【完結】罪状記録   作:初弦

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酉の市

 灰谷兄弟は、東京、特に主たる縄張りの六本木の地名を枕詞に、そういう界隈で有名な不良少年だ。

 

 サッカーボールで遊ぶノリで人の頭を蹴ることに躊躇もなく、たちの悪い商売で人々から金を巻き上げ貶め儲けて、きゃらきゃらと無邪気に笑っている。並べて揃えたエピソードのうちこれらは極々一部でしかない。

 

 控えめに申し上げてクズ。

 

 この間も、竜胆の誕生日(に、託けて)パーティを開いた際、兵隊らをテキーラ一気で潰して騒ぎ立てて急性アル中を引き起こさせたり、コロシアムと称して地下闘技じみたイベントを開催したり、プレゼントの腕時計が趣味に合わないからとメリケンサック代わりに使ったり、でなんやかんや何人か病院送りにした。

 なんて噂を純丘榎も小耳に挟んだ。

 

 品性と倫理観身につける気が皆無なんだよな〜、純丘はしみじみと思った。

 

 ちなみに本人たちはちゃんと元副部長には黙っているが、偏差値および学費の高い私学の高校と、専門学校の生徒の層は、やはりわりかし違う。そのぶんいくらか性質の異なる噂が流れたり流れなかったりもする。

 風聞をまるきり信用するわけもないし確認する気もない。

 たださすがに、ハタチに満たない人生で、四、五年の付き合いといえば、半生のおよそ四分の一に相当する。たぶんこのへんは根も葉もないな、とか、逆に、あ〜ここらへんは真相はもうちょいヤバイだろうな、ぐらいはなんとなくわかる。

 

 だからといって真偽不明の事柄にコメントするつもりはないが。

 本人らに確かめる気も毛頭ないが。

 

「あのさ……オマエ不良とつるんでるってマジ?」

 

 ともあれ、とりあえず、この質問へのアンサーとしては〝マジ〟が正しい。

 

 

 

  酉の市

 

 

 

 ……正しいが。

 

 質問主は、純丘の専門学校でのクラスメイトたる中山某だ。普段彼らにそれ以上の交流はない——ペアワーク等で度々一緒になり、オマエ呼びが失礼にならない程度の関係ではある——しかしなにしろ、昼飯を奢ってやれば大抵の話に耳を傾け、報酬次第で手を貸す便利屋とは、純丘榎の対外的評価であり事実としてそう。

 

 あなた学生なんですよね? という真っ当な疑問はここでは黙殺されます。

 

 さて質問内容に戻ろう。

 確かに灰谷兄弟やらS62世代やら東京卍會やらは不良で、純丘は彼らと交流はある。つるんでいるとも言える。

 

 あるけど素行的に正直に答えていいやつか? クラスメイトに? 答えるとしてどこまで?

 

 純丘の脳内を思考が駆け巡り、返答までに要した時間を仮に〇.五秒と定義しよう。

 

「どう答えた方がいい?」

「この質問にどう答えたらいいとかある?」

 

 実際捻り出した返答がコレだ。

 入ったツッコミこそが妥当、本当は何秒であったかを論じる意味はたぶんない。

 

「……まず不良の定義にもよると思うぜ」

 

 純丘は澄ました顔で、内心は苦し紛れにそう述べる。

 

「一般的に良好ではない、よろしくはない状態って意味の単語だが、知り合いってことはいわゆる素行不良な人間を指すと捉えていいんだよな? ある種のスラングだから定義は幅広く、軽い校則違反程度から犯罪それそのものを行うある種非行少年や犯罪者的な輩まで」

「ワリあのちょっと待って、先に説明する」

 

 さすがに遮られた。

 

 立て板に水の弁舌で誤魔化していろいろ煙に巻こうとしていた純丘、内心舌打ちをこぼした。

 顔は相変わらず澄ました様相である。表情に出したらバレてしまうので。

 

 中山は机の上に頬杖をついている。ふんだんにラメの入ったネイルが電灯を反射して輝いていた。

 

「あたしのダチの男がさ、ヤンキーなんだわ」

「おー」

「てかヤンキーとか以前にそいつクズだからそんな粗大ゴミ早く捨てろってあたしは思ってたし言ってたんだけど」

「……おう」

「純丘は浮気DV束縛ヒモの四点セットクズ彼氏見本がダチにいたらどう思う?」

「ちょ、っと知り合いの道場まで引きずってって、根性叩き直す必要ありそうだな……」

「だろ」

 

 中山は真面目な顔で頷いた。長いネイルのうち、頬杖にしてない左手の人差し指が、机の天板を叩いた。

 

「てかゴムなしがまず有り得ないから。マジ」

「そりゃもう五点セットだろ。逆にそいつ、付き合いたいぐらいのいいところあったのか?」

「顔じゃね」

「はーん。……まあいい。そんで?」

 

 話を軌道修正していこう。純丘は続きを促した。ネイルは、やはり、かつかつと机を叩いている。

 

「……そいつが揉めたらしいんだよね」

「揉めた」

「もともと半グレ崩れっぽいってのは聞いてたんだけど。どうも……引っ掛けた子にウリやらせてシノギにしてた?」

 

 純丘は無言で眉を顰めた。

 

 わかりやすく言い換えれば売春だ。しかもその言を信用するなら、本人らの本意ではない形で、まともな雇用契約も結ばず、なんなら元ある界隈に事前に話を通さずに商売している可能性すらある。

 

「それは……まずいだろ。被害者はもちろんだが、下手すると本職に詰められるぞ」

「やっぱ詳しいよな」

「人並み程度にはな」

 

 人並み程度の人間はたぶん、六本木のカリスマを電話一本で呼びつけたり突撃自宅訪問できたりしない。

 

「詰められるっつーか、もう詰められたんだよな」

「おい……」

「あーいう手合、逃げんのだけはえらく速いよな? 飛んだんだよ、あのクズ。ユクエフメーシャってやつ?」

 

 嘲笑と冷笑を混ぜたような笑みだ。

 大して面白くもない話で、実際面白いと思っていないことも見て取れる。

 

「マそゆことだからよ、ダチの方に話が回ってきた。落とし前つけろって……なンでとりあえず、クズ野郎探さねえとなわけ。純丘そういうの得意なんだろ?」

「得意ではねえよ。……言いたいことはわかった」

 

 とりあえず一通りの事情は理解した。純丘は溜息をついた。

 

 それこそ警察にでも行けというのがこの場合正しい。素行が素行なので、本腰入れて捜してくれるかは不明だとして。なんなら()()()()についても、刑事事件としての取扱を視野に入れるところだが——。

 

「……ちなみに警察は行ったのか?」

「行ってねえ。行かねえ」

 

 簡潔な答えだった。

 

「左様で」

 

 純丘の相槌もまた簡潔だ。そこに驚きはない。

 警察に頼る気があるなら、最初から、いちクラスメイト程度に話を持ち掛けて来ないだろう。

 

「……協力してもいいけど、成果は確約しねえぞ。あと名前と顔写真がないとさすがに探せねえ」

「あざ〜! 写メでい?」

「顔立ちがわかるならな。御友人さんの名前と写真もあると見つけやすいからできれば併せて頼む。それとひとつ確認したいんだが」

 

 二〇〇〇年代のケータイでは、連絡先の交換として最も手軽な手段の一つが、赤外線通信を用いた方法だ。

 メールに写真を添付し、名前を記録し、中山の指はカタカタと素早い速度で動いて送信。純丘も受信ボックスを確認。

 

「成功報酬はもちろんあるよな?」

「そういうとこほんと抜け目ないよな」

 

 ——経緯については以上と相成った。

 結局のところ、純丘榎はクラスメイトの人探し依頼を快諾した。

 

 ここで場面は転換する。今度の舞台は数時間後の純丘の自宅の話だ。

 勝手知ったる様子で上がり込み、灰谷兄弟は純丘が作り置きしていたナムルを摘んでいる。もはやそういうインテリアと認識するべきかもしれない、純丘は彼らを眺めてそんなことを思う。

 

 ところでナムル食っていいとか一言も言ってねえんだがもういいや。諦めの様相。

 

 そして灰谷兄弟は六本木のカリスマ——カリスマってそもそもどういう定義なんだろな、一般人の純丘榎にはよくわからぬ——彼らが所属する界隈の情報は意図的にも意図せずとも集まって、詳しくなる。

 もしかしてと思った純丘が尋ねたところ。

 

「誰それ、兄ちゃんわかる?」

「シラネ」

「まあそうか」

 

 詳しいといっても限度がある。

 名が知れているならばさておき、さすがに灰谷兄弟とて細かな人の流れまでは把握していない。要は小物に興味ない。

 

 九井に頼むほうが建設的だろう、そのように結論が出たところで「てかなんで探してんの?」と当然の疑問が投げられた。

 

 純丘は簡潔に過不足なく説明した。スクワットの真っ只中、中腰の姿勢で止まっていた竜胆は、しばらく無言で聞いていたが、やがてそのまま床に座り込んだ。

 勝手に家主のベッドを占拠していた蘭は、上体を起こして、あぐらをかいた。背を丸めて、顎を突き出すようにして「あのさあ……」と、後頭部をぼりぼりと掻く。

 

「……まさかそれ、本気で信じたわけ?」

「じゃなきゃわざわざ君らに当たったりしねえだろ」

 

 返答は肯定を示している。

 

「四割は信じてんよ」

 

 ただし気のない声でそう付け足した純丘に「いや半信半疑以下じゃん」竜胆が皮肉げに笑った。

 実際皮肉だ。

 

 〝本気で信じたわけ?〟

 

 ——逆説、信じるに値しない話だ。少なくとも灰谷兄弟にとっては。

 

 そして実は、純丘にとっても。

 

「キナ臭えってのはマジで思ってる」

 

 純丘はまず、さっくりとそう断じた。

 

「本当にヤクザに詰められてるんなら、さすがに悠長過ぎる。つか、こわ〜いプロから逃げ切ってる人間、大して親しい知人でもねえ学生が探し出せたら、それはそれでおかしい」

「馬鹿じゃねえようでなによりだワ」

 

 言って、再び蘭は背中からベッドに大の字に倒れ込んだ。

 俺のベッドなんだよなあ、純丘は思うが言及はしない。どうせ睡眠時にはスペースを開けさせる。

 

「やっぱり君らから見てもおかしい話だよな? これでろくに反応がなかったらただ俺が口の軽さで信用落としただけになっちまう」

「あ〜あハハ、そりゃそう」

「わかっててなんで受けたわけ? 聞いた感じ、大したメリットもなさそーだし……危機管理そんな死んでねえだろ」

 

 なにが面白いのかからからと笑う蘭の隣、怪訝そうに尋ねたのは竜胆だ。そうなんだがな、と純丘も首を傾げた。

 

「中山が嘘ついてるみてェにも見えなかったんだよなあ」

「出たー……フクブの嘘発見器」

「出たってなんだ」

「ぶっちゃけオマエ心読めたりするだろ」

「ご期待に添えなくて悪い、しない」

「ザ・チルドレンだろ」

「今度はなに読んだんだ。……行動心理学の応用、統計と観察の結果であって」

「あのさあその話長い?」

「振ったのは君らなんだよなあ?」

 

 とはいえ確かに本題ではない。

 

 一旦キッチンに足を向けた純丘は、やがて皿を手に戻ってきた。彼の本日の夕飯はありあわせのもので作った野菜炒めだ。腹が減っては戦もできぬ。いただきます、と手を合わせる。

 

「まァフクブがそう思うンならカラクリありそうだけど」

「ヨッ、エスパー」

掛け声が(はえほえあ)おかしいだろ(おはひいはあ)。……ところでなんだが、そこの、俺のケータイを何故か返さない方の灰谷くん」

「なあ俺の登録名電話のベルみてェになってんだけど、いつから?」

「勝手に他人(ひと)の電話帳覗くな。君と喧嘩して和解したあとぐらいからだよ」

 

 なにか言いたげな顔を無視して「さっき探し人の顔写真見せたろ」純丘は肉とキャベツを丁寧に箸でつまんで重ねていく。

 

「それと同じフォルダにもう一枚写真あるはずなんだわ。ちょっと見てくんね」

「フォルダ把握してると思われてんの」

「してなくてもなんか覚えてそう」

「……」

 

 竜胆の指先は、カチカチカチとテンキーの上で踊る。

 具体的な指示もなくしかし迷いのない手付きに、やっぱ覚えてんだなと純丘は思った。コメントはしなかった。

 

 家の間取りも冷蔵庫の中身も味の好みもちょっとした仕草も自覚のない癖も、お互いに把握し把握されるような付き合いだ。意図的に聞くわけでもないが、なんとなく見かけて知ってるとか。思考回路が大まかに読めるのでわかるとか。そういう。

 ケータイもわりと今更というわけ。

 

「……あー……フクブさぁ」

「見たか?」

 

 カチ、と指を止めた竜胆が、仏頂面で純丘を見遣った。

 

「ケータイ奪い返さなかったの、これのせいかよ」

「やっぱ知ってるんだな」

 

 純丘の口調は平然としている。予想の範疇であるからこその落ち着き払った様子だ。

 

 兄弟の反応に興味を示したらしく、再び身を起こした蘭が、竜胆の肩に手を伸ばして、掴んで、己の方に引き寄せ——今俺頭ぶつけるとこだったんだけど!? 竜胆の叱りつける声——覗き込んだ。

 その目が数度瞬いて、細められた。

 

「……あー? まさかこいつ? オマエんとこに頼みに来たヤツの、友達チャン」

「そ」

 

 無造作に数度咀嚼しただけの食物を嚥下して、純丘は再び、野菜炒めに箸を伸ばす。もっとよく噛んだほうが健康にいい。

 

「彼氏に借金押し付けられて、逃げられて、今ヤクザに詰められてる。……ってことになってる方だよ」

「は〜ん。ナルホドな。大方フクブの予想通りだと思うぜ」

 

 画面に表示された写真を指差して、いかにも愉快がる口調である。

 

「実際どういうかんじなんだ」

「この女? 最近新宿の方で援交グループ仕切ってるよ」

 

 蘭の手を振り払って竜胆は、ずい、と純丘の方へと身を寄せる。野菜炒めを見つめる視線が熱い。

 純丘は後輩のその様をしばし半目で眺めていたが、やがて根負けしたように箸ですっと肉を差し出した。食いついた。マジで食うんかよ。思いながら純丘はまた箸先を野菜炒めに突っ込む。

 

 早々に肉を咀嚼して嚥下した竜胆は、また野菜炒めと見つめ合い始めた。

 

「今度から全部この味付けにしようぜ」

「気に入ったのか……使った調味料、焼肉のたれだけなんだが」

「んまい」

「よかったな。気が向いたらな」

 

 野良猫にご飯を狙われているような心境だ。対象が後輩なだけで正直大した違いはない。

 

「バックになんかついてるわけでもねえし、身相応とかなあんも考えずに相場も客も荒らしてっから、そろそろガッツリ圧掛けられんじゃねえのって話は出てるぜ」

 

 一方で、蘭は今度はベッドに潜り込みにかかっている。掛け布団の中に籠城するさまはさながらかまくら。

 布団を通してくぐもった声が、なめらかに補足する。

 

「目ェつけられてるとしたら男関係なくこいつの案件じゃねえの?」

「つか、さすがに話被りすぎだろ」

 

 立ち上がった竜胆がキッチンに向かった。

 今のうちにと純丘は皿の中の野菜炒めをかき集めて、大きく口を開けて、頬張る。もっしゃもっしゃと音がする。

 

「規模の問題かもだけど、男の方が売春グループ作ってるっての、怪しくなってこねえ? ……そもそも、クズ男と付き合ってるってのがまず嘘とかさあ」

「さすがに男はいるんじゃねえの。カタギでもそのへんは確かめるの簡単だろ、ボロ出すかね」

「でもよー」

「まァこないだのイザナンときみてェに、濡れ衣着せてるとかは有り得そうだけど」

「……そのへんは仮説がいくつか考えつくから、あとで調べるが」

 

 キャベツともやしと豚バラの破片を迅速に胃に沈めて、純丘は再び口を開いた。言いながらふと、キッチンから戻ってきた竜胆に一瞥を投げて、それから呆れの様子で首を横に振った。

 予備の箸を勝手に探し出したらしい。竜胆は手にひしと箸を一膳握りしめている。

 

 野菜炒めは皿の中に残り半分。

 たぶん一瞬で食い尽くされる。

 

「しかしやりづれェ」

「やっぱだめってやれば? 成功報酬なら貰ってねえだろ」

「クラスメイトがろくでもないことに巻き込まれるのも寝覚め悪いんだな」

「へえ」

 

 露骨にどうでもよさそうな返答をしよる。

 

 これ以上灰谷兄弟との会話を掘り下げたところで、有益な情報は出てこない。

 しばし与太話に付き合っていただこう。

 

 人間とは社会性を武器に成長してきた動物だ。

 

 発達した言語が複雑な意思疎通を可能にし、綴られた文字は時を超えて知識を受け継ぐ。

 複数人の集団生活における作業の分担、専門化、協力。それらが生み出した知識が、何世代にも渡って受け継がれることで、社会は発展を重ね、今のかたちを作り上げた。

 

 そうして現代に至る。

 

 農家でもない人間が、最寄りのスーパーや八百屋を頼らずに自力で食料を生成・調達することは、ないわけではないが一般的ではない。

 服屋は多くの場合服を製造業者から調達し、服の原料は多くの場合製造業者自らではなくどこぞの繊維業者から調達し、その原料すらもまた別所と取引して手に入れていることもしばしばある。

 

 人間とは社会性を武器に成長してきた動物だ。

 というと必ずしも間違いであるとは言えないが、少し語弊がある。

 

 より正確には、社会性が高い人間は、この地球上ひいては広義的な()()における自然淘汰の仕組みの中、生き残りやすい性質であった、というべきだろう。

 生き抜くすべとして社会性を身に着けたのではなく、現在に至るまで淘汰されなかった結果として、高い社会性を備えたものが多く生き残った。それこそが今の人間と呼ばれる動物だ。

 

 ……回りくどい言い方をしたが、意訳すれば、人と接さなかった人間は生き残れませんでしたし生き残った人々によってシステムが運営され強化されてきた今もわりとそうですよ、という単なる事実提示だ。

 

 そして純丘はやたらと広大な人脈を持っている。ちょっと肩叩いて久しぶり〜とやったのち、世間話を弾ませることを何度か繰り返せば、必要な情報は集まった。

 

 男の存在は本当。控えめに言ってよろしくない人柄であったのも本当。詰められていたのは男ではなく女(つまり、純丘のクラスメイトたる中山の友人)の方。

 ただし援交グループ自体も、男へ提供する資金の出処ではあったらしい。

 

 詳しい馴れ初めや交際の内情は不明。純丘は意図的に探らなかった。

 距離を詰めれば自他の境界は薄くなる。余計なものに引きずられる必要はない。

 

 ——ここまで情報を連ねたところで、さてひとつ疑問が生じる。

 

 純丘が聞いた範囲では、中山某には少なくとも、嘘をついている様子はなかった。純粋に憤る様子が名役者ばりの演技ではない、その前提のもと思考を進めるとしよう。

 そもそもなかなか込み入った事情だ。詳しく説明する必要性はなく、説明したいとも()()ならば思わないだろう。

 

 Q・御友人は、何故する必要もない説明を行い、無意味な嘘をついたのだろうか?

 A・金銭をせしめるため……であれば、友情の行方はさておき話はまだ簡単だった。

 

 純丘と中山は調査中も幾度かやり取りをしていたが、彼女は、その友人から金をせびられたことも、該当の援交グループに勧誘されたこともなかった。

 そもそれが目的であれば、良い印象を植え付けるべきで、間違っても人間性のよろしくない彼氏とセットで説明するものではない。

 

 高い社会性を有する者が多く生き残ってきたのが、人間という動物だ。

 

 彼らが作り上げた社会は、当然、少しずつ、より社会性が高い人々に望まれる形に変化していく。

 環境を作り出すのは人間だけではないが、人間が形成する社会を作り出すのは、間違いなく人間だ。

 

 ゆえに。

 社会にそぐわない行動をした時、普遍的な人々は、それを隠そうとする。

 

 身内で協力し合い、コミュニティを作り、その総体を社会と名付け、脅威から身を守ってきた。

 転じて、己が属するコミュニティを乱されることを嫌い、恐れる。社会にそぐわない行動を、リスクが高いと認識する。

 

 排斥されないために弁解の姿勢をとる。

 正当化。屁理屈。辻褄合わせ。

 

 犯人が自らの潔白を主張するため、聞いてもいないことを述べて綻びが生じるとは、現実にある事象だからこそフィクションでも描かれる。

 

「……ちょっといいか?」

「あー?」

 

 暦は既に十一月も末だ。

 新宿花園神社では、関東三大と名高い規模の酉の市が開催される。名声の恩恵に与って、歌舞伎町にも多くの人が訪れる。

 

 一方、大通りから脇にそれたビルの隙間じみた路地裏は、年中通して人気もない。好き好んで近寄る者の方が珍しい。

 

 胡乱げに振り仰いだ男——訂正、背が高いからそのように見えただけで全然少年の範囲。

 

 見上げる顔を真正面から見つめ、少し小首を傾げた純丘は、少年の向こう側に放り出された人影を指差した。

 

「そいつ回収したいんだ。道を譲ってくれたりしねえ? それとも君のか? だったら交渉するが」

「……俺のじゃねえし、要らねえよ」

 

 純丘を一瞥してそう述べた少年は、かったるそうな動きで脇に寄った。

 純丘は簡潔に礼を述べ、少年の長い足を跨いで、目的のひと——あるいは、もの——のそばへとよっていく。

 

 少年の眉は気味悪がるように寄せられた。

 

「要らねえけど、そもそも死体なんざ欲しいんかよ」

「ははは。……一応言っておくと、俺も他人の仏さんを集める趣味はないです」

 

 空笑いはすぐに引っ込めて、純丘はその場にしゃがみ込んだ。

 

 既に秋分も過ぎた。下り坂を転がり落ちるが如く、十一月は気温は低下していく。本日の東京は曇天なことも相まって、最高気温ですら二十℃を下回った。

 とはいえそれでも真冬にはまだ遠い。ナマモノを保管するには些か高すぎる温度だ。

 

 現に、腐敗が進む表皮には蛆が這っている。

 

 左肩には入墨の痕跡があった。純丘が写真で見たことしかない〝クズ男〟も似たような紋様を入れていた。

 視線を頭部に滑らせる。横向きになった死体の、うなじの付け根のあたりには、明らかに異様な凹みがある。なにかにぶつけた——たとえば、突き飛ばされて、よろけて、コンクリートブロックの角だとかに頭をぶつけると、このように凹むかもしれない。

 

「ちなみに君、」

 

 と振り返れば、少年は変わらず純丘を見つめていた。

 膝にかけられた片手、指先二本が煙草を挟んでいることにも、純丘はついでに気づいてしまった。

 

 今吸ってはいないので純丘基準ギリセーフ。

 

「これ、いつからあるか知ってたりする?」

「あー……。二週間ぐれえ前? には、もうあったんじゃね」

「ありがとう……なるほど」

 

 ()()()()は、悪いことをしたとき——悪口を言い過ぎたとき、ものを壊したとき、なにかを盗んだとき、人を殺したとき、そして、取り返しがつかないようなことをしたとき——無意識に、言い訳を考える。

 

 自身の脳内で正当化できる理屈を作り上げ、背景として仕立て上げる。

 己を弁護するため。社会に弾かれないため。

 

 ごく普遍的な行動だ。

 善悪の基準もなく、他者の評価を考えない人間は、そもそも、己を弁護しようとも思わない。

 

 純丘榎はそういうことは知っていた。また彼には幅広い人脈と、それを狙って作れるだけの話術の才能と知恵があった。

 酒の席に入り込んで、偶然を装って狙った他人と隣同士の席を確保するなど、確かに手間はかかるができないわけではない。

 

 口先三寸お手の物。隣席の話に付き合って、いいように話を盛り上げるついで()()()()泥酔させて、無害を装った口振りで軽くメンタルを揺さぶった。

 

 そういうつもりじゃなかった。

 重くて運べなかった。隠せなかった。

 いつ見つかるかもわからない。

 けれど彼が悪くて。

 でもわたしが。

 

 ——酩酊した人間の言葉は支離滅裂だったが、察せるものはある。

 

 断片的な情報をつなぎ合わせ、おそらくと推定した場所に出向いてみれば、やはり死体がぽつんとひとつ。

 

 事前の想定よりも冷静な心持ちで、純丘は物言わぬ躯を観察していた。数ヶ月前の潜入捜査モドキで、惨い光景をいくつか目撃していたせいかもしれない。やがて彼は立ち上がった。

 

 成功報酬は期待できそうにない。

 友人が引き起こした殺人を、第三者の純丘がいの一番に報告するのは、筋ではないと彼は規定している。

 

「……さて、警察に通報するから君は移動した方がいい」

 

 己のケータイを指で抉じ開け、純丘は淡々と述べた。

 

「事情聴取の手間がかかる。もしも未成年ならその煙草で補導のオマケ付き」

「……オニーサンさぁ」

「なんすかねオニーサン」

「オレと会ったことある?」

 

 純丘はしばし口をつぐんだ。

 視線を落とす。

 

 ツーブロックヘア、前髪のあたりを金髪に染めている。煙草をもてあそぶその手の甲に、黒く紋様が彫られている。ビルとビルの間、曇りで大した明かりもなく、暗がりでは少し離れているだけで絵柄が読み取れない。もう片方の手は、羽織ったジャンパーのポケットに突っ込んでいる。

 

 面長の顔立ちだ。

 細い瞳は純丘を見上げていた。黄金に近しい色をしている。

 

 目立つ容姿だが珍しくはない。歌舞伎町にたむろするヤンキー、半グレもどきともなれば、多種多様に多彩な格好をしている。

 

「……古典的ナンパだな」

「悪ィ〜けど、オレ男はシュミじゃねえ」

「まるで俺が振られたみたいな……君の名前は? 聞いたら思い出すかも」

「死神」

「昨今の死神は墓守までこなすのか……」

 

 そんなことはない。

 

「ゼッテェ見覚えあんだけど出てこねえ〜」

「俺の方は心当たりも覚えも一切ないけどな……」

 

 はてそれにしても、死体のそばに死神とは誠に奇妙な縁である。自己申告が嘘か真か、純丘は知らないものの。

 

 会話もそこそこに、純丘はケータイに一一〇番を入力、耳に当てる。すぐに応じるオペレーターに適時適切に答えていれば、視界の端で少年がふらりと立ち上がる。そのまま路地を抜ける方へと歩いていく。

 重心が揺れる歩き方は振り子を思い起こさせた。純丘は無意識に長身を目測した。たぶん蘭より背が高い。

 

 入り組んだ路地は、周辺も閑散としているが、稀に、屋台が並ぶらしい。提灯の明かりが路地を照らしていた。

 だから、細い路地裏を出た一瞬の間だけ、純丘にも少年の手の甲の紋様——文字が読み取れた。

 

 【罪】【罰】

 

「……ラスコーリニコフのファンか?」

 

 真実は神のみぞ知るであろう。

 少なくとも純丘は神ではないので、独り言には応えもない。




赤外線通信
:Wi-fiとQRコードが普及するまでの儚き命

ザ・チルドレン
:絶対可憐チルドレン
 灰谷兄弟は気まぐれに手下の漫画読んで妙なことだけ覚えてそうという偏見

少年
:お察しの人

ラスコーリニコフ
:フョードル・ドストエフスキーの小説「罪と罰」の主人公
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