【完結】罪状記録   作:初弦

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筺底の結果の確定法

「刺されたァ? 場地が?」

 

 斑目が声を上げて立ち上がり、眉を寄せるようにして、まじまじと見つめた。

 

「……わかんねえな。傷なくね?」

 

 しょんと眉を下げて座った。そのままぐるっと右側に顔を向けた。

 

「おい竜胆、見えたか?」

「ヤ。……見えねっすね。東卍(トーマン)の野郎が腰飛びついてたのは見てたけど」

 

 竜胆は眉をひそめて、首を横に振る。

 いい加減廃材に座っている時間も長くなってきた。尻の位置を若干ずらして、言葉を続ける。

 

「あとは、爆速でハネミヤ吹っ飛ばされたぐらい……兄ちゃん、見えた?」

「刃渡り十センチだか十五センチくらいの?」

「見えたのかよ!?」

「見てねえよ」

 

 蘭は平然と答えた。竜胆はガクッと肩を落とした。

 

「なんでそうやってしらっとホラ吹くんだか」

「ホラじゃねえけど」

「は?」

「俺、オマエらより一段上にいっから。視座が違ェんだわ」

 

 冗談めかしているが蘭の目元は冷えていた。ちなみに一段上とは、観客席代わりにしている廃材の位置的な意味だ。

 灰色の袖に包まれた腕が上がる。真っ直ぐに伸ばされた指が、延長線上、白のジャケットを羽織った少年を示した。

 

 場地だ。

 

「ジャケット、変に出っ張ってんの、わかんねえ? さっきまでなかった。風向きで膨らんでるにしちゃ角度がおかしい。刺されたのがマジなら、あれが柄頭だろ。ナイフの」

「……刺さったままってことか?」

「タブン?」

 

 緊張感の欠片もない物言いだ。

 話が事実だとすれば緊張感は持って然るべき場面のはずだ。

 

 あいにく蘭の言葉は冗談ではなく、ただただ、彼から見た見解を正直に述べている。

 大怪我にも人死ににも、灰谷蘭は、動揺しない。対象がどうでもいい人間である限り。そこに知人他人の垣根はない。

 

「あの出っ張り方なら、刺さった根本から柄頭までだいたい十センチちょい……まァ二十はねえな。刺したのはまず羽宮だろーし、あいつがとりついてたの、竜胆が言った通りマジで一瞬だから、刺したのがまだ抜けてねえならほぼ垂直に刺したんだろ」

 

 こう、と、蘭は緩く握った拳を逆手に振り下ろしてみせる。

 

「柄ギリまで刺さってたとしても、バリソンなら長くて十五。あいつの体格とか服装見てると、全長三十だの四十だのある大振りのナイフはさすがに隠す場所がねえ」

「すげえ! 兄貴名探偵じゃん」

「今度から蘭兄ちゃんって呼べよコナンくん」

「なんで呼ぶと思ったんだよ逆に」

「ア? オマエ兄貴の決定に口出せるぐれェえらくなったのか?」

「そこじゃなくねえ?」

 

 斑目のツッコミが限りなく正しいが、悲しいかな、この三人のうち今最も常識的な思考を維持しているのが斑目だ。

 そして灰谷兄弟双方が斑目のことそこそこ嘗めているので聞く気がない。

 

 そんなことある?

 あるんだなコレが。

 

「てかそうだ、兄ちゃんそれだいたいどのへん?」

「このへん」

 

 蘭の靴底が竜胆の左下背部を蹴飛ばす。けっこう強めの蹴りだった。

 衝撃に、鍛えた身体はほとんど揺らがなかったが、竜胆は半目で蘭を振り返った。

 

「……オキニのタートルネックなんだけど? ゼッテェ靴跡ついた……」

「誰だよどのへんか聞いてきたの」

「俺だけど今明らか蹴る必要なかっただろ。……マジでこの位置?」

「まァ場地(アイツ)のが竜胆より微妙に背ェ高いし、細ェから、確実にそうとかは言えねーよ?」

「あそー」

 

 生返事だ。

 別に、蘭の言葉を信用していない、等の理由でこの返事なわけでもない。

 

 首を捻った竜胆が、己の頬を親指で数度撫でる。幼少から共に過ごす兄弟たる蘭はもちろん、斑目も、少年院時代からこういう竜胆を何度か見てきた。

 黙ったまま、彼らは数秒観察する。

 

「……刺されてるんなら。場所によるよな。運が悪けりゃ、腎臓か、胃袋か、肺あたりのどっか刺さってそうだけど。あれマジで刺されてたら痩せ我慢にしたってあそこまでフツーにしてられねえ気ィするから、内臓は掠ってねえのかもな」

 

 灰谷兄弟は、地頭は悪くない。観察力が高く、眼前の物事を瞬時に分析して提示するのはたいてい蘭が行っている。人間関係の機微もおそらくは蘭が詳しい。

 

 ゆえにあまり表には出てこない特徴として、実のところ、一定の専門知識においては竜胆が蘭を大幅に上回る部分が多々ある。

 

 関節技を学ぶにあたって、人体の構造を、竜胆は己の記憶野に叩き込んでいた。内臓の配置も。骨格の造りも。血管の場所も。

 どこを壊せば死ぬのか。どこまでなら壊しても死なないのか。

 

 殺すことは何も怖くない。

 何も怖くないから、不必要に行って、処理の手間を増やすのは面倒だ。

 

 殺さないに越したことはない。

 その判断に命の価値の吟味は含まれない。

 

「あとたぶんデカい動脈は無事。だと思う。っつかやられてたら血圧下がって立ってるどころじゃねえし……馬鹿だからわかんねえとかあんのかな」

「バカは風邪引かねえってか。でも、ンならまあ、軽傷ってとこ?」

「どーだろ。デカい血管でも静脈ならラグあるし。ちょっと暴れたあとぷつーん! ……かもな?」

 

 首を切る仕草をひとつ、そして、きゅっと瞳をたわませる竜胆。

 こえーねオマエ、蘭は気のない声で言った。途端にじっとりと己を見つめる弟に内心ニコニコしている。玩具にしてやるなて。

 

「どの口が……」

「なあ竜胆、それさあ、死ぬ確率あるか?」

 

 斑目の確認のような問いかけに、右横に視線を移して「えー……」竜胆は声を伸ばす。微妙に嫌そうな色を含んでいる。

 

 極端な話、可能性で論じればそりゃあ人間いつかは確実に死ぬので死ぬかもしれませんね。いつかは。

 とかいう揚げ足取りじみた回答は置いといて。

 

「マジで場所とか深さとか傷口のデカさとかによるんすけど。それこそ、デカい血管切ってたり、内臓掠ってたら、そりゃ放置してたら死ぬんじゃねえっすかね」

「アー、エェト、もしかしたら死ぬかもしれねえんだな? どんぐらいの時間で死ぬとかは、わかんの」

「失血は俺あんま詳しくねえんすけど。……万が一、動脈切ってるの気合いでなんとかしてるんだと、場合によっちゃマジで十分持たないらしいっすよ。喧嘩で動いて血ぃ回りまくってるだろうし」

「ヤバかったら十分持たねえんだな?」

「そっすね……?」

 

 言いながらも竜胆は首を徐々に傾けていった。

 

 斑目獅音という男は、確かに、たまにと言うにはわりとよく小物じみた振る舞いをする。するが、だからといって他人の死ぬ時間を具体的に尋ねる挙動はしない。

 極悪の世代の一員として、斑目もまた悪趣味な行為を楽しめる人間だが、発露の種類が明確に異なる。

 

 斑目は短絡的でこそあるが、たとえばいざうっかり人を殺してしまった場合は〝やべえマズいことしちまった〟と慌てるような、手遅れであっても倫理観の消炭がギリギリ残っているタイプだ。

 その点で言うとそれこそ灰谷兄弟はマズいことになったとすら思わない。処理面倒だなーとか、身代わりどっかから持ってくるかなーとか、考えなくもないが明らかに起因する感情のジャンルが違う。

 

 もしも斑目が、今まさに人が死ぬかもしれない、という可能性をとても重く受け止めているなら。根掘り葉掘り、何秒何分何時間だの、竜胆に逐一聞かず、さっさと退散するはずだ。あっ俺そいや用事あったワ〜くらい適当な言い訳をして去っていく。

 自分が関わってなきゃ、他人が他人を刺して殺したとかどうでもいいので。いけ好かねえやつ同士で殺し合ってくれぐらいに思っているので。

 

 ギリギリ残っている倫理観も所詮消炭程度と評される所以だ。

 

 逆に、死ぬかもしれない、という可能性を大して気にも留めてないなら〝だっせェなオイ〟と勢いよく扱き下ろすだろう。軽いトーンで嘲笑うのであって、怪我の度合いや危険性をわざわざ確認するのは、らしくない。

 むしろ、致死率を見逃したからこそうっかり逃げるタイミングを掴み損ねて幇助犯になるとか、ある種の詰めの甘さを見せるのが、斑目獅音にとっての()()()だ。

 

「獅音さあ」

 

 そこで、蘭が唐突に声を投げた。

 竜胆と同じポイントに、蘭もまた違和感を抱いていた。ついでに彼はいろいろと他にも、思い当たること、考えていることがあった。

 

 つまりだ。

 

「さっきからずっと誰に報告してんの」

 

 ぎくりとターコイズブルーの肩が跳ねた。もうあからさまに跳ねた。

 斑目の視線は明後日の方に飛んでいった。

 

「……ハ? いや知らねえし」

「わっかりやす……」

 

 六本木のカリスマ、思わずしみじみとしてしまうの巻。

 

「えセンパイ、アだから行かねえっつってたのに今日来たんすか?」

「アー知らねえ知らねえナンの話かわっかんねえなァ!?」

「明らか嘘じゃんすか」

「すげェよある意味天才。ナニ、メール? さっきからポケットに突っ込んだ手出さねえもんな。てかそのブルーはマジでオマエの色じゃねえ合わねえ脱げ」

「俺の勝手だろ!?」

「言いながらもう剥いでんだよ」

 

 脱げとか言いながら既に身を乗り出して襟首を確保、引き剥がしにかかっている。竜胆も竜胆で、兄を咎める口ぶりのフリして斑目の左腕を拘束している。

 アッてめえらと身じろぎしても、この兄弟、コンビネーションは本当にピカイチなのでみるみるうちに剥がされる。

 

 蘭が斑目の手をポケットから抜いて流れるように腕から右袖を引き剥がし、背中側を回って竜胆にパスして竜胆は関節を固めたまま左腕側の袖を一気に抜いた。ジャンパーとぉり! 一丁上がり! この間三秒。

 

 ……さながら追い剥ぎのプロだ。

 追い剥ぎにプロとかアマチュアとかそんな概念があるかはさておき。

 

 さて〝オマエの色じゃねえ合わねえ〟らしいターコイズブルーのジャンパーを最終的にゲットしたのが竜胆である。彼は、ジャンパーの襟のあたりにイヤホンが引っかかっているのに気がついた。耳に引っ掛けるタイプで、マイクが付随している。

 コードはポケットに繋がっていて、ポケットからは蘭の予想通り、ケータイが出てきた。竜胆にも見覚えがある。斑目の愛用のケータイだ。

 

 斑目のケータイはスライド式で、ポケットの中でもケータイを開いた状態だったらしい。

 画面は点灯していた。通話が切断されましたと記されている。メールではなく電話での報告だったようである。そこまではいい。

 

 そこまでは。

 

 竜胆は、通話相手の名前をまじまじと見つめた。

 読み間違えようもなく、シンプルなカタカナ三文字。

 

「イザナ? あっ画面終わった」

「は?」

 

 ジャンパーを剥がされる前には、既に通話が切れていたのだろう。終話画面は一定時間の経過で勝手に閉じられる。

 

 竜胆はケータイを操作して(斑目に無許可で)通話履歴を呼び出して、分数を確認する。五十八分。ほぼ一時間だ。

 弟の横から蘭も画面を覗く——いや返せと横から抗議する斑目——蘭の脳内で、違和感が繋がっていく。

 

 斑目は度々、わざわざ状況を説明したり、会話相手の言葉を復唱するような発言を繰り返していた。通話向こうのイザナに伝えるためだと考えれば辻褄が合う。

 

「これ大将から頼まれたワケ?」

「アー。……どうせボコられっか……」

 

 返せよと再度催促とともに差し出されたてのひら。竜胆は今度こそ素直にケータイとジャンパーを渡した。

 

「なんか今日の抗争気にしてたっぽくてヨォ。ダチとポリ公撒いて遊んで寝るかーってあたりで電話きて、ここ行って報告上げろって」

「獅音センパイもしかして今オール?」

「そー! イザナまじ、人遣い荒くね? 武藤(ムーチョ)はマァ電話してる暇ねえにしたって、それこそオマエらいるじゃんって思ったけどアイツ灰谷は論外とか言い出して」

「論外」

 

 ジャンパーを羽織り直して、斑目は首をコキッと鳴らす。己と兄の形容を思わず繰り返す竜胆。

 

「エいや、待て待て」

 

 つらつらと取り留めもなく話す斑目を、蘭は、そう制した。

 彼の表情は半笑いだ。情緒の出力がバグっている。

 

「つまりオマエなに? ずっとそれ繋いでたワケ? ここ来てから、今まで?」

「だからそう言ってんだろ」

 

 ということは、先程の場地の怪我の確認も、イザナの指示だろう。

 

 ……黒川イザナはほとんど自己開示をしない。必要もない情報を詳らかに開示すること、それ以上に、己の内側に他者が踏み入る行為を強く嫌っている。

 だから、イザナと真一郎に親交があったと知っている人間は、かなり限られてくる。ましてや、兄だと信じて、慕っていた過去は、それこそ数えられる程度の人数だけが把握している。

 

 当時児童養護施設に務めていた職員たち。同じ施設出身の鶴蝶。成り行きで仲立ちを行った純丘。あとは、今も存命の佐野家の人々。

 以上。

 

 極悪の世代も、実のところ、イザナと真一郎の関係を知らない。

 

 東京卍會を(特に万次郎を)嫌っているのは、普段の言動から見て取れる。実際それを汲み取って実行されたのが、九代目黒龍(ブラックドラゴン)による一虎への執拗なちょっかいだ。

 それらとは別建てで、場地とただならぬ因縁があるぐらいは、さすがに、元旦の邂逅でわかっている。

 

 逆にいえばその程度だ。

 

 灰谷兄弟に限定するなら、イザナが、黒龍(チーム)の関係以上に、佐野真一郎の名前に強く反応したのを知っている。真一郎絡みでどこぞの元副部長がイザナと何度かやり取りしていたことも、イザナが一時期音信不通になったのが真一郎が死んだ時期と重なっていることも、知っている。

 彼らは兄弟関係までは勘付いていないが、個人的な交流を察知するのは容易い。場地と、一虎に固執する原因も、連鎖的に予想はつく。

 

「……あーなんか、ええ、ちょっと待って」

 

 であるからして、竜胆もまた、話を整理して考えれば、合点がいくだけの情報を持っている。

 額を抑えた弟を横目に「獅音オマエ」蘭は、八つ当たり気味に言葉を投げつけた。

 

「やってくれたじゃねえか」

「なんだよさっきか、ら……」

 

 ときに。

 たとえばの話をしよう。

 

 特別な感情を抱いている相手がいたとする。これは特別ならば、恋愛でも、家族愛でも、親愛でも、友愛でも、憎愛でも、その他の感情でも、名前がなくても構わない。

 とにかくなにかしら、他のあまねく人々とは異なる、特別な感情を抱いている相手がいたとする。

 

 相手が殺されたとする。

 下手人ないし、その幇助を行ったものが、死にかけていたとする。

 

 あなたならどうしますか?

 

 ……という、あくまでもたとえばの話。

 

 人によって回答は異なるはずだ。どんなに親しい相手でも意見が完全に一致することはありえない。

 

 しかし同時に、類は友を呼ぶという。

 朱に交われば赤くなるともいう。

 

 斑目は灰谷兄弟とイザナをまとめて〝マジで頭やべえやつ〟と言った。表現は最悪で、実際最悪なのだが、侮蔑というよりは斑目なりの称賛だ。

 彼らの価値観は、特に犯罪行為への躊躇いのなさは、かなり近しい。

 

 蘭は、己であれば、灰谷蘭ならどうするか考えてみた。そしてひとつの答えを出した。

 彼なりのシミュレーションから出た結論は〝俺なら死ぬ前にトドメ刺しに行くかも〟だ——少年院での更生プログラムが微塵も効果を為してない。

 

 蘭の回答はただの仮定だ。

 

 しかし。

 

 真一郎が殺されたことも。イザナが荒れたことも。

 実のところ場地が、今まさに、本当に死にかけていることも。

 

 彼らにとっては、現実だ。

 現実でしかない。

 

「おいおい、ずいぶん無様だなァ? いつもの威勢はどうしたよ」

 

 今しがた、東京卍會の特攻服をひとり蹴り飛ばした男がそう宣ったことも。

 

 もちろん、すべて現実だ。

 

 

 

  筺底の結果の確定法

 

 

 

 端的に表現するなら、こうだ。

 

 イザナは激怒した。

 かならず、かの場地圭介を除かねばならぬと決意した。イザナには良心がわからぬ。イザナは、邪智暴虐の王である。極悪を目指し、悪行の限りを尽くしてきた。

 

 メロスに謝れという正論は一旦禁止カードとさせていただく。おまえが邪智暴虐の王なのかよというツッコミも一旦封じさせていただく。変えようのない事実なので如何ともしがたい。

 しかし端的に表現し過ぎだという抗議は尤もといえる。

 

 要約し過ぎた内容を適度に展開して説明していこう。

 

 イザナは、八月の下旬には芭流覇羅(バルハラ)の存在とその概要を把握していた。

 これについては、誰がどういう理由でなにをした結果どうなった玉突き事故をとか、入り組んでごちゃごちゃでわかりづらい経緯はない。ごくシンプルだ。

 

 よりにもよって羽宮一虎の手で、この俺に誘いをかけてくるチームとかおもしれーな喧嘩売ってんのか総長のツラ拝んでやるよ、のノリである。

 

 誘われただけのわりには好戦的過ぎる。一虎も喧嘩は売ってないしなんなら相手が八代目とか知らなかった。とんだ当たり屋だ。

 

 一応言い添えておくと、一虎が黒龍(ブラックドラゴン)と揉めた原因の一端が、というか元凶が、イザナであることもひとつ。

 ついでに、真一郎に直接手を下したのは一虎だ。場地は、結果共犯にこそなったものの、盗みの時点から止めようとしていた側。

 

 結果共犯にはなったが。

 そこは大事なので強調しておこう。

 

 ともあれイザナは立ち上がった。

 行動原理があまりに身勝手かつ暴論の極地である。極悪(キワメ)極悪(キワメ)ればこうなるワケ。

 

 イザナは純丘のように、暴走族のことは出来得る限り知らない見えない聞こえない関わらない、人生セルフ縛りプレイをしているわけでもない。ゆえにわりとさくさく情報は集まった。

 イザナ自身が、不良界で一時期悪名高かったこともある。ほとんど引退同然の生活を送っているが、現役時代に集めた畏怖と尊敬(と、当然恐怖や憎悪)は今も機能している。

 平たく表現すると悪の水戸黄門だ。助さんはいないが(カク)さんはいるのでだいたい一緒。

 

 集まった情報を精査して——総長のツラは拝めなかった——フーンの顔をしたイザナは、そのまま芭流覇羅(バルハラ)の動向を逐一、ひたすら、観察していた。

 もちろん、場地が芭流覇羅(バルハラ)に入ったことも知っていた。東京卍會と芭流覇羅(バルハラ)の抗争がいつどこで行われるのかも把握していた。

 

 ……このように表現すると、まるで、イザナはごくごく冷静に事の次第を見守っていたように思えるかもしれない。

 

 ちなみに実際のところ、イザナがなにをしているのかは知らない鶴蝶でさえ、釣られてピリピリするレベルで気が立っていた。

 たいへんわかりやすいですね。

 

 気が立ってはいたが、それでも、イザナは、見るだけに徹していた。

 彼はなにもしなかった。なにもしないまま、ただ、見ていた。なにが起きるのか、どのように動くのかを観察していた。

 

 あくまでも、イザナが眺めていたのは羽宮一虎であり、途中からは場地圭介も含まれた。また彼は眺めていただけであり、具体的に場地や一虎がなにを思って行動したのか、聞き取りにいったわけでもない。

 背後にある思惑の詳細など知るすべもなく、興味もなく、本音を言うならたぶん知っていたとしてもどうでも良かっただろう。最悪だ。

 

 そもそもイザナは、近頃、めっきり表舞台には出てこなくなった。口がさない者たちは、ついに死んだんじゃないか、横浜(ハマ)の不死身も落ちぶれたなと陰口を叩き、どこぞから聞きつけた極悪の世代にきゅっと〆られていた。

 理由はこれまた簡単で、東京卍會およびその総長たる万次郎を避けに避けた結果である。

 

 本来、黒川イザナの存在を佐野万次郎は知らずに生きていくはずであり、黒川イザナは引退以前に廃人同然の生活を送るはずだった。

 そうはならなかったために、イザナは、特に東京では徹底的に痕跡を消して動いていた。

 

 だからこそ芭流覇羅(バルハラ)および彼らの動向を操る者共には一切、黒川イザナの()()は感知すらされなかった。

 

 真一郎(オニイチャン)を殺した人間を眺めていた。

 万次郎(キライなヤツ)の友人たちを観察していた。

 

 抗争現場に直に見物しに行けば、確実に万次郎に見つかると、イザナは考えた。しかし見物しない選択肢もなかった。

 武藤は仮にも東京卍會の隊長なので話を流す余裕はないだろう。望月は川崎住まいなのでたぶん普通に興味がない。灰谷兄弟に命じるのは、あの忌々しいお節介の顔がちらつく。それに変なところで勘がいい兄弟は、おそらく余計なことに気がつくだろう。鶴蝶も同様で、下手な気遣いや諫言は今のイザナにとって煩わしい。

 なにより斑目はイザナの言うことを律儀によく聞く——調子に乗りがちなのは欠点だが。イザナはこれでも、鶴蝶とはまた異なったかたちで、己に素直に応える男を可愛がっていた。彼なりに。

 

 というわけでイザナは、己の代わりに目となり耳となる男を廃車場に送り込んだ。

 

 斑目からの報告に耳を傾けていた。一緒に入ってくる灰谷兄弟の声に、オマエらどんな距離で話してんだよとやや呆れた。

 鉄パイプで万次郎を殴りつける一虎の発言を聞いた。彼について、灰谷兄弟や自分を引き合いに出して評する言葉を、黙って聞いていた。

 場地が刺されたことを聞いた。そこで初めてイザナは自ら口を開いた。

 怪我の度合いを確かめた。もしかしたら死にかねない怪我かもしれないと締めくくられた。イザナはもとより、共感性が著しく低く、他人の心情など露ほども考えない身勝手さがある——しかしこのときだけは、彼は、場地の心境を鮮明に感じ取った。

 死にかねない怪我かもしれない、ではなく、たぶん本当に死ぬ怪我なのだと、何故か悟った。

 

 そして、そう。

 

 イザナは激怒したわけだ。さながらメロスのように。

 メロスよりもずっと利己的で自分勝手な理論に基づいて。

 

 具体的には、万次郎に見つかるリスクを二の次に回すぐらいには。

 

 通話を切る。彼は、実は抗争の現場たる廃車場から程近い路地裏にいた。既にアイドリング状態だった愛車を駆った。廃車場の観客を一部軽く轢きかけて——轢くな——乱暴に停めた。

 このとき、まだ現場は混乱していた。場地が刺されたという発言と、そのわりには場地が参番隊相手に堂々見せつける奮迅っぷりに、釘付けになっていた。

 

 そも未だ双方のチームが、敵味方入り乱れた乱戦を続けている。だから闖入者に気づいたのはバイクで轢かれかけた数人ぐらいだ。

 テメェコラという怒声は、喧嘩の騒音に紛れて気づかない。イザナの、暴走族にしては小柄な体躯は、人混みを縫って肉薄するのに適していた。

 

 そしてイザナは跳んだ。

 

 軸足を基点に身体を捻る。利き足の甲が東京卍會の隊員のうち一名の後頭部に直撃する。鼻面から廃材に突っ込んだ隊員を一瞥もせずに、蹴りの勢いでさらに前へと身体ごと押し出る。

 踏み込む。手近な少年の肩にてのひらを乗せる。芭流覇羅(バルハラ)の特攻服を身に纏っていた。体重に気づく前に、こめかみに膝蹴りが綺麗に入った。昏倒。倒れ込む少年を踏み台に、イザナは再び跳んだ。

 

 イザナは、あくまでも彼が場地まで辿り着く最短距離直線上にいる隊員だけを、移動のついでに蹴倒していった。芭流覇羅(バルハラ)であれ、東京卍會であれ、それらに隠れ潜む稀咲の手先であれ、平等に。

 抗争している側としてはあまりに傍迷惑である。摘み出して然るべき闖入者だ。

 

 しかしイザナは、仮にもかつて最大規模の暴走族の総長を務めた男。それでいて彼は、チーム内の治安を最底辺に落としながらも頂点として君臨し続けた。

 

 暴力に依る支配はシンプルだ。

 力押しでも搦手でも卑怯でも数にものを言わせても、手段はなんでもよろしい。最終的に喧嘩で勝った人間がチームを支配する。

 単純にして絶対のルール。

 

 イザナは斑目にその地位をぶん投げるもとい譲るその最後まで、誰からだって、一度だって、下剋上を許さなかった。

 

 挑んだ者がいなかったわけではない。もちろんありとあらゆる手段が尽くされた。ありとあらゆる人間が立ち向かった。

 その全員が叩きのめされた。

 

 策も不意打ちも喧嘩の腕も人望もなにもかも——すべて利用したところで、誰もが、イザナたった一人に敵わなかったからだ。

 

 小柄な身体に見合わぬほどの膂力。体躯を、筋肉を縮めて、一歩を蹴って、数mを一息に跳ぶ。進む。

 その俊敏さはさながら重力に囚われぬが如く。

 

 誰も気づかなかった。というのは正しくない。

 気づいた人間はいた。気づいたときには遅過ぎただけだ。

 

 異変を感じ取った観客が飛び跳ねる人影を目で追ったときには、イザナは、抗争の中心に辿り着いていた。

 最後の一人を蹴り飛ばして場地の眼前に降り立った。

 

「おいおい、ずいぶん無様だなァ?」

 

 立ちはだかる参番隊は残り九名と、その先にようやく、稀咲鉄太——場地はしかし、既に膝をついていた。

 

 浅い呼吸を繰り返す少年を見下ろして、イザナは笑みを浮かべている。

 同時に、瞳には感情が籠っていない。どうにも心底つまらなそうに見えた。

 

「いつもの威勢はどうしたよ。まるで(ザコ)みてェだな、今のオマエ」

「……なんっでテメェがいんだよ……!」

「ッハ、歳上への礼儀が成ってねえなァ? 俺さあ、言ったろ。ナマやってたら俺がブッ殺すって」

 

 トントン、側頭部を指先でつついて笑んだ姿は、瞳孔がかっ開いてなければ、その端正な顔立ちも含めて、天使が如き様相だったかもしれない。

 瞳がキマっていると転じて悪魔にしか見えない。

 

 声を絞り出して睨みつける場地は息も絶え絶えだったが、イザナを睨む眼光に、まだ力は籠っている。

 二年前とは違って怯む様子もない。

 

「誰だテメェ! ヒトの喧嘩に首突っ込んできやがって——」

「ジャマ」

 

 声を荒げて掴みかかった隊員に返答は一言。

 そして拳。

 

 振り向きざまに顔面に一撃を叩き込まれて、隊員は軽く吹っ飛んでいった。東京卍會の隊服で、左腕には〝卍参番隊〟と記されている。

 

 ……残り八人。




刃渡り
:五.五㎝以上あるとだいたい銃刀法違反

バリソン
:バタフライナイフのメーカー
 バタフライナイフは折り畳みナイフの一種
 有名なメーカーなので実質代名詞になっている

メロス
:走れメロス冒頭を引用、改編

水戸黄門
:水戸黄門漫遊記(大阪版)およびそれらを多分に取り入れたドラマシリーズを参照


:シュレディンガーかパンドラか
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