【完結】罪状記録   作:初弦

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賽の河原にて賽を振る

「フザッケんな、俺のケンカ盗ってんじゃね、っ、ごほっ」

 

 咳に合わせて、場地の唇からぱたぱたと血が落ちた。廃材にどす黒く染みを作った。

 

「場地さん!? アンタもしかして、ほんとに刺されて——」

 

 千冬の悲鳴混じりの糾問に「ウルセェ! かすり傷だ……こんなん、っ!」場地は怒鳴り返して、また大きく咳き込んだ。喘鳴を含んだ呼吸音が繰り返されている。

 

 竜胆が挙げた可能性のうち、ひとつは、正しく的を射ていた。

 場地圭介は、ナイフの切っ先で左肺下葉を損傷していた。

 

 切り裂かれた肺は萎み、上手く酸素を取り込めない。活動に際して生成された二酸化炭素も排出できない。持続的に続く失血はそれらを加速させる。

 今まで動けたのは、単なる痩せ我慢と、アドレナリンによる一時的なブーストだ。

 

「ずいぶん大口叩くよな、吠えるのだけは一丁前か?」

 

 彼らの会話を聞いたイザナがせせら笑う。笑いながらも、背後から殴りかかってきた少年に肘打ちを入れる。息を詰めた相手の隙をついて肩を外して、手際は流れるようであるのに呼吸の乱れも見せない。

 

 残り七人。

 

「余計なもん腹にくっつけたまま散々暴れやがって、結局、足引っ張られてるクセしてヨ?」

「かすり傷っつってんの聞こえねえのか、ふ、ぅぐ……ッハ、俺は、」

 

 ぜいぜいと喉を鳴らしながらも、場地の視線が振れて、稀咲を捉え直した。

 稀咲はつんと顎を引いていた。角縁の眼鏡の中、レンズを通して、彼らを冷静に観察していた。

 

 廃車場は異様な空気に包まれていた。今まで通りを許さない圧があった。

 乱入者たるイザナがあまりに堂々としていたこともあるし、なにより、場地の様子は誰の目にも明らかに、先程までの彼ではなかった。

 

「おい……マジで死にかけてんの? あいつ」

 

 ぽつん。と。

 観衆の誰かがつぶやいて。

 

 波紋が広がっていく。

 動揺が広がっていく。

 

 その前に。

 

「——千冬!」

 

 怒号じみた大声が空気を切り裂いた。

 

「ハイ!」

 

 反射で、千冬は大声で答えた。

 東京卍會副総長——龍宮寺堅の声だ。

 

 龍宮寺は、つい数十秒前、抗争の最中に消えた半間に後ろから奇襲された。場地が膝をつき、イザナが乱入する、その十数秒前ともいえる。彼らは取っ組み合いを再開していた。

 龍宮寺の額には青筋が浮かんでいる。へらりと笑った半間の拳を今まさに躱して、もう一方を受け止める。足がたたらを踏んだ。

 

 今の龍宮寺には、目前の敵を振り切るどころか、手加減をする余裕すらなかった。

 敵たる半間も彼と同じく実力者。とかくに打たれ強く、厭な殴り方をする。口を動かすのが精一杯だ。

 

「場地ンとこ早く行けェッ! 傷口抑えろ、血ィ止めろ! 少しでも!」

 

 ゆえに彼は叫ぶ。——脳裏を過る記憶があった。

 

 龍宮寺堅には、腹を刺されながらも奇跡的に生還した経験がある。三ヶ月近く前のことだ。

 刃が腹に突き刺さる感触を覚えている。ぬるりと引き抜かれる感触を、よく、覚えている。降りしきる雨の冷たさ。身体が、腹から、手足から、どんどん冷えていく感触。

 

 医者には、奇跡だと言われた。ほとんど失血死一歩手前だったと言われた。

 救急車があと少し遅かったら間に合わなかったと言われた。

 

 だから龍宮寺は花垣に感謝している。隊員でもない、会って間もない友人(少なくとも龍宮寺はそう思っている)の奮闘があった末に、救急車は少しだけ早く到着した。

 龍宮寺の命運を分けたのはそこだった。

 見舞いに来た人々には、口々に、称賛や、安堵、心配由来の悪態、気遣いをかけられた。

 

 その中の一人に、冗談混じりにも、真剣に言われた言葉がある。

 助言であり、紛れもない忠告だった。龍宮寺も茶化しつつも、アドバイスとしてタグをつけて記憶の片隅に放り込んだ。

 

 龍宮寺はイザナを知らない。場地の知人かと思うが心当たりはない。彼らは顔を合わせたことがない。

 

 とはいえ、龍宮寺は場地と旧知の仲である。

 

 イザナの〝余計なもん腹にくっつけたまま〟という言葉を、場地は否定しなかった。

 否定する意味がないからだ。事実だからだ。

 

 だとすれば。

 

「ナイフ……! 刺さったままなら、抜けてねえなら、ッ! まだ血はあんま出てねえ!」

 

 龍宮寺は、万次郎のトリッキーな性格と、喧嘩の実力と、物事には一直線な瞬発力を尊敬し、隣に立ち続けている。

 同時に、万次郎がやり過ぎるとき、先走り過ぎるとき、首根っこを掴んで抑え込む役割は、出会ってからほぼ常に龍宮寺が担当していた。熱くなった己を無理くり抑え込んで、周囲を一回見渡す、そういうクセが染み付いている。

 

 龍宮寺の理性は武器である。

 

 場地に今最も近いところにいるのは、千冬と、花垣だ。千冬は、場地個人へのリスペクトから東京卍會への入隊を志願した、筋金入りの忠犬。花垣は、場地を連れ戻す役割を万次郎から独自に課されていた。

 稀咲は、少し遠い。それに彼は、場地につい先程、背後から奇襲されたばかりだ。直属の兵隊たる参番隊のほとんどを倒された直後でもある。

 頭は良いが取捨選択の優先順位に躊躇いはない。なにより隊長とはいえ新参だ。入れ違いに抜けた場地とは話した経験も少ないはずだ。

 

 龍宮寺は、万次郎のように幼馴染ではないが、それでも場地とは旧知の仲だ。

 

 情がある。死なせたくない。

 またバカをやりたい。

 

「止血しろ! 少しでも抑えろ、助けろ、持たせろ! 俺らがッ勝つからすぐにィ!」

「ッ応!」

「タケミッチィ! オマエも頼むッ!」

「は、ハイッ!」

 

 ——些細な変化が、巡り巡るうちに様々なものに影響を与えていく。

 反響する。ぶつかり合って、増幅する。大きな変革を齎す。

 

 起きるべきだった血のハロウィンにおいて。場地は参番隊隊員を()()倒して、稀咲鉄太に肉迫し——血を吐いて倒れた。

 そのときには、既に手遅れだった。

 

 未来は確実に変化している。

 現在が確実に変化しているからだ。

 過去が確実に変化していたからだ。

 

 それは龍宮寺が原因である。

 それはイザナが原因である。

 それは純丘が原因である。

 それは竜胆が原因である。

 それは蘭が原因である。

 それは花垣が原因である。

 それは三途が原因である。

 

 それは、一虎も原因である。

 

 

 

  賽の河原にて賽を振る

 

 

 

 順に見ていこう。

 

 〝刺された〟——その怒声から、実際に刺さるまで、時間にして〇.四秒だった。

 あまりにわずかな時間だ。その一瞬のうちにまともに思考できた人間、また思考した上で、実際に行動に移せた人間は、いなかった。

 かの廃車場には、抗争の現場には、存在しなかった。

 

 ところで。

 

 人間が音を聞き取って実際に反応するまでには少々のタイムラグがある。

 聴覚刺激を耳で受け取って、脳内で情報として処理して、反応を返すまでに、わずかであれど確かに時間を要するためだ。

 平時であればおおよそ〇.一四秒から〇.一六秒。限界まで意識が研ぎ澄まされた状態でも〇.一秒は必要であるらしい。

 

 この事実に基いて、たとえば陸上競技では、スタートの合図から〇.一秒以内に動くと、早すぎるスタート、すなわちフライングとして認定されるルールがある。

 上記の通り、人間の反応速度の限界値が〇.一秒と算出されている。なればこれより速く走り出した選手は、合図を聞かずにスタートしたと考えて然るだろう。という理屈だ。

 

 ……これは、あくまでも蓄積された過去のデータから平均値等を算出して論じている。個々人の資質や条件下、すべてのケースに当てはめられるかといえば、もちろん、違う。

 実際に、反応速度〇.一秒未満を本当に成立させてしまい、失格を与えられる選手もいた。これらの事例をもとにルール改正についても度々議論されている。

 ルール上はそう規定されていたとしても、過去の観測の平均がそうであったとしても、人間の性能は個々人によって異なる。小数点以下第三位レベルの誤差など、明確な意図を以てコントロールできるものか、とそういう議論である。

 

 敢えて強い言葉で断言しよう。

 一瞬の間に起きた、本人すら無自覚な反応など、意識的にコントロールできるわけがない。

 

 二〇〇五年十月三十一日。廃車場にて勃発した東京卍會と芭流覇羅(バルハラ)の抗争。その只中で起きた事件。

 渦中にいた彼らは、全員が全員、思考した上で、行動に移せたわけではない。場地が一虎に刺される未来は回避できなかった。

 

 ただし無意識下の反射は実現していた。

 

 ——起こるはずだった血のハロウィンにおいて。

 場地の背に刺されたナイフは、一虎が花垣に吹っ飛ばされた時点で()()()()()

 

 刃物で深々と刺した場合、凶器は刺したままよりも抜いた方が、より致死率は高くなる。刺したままの凶器が、傷口およびその周辺に対して、ある種の圧迫止血の役割を果たすためだ。

 応急手当てでも、深い刺し傷の原因は無闇に抜かぬようと喚起される。純丘が龍宮寺の見舞いで述べた助言兼忠告、あるいはアドバイスも、純丘にこの知識があったからだ。

 

 果たして、血のハロウィンにおける一虎が、そこまで知った上で故意に引き抜いたのか、それとも突き飛ばされた衝撃で偶然抜けたのか、そこは判然としない。起きなかった未来であり、現在であり、過去だからだ。

 一虎が刺したのは場地の左下背部だった。おおよその範囲自体は、現在と変わりはない。

 

 しかし詳細な位置は、微妙にズレていた。

 

 一虎は、先んじて凶行を指摘されたことから、無意識に動揺と焦燥を心に抱いた。心の動きは身体にも伝わる。脊髄反射じみたわずかな手のブレ。

 そして三途の怒声を聞いたのは一虎だけではない。場地もまたそうだった。さすがにまだ刺されてもいない己が〝刺された〟と言われれば何事かと思う。原因を探るべく周囲を見ようと、場地は、無意識に身をよじっていた。

 

 結果。

 一虎は偶然にも、場地の左の肋骨の隙間にナイフを通した。

 

 そして花垣も、三途の怒鳴り声を契機に、コンマ数秒ぶん早く応じている。一虎の体を、本来よりもコンマ数秒ぶん早く、そしてそのぶんほんのわずかに違う角度から、一虎を突き飛ばした。

 だから、ナイフはそもそも()()()()()()のだ。抜かなかったのではなく。

 

 このとき運悪くも——運良くも、肋骨同士の間に挟まって、簡単には外れなくなった。

 

 刺された位置がわずかに違った。小さく微細なズレにより、場地の身体には確実な変化が齎された。

 場地は左肺下葉を刺された。ほぼ読んで字の如く、左の肺の下部を指す。

 これによって場地の左の肺には穴が空き、酸素を取り込むのに支障を来たして、呼吸困難を引き起こした。

 また場地は咳き込んで、血を吐いた。肺および気管がなにかしらの理由で損傷し、血を吐くことを、喀血と言う。

 

 もはや消えた過去にて、場地は、()()するはずだった。

 

 まず、吐血と喀血の違いとはなんぞや。

 シンプルにまとめると、吐血は消化器官からの出血を口から吐くもので、喀血は呼吸器からの出血を口から吐くものだ。

 つまり食道や胃、十二指腸といった箇所の出血を吐くことを吐血と呼ぶ。そして、喉や気管、肺由来の出血を吐くことを喀血と呼ぶ。

 どちらも口から血を吐くこと、吐血という字が明らかに〝血を吐く〟と書くので、喀血はしばしば吐血と混合されやすい。

 

 場地は吐血するはずだった。

 何故かといえば、彼は一虎に、胃の最上部を刺されるはずだったからだ。

 

 肺は肋骨に守られており、胃は、それよりもわずかに下にある。

 仮に腹を上・中・下、左・中・右と九分割した場合、左上腹部に胃の始まりが来る。……もちろん個人差はあるが、とりあえず、平均的な例として。

 

 まず肋骨に守られた箇所より、守られていない箇所の方が刺しやすいのは明白だ。一虎が肋骨の下のあたりを狙った理由でもある。

 胃の最上部は肝臓や食道、心臓の位置の兼ね合いもあって、比較的背中側に来やすい。

 

 本来一虎のナイフは偶然にも場地の胃を裂いた。裂くはずだった。

 だから場地は吐血した。するはずだった。

 

 しかし肺を刺した。

 これによりなにが起きたか。

 

 場地は、参番隊全員を倒し、いよいよ稀咲に迫る——というところで、致死量を満たす失血、および急激な血圧の低下により、限界を迎えて吐血するはずだった。

 これがまず、凶器たるナイフが抜けなかったがために、失血と血圧の低下は、少なくとも凶器が抜けた場合と比較して、緩やかに抑えられた。

 

 次に、左肺を刺されたことにより呼吸の難度が跳ね上がる。

 右肺は無事だが、元来人は両肺で呼吸する生物だ。しかも抗争中で激しい運動状態の場地の体は多量の酸素を欲している。

 

 結果——参番隊全員を倒すより先に、激しい運動に呼吸がついていかず、地に伏せた。

 

 もしも。

 

 もしもナイフが抜けていたら、失血はとっくに致死量に達していたかもしれない。

 激しい運動が脈拍を加速させ、傷ついた肺が酸素不足を増長しただろう。しかし血液は大幅に不足して、もっと早く、死を迎えていたかもしれない。

 

 もしも龍宮寺が怒鳴らなければ、指示しなければ、千冬は止血という選択肢に走れないかもしれない。花垣もそこに追従できないだろう。

 

 もしもイザナが乱入しなければ、崩れ落ちた場地は絶好の的だっただろう。これを好機と袋叩きにされたかもしれない。

 

 もしも斑目が観戦に訪れた際、灰谷兄弟に声をかけなければ、場地の怪我について正確な情報を得られないかもしれない。

 他人の生死に動揺しない兄弟だからこそ、誰よりも冷静に観察していた。

 

 もしも三途が叫ばなければ、ナイフの位置は正確に、肋骨のすぐ下から胃を掠めたはずだ。

 そも抗争の現場にいる人々の大半は〝場地が刺されたかもしれない〟と思うことすらなかっただろう。観察すら行われることはなかった。

 

 もしも三途が花垣を監視していなければ、疑り深く執念深く視界にいれていなければ、場地を狙う一虎には気づかなかったかもしれない。

 もしも花垣が足掻かなければ、諦めも悪く無謀にも動かなければ、東京卍會の隊長たちはそも周囲を見る余裕もない。場地は呆気なく、もしかしたら誰にも気づかれぬ間に、死んでいたかもしれない。

 

 もしも純丘がなにも言わなければ、なにも述べなければ、龍宮寺はナイフが抜かれなかった際の知識など手に入れなかったかもしれない。

 三途は花垣をここまで強く疑わなかったかもしれない。

 

 蝶の羽ばたきが如き小さな変化でも、偶然に偶然を重ねれば。偶然に偶然を重ねて、増幅して、さらに影響を及ぼし合えば。

 あるいは、嵐という強大な現象にまで発展するかもしれない。

 

 結果を、大きく、変える。……かもしれない。

 

 もしもを積み重ねる。

 かもしれないと唱え続ける。

 ifを指折り数えていく。

 たらればと仮定を繰り返す。

 

 そうだとして。

 たとえば、そう、すべてが偶然にも合致したとして。

 

 羽ばたきと称される小さな変化が、嵐という強大な現象に発展したとして。

 

 ——それが果たして()()影響ばかりだと、いったい誰が断言できるだろうか?

 

「は、はは! やっぱり」

 

 場違いにも、笑い声が響いた。不自然に乾いて、芝居がかっていて、感情がこもっていない。

 一虎だった。目を見開いて、視線がふらふらとあちらこちらに揺れている。焦点が定まらない。

 

「場地はさあ、オマエは、いっぱい心配されてんだな。仲間が、ダチが、たくさん、だったらそりゃあ、俺なんか要らねえよなあ。どうでもいいよなあ。そりゃあ、裏切るよなあ、」

 

 自暴自棄になった口調だ。駆けつけた千冬と、花垣をよそに、場地は、彼の視線は稀咲を切って一虎に向けられる。稀咲はついと眼鏡を押し上げた。

 イザナは、眉を上げて、ついでに振り上げた足をぐるっと回して隊員を二人蹴り飛ばした。

 

 六とばして、残り五人。

 

 

「——だったらさぁああ、敵だよなあァ!?」

 

 

 羽宮一虎は。

 ……一虎は、万次郎に、十三歳の誕生日プレゼントを贈るはずだった。

 

 一虎は万次郎を尊敬している。その強さを。努力を。情の厚さを。友人として大切に思っている。タチの悪い族に絡まれて、ひとり耐えていたとき、助けてくれた救世主だと思っている。

 一虎にとっての英雄は、正しく、万次郎のことをいう。

 

 だから、誕生日プレゼントを贈るはずだった。

 自分も、万次郎に貢献したかった。返したかった。

 

 だって、一虎は、万次郎に感謝している。万次郎を尊敬している。そして、万次郎と友達だというだけで誇らしかった。万次郎と友達でいられる時間を幸運だと思っていた。

 万次郎と一緒にいるだけで、一虎は、自分がとても優れていて、素晴らしい人間になれるように思えた。本当に、万次郎のことが大好きなので。

 

 おんなじだけのこころを返してもらえるとは思っていない。

 万次郎には他にも素晴らしい友人がいて、一虎は、彼らの中でも一際凡庸だと自分を認識していた。

 

 けれど、そう、一虎はただ、少しでも、喜んでほしかった。

 

 自分と友達でいることを、ちょっとでも、良かったと思ってほしかった。

 ちょっとでもそう思ってもらえたらきっと、きっととても嬉しいと、思った。

 

 脆くも崩れ去った話だ。

 

 どちらかを選ばなければならない。両方を選べない。

 一度選んだら、もう二度と、もう一方は選べない。

 

 もう友達ではいられない。喜んでほしかったのに。万次郎のためだったはずだのに。

 最悪の結末を招いてしまった。一度選んだら後戻りはできない。

 

 だから、そう、これは仕方がなかったと思うしかない。敵でしかない。

 

 そうだと思って。

 そうだと信じて。

 

〝俺はオマエの敵か?〟

 

 そうでないと。

 ……そうでなければ。

 

 一虎は、場地を尊敬している。その強さを。ひたむきさを。芯の通ったこころを。友人として大切に思っている。

 たまに、場地とは自慢の友人の自慢なところを語り合った。皆のことが素直に大好きで、気恥ずかしさから本人たちには言えなかった。そういう話を共有できるのが場地だった。

 

 本当は一虎は、そんな場地のことも、尊敬して、誇りに思っていた。

 

 場地はたまに、涼しい顔でクレイジーなことを行うことがある。それでいて友人たちに優しく、彼らの大切なものを身を挺してまで守るところがある。一虎はそんな場地を、格好良くて、尊敬できる、大切な友人だと思っている。

 気恥ずかしさから、やっぱり、本人に伝えたことはないが。

 

 ホーク丸を負い目に思っていることも、場地がそのとき打ち明けてくれた。

 

 だから、誕生日プレゼントについてとびっきりの案が思いついたとき、彼は悩んだ。

 手柄を独り占めするか。親友と共有するか。

 

 一虎は結局場地を誘った。

 

 おんなじ話を共有できる友達とは、なんだって一緒にできると信じていたからだ。一緒ならどこまでもいけると信じていたからだ。

 

 巻き込んでしまった。

 

 どちらかを選ばなければいけない。

 どちらもは選べない。

 

 場地は、友達でいてくれると約束した。東京卍會を抜けて、芭流覇羅(バルハラ)に入ってくれた。

 幼馴染より、腹心より、友達の一虎を選んでくれた。

 

 選んでくれて。

 

 どうして選んでくれたのか、とか。自分にそんな価値があるのか、とか。

 ……そもそも、場地にも、自慢の友人を捨てさせてしまった、とか、そんなことを考える必要は。

 なくて。

 

 ないはずで。

 

〝場地を返してもらう〟

 

 ない。

 はずで。

 

 ……初めに万次郎に蹴り飛ばされてから、一虎が意識を取り戻すまで、しばらくの間があった。

 

 万次郎の蹴りがしたたかに入った頭は、がんがんと痛んで、視界がぼやけていた。起き上がった一虎の頭の中では、思考が延々と渦巻いて、繰り返されていた。

 周囲の喧騒はどこか遠く、一枚、うすいビニールを隔てた向こうを眺めているようだった。一虎は、目の前の様々な現実から切り離されたような、そんな気分だった。

 

【場地が裏切った】

 

 半間のメールは簡潔にも一文だけ記されていた。

 十文字もないそれを、一虎は、読んで。読み直して。もういっかい、読み直して。

 

 絶望とか怒りとか悲しみとか疑問とか恨みとか憎悪とか。

 本当は。ほんとうは。

 

 それよりもなによりも先に。

 

 あ。

 やっぱそうなんだ。

 

 と、一虎は思った。

 

 ——パノラマを眺めるように、過去の己の思考を俯瞰している。

 同時に、殴られ、蹴られ、血が滲んで、骨が折れて、歯が飛んで、甚振られる己を遠くに自覚している。

 

 一虎が言い切ったのが速かったか、万次郎が一虎の顔に蹴りを叩き込んだのが速かったか、もはや定かではない。

 

 万次郎の顔に、表情らしい表情はなかった。無機質で、無感情で、獣的で、機械的だった。

 ただただ、相手を、徹底して殺戮するための衝動に特化しているようだった。ただただ、相手を、完膚なきまでに破壊する機構として特化しているようだった。

 

 一虎の心の中では〝どうして〟が繰り返されている。

 どうして俺がと思っている。どうして俺だけと思っている。

 

 同時に、どこか、納得している。

 

 当然だよなと思っている。当たり前だよなと思っている。

 何故そう思うのかはわからなくて。どうしてそう考えるのかはわからなくて。

 

 ただ、どこか、納得している。

 

 

 

「ッチ、腰抜けども」

 

 イザナは大きな舌打ちをこぼした。

 彼の視線の先には万次郎がいる。一虎を蹴り飛ばし、マウントポジションをとって、延々と殴り続けている。

 鬼気迫る、を通り越した異常な様子に芭流覇羅(バルハラ)のほとんどは怖気づいて逃げ出した。

 

 イザナが相手取っていた東京卍會の隊服も、残り四人のところで、まず一虎の笑い声に振り向いた二人を蹴倒して、万次郎の様相に硬直した二人の顔面を地面に叩きつけた。

 

 参番隊で動ける人間はもういない。

 

「少しいいですか」

 

 稀咲以外は。

 

「ァ?」

 

 ぐりんっと顔を回した。瞳孔の開いた男に「場地を助けに入ってくれて、ありがとうございます」——稀咲はそう述べた。

 

「はァ!?」

 

 イザナより後ろで声が上がったが、稀咲は無視を決め込んだ。

 

 千冬も花垣も場地の止血を任された。場地は未だ生きているが、予断を許さない状況だ。

 ——というか、本当に辛うじて命が延びただけで、このまま適切な処置もなく放置していればじきに死ぬ。場地の現状において、傷口周りをちょっと抑えた程度では足しにもならない。

 

 稀咲は豊富な知識を持っている。彼には医療や応急手当の知識もあった。

 稀咲の冷徹な目は、極めて正しく、場地の状況を理解していた。殺害を目論んだ相手に対して延命処置を行うわけもない。

 

 そして稀咲はよく理解している。

 適切な知識がなければ適切な処置は行えない。具体的にどういう危険があるか、どれならば回避できるか、判断材料もない。

 

 たとえ死ぬとわかっていても、相手が場地であれば千冬は見捨てられない。

 負けるとわかっていても戦う、助けるために立ち向かう、そういうヒーローたる花垣は、見過ごせない。

 

「ずいぶんお優しいな。オマエ、確か場地に殴られたんだろ? オマエを守ろうとした隊員たちも可哀想だな?」

 

 イザナは皮肉げにつぶやく。

 

「俺も思うところはありますが。それでも、マイキーが大切にされている御友達なので」

 

 稀咲は冷静に返した。彼の言葉に、イザナは、目を細める。

 

 場地個人に思い入れはないとしても、なんなら危害を加えられたとしても、あくまでも万次郎の友人であるのは事実だと。そこを尊重して礼を言ったと。

 チームを代表した言葉でもあるだろう。

 

 やたら忠誠心の高いやつだな。イザナからすればそのような評価を与えられる。

 

「オマエ万次郎のこと気に入ってんの」

「……マイキーのことは、とても尊敬しています。東卍(トーマン)の総長はあの人しかいない。隊長に取り立ててくれたあの人に、尽くすのは当然のことです」

 

 間違っちゃないがだいぶ白々しい。

 

 稀咲の目線から見た所見を述べるなら、イザナは、素性不明の某だ。

 黒龍(ブラックドラゴン)八代目はとっくに引退済みで、表舞台には出てきていないと、稀咲は彼の頭脳にインプットしていた。実際稀咲自身も、それ以降の消息は掴めず、よって今、眼前のイザナとは結びついていない。場地は固有名詞を口に出さなかった。名前すらもわからぬ男だ。

 

 暫定名無しの権兵衛について、現在稀咲にわかることは、少ない。

 

 場地の窮地を機に抗争に乱入して、東京卍會も芭流覇羅(バルハラ)も問わず、兵隊たちを片付けた。その上で、参番隊の手駒をすべて倒した。

 彼の行動を事実だけ並べればこのようになる。

 

 ここから、まずこの男が実力者であることが導き出せる。次に、東京卍會にも芭流覇羅(バルハラ)にも、抗争で味方する気がないとも仮定できる。

 その上で、個人的に場地を死なせたくないと思っている人間だと、稀咲は推察した。

 

 であれば、場地に好意的か、許容範囲の広いさまを見せれば、相手の態度は軟化する。

 稀咲が現在、東京卍會としての振る舞いをしている以上、名が知れ渡っている総長を理由に出せば納得するだろう。

 

 稀咲はそう結論を出した。

 

 それらを前提に話してみれば、紫の瞳は興味深そうに稀咲を眺め、無敵のマイキーを指して万次郎と親しげに呼ぶ。

 ならば、悪感情はないだろう。万次郎に対しても好意的で忠実な態度を見せれば良い。

 

 順当な思考だといえる。

 

「へえ」

 

 イザナは、にっこりと笑った。稀咲の肩を親しげに組んだ。

 稀咲は少しだけ眉を動かしたが、心象を考えて拒否しない。

 

 肩を叩いて、ぐっと力を込める——逃さないように。

 

「ならオマエも殺しとくか」

 

 そしてイザナは笑顔のままに言ってのけた。

 

 稀咲の推察は、大枠は間違いではない。

 とはいえ前提条件が大幅に欠落し過ぎた推理が、正しい結論を出力できるわけもない。

 

 この物語における黒川イザナは。

 

 佐野万次郎のことはフツーにシンプルに心底から大嫌いだ。これはもう真一郎を介した因縁はもちろん、相性とか性根とか生理的なとかそのレベルでも大嫌いだ。

 場地を助けに来たのは確かだ。しかしその理由は、真一郎を殺した少年を他人に殺させないため、もっと直截に言えば自分の手で制裁を下すためでしかない。

 

 ゆえに〝自分への害よりも万次郎を優先するほど彼に忠実な隊長〟を眼前にこの回答に至るのは、イザナにとってごく順当な思考といえた。

 

 最悪である。

 訂正、極悪である。




失格を与えられる選手
:最近だとオレゴン世界陸上男子110mにおけるデボン・アレンとか

止血
:素人がやると悪化させる確率がかなり高いので、当方的には触れないで通報するのが一番だと思います

抜けている
:というより7-8巻みてると刺さったあとのナイフの行方がわからないのでたぶんどっかとんで行っている(原作参照)
 アニメハチョットミカエセテナイ

吐血
:原作で具体的な位置および症状について一切言及はないので当方で勝手に推察
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