「フクブ、もうハタチだよな? 酒飲んだ?」
この問いに対して純丘榎はまず、心理テストか? と思った。
一善良なクラスメイトに尋ねられたならまだしも、質問者は悪名高い灰谷兄弟の片方たる灰谷竜胆である。〝悪名高い〟というその所業が具体的になんたるか、純丘は大して経験していないが、少なくとも〝酒の味ってどんなん?〟などの可愛げのある質問は期待するべきではないだろう。
所業に詳しいわけではなくとも、純丘がいないところで日常的に未成年飲酒が行われているくらいわかる。
こいつ(ら)絶対俺より酒の味知り尽くしてる。
とはいえ誤魔化したところでどうという話だ。純丘は正直に答えた。
「飲んだ」
「じゃ今度からフクブに酒頼むか」
カジュアルにろくでもない。
新暦七夕
純丘はじっとりと竜胆を眺める。
なに? と小首をかしげる竜胆。
「頼まれたところで俺は未成年には酒を渡さないが……」
「言うて年確とか誤魔化すの簡単だぜ? ビビられんのもウゼェからフクブに頼むだけで。かわいそーなバイトちゃんを減らすためとでも思えよ」
「頼まれたところで未成年には渡さないという言葉は、マジで頼まれたところで残り三年は絶対に渡す気が皆無という意味なんだが……」
「アタマ固ッ!」
「ははは。うちの出口はそこだ」
玄関扉を指差し、はよ帰れやと圧をかける純丘に「マァフクブが頭固いのはいつもだもんな」まるっと気にもせず、竜胆はサクッと話を終わらせた。
こいついつものことだけどマジで失礼だな、純丘は心底からしみじみと実感した。
いつものことなのである。いや本当に。
「……ところで君が今しがた食い切ったのは」
「うまい」
「よかったな。俺の昼飯は根こそぎ消えたが」
「は? これおやつじゃねえの?」
「おやつの量ではないだろ……ないだろ?」
竜胆はあからさまに不可解を全面に出した顔つき、その顔をしたいのは純丘の方。
確かに、成長期かつ筋肉量の多い男。エンゲル係数が高いのも当然といえば当然。
ただ純丘の昼飯は本当に根こそぎ消えた。純丘とて、つまみ食いされるまでは想定していたが、目を離した隙にぺろっと消失する量ではないと見込んだはずだった。希望的観測だったらしい。
空の皿を見つめたところで、日本酒に一晩漬けた上、醤油とみりんと生姜を振ってフライパンで焼き目をつけた豚肉の生姜焼きは、もちろん復活しない。
刻んでかつおぶしと醤油で和えたオクラも、人参と椎茸と油揚げとごぼうを胡麻油で炒めたきんぴらも、ほうれん草の醤油和えも同様だ。
「……なんか食べ行く? 奢るけど」
「……そんな憐れまれる顔してたか?」
「ウン」
「そっか。ゴチになります」
素直に純丘は頭を下げた。
というわけで今日のお昼ごはんは竜胆のオススメと相成った。
「ごはん行くなら、蘭も呼ぶか?」
「兄貴俺が出るとき寝てたけど。叩き起こす?」
「やめとこ」
腹もそれなりにふくれたところで、竜胆の用事で109に立ち寄るがてら、渋谷に足を踏み入れる。
ガヤガヤと騒がしい雑踏に目を細め、それから「ア、そーいやヒラサワがおもしれェもんあるっつってたな。見に行くか」竜胆がふとつぶやいた。
隣を歩く純丘は、何気なくも復唱した。
「おもしれーもん?」
「詳しく知らねえけど。でもヒラサワが言う面白ェもんって、だいたいフクブは嫌がりそー」
「……」
純丘は、そこで一旦黙って、竜胆を見下ろした。
彼の後輩は澄ました顔つきである。すいすいと歩みは止まらず、雑踏を抜けて路地に踏み入る。
「今から行くのか?」
「ウン」
尋ねれば、竜胆はやはり澄ました顔つきで頷いた。きらっきらと目だけは輝いていて、ああこいつ単に俺の嫌がる顔見たいんだな、純丘は悟った。
なんなら109に行きたいと言い出したのも半分くらいこのためかもしらん。
灰谷兄弟は基本的に純丘に配慮してこそいるが、それはあくまでも灰谷兄弟基準で、という意味だ。露悪的な行動で喜ぶ一面は否定できず、しばしば純丘に向けて発露されることもある。
純丘もそういう彼らを知っているし、知っている上で付き合いは続いている。
「……いーけど」
「すげー嫌そうな顔」
「断ったらやめてくれんの?」
「そんなわけなくね? 行こうぜ」
「ああハイハイ」
すべては慣れからきている。
駅の裏手に回って、いくつかの路地を抜ければ、寂れた公園に到着する。それなりに広い公園で、遊具も多く、現在時刻は午後二時を過ぎたあたり。だが公園内には子どもどころか人っ子一人いない。
ただし公園およびその周囲一帯は、閑静とは程遠い——罵倒、声援、歓声、悲鳴、少なくとも数人程度ではないだろう。
いけー! そこだやれ! ぶっ殺せ! なにやってんだよ! おいしゃきっとしろ!
喩えるなら、スポーツ観戦、特に格闘技の会場で、観客が飛ばす野次。
そりゃ人もいねえわ。純丘はげんなりとした気分で確信を得た。
プロレス会場で響くならばさしたる違和感もなかろうが、公園となれば話が違ってくる。危機管理意識がしっかりしていればまず近寄るわけもない。
「……あっちか?」
「たぶん?」
「ほんとに詳しいこと知らねえの」
「だって渋谷でなにやってようがどうでもいいし。管轄じゃねえもん」
「どうでもいいことに引っ張ってこられてる俺のきもち」
「面白〜」
「俺のきもち……」
じろりと睨んでくる元副部長に、竜胆は愉快げに笑った。
なに言っても無駄なのはわかっていても、律儀に毎回苦言を呈してくるので気に入られるわけ。本当にコミュニケーションを諦めた人間は、反論すらしない。
公園の奥には、段差の低い階段が数十段と、その下に小さな広場が作られていた。階段にはおそらく中高生と思しき人々がずらり、腰掛けたり、あるいは立ったまま、下方の広場を見下ろして野次を飛ばしている。
広場では、これまた中高生ほどか、二人の少年が取っ組み合っていた。野次の矛先は彼ららしい。
「……ウワ……」
「マジで引いてら」
ドン引きの純丘に、竜胆は面白がって目を細める。
純丘はこれでも良いとこの育ちだ。
確かに、剣道や空手の、正規のルールと安全性を保障された大会や試合なら、参加も観戦も経験がある。それでも野良試合には興味はなく、況してや素人同士の試合モドキなんぞ見たこともない——S62世代の小競り合いは発展する前に止めている。
というのもあるし。
「あんなのリンチだろ……」
「マ喧嘩にもなってねえな?」
明らかに小柄で細身の少年を、筋肉質で大柄な少年が一方的にタコ殴りにしている様相。反撃どころか回避すら儘ならない様子。
純丘は、暴力が最もものを言う文化を知っている。必要があればその文化に則って制圧して、言うことを聞かせることもある。かつての灰谷兄弟、あるいは、S62世代に対するように。
ただしそれらはあくまで手段であって、暴力を振るうことそのものを楽しんだことはない。明らかに自分より弱い人間を甚振る意味も見出せない。
つまり普通にドン引き。
「あー、コレ客に賭けさせて金集めてんのか。兄貴も似たようなもん持ってるけど、胴元が全然雑魚いな」
一方竜胆は状況を観察し、そう評価を下した。
地下闘技場運営してるって噂やっぱマジだったんだ……という感想は、とりあえず今は関係ないので脇に置くとしてだ。
「雑魚ね」
「ただの喧嘩ならそいつら同士のことで済むけど、金取ってんなら、ショーなんだよ」
言いながら、竜胆はぐるっと観客席を見回してみせる。純丘も同様に、階段に集う人々を眺めた。
ぱっと認識するだけでも、三桁とはいかないだろうが、数十人は固い。一様に興奮した様子で囃し立てている。
「客はどっちが勝つのかわかんねえのも好きだけど、それよか、面白ェもんが見たいから金投げんの。どっちが勝つかわかんねえっつったって、見せ場もねえ、いつ終わるかもわかんねえ、長引くだけの泥試合なんか飽きるだろ?」
「……まあなんとなく言いたいことはわかる」
正式な大会でも、数年続けている実力者同士の試合と、まだ始めたてで不慣れな者同士の試合では、観客の集まり方や盛り上がりも異なる。
「それが?」
「イザナと鶴蝶とか、バトるとめっちゃ面白いんだよな。イザナは見た目弱そうだろ? でも、蹴り技がすげーマジ……なんつーの、鮮やか? で、容赦もねえし怖がらねえから、間一髪で避けて叩き込んだりとか上手くて、拍手したくなるね。鶴蝶はタフだから、そういうの全部受けても全っ然倒れねえし、とんでもねえとこで巻き返したりする。それこそ、どっちが勝つかわかんなくて、見せ場がある試合になんの。……あいつらまず参加しねえけど」
「うんだろうな」
二人とも、有象無象の前で見せるためだけの争いは、むしろ嫌いな方だろう。「兄貴がマジで頼み込んでたま〜に、みたいな感じ」「君ら仲良しだな……」頷く場合もあるのが逆にびっくり。
「で、そういう試合を作るんだったら、そういうのができる人間を頷かせて、連れてこなきゃなんねえわけ」
「……あー。胴元の人脈にかかってるわけか」
「ソ。連れて来れねえなら……別の方法で客を集めるしかねえだろ?」
竜胆は笑っている。瞳に浮かぶ色は酷薄で、見下す意図を感じられる。
いくら純丘の後輩として、くだらないちょっかいや悪戯で笑っている姿ばかり見ていても、彼は間違いなく〝六本木のカリスマ兄弟〟の片割れでもある。
「こういうとこに来るやつら、みぃんな、誰かがめっためたにやられてんの見んのが好きなんだよ。強い奴が強い。弱い奴は弱ェ。自分じゃないどーでもいい奴が、ボッコボコにぶっ飛ばされてんの見て、スッキリ」
「……」
「趣味がイイよなあ?」
純丘は再び、竜胆から視線を外し、眼下を俯瞰した。
こうしている間にも野次は勢いを増し、拳の勢いもより鋭く、より重みを帯びる。
「……これ俺がセコンドってアリか?」
「……フクブってそういうやつだっけ?」
「目の前でやられると、さすがに気分が悪い。あと中高ンときと違って俺の自由度も高い」
「んー」
竜胆はしばし首を傾げた。それから首を横に振った。
「五年前ならアリかもだけど、今フクブハタチだろ。無名の大人が入ってくとシラけんじゃねえの。なにしても大して響かねえよ」
「だよなあ……」
彼らの文化の大人嫌いはある程度外野からもわかるところだ。正論嫌いも。
楽しいイベントに水をさす大人、なんてそれだけでブーイングの対象だろう。話をハナから聞かず、せいぜい聞き流したあとは別の場所で繰り広げられるだけ。
状況は変わらない。なにひとつ。
竜胆もそのような文化に所属する一人であり、現時点で純丘の話を聞いてちゃんと検討しているのは、純丘との付き合いがそれなりで、目の前の催しが竜胆には無関係だから。これが自分たちの
少なくとも、だからこそ純丘は極力彼らの遊びには関わらないし、灰谷兄弟は純丘を自分たちの
「……つか渋谷って
「……君、圭介のこと嫌いか?」
「べっ——つにィ」
「ああ……そう……」
これは嫌いじゃないけどなにかしらの理由で気に入らなくなったパターン。一気に不機嫌になった竜胆を、純丘は刺激しないことに決めた。
しかし竜胆の言葉には一理ある。
「万次郎は……まあ興味ある奴以外を総スルーというのもやりそうだが。ドラケンくんが把握していたら、野放しにするわけもねえな」
「……フクブって
竜胆は訝しげに純丘を見た。純丘はしばし沈黙した。
「……今の
「三ツ谷わかる?」
「三ツ谷くん? 三ツ谷隆で合ってる?」
「合ってる。林田は」
「……林田春樹ならわかるが同一人物か?」
「河田兄弟」
「たぶん知らねえ」
「……
「なにってなに」
怒られても純丘は困るだけだ。
しかし詳細がわからねば報告のしようもない。純丘は軽く周囲を見渡して、すたすたと観衆の中に踏み込み——今度はなんだよ? 竜胆は戸惑った——観衆の一人に「なあこれすごいな!」といかにも興奮混じりに話しかける。
「弟に連れてこられたんだけどさ、試合見てたらあいつどっか行っちゃって。うんうん。な、すげーよな! いや喧嘩とか昔ちょっとやってたんだけど、今こんなかんじなんだって。迫力満点で、うん。うんうん!」
いやオマエ、武道武術はやっても喧嘩は大してやったことねえだろ。
聞き耳を立てていた竜胆は内心つぶやいた。
「これ賭けとかやってるんだろ、いや面白いんだけどどこで賭ければいいかわかんなくて、ってか誰が開催してんの? うん。キヨマサくん? えすげえ人なの? あなるほどなるほど、へー、
戻ってきた純丘に、竜胆はこちらも本気でドン引きしていた。
こいつさらっと首謀者の名前と素性、どこの隊所属かまでひっくるめて聞き出してやがる。
「詐欺師?」
「やかましい」
さっきまでの笑顔はどこへ行ったのか。すとんと表情を落とした純丘は、ケータイをカチカチと操作して、メール文を作成する。宛先は龍宮寺だ。
龍宮寺は彼も彼で自由人だが、たまに方々駆けずり回って万次郎を探していたり、場地を探していたり、まあ大概に苦労人だ。純丘に尋ねると、当日顔を合わせていようともいなくとも、八割の確率で万次郎の居場所を当ててくるので、結構重宝されている。
……若干不気味にも思われている。
「フクブ……そうやってイザナの住処も聞き出してんの?」
「あいつの隠れ方はマジだからもうちょい真剣にやるよ」
「さっきの、真剣じゃなかったのかよ……」
「誰も警戒しねえのに真剣もなにもないだろ」
「……コワ……」
「なに?」
竜胆としてはかなり真面目に恐怖を抱いているのだが、残念ながら純丘にはいまいち伝わらないご様子。なに言ってんだコイツの顔をされた竜胆としては誠に遺憾の意。賛同を得られない状況が一番理不尽だと信じている。
そして実際そうなのだが、誰も聞いていないので誰も保障してくれない。現実とは誠に不平等なものだ。
とかどうでもいい話は置いといて。
「桜中の小島ァ!」
「うぇーい」
「お、次か?」
純丘にとってはいい口実だったが、次の試合が始まるというのは本当だ。顔を上げれば、広場にて戦うメンバーは顔ぶれを入れ替えていた。
先ほど完全にボコボコにされていた少年は、隅の方に引きずられて、放置されている。まあフィールドにほっぽったまま踏み抜かれて更に怪我負うとかよりはマシか、純丘は諦観とともにそう思うことにした。
次の対戦は、坊主刈りの〝コジマ〟と、ミディアムほどに髪を伸ばした——レフェリーじみた少年にはヤマモトと紹介されていた——らしい。後者は明らかに怯えていて、こめかみには脂汗が視認できる。
「中坊が揃えられるレベルってなるとああなるよなあ。ひょろがり、いかにもよわっち、カワイソー」
純丘が顔を顰めている傍ら、竜胆は心底楽しそうに笑っている。
「……可哀想って思ってるか?」
「思ってるぜ? どーでもいいだけで」
「……まあ、うん、そうだろうな」
竜胆は気を許した相手にはよく懐くが、別に良い人ではない。なんならだいぶ悪人。竜胆に限らず、蘭も、S62世代と呼ばれているらしい彼らも、鶴蝶ですらそうだ。
改めて実感した純丘に、竜胆はきょとんとした様相だ。まあわかった上で付き合いが続いているので、純丘が敢えて言うことなどなにもない。
場所と、把握した限りの行い、規模、首謀者の名前、あらかたの文章を作成して、メールを送付。あとは彼ら自身がなんとかするだろう。
大きな歓声が上がる。ろくでもねえなあ、純丘は目を細めた。
ろくでもない。心底ろくでもないと純丘は感じるが、しかし彼らが行う所業を咎められる立場にはいない。
部外者であり、無関係であり、彼の声は届かない。だから彼らは彼らの仲間内で始末をつけなければいけない。
「——ちょっと、待った!」
「ン」
「お?」
純丘も竜胆も目を瞬いた。
観客席の中から進み出た小柄な少年は、ぺらぺらと前説を述べると、おそらく〝キヨマサ〟と思しき相手に向けて拳を向ける。
曰く——
「タイマン買ってくれよ」
言葉尻はうわずっている。治りきっていない怪我が顔、腕、そこかしこに散らばっている。青あざがかなり多い。緊張により汗ばんだ首筋。彼もまた明らかに怯えている。
純丘は小首を傾げる。ついで、竜胆に視線を向けた。
竜胆は眼鏡のガラス越し、読めない瞳で広場を見下ろしている。
「こういうのは……よくあるのか?」
「……まあ、ねえな。兄貴のとこでも、ねえよ。まず。そんだけ胴元が恨まれてるし、嘗められてるし、尊敬されてねえんだろ」
「……ナルホド?」
「兄貴なら、まず、逆らえるとか思わせねえもん」
「あー……」
眼下ではタイマンを買ったらしく、キヨマサと呼ばれた少年が立ち上がる。
と同時に、メールの受信音が響く。純丘のケータイだ。
純丘はメールを確認した。差出人はお察しの通りで、内容も予想通り。
一通り確認して、視線は竜胆へと移る。
「どうも近くにいたっぽい。すぐ来るらしいんだが、どうする?」
「はー
「ははは。しらね」
「……フクブ一緒に確認して」
「君、要求通したい時に限って末っ子仕草してくるよなー……却下」
「なあー!」
ぎゃんぎゃん追い縋る後輩、それをしっしと手で払う先輩。そのまま足早に、当然迅速に、二人は公園を後にする。
このあと起きる出来事など、もちろん、知る由もない。
既に始まっていることも。
ヒラサワ
:捏造兵隊さん
同一人物か?
:よくある苗字なので。
たぶん知らねえ
:中学の頃の同級生に河田さんがいたが女の子だったので絶対違うな……と思った、という裏設定
実際違う
このあと起きる出来事
:1巻3話
既に始まっている
:役者は主人公も含め、然るべき配置についた
それだけ