【完結】罪状記録   作:初弦

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愛情は違法にはできない
on11.21


 世界は特定の誰かを中心には回らない。

 世界は特定の誰かにばかり都合よく進まない。

 

 すべてのものごとが、過去を前提に作られて、相互に連鎖している。

 

 

 

  on11.21

 

 

 

 純丘と灰谷兄弟の付き合いは五年を超える。

 

 実際のところ、ここから純丘の受験期や灰谷兄弟の少年院収容の時期を差っ引くと一、二年分減るのだが、とはいえそれでも四捨五入で四年とカウントできるくらいにはつるんできた。

 片や(発言はさておき)清廉潔白な優等生、片や犯罪隠蔽悪行三昧の素行不良少年ども、要素を揃えて並べれて展示すればご覧の通り、さながら水と油である。水と油を同空間でシェイクしたところで、地上ではせいぜいがもって十秒だというのに。

 

 彼らの付き合いが十秒どころか数年ちょっと続くには、まず一因として、純丘の薄情が効いていた。

 確かに起きているはずの事柄に、見て見ぬふりをしてしまえる。名も顔も知らぬ他人より身近な知人を取る人間である。また、隠し事を暴かないといえば聞こえはいいが、隣人が苦しんでいても気づかないふりができるとも言い換えられる。

 灰谷兄弟の警戒心の高さも効いていた。

 日常を詳らかに開示しない。自分たちの領域へと引き込むことも、要時以外では皆無。尋ねられても自分たちに関係することは敢えて避けて黙して語らぬ。純丘が、彼らの悪行を本人たちの口から直接知ることは、ほぼほぼない。

 

 そしてなにより、どちらも、根本の部分では相容れないとわかっていた。

 

 生まれ育った環境が明白に違って、尊重するものがそれぞれ異なる。前提条件がそのようにバラバラであれば、導き出される結論が全く違って、価値観も様変わりしていくのは自明だ。

 だから、無益な諍いが起こりそうな事情には、どちらも意図的に踏み込まない。そんな配慮をする程度にはお互いの存在を惜しんでいる。

 

 必要でないなら水と油を無理に混ぜることもないだろう。

 完全に分離していればさざなみのひとつも起きやしない。

 

 彼らは、彼らなりにお互いを尊重するために、自らの心を開示し合って理解を深めるのではなく、もう一方の領域に踏み込まないことを選択した。

 

 先んじて線を引いて、ここから踏み込むなよと警告した。警告文に素直に従った。

 お互いに、だ。

 

「フクブさあ」

「なんだよ」

 

 食べているときに喋るとくぐもった声になる。純丘はちょうどプロテインバーを咀嚼していたので、発音としては〝あんあよ〟に近かった。

 こいついっつもなんか食いながら課題やってんな、蘭はしらっとした目で眺めている。

 

 純丘はわりとしっかり自炊するタイプなので、これは一食ではなくおやつがてらの間食。頭を使うとエネルギーがほしくなる——頭脳労働に適しているのは確実にプロテインバーではないがそこはアレだ。好み。以上。

 

「また俺らがパクられそうだったらオマエどーする?」

「……ええ……」

 

 心底困惑した声である。

 純丘は、ボールペンを片手に、もう片方の手にプロテインバーを握って——絵面はちょっと間抜け——半眼で蘭を眺めた。蘭はとぼけたように目をぱちぱちと瞬きしてみせた。

 

「……なにか隠蔽に失敗したのか?」

「フクブまじで俺らのこと信用してねえな〜」

 

 初手で聞くことが既遂前提。

 

「信頼してるから聞くんだろ」

「そりゃそう」

 

 口が上手い男である。事実でもある。「仮定だよ。好きだろ? もしものハナシ」指先を振る蘭を、ますます、純丘は訝しげな顔で眺めた。

 

「……今度こそ少年刑務所か?」

「さァな」

「……やらかす時期によっちゃ、ただの刑務所の方かもな」

「ハハ、まじ失礼」

「貶すつもりならこんな直截に言わねえよ。もう少し遠回しにする」

 

 灰谷兄弟と長いこと付き合うに当たって、性格が完全に清廉潔白だとさすがになにかの軋轢が既に起きている、という一例。

 気のない声で喋りながら、純丘はボールペンの頭を顎に当てた。しばし頭を傾げて考え込む。

 

「……そうだな。俺の素行なら第111条だとかでも弾かれないだろうし、面会は行ってやるよ」

「一緒に隠蔽してくんねェワケ」

「君らにそういうお仲間は沢山いるだろ。俺が今更加わっても人手過多じゃね」

「しおらしいこと言うよな〜実際人手不足ンときに採用したらオマエ手伝うどころか通報するくせに」

「ははは。俺の前でやったときが君らの最後の娑婆かもな」

「マジじゃん、言い方が」

 

 言い方どころではなくマジなことは蘭もわかっている。

 純丘の倫理観は、たとえギリギリスレスレ四捨五入でも、確かに真っ当な領域に留まっている。蘭も、弟の竜胆も、それを知っている。

 

「冤罪ならどうにかしてやるけど」

「まァ冤罪ならフクブが首突っ込む前にそいつの首は切るけど」

「もしそれを実行したとしても、絶対に俺に言うなよ……ところで、本当にどうした?」

 

 真剣な口調で釘を刺して、ついでに本当に怪訝そうに尋ね返すから、いや、と蘭は頬を上げて笑顔を作ってみせた。

 

「面会はすンだよなーってよ」

「しないほど仲悪くもねえだろ」

「そうなんだよなあ」

 

 元副部長が高校進学時に住所を教えたのは、灰谷兄弟が既に〝仲悪くもない〟ポジションにあったからだ。

 灰谷兄弟が元副部長の言うことをある程度聞き入れるのは、元副部長をそれだけ許容しているからだ。

 

 ラインを越えたタイミングがどこにあったのか、そも何故大多数の他人と別枠で置いているのかは、彼らもいまいち理解していない。

 

「なんなら、出所してもフクブはフツーに俺らが押しかけても鍵寄越しそうだし飯作りそうだよな」

「まあ実際そうするだろうな。今までと大して変わんねえ」

 

 高校時代の純丘とて、傷害致死という言葉が示す意味は大脳辺縁系——つまり、記憶領域——に既に刻まれていた。

 兄弟の保護者からだいぶかなり軽いノリで託されたのは確かだが、それでも、少年院に手紙を送るにあたってきちんと規則を調べた。少年院という施設がどのようなものかも、一般的な知識は把握している。

 

「頼って良いっつっときながら実際頼ったら嫌な顔すんのが人間だってのに、フクブはまだお人好しだよなあ。嫌な顔しても引き受けんだから」

「嫌味か皮肉にしか聞こえないんだが……」

「俺はそういうやつのが好きだぜ? 嫌な顔しねえやつは潰れて淘汰されてったのが今だろ」

「適者生存の話してる?」

 

 課題半分(なんなら食事四分のいち)で会話しているものだから、純丘の相槌は心底適当だ。再び視線はテキストに戻っている。

 

 蘭は、口ぶりとは裏腹に、純丘を無感情に眺めていた。

 

 犯罪の隠蔽には手を貸さない。どころか情によるカウントとは無関係に通報する。

 それでも、人を害する害さないとは関係なく、純丘は彼らとの付き合いを続けるだろう。実際、続けてきたのが今だ。

 

 中学の時からそうだった。彼らが出会った頃と、同時に、少年院を出てからも含む。

 やらかしたとすればやらかした範囲を聞く。怪我の度合いを聞く。何故行ったのかを尋ねる。非がある部分は叱りつけ、兄弟が過剰な仕打ちを受けていれば〝品行方正な優等生〟としての立場を存分に利用する。

 

 真っ当な対応ばかりだった。

 それでいて明白に、外側にあれば割かれなかったこころでもある。

 

「あんさあ」

「なに」

「もうここ来ねえから」

 

 極めて無感情な物言いだった。プロテインバーを咀嚼していた顎が動きを止めた。

 一秒にも満たない——すぐに動作は再開される。飲み込んで、固形の携帯食料を机に置いた。

 

 一連の作業を眺めながら、蘭は言葉を続けた。

 

「オマエも俺らの家とか来んなよ。話しかけんのもナシな」

「……今回はいつまでとかじゃないやつだな?」

「ハハ、一生〜」

「一生かあ」

「俺らこれでも極悪の世代とか言われてんだよ。俺らがやろうとしてること、フクブみてェなイイコチャンが聞いたら卒倒するかもな」

「俺のことどれだけ弱っちい判定なわけ?」

「ヤク中ども見てゲロ吐く雑魚」

 

 一切否定できないところを持ち出されたので純丘は黙った。「第一よ、もう俺と竜胆、まとめて相手できねえだろ? 一人でもキチィんじゃね」蘭は衒いもなく喋り続ける。

 

「楽しかったけど。やっぱ要らねえよ、ろくに喧嘩もできねえパンピーなんざ」

 

 灰谷蘭は、少年院を出てから、髪を伸ばし続けて整えてきていた。最近はまた三つ編みにしている事が多い。

 今は髪は解かれている。結ばれていない己の髪束を、指でつまんで、無意味にいじっている。

 

「フクブもいい加減、お人好しヅラして俺らのことに首突っ込むのやめればァ? 門外漢が出てきてもこっちとしちゃ始末が面倒になるだけだし、余計なお世話なんか焼く必要、ねえだろ」

 

 ボールペンもテーブルに置いて、純丘は細く息を吐く。そのまま立ち上がる。

 彼の位置から見て、すぐ横を絶妙に塞ぐ位置に蘭がいる。一八〇㎝の体躯はさすがに跨ぐには面倒だ。

 

 蘭の背後を回って、フローリングを踏みしめる。ぺたぺたと慣れた足取りでキッチンに向かう。

 そこに言葉はない。

 

「……聞ィてんの」

「聞いてるよ。俺としては異論はない」

 

 いつも通りのトーンである。無理をしているような素振りもなく、なにかを抑え込むような声でもない。

 本当に、ただ至っていつも通りの声色だ。純丘は、世間話をするときもたいていこのような言い方をする。

 

「元々、部活も終わってからは、俺には君らを監督する大義名分なんてない。君らが要らねえと言えば関わらない立場だ。言ったろ?」

 

 もはや三年以上前の話だ。

 不法侵入を行った元部員二人の前で、そのように言ってのけた。

 

 蘭は数秒、純丘の背を仰視していた。それからかくんと首を下向きに折り曲げて、だよなァ、気の抜けた声を上げる。わりと人間の可動域ギリギリだ。

 

 冷蔵庫から取り出したペットボトルから、麦茶をコップにつぐ。小器用にも片手でふたつのコップを持って、純丘は再び、蘭の背後を通って、ローテーブルにコップを二つ置こうとした。

 ふとそのまま、コンパクトに丸まった一八〇㎝を俯瞰した。

 

 興味が湧いたのでうなじの上にコップを当ててみた。

 

「つめった!?」

 

 コップに入った麦茶は冷蔵庫で冷やされていたので、水温としてはだいたい三℃。

 振り払って後ずさってローテーブルの角に背中をしたたかにぶつけて——六本木のカリスマ、悶絶。

 

 なおここまで一秒。

 

「いたそ……」

「だッれのせいだよァア゛ッじで吊るすぞ!?」

「まあ俺だな。吊るすのは洗濯物ぐらいにしてくれ」

「こンのクソゴミ野郎……」

 

 普段の兄弟の仕打ちを考えればかわいいものだが、それにしても一切悪びれない。

 現役ヤンキーの凄みをさらっと流した純丘は、テーブルの位置を直した。机の上にコップを置く。ふたりぶん。

 

 そうして尋ねる。

 

「竜胆も来なくなるのか」

 

 己の背筋を片手でさすって、蘭は、眉を顰めた。

 

「そうだよ。……まァあいつは飽き性だから途中で辞めるかもしんねえけど?」

「なるほどな」

 

 つっけどんな言い様に、純丘は数度頷く。元の場所にあぐらをかいて、ボールペンを握った。課題は続行する構えのようだ。

 

「君は本当に、変なところ気にしいだよなあ」

「……喧嘩売ってる?」

「非売品ですかね」

 

 低い声に返す言葉も飄々としている。

 カチンとボールペンの頭を押して、一度指の周りを回す。くるりとペン先をノートに垂直に向ける。とんとんと押し付けられてにじんだインクがノートに点の染みを作った。

 

「君らは家に来ない。俺は君らの家に行かない。出先でも話しかけない。不良関連の事柄には、頼まれてもできるだけ近寄らない。ハロウィンの件とかだよな。それぜんぶ、これから一生……竜胆はもしかしたら場合によって除外」

 

 今まで並べ立てられた内容を、かんたんに要約して復唱。言いながらも純丘はもう一度蘭に視線をやった。

 限りなく感情を排斥した顔が、純丘を眺めている。蘭の表情からなんらかの思考を読み取ることは難しい。

 

「そうしたら君は安心できるんだな?」

「……先のことなんざわかるわけねーだろ」

「そりゃそうだ」

 

 悪態に、わずかに口角を引き上げて、純丘は再びノートに視線を戻す。とともに、おもむろに、ボールペンを握ってない方のてのひらが伸びた。

 蘭は黙って見ていた。

 

 純丘のてのひらが、黒と金の頭頂部を的確に捉えて、雑に掻き回す。整えられた髪の毛が乱れて、渦のようにかき混ぜられる。

 

「せいぜい元気にやってろよ。飯は食え」

「……オマエのそーいうとこ、マジで、吐くわ」

「そだな〜」

「つかさっきまでプロテインバー握ってた手はやめろ汚え」

「握ってたのはパッケージ越しだが。見てたろ君だって」

 

 蘭の喉の奥に、球体のような、言葉の塊が不意に生まれた。

 思わず彼は目の前に置かれたコップを掴んだ。

 

 同時に蘭の頭からてのひらが離れる。純丘は、蘭を見ることもなく、てのひらはそのまま軽く拳を作って、頬杖として顎の下に敷いた。

 

 麦茶のコップはテーブルにふたつ置かれている。

 

 ……もともと純丘榎の家にはコップが三つある。

 白地に、青の差し色が薄く入ったコップが純丘のものだ。同じデザインで、差し色が彩度の高い紫のコップが蘭のもの、これが灰色と見紛う紫だと竜胆のものである。場地や、灰谷兄弟の少年院仲間といった客には紙コップが出される。

 

 蘭が掴んだコップには、鮮やかな紫の差し色が入っている。

 

 ひらかんとする喉を意図的に押し止める。

 蘭はそのまま、無理やり、麦茶とともに飲み込んだ。……なにかを。




水と油
:宇宙だと十時間持つ
 無重力って すげー

第111条
:刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律の百十一条

ヤク中ども見てゲロ吐く雑魚
:贖いの方法「多面的な価値」より

頭頂部を的確に捉えるてのひら
:隠しきれない「未必の故意」より
 〝上から伸びる手への怯え〟
 ……避けなくなった

コップが三つある
:自分たちのために用意されたもの
 自分たちが来ることを当然として組み込まれた場所
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