「ウワ〜いるし」
「ウゼェ……」
玄関開けてまず一言、竜胆の引き気味の半笑いに、場地は短く唸り声を返した。手に持ったホッチキスを威嚇のようにカチカチと鳴らしている。ホッチキスは威嚇の道具ではない。
純丘榎の城もとい1DKのマンションの一室に、現在当人は不在。卵買うの忘れてたとかなんとかで外出中。朝から親子丼のつもりでいたくせに、肝心の卵のストックが底を尽いていた元副部長は、鶏肉の鍋で妥協する気など毛頭ないのである。
俺は今日親子丼が食べたいので食べます。
本日は十一月十一日。1が四つのゾロ目の日付。
時刻はゾロ目ではなく午後の八時だ。
「あいつマジで雇い直したんだ」
机に積み上げられたプリントの山は、彼らにとってはお馴染み、純丘のお手製ドリルだ。
同族と同類の相違点
腹を裂かれて肺を損傷すればさしもの場地も死にかけたが、逆に、そうでもなければ彼はタフにも程がある生命力おばけ——五十対一の状況に陥ったとしても、馬鹿正直に一だけで倒せるタイプの少年だ。
時は二〇〇〇年代。開腹手術において、手術から退院までの日数は平均して約三週間、開胸手術に至っては四週間程度。
しかしこの場地圭介、日付を見ればわかる通り、刺されてから二週間も経たずに退院の許可が出ている。正しく回復力の化け物である。
入院中、担当の主治医にはあらゆる意味で〝ええ……〟の顔をされていた。
ごくごく妥当だ。
「時給七五〇円な」
場地は素気無く言った。「ホッチキス留めるだけのわりに高ェじゃん」竜胆はさっさと脱いだ靴を三和土の端に寄せて、靴下でフローリングを踏みしめる。
「あいつ俺らのことはタダで扱き使うくせに、贔屓じゃね?」
「アンタら勝手に上がり込んで飯食ってんじゃねえの」
「食うだろそこに置いてんだから」
「ゲームとかしてんじゃねえの」
「するだろハードあんだし」
「そのせいだろ」
「ハ?」
「ア?」
すぐさま彼らは睨み合って、それから同時に視線を外した。大変わかりづらく治安が悪いが、これは彼らにとっての挨拶である。
ああこいつ今日もいけすかねえなの再確認、と言い換えてもいい。
なお、贔屓されてんならむしろテメェらの方だろと場地は思っている。
これは兄弟本人らにも自覚があるので言ったところで意味がない。
「……てか族やめんだって、マジ?」
「マジっつかもう辞めた」
「へー。なんで?」
「……喧嘩に救心必要な特攻隊長ってダサくね?」
「ブッ」
チーム内でもウケていたのでなんとなく引き合いに出したが、実際爆笑されると場地もジト目で眺めるしかない。
そこまで笑うかよ、フツー。
「ア——ッハッハッハ! 救心! ヒィッ、ふ、ハハハッ!」
「るせーっ!」
ガチでそこまで笑うかよ!? 場地は憤慨した。
効果はない。むしろあったことがない。
手を叩いてまで笑い尽くした男は「いやウケるだろ、ナニ救心って」勝手に冷蔵庫を開けて、中を覗き込んでいる。
「今日シケてんな……お、鶏あるじゃん。なんか作るか」
「……あんた料理できんの?」
「けっこう上手ェよ? 土下座すんなら一口食わせてやってもいいけど」
「ンなら要らねー」
実際、誇張もなく上手い。かつて大惨事の粥を作った汚名を返上すべく、ひそかに練習し続けていた、という経緯がある。
なお一度たりとも他者に披露したことはない。
元副部長はもちろん、兄ですら、竜胆の料理の腕前が上がっていることを知らない。
「てか……部長親子丼食いたいとか言って卵買いに行ったし、鶏肉って、そのためのじゃね?」
「あー、じゃあそっち待ったほうが早ェな」
竜胆は納得したように頷いた。続いて、浅漬けのもとに漬け込んだきゅうりだけを引っ張り出した。
待った方が早いと言いつつも今取れるものは取っていくあたり、そういうところだ。あらゆるものの場所を自宅同然に把握しているし、自宅同然の顔で勝手に漁る。
家主ではない場地は咎めることもなく、バッチンパッチン、ホッチキスでドリルを留める作業に戻る。なにしろいつものことなので。
「んでさあ……でも、そんだけ?」
「しらねー。部長のことだし、親子丼以外にもなんか作んだろ」
「ヤ晩飯の話じゃねえよ。オマエがチーム辞めたの、そりゃ救心は面白ェけど」
そして唐突に話は戻ってきた。
「大して喧嘩もできねえ奴なんざそこらにいンだろ、幹部どころかチームごとやめんの?」
場地は胡乱気に竜胆を見遣った。
竜胆は、正しく軽い興味本位です、の顔で場地を見下ろしている。手元のタッパーからきゅうりをひとかけら摘んで、咀嚼した。
「……関係ねーだろ」
「……まァな?」
場地の短い反論に、頭上の頭はあっさり頷いた。そのまましゃがみ込んで、ローテーブルの横に胡座をかいた。
「俺は関係ねえけどさあ。てか正直興味ねェけどさ。ンでも気にするやつもいるんだわ」
タッパーを大きな手のひらが上から覆うように掴んでいる。ローテーブルに、とん、と置く。
「……部長はマジで気にしてたら聞いてくンだろ」
「んー。んー? まァフクブはな。てか、そんなに話せねえコト?」
思いの外食い下がる。場地はぎゅっと眉を寄せて、ドリルをまた一部手に取った。
竜胆はきゅうりをまた一欠片つまんで、口の中に放り込んだ。ぼりぼりと音を響かせながらも場地を観察している。
「……俺は。……べつに、イロイロ考えたんだよ」
「バカのくせにな」
「マジうるせえ」
訊いたかと思えば茶々を入れてくる。ひとにらみした場地に、とはいえ竜胆は口ぶりほど意地悪い表情でもなかった。すんとした様子でまたひとつ、浅漬けのきゅうりをつまんだ。
「で?」
衒いもない声音だ。
軽い口調で、ゆえにこそ、言外の強制力が目に見えるようだ。
場地はしばし黙した。ドリルのページを確認して、ホッチキスで留めて、それから、ホッチキスを一度テーブルに置いた。
「……アンタどこまで知ってんだ?」
「どこまでっつっても、オマエらの話は有名だし?」
「……有名だからってアンタらが突っつくかよ」
「あー、ンならそうだな。フクブがオマエを許してねえのは知ってるよ」
浅漬けの下の方に沈んでいた白菜を、指が無造作に引き上げて、口の中に放り込んだ。すさまじいスピードで浅漬けは消えていく。場地はそれを咎めない。
「……一回目は、誘われて、二人でやった」
ぽとんと言葉が落ちる。「俺は止めらんなかった」場地は続けた。
修飾語が著しく欠如し、目的語の示されない文章である。
「二回目も、誘われた。俺のせいだから、俺は、一人で止めようとした。つっても、駄目だったし、死ぬかと思った——思った、けど、生きてる」
竜胆の目つきは場地を俯瞰するそれだ。観察する、と言い換えてもいい。
推し量っている。推し量られている。一言一句を聞き取って、うちがわを、覗こうとしている。場地にとって不快な目つきであり態度である。普段なら殴っている。
なので——場地は、今は耐えた。
「お節介な奴らのせいで生き残った。余計なことしてくれたから、俺は。……まだ、生きてるのが不思議だよ。マジで死んだと思った」
ぐっぱーと手を閉じては開いて、場地は、そのまま己の掌を数秒見つめた。
それから目を閉じた。
「でも死んでねえから。……
「……だから、許してねえフクブか?」
「てより、部長は、俺たちをどっちも許してねえから。今は……」
尋ねた竜胆に、場地は目を閉じたまま答えた。すぐにぱっと目を開いた。
「つうかなんだかんだ二年も族やってきたしな。抗争やってる真っ最中でも俺にちょっかいかけられる新入りとか出てきてんだし、俺がわざわざ居続ける意味もねーだろ」
一気に早口に喋り倒して、場地はまたホッチキスをてのひらに握りしめた。
まとめられてないドリルをぱらぱらと捲って、ばちんばちん、ホッチキスがまた音を響かせていく。
「ふーん」
竜胆の相槌は心底適当そうだ。心が一切籠もってない声色である。
嘗めくさった反応に、とはいえ場地はとっくに慣れきって「エマにイザナクンのこと訊かれんのも面倒だしな。おちおち集会にも顔出せねえ」と付け加えた。
「ああ……相変わらず逃げ回ってんだよな。エマって、妹だっけ?」
「そー。気になんなら本人とこ行けっても言えねえしヨ」
「さすがに英断だわ」
竜胆は神妙に頷いた。
エマ本人には取り繕うかもしれないが、唆した場合、場地の無事は保証されない。竜胆も保証するつもりはない。
「……イザナの話じゃマイキーも大概拘ってるっぽいけど、意外と大人しいわけ?」
「ヤ全然、でもマイキーなら一発殴って逃げときゃ済む」
「無敵に一発入れて逃げられるカタギってなんだよ、マジで救心必要なわけ?」
「部長よりマシだろ」
「それはそうだわ」
タッパーの中身は空っぽになってしまった。再び竜胆は立ち上がって、大股の三歩で流しまで回り込む。タッパーの中に軽く水をかけて洗い流す。
最初はテーブルにそのまま放置していた少年がずいぶん進歩したものだ……これが純丘による三年半の成果ってワケ。
「そういうアンタらは……アンタの兄貴なんか荒れてるって聞いてるけどなにしてんだよ。抗争でわざわざ口出してんのも珍しかったけど」
「え? 知らねえ。俺最近帰ってねえし」
「あっそ……」
この灰谷竜胆くん、ハロウィンの抗争において鶴蝶に情報を流した件で蘭にわりと詰められかけたので、帰宅せずにそのへんを転々としているのがここ最近のルーティーン。
まさに今、元副部長のおうちにお邪魔しているのもその一環だった。
ちなみに蘭が荒れているのはハロウィンの抗争のせいなので、別に竜胆はあながち〝知らねえ〟わけでもない。
不要な説明を述べる気もない。
「口出しってアレ、イザナに声かけてたやつ?」
逆に言えば必要であれば説明を述べるときもある。何気ない口振りを装って、竜胆はひとつ指摘した。
「あれはたぶんイザナがブッ殺しそうだからメンドくて止めたんだろ。さすがに観客居過ぎて、準備なしに隠蔽できねえもんよ」
「インペイ」
「……フクブあいつこういうの毎回解説してんのマジで物好きじゃね? 替玉用意したり見てた奴ら潰したりな」
「ナルホド」
場地は得心とともに頷いた。
竜胆の解説も間違ってはいない。
対象が黒川イザナという男で、稀咲鉄太とかいう少年で、だからそのときばかりは例外だっただけの話だ。諸事情を把握していなければ納得に至るだろう。
「てかさあ、イザナが殺そうとした……メガネの、なんだっけ、キザキ?」
「……稀咲な」
諸事情を知っている者からすれば心底白々しい発言だが、この場には竜胆と場地の二人だけなのでツッコミが飛んでくる余地はない。
「確かオマエもブン殴ってたよな、なんか恨みでもあんの?」
「……よく覚えてんな」
「当たり前じゃん」
静かな口調でつぶやいた場地に、竜胆は鮮やかに切り返した。
彼は、先ほど通り、軽快な口調を意識して言った。
「頭ブン殴ったら下手すりゃ死ぬの、オマエが分かってねえワケねえし」
佐野真一郎を殺害したのは羽宮一虎で、正確な死因は脳挫傷である。スパナのフルスイングが正確に後頭部を捉えて、頭蓋骨をカチ割った。
場地が覚えていないはずもない。それでもその手段を選んだ——敢えて、と言い換えてもいい。
「あれマジで殺るつもりだったろ?」
明確な殺意と等号を結んで然る。
「そーだヨ」
場地の言葉は、今度は、解釈の余地もない肯定だ。彼はもう、ドリルから目を離さない。
「もうやんねえ」
これまたはっきりとした言葉だった。明瞭で、明白で、また、その他のあらゆる説明を意図的に削ぎ落としていた。追及を明確に拒絶する言葉でもある。
竜胆が持ち得る手札は少ない。場地の一連の言葉と、今までの言動と、竜胆自身が知っているいくつかのこと、それらから推し量れることはごくわずかだ。そも彼は、他人の様相から内心を深く洞察するなんて芸当、不得手である。
「っぱ良い子チャンだよな、オマエら」
「竜胆クンそれちょいちょい言うケド、部長とかどうなんだよ」
「アイツは妖怪」
「マァそう」
「目ェ離してる間にひとんち上がり込んでひとの飯を食い尽くした上で家主の悪口言ってるやつだ〜れだ」
レジ袋を引っ提げた純丘が帰宅したのは、ある意味もっともちょうどいいタイミングだった。
わざとらしい言葉と、雄弁にも突き刺さる視線。ただし竜胆は動じない。どころか、
「なあ冷蔵庫の浅漬け、味薄かったんだけど」
空のタッパーを放り込んだ流しを指して、いけしゃあしゃあと言ってのけた。予想通りだが予想通りでしかない返答をされて、純丘の目つきが思わずじとっと呆れをにじませた。
「そりゃ漬けてる時間短かったからな」
溜息混じりに述べて靴を脱ぐ。三和土に靴を揃えて、靴下がフローリングをすたすたと横切った。
「出る三十分前に漬けたモンがまさか帰宅前に食い尽くされてるとは思わねえだろ」
「次はもっと早めに漬けといて」
「なら君が来る前に一報入れろ。圭介なんか絡まれなかったか?」
「俺が絡む前提なんだよ」
「いつも絡まれてっから今更だろ」
「オイ」
「それはそう」
「オイコラ」
「ところで買い物中に蘭から電話来たんだが、あの口振り、たぶん君がここにいること読まれてるぞ」
竜胆は迅速に出立の準備を始めた。純丘は肩をすくめて、キッチンカウンターにレジ袋を下ろす。
場地は素知らぬ顔でまたパチンパチンとドリルを留めているが、もちろん、妖怪という意見に同意した声はちゃんと純丘も聞き取っていた。覚えてますとも、ええ。
手術から退院までの期間
:開腹手術と開胸手術いずれについても、厚労省の二〇〇二年の統計データたる手術前平均在院日数・手術後平均在院日数より
三年半
:純丘榎一人暮らし歴
そして灰谷兄弟ナチュラル不法侵入歴
スパナ
:スパナ
脳挫傷
:原作の描写を見るに脳裂傷だったかもな〜とも思う