【完結】罪状記録   作:初弦

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脅迫罪

「純丘とかは、最近付き合い悪いよな」

 

 不意に名指しされた純丘はそのとき、自作の握り飯を片手に単語帳を熱心に眺めていた。視線を上げて、数拍置いて、若干首をかしげる。脇の男子集団から放たれた言葉だったらしい。

 仕草に合わせるように机の下では足を組んだ。

 

「……元からじゃね?」

「それは、まあ、そうだけど」

 

 発言者のクラスメイトはすんと目が死んだ——名前は赤岸、友人はたくさんいるが恋人はいない——純丘はこちらもすんと表情を落とした。

 

「自慢じゃねえけど俺今まで付き合い良いときなかったと思う」

「ほんとに自慢になら……いや純丘は理由が理由だしな……」

「文化祭とか合唱コン準備とかは全然するもんな」

「ひたすら付き合いが悪いだけなんよ……」

「純丘って普段バイト以外なにしてんの?」

「課題と勉強と家事で一日が終わるけど……?」

「枯れてらあ」

 

 

 

  脅迫罪

 

 

 

 ちなみに彼らが友人同士かというと、仲は悪くはないがそこまででもない。それこそ〝仲は悪くないクラスメイトとしての付き合い〟だ。

 本人のノリ自体がとっつきにくいわけではないが、日常がアルバイトと勉強と家事で埋まっているので、クラスでそこまで深い繋がりを築いてはいない。アルバイトのために部活にも入っておらず、そこの繋がり等もないため〝クラスメイト以上友人未満〟のような関係性で周囲が固められるわけ。

 

 そも、特待に加えてアルバイトで生活費を賄う、清く正しく美しい……かはさておき、絵に描いたような優等生(たぶんきっとおそらく)こそが純丘榎である。

 

 口癖は〝優等生できなきゃとっくにくたばってる〟あるいは〝これで授業料払わなきゃいけなかったら臓器売買に手ェ出してた〟一応ジョークの類らしい。笑いどころは不明。

 金欠だと知れ渡っているが故、一度校内で財布の盗難騒ぎが起きたときに真っ先に疑われ〝俺がたかだか五、六桁のために学費ふいにすると思ってるんですか!? 授業料の何分の一だと思って!?〟と激怒した猛者。怒る方向性そっち? は複数人が思った。ただ疑いは晴れた。

 ボロッボロのアパートに一人暮らし。コインランドリーの普段遣いは値段が嵩むからと、放課後に週一で手作業による洗濯代行サービスを行っている。運動部が重宝している。親らしき人間は話に出たことすらなくてうっかり聞くに聞けない。

 

 純丘榎という高校二年生への共通認識である。付随するエピソードが軒並み濃い。濃すぎてものすごく話しかけづらい。話しかけても八割方予定が埋まってる。孤立するのも当たり前といえた。

 

「……素直にすごいんだけどさ、いや、もうちょい余裕あったじゃん。一年の頃は」

「あー、バイトの稼ぎがまだ薄かったから、周りの奢りで食費を補ったあの頃」

「ほんとどこ掘っても地雷原」

「純丘そういうとこだよお前」

「もう二十一世紀でこんな学生いるんだな……」

「親が嫌いじゃないならせいぜい大切にしろよ〜」

「重いんだよまじでよ〜どう反応しろってんだよ〜」

 

 偏差値は良いのだが、なにぶん私立高校なので〝少なくとも金銭面では不自由なく育ててもらった〟生徒が多くを占めている。

 貧困とは縁が遠く、アフリカでもないがふんわり別世界のこととして捉えているタイプ。バイト代は娯楽費に使うことができて、一人暮らしって大変だけど気楽そうだよな、無邪気にそう言えるかんじ。

 

 二十一世紀でとは言うけれど、生活保護の支給総額が二兆を越えたのが昨年たる二〇〇一年のこと。駅付近にホームレスもちらほらいる。

 純丘にとってそれらの事象は、あまり他人事とは言えず、でも馴染みがないならしゃーないよなとも彼は思っている。敢えて話題にする必要もあるまい。

 

「まあ……あと、趣味ができるようになったのもあるかもな」

「趣味あったんだ」

「うん、後輩に飯食わせンの」

「へえ?」

「……えっ? 趣味それ?」

 

 のんびりと会話を交わしていたクラスメイトたちが、はたと気づいて純丘の顔を見つめた。

 ぱちぱちと目を瞬かせる純丘。

 

「……後輩、かわいくね?」

「かわいい後輩って概念はわからなくもないけど? 確かに?」

「趣味とまで言うやつは早々いないだろ」

 

 全面的に正しい意見だ。

 

「てか後輩誰? 純丘お前帰宅部だよな、委員会? バイト先?」

「中学時代の後輩」

「面倒見いいな……面倒見いいのか? 趣味だからそうでもないのか?」

「むしろ趣味にするぐらい面倒見いいんじゃね」

「まああいつらクソ生意気だからよく蹴り飛ばしたくなるしなんでこいつらのこと構ってんだろうな俺って思うわけだが」

「本当になんで構ってんだよ」

 

 全面的に正しいツッコミだ。

 

「そう言われると……」

「そう言われると……?」

「……なんだろ……」

「なんだよ……こわいよ……」

 

 純丘が今年〝付き合いが悪くなった〟理由の大半が灰谷兄弟に起因しているのは間違いない。ちょこちょこ嵩んだ電気代と食費のためにアルバイトを増やし、必要に応じて時間を費やし、アパートに人を呼ぶなど鉢合わせを考えると以ての外。

 確かに趣味でもなければそこまでしないだろうが。

 

 純丘はおもむろに頷いた。

 

「あれ、あの」

「どれ」

「指示語で話すやつは頭が悪いぞ」

「指示語に謝れ文明の利器だぞ」

 

 指示語だけで喋っていた当人たる純丘が「文明の利器ではないだろ」最も素気なく返して「家に来る野良猫に餌やってる感じ」ついでにようやく語彙を引きずり出す。

 言わんとする内容はわかるが。

 

「……後輩の話なんだよな?」

「そう言ったろ?」

 

 掌中の握り飯をもそもそ食べ進める純丘。会話に飽きたからって露骨に片手間。

 やれやれ全くこいつは、あとでノート貸せよ。そんなふうに首を振るだけで許容されるあたり、クラスメイトに恵まれている……の、かもしれない。

 品行方正な優等生(自称)が纏めるノートは、言うだけあってわかりやすく、人気。

 

「確信犯なんだよなあ」

「それ誤用じゃね? 天然ボケみたいなのが確信犯。養殖ボケは故意犯だったと思う」

「養、殖……ボケ……?」

「俺理系なんで〜」

「理系でも問題文は日本語だろ現国甘く見んなよ」

「甘く見てねえから理系なんよ」

「それもそう」

「野良猫に餌やるのって良くないんじゃなかったか?」

「生態系的に良くなくね」

「よな」

「人の味覚えたヒグマが人を襲う的な意味でも良くない」

「純丘端々の例えがなんか怖いの、お前、やめてくれる? 猫のことなんだと思ってる?」

「野生動物」

「それはそう」

「それは間違いなくそう」

 

 脱線は続くよどこまでも。

 彼らは箸が転んだだけで笑えるお年頃、それなりのバカを仕出かす可能性が予め見込まれる年代。うっかり気を取られた瞬間話題のハンドルもそちらに取られて、くるくるきりりと回り回る。

 

 ちなみに野良猫に餌をやるリスクを正確に述べると、ゴミ捨て場を漁るようになる、人慣れしすぎて地域住民や観光客が持っている食料を奪う、人間には抗体のない病原の感染、等が考えられる。

 猫ちゃんのことが好きで保護したい人は、地域のルールと財力の範囲内で猫ちゃんを保護しましょう。学生ならば、調べた内容と保護計画を自由研究にでも仕立て上げれば一石二鳥でしょう。

 

 閑話休題(それはあんまり関係なくて)

 

「てかそれ後輩にも怒られね?」

「俺もパイセンに野良猫扱いされてたら微妙な気持ちになる」

「あ〜パイセンね? ゲジ眉パイセン」

「エでも俺加賀先輩ならアリ……」

「加賀先輩はそうだろ」

「うちの部長ならむしろやってほしい」

「バスケ部の部長誰」

「辺見さん」

「ガチのやつ」

 

 なにもかもリードしてもらいたい憧れの先輩(意味深)で定番の名前が二つも出てきてまた脱線。

 今度こそ主題だったはずの純丘を置いて〝どの先輩にナニ——すっとぼけ——してもらいたいか〟なんて話題で盛り上がるクラスメイトたちに「飽きねえな」机の天板に頬杖をついて、純丘はちいさくつぶやいた。

 

 クラスメイトたる彼らには、恋愛だの性的な事柄などに思春期相応の興味関心がある。と同時に、そのような話題にあまり乗ってこない人間を、積極的に巻き込まない程度には心優しい。

 つまり純丘は、ここでも勝手に輪から外れるタイプだった。特になにもしないからこその潜在的ぼっちはこのようにして作られる。

 

「でお前本人はどうなのよ」

「なにが」

「後輩に怒られねーの?」

 

 問いかけられた純丘は、ぱちぱちとやけに幼い仕草で目を瞬かせて、そしてふと笑ってみせる。

 悪ガキのような笑顔だ。

 

「バレたら殴り殺されっかも」

「こえーのよお前笑えねえ冗談しか言わねんだもん。笑えないの。怖いの。マジで」

「ハハハ」

「ハハハじゃなくて」

 

 その笑えない冗談は約二割の確率でただの真実だったりするが、今のところ校内ではバレていない。

 

「まあいいや……ところで榎くんさ」

「なにかな頼み事があるときだけ馴れ馴れしく下の名前で呼びやがるくん」

 

 純丘はにっこり笑みを深めた。雑談で心を和ませてから切り出そうとしていた赤岸、うっかり笑顔が引き攣った。

 

「ごめんて純丘……怒ってる?」

「怒ってないけど毎度わかりやすいなとは思ってる。聞くだけ聞いてやるよ」

「勉強教えてくださいません……?」

「一時間一三〇〇円軽食付きで支払ってくれんならいいぜ」

「高!?」

「俺のカテキョバイトの時給のだいたい三分の二」

「まじ……?」

「これに道場アシのバイトと塾講TAバイト加えてそれでもカツカツ」

「そんなことある……?」

 

 家賃、食費、水光熱費、交通費、授業料以外の学費、保護者の扶養から外れているゆえ生じる税金、保険料、その他雑費、そして貯金。合算すれば意外と金はかかるもの。

 しかも高校生の労働時間は月二百時間以内と労働基準法が定めている。

 

「まあやってもいいぜ、五人以上集まるならな」

「あ、まじ? やりい」

「参加費は一人当たり一時間三百円」

「なにがなんでも金は稼ぐつもりなんだな」

「重要だろ」

 

 肩をすくめる純丘は裏でこっそり〝守銭奴〟と呼ばれている。

 ことを実は彼自身も知っている。

 

 

 

 彼が集団の中に知った顔を見つけられたのは、ほぼ奇跡といっても過言ではなかった。

 彼は興味がない人間をほとんど認識しない。たとえ顔を覚えていて、興味を有している相手でも、知らない人々に囲まれていて、見慣れない服装を着ていれば、うっかり見落とす可能性の方が高かった。

 

 奇跡というか本当にたまたま。

 

「っぶねェだろうが万次郎、道路脇ではやめろ」

「あーあ、部長気づいちった」

 

 静かに忍び寄り、アスファルトを勢いよく蹴って斜め後ろから突っ込んでみたが、普通に振り返って受け止められた。

 両肩をしっかり掴んで——歩道から飛び出さないように——叱りつけてくる純丘を見上げて、万次郎はむと眉を寄せた。

 

「てか、俺は万次郎じゃなくてマイキー。いい加減覚えろよな」

「うん、それ言うなら俺だって部長じゃない」

「部長は部長だろ?」

「違えよ?」

 

 一方、同級生の脇腹に突っ込んで即捕獲された男児に「なに今飛んでったの、パチンコ玉?」「犬じゃね?」「あ、全然違うわ……小学生?」「純丘、知り合い?」クラスメイトたちが口々に尋ねた。

 改めて参加者を募った勉強会は総勢七人。日程や場所などの都合を擦り合わせた結果、参加者の大半が渋谷区住まいなので、そちらで行われる運びとなった。

 

 最後の問いに、微妙な表情で純丘は頷く。

 

「バイト先の空手道場の……孫」

「まご」

「一応、俺も道場通ってたことあるから、後輩って言ってもいいかもしれんが」

「あー、てことはあれか、よく晩飯もらって泊まるとこ」

「そうそう……このちっこいのの兄さんとか爺さん、俺のことベビーシッター兼業と思ってるふしあるからな」

「部長は家政夫だろ」

「澄んだ目で言いやがる……せめてカテキョで留めろ」

 

 でも純丘はわりとよく佐野家で夕飯をごちそうになるし、泊まらせてくれるし、佐野家のご厚意に預かるとそのぶんの光熱費が節約できる。もちろん通常よりは割安だが、掃除洗濯料理学習支援の軽い代行を行うと、お小遣いという形でバイト代も出る。これは忙しそうなタイミングに見かねて、礼ついでに彼らの家事にかなりガッツリ手を出してからの習慣。

 というわけで純丘もそこに関してはあまり強くは言わない。

 

「……で」

 

 身長が低い万次郎に合わせるように背中を曲げる。背が高い純丘はずいぶん窮屈そうに身を曲げることになる。

 

「なに? 急用?」

「見かけたからトトロごっこさせようと思って」

「本当に澄んだ目で言いやがる」

 

 佐野万次郎がかなり——だいぶ——自由人なのは、純丘もようよう理解していたので呆れと諦めが先にくる。

 それでも「急用でもないならっつか急用でもダメだが、背後から飛びつくのは、怪我しかねないからやめろ」強く言い聞かせた。

 

「部長は怪我しねえじゃん」

「俺も不意打ちでやられたら怪我する」

「今しなかったじゃん」

「するときはすんだよ。本人が言ってるんだからその言葉を信じろ。俺を過信するな。最強じゃねえの」

「そりゃあ……部長たまに俺に負けるし、当たり前だろ?」

「論点はそこじゃねえ」

 

 しかし手こずる。ああ言えばこう言う。

 

「小学生相手に負けんの?」

「だからこそここまで叱んだよ。そうじゃなくとも叱るけど」

 

 こいつ苦労してるんだな。勉強会メンバーの意見は一致したが、誰も助け船は出さなかった。ぶっちゃけ見てるだけだとめちゃめちゃ面白い。

 

「それより」

「流すな」

「部長なんでここいんの?」

 

 なんでこいつ俺の話聞いてくんないの?

 心底から不思議に思った純丘同様、万次郎もまた心底から不思議に思っているような顔だ。

 

「日曜だから塾はないし、場地の家庭教師は今週じゃねーだろ? 晴天教室は火曜と木曜(かーもく)で、道場(ウチ)来んのは金曜だし」

「いやめちゃくちゃ渋谷(こっち)でバイトしてんのな、今いくつ並んだ?」

「アだから渋谷開催アリっつったんか」

「晴天教室って青空教室みたいな名前だな、今戦後だった?」

「つーかなんで部長?」

「質問が……多い……」

 

 矢継ぎ早に並ぶまで一瞬だった。

 聖徳太子の生まれ変わりなら楽々処理できるのかもしれない。純丘はそうではなかったので思わずこめかみを押さえた。

 

「……まず万次郎、俺らは今から公民館で部屋借りて勉強会。いつもの晴天教室高校生版みたいなもん」

「えっずる、行っていい?」

「は? いや——」

「いんじゃね? 俺ら気にしないけど」

「そこは気にしろ」

 

 断ろうとした気配を察知した背後からの追撃。所謂フレンドリーファイア。完全に面白がっている。

 しばし思索を巡らせ、結局折れたのは純丘の方だ。

 

「俺の言う通りにできて、元々の勉強会メンバー優先でもいいなら」

「場地とケンチン呼んでくるな!」

「おい初耳の名前聞こえたぞ今、ちゃんと話わかっ……あいつマジで足速いな」

 

 アスファルトを蹴る音から本人の姿が消えるまでほぼ一瞬。呆然とこぼした純丘に、一連の様子を眺めていたメンバーは〝こいつ苦労してるんだな……〟で再び意見が一致した。

 

 ——ところで、これは単なる道理だが。

 

 自力で客を一定数以上集められるなら、どこかに雇われて働いて給料を貰うよりも、自分でどうにかする方が、安い料金で高い収入が得られる。

 あらゆる事業において、一定以上のスキルと知名度を積んだ人々が、独立を選ぶ理由のひとつでもある。

 

「最初は通ってた道場で、空き時間とか、稽古終わったあととかに、課題広げてちょこちょこやってたわけ。小学生ぐらいんとき」

 

 公民館までの道すがら。文化祭も定期テストもそれぞれ間近な季節柄。そろそろ蝉ファイナルにも遭遇しなくなった。

 集団の先頭を歩く純丘は、鞄の肩紐を掴んで掛け直す。

 

「まあ知っての通り、ちびっこってそういうことしてっと真似してくんだけど」

「ちびっこあんま接したことねえからわからん」

「真似してくんのホント。……ともかく、横で一緒にプリント広げてるちびっこたちの中で、勉強どっかで突っかかってるやつにちょこちょこアドバイスしたり、夏休みの宿題終わらない奴らとかまとめて面倒見てただけなんだけど」

「よくやるな……」

 

 さすがに趣味として〝後輩に飯を食わせること〟と宣う人間、なのかはわからないが。だけ、と言うわりにはナチュラルに結構な世話を焼いている。

 

「だんだんそのポジションが定着してって、図書館で定期勉強会やりだした頃かな、ちびっ子の親御さんの一人が〝いつも見てくれてありがとうこれお小遣い〟って夏目漱石二人渡してきて」

「二千円って言えよふつうに」

「その手があったかと他の保護者も含め定期的に金銭が渡されるもんだからこっちも気合を入れるようになり」

「まあ金もらってるし、そうなるな」

「責任感強くね? おれだったらフツーにラッキー! ぐらいに思いそうだわ」

 

 野次はBGMのようなものだ。一つ一つ答えているとキリがないので「それこそ千円単位ならともかく——」純丘はそのまま言葉を続けた。わずかにずれた肩紐を再び掛け直す。

 

「他人から万札貰うとか正直小学生にゃ対処しにくかったから、いやもうこれ一律の基準とか作ったほうがいいだろとなり」

「それはそうだな」

「結果開業した塾の屋号が晴天教室」

「……は?」

 

 早足に告げられた言葉に、一拍置いて、声が揃った。なんて? 黙々と公民館への道のりを先導する男の背に視線が集まった。

 起承転結で言うなら起と承は至極丁寧に解説されていたはずなのに、転結がいきなり一言にまとまった。

 

 頑なに振り返らず、落ち着かなさげに鞄の肩紐を執拗に触り続けるあたり、純丘にも自覚があるようだ。

 

「最後だけついていけないんだが。なに? え? 開業? 屋号? もしかしなくても自営業的なあれ?」

「自営業的なあれて」

「小規模だけどな……開業届って年齢制限ないから理論上幼児でも出せんだわ」

「それは知ってる。それは有名だから知ってる。知ってるけど」

「マジで言ってる?」

「道場も個人経営だから師範代の知恵借りつつ、納税地自宅にして、公民館が高校生以下は使用料取られねえからそこ教室にして、青色申告の知識叩っ込み、で整ったのはさすがに中学入ったあとで」

「怖い怖い怖いなにお前なにおまえ」

 

 立て板に水の如く早口になった同級生に、クラスメイトたる彼らは半ば引いている。半ばというかガッツリ引いている。

 本人がいくら小規模と主張していても——実際小規模には違いないが——同じ教室で机並べて授業受けているやつが開業していたらさすがに若干ビビる。

 

「他人から貰うにしてはえらい金額になってたから……俺が事業主だから、経費に学費も突っ込めるし」

「開業届ってそういうノリで出すモン?」

「節約って意味では正しいのかもな……?」

「なぜそれで金欠なのか」

「あくまでただのバイトより割良いってだけでそこまで売り上げてないからな」

「そういうもん……?」

「あとできることなら奨学金の返済を考えなくていい状態で大学行きたい」

「ああ……」

 

 さすがに受験の年は、アルバイトを減らしてでも学習時間を確保しなければと純丘も考えている。つまり必要なのはその間の生活費も含めた貯金。すなわち金。要は金。

 ……頑なに合法に拘っているので、純丘が金を稼ぐ方法には、労基による十八歳未満を対象とした労働時間の制限も含め、一切の違反要素が存在しない。彼の遵法スタンスはどちらかといえばある種の潔癖に近い。

 

「そういう経緯で教室の生徒はみんなこのへん住まいだし、どうせなら通勤定期買ってこっちをバイトの拠点に……なあ後ろから複数の駆け足聞こえんの俺の気のせい?」

 

 純丘は話題を急転換した。彼の声は若干疲弊していた。

 

「気のせいじゃないな~」

 

 最後尾を陣取っていたため、代表して振り返った赤岸が、間延びした声で言った。眉の上に手を当てて庇にしている。

 

「純丘、さっきの、サノくんの後ろに明らか四人ぐらいいるけど」

「よにん」

「バジくんとケン? くんって兄弟姉妹いたり?」

「ケンチンくんちゃんはさておき場地さんちの方は一人っ子すね……」

 

 つぶやいた純丘の視線は、心なし遥か遠くを見つめていた。

 当初覚悟していた人数から更に増えている。

 

 

 

「こっちケンチン。ケンチンこっち部長」

「せめて名前で紹介しろ……純丘榎、佐野家道場のアシスタントデス」

「龍宮寺堅っす、マイキーとは仲良くさせてもらってます。ドラケンって呼んでほしいっす」

「ドラケンくん……」

 

 公民館の一室にて、軽く頭を下げた龍宮寺に、純丘は二度三度とまばたきをした。彼の視線が龍宮寺から万次郎に移って、どこか呆気にとられた顔で、首をかしげる。

 

「……良い子、だな……?」

「なんでそんな、驚いたみたいな顔するわけ」

 

 いかにも不服という顔の万次郎。年齢と体格からくる小柄さ故に、パイプ椅子に深く座るとどうも爪先すら床に届かないらしい。両足をぷらぷらと揺らすさまは、ずれたメトロノームのようだ。

 

「君の知り合いだからとしか」

「めーよそきんだ」

「それを言うなら名誉毀損だ、ソキンじゃなくてキソン」

「へー……」

 

 明らかに興味のない声色。

 

「でもケンチンが良いやつってのは間違いないね」

「お、おう……」

 

 万次郎が自慢げなのはなんか違くね。

 純丘は思ったが、まあいいかと折り畳み机の足を伸ばして立ち上げる。

 

「こっち側の紹介はとりあえず机と椅子配置してからな」

「手伝えることありますか」

「めちゃくちゃ偉くね? 周り見てみろよ、エマも圭介も春樹もそこでくっちゃべってンぞ」

「え〜部長、ダメ?」

「良いけど」

 

 ここぞとばかりに上目遣い、エマの甘えるような声に、肩をすくめた純丘は両手にパイプ椅子を乱雑に抱える。

 

「それはそれとして手伝ってくれんならホワイトボードマーカー持ってきてほしい。優先は黒と青。なければ他の色と合わせて二色で」

「はいっす部長」

「……部長では、ない……」

 

 パイプ椅子を二つとも長机の脇に降ろして、手際よく開いて並べる彼を、赤岸が妙な目で見つめていた。

 

「なに」

「……お前なんで部長なの?」

 

 赤岸は先程も同じ問いを投げていた。

 純丘は眉を顰めた。

 

「……実は俺もなんでか知らない」

「あんなナチュラルに呼ばれてんのに……?」

 

 純丘榎はかつて軽音楽部の副部長を担当していたことはあるが、部長をしたことはなく、なにより万次郎たちは彼が副部長をしていた過去を知らない。

 

 じゃあ何故かって。

 ……さあ。

 

「だから純丘にしては抵抗してるワケ」

「万一なんかやばい由来だったら、さすがに……俺はノーと言える日本人」

「ノーと言える日本人だけど、イエスの許容がバグってっから連帯保証人になっても平然としてそ〜」

「心底余計なお世話だよ」

 

 賽銭箱を模した貯金箱は、多数の百円玉により、鈍器が如く重くなった。

 この賽銭箱型貯金箱は、修学旅行先にて〝苦しいときに駄賃捧げて純丘頼り、受験祈願みたいだよな〟と冗談半分に購入され、純丘に貢がれた土産だ。

 

 ちなみに彼らの通う高校では、修学旅行は七月に行われた——が純丘は〝今年度目算狂ってだいぶ金欠なんで無理っすね〟と参加できなかったので、代わりに土産を貢がれた、というオチがつく。

 彼は彼で、同級生が広島長崎と巡る中、文化祭の下準備を着々と進めつつ、兄弟喧嘩の末に怪我で身動きが取れない灰谷兄弟の世話を焼いて、と満喫していた。

 

 ……修学旅行はお察しの時期に行われた。

 

 絵に描いたような優等生といっても、確実にお目溢しされる状況でなければ、純丘が学校から抜け出すわけもなし。

 そしてご存知の通り、空元気でもなく本気で満喫していた。まあ行けなさそうなのは知ってたし、これはこれで面白かったし。的な。

 

 発端のしょうもなさと負傷による彼らの苦慮とそこに至る決定打すべて含め、純丘は灰谷兄弟の喧嘩を心から面白がっていた。もちろんドン引きもしていた。そういうところが〝まあ確かに優等生っちゃそうだけどさ……〟と言わんばかりの視線を送られる理由であり、同時に、週一以上の頻度で灰谷兄弟が家に転がり込んでくる理由でもある。

 

 思い出話はこれぐらいに。一方現在というやつ。

 

「そこのやたら顔似てる二人が久下と日吉の方の小野、特に血縁関係はない。やたらガタイがいいのが楓の方の小野で、ここ二人も特に血縁関係はなくて単純に同じ苗字なだけ。一時間三百円の値段設定で千円持ってきたのが原。勉強会っつってんのに何故かカメラ持ってきてんのが峰上。告知したっつうに一万崩してないアホが赤岸」

「紹介する気ある?」

「悪印象を植え付ける気しかないのか?」

「後半二名ほんとに文章がひどいんですよね」

「恨みのひとつふたつありそう」

「クラスメイトのことなんだと思ってんだ」

「俺おまえになにかやらかしたっけ?」

 

 大ブーイングは見事に黙殺されて、勉強会らしきものが始まっていた。円の面積に頭を捻っている横で、漸化式の解説が行われている混沌こそが今である。

 

「林田くん……それ夏休みの宿題って書いてあるの、気のせい?」

 

 日吉の方の小野に話を振られて、林田は誇らしげに答えた。

 

「夏休みの宿題だぜ」

「……もうすぐ九月末だよね?」

「またやらかしたんか君……」

「またて」

 

 間違いなく誇らしげに答えるべきところではない。

 腕を伸ばした純丘がシャープペンシルで課題のプリントをつつく。

 

「春樹が詰まってんの円の面積だな」

「パイとかわかんねえよ、おっぱいならわかるけど」

「そうだな、πは人間の部位じゃなく記号の名前だ」

 

 小学生男子の冗談に至極真面目くさった顔で返して——人間の部位て、お前仮にも男子高校生よな? ひそひそ囁く赤岸の足を軽く蹴って——つらりと述べられる円の面積の公式の解説に、林田は再び鉛筆を握り直した。

 やってみと促されるまま、たどたどしく綴られる文字の横で「純丘これわかる? こないだの小テストなんだけど」問いかけが投げられる。

 

「第四文型を第三文型に書き換える……」

「哀れみの目で見るな。悪かったな毎回引っかかって」

「そもtoとforの使い分けできてんの?」

「英語ってどうして必要なんだろう」

「前置詞のニュアンスから説明するとな」

 

 言葉のドッジボール——確実にキャッチボールではない——を交わしながら、数歩近寄って、純丘は背後から問題を覗き込む。

 彼は自らの課題を広げていない。今回の勉強会を、アルバイトの一環ぐらいに思っているだろうことが窺える。

 

「刺青って痛くないの」

「痛くないっす」

「入れるときは?」

「まあさすがに……」

「どんぐらい痛い? 火傷みたいな?」

「絡むな、酔っ払いか」

 

 説明が一段落ついて、龍宮寺の刺青に興味津々なクラスメイトを引き剥がして「てか課題終わったん?」「終わったからAOの実績探しよ」「あー……そういや芸大目指してんだっけ」純丘はカメラを一瞥した。だから持ってきてたわけ。

 

「そういうの撮りたいんなら比較的無害な知り合い呼びつけてやってもいいから。絡むなら仲良くなってからやれ」

「まるで有害な知り合いがいそうな言い様」

「君とて半身に墨入れてんのとか少年院経験者とかはさすがにビビるだろ」

「お前なんで怖え冗談しか言わねえわけ?」

 

 日頃からたちの悪い冗談を口にしていると、いざ真実を話しても信用されないのは狼少年の例だが、これを悪用している純丘の会話ではわりと雑に周囲の情報が漏れている。

 

 そんなことは知る由もないが、純丘が普段道場や教室でどのような振る舞いかを知っているエマは、部長ってほんとに当然みたいにみんなのお世話してるなあ、なんて感想を抱いていた。

 十分もない間に問題解説を二つ、仲裁をひとつ、ちょっかいへの反撃をひとつ。座っているより立っている方が移動が楽なのだろうが、それにしてもパイプ椅子に戻る気配がない。

 

 ところで、人の集中力というものには限界がある。

 

「飽きた」

 

 逸早くそこに到達して、潔く諦めて、からんと鉛筆を投げ出したのは万次郎だ。机の縁に手をついてパイプ椅子を斜めに傾がせている。

 

「危ないからやめような」

 

 言いながら純丘は万次郎を椅子から持ち上げた。止め方が物理。

 

「部長〜勉強ってどっかで役に立つ?」

「君次第」

 

 ぷらんと持ち上げられたまま尋ねる万次郎。慣れた様子で力を抜いている。そのさまは抱っこで伸びた猫を連想させる。

 ……そういや今日猫に餌やったっけ、鼻と上唇の間に鉛筆を載せて、場地はふと思った。流れ弾で彼の気も逸れていた。

 

「役立てたいならその勉強が活かせる職業につけよ」

「んじゃ歴史ってどっかで役に立つ?」

「一例を挙げるなら文化の成り立ちを理解把握することで地方の産業の売り込み方を詳しく考えられるたとえば文化が似た地域ならば発展先を参考にすることができ異なる地域であれば分業による発展が」

「一言でまとめて」

「役に立たせようと思えばそういう職はいくらでもある」

 

 ぶらぶらと足を揺らし始めた万次郎は椅子の上に下ろされた。重心がずれるものを長く抱えているのは難しい。

 流れるように両足を持って、きっちりと足を揃えさせる。腕も同様。もはや塾講師というよりマナー講師の領分だ。それか小学校の先生。

 

「じゃあバイクの勉強とかねえの? 俺兄貴みたいなことやんならやる気出る」

「国語と算数と理科と社会やれ、あと余裕があったら英語」

 

 まともに答える気なくね? 地味にクラスメイトを含めた周囲からの視線を集めた純丘は、しかし真面目くさった顔をしている。

 

「数字と金属の特性がわかればバイクがもっとわかるようになる。日本じゃ漢字読めなきゃ接客もできねえし世間の仕組みがわからなきゃバイクできても金が確保できなくて死ぬ。なにより工業高校も結局入試がある」

「へえ」

「雑な相槌だこと」

 

 意外と真摯な答えに対して反応がこれである。

 小学生だとそんなもんかね、大してこだわりもなく思った純丘に「そういやさあ部長」揃えた足をぷらぷらと揺らして万次郎がふと呼んだ。

 

「前に言ってたのまだ解けねーんだけど、部長ならわかる?」

「……だァから問題用紙持ってこいって」

「近くに置きっぱだからあとで付き合ってよ」

「良いけど……」

 

 ガシガシ頭を掻いた純丘は、ふと眉を顰めた。

 

「君、それ、真一郎さんとかには帰るの遅れるかもって伝えてあるんだよな?」

「そんなわけなくね?」

「曇りなき眼か?」

 

 

 

 諸刃の剣、という言葉がある。

 

 両辺に刃がついた剣は、誰かに向けて振り上げる際、使い手すらも傷つける可能性がある。そこから転じて、益を生み出すが、しばしば害を及ぼす可能性もあるあらゆるものを、諸刃の剣と呼ぶ。

 

「というか振り上げて怪我する時点でそいつ素人だしな? 日本刀みたいな切れ味だと、諺になる程度には実用性がないから、近代あたりには両刃の剣とか死んでるしな?」

「今度からモロハノツルギは答えられるかも」

「そりゃ教示した甲斐があらァ」

 

 あっけらかんと言う万次郎。純丘は首の関節を軽く鳴らした。

 

「漢字自体は、両側の両でも諸君の諸でもどちらでも問題ない」

「ショクンのショってどういう字?」

「言偏に、右側は作者とか業者とかの者——まあ、世間話は一旦置くとしてだ」

 

 アスファルトを踵で蹴り上げて、純丘は少し首を傾げた。片手にはカメラが握られている。

 レンズは路地裏奥を照らし出している。暗がりに屯する数人をガラスが反射していた。

 

「一応撮ったけど、改めて、こいつらであってるんだよな?」

「そ」

 

 短く肯定したのは万次郎だ。「なんだよ、」半笑いで立ち上がった中学生数人を、無機質な目で眺めている。

 純丘は軽く息を吐いた。呆れを含んだ溜息に聞こえた。

 

「……陰に隠れて飲酒喫煙してるわりに、制服なわけ」

「突っ込むとこそこ? 部長わかんねーな」

「わかられても困るな……」

「おい、なにコソコソ話してんの……なにそれ。まさか撮った?」

「ちなみに未成年喫煙禁止法でも、未成年飲酒禁止法でも、未成年本人に罰が下るこたない。まあ怒られるとか酒タバコ没収ぐらいにはなるけど」

「しょぼいってことじゃん」

「しょぼいっつーか、無責任? 無免も悪質なら少年院行きだが、まあ、中坊なら少年法の範囲だろ……そのへんはな」

 

 話しながらも胸倉を掴もうとした手首を捻り上げて「あそこの中学か、教室にそこの生徒いたから電番わかるな……」間近で制服の形をじっくり検分、無関心につぶやいた純丘は、万次郎を振り返った。

 

「聴取とかやると思うけどそれ込みで帰り時間伝えとけよ」

「ん〜」

「返事は、はい」

「はぁいはい」

「っにしてんだよふざけやがって、勝手に撮っていいと思って——」

「いいと思ってるなあ?」

 

 腕を握る力にほんのちょっと力を込めれば、悲鳴に近い呻き声。純丘は慌てず騒がず、伸ばしてくる腕からカメラを守りきり、万次郎に渡す。そうして彼は改めて、自分より幾分身長の低い彼らを一瞥した。

 睥睨に近い視線に、集団はわずかにたじろいだようだった。

 

「傷を負わせる意図がある素振りは、怪我しなくたって暴行罪。殴るふりだけで脅すつもりだったとしても、今度は脅迫罪になる」

 

 空いている掌が万次郎の頭をぐしぐしと掻き回した。髪が乱れた万次郎は、手櫛で髪の毛を整える。ずいぶん慣れた手付きだ。兄に日常的に撫でられているからこそ。

 佐野家の道場に度々立ち寄り、それを見ていた純丘も、いつからかやり始めた。

 

「言葉として明言される必要はない。覚えといて損はねえけど、まあ、忘れそうだな?」

「ガキ扱いするじゃん」

「君扱いだよ。さて」

 

 改めて視線を受けた万次郎が、覚束ない手付きながら、デジタルカメラを操作する。

 再生された映像はつい数分前までの路地裏を映していた。下卑た笑みを浮かべた学生ら。

 

〝やっすい風俗にいる女なんかドブみてえなもんだろ〟

〝だとしたってイリャショー取らねえと気が収まらねえ〟

〝バッカ慰謝料だよ、イシャリョー! イリャショーってなんだよ〟

〝ギャハハハ! それ最っ高! マ、あんなツマンネーやつ、殴ったところでどうにもなんねえし……〟

〝頭良いよなあやっぱ、ほら、前言ってたのとかさあ〟

〝ああ……オヤみてーなもんなら、コドモのしたこと責任取るのがオヤだろ、ってやつ?〟

〝そうそれ〜!〟

 

 いっそ無邪気なほどに、罪悪感のない、楽しげな声だった。

 だからこそ悪意にまみれた声でもあった。

 

 万次郎の声が〝うわ〟と小さく入っているあたりで、純丘の指が伸びて映像を一旦止める。

 

「恐喝罪、住居侵入罪、強姦罪、強要罪、計画段階ないし未遂が大半。罪状としちゃあんまぱっとしない……が、高校受験を控えたクソガキなら十二分に大打撃だろ」

「なんだよ、脅してんのか?」

「まさか」

 

 唇をゆがめて、純丘はうすく微笑んだ——その目が侮蔑を宿して眼前を見下ろしていること、そこに気づいたのは万次郎ぐらいだ。

 なにせ他の目撃者たる中学生らは軒並み初対面なので、純丘の普段の笑い方などを知る由もない。違いがわかるわけもない。

 

「ウチの教え子のお友達に目ェつけて、散々こっちを煩わせやがって? まァさか警告程度で済むと思ってたわけ? ずいぶんおめでてェこと」

 

 ただ声色は本当にあからさまだった。

 

「なんであれ、正しくなくとも賢く使うべきだ。暴力で支配しようとしたのはまだしも、しっぺ返し食らって、そんでも懲りねえ時点で、ド三流の使い方。……なに、こっちは慣れてるんでね、愚か者でもわかるように、警察での手続きも一から教えてやっから安心しろ? もちろん学校への連絡もな」

 

 悲しいことに純丘はそういう諸々の処理に慣れきっていた。主にどこぞの兄弟が原因で。

 

 

 

 警察署のロビーにて、ソファに腰掛ける純丘。彼はちまちまケータイのテンキーを打ち続けている。開いているのはメール編集画面、宛先は峰上で〝カメラさんきゅ〟が件名だ。

 純丘は当然ながら金欠なのでカメラなど携帯しているわけもない。そして二〇〇〇年代初頭のケータイの録画機能は容量がクソ雑魚ナメクジ。要はほぼほぼ使いものにならない。

 

 短い感謝と〝ちなみに礼ついでに刺青の資料とか撮ってきた方が良い?〟と最後にしたため送信したところで「榎」と声がかかった。ケータイをぱちんと閉じて立ち上がる。

 道場の先輩、兼、雇い主の孫たる真一郎は、その背中にすぴすぴと寝息を立てる弟を背負っていた。

 

「万次郎が悪かったな」

「ヤ別に」

 

 純丘は短く首を振った。それだけではあまりにも愛想がないので「てか万次郎今回は悪くないですし」付け足す。

 

「あー……」

 

 真一郎はものすごく微妙な表情を浮かべた。これ突っつかない方が楽なやつだな、純丘は至極ドライに判断。追及しないと小さく心に誓って、ショルダーバッグを持ち直す。

 

「あのな」

「はぁ」

 

 心中の誓いなど口に出さなければ伝わるわけもあるまいよ。

 

「リーダー格の、鮫島くん」

「鮫山くんならいましたね」

「ヤベ……万次郎さ、去年あいつの顔面に膝蹴り入れてんだわ」

「へえ、怪我の程度は」

「……顔面骨骨折」

「顎?」

「……鼻……」

「それもう顔面陥没じゃないすか、ウケる」

「ワハハ」

 

 喉を鳴らした純丘に空々しく笑い声が重なる。

 一頻り乾いた笑い方をして、そして真一郎はすんと顔から表情を消した。

 

「榎、そういうとこだよな、いや俺が言えたことでもないけど。そういうとこだよな」

「つってもどうせそれも万次郎が百悪いわけでもないっしょ、まあ顔面陥没させた時点で万次郎の過失のが割合デカそうですけど」

「ハハハ」

「あと万次郎がそういうことすんの、だいたいあんたがやんちゃしてた頃のリスペクト的なあれですし。ほんとに言えたことじゃねえっつか」

「……ゴメン……」

「……や、べつに……」

 

 本当に責めるつもりは微塵もなかった純丘、あまりにも悄然と謝られてちょっとたじろぐの巻。行き場もない手が彷徨って、ポケットに入ったケータイの塗装を、指の腹で無意味に撫でた。

 第一今回、真一郎は悪くない。どころか、確かに万次郎から投げられた案件といっても、保護者になんの連絡もなく即座に警察沙汰(※通報する側)まで発展させた純丘の方に非がある。

 

「いやまじで気にしてないんすよ。俺の内申はこういうのの積み重ねで上がるんで」

「あ〜……なら有り難く受け取っとくな」

 

 あんなに渋ってた真一郎は、内申の話を持ち出した瞬間ようやく笑みを見せた。

 俺そんなに〝内申のためならなんでもやるやつ〟みたいな印象なんですかね、純丘はちょっと不本意に思った。言わなかった。

 答えがわかりきっていたので。

 

「そういや……相談されてたってほんとか?」

 

 真一郎に尋ねられて、まあ、純丘は頷く。

 

「わかりやすい相談ってほど相談の形してなかったすけど。新しいお友達がしつこく絡まれてるけどなんか良いあしらい方ある、みたいな入りだったし」

 

 あらゆる知識を溜め込んでいる点——もあるが、それ以上に純丘自身素行が良い()()()()()ことに長けているため、そのような処理に関して稀に知恵を求められる。

 とはいっても本当に稀だ。純丘が扱うのは、筋肉と威圧を使ったゴリ押しというより、法律と知恵と心理、あと人脈と人望で殴るタイプの搦め手。ストレートに暴力で殴って解決するのではなく、複雑で、一見手間がかかる。要は好かれない。

 

 今回は万次郎が特別気に入った、そして、新しくできた友人だったから、というのが大きいのだろう。基本的に万次郎の〝オキニ〟は広く知れ渡っており、継続してちょっかいをかけられる方が珍しい。

 

「……ちなみにいつから?」

「あー、数ヶ月前……? 初回はワンシーズンは前すね、たぶん春前? そんな丁寧に記録とかつけてないんで曖昧すけど」

「……俺にはそういうのなかっ……!」

「……そりゃあんたフツーにそういうの不得意でしょ」

「得意になりてえ」

 

 凹んだ真一郎に「あんた俺みたいなの得意になったら今の長所潰れると思うんでやめたほうがいいっすよ」純丘はにべもない。

 

「自分で言うのもなんというか、俺の手段はだいぶ姑息なんで」

「助かってる」

「そろそろ畏まるのやめていただけませんかね? ……あと、どーも悪質っぽいし、でもお友達に要らん気後れさせたくないし、タチ悪いなら下手に弱いの連れてると困るし、で、俺の出番みたいな」

「喧嘩……強かったら、良かったな……」

「はいはい雑魚雑魚」

「おい」

 

 こういうとこ、真一郎は、わかりやすく敬われないけれど尊敬されるタイプなんだよな。純丘はそう思っている。

 たぶん純丘も、真一郎の世話焼きの影響はちょっと受けている。

 

 気もしなくもない。

 




猫ちゃんを保護
:地域猫とかそういうの

泊まらせてくれるし
:未成年飲酒事件の夜に夢主が家にいなかった理由

青空教室
:あとは震災被害にあったり校舎建設が追いつかなかったりした学校とか難民キャンプとか

開業届
:理論上は本当に出せる
 子役とか
 今だとYou Tuberとかもたぶん

青色申告
:ふつうは白色申告
 書き方がむずい

奨学金
:有利子の奨学金は一九八〇年代から導入された
 というか、国の方針により、返済免除制度を活用した実質的な給付型奨学金はこの頃にはほぼ消えている
 二〇〇三年(この翌年)に無利子の奨学金を上回る
 二〇〇四年(この翌々年)には院生向け以外の返済免除制度は完全廃止

AO
:日本では1990年から慶應義塾大学で開始
 アメリカの同名の制度とはシステムからして若干違う

円の面積
:小6の範囲

漸化式
:数学2Bの範囲

文型
:高2の範囲

中学生
:2巻で出てくる
 鮫山くん他ドラケンのことパシってた子ら

喧嘩……強かったら
:これを書いたのが去年
 なお現在本誌
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