【完結】罪状記録   作:初弦

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暴行罪

 純丘と灰谷兄弟は、たとえ出先で遭遇しても、ほとんど関わることはない。単純にお互いに用事がない。偶然〜! と手を振り合えば井戸端会議に持ち込めるタイプの付き合いでもなく、目と目が合ったらヤンキーバトルなコミュニケーションをする間柄でもない。

 関係性が海苔ぐらい乾燥している。

 

 そも不良の関係図など純丘は詳しくなく——清廉潔白な好青年以前に、単に興味がない——同時に灰谷兄弟も、純丘の人間関係には詳しくない。こちらもやっぱり単に興味がない。

 君子危うきに近寄らず。危ういの意味が微妙に違うが概ねそういうこと。

 

 なので。

 

「君ら今度はなにやらかしたんだ?」

 

 久しぶりに(と評すのもおかしな話だが)補導された灰谷兄弟の身柄請書に、必要事項をガリガリ書き込みながら、純丘はなんの気なしに問いかけた。

 まあどうせろくでもないんだろうなという認識しかないためだ。

 

 

 

  暴行罪

 

 

 

 中学時代、灰谷兄弟が少年院行きになるまでの一定期間、純丘は中学近辺の警察署によく足を運んでいた。もちろん(?)灰谷兄弟のやらかしで。

 初めの一、二回で早々に訪れなくなった担任とは対照的に、補導された後輩宛に、警察署に毎度毎度差し入れを届けに行く先輩。ご親戚かなにか? いえ同じ部の副部長です。特に幼馴染でもない。

 

 そんな変人、そりゃあ警官たちの記憶にも残る。

 

 記憶に残っていたので、灰谷兄弟が身元引受人候補に挙げた名前を〝まあ……あの子ならいいか……〟で補導の一報を入れた。一報を入れられた側の純丘からすれば、正気か? という感想しか出てこない。

 純丘榎はまだ未成年どころか十八も越えてない。

 

 正気だろうと狂気だろうと実際罷り通ってしまった結果が、身柄請書へ書き込んでいる今。

 そして罷り通した方も方だが、突っぱねずに律儀に迎えに来るし律儀に書類を書く方もどうなのか。

 

「なんもしてねーよ?」

「なんもしてねーんだ?」

「なんもしてねーよ。な、兄ちゃん」

「そーそー、ってのに警察(サツ)のやつらさあ」

 

 竜胆に話を振られた蘭も、わざとらしく肩をすくめてみせる。ふうん、純丘の相槌は興味低め。

 

「再会記念に遊んでただけだぜ? ちょっとテンション上がって羽目外したけど」

「……羽目外した?」

「関節も外した♡」

「君それでよく警察に文句言えたな」

 

 興味低めの相槌が、一気に呆れ果てた声色になった。上手いこと言ったつもりか。

 

「骨は折ってねえよ」

「君ら骨折させなきゃ何してもいいと思ってないか?」

 

 というかなんかこないだ似たような主張された気がする——既視感に囚われる元副部長の心中などつゆ知らず「そうじゃねえけど」竜胆は言う。

 

「骨折れると骨格変わるから、身体の稼動範囲が明らかに変わんだろ」

「露骨に色形変わっから周りもビビらせやすいしな」

「もうそれは折ったあとのメリットだろ。主張の根幹が〝骨折させなきゃ良い〟じゃなくて〝骨折させたほうが良い〟になってるだろ」

「だろ?」

「だろってなんだよ」

 

 投げやりに純丘に聞き返されて、竜胆はやけに真面目くさった顔を作った。くだらねえこと言い出したいんだろうなと純丘は思った。

 本当に真面目な話をするとき、彼らは冗談じみた態度から入る。

 つまり不意打ちで凄んでビビらせるヤクザの手口。

 

「だってのに折ってないんだぜ?」

「もしかしなくても今君らは〝骨を折った方が早いのに折らなかった〟の方向性で話してたつもりだったんだな?」

 

 十三歳にして傷害致死でパクられた兄弟の自制心はやはり一味違った。まず再会記念で遊ぶぐらい友好的な相手の骨を折ろうとするな。

 治安最底辺の話でニコニコと楽しそうな元後輩たち——打てば響くのが面白いらしい——の身柄請書を書き終えて、純丘はボールペンをカチと一度鳴らした。もう片方の手がバインダーをぷらぷらと揺らして、おもむろにカウンターテーブルの上に投げ出す。

 天板の上を軽くすべったバインダーは柱にぶつかって大人しくなった。

 

「ところでそろそろドベ治安コントやめるぞ」

「は? ノリ悪」

「ご機嫌フリーフォールもあとでにしろ」

 

 純丘の声色の変化はわかりやすい。灰谷兄弟のおふざけにふざけて返すときは、通常の三割増しほどトーンの起伏が激しくなる。逆に真面目な話の際は、声色は一貫して平坦になる。

 

「……はーいはい」

 

 おふざけから真面目に戻るときは、特に。

 バインダーには複数枚の書類が挟まれている。一番上の二枚が、灰谷兄弟の身柄請書だ。

 それら双方を一息にめくって、現れた書類を純丘はボールペンの頭で指した。

 

「それで、この場合、この彼らのぶんも書いた方がいいのか」

「んー……イザナと鶴蝶のは、まあ。他に書くやつもいねえだろうし?」

「他は?」

「めんどいから良くね?」

 

 あっけらかんと言う蘭に「言うて、君が書くわけじゃないだろ」純丘は返す。

 

「じゃ全員」

「まじか」

「まじまじ」

 

 

 

 さて当然、書類を書いたならば、提出し、必要事項が過不足なく書き込まれているか確認する必要がある。

 この場合純丘が書類を提出するべき相手は署の警官で、必要事項の確認は、当の警官が行う。

 

「信じられないもんだよ、本当に。嫌になるねえ」

「そすか〜」

「確かにさ、昔だってヤンチャはあったけどね。ただ、そう、ここまでじゃなかった。今の若い子は手加減を知らない」

「なるほど〜」

「可愛げ? そういうものがなくなった。ほら、あの、神戸の事件とか、ねえ? 洒落にならないことばかりだ」

「そうなんすね〜」

「やっぱりああいうのはどこかしらネジが外れてるんだね。欠陥品でさ。檻に閉じ込めてどうにかなるってのが大間違いだよ」

「へえ〜そろそろ手続き進めてもらってもいいですかね?」

 

 愛想笑いを浮かべて急かす純丘に、聞く気がないのは自明の理。相槌からして雑というか相槌打ってるだけマシというか。

 中年の警官はあからさまにむっとした表情を浮かべた。

 

「君も弟さんの尻拭いなんて、苦労しているんだろうけどね、それでも叱ってやるのはお兄さんの役目だろう」

 

 数拍の間を置いて「お兄さん?」と咎めるように問われたところで、ああ、と純丘は思い至った。

 

 弟さんってあいつらか。

 んでお兄さん俺か。

 ……いやだいぶ久しぶりに間違えられたな。

 

「……まあ」

 

 所在なさげに首を掻く純丘に「ほら! それだよ」警官の声のトーンが跳ね上がる。

 

「近頃の若者は生返事ばかりで、だから何事にも力を入れない、本気になれないんだ」

「へえ……」

「だから規律も平気で破るし、ヤンチャって言葉じゃ済まないことばかりする。ゆとり教育なんて流行っているけれど、あれは失敗だったと思うよ」

「ほん……」

「ひどい世の中になったね、やっぱりね、無闇矢鱈外国にかぶれちゃって。やれ褒めて育てるだの、手を上げちゃ暴力だの、そんな甘いこと言ってるなんて、危機感がなってないね」

「……はあ」

「曲がった根性は大人がビシビシ躾けていかないと。マスコミに叩かれるとか、そういうことに怯えるのはね、良くない。とても良くないよ。しっかり向き合うつもりがないんだ」

「……」

「聞いているんだろうね?」

「一応」

 

 純丘は短く答えた。彼は脳内では夕飯の献立を考えていた。

 今冷蔵庫なに入れてたっけ? 買い物行かなきゃいけねえかな。どっか近くで特売やってた気がすんだけど。

 

「全く……」

「香川さんそろそろ昼休みですよね? 代わりますよ」

「ああ、どうもね、ほんとに……」

 

 後ろから顔を出した年配の警官に、少し頭を下げて、中年の警官——香川——は、カウンターの向こうに消えていった。

 瞬間、高い舌打ちが響く。

 

「手続き中は大人しくしてろっつったろが」

 

 愛想笑いを削ぎ落とした純丘が背後を振り返った。

 ちょうど、くわ、とあくびをしたのは望月だ——しかし今の舌打ちは彼のものではない。

 

「無視か? おいこら、蘭」

「す〜ぐ俺のせいにする」

 

 二つ折りケータイのテンキーをカチカチ弄くりながら、蘭は溜息混じりに反論した。

 

「もう少し他を疑えよ。鶴蝶とか」

「は?」

「いや今のは君だろ」

 

 突如振られた鶴蝶の、小学生らしからぬキレ方に純丘も被せていく。

 

「俺だけど」

「ほらな」

「くだらねえ長話してる方が悪いデショ。第一今の、手続き関係ねえじゃん。昼間っから酒でも飲んでんの? 税金泥棒かっての」

 

 開き直ったが如くつらつらと言葉を並べる蘭。頑なにケータイの画面から視線を離さない。酒飲んでたら困るな、純丘は平坦に返した。

 なお税金泥棒とは言うが、律儀に税金を納めるつもりなど蘭にはないのでただの言葉の綾。

 

「兄貴じゃねえけど……谷垣のジーさん、さっきのオッサンなに? 見覚えなくね?」

 

 眼鏡のレンズ越し、竜胆が不快そうに目を細める。

 

 大抵の署員に見覚えがあるほど、短期間で特定の署にお世話になっていなければ、こんな発言は出てこない。警察は公務ゆえ異動が多く、人員の入替えが激しいためだ。

 要は竜胆の素行が悪い。

 

 年配の警官——〝谷垣のジーさん〟こと谷垣警視——は「香川さんは今年転勤されてきた方だよ」答えつつ、一通り書き込まれた書類の項目を確認していく。

 確認を待つ純丘は慣れた様子だ。カウンターテーブルに肘をかけ、体重を預けている。

 

「安全課の課長で、キャリアで、警視で、警察庁(サッチョウ)から来たってよ。所轄への異動が久しぶりとかなんとか」

「興味ねえわ〜」

「声を落とせ」

「今回はあっちだって興味ねえんだからお互い様だろ?」

「君らはそういうの関係なく興味ないだろ」

 

 ああ言えばこう言う兄弟のだる絡みを慣れた様子で切り捨てる。

 

「大人しくしてろ、具体的にはさっき書いたばかりの身柄請書をふいにしかねん言動はよせ」

「へいへいへいへーい」

「そして、声を、落とせ」

「文句しか言わねえな」

「君らがな?」

 

 丁々発止のやり取りを切り上げて、純丘は再度カウンターに向き直った。ちょうど谷垣が書類の検分を終えたところだった。

 

「はいどうも、問題ないね」

「ありがとうございます。あとこれも」

 

 ボールペンは警察署の備品を借りたもの。純丘が差し出すそれを「はいはい」谷垣は受け取る。

 

「純丘くん、お菓子は……高校生だから、もう要らないかな」

「いやめちゃくちゃありがたいすね。バイキング食い放題とかのが嬉しいのは確かっすけどめちゃくちゃありがたいすね」

 

 苦学生の懐事情は切ない。男子高校生の食欲は底がない。二つ合わせて腹ペコマン。

 食い気味で言う純丘に谷垣は少し首を傾げた。

 

「ばいき……それはよくわからないけれど、焼肉の食べ放題なら、明後日で期限切れの券が落とし物にあったなあ」

「くれんすか? ま……ほんとに? いやもらっていいんすか?」

 

 ぱっとカウンターに両手をついた純丘。矢継ぎ早の問いからもわかる通り、目が明らかに期待で輝いている。

 谷垣はうんうんと首を何度か縦に振った。言葉を交わしながらも、ボールペンを筆立てに差して、書類を机の上で揃えている。その手付きに淀みはない。

 

「一月ぐらい引き取り手がいないし、拾ったのは私だからね」

「くださいください」

「素直だなあ。少し待ってなさい、持ってくるから」

「谷垣〜俺らには?」

「今から親御さんに連絡した方がいいかな?」

「公僕の依怙贔屓はんたーい都庁にチクっぞ?」

「すまないが誰でもいいからそこの兄弟の口ガムテで塞いでくれないか?」

 

 純丘の言葉に、望月が初めて視線を動かして、まともに彼を見た。

 

「ガムテねーだろ」

「靴下でも構わねえよ」

「ああ」

「ああ、じゃなくね、なに納得してんの? え? モッチー? ……オイマジでやめろ」

 

 ちなみに純丘と望月(モッチー)の初の会話がこれ。

 それでいいのかと尋ねられると、たぶん良くないがどうせどのタイミングでも似たような流れになるだろう。

 

 王より年上らしき、灰谷兄弟にひたすら絡まれる男の背を眺めて「……今更だけど」さすがに鶴蝶が話を振った。

 

「誰?」

「フクブのことだよな?」

「名前知らねえよ……」

 

 聞き返されても困るが……。鶴蝶の顔が内心を明確に物語っている。文脈からしておそらくあの男を指してるんだろうなとしかわからない。

 鶴蝶は知る由もないが〝フクブ〟はまず名前ですらない。

 

「……つーか名前()知らねえ」

「フクブは猫被りジジババタラシのクソ変人」

「こいつらまともに説明する気ないぜ鶴蝶」

「竜胆〜聞こえてんぞ」

 

 釘を刺す声色に「聞こえなきゃおかしくね、この距離だろ」竜胆は平然と言った。それもそうだな、純丘は頷いた。

 それもそうだなで済ますあたりが彼らの関係性だ。

 

「お前らの兄貴なんだ?」

 

 イザナの言葉は、無関心と疑問形を取りながら、その実断定するものだった。

 

「ちげーよ」

 

 もちろん違うので蘭はサクッと否定した。

 

 ……え? 蔓延するなんとも評しがたい空気。じゃあさっきの警察(サツ)の台詞はなんなんだよ、意訳すればこういう感想が共有される。

 〝手続きに関係ない、くだらない長話〟を聞いていたのは、実はイザナを含めた全員だった。

 一見誤解されやすい距離感だが、灰谷兄弟と純丘が親戚関係ですらないのは、書類を見ればひと目でわかる。まず彼らはこの警察署では〝あの子たち〟で通じるので、関係性も把握されている。

 

 だから先程の警官は灰谷兄弟にさえ〝あっちだって興味ない〟と評されるワケ。

 

「よく間違えられっけど。血も戸籍も無関係。つか顔似てないだろ」

「まあ人類皆元を辿れば一匹の猿だから、そういう意味では血は繋がってんのかもな。百兆分の一ぐらいは」

 

 ようやっとカウンターテーブルから離れた純丘。蘭の言葉を補足して「ほら行くぞはよ立てすぐ立て」急かすので、各々悪態や生返事をしながらのろのろ立ち上がる。

 彼らが占拠していた待合室のソファは、育ち盛りの小中学生計五名の重みで完全に潰れていた。

 

「お世話になりました。いろいろありがとうございます」

「あんま無茶すんなよ」

「気をつけて帰りな」

「学校がんばれ〜」

 

「……や、キモ……」

「こえーよ」

「いつ見ても引くわ」

「いつもなのかよこれ」

「悪化してはいる」

 

 一足先に自動ドアをくぐった五人は、ガラス戸越しの暖かい光景に普通にドン引いていた。

 ここ警察署なんだよな? 親戚の家とかじゃなく? 俺たちに縁のない真面目ちゃんでも早々こうはならないだろ。

 

 彼らの所感はとても正しい。

 

「出口でたむろすんな」

 

 そしてこれは遅れて自動ドアをくぐった純丘、開口一番の発言。

 

「あと望月くんと黒川くんと……鶴蝶くん? はこのあと暇で昼飯のアテが今のところなかったりしないか?」

「なに?」

 

 胡乱げな目つきのイザナが尋ね返す。

 純丘は手元のチケットを振ってみせた。

 

「焼肉タダ券が四人分二枚あるんだが」

 

 

 

 脂が跳ねて弾ける音をBGMに、純丘は灰谷兄弟との関係性を軽く説明し——度々飛んでくる横槍をあしらいながら——「つまり、元先輩後輩ってだけ」最後に簡潔にまとめた。

 

「……ああ、フクブって副部長の略か」

 

 もっくもっく頬に米を詰めながら、イザナが小首をかしげた。

 

「腹の方かと」

「殴られる部位的な?」

「そう」

「なるほどな……なるほどな?」

 

 純丘は冗談のつもりだった。

 

「それは思った」

「思ったのかよ」

「でもフクチョーだと(オサ)っぽくなンだろ」

「感性が独特だな……」

 

 独特と評された竜胆。その箸は付け合わせのキャベツを捉えている。食べ放題のわりに行くのがキャベツ。

 感性が独特なんだよな、純丘は改めて思った。

 

「……いや待て、そこ置いたばっかだからまだ取ンな」

 

 さて今の純丘は、利き手には箸、逆の手にはトングを所持している。焼肉奉行のそれだ。

 全員焼けた端から容赦なく攫っていくわりに、肉を並べること自体は興味がないらしい。

 

「レアじゃねえと食ってる気がしねえ」

「レアどころか生だわ」

 

 箸で箸を止められた望月が隣の男を睨んだ。純丘は静かに首を横に振る。箸に入れた力は強く、微動だにしない。

 

「俺には食中毒者を病院に担ぎ込んでやる優しさはあるけど、保険証持ってきてやる優しさはない」

「保険証持ってねえ」

「尚更やめる判断を……いや力つっよ、焼くから待て今軽く炙るから。蘭、そこの炭動かしてくれ」

「自分でやれ〜」

「竜胆動かしてくれね」

「兄ちゃんの代打とかやる気でねえ」

 

 気のない返事を寄越す灰谷兄弟に「アそう」純丘は平坦につぶやいた。熱気と灰谷兄弟に煽られ、彼の額には汗が浮かんでいる。

 空気を読んだ鶴蝶が、炭バサミを用いて炭をそっと動かした。

 

「ありがと鶴蝶くん。お礼にバーガーのクーポンやるよ」

「……アザス……?」

 

 テーブルの斜向いから、よれたチラシの切れ端を渡す純丘。内心首を捻りながらも、腕を伸ばして受け取る鶴蝶。

 

「は?」

 

 当然即座に不満の声が上がった。

 

「良し焼けた焼けた。……いや早いって」

 

 意に介さない純丘が箸から力を抜こうとした瞬間、眼前から肉が消失する。鳶でもこう鮮やかにはいくまい。

 ともあれ焼けて手が空いた純丘。向かいの席からゲシゲシ脛を蹴る兄弟を思いっきり蹴り返す。空いたのは手だが出るのは足。

 

 ……明らかに金属が凹んだ音がした。

 

「ウワ靴の鉄板曲げやがった」

「……店の備品やったかと……」

 

 鉄板曲げる蹴りってフツー骨折れね? さっき俺らに呆れてたのどこの誰?

 ということは敢えて指摘せず「てか鶴蝶だけ贔屓とかなしだろ」そう口火を切ったのは蘭だ。

 

「媚売ってんの」

「むしろ買収じゃね」

「イザナの下僕を? アもしかしてここで一番ガキだから?」

「児童買春とかクソ悪党じゃん」

「生きる価値なくね?」

「死ぬほどボコってやんねえと」

「君ら再犯でとんぼ返りするつもりか?」

 

 彼らのやり取りを聞いて、イザナがわずかに身動ぎをした。その腕が鶴蝶を庇う素振りを見せる。おそらく若干本気にしている。

 人聞きの悪さがこれ以上加速する前に「俺の趣味は強いて言えば年上」純丘は淡々と言った。

 

「それ以前に、君ら相手でもやるつもりだったよ、言う通り動かしてくれればな」

「あとからならなんとでも言えるだろ」

「口だけじゃ誠意が足りねえよな〜」

「薄々思ってたけど、やっぱ君ら、院入ってる間によりウザくなったろ。楽しんだだけで全く更生してないだろ」

「それが?」

 

 一笑に付した蘭に、なにかを続けかけた純丘がふと考え込むように口を噤んだ。

 

「……なに?」

「……真っ当に叱ろうとしたけどここに教師いないし意味ないな、話題変えていいか?」

「……少しは考えてから物言えよ……」

「……俺が言うのもなんだけど、説教かましてくる理由の中でも最悪の動機だな」

「イザナが言うのは本当になんだよ」

「ア?」

「サーセン」

 

 遠回しでもなく説教が点数稼ぎと宣う高校生。それを諭す、傷害と脅迫と自殺教唆をコンプしている中学生。

 構図がもうろくでもない。

 

「知らなかったと思うけど、俺、今日は月イチの完全オフだったんだよ。朝三時に署から電話こなけりゃ。睡眠が足りないんだわ」

「カワイソ、肉貰うな」

「気遣うフリならもうちょい真面目にやれ」

 

 総長焼けました、とひたすらイザナに肉を献上する斑目、黙々と米と肉を掻っ込む武藤(ムーチョ)が、たぶんこのテーブルで一位二位を争うぐらい平和。

 

 補導されたのは、灰谷兄弟、望月、イザナ、鶴蝶の五名。そこに純丘を加えれば合計六人。

 しかし食べ放題チケットは四人分✕二枚で八人分。

 

〝追加で二人呼べるやついたら呼んでくんね、勿体ないし〟

 

 純丘の言葉とイザナの呼びかけで、結果招集されたのがこの二名だ。S62世代が全員揃ってしまった。

 当焼肉店がオープンして以来最も治安が悪い可能性すらある。

 

 そしてこの時、純丘はようやく、黒川イザナが黒龍(ブラックドラゴン)の現総長だと知った。

 八代目、へえ、老舗旅館みたいだな。以上が純丘の感想だ。さすがに老舗旅館に失礼。

 

 なお純丘は黒龍(ブラックドラゴン)がどういう集団かは知らない。

 おそらく知ったところで感想に変わりはないが、それはそれとして知らない。

 なんなら灰谷兄弟含めた彼らがどういう経緯で知り合ったのかも知らない。

 

 大方ろくでもないんだろうな、ぐらいは察している。

 

「ところでさァ」

 

 ふと机に両肘をついたイザナが、うつくしく笑みを浮かべた。

 またの名を又候なにやら企んでいる笑みだ。

 

「純丘って、灰谷兄弟に弱味でも握られてんの?」

「特に心当たりはないので握られてないと思う」

「俺らも握った覚えねえな〜」

 

 残りの肉とりあえず焼いとこ。純丘は網を引き直して、ぺらぺらと肉を並べていた。つまんね、鼻を鳴らしたイザナが視線を外す。

 お気に召さなかったようで。

 

「お前らみてェなイカレ兄弟の世話とか、フツー、罰ゲームでも勘弁だろうにな」

「へえ……ムーチョ、ずっと黙ってっからてっきりウスノロすぎて人の言葉忘れたのかと思ってたけど、そうじゃねえんだ?」

 

 肉を食べて満腹になって、ついでに血の気が有り余った複数名の一触即発な空気。彼らとしてはこれでも半分冗談で「つまんない試合(ケンカ)、すんなよ?」「俺兄ちゃんの次な」野次や参加表明が飛び交う。

 

 一応まだ店内ですがそれは。

 

「乱闘は好きにすりゃいいけど」

 

 カルビとタンをひっくり返しながら、純丘は静かに告げた。

 

「最後まで勝ち残ったやつが代表して参加者全員署まで運んでもらうぞ」

「天下一武道会かよ……」

「優勝賞金は前科と入院費な。……斑目くん、あんま自分で食ってなかったろ。焼けたけど要る?」

「ザーッス! 頂くッス!」

 

 この中で最もわかりやすく〝こいつ絶対ヤバい不良だよな〟と言われそうな容姿——刈り上げた頭部左側面の刺青、金髪、数多のピアスに顎の縫合痕——ながら、現在純丘に最も素直なのが斑目だった。他がタチが悪すぎるとも言える。

 ……悲しいことに鶴蝶は先程の会話で純丘を警戒している。

 

 細っこいけど食える? いける? アザッス! 全然食えます! 素直ではない後輩ばかりを相手にしている純丘、世話も肉も積極的に焼いている。完全に楽しんでいた。

 

 かの食べ放題券の制限時間は二時間。ドリンクの氷は既に溶け切っていて、ほぼ水のコーヒーや烏龍茶のグラスがつくった結露の水たまりも、半ば乾いていた。

 彼らには、グラスを毎度律儀にコースター上に戻す可愛げはなかった。

 

「結構いい時間だな」

 

 一通りの肉が各々の胃の中に収まって、純丘がケータイの画面を開けば、時計は残り二十分ほどのタイミングを示していた。

 

「……そういえば、黒川くんと鶴蝶くんと望月くんの三人は、寝床まで帰る足か金は持ってるのか」

「そりゃあ」

「ちなみに俺が今言った〝寝床まで帰る足か金〟は、窃盗、無免運転、原付での二人乗りやサイドカーを使用しない三人乗りなどの交通違反、その他の非合法な手段以外のことだからな」

 

 一拍置いて、イザナが微笑んだ。

 

「俺ら、なんだと思われてんの?」

「つまりないんだな」

 

 意訳。

 〝非合法な手段以外を用意してると思ってんの?〟

 

「ンでその様子だと他二人もないんだろうな」

 

 やっぱり灰谷たちの知人だなあ。純丘はしみじみと思った。しみじみするポイントがおかしい。

 

 純丘が普通自動二輪免許を取得したのが、高校入学すぐ、十六歳の誕生日直後たる四月下旬のこと。そこから既に一年が経過しているので、普通二輪での二人乗りが法律上可能。

 灰谷兄弟だけなら、どのように文句をつけられようと二輪の後部座席とサイドカーに放り込めば済む。

 

 たださすがに三人まとめて送り届けることはバイクではできない。

 

「そこの三人、寝床どこだ?」

「詳しい場所は知らねえけど、イザナたちが横浜、モッチーだけ川崎」

「なら各人千円あれば交通費は足りるだろ」

 

 言いながら財布——ボロボロかつぺらぺら——を出した純丘に、竜胆と望月が顔を顰めた。それぞれ別の理由からだ。

 

「金欠がカッコつけんなよ」

「今日の飯代浮いてるし、さすがに後から合流組は自力で帰ってもらう。そこの灰谷どもはバイク送迎か俺の家か選べ」

「あのクソダサいサイドカーはまぁじで嫌ァ……」

「ダサくないサイドカーが安いわけないだろ」

 

 彼らは最寄りのレンタルバイク店に誠心誠意謝るべきだ。

 高価な買い物を極力避けている純丘は、免許こそ持っているが、自前のバイクを所持していない。

 

「施しは要らねえ」

「バカ言え、義務だ」

 

 跳ね除けられた夏目漱石を二つに折り、襟の隙間にねじ込んで「わかりやすく説明してやろうか」純丘は目を細めた。

 

「たとえば君らが〝自力でどうにかした〟結果、万が一パクられると、身柄請書を書いた俺の評判と信頼が落ちる。〝俺が責任持って大人しくさせとくので、自由にしてあげてください〟って誓約を破ったことになるから」

 

 イザナと鶴蝶の手にも一枚ずつ千円札が渡される。安っぽい財布に収まった紙幣の中でも、比較的、折り目もしわも少ない。

 汚れていない紙幣の方が自動券売機でエラーは起きにくい。

 

「そして次から焼肉食べ放題券が五百円商品券ぐらいになる。焼肉食べ放題八人前が〇.二人前に化けてしまう」

「いや単位おかしくね?」

「肉は重要だろ。……君らにとっては、今後なにか誤魔化したいときに使える、かもしれない手段がひとつ消える。道具も人も使いようだろ、正しくなくていいから賢く使え」

 

 三枚の紙幣を配って空になった手が、テーブルの伝票を攫う。

 

「俺としては、一緒に肉食った時点でだいぶ今更だと思うしな。……ところで、六本木から川崎横浜って、メトロ経由で行けたよな?」

「知らね、電車乗らねえし」

「君らも港区に住んでるだろ……よくそれで日常生活成り立つな」

「タクも単車も足もいんのに、わざわざ家畜の乗り物使うわけねえじゃん?」

「鉄道会社と家畜に頭下げて詫びてこい」

 

 社畜にも詫びてくるべきだろう。

 

 足が()()という不自然な言い回しは、純丘は敢えて聞かなかったことにした。中学生の単車ってそれつまり無免、とかも気づかなかったことにした。

 俺の前ではやらせないが俺の前で起きてないことは知らない。無責任な発言じみているが、そも責任を負うべき立場ではないので、理は適っているといえばそう。

 

 ていうか言って止まるなら勝手に止まってんだろとも思っている。

 だいたい合ってる。

 

「……純丘さん」

「うん?」

「今聞いた説明だと、乗り換えあると思うんすけど」

「まあ」

「……どう、やるん、すか……?」

 

 ——これもまた、当たり前といえば、当たり前の事象として。

 常に徒歩かバイク(無免許)で移動する、貧困家庭の素行不良小中学生。

 

 切符を買うのも未経験だった。

 

「……よし灰谷ども、ついでにお優しい俺と電車体験だ」

「は? いやなんで俺らまで」

「目ェ離してる間監督できないから」

「最初金渡すだけ渡して帰そうとしてたくせに?」

「……公共交通機関使う君ら絶対面白いよな……」

「まじで死ね〜」

「君らも家畜になるんだよ」

 

 結論から言うと、他の乗客からめちゃめちゃ遠巻きにされた。




身柄請書
:法的な規定はゆるい
 が、まあ、ふつう、保護者が書く

神戸の事件
:さかきばら

ゆとり教育
:提唱は一九七〇年らへん
 広義では一九八〇年〜
 狭義では二〇〇二年〜
 〜二〇一〇年代まで

体罰
:戦前は歴とした傷害罪扱い
 →戦中特有の教育で認識が盛大にガバった
 →死亡事件等で一旦「ヤバくね?」と収まりかける
 →一九八〇年代にまたガバる(ヒント・不良)
 →一九九〇年代半ばに意識改革(子どもの人権とか言われ始めた頃)
 →暴言とか精神的被害が問題視され始める時代はもうちょいあと

落とし物
:普通他人に渡すわけがありませんね

鉄板
:仕込んでそう(偏見)

夏目漱石
:一九八四年十一月〜二〇〇七年四月間に発行された千円札

社畜
:この十年前ぐらいの流行語にノミネートしてる
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