あ〜……と場地は声を漏らした。身は入ってないへろへろの声だ。ばちんとホッチキスが音を立てて、紙束を針金で留める。
教えを請う代わり、今日も今日とて純丘のお手伝いに駆り出される場地圭介。本日も生徒用の自作ドリルを延々止め続ける作業である。だいたいこれが一番時間を食うのでそろそろ手付きにも慣れが見える。慣れるほど繰り返していればさすがに疲れも見える。
場地はそもそも、ひとところに留まって作業するのは苦手な性質だ。
「まァ
「特攻隊長が又聞きかよ。つか抗争にも参加してねえとか」
「出禁食らってたんだからしゃあねえだろ」
「暴走族の集会で隊長が出禁、あるんだな……」
「ろくでもねえチームだとよくあるけど、
「イイコチャンの定義から始めたほうがいいやつか?」
「よくわかんねえけど今それ関係ねえと思う。……てか、そう、パーあいつマジで刺したん?」
on7.25
「俺もそれは三回ぐらい聞き返したな」
つい先程まで電話に応対していた純丘は、再び卓袱台の傍らに胡座をかいた。その電話こそが林田春樹の刺傷事件および出頭を報せるものだった。
なので家庭教師の契約は春樹が出るまで休止ということにしてほしい、そう伝えてきた林田家の奥様に、ご丁寧にどうも……と純丘はかろうじて返した。
他にどう言えと。
「本当に刺したらしい」
ともあれ、純丘は電話内容を踏まえてすぱんと断言した。
林田夫妻は、洒落にならない冗談を言うか言わないかでいえばまあ言う方だが、家庭教師契約まで持ち出すことない。
「あのパーが? 頭もパーだぜ? ドスなんて持ってくる脳があるかよ」
「聞きようによっては全力で貶すような発言だな……」
「部長……パーと会ったことあるよな?」
「そこまで疑われること言ってねえだろ俺。……正直言わんとすることはわかる」
ばちんばちんぱちん。ぱちんばちん。
紙束を取り上げて、ページ数を確認、抜けがなければホッチキスのクリンチャー(針を留める方の下側、凹んだ部分)をA4紙の右端上部に当てて、てのひらを軽く握る。ばちん! 下部まで滑らせてもう一度。ばちん!
留めれば一部完成、ラックの中に突っ込む。そしてまた紙束を取り上げる。
あと二十部なので頑張っていただこう。
「俺も、春樹は包丁持ち出してくる時間があればその時間に一発でも多く殴ってるものだと」
「なー! だってパーだぜ!? バカがそんな気ぃ回せるかよ俺なら回さねえよ」
「そういう」
「頭パー同士ならワカルとかなワケ? 竜胆どうよわかる?」
「俺まで頭パーみてェな言い方すんなよ」
ばちんばちん。ばちんばちんばちん。純丘と場地の会話にちょいちょい茶々が入るのは、気のせいや唐突に現れたご近所さんの介入などではない。
灰谷兄弟は本日当然のように純丘榎の自宅で寛いでいた。
なけなしの良心か単に手伝いを押し付けられるのが面倒だったのか、真偽や本心はさておき、塾の前日の訪問はかろうじて避けていたのが、二〇〇四年の年末までの灰谷兄弟である。
までと言った通り、年明けあたりからは開き直ったかの如く、曜日を気にすることもなくなった。
あったかどうかすら定かではない遠慮が、完全に消失したなんぞ、些細な違いでしかない。
以前から勝手知ったる様子で冷蔵庫は漁るし勝手にトリートメント置いていくのが彼らの関係性だ。いつの間にかダンベルが二つぐらい増えてるのだって既に日常の一部だ。竜胆は片付けろ。
場地も元々順応力は高い方だ。二回目からは〝ああ灰谷兄弟な〟ぐらいの反応で、純丘は最初から人手の頭数に数えている。来るんなら手伝えよという話。
というわけでホッチキスでドリル留める六本木のカリスマ兄弟の完成です。
これはこれでなかなか。
ちなみになんとなくのノリで写真を撮ろうとした純丘が、すんでのところでケータイを折られかけたのが約一時間前。逆パカは回避しました。
話を戻そう。
じっとりと睨みつけてくる己の弟に、蘭は少し頭を傾ける。手入れされた髪がさらさらと流れ落ちた。色を入れては抜いてを繰り返しているのに、髪質は依然として艶やかだ。たぶんシャンプーのCMとか出演できる。
「パーっつか、フツーに考えなしだろオマエ。すーぐ勝手に突っ込んでくし」
「るっせーな兄貴のワガママ横取りカッコつけよりマシだろ」
「にしても」
「聞けよマジそーいうとこほんっと」
馬耳東風とはまさにこのこと。
「
ばちんばちん。手際よくドリルを留めて、完成品をラックの中に放り込む。
蘭の言い分が日頃の行いからの推測なのか、単に前科アリなのか、そのへんの真偽は脇に置くとして。
「まァ」
と純丘が再び口を開く。
「春樹が自分でやらかしたことで、わざわざ言い渡された期間無視して、一刻も早く出たいとか、誰かに代わりに入ってもらうタイプかというと……少なくとも、確実に自分からは言い出したりしないだろうな」
「先に手ェ出したのは
知ったような口ぶりを叩くこの少年も相応に頑固なことを、純丘は知っている。似たもの同士が結束すれば集まるのは当然類友だろうとも。
「はは、誰がダセェって?」
ところで蘭は面白がるように目を細めた。
「イザナが聞いたらどう思うだろうなァ、年上にナマ言いやがって」
「そーいう話してねえだろ今!」
「
言いながら純丘は蘭と竜胆を交互に見据えて——大人気なく喧嘩売るんじゃない——こちらにはアイコンタクトでも釘を刺す。
しゃあねえなあ、蘭はわざとらしく肩をすくめる。竜胆はちょっとむっと眉を寄せた。ちょっかいかけてんの、兄ちゃんだろっての。
タイミングが合えば竜胆もしつこくちょっかいをかけるので、純丘の判断は間違ってない。
「自分のケツぐらい自分で拭くだろ」
「だろうな。あとは経緯が経緯だから、せいぜい半年か一年程度で出られるだろうし。……正直入ったところで大して困らなそうだし」
「俺ペットショップ開けなかったらパーちんの会社入ろっかな」
「コネクションてのは重要なことだな。入れてくれるかどうかは知らねえが」
「部長は起業しねえの」
「してんだよ既に。高校になったら、うちの塾講として正式に雇ってもいいが」
「ヤそれはいーワ」
「意外と向いてそうなんだが……」
ばちんばちんばちん。会話の間にも作業の手は止まらないので、残り十二部まで減った。
場地は妙なところで律儀なので、与えられた仕事が彼にとって道理であれば、彼なりに真っ当に遂行する。灰谷兄弟は暇潰しがてらだろうがもとより二人とも小器用だ。
「なるほどー」
蘭は平坦につぶやいた。「なんだよ」あまり興味もなさそうに、純丘が尋ねる。
あまりというか、実際ない。脊髄反射的な相槌に近い。
こいついつもこうだよな、蘭は一瞥するだけに留める。
「荒れんだろーなって」
「……荒れる?」
「……」
純丘は今度は、心当たりもなさそうに聞き返す。
一方対照的なのが、苦々しげに唇を歪めた場地だ。
彼は——たとえ今、出禁を食らっているにしても——東京卍會創設メンバーで、特攻隊長を請け負っている。
知っている。
「……フクブさあ」
兄同様、平坦な顔つきの竜胆が、掌中のホッチキスを握りしめる。ばちんと音を立てて針金がまたコピー用紙を束ねた。
「今の
「なんか強大らしいことは」
認識がガッバガバ過ぎて全員三秒ぐらい沈黙した。
真っ先に復活したのも竜胆で、レンズ越しに場地を見遣る。
「確か構成員、今だと百人ぐらいだよな?」
「ひゃく」
「マそーな」
場地もあっさり肯定するので、純丘は若干ウワッという顔をした。ぶっちゃけちょっと引いた。
東京でも、コンパクトな小中学校なら一学年ぶんの人数に相当する。あるいは中小企業でも、総従業員数が百人前後の会社は珍しくもない。
言い換えれば、一クラスだとか、一部署単位では、ない。
時は西暦二〇〇五年。平成十七年とも言い換えられる年数だ。
二十一世紀を越えたころには、既に、暴走族は少子化や法規制によって衰退の一途を辿っていた。
法務省は、日本国内の犯罪の実情をまとめた報告書を、犯罪白書と銘打って毎年発行している。かの白書には暴走族の統計データも記載されている。
うち、二〇〇五年のデータ曰く。
日本全国の暴走族と呼ばれる人々の総数は、成人少年を合わせておよそ一万と三七〇〇人。対するグループ数は九百弱。これらの数字を概算すれば、当時の暴走族のチームというものは、一グループにつき平均十四人程度と算出できる。
無論、暴走族の統計として法務省のデータを提示したところで、いったいどれだけの信用がおけるか、そも暴走族とはどこからどこまでを定義とするのか、粗を論じればきりがない。
平均値といっても中央値ではなく、たとえば数人レベルの少数のチームがある一方で、かの関東連合のように——尤も、二〇〇五年の関東連合は形式上既に解散していて、正確を期すならば
少なくとも、東京卍會は、二〇〇五年の暴走族として決して小さな集団ではない。
「正直、イマドキの中坊のお遊びの規模にしちゃ珍しい方だよ。それこそ俺らがざっと集められる兵隊もそんぐらいだし……」
「集められるんだ……」
「……言ったことなかったっけ」
「ねェんじゃね。フクブだろ」
「ンなら今言ったわ。……で、そんな大人数の族どもの隊長だぜ? しかも創設メンバー。柱がひとつ引っこ抜けんだよ」
ページ番号に抜けがないかチェック、誤字誤植をざっと確認。ホッチキスで二箇所留めて、ラックの中に放り込む。一連の作業には無駄もない。
残り五部。
「引退ならまだしも、刺してんだから引き継ぎもなにもねえ。そーいうやつってわかってんなら箔がつくだけで済むけど。フクブの言い分的に、喧嘩に武器持ち出してくるやつだって誰も思ってねえんだろ? 百人もいりゃあ全員が全員納得はまずねえだろうな」
「……念のため聞くんだが、納得しない人間が多い場合ってどうなる?」
純丘は悟りきった表情である。
「揉める」
竜胆は即答した。
ごく簡潔で明快な回答だ。純丘の予想通りの内容でもある。
「隊長の席が空いてるからどいつが座るかで揉める。現行の椅子開けっぱでいいだろって言い出すやつもいる。そもそも元のが気に入らねえやつは絶対ェいるからここぞとばかりに出しゃばる。そのうち信者どもが隊長は誰かに嵌められたんだとか言い出す。退院待つんじゃなくて、金積んで出しゃいいだろってやつも絶対いる」
「……ウワ……」
そして間髪入れずに畳み掛ける。
純丘は既に心底ドン引きしている。ドン引きしながらもホッチキスを繰る手は止まらないので慣れというやつ。
「上が抑えりゃそのうち収まるだろうけどな。これが上までひっくるめていがみ合ったらそりゃ立派な派閥争いだぜ。獅音センパイが
「揉めたんか……」
「揉めた揉めた。だァってあのイザナの後釜だぜ? よりによって斑目獅音が!」
「君なあ?」
竜胆は斑目のことを心底嘗めているのでこういう発言が出る。
小器用なのでボロを出さない竜胆と、たまに出るストレートな暴言を鈍さでスルーする斑目だからこそ、かろうじて成り立っている関係性だ。いいのかそれ。
周囲は誰も指摘しないので均衡は長いこと保たれている。本当にいいのかそれ。
ただし呆れをふくめてつぶやく純丘も、呆れるだけで別に首は突っ込まないので、同じ穴の貉とも言える。
「俺らが
「いたわなそんなん」
「忘れてたんか。……忘れそうだな君は」
「雑魚に頭使ってらんねーだろ」
「って兄貴がさっさと片付けちゃったからなー。だから
「要らねーンな期待……」
つらつらと語られた最悪未来予想図。そんなものを期待する方が鬼畜なのは自明。
一方的に押し付けられて、場地は辟易と呻いた。同時にばちんばちんと手元でホッチキスを鳴らして、最後の一部を積み上げた。
「オワリッ! ぶちょーメシ!」
「助かったわ、ありがとう。ただ俺は飯じゃねえ」
「チャーハン食いてー」
「エ俺ビーフストロガノフの気分だわ」
「ペペロンチーノねえの?」
「リクエストは意思統一してからにしてくれ」
立ち上がった純丘がキッチンの方に回り込み、冷蔵庫で丸ごと冷やしていた鍋を取り出す。
そのまま火にかける。
そもリクエストを聞くとは一言も言ってない。
「ちなみに今日は夏野菜カレー」
「またかよ」
蘭がぼそっとつぶやいた。
「不満なら帰れ」
純丘はすんと返した。
夏野菜カレーが
ただ彼が作り手である以上、ルールは俺ですの不動の精神を有している。
非常に正しい。
「部長のカレー、切り干し大根入ってたことないよな」
「へー、君の家のカレーは切り干し大根入ってるのか」
「カレーに切り干し大根ってなに? そういう宗教?」
「つかまずいだろそんなん」
「はぁ? 切り干し大根ナメてんじゃねえよめっちゃくちゃウマいからな。めっちゃくちゃ」
「まあカレーは大概なに入れてもまずくはならねえよ。あとでレシピ教えてくれ」
炊飯器はキッチンに置いてある一方、カレーの鍋は極論鍋敷きさえあればどこにでも持っていける。温めるだけ温めたのち、テーブルの上にどんと置いて各自で確保のスタイル。
紙皿に白米を盛り付けて——正直カレーの洗い物はできる限り減らしたく、港区のゴミ出しは幸いにして粗大ごみ以外は無料——純丘はローテーブルの端にスプーンを三本置いた。
なお純丘榎の自宅では、ほとんどのものが、スペアを用意するにしても合計三人分しか置いてない。彼本人は箸を使う気満々だ。
「ダイエットレシピだと豆腐とかあったな。肉の代わりに入れるんだと」
「食った気しねえだろ」
「僧?」
「拷問?」
育ち盛り男子中高生にしたって散々な言い様だ。特に後者二人。
「……豆腐って安いから俺はわりと食ってたけどな」
「三蔵法師じゃん」
なにもかも違うのは自明だが「天竺行けるかもな」純丘は雑な相槌を打った。
「天竺ってなんだよ」
「ナーランダ大僧院。インドの北東らへん」
「……どこ?」
一瞬考えた純丘は、立ち上がると、世界地図を引っ張り出してきた。
昼食の傍ら、プチ授業のお時間です。興味があるときに叩き込んでおくと後々の飲み込みが早い。
大して困らなそう
:実家の資本力というものは大事ですね
意外と向いてそう
:できないことを克服した人はできない人の気持ちがわかる、というアレ
暴走族の統計データ
:令和元年版 犯罪白書 第二編 第二章 第二節 三
添付のExcelファイルより引用
ナーランダ大僧院
:ナーランダ僧院とも訳される
かつて存在した仏教最大の学問所にして、最古の大学の一つと言われる
今は遺跡