【完結】罪状記録   作:初弦

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多面的な価値

 黒川イザナという少年がいた。

 

 横浜のある児童養護施設は、そこに所属する子どもたちにとって、己の世界の半分を構成している。

 成長によって必ずしもそうではなくなるが、少なくとも、一定期間は誰しもが通る道だ。

 

 ……かの施設に限った話だったのかどうかは、もはや判断しようのないことだ。

 

 かの少年は、世界の何もかもに興味を持たず、無関係のはずの外ばかりを見ていた。話しかけてくる子どもたちを煩わしげに振り払って、やはり視線は外に向けられていた。やがて、本当に外へと飛び出していった。

 

 施設の門限が訪れる、本当に寸前まで外界を楽しみ、他には興味もないような表情が一層強くなっていった。

 ちょっかいには苛烈な反撃を以て、好意には無関心を、横暴と傲慢の権化は、少しも変わらないまま。

 

 いつの頃からか、門限を破るようになる。施設の誰もを寄せ付けなかった彼の傍らに、ひとりのこどもが付き従い始めてからか。彼の家族を名乗る男が訪れ始めてからか。

 月に一回帰って来なくなる。それが一週間に一回になる。三日に一回。二日に一回。頻度が逆転し、一週間に一回、それ以上に、施設では顔を見なくなり——おそらく、彼にとって、施設は家ではなくなった。

 

 ……薄々、わかっている。

 家ではなくなった。のではない。

 

 それよりも以前から——そもそも、最初から、家ではなかったのだ。

 

 彼はすべての職員を、すべての教員を、すべての諸先輩を、すべての年上を寄せ付けなかった。(かつては少年であった男を除いて)

 彼はすべての同胞を、すべての級友を、すべての新入りを、すべての年下を寄せ付けなかった。(顔に傷を刻んだかの少年を除いて)

 

 黒川イザナという少年がいた。なにもかもを冷めた目で眺めていた。己へ向けられる悪意を、平等の量——つまり、反抗心の致死量ぶん——だけ返した。己へ向けられる好意を、これもまた、平等の量だけ返した。

 ゼロと等しき無関心。あらゆる対象を平等に寄せ付けない。

 

 そこには、例外が、ふたり、いた。

 ひとりに減った。

 

 ……圧倒的な力に魅了されるものは、少なくはない。ひとは極端な異物を目にした際、己を脅かす危険として排斥するか、畏怖をもって距離を取るか、反応はおおよそ二分される。

 畏怖は敬意を伴い、ときには信仰をも喚起する。平伏し仰ぎ見て、対象の普遍性を見失い、特異な点だけを拡大して、己が都合の良いように解釈する。

 

 黒川イザナという少年がいた。

 黒川イザナを、そのように見た、少女もいた。

 

 

 話は転ずる。

 

 

 鶴蝶という少年がいた。

 

 泣きもしない子どもだった。施設に迎え入れられたときから、頭に大きく傷跡が刻まれていた。

 虚ろな様子で窓の外を眺めていた。なにかを追い求めるような視線ではなかった。なにかを待ち続けるような視線でもなかった。どこか遠くを見つめていた。色違いの目はどこをも捉えていなかった。

 

 口をつぐんでなにも言わず、開いたかと思えば当たり障りのない話ばかり。口数は少なく、ひとびとから距離を置き、その瞳に涙はなかった。

 事故で両親を亡くし、己ひとりだけ生き残った。傷を刻まれて、瞳の色は片方変わって、どうやら片目の視力も著しく落ちたらしい。そうして施設に引き取られたという。

 

 いかにも、あまりにも、可哀想な子どもだった。

 痛々しく、哀れな子どもだった。

 

 そうだったはずの子どもが、違う様相を見せ始めた。

 あるひとりについて回る。突き飛ばされて、転んで、立ち上がって、追いかける。そんな光景が繰り返されていた。

 

 立ち上がるまでが速くなった。突き飛ばされても踏み止まるようになった。そも、突き飛ばされなくなった。いっとう目立つ痕の他、細かな傷を負うようにもなった。暴力を振るうようになった。馴染んで、身につけて、その頃には顔立ちも幼さが抜けつつあった。

 身体はしなやかに鎧のように。視線は鋭く刃物のように。言葉は低く錘のように。

 

 施設では有名な、手のつけられない暴君の傍ら、付き従うようにそばにい続けた。

 

 可哀想で、可愛らしい、子どもだった。そうではなくなった。

 元に戻せないものかと考えた。

 

 ……世間一般的に。

 

 小さいもの、か弱いもの、愛らしいものに、多くのひとは好意的な感情を抱く。

 赤ん坊等の弱き同胞を庇護し、育み、慈しみ、愛おしむ、そのような性質に適用した本能ではないか、と唱える説もある。

 真相は定かではない。該当の説を肯定するに足る、あるいは否定するに足る根拠が、今後何某かの手で発見されるかもしれない。

 

 そのようなものたち、そしてそのようなものたちに抱かれやすい好意的な感情を指して、日本語では、可愛い、と呼称する。

 日本語に限らず、各言語にも類似する意味の単語は存在している。

 

 日本語でいう可愛いには、別の意味も含まれる。

 

 同情を誘う。

 不憫である。

 

 ——可哀想(可愛そう)だ。

 

 己よりも弱き同胞を、庇護し、育み、慈しみ、愛おしむ感情を、いう。

 

 鶴蝶という少年がいた。

 鶴蝶という少年を、そのように見た、少年もいた。

 

 

 話は転ずる。

 

 

 ひと一人ひとりに感情があり、思考があり、自我があり、個が確立されている。どこかから俯瞰すれば、ごく近辺のひとびと以外は、背景のように蠢いていると感じるかもしれない。

 そう思う者もまた、どこかの視点からは背景の一部として組み込まれている。

 

 たとえば姉が、たなびく銀髪を視線で辿っていた。

 たとえば年の離れたセンパイが、焼き付いた傷跡のこどもを視界に捉えていた。

 

 彼は、少年は、理解できなかった。

 そこまで追いかけるものか。そこまで焦がれるものか。そこまで欲しいものか。そこまでして手に収めたいものか。

 

 イザナと鶴蝶は、確かに、間違いなく、特別な関係性で紐づいていた。便宜上主従と呼ばれしそれは、彼らの間に、他のなにをも寄せ付けなかった。

 そしてふたりはそれぞれ、たびたび、なんらかの強い感情を向けられていた。

 

 特異な容姿。特異な振る舞い。特異な能力。それらと併せて、時折見せる普遍的な人間性が、アンバランスな魅力を掻き立てる。

 

 ——とは。

 有り体に言えば、彼らの信者たちの意見でしかない。

 

 己にとって特別な者が、他の何者と比べても特別に見えるのは当然だ。しかしそれがすべての人々に適用されるかと尋ねられれば否。

 対象は確かに珍しい特徴を持っているが、他にないわけではない。彼らもまたそこらにあふれる人間で、たまたま注目されやすく、たまたま上手く惹きつけてしまった。

 

 あまりにも当たり前の事実を、しかし、人はしばしば忘れ去る。

 

 それ以外の人々にとってはやはりただの異物であり、忌避すべき対象で居続けていた。

 たとえばその少年にとって、彼らは横暴で、暴君で、奇妙で、奇異で、少年にとって近しい姉やセンパイが執着する理由は微塵も理解できない。姉はろくに話しかけもしないくせに、近づけるかもしれないからと裏へと両足から突っ込む。センパイなどわざわざ職員として施設に舞い戻る徹底ぶりだ。

 

 観察して、挑んでみて、負けても、さっぱり理解できなかった。信望の共感のそのとっかかりすら掴めない。

 

 理解できないが、その性質を利用できるだろうという発想はあった。

 幸いふたりとも、片方だけに執着して、もう片方には憎々しげですらあった。上手く裂いてそれぞれに渡せば、喜んでもらえるだろうという確信はあった。

 

 だからそうすることにした。

 

 ろくに見もしない他人ばかりを追いかけるその顔が、たまにはこちらを振り返って、褒めるぐらいしてくれても良いだろうと思った。

 

 

 

  多面的な価値

 

 

 

 ——以上が、施設に潜り込んでいる人間を探り出すついでに彼らが知ってしまった、大方の事の発端だ。

 

 うっかりコメントに窮した純丘は悪くないし、マスクの下で能面が如く表情の抜け落ちた三途も悪くない。

 ふたりの感想は一致。なんでもいいけど他所でやれ。

 

 とりあえず鶴蝶くんが言ってた工藤照樹某が結局主犯だったのは間違いないらしいから、それでいいか? ダメか?

 プチ潜入捜査真っ最中に純丘は虚空へ問いかける羽目になった。心の中で。

 

 なにもかも終わったことにして忘れ去りたいのは山々だが、まだ情報を入手しただけで全然解決してないのでダメです。

 

「……非合意で一方的な欲望の押し付けは、よくないよな」

 

 純丘はものすごく言葉を濁した。「あいつらマジでめちゃくちゃキメェの間違いでしょう」濁したそばから三途が台無しにした。

 他人の感情にそう言ってやるな、とは突っ込めなかった。当人らの身を危ぶむどころか、実際それで冤罪投獄秒前まで発展しているのを考えると危ぶむ通り越して既に危うい。

 

 想うだけなら罪ではないのでそういうことしないでください。

 

「ペドとストーカーと拗らせ粘着の佃煮……」

「厳密には違うが。……現状を鑑みるとそういう方にすっ転ぶ可能性はあった、し、正直まだあるな」

「そいやァ煮詰めたドロゲボコーヒーに眠剤突っ込んで飲ませンの手慣れてましたけど、なんかのプロなんすか」

「仮にも飲み物に対してその感想はどうだよ」

 

 眠剤——睡眠薬は、強度や効能によって数多の種類の薬が生成されており、種類別にいくつかの副作用が存在する。

 たとえば、服用後しばらくから意識喪失までの間に、判断力をある程度低下させる作用。あるいは一部の薬物の効果を増強する作用。

 ゆえにドラッグ常用者が睡眠薬とクスリを併用する例は珍しくなく、純丘と三途が潜り込んだ組織でも、処方元の不確かな睡眠薬が組織内に広まっていた。()()()たのはそのうち一種だ。

 

 ところで上記の特徴に該当する睡眠薬のうち一部には、服用前後の記憶を失う作用もある。

 

 ……覚醒効果のあるカフェインと睡眠薬は、互いに効果を相殺するため、推奨されない。しかも必要以上に煮詰めたコーヒーは、暗黒のような色をしている上に、凄まじい苦味を伴って頗る不味い。

 あまりに濃い味と色は、睡眠薬に人工的につけられた、鮮やかな色と味を隠す。

 

 ちなみに睡眠薬を故意に盛る行為は傷害罪が適用されます。

 

「プロではないが……祖父に盛ったことはある」

「は?」

「冗談だよ」

 

 純丘は肩をすくめた。

 冗談だとは言ったが嘘とは言ってない。敬語も板についてきた三途は、明らかに怪訝な顔つきだったが、それ以上突っ込まなかった。

 

 誰しも、探られて痛いとまでは言わないが困る腹というものがあったりなかったりする。

 三途はある方。純丘もまあ、ある方。

 

「……彼らの上の認識は、どうもシノギというより黙認に近いな」

 

 話を戻すとして。

 

「ノーは出してない。ある程度要求されれば手伝いを寄越している。ただ見た限り、組織だった関与はないな。まあ、今回の件はそれこそハイリスクローリターンだし、当然か。……これなら当初の案をそのまま実行してもいけそうだな」

「そーすか」

 

 三途は己の爪を熱心にいじっている。彼は細身で周囲と比較してどうも小柄なので、これで服装をフェミニンにまとめていれば、女子高校生と見紛うかもしれない。

 とはいえ聞いているのか聞いていないのか傍目から見て不安になる様相だ。純丘も〝聞いてねえかもなー〟ぐらいは思った。

 

 聞いてなくても支障はないのでまあいっかなのきもち。

 

「ヤクってあんま儲からねえんすか」

 

 まあいっかなと純丘が思ったそばからふと三途がそう尋ねた。

 

「儲かり……ん、いや、儲かる。かなりっつかだいぶ。値段を高く吊り上げても買い手がついて、一旦上手く釣れれば継続して買い続けンだから、そらな」

「……ならローリターンじゃなくね?」

「はん? ……ああいや、儲かるからリターンが大きい、とはならねえのよ。俺も専門外で詳しいわけじゃないが、そもそもヤク——違法薬物の売買で儲かるのはただの前提だ」

 

 首を横に振って、純丘は手元に、ルーズリーフの用紙が一枚とボールペンを取り出す。

 まず、純丘はボールペンで真っ直ぐ横に線を書く。真ん中から垂直に線を引いて、歪なシーソーが用紙上に誕生した。

 

「ただ、違法と称される通り、条件に合致する薬を許可もなく取り扱うことは法で禁じられている。犯罪でも特に薬物の売買はタチが悪くて規制も厳しい。売上の金額と摘発のリスクが表裏一体だからだ」

 

 シーソーの両端に四角いブロックを書き込み、片方のブロックには〝売上〟もう一方のブロックには〝逮捕〟と記しておく。

 

「だから、なるべくリスクを減らすか、リターンを補強する手が取られる。短期的に売り飛ばして、警察に嗅ぎつけられる前にサクッと引き上げるのはリスクを減らす手だな」

 

 〝逮捕〟のブロックを線で割って一部塗りつぶす。次に〝売上〟のブロックの上に、四角のブロックを増やしていく。

 

「俺が知ってるのだと、たとえば敵対する団体のシマに上手くばら撒いて、資金力と相手の兵隊の能力を殺いだケースとかは、リターンの補強に当たる」

少年院(ネンショー)だったから履歴書前科ついてねえだけなんすか?」

「違うが?」

 

 定期的に素行の潔白を疑われる男、純丘榎。本当に違うが、さすがに口外されるといろいろと終わることもあったりなかったり実はあったりする。

 それこそ睡眠薬の件とか。

 

「……とりあえず、その点でいうと本件は大したリターンがない。リスクは確かに、施設を保管庫にして冤罪引っ掛ける算段で成立しているように、一見、見えるが」

()()?」

「マそのへんはマトリの方々がちゃんと仕事してくれてる。俺たちの出る幕じゃない」

 

 いびつなブロックとシーソーが書き込まれた用紙を団扇に見立てて、ひらひらと首元を仰ぐ。

 さすがにもうそろ治ったギプスを、未だに潜入捜査のポーズでつけている純丘が、実はちょっとだけ楽しくなってきていたのを、三途だけが把握していた。「漫画のキャラみたいじゃね」「しらねっす」本当に知らないので素っ気なく答えれば、少し悲しそうにしていたのを覚えている。哀愁を漂わせられても反応に困る。

 

 あとエドはマジで知らねえ、誰。場地か?

 

「ところで話は変わるんだが」

「はァ」

「君のお兄さんの借金、俺が探り入れた限りじゃ一応完済の目処立ってるようだぜ。というか、あれは下手に触らねえ方がいい。本当に、完全に()の管轄だ」

 

 ぴく、と眉を動かした三途を一瞥して、視線をふいと振って、純丘は団扇代わりにしていたルーズリーフを無造作にポケットに突っ込む。

 代わりに、ギプスの包帯の隙間から四つ折りにした紙を取り出した。それを三途に渡した。レシートに近い手触りだ。

 

「額を増やしたかったんだか減らしたかったんだか、単に把握したかったのかは知らないが、俺がわかった限りはコレにまとめた。ちょっかいはかけるなよ……かけるにしてもこの件終わってからにしてくれよ。勘付かれた時点で、君が筋者に喧嘩売ったと思われるぜ」

「……。調べたんかよ」

「そらあな」

 

 威嚇と諦観の境目のような唸り声。

 純丘の肯定はなんとも淡白だ。必要以上の感情は籠められていない。

 

「外野があれこれ言うもんじゃないとは確かに言ったが、さすがにこの状況で、知人の情で妙な動きされたら俺まで巻き添え食らうんだ」

 

 その点でいえば、純丘の想定以上に、三途は慎重な言動を心がけていた。理性的、と呼ぶにはいささか急ブレーキじみていたが——ともあれ、ゆえにこそ並行して調べるだけの余裕はあった。

 

「君の兄貴、君が知ってるかどうだかわからんが……そっちの方では有名人っぽいな。良い意味で。信頼のおける肩書きゼロの個人への出資に、担保もなくほぼ無利子とか、イマドキまともな金融でもまず有り得ねえよ。闇金なら尚更だろ。恩を売ったんだか、憧れで崇拝されてんだかは知らないが」

「……ドォモ」

 

 三途は吐き捨てるようにつぶやいた。「だから下手に首突っ込めば本職(ヤクザ)から詰められる」純丘はギプスを抱え込み直した。

 

「君が詰められても気にしないかどうかは興味はないが、再三言う通り、さすがに俺は、怖い大人には関わりたくない」

「……隊長には」

「……武藤くんがどうかしたか?」

「俺のこと。言ったんすか」

 

 ぱたりぱたりと目を瞬かせて、純丘はすぐに首を振った。横にだ。

 

「言ってない」

「なんで」

「俺が言いふらす必要あるか? 君の名前や家族の話は、ぜんぶ君の事情だろ」

「そうかよ、」

 

 疲れたような声色だ。辟易した様子でもあった。純丘はなにも言及しない。知らぬ他人がコメントしたところで、なにが変わるとも思わない。

 マスクの上から口元を抑えて、俯くさまを見て、皆々なにかしら大変だよなとか、正しく他人事に思う。

 

 ところで純丘はお腹が空いていた。

 

「……ハンバーガーでも食べるか?」

「要らないです」

「さよけ。まあ俺はダブチが食べたくなったから駅寄ってくけど、来る? チキンフィレオはもう販売終わっちまったし」

「……あれレギュラー化するらしいすね」

「まじか」

「……あと俺ポテトとカルビマックしか食わない主義なんで」

「そういえば最近復刻してないよな」

 

 ギプスは利き腕と逆の方に着いている。三途は純丘と歩くときに、必ず、ギプスの側の半歩後ろを取る。

 純丘としてはありがたい。三途がどのような意図でそのポジションを確保しているのかは知らないが、おかげで警戒ポイントをある程度絞ることができる。

 

「借金て、なんのために作ンだろうな」

「知らねえな。俺はいつの間にか借金背負ってたことになってたクチだし」

「……あんた借金あるんですか」

「ははは。……まあそれはいいだろ」

「言い出したのはアンタだろ……」

 

 ファストフード店のイートインスペース、純丘はバーガーの紙包みを指でなぞっている。コーラを一息に飲み干した三途を見て、喉渇いてたなら言えよ、呆れたように言ったばかりだ。

 当の三途は今、ポテトをもそもそと食んでいる。

 

「借金ね。……どうだろうな。サラ金だのにまで手を出すなら、仕方のない事情があったかもな。当人にとっては」

「たとえばギャンブルとか、女遊びでも?」

「〝当人にとっては〟だ。なんに価値を見出すにも人次第だよ。それこそギャンブルや女遊びでも当人にはなにより大事だったとかな。金を擲つほどに」

「家族も擲つほどに?」

「場合によってはそういう人間もいる。あるいはそうじゃないのかもしれん。そういうのは俺と問答するより本人に確認したほうがまだ有意義だぜ」

 

 そもそも純丘も家族に価値を見出せなかった性質だ。そんなことは彼もまたおくびにも出さず、手元のダブルチーズバーガーを口を開けて頬張った。

 三途は三途で、黒いマスクの隙間から、ポテトを忍ばせ、ストローを差し込み、よくもまあ器用にマスクを外さず食べるものだ。

 

「マあと有り得る話だと、小さな気の迷いが重なって、後戻りできなくなったとかな」

「……気の迷い」

「君も見ただろ、工藤某のチームとその取り巻き。売買やってるだけあって典型的なヤク中の温床だ」

 

 指先についたソースをぺろりと舐める。熱心にダブルチーズバーガーと格闘する男をよそに、三途はしばし記憶を回想した。

 

 ブツブツと虚空に向かってつぶやく少年。奇妙な笑い声を立てる少女。どれも装いからして明らかに異様であるのに、気にしていない様子だった。彼らにこびりついた液体の正体は考えないことにした。

 普段はしゃんと話しているものが、クスリが切れた途端、堰が切れたようにのたうち回るさま。逆に延々と虚空に向かって喋っている人間が、本当に時折、正気に立ち直って言葉を吐き出すさま。

 

 ちなみに純丘は今でこそ冷静に取り上げたが、初めてそのさまを目撃したときは一日中なにも口にせず、人目がなくなってから一頻り胃液を戻していた。

 非合法な事柄に耐性がなく、メンタルも周囲が想定するより打たれ弱い。回収しにきた灰谷兄弟がそのように解説した上、世話かけたな、などと労ってきた衝撃で、前段のエピソードは三途の頭から一時完全に吹っ飛んでいたという余談がつく。

 

「あそこまで悲惨になると思って始めるやつは少ない。多くは、ちょっとぐらいなら、の気の迷いから始まる。ちょっとぐらいなら使っても大丈夫だろ。ちょっとぐらいなら続けても大丈夫だろ。ちょっとぐらいなら増やしても大丈夫だろ。自分は自制できると信じて……借金も似たような理屈だ」

「そうですかね」

「少なくとも俺が考えつくのはこれぐらい。外野からいろいろ推察したところで、自分が納得できる以上の理屈は作れねえだろ」

 

 そこで純丘はふと視線を三途に戻した。ダブルチーズバーガーはあともうひとつ残っている。

 

「そういう意味だと、君はなにか、納得できる理由が他にありそうだな」

 

 何気ない様子の言葉に「……あー」と、三途は、目を細めた。鮮やかな緑が純丘を捉えている。

 

 ——彼の瞳はシェーレグリーンと同じ色をしている。

 

「自分が嫌いで、苦しませて、破滅して、死んでくのが目標で。ヤクもサラ金もその手段とか」

「……なるほど?」

 

 さすがに少しばかり反応に困って、純丘はとりあえず、もうひとつのバーガーにかぶりついた。

 

 ダブルチーズバーガーはいつだって美味しい。彼にとっては。




想うだけなら罪ではない
:柴柚葉のこと大好きなので罪悪感が凄まじいですね

煮詰めたドロゲボコーヒー
:薬と併せて飲んだら胃に負担がかかる筆頭

睡眠薬
:デートレイプや昏睡強盗にてしばしば悪用される
 真面目に真似しないでください

エド
:エドワード・エルリック
 二〇〇一年八月〜二〇一〇年七月間に月刊少年ガンガンで連載された漫画「鋼の錬金術師」主人公
 原作漫画が好きです ぜひ

場地
:14巻123話参照

チキンフィレオ
:二〇〇四年八月からレギュラー商品になった

カルビマック
:謎に復刻されてない期間がある

シェーレグリーン
:数世紀前に流行った染料 砒素が多分に含まれる
 砒素は有毒なので多量に摂取すると死にます
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