのが身のため」

 

 竜胆はソファの肘掛けに頬杖をついて、そのように述べる。

 

「下手に地雷踏んだら、俺らでも半殺しで済ませられたらまだマシだろーし? てかいろいろややこしいから首突っ込んだらマジで面倒だぜ」

「……ア、ソ……」

 

 灰谷兄弟が、一矢報いるなどの反抗的態度を見せず、ただ半殺しを危ぶむ人間はだいぶ絞られてくる。九井の目は死んでいる。

 

「で、ヤツらってのはコイツと、オマエが予想したとおり、あともう一人——こっちの素性も詮索しない方がいい。事が終わってどっかで会っても、知らねえフリしとけ」

 

 ピッと差し出された光沢のある紙質。印刷された顔つきを眺め、写真に平仮名で〝はるちよ〟と記されているのを視認。

 

 九井は再び口を開いた。

 

「なんでプリクラ?」

「兄貴の思いつき……ちなみにこれ俺な」

「ウワ目ェデカ」

「オマエらふざけるか脅すかどっちかにしろよ……」

 

 心底疲れ果てた声だった。

 取引相手の年上の温度差が激しくて風邪を引きかねない。

 

 

 

 〝はるちよ〟の変換が〝春千夜〟であり、三途春千夜と呼ばれし彼を指すのは、純丘も竜胆もこの件の当事者に当たるイザナも鶴蝶も、なんならお話にてうっかり巻き添え食らったS62世代も全員把握している。

 

 極悪の世代は少年院で運命に出会ってしまい、なんちゃって桃園の誓い(ではない)を交わしていた——とかいう大筋は間違っちゃいないが微妙に存在しない記憶が混入してさも事実のように語られても、まあ不思議はない。そんな独特の関係性を維持している。

 

 しかし三途は無論そうではない。

 東京卍會所属の少年がイザナに従う理由もない。

 

 では何故協力しているのか。

 

 少し時を巻き戻そう。河川敷にて純丘がぺらぺらぺらりと憶測を語った、その直後のことだ。

 脳内で連絡の算段を組み立てながら「まあ、万一あちらさんが諸々把握してなかったとしても」と彼はそのように前置きをした。

 

「S62世代にリンチされた、折られた腕は一生動かないって診断された、黒川イザナに復讐したいからこのへんで有名なアンタたちに声をかけた、とかなんとかほざけば潜り込めそうではあるよな。俺だし」

「フクブなんでそれで堅気なんだよ」

「違ェよ竜胆、こ〜んな姑息な手段使うから堅気なんだろ」

「思いついても法律の観点で正当性が作れなきゃ実行しねェから堅気に決まってンだろうがよ」

 

 さも常識ヅラで訂正を入れているが、正当性を()()と口にする時点でまあまあ怪しい。時と場合に応じ、法律を上手く解釈して適用するのは、弁護士もそうだがなにより裁判官のお仕事だ。

 ……とはいえ該当の元副部長が日頃から勤める仕事らしい仕事は、学業かアルバイターか、せいぜいがちまっこく健全な個人規模の塾経営で、法務関係ではない。

 

 つまりだいたい全部おかしい。

 

 堅気って怖ェな、ひそかに警戒を強めているのは斑目だ。純丘榎がちょっとバグいだけなのでそこまで怖がらなくていいです。というか世間一般的に怖がられる対象なのはそちらです。

 

「負傷ってのはもちろん、身体能力の制限とか特徴として目立つとかで面倒っちゃ面倒だけど、何事も多面的に俯瞰すれば利用できないこともない諸行無常の響きあり……」

「最後なんか違くね?」

「マクラノソーシ?」

「平家物語は清少納言の作品じゃねえよ」

 

 古典の授業とかだいたい寝てるかフケてる人々の発言だ。清少納言と紫式部の区別どころか名前をまず知らないところから始まる。

 

 ギプスをぱしぱしと己の掌で叩いて、純丘はふとつぶやいた。

 

「……てか今の状況なら実際さして嘘じゃねえしな」

「俺オマエのことリンチさせた覚えねえけど」

「この腕折ったの竜胆だから四捨五入合ってるだろ」

 

 加害者当人の態度があからさま過ぎて誰も驚かなかった。竜胆は頑なに視線を逸らしている。

 

「相っ変わらず四捨五入の使い方おかしンだよなァ」

「てかそんならリンチしてきたの灰谷兄弟にしとけよ」

「仲間外れ可哀想じゃーん♡ 俺らってば優しいからオマエらも仲間に入れてやンよ」

「キショ……」

「ア?」

「なあマジ、俺ネタにして揉めンのガチでやめろ」

 

 ちょくちょく兄貴に骨折を引き合いに出されて弄られる竜胆、舌打ちとともに地面にしゃがみ込むなど。

 先だって人間椅子にされたことから学んだらしく、元副部長の脛から腿まで背中を貼り付けて、兄に向かって威嚇している。

 

 そんなんだから灰谷兄弟の弟の方と言われるのだ。

 

「ナメられンだろ、そんなん」

 

 ライトな骨肉の争いを視界から排除してさておき。「こっちでナメられたらおしまいだぜ、這い上がれねえ」と言うのは望月だ。

 

「ナメられるのがいいんだよ」

 

 対する純丘は、わかってないなあと言わんばかりの顔である。

 

「それこそ君の反応が良い例だ。ナメられたら終わりだと思う者共は、公然とナメられる状況に甘んじた輩には注意を払わない。どうせなにもできないか、できても捻じ伏せられる、と考える。俺みたいな奴はそこに付け入る」

「本当に小賢しいな」

「称賛ありがとう」

 

 ウンザリした様子の武藤の言葉も響かない様子。食べ散らかしたバーベキュー周りのゴミを拾って、箱で持ってきたキッチンペーパーで器具を軽く拭く。後片付けまでがバーベキューです。

 慣れた手付きは、ちょくちょく開催するタダ飯の会もそうだが、クラスメイトのどんちゃん騒ぎ、佐野家主催のアウトドア飯などでも培われた手腕だ。

 

「君らにとっちゃ無価値なもので、俺にとっては利用できる。そんだけだろ……逆もそうだ。俺は暴力を振るうことにほとんどの場合意味を見出さないが、君らは暴力で物事を決めることが多い。そこに序列はない」

 

 流れるように渡されたゴミ袋を反射的に受け取って、え、俺が持ってろっての? 蘭の顔はあまりに雄弁。

 四十Lのゴミ袋の中には、汚れた紙皿や脂ぎったアルミホイル、くしゃくしゃになったキッチンペーパーがまとめて詰め込んである。

 

「フクブ、よくそれっぽいこと言うよな」

 

 兄の手がゴミ袋で塞がった竜胆、ちょっと気が緩んだ。元副部長のスニーカーの爪先を勝手に腰掛けにして、そんなことをつぶやいた。

 

「〝正しくなくていいから賢く使え〟はマジで耳タコだし」

「……聞いたことあんな」

「君らにもどっかで言ったかもな……」

「なんかさあ……物を粗末にしちゃいけませんとか、人に優しくしましょうとか、生きてるだけで価値があるんですとか? そーいうの、オマエもやっぱ気にしてんの?」

「いや、価値はないだろ」

 

 言葉を聞いて、間を開けて、竜胆は幾度か目を瞬かせた。

 首を真上に向けて曲げるようにして、元副部長の顔を視認する。

 

 空は青く澄んでいる。五月中旬は夏日とは言わないがそれなりに気温が高く、梅雨入り前のため湿度はそこまで。朝の情報番組でアナウンサーが謳うような〝カラッとした青空〟だ。

 

「へえ?」

 

 こいつ爪先に乗ってんのマジで邪魔だな。

 純丘は膝を曲げ伸ばししてみたが、六五㎏は早々容易に振り落とされない。岩にこびりついた苔のほうがまだ素直に剥がれてくれる。

 

「ねえんだ」

「ねえだろ」

 

 下から顔を覗き込む竜胆は、興味関心が珍しく湧いているときの顔つき——普段、彼は、あまねくものすべて、どうでも良さそうな素振りで過ごしている。

 

 いいや置いとこ。純丘は心の中でこっそり諦めた。

 

「……紙幣は国家の保障がなきゃただの紙切れ。宝石も、たとえば昆虫にはそのへんのコンクリと変わりゃしねえ。犬が法律を気にするわけもない。本来そこに在るだけの等しく無価値な物事に、いちいち名前だの意味だのつけて錯覚してんのが人間だろ」

 

 まだ二十歳にも満たないくせして知ったふうな口を叩く。油を撒いたつるつるのコンクリートレベルによく回る舌が、言葉を並べていく。

 

 だから、と純丘は接続詞を踏んだ。

 

「なにをどう値札をつけようが、それこそ個人の自由なんだろ。俺が価値あるっつってんだから俺にとっちゃそうだし、君らが拘ンならそれは君らにとって必要なこと。……ところでなんの話だった?」

「紫式部」

「堅気っておっかねえ」

「ナメられたら殺せ」

「馬鹿が考えた最強の潜入計画」

「ああ、武藤くんのだわ」

 

 意外にも——意外にも、だ——取り留めもない話を聞いていたご様子。

 

 雑に頷きながら、蘭に押し付けたゴミ袋も回収。あとで器具類とともにバン(レンタカー)の後部座席に積み上げる予定だ。

 ちなみに純丘は暴走族ではないので、ゴールデンウィークを利用して普通車免許を取得していた。グリーンの免許は財布にカードとともに収納されている。

 

「話がだいぶ逸れたが——馬鹿も鋏も怪我もナメられる言動も、使いようはあるんだよ。本当は無意味な紙切れが一万円と名付けられるのも、極論同じ原理だ」

 

 ごみ袋を両腕で抱きしめて、ひたすら空気を抜く作業スタート。

 

「で、君らの基準で役に立たないなら、あちらさんもさして警戒しねえと踏める」

「なんでアンタ前科ついてねえんだ」

「文化の違いだな」

 

 雑回答選手権グランプリで優勝取れそうなお返事。ここ一時間ぐらいで頻繁に聞かれるので、純丘の反応もだんだん雑になってきた。

 

「ところで黒川くんも鶴蝶くんも、今の時点で犯人の目星ぐらいはつくのか?」

 

 続けられた言葉に、イザナは眉をひそめて、首を傾げ、一旦戻して、反対にかしげ——もう一回逆方向に首を傾げる。

 心当たりがなかったのかありすぎるのかは不明。所業からして恨まれる機会なんぞありすぎてもおかしくはないし、他人に興味がないイザナが特段なくてもおかしくはない。

 

 鶴蝶は、唸り声を上げる。

 

「施設のチビたちに聞いてはみたんすけど。イザナがマジで施設離れてから、急に頻繁に帰ってくるようになった奴がいるっぽいです。帰ってくるっても昼時に三十分ぐらいいて、出る、みたいな」

「マア怪しいな」

「そう……でも怪しいだけなんすよ」

 

 それもまた間違いない。又聞きの状況証拠だけで決めつけるのは愚者による行為だ。

 わかっているからこそ純丘も、警察に先に話をつけようとしている。

 

「職員は?」

「新規で入ってるっぽいけど、俺らンとこ大概手ェつけらんねえ悪ガキが回されてくるんで」

「ひっきりなしに入るし辞めてんだよ」

「ああ」

 

 ああ。

 短くシンプルな同意だった。悪ガキ代表が言うと説得力が違いますね。

 確かに、そこから絞り込むのは難しいだろう。

 

「帰ってくるようになった奴っての、名前と軽い概要教えてくれるとありがたい。参考にするから」

「工藤照樹ってやつです。族やってたんですけど……イザナが一回ボコしてから顔見なくなって、確かそいつの姉貴ンとこに転がり込んでた」

「その女」

 

 鶴蝶の考え述べる説明のさなか、割り込んだのはイザナだ。

 

「照子だろ。工藤照子。俺が少年院(ネンショー)いる間に施設出てってたよな」

「覚えてたのか……」

「首周りに蛇の墨入れてンのは悪くねえセンスだと思ったんだよ。あとケツと胸と態度がデカイ」

「それはわかる」

 

 同じ記憶を共有する者同士、頷き合う二人。へえそうなんだの顔をする周囲。ちょっと興味ある様子でそわっとする者複数。

 脳内で上手く記憶を紐づけつつ、鶴蝶くんそこわかるあたり黒川くんの下僕だよな、純丘がそんなどうでもいい感想を抱いたのはここまで。

 

「あの」

 

 誰が喋ったのか判断するまで一拍あった。

 

 三途くんか、気づくと同時に純丘はふっと視線を向ける。

 灰谷兄弟を介して遭遇したメンバーとは、なんだかんだ一年を越える付き合いが続いた一方、三途は逆に武藤以外のメンバーほぼ全員と初対面だ。今までも沈黙して、気配を消していた。

 

「首周りに蛇の墨入れてる工藤照子って、その蛇、口開けて牙見えてんじゃねえっすか」

 

 今度は、皆が話の中心の主従を見た。

 

 鶴蝶は三途に視線を向けた。イザナは無表情だ。彼が視線を滑らせたのは、むしろ、武藤だった。

 武藤にもまた心当たりはない。少し悩んだ素振り、続いて武藤は問いを投げる。

 

「……知り合いか?」

「……ヤクザのイロやってるってのは。あと、そいつらのシノギにヤクがあるのも」

 

 言葉少なに述べて、三途は沈黙した。

 

 三途春千夜という名前の少年を知る者はごくわずかだ。東京卍會の新参、そんな事実すらもあまり表沙汰にはなっていない。

 

 東京卍會における伍番隊の立ち位置が特殊なことが、ひとつ。

 また〝暴れ馬〟を野放しにしていれば、当然上の者の評価も連鎖的に下がっていく。そのあたり厳格な武藤泰宏が、三途を抗争に出すことを避けていた。外部の目につかなければ、名前の広まり方はゆるくなる。

 

 三途春千夜という名前の少年を知る者はごくわずかだ。

 彼の本名を知る者も、似て非なる理由により、ごくわずかだ。

 

 〝……知り合いが、そこにも借金こさえてン……す、よ。だから……昔、何回か会ったことがある〟

 

 憶測と証言の寄せ集めは、ほとんど、裏付けが取れていた。麻薬取締官のお墨付きともなれば現実味は差し迫っている。

 と同時に、性質の悪い半グレグループ程度に留まらず、背景に本職(ヤクザ)がいるとなれば、立ち回りはある程度変わってくる。

 

 ——純丘の初期の案は、こちらも本職(マトリ)のバックアップを得て、より本格的かつ現実的なものへと転じていった。

 潜入捜査において、対象にごく近しい民間人が協力者に抜擢される事例は、珍しいがないこともない。

 

 ないこともないがただ純丘本人は真剣に嘘だろと思った。

 

 そろそろそういう星の下に生まれているまである。巻き込まれ二十四時でM24星雲とか。

 

「またずいぶん奇特だよな、君」

「……はあ?」

 

 独り言つようにつぶやいた純丘に、三途は眉を上げた。「君の用事じゃないだろ」ギプスのついた腕を、純丘は、もう片方の腕で抱え込むように保持している。

 ギプスは三角巾で吊っていると地味に首や肩が凝ります。

 

「ほとんど初対面を助ける方向に動くとか、少なくとも……あいつらとつるんでる人間の挙動として、見た覚えがなくてな」

「……じゃあなんでンな話俺の前でしたんだよ」

「……場の流れ?」

 

 そもそも初対面の人間がいる前で展開する話ではなかったのは、そう。誰も気にする精神性を持ち合わせなかったが、さすがに純丘はちょっとぐらいは申し訳ないなとは思っている。

 

 ちょっとだけね。

 

「理由なんてねえ。……ねえっすよ」

 

 三途はつぶやいた。

 

「抗争でもまだ隊長が見張ってっから暴れ足んねえし。たまたまアンタが変なこと言ってっから乗じて、そのなにが悪ィ。……ですか」

 

 純丘はしばし押し黙った。

 彼の濃茶がふたつとも、無言で、三途の顔をとっくりと眺めるので、三途は睨み上げるように見返した。

 

「……無理して敬語喋らなくても俺は特に気にしねえよ?」

「ッせぇよやらねえと隊長にどやされんだよ」

「わざわざ言いつけたりもしないが……」

「話はそれだけか。……ですか」

「いや……」

 

 徹底したいという意思は伝わったので、純丘は口調への言及はやめることにした。そもそも口調が本題ではない。

 

「俺も、わりと場のノリに流されて首を突っ込むことがあるし、そもそも外野からあれこれ言うものじゃない。だから、その心意気を否定するわけじゃないんだが」

 

 実際場のノリ——と、主に佐野真一郎という恩人——に流されて首を突っ込んだ例が、現在の灰谷兄弟との関係であり、イザナと佐野家を取り巻く諸々の事情だ。

 かつてクラスメイトが〝ノーと言える日本人だけど、イエスの許容がバグってる〟と純丘を評した。蘭がしたり顔で〝養殖のクズ〟と呼んだ部分でもある。

 

 こればかりは純丘本人も悪癖だと自覚している。

 

「危ないことを敢えてする必要は本来ない。あいつらに義理立てるほどのなにかがあるのか、あるいは〝知り合いの借金〟でも関わってるのかもしらんが」

「……外野からあれこれ言うもんじゃねえってンなら、くだらねえ話も黙っとくんじゃねえんですかァ?」

「……それもそうだな」

 

 今のやり取りも、悪癖の発露には違いなかった。

 痛烈な嫌味をふくんだ言葉に、己の様相を客観視して、純丘は息を吐く。

 

 三途春千夜について純丘が把握しているのは、名前と、東京卍會の構成員という肩書ぐらいだ。関係を埋めるような蓄積もなく、共通の知人を介して知り合っただけの他人。

 そもそも純丘も十八こそ越えたが未成年で、なにかあったところで責任を取るとしたら、純丘ではなく、彼らのバックアップに携わる麻薬取締官の御方々。

 三途が立候補し、彼らが黙認したならば、それ以外の者が口を出す意味もない。純丘の片腕が現在動かないのは事実ゆえ、人がいた方が助かる。

 

 純丘の心配は、彼個人の私情によるお節介以上の意味を持たない。

 

「期待しているほど、暴れるようなことはないと思う。優先は己の安全。必要な情報は、まず、クスリの売買に関わっていて、該当の施設に潜り込んでる人間の特定。次に、クスリの売買について、指揮を取っているのがどのレベルか」

「さっき聞かされた。……ました」

「再確認だよ。いいんだな?」

「当たり前ですよ」

 

 それでは、そのように。

 

 猫を被って笑いましょう。作った顔を前面に立てて、後ろに本音を隠しましょう。

 マスクを被って器用に微笑むさまを見て、ああこいつ嘘つくのは本来得意なのか、純丘が抱いた感心に近い感慨は彼の心に秘めてある。




クラブ
:灰谷兄弟所有
 持っててほしいなっておもった

ドア・イン・ザ・フェイス
:返報性の法則!

後遺症
:変な箇所を折って神経を傷つければあるいはそうなる
 今回は嘘

踊る〜
:一九九七年のドラマ、および一連の派生作品のタイトルパロ

身分証
:麻薬取締官の身分証は二〇〇三年より手帳が廃止されバッジが導入されている

MDMA
:規制されている向精神薬のうち一種
 検索してみるとわかるが可愛らしい色形をしている
 効能は全く可愛らしくない

特別司法警察職員
:警察ではないが、ある一定の分野で警察に等しい権限を与えられた公務員や民間人
 主に専門知識や技術が必要な犯罪の摘発に際して設けられる
 作中で一瞬言及したとおり、マトリは厚生労働省の公務員
 その他では自衛隊や労基の方々とか有名かも

桃園の誓い
:三国志

平家物語
:作者不明

四捨五入
:「隠しきれない」時効編参照

M24
:いちおう実在の天体だが星雲でも星団でもない
 別名バンビの頭
 かわいいね

十八こそ越えたが未成年
:二〇二二年四月から改正された
 が、まあ、作中はまだ二〇〇四年なので
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。