【完結】罪状記録   作:初弦

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機械仕掛けに神は不在

 誰も死を迎えなかった。

 誰も断絶を迎えなかった。

 誰も終わりを迎えなかった。

 

 これは夢物語である。

 

 ——しかし。

 

 これは奇跡の物語ではない。

 これは理想の物語ではない。

 

 この物語の血のハロウィンにおいて、東京卍會の創立の記憶は回顧されなかった。

 この物語の血のハロウィンにおいて、羽宮一虎は場地圭介の覚悟を目撃できなかった。

 この物語の血のハロウィンにおいて、黒川イザナと稀咲鉄太は互いの事情と思惑を知らないまま邂逅を果たした。

 この物語の血のハロウィンにおいて、純丘榎は東京卍會幹部陣と旧知である事実を不特定多数の前で見せた。

 

 まだ万次郎は一虎を許せていない。まだ一虎は場地を信じきれていない。

 兄弟のニアミス。噛み合わぬ人々。御守りはまだ花垣のポケットの中に眠っている。

 

 ご都合主義のハッピーエンディング。

 誰もにとって喜ばしい大団円。

 

 そこに至るには、やはりいくつかのピースが足りていない。

 足りていないことにも気づかない。気づけない。

 

 戻せない時の中で、誰もが自分なりに足掻いている。噛み合って、いがみ合って、ぶつかり合って、ひしゃげ合って、どうにかこうにか進んでいる。

 進むしかないから。足を止めることはできないから。その一歩は、もう、引き返せないから。

 

 ……後戻りができるなら、と、願うことは、いつだってある。

 

 

 

  機械仕掛けに神は不在

 

 

 

 カレンダーを少し捲ろう。月ごとであれば一枚ぶん。日めくりであれば三枚ぶん。

 

 十一月三日。

 場地圭介の誕生日である。

 

「十五歳の誕生日おめでとう。プレゼントだ」

「……ナニソレ」

「ドリル」

 

 場地は、心底嫌そうに顔をしかめた。

 純丘はくつくつと肩を揺らした。

 

「数学二十七点どころか零点だった誰かさんのためにな」

「……うぜー……」

「言えた義理かよ」

 

 嘯きつつ、折り畳み椅子を引いてきて、ベッドの横に腰を下ろす。

 

 先日、場地圭介は背中を刺されて生死の境を彷徨った。正直ギリギリだった少年が助かったときの彼らの反応については割愛する。

 ともあれなんとか命をつないだ——結果、東京卍會内では〝天丼〟とかいう超絶不謹慎な持ちネタと化した。龍宮寺と場地どちらも刺されているので天丼というワケ。

 本人たちはそれでいいのかというと、刺された仲間だなと言い出したのは龍宮寺で、なら俺は天丼じゃねえかと言い放ったのは場地。

 

 お前らは本当にそれでいいのか。

 

 さて、場地は背中を刺された。その際左肺下葉も刺されて、外傷性の血気胸を引き起こした。これが呼吸困難の原因になった。

 刺傷の縫合の他、肺の内部に貯留した血液を吸引除去、空気漏れも除いたのち、現在は傷口の経過観察とともに肺が再び膨らんでいく様子を確認されている。

 

 ……ただどうも、肝心の左肺の膨張になんらかの不自然な点が見られるらしい。

 日常生活はさておき、激しい運動には——このとき主治医は、具体的には病室のハンガーにかけられた、東京卍會の特攻服を見つめて話していた——支障が出る、かもしれないとのこと。

 

 そのあたりは追々確かめるだろうとして。

 

「ところで俺は今から謝ります」

「ハ?」

 

 膝頭を揃えてぴっと背筋を伸ばした純丘に、場地は明らかにぎょっと顔を引き攣らせた。

 突拍子もない発言をすることはあってもされることには慣れていない。

 

 純丘は気にせず言葉を続けた。

 

「変な探り入れる電話してすみませんでした」

「……あ〜……」

「君らの事情に首突っ込まないって言ったわりに、俺が前言を翻したのは、信用ならない挙動だと自分でも思った。やるにしても正直に話したほうが良かったなと思うし、というか電話でやることじゃなかった。ごめんなさい」

 

 すっと頭を下げて、数秒維持、そして純丘は頭を上げる。

 

 場地は、心底気まずそうな表情を浮かべていた。そんな顔できたのかと純丘が感心するレベルだ。

 

「俺が謝りたいから謝るだけだよ。あと心配してたのはマジなので探り入れたこと自体は間違ってないと思ってる」

「部長そういうとこ。……あー! 違ェ! 俺も鬱陶しいなと思ったのはマジだけどヤな言い方した! ゴメンナサイ!」

「いいよ!」

「俺もいいよ!」

 

 ハイオワリ。

 

 純丘が気になっていた件はそれだけなので「ところで話は変わるがマリオカートを持ってきた」「……なにしてェの」「自習室代わりにさせてくれ」「ウィース」テレビにゲームのコードを繋げたのち、ノートを勝手に広げてボールペンを走らせる。

 

 最近の純丘榎のマイブームはボールペンによるお勉強だった。消せないのでなんか記憶に刻まれた気分になれる。

 そのあたりはおそらくあってもプラシーボ効果程度だが、それはそれとして書き損じを直すのが面倒なので丁寧に書くようになった。

 

 場地はしばらく、マリオカートを走らせていた。走らせていたが、ふと気づく——コレ一人でやっても大して面白くなくね?

 

 感想には個人差あるとして、一人で黙々と打ち込むより、友人たちとワイワイやってる方が場地はずっと楽しい。ゲーセンでスコアを競うのは好きだが一人では寄り付かないタイプ。

 ポケモンには興味がないのにマリカーは延々やっているのは、ポケモンの場合、友人たちと対戦できるまで進める前に飽きるからだった。そして場地自身は飽きる理由を自覚していないので、仲間がやっているからと似たようなゲームに手を出しては、同じように飽きることを繰り返している。

 

 場地は、ちらっと純丘の様子を窺った。

 

 ノートには難解な用語が筆記され、見ているだけで目がチカチカしてくる。テキストを広げて黙々と勉強するさまを、純丘は、日常のひとつとして取り入れている。

 純丘榎は一人で物事に打ち込む方が得意なタイプだ。ゲームセンターではひとりでもクレーンゲームに真剣に向き合っているだろう。ポケモンをやらせたらきっといつの間にか全国図鑑を完成させている。

 

 友人や知人といれば、彼らに合わせることはする。けれど、自分で掌握できない要素を、純丘が無意識に嫌っていることを場地はなんとなく知っていた。

 

「部長さ」

「んー? うん」

「なんで俺のこと助けた?」

「……助けるのに理由っているか……?」

 

 顔を上げた純丘が、わりとドン引きの表情をしていたので「そーじゃねえよ」場地は語気強めに否定した。

 場地は、彼もまた、目の前で死にかけた人間がいたら助ける。たぶん。……憎いとかではないなら。

 

「でも部長、許してねえだろ。俺のこと」

 

 沈黙が降りた。

 

「……そうだな」

 

 気づいていたのかと思う。

 純丘は、まず、深く息を吐き出した。次に、テキストを閉じてノートを一枚めくった。カツン、と、ボールペンでノートを叩く。

 

「その説明の前に、少し、授業をしようか」

「……ヤ……」

「なに、構えなくていい。別に高校数学やろうって話じゃない」

 

 カツン。カツン。ペン先がノートを叩く。

 純丘の口ぶりは、語調のわりに、極めて静かだった。

 

「とりあえず、簡単な、算数を使った計算だ。——そうだな」

 

 ボールペンを握り直して、ノートにつらつらと数式が連ねられ始めた。きちんと覚えているらしい。

 

 2000×3×2×58-800×2×2×58=?

 

「このはてなに入る数字は?」

「長い」

「ははは。長いな。まあ頑張って計算してみろ」

「ウゲ……ペン貸して」

「どうぞ。この紙なら筆算に使ってもいい」

 

 シャープペンシルと、消しゴム、ぺりっとノートのページを一枚剥がして渡す。場地は頭をがしがしと掻いて、シャープペンシルを紙面に滑らせた。

 

 エェト、にせんと3をかけてろくせん、かける2……ぶつぶつと言っているのをしばし見つめて、それから、純丘は再びテキストを開いた。

 待ってる間ただ眺めてるのもアレだしな。時間は有効活用していこう。

 

 十分経過。

 

「六〇万と三二〇〇!」

「不正解」

「は!? ウソだろ!?」

 

 悲鳴を上げて頭を抱えた場地はさておき。

 純丘は与えたノートのページを取り上げて、場地の筆算の遍歴を追っていく。ずいぶん時間はかかっていたが計算ミスは見られない。

 

「解き方の順序も過程も合ってんのに……ああ、でも右の項、2を二回かけないで飛ばしてる。これが原因だな。どんまい。ちなみに正解は五一万と四〇〇だな」

 

 ノートの最後に走り書かれた【603200】にボールペンで三角マークをつけて、【510400】と記す。

 

「くっそ……あー、これ、間違えたから教えてくんねえの?」

「いや教えるけど。ちなみに君、この数字なんだと思う?」

「……わかんねえ」

「だよなあ」

 

 純丘は感慨もなくつぶやいた。指の腹で、数字をなぞった。

 これをパッと見てわかったらそれはそれでちょっと怖い。

 

「俺が君のことを許したくてかけた金が、だいたいこんぐらい」

 

 場地は瞬きをした。

 

 純丘の言葉を、反芻して、意味を解き直して、それから、口を開く。

 

「金?」

「約五〇万円な。今んとこ」

「……なんの金?」

 

 当然出る疑問だろう。

 

「君、俺のとこに頭下げて勉強習いに来ただろ。そんで、俺は君に交換条件を出した。習い事料はタダでいいから、その代わり教室の準備を手伝うこと」

 

 純丘は、あのとき、犯罪を冒した人々の更生施設を連想した。

 適切な教育を、養育を、支援を受けられなかった結果として、加害が為されることがある。逆に言えば、適切な支援を受けられれば、驚くほどの結果を出すこともある。

 

「教室が週二開催だからその前日と、休み時間にテキスト配るとかで、実働がだいたい一時間半。教えるのが三時間」

 

 ノートのページをめくって、最初に書いた式をボールペンの頭で示す。

 

「最初の2000ってのは俺の家庭教師アルバイトの時給だ。ほんとは俺わりと人気講師なんでもうちょっと高いんだけど、まあキリもいいし二千円。……うちの教室の月謝はもうちょい安いけど、前日準備の最中に教えたりもしたからマァこんなもんですね」

 

 純丘の語調は淡々としていた。ボールペンの頭が紙面を滑る。

 場地は無言で、ボールペンの軌道を目で追った。

 

「3は、三時間。2ってのは週二回。俺が君に教え続けたのが五八週ぶん」

「……」

「次。800ってのは、君の手伝いもとい無賃労働の時給。東京都の最低賃金がだいたい七百円台だったから、色を付けてみた。一時間半だけどまあ二時間と計算してもよかろう。二時間かける週二かける五八週ぶん」

 

 無賃労働ぶんをマイナスして、それでも算出された相殺できない金額が約五〇万円。

 

「罰金刑とか、違約金とか、示談金とか、保釈金とか、身近なもんでいうと延長料金とか弁償とか。悪いことしたときに、お金を払えたら、許されることがある」

 

 言葉を並べるたびにボールペンがつらつらと文字を綴っていく。意味の注釈も付け加えられる。

 

「弁償とかわかりやすいよな。壊したものの代金を支払ってくれれば許します。みたいな。昔は、金で罪を帳消しにすることを、贖いとか言ったらしい。……なんて言えばいいかな」

 

 説明しながら、純丘は、すこしだけうつむいていた。伏せられた視線がなにかを探すように紙面の上を彷徨った。

 

「いまいち自分でもよくわかってないんだが。俺は。たぶん、君を許したかったんだろうな。許したくて、それで……」

 

 呼吸を継ぐ。まばたきをして、純丘は、目を閉じる。

 瞳は乾いている。別に涙も出ない。

 

 憎めない少年の未来に期待したかった。いつか許せる未来に賭けたかった。そのために、見放さないために、手放さないために——純丘は、お金の額でものごとを量った。

 

「五十万で途切れたとき、どうしようか考えた。ほっとした、困ったのか、わからない。あのとき俺は……許せないままなのかもしれないと思った。許したかったのか、実は、許したく、ないのか……」

 

 場地は、ふと、比較的直近の記憶を思い出した。それこそ先程謝り合って、この話オワリ! の決着がついた。

 

 純丘はあの電話の中で、学ばないか、バイトに来ないかと何度か誘っていた。

 

「……部長からかけてきた電話でよォ」

「ああ、うん?」

「一虎のこと教室に誘ったの、それもあんのか」

「それはまあ、探りを入れる意図が大半だったが。……言われてみるとあるかもな」

 

 瞼の裏には、血が染みゆくタオルの白地が思い浮かぶ。浅くて小さな呼吸音を思い返す。

 

〝俺は自分で選んで死ぬ〟

〝一虎には殺されねえ〟

 

 か細く、掠れて、弱っていながら、間違いなく啖呵を切っていた。

 

「……君、たぶん、一虎くんが殺したんじゃなくて、君の自殺ってことで収めたかったんだろ」

 

 話の脈絡が不意に飛んだ。場地が答える前に「俺はたぶん、それが、心っ底許せなくてな」純丘は目を瞑ったまま言い切った。

 たぶんというわりには言葉に気合が入っていた。

 

「お、おう……」

「誰かの罪を代わりに背負う、なんてことは俺はできないと思ってる。そもそも君が自分で自分を殺した、ということにしたとしても、一虎くんが君を刺したことには変わりないしな。それともなんだ、苛められっ子がイジメを苦にして自殺したらイジメっ子の罪はなくなるのか。そうはならないだろ」

「オゥ……」

 

 難しい話を早口で長文を喋られると場地はちょっと慄く。慄いた場地を見て純丘はこちらもちょっと反省した。

 

 口を噤んで、考えを整理する。

 輪郭ばかりを語ったものの、言いたいことは、簡単だった。

 

「許せないまま、許す機会もない場所に、行ってほしくなかったのかもしれない」

 

 純丘はそのように締め括った。数拍置いて「……これって、助けたって言わないかもな」と、付け加えた。

 

 

 

「アンタを! 俺は! 出所したら絶対殴りに行くんで首洗って待っててください」

「ねえ今俺なんの宣言されてんの」

「いやちょっと俺もよく、千冬?」

「場地さんが! 肺がちょっとアレで殴れなくなっちゃったんで! 俺が! 殴りに行きますっつったら〝そんときゃ任せるワ〟って言われたんで! 俺が! アンタを! 殴ります!」

 

 勢いが強い。本当に勢いが強い。

 

 初めはどこか茫洋とした様子で面会に応じていた一虎は、千冬の勢いに呆気に取られたようだった。それから、ちょっとスカしたように肩をすくめた。

 

「ぜってえあいつあんま考えねえで言ってるよそれ」

「たぶん出てきた頃には場地くん殴るとか忘れてると思うぜ……」

 

 花垣もウンウンと頷く。

 

「俺が! 覚えてるんで!」

「ああハイ」

「首洗って待っててください。逃げんじゃねえぞ」

「顔とか腹じゃなくていいワケ」

 

 ただの慣用句である。

 

 半ば千冬の方が脅しにかかっていて、刑務官に止められないか花垣は終始ハラハラしていた。少年刑務所の面会なんぞ初めてだったし、面会でこの勢いで詰め寄る同行者も初めてだった。

 それはそう。

 

「なんであんな……摘み出されるかと思ったよ、俺」

 

 帰り道、そう苦言を呈した花垣を、千冬は真顔で見返した。本当に真顔だったので花垣は若干たじろいだ。

 俺いま変なこと言った?

 

「……タケミッチさ」

「ハイ」

「なんで敬語? ……一虎くんのことどう思った?」

「どう……?」

「俺には死にそうに見えた」

 

 真顔のまま言い切られた。

 花垣も思わず真顔になった。

 

「……結局、マイキーくんと一虎くんは決別したままだ。場地さんが頑張ったしみんな頑張ったけど。一虎くんはマイキーくんのこと一番尊敬してるって場地さんは言ってたし」

「ああ……」

 

 尊敬してた、ではなく、尊敬してる、だ。

 過去形ではない。

 

 一虎は、彼の心は、歪んで、捻れて、形が奇妙に変化しても、その紋様は同じままだ。

 好きなものも、嫌いなものも、同じまま——どうしようもない齟齬が、彼が、他人を傷つけて、自らをも追い詰めていく原因になっている。

 

「だからってマイキーくんに許せってのはさ、そりゃ無理だろ」

「……そうだな」

 

 千冬の言葉に、花垣は神妙に相槌を打った。

 

 兄を殺されている。友人を殺されかけている。

 花垣のタイムリープは、すでに、当の事実は覆せない。

 

「まー人生わかんねえし。もしかしたらこれからなんとかなるかもしんないけど」

 

 ずいぶん達観したことを千冬は言った。彼の右足が、アスファルトに転がっていた瓶の蓋を軽く蹴った。金属の蓋は高く音立てて転がっていった。

 

「なんとかなるかもしんないけどさ。するにしてもさ。そこまで、本人が生きてなきゃ無理だろ? あの調子だとマジで刑務官が目ェ離した隙に首吊りそうだなって思って」

「あれだけ念押しした、と……」

「あと俺が殴りたくて」

「そこは普通に本音なんだ」

「だって場地さんのこと刺したんだぜ……!? あの人、喧嘩できなくなったからな!?」

 

 正確には喧嘩をしにくくなった、だ。

 

 一虎の前でちょろっと言及した通り。経過観察ののち、場地の肺は、常人レベルにはなったが元通りとはいかなかった。

 具体的には、抗争でン十人相手取る、等やってみると動悸・息切れ・気つけが引き起こされるようになった。救心の出番である。救心が常備薬の暴走族隊長ってなんだよ。

 ぶっちゃけ面白いのでそれはそれでヨシ、という意見が東京卍會の大半を占めていた——占めていたが場地本人がわりと素で嫌がったので、彼の東京卍會復帰はお流れとなった。

 

 抗争で数人相手とる程度なら今でも平然とできるあたり、常人よりやや強いんじゃないですか?

 

 これは東京卍會最弱の隊員こと花垣のごくシンプルな疑問である。

 シンプルだが東京卍會の特に幹部陣がまあそうだな〜の流れで話を進めるので、永遠に出す機会を見失った疑問でもある。

 

 ともあれさておき。

 壱番隊隊長はそのまま空席というわけだ。

 

「まァ場地さん、最近喧嘩しなくなったぶん、勉強めっちゃ頑張ってるみてェだけど……」

「……イメージになさすぎる……」

「もう二度とお袋さん泣かせたくねえって、元々ガッコじゃめっちゃ真面目だったんだぜ。そういうのさらっと言えんの、カッケくね?」

「カッケェ!」

 

 そもそも泣かすなというツッコミはどこからも降ってこなかった。

 彼らはその流れで一頻り、場地くんのここがすげェ場地さんのここがカッケェ場地くんのここがヤベェ、という話で盛り上がり。

 

「……君らそれ往来でやるのか? 店とか入って腰落ち着けてやれば?」

「あっ榎さんこんちは」

「こんちは」

「こんにちは」

 

 純丘に遭遇した。

 純丘榎、本日はアルバイトくらいしかやることがないので、時間潰しがてら本屋にでも寄ろうかと歩いていたところであった。

 

 はっとなにかに気づいた顔をした千冬が背筋を伸ばして両手を後ろに回し、腰を九十度に曲げる。最敬礼である。

 遅れて気づいた花垣も、千冬に習って頭を下げる。六十度である。こちらも最敬礼に属する。

 

「先日はお世話になりました。ありがとうございました!」

「ありがとうございました! 本当に!」

「どういたしまして。とりあえず松野くん顔あげてくれ。タケミッチくんも。俺はカタギです。一般ピープルです」

 

 純丘は極めて柔らかに丁寧に諭した。

 年齢差の問題で、未成年に頭を下げさせる成人男性、という余計な文脈が付随するのもある。

 

「ところで結局、タケミッチくんはなんで俺が稀咲の関係者だと?」

 

 ファストフード店に来店し、純丘は気軽なトーンで切り出した。

 

 どう説明しても信用してもらえない気がする花垣武道、ぎくりと固まる。

 花垣が固まったのを察した松野千冬、とりあえず、知らないなりに会話を繋ぐ。

 

「今度こそマジで警察呼んだりしねーってんなら話せるかもしれませんけど」

「……コレ俺が先に事情を打ち明けるのがフェアかな」

 

 ずぞぞと啜ったアイスコーヒーを脇において、両手を組んだ。

 

「まず俺の苗字の純丘は正確には勝手に名乗ってるだけで、本名は稀咲榎と言いますが」

「は?」

「エッ!?」

「……松野くんはともかく、タケミッチくんは知ってて俺に稀咲の話振ったんじゃないのか? 本当にどういう経緯で稀咲の姓と俺が結びついた?」

 

 訝しげな目で見られて、花垣の目がやや泳ぐ。知ってるっちゃ知ってるが本当に知っているだけで、詳細は一切聞けなかったのでどうしようもない。

 直人が調べた際、純丘榎という人間の記録は、存在したこと自体を怪しむレベルで一切発掘されなかったことにも納得がいった。偽名ならそらそう。

 

「とにかく、これオフレコな。東京卍會で知ってるの、たぶん君らだけだ」

 

 と述べて、それから純丘はふと視線を空に走らせる。

 

「いや、さすがに鉄太は知ってるか。あいつ記憶力いいから俺の顔覚えてるだろ……」

「てった」

 

 花垣はうっかり復唱してしまった。

 ウン、純丘は頷いた。

 

「抗争のとき、いたよな? 眼鏡かけて金髪でガングロの。あいつ俺の弟」

「弟ォ!?」

「わりと顔似てるだろ? 親離婚してるから苗字は違うんだけどな〜。稀咲は俺らにとって母方の姓」

 

 言われてみれば確かに面影は見えなくもない。鼻筋あたりに類似性が見える。

 言われないと似てるとか考えない上に、似てると思っても他人の空似だと勝手に納得してしまうレベル。

 

「これもオフレコなんだが、俺、心の底から実家も親戚もほぼほぼ全員合わなくて正直嫌いでさ。中学上がる前ぐらいからずっと純丘で押し通してんだよ」

「なる、ほど……」

「で、ここからが俺が稀咲の名前を警戒してる理由だが」

「ウソだろここまで前置きだったのかよ……」

 

 千冬はドン引きを隠せない。

 

「両親の離婚裁判がめーちゃめちゃそれはもう年単位で長引いてちょっと前に決着したせいで、俺、苗字が稀咲のまんまなんだよ。今年で成人したもんで。鉄太と俺が苗字違ェのはそのせい」

 

 純丘はテンポよく話していく。ところで苗字違うもなにも稀咲は稀咲って名乗ってますけど、とかだいぶ言い出しづらい空気である。

 

「そんでこの稀咲の実家、都合のいい後継者欲しがってるからさ。俺も鉄太も、どっちも出来は良い。ただ鉄太の親権が父親の方に取られたし不良の遊び始めたから、表面上品行方正で個人事業主もやってたり、比較的良い子ちゃんしてる俺にちょいちょいコナかけてきて……」

 

 柔和な表情で喋り倒していた純丘は、ここに来て、すんと表情を消した。

 花垣も千冬もちょっと怖かった。

 

「具体的には悪いお友達との交友関係切って土下座して頼み込むなら家の一員に戻ってくることも許してやろうとかそういうのを延々とな」

「すんませんあの詳しくはほんとに事情があって言えないんですけど、俺ご実家からなにか言われて榎さんと稀咲の話知ったわけじゃないです。マジで。誓って」

 

 表情も声も内容も完全に感情を失っていた。()の極みのような言い方をしていた。

 二十歳の若者のする顔じゃない——中身は二十六歳の花垣は内心泣きそうだった。今まで朗らかに喋っていただけに落差が大き過ぎた。

 

 ちなみに純丘はそのへんの印象をすべて考えた上で喋っている。

 

「それならいい。誰しも言いたくないことぐらいある」

 

 ケロッとした顔で言ってのける。

 純丘はアイスコーヒーをずずずとまた啜って、少し考えてから蓋を開けて氷の位置を確かめた。特に彼らへの敵意も見られない。

 

 花垣はこの際なので、今まで出てきた疑問を聞けるだけ聞くことにした。

 

「……あの、悪いお友達って、イザナ? くん? とか?」

「まあ彼も含むっちゃ含むな。他にもいろいろ。俺はカタギなんだけど知り合いがな。万次郎とか君らもカウントするだろうし」

 

 灰谷兄弟が筆頭である。

 とは花垣は知らないことで、純丘が今口にする必要のないことだ。

 

「ちなみに、あー、榎さんとこの兄弟仲はいいんすか?」

「たぶん悪くはないけど……実家出てから連絡取らないし会わないから、鉄太の顔はそれこそ、こないだの抗争で数年ぶりに見たよ。東京卍會入ってたことも知らなかった」

 

 なんとなく予想していたが、花垣はガックリ肩を落とした。千冬もアチャーの顔になった。

 彼らが以前、稀咲についての情報を問い詰めて警察を呼ばれかけた行為は、つまるところただの無駄骨だった。

 

「鉄太からは武芸の習い事禁止だったはずなんだけど、喧嘩とかするんだなーと思ったよ。そんぐらい。……まあ鉄太の方は、稀咲がどうこうとかはあんまり関わってないんじゃないか? 余波ぜんぶ俺に来てる感じだし」

 

 離婚により苗字が変わっていること。純丘本人の実家への忌避感。弟との没交渉っぷり。

 

 要因がいくつか重なったことにより、純丘は未だに、稀咲イコール実家のこと、と認識している。

 花垣や千冬の言う〝稀咲〟が己の弟を指している、とは思っていなかった。

 

「ナルホド〜……」

 

 諸々察して、花垣は小さく呟いた。千冬と目を合わせて、頷く。

 とりあえず眼前の男を問い詰めてもこれ以上の話は出てこない。

 

 なにより、不良ではない、という発言はやはり事実だ。

 

 知人がまあまあ偏っているだけの一般人。喧嘩のことはよく知らない。法律違反はなるべく避けて通る。品行方正かどうかはちょっと一旦置いといてそれでも経歴は極めてクリーン。

 要請されたとき以外は、基本、暴走族の事情には関わらない。今回もおそらく、頼まれて動いた結果としてたまたま場地が助かっただけ。それは東京卍會で純丘榎の知人たる少年たちも口を揃えて言っていた。

 

 林田春樹の親友が、親友であるというだけで愛美愛主(メビウス)に襲われた件を思えば、線引きに加えて自衛の意図もあるだろう。

 

 そして稀咲鉄太に協力しているなら、場地を助けには来ない。

 実際抗争当時の稀咲には、イザナの登場も、純丘の存在も完全に考慮の範囲外だった。

 

「そういえば、タケミッチのこと苗字で呼んでなかったっすか? 今あだ名の方で呼んでますね」

「ああそれは抗争でタケミッチくんが言ってたことが個人的にすげー好きだなって思ったから」

 

 なに!? とびっくりした花垣に「そう怯えなくても」純丘は愉快げにつぶやいた。

 

「無謀だしかっこわりーし実現可能性が一切伴ってなかったけど、うん、そうあるべきだよなって思ったのよ」

「……俺褒められてます?」

「褒めてる褒めてる」

「ほんとに?」

「ほんとほんと」

「ほんと?」

「しつこいなほんとだよ」

 

 少なくとも。たとえ東京卍會の内部に入り込むことで、もしかしたら、なにかを目論んでいたとしても。

 死の覚悟を決めた相手に対して、咄嗟の反応が応急処置を続けることなら。吐き出された言葉が無謀で強欲な理想論であるなら。

 

 もしなにかを企んでいたとしても、おそらく、そう悪い奴ではないと、純丘は考え直した。

 そもそも眼前の少年から、林田の保釈が提案されるようには思えなかったのも、ある。




血気胸
:気胸と血胸が同時に存在した状態を指す

ポケモン
:ルビーサファイア エメラルド ぐらいの時代

東京都の最低賃金
:2003年10月-2004年10月が708円
 2004年10月-2005年10月が710円

救心
:1913年から存在する、動悸、息切れ、気つけ用の薬
 キュ~ゥシンッ キュウシンッ

最敬礼
:45-90度

苗字
:成人すると親権の問題とかなくなるので
 苗字を変更すること自体は別途の手続きで可能だが、まあ面倒

機械仕掛けの神
:機械から出てくる神がすべてを解決する、という舞台特有のテンプレート的な展開を揶揄したもの
 ご都合主義的大団円の意味を指す
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