【完結】罪状記録   作:初弦

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off-air

「灰谷たちなんか来なくなってね?」

 

 純丘のところに入り浸っていればいつかは遭遇するかと思っていたが、意外にもそうでもない。

 ちょっかいはかけるくせ、こっちが用事あるときには捕まんねえなアイツらと場地が不服に思ったのは三日目ぐらいまでで、これが四日も続くとゆっくり首を傾げ始める。

 

 灰谷兄弟はセットのイメージが強いが、単独で行動しないわけではない。純丘宅を訪れる際も、もちろん兄弟二人がダラけていることも多いが、各々が上がり込んでいることの方が多い。

 おそらく正月での遭遇以前は本当に塾の前日は避けていたのだろう。場地が純丘の家に顔を出すと、三回に二回の確率で、どちらかとは確実に鉢合わせるようになっていた。

 

 約十ヶ月を過ごした場地の経験談から評価するなら、四日も連続して会わないならその方がおかしい、と称するべきだ。

 

「そだな〜」

 

 純丘は相槌を打った。

 限りなく平坦なトーンだった。

 

「……誤魔化す気あんの」

「あんまりない」

 

 胡乱げに己を見つめた場地に「いろいろあるんだよ、なにかと」純丘は肩をすくめて述べた。

 いろいろあるのは事実である。話はそこで終いである。

 

「ところで圭介」

 

 さておき彼はにっこりと笑った。ここ数日立て続けに家を訪れる場地に、家主兼雇い主としてはひとつ思うところがあった。

 

 思うところ、といっても、決して悪い意味ではない。

 

「今日これから空いてるか?」

「ひ……いやいや嘘ウソめっちゃ忙しいワ」

 

 ……純丘からすれば悪い意味ではないが〝飛んで火に入る夏の虫〟と訳せば彼の意図が伝わるだろうか。

 

 なにかを察した場地圭介、迅速に方針を転換した。

 

「全然空いてねえ。他当たれよ」

「……。ふーん」

「ま、マジだからな。マジだからな!」

 

 あとずさって威嚇する場地に「……ふーん?」純丘はもう一度、意味深長にも声を伸ばしてみせた。

 成人男性が十五になったばかりの少年を威圧するなという。

 

「……まあ今のが嘘なことぐらいはわかるから、君の意思がどうあれ付き合わせることは付き合わせるんだが」

「じゃあなんで聞いた!?」

「一応意見を聞く姿勢を見せておいた方が優しそうだろ?」

「それ言った時点で台無しだろ……」

「ははは。さーてキリキリしゃきっと準備しろ、つってもすぐ終わるよ。危険なこともさせねえ」

「塾長がそういうのさせるとか今更思わねえけどさあ」

 

 溜息を吐き出して場地は立ち上がった。

 勉強道具は純丘の家に置き勉していて、財布はポケットの中だとしても、暖房が効いた室内ではさすがに革ジャンは脱いでいる。そして外はさすがにシャツ一枚だともう寒い。

 

 

 

  off-air

 

 

 

 本日の東京は晴れやかな日差しの冴え渡る天気だったが、十一月末の午後五時といえば、大抵は、日も沈んだあとの時間帯と称される。

 例に及ばず、駅の周辺は帰宅ラッシュでごった返す頃合いだろうが、純丘の城(と書いて自宅と読む)から道を二本ほど脇に逸れれば、すれ違う人もいない。

 馴染みのレンタルバイクバイク店まで歩くルートはいつもこのようにあった。人通りも少ないので、大きな声でなくとも会話はできる。

 

「医療少年院ってわかるか?」

 

 ……それにしたって、切り出された話は道すがらの雑談には些か不向きだろう。

 場地は一瞬目が死んだ。それから少し首を傾げた。

 

 イリョウショウネンイン。変換はさておき(さておき)彼らは少年院を指してネンショーと呼ぶ。少年院出身者が身近にもいる。

 今尋ねられた単語も、聞いたことくらいはあった。

 

「……一虎が行くかもしれなかったトコ」

「それは俺は初耳だが」

「あとは、東卍(トーマン)にも何人かそっち上がりのやついたよ。隊違かったし、よく知らねえけど」

「暴走族が百人も集まってりゃ、そりゃいるか……認識は合ってそうだな」

 

 純丘の口振りは穏やかだ。

 

「一応補足しておくと、犯罪を冒した少年たちの中でも、心や身体が特に本調子でないとこの少年院に収容されやすい。あとは触法少年でも、派手な事件起こした場合とかな」

「ナントカ少年?」

「触法少年。現行の少年法が適用されるのは十四からだから、それよりも幼い年齢で犯罪を行うと、この扱いになる。君らも、二年前の事件では触法少年に該当したわけだし、ハロウィンの件は傷害罪で殺人未遂だ。羽宮くんが医療少年院に送致されるかもしれなかった、というのは不思議じゃない」

 

 たとえば。

 

 酒鬼薔薇事件では、犯人の少年は十四歳だったが、事件当時の少年法では触法少年に該当した——二〇〇〇年の少年法改正で、少年法の対象となる下限年齢が十六歳から十四歳に引き下げられる一因にもなった。

 ともあれ、触法少年であるがゆえに。また彼が冒した惨状や日々の素行から、なにかしらの障碍も疑われただろう。該当事件における少年Aは、最終的に医療少年院に収容された。

 

 強盗致死傷罪は、実のところ、数ある罪状の中でも群を抜いて罪が重い。傷害で済んでも六年以上の懲役から、重くて無期懲役。被害者が死に至れば、軽くて無期懲役、場合によっては死刑すら考慮される。

 単純な傷害罪の懲役が原則として十五年以下、殺人罪の懲役が五年から無期懲役という事実を踏まえて比較すれば、数値の差異は歴然としている。

 

 金銭を筆頭とした自分のものではない所有物を目的に、他人を傷害、殺害することは、確かに有り得る動機で、同時に情状酌量の余地がない。己が欲望のために他人を害することを良しとするのは、現代の社会生活を送るには、些か利己的過ぎる。

 また、誰の目にも明らかな重罪として刑罰を課すことによって、犯罪の抑止を期待する側面もあるだろう。いくつかの理由により、社会的には、重罪として規定される。

 

 社会という総体から犯罪を評価する場合、その罪の本質——すなわち、なんのために、どのような経緯で、事情があって、そういう様々な存在するはずの事柄——は、あまり重要ではない。

 

 そもそも強盗や傷害といった罪状は、過去にあった社会的に許されざる行いから、共通点を見出して仕分け、定義した便宜上の概念だ。

 パンを買う際に見るのは商品名で、アレルギー成分が含まれているか、糖質がどれだけの数値か、気にして観察する人間は多数派ではない。同様に、【強盗致死傷罪】の成分表示をいちいちじっくり読む者はそう多くない。

 情状酌量とて、所詮は酌量——多少の手加減であり、そうでしかない。事情があれば許されます、と司法が述べてしまえば、正当な手段で訴えるよりも非合法な手段に走る人を増やすだけだろう。

 

 少年犯罪の場合。

 許されないと社会が定義した行いを、幼い年齢で、それも躊躇もなく実行できてしまう点が、特に問題視される。

 

 要因は様々だが、社会的な規則を遵守する意識が薄い、という特徴は共通する。

 一般的に常識や良識と呼ばれる知識の欠落、そも未履修、学習はしたが実践や応用の能力が低い可能性。生育環境の影響か、本人の資質の不得意分野が重なってしまったか。知能や発達の面で、なんらかの支障が発生したかもしれない。

 

 社会は変遷している。

 かつての幕府の統治下では、仇討ちは、届け出をして許可を得られれば合法だった。殺人が罪ではない場合が存在したわけだ。

 社会は一定ではない。

 ノルウェーの刑務所は囚人の社会復帰を促進するため、可能な限り刑務所外の生活と同様の環境を保証しており、世界一人道的な刑務所とも呼ばれる。

 

 社会の常識は、本能には刻まれず、遺伝の継承を行うには些か変化が早すぎる。成長過程で、周囲の環境ないし人々から、後天的に学習する知識だ。

 

 つまり、教育などの支援によっては、改善の余地がある。

 

 ——とりわけ専門知識を要すると判断された対象が、医療少年院に送致される。

 

「つか、俺らそこ行くんか? 今から?」

「いや。俺らが行くのは更生保護施設。少年院の引取先みてェなとこで、立地が立地だから医療少年院メインで引き取ってるらしい」

 

 純丘は本日、ボディバッグを背中に引っ掛けていた。

 もとより純丘榎はデフォルト装備が財布と鍵のみ、フットワークが軽い男だ。レジ袋でもない手荷物を抱えているところは、場地にとっても、それなりに物珍しさがある。

 

「今回は本人たちにも会わねえよ……会うならそれこそ君にも事前に話通す」

「話通してねえ自覚あんのな」

「ははは」

「おい……」

「一応、先に釘を刺しておくが」

 

 空笑いののち、純丘はしんと声音を真面目なものにした。場地は嫌そうに顔を顰めた。

 

「刺されたくねえけど」

「比喩だよ。これから行く場所、誰かにばらすなよ?」

「……ばらしたらどーなんの?」

「ばらしたあとにそれは言うとして」

「逆に怖ェよ」

「まあ少なくとも今言える範囲でなら、バイトは解雇。塾も出禁」

 

 指折り数えて軽やかだ。並べられる処遇は、妥当な措置であろう。

 ついでのように、あと、と接続詞をひとつ。

 

「とりあえず俺からの信用はなくなる」

「死んでも言わねえ」

「死にそうになったら言えよ……さすがに。そんときゃ怒んねえよ」

 

 実際そういう状況に陥るかどうかは置いといて、実際、友を殺人犯にしないために自ら死を決意した少年が言うと、説得力が段違いに高い。

 あまりに高過ぎるので純丘は訂正を加えた。

 

 ていうかまず俺に話を回せ。そのときは。

 

 道交法のもと、ヘルメットを被せられた場地は思わず呻いたものの、わざわざ剥ぐこともなかった。捻じ伏せられると目に見えている攻防戦などしないに限る。

 弱体化した特攻隊長、対、幼い頃から癖をよく知られている成人男性……というのはもちろん。

 

 雇用契約ってそのまま上下関係に転用されるんですよね。

 

 走ること三十分。住宅街の一角に目的地がある。

 こじんまりとした一戸建ての外観は、何の変哲もない三階建てで、関東圏にしては庭が広い以外のさしたる特徴はない。

 

 純丘はバイクを停めて、鍵を閉め、更にチェーンロックとブレーキロックをかけた。

 三本の鍵を指でチャリチャリと回すのは癖だ。遠心力でどこぞへ吹っ飛びかねないのでやめるべきだ。

 

「純丘くゥんおひさァ。メールで言ってたのが、そっちの子ぉ?」

 

 ところで。

 

 彼らを出迎えたキラキラ笑顔と甘ったるい声音に、場地はうっかり後ずさりそうになった。

 嘘だ。実際半歩後ずさってから、静かに足を戻した。

 

「お久しぶりです」

 

 純丘は場地の様子をガン無視して答えた。

 彼のささやかなプライドを守るため半分、普通に話を進めたい気持ち半分。

 

「概ねその通りかと」

「ふうん……はじめましてぇ、アオサギで覚えてくれればいいよぉ? 元東京卍會壱番隊隊長場地圭介くん」

「ハジメマ……」

 

 場地はカタコトで挨拶しかけた。隣の純丘がげんなりとした表情になったのを捉えてしまったので「……シテ」末尾は若干声が小さくなった。

 眼前のキラキラ笑顔はいよいよ笑みを深めている。

 

「どうしたのぉ? 純丘くん、変な顔してるねえ。悩みでもあるの〜? 相談に乗ってあげてもいいよぉ? お知り合いだからねえ、相談料安くしてあげるねえ」

「金取るんすね」

 

 無難な感想を述べて、純丘は内心溜息をついた。

 いくら旧知であろうと恩があろうと割のいい依頼を要請されようと、彼はこの知己が苦手である。普通に厄介なので。

 

「やっぱ師匠、圭介のこと知ってんだなって思っただけです」

「……塾長俺のこと教えたんじゃねえの?」

東卍(トーマン)の話は一切してない」

「そりゃあねえ、しょ〜じき暴走族とかギャングとかぁ、お仕事でもあんまり興味ないんだけどぉ」

「仕事はしてくださいよ……」

「ホラ、黒龍(ブラックドラゴン)つぶしたでしょお? だからねえ、創設メンバーだけ追ってるの♡」

「……ストー……」

「なあに?」

 

 場地は黙った。

 眼前の笑顔は崩れることなく「なあに?」もう一度催促した。

 

「圧かけないでください」

「圧なんかかけてないよぉ? そんなことぉ、すると思ってるぅ?」

「圧と誤解されかねない言動は謹んでください」

「言うようになったよねえ? でも、そうだねえ、あんまり変なことで時間使うのも良くないしィ……場地くんは素敵な協力者だからねえ、ようこそぉ。母屋はこっちだよぉ」

 

 わざとらしく手を広げ、案内として先頭に立つ。

 純丘は今度こそ内心だけでなく溜息をつきつつも、なんだかんだで躊躇いもなくそこに続いた。慌てて場地も斜め後ろに並んだ。

 

「……あのさあ塾長」

「どした」

「……アレなに? 出身者?」

「アレて」

 

 うっかり遠い目の権化のような顔つきになってしまう。もはや一年半ほど前のこと、灰谷兄弟も似たような感想をぐちぐちとこぼしていたのを覚えている。

 

 なお純丘榎は、彼が師匠と呼ぶ人間の背景について、麻薬取締官という耳を疑いたくなる職業と、株取引にやたら詳しいことと、〝なに不自由ない家庭で育ったよぉ?〟という自称しか知らないので、更生保護施設出身の可能性は正直否定はできない。

 

 ただ彼らが現在向かっている施設の出身ではないことだけは知っている。

 

「……出資者」

「シュ……?」

「運営の金出してる人。と、いうかこの施設作ったのがあのひと」

「……塾長それ冗談?」

「俺はこういう冗談は言わない。さすがに具体的な業務や運営は、ある程度別の人に委託しているらしいが……」

「マジで?」

「あんまり失礼しないように気をつけろよ、嫌われるくらいなら庇えるが気に入られたら俺も手に負えないからな。あのひと、どこになに持ってんのかわからん」

 

 麻薬取締官はたしかに様々な権限を持っているが、株取引の詳細までわかる立場ではない、はずだ——間違いなく。純丘はそのあたりのからくりを聞いたことはない。君子危うきに近寄らずというか普通に聴きたくない。

 

 真顔で釘を刺す純丘に、これまた真顔で場地は尋ねた。

 

「塾長もしかして俺のこと嫌いンなった?」

 

 そんなことはないがそう思われても仕方がない。

 

 場地が今回連れてこられた理由は、道中で、純丘は既に本人に説明していた。

 施設で利用している教材の一部は、知人の誼で純丘が提供している。その精度を高めるためには、教師だけでなく使用者本人の感想も必要だろう。

 

「純丘くんには人に教えるノウハウとかぁ、そもそも人を観察してえ、思い通りに動かす力が異常に精度高いからねえ」

 

 一階の玄関すぐ、右手にある部屋がこの施設に作られた来客用の応接間なのだという。テーブルに頬杖をついて、きらびやかな笑顔が宣った。

 

「あれなんだろうねえ、第三の目とかで心透視してるのかなあ、ちょっと気持ち悪いくらァい」

「何言か余計ですよ」

「あー塾長そゆとこあるよな」

「君も同意してんなよ」

「だからぁ、純丘くんがどぉゆう子にどんなふうな工夫してるのかってぇ、一回本人から全部聞いたほうがいいでしょぉ?」

「せめて会話してください」

「それでずっと呼んでね♡ って頼んでたのぉ」

「……いンだけどよ。その喋り方、クセ?」

 

 失礼な言い方をかろうじて我慢しようとする努力は窺えた。

 場地の指摘に、チェシャ猫じみた笑みが更に深まった。

 

「癖ではあるよぉ? 便利だからそうした♡」

「……塾長の師匠だよ……」

「どういう意味で言ってるかはあとで聞くとして。……いつも通りでいいんですよね?」

「そぉ。こっちは勝手に進めとくねえ」

 

 人々の認知機能には各々の特性があり、それらは日々の生活に反映される。

 もちろん学習の特徴や特性にも反映される。

 

 純丘榎が家庭教師としてそこそこ人気で、塾も順調に運営できているのは、彼の観察力と知識、それらをもとにした分析力におおよそ由来する。対象の生徒の現在の実力、認知機能、性格や言動から察せる本人の特性、そういったものを把握した上で、既存の知識と照らし合わせて個々人に合った学習方法を提供している。

 教室の人数が少ないからかろうじて成り立っているが、百人以上の生徒一人ひとりを相手にこれを行うのは十二分に化物だ。

 

 無論、その手腕は場地に対して教示をする際にも、十全に発揮されている。

 

 たとえば場地が長い文章を読むのが不得意なのは、ページ全体の文章が視界に入ってしまい、一行一行、一文字一文字に集中できず、気が散るからだ。

 これは決して欠点ではなく、場地が多対一の喧嘩を容易にこなすのは、彼が全体を俯瞰することに長けているからである。

 

 また場地が計算問題を不得手としている。公式の転用がおそろしく苦手なためだ。この特徴について、応用が不得手である、とひとまとめにしても間違いではないが、決して正確ではない。

 〝百円の林檎が三つ、五十円のみかんが四つあったら合計何円?〟というように具体的な単語が出てくる文章題では、それが多少複雑になろうとも、彼の思考はいいセンを行くし、時間はかかるが答えを出せる。これは証明問題でも同様の特徴を見せる。逆に、式だけを表記された計算問題で手が止まる。

 場地が真に不得意なのは、抽象化された概念を捉えることだ。

 

 純丘はそういう場地の特徴を把握して、たとえば教材では行間やフォントを工夫する。場地本人には〝文章を読むときに隣の行を鉛筆で隠してみたら読みやすいかもしれない〟と指示をする。漢字は部首の特徴や成り立ちから解説することで、読みと意味を理解させ、記憶を紐付けやすくさせる。

 数学を教える際も、中学の勉強から遡って、割り算や小数といった小学生レベルの学習からひとつひとつ教え込んだのは、公式を解説する際にそれらの知識の理解を必要とするからだ。

 

 ……これらの特徴は、あくまでも、場地に対して工夫された教え方のほんの一例である。ほんの一例ということは他にも多種多様な工夫がされているわけである。

 そして場地は己の特徴すべてを自覚しているわけではない。むしろ純丘が観察して蓄積した情報なので、場地自身はほとんど無自覚なものだ。

 

 それらすべて本人から聞き取りたいと申し出たわけでして。

 

「つ、つかれた」

「体力ないねえ、大丈夫ゥ?」

「煽ってるよなあそれはよォ!?」

 

 キレにもいまいち迫力がない。テーブルに突っ伏しているのでなけなしの迫力も消滅の危機。

 もとよりひとところでじっとしているのが苦手で、言語化も不得意な場地が、二時間も通しで椅子に座って根掘り葉掘り聞き出されれば疲弊もする。

 いつのまにか漂い始めた出汁の匂いが空腹を自覚させ、疲労を加速させる。

 

 デカいチームとの抗争のがまだマシ。場地はしみじみと思った。

 

「……てか、そういや、塾長は? 戻ってこねえけど……」

「純丘くんは今ねえ、ここの子たちのご飯作ってもらってる。今日は場地くんのぶんもねえ」

「……アイツここでも飯作ってんの?」

 

 場地はテーブルの上で上体を転がして、二の腕のあたりに頬をくっつけた。そんな暇なくね? 雄弁に疑問を示した表情に「ん〜……」自称アオサギと名乗る人間は、少し首を傾げた。

 

「いつもじゃないよお、月イチで頼んでるんだよね。一応職員はいるんだけどぉ、たまには他の人を入れるのも必要だしねえ? 純丘くんが適任なんだよ」

「そりゃ塾長の飯はわりと美味ェけど」

「大事なのはそこじゃあないねえ。もちろん美味しいのは大前提だけど」

「はァ……?」

「いくら美味しくてもさあ、信用できない人間のご飯とか食べられなくない?」

 

 ニコニコと述べるような台詞ではないが、言わんとすることは伝わる。

 

「ご飯はね、大事だけど、口実だよ。純丘くんは、素行が真面目にしてはそういう子たちにも信用されやすいから……そのへんは君も覚えがあるでしょ?」

「……まあ塾長、悪いやつじゃねえけどそこまでイイヒトでもねえしな」

「そそそ。帰れる場所ってのは必要で、でもそれが職員になんでもかんでも言えるかって言えば別だし、そうなってたらそれはそれで不健全だよねえ? みたいな?」

 

 相変わらず人を食ったような口振りだ。ただ言っていることはごく正しい。

 

「ヘンな態度も取らないし、信用を落とすようなことはしない、連れてきても安全な外部の人って、それはそれで貴重なんだよねえ。ていうか声元気なくなぁい? ホントに疲れたっぽいね?」

「マジだと思われてなかったんかよ……」

「んふふ。もっかいお茶持ってこよっかあ」

 

 席を立つさまを目で追うこともせず、場地は、ちょっと黙り込んでいた。机に上体を寝せたまま、指がふらっと空中を漂って、湯呑みの縁になんとなく指を引っ掛ける。

 湯呑みはきちんと中身を入れて話の途中に出されたものの、喋らされ続けていた場地は迅速に飲み干したしそれからも喋らされ続けた。つまり今は空なのでこぼれる心配もない。

 

 その湯呑みが手の中からすいっと抜かれて、麦茶を注がれたのち、掌中に戻される。

 場地は今度はこぼれる可能性があるので、ちゃんと握りしめた。目の前の椅子が引かれて、再び座り直すところをなんとなく眺めていた。

 

「にしても、純丘くんがあれだけ渋ってたドリルの使用者が君なんてねえ」

「そいやさっきなんかずっと呼んでたとか言ってたな? 渋ってたんか、塾長」

「ソ。僕と知り合わせるのイヤなんだって、やきもち焼きだよねえ?」

「……。マジで思ってる?」

「一ミリも?」

 

 この会話の間にも笑顔が一切崩れないので、そろそろ得体の知れなさを感じてしまう。

 場地は、大抵の相手は殴ればなんとかなるので怖いと思わないが、殴ってもなんとかならなそうな相手にはちょっと恐れを抱いたりもする。お化けとかね。

 

「ていうかぁ、キミもそう思うんだあ」

「……しょーじきこーゆーの作ってんのが意外だわな」

「アそれはねアレ。恩義って重要でしょ?」

「は?」

 

 話の雲行きが突然おかしくなったのは場地でもわかった。

 

「あのねえ、素行悪い子を更生させてるってラベルはね、社会で讃えられるんだよぉ? ついでにこの中でいい感じに育った子が便宜を図ってくれるワケ、ただお金出してちょっと手伝うだけで。ワカル?」

「わかんねえ。マジでやべえのだけわかる」

 

 場地はシンプルにドン引きした。

 サイコパスかソシオパスの発言だ。笑いながら言うことではない。なんで塾長コイツと知り合いなん?

 

「おかしいなあ、純丘くんも引いてたけど」

「引くだろ塾長のが引くだろそーゆうんは」

「でも運営は健全だよ?」

「テメェが健全じゃねえだろ」

「んーそう? でも綺麗なこと言ったって君ら信用してくれることないでしょ」

 

 会ったばっかの俺でも、信用されない理由はアンタの言動に大半かかってんじゃねえのって思う。

 

 この台詞は場地の喉まで出かかったが、ただ彼は同時に、ニコニコと変わらない笑みのまま奇妙にトーンだけが変化したのを理解した。

 理解したので一回飲み込んで、別の言葉を探した。

 

「……信用しないこたなくね」

「僕は信用しないよ」

「オマエの話かよ」

「……ていうか、当たり前じゃなあい? 大半の人はさぁ、いうほど他人のこと考えないよぉ? いっぱいいっぱいのこと、見て見ぬふりするのは人間の基本的な心理だからねえ。大抵は、他にもメリットがあってやってるし、そうすべきだよぉ」

「ヘンケンってやつだろ、それ……」

 

 比較的最近覚えたての知識を口にすれば、そうかもね? 貼り付けられた笑顔はそのまま、ことんと首がかしいだ。

 

「確かにいるよねえ、ホントの善人みたいなひと。たまーにね。ごくごくまれに、他人の、世の中の、社会の役に立ててそれだけで幸せです! みたいな」

「嫌いなン?」

「好きだよぉ? 信用しないけどね。そんなのさぁ、無知で愚かって自分から証明しちゃってるじゃぁん?」

 

 あまりに捻くれている。ボランティアやチャリティーの存在意義を語らせてはならないタイプの人間だ。「更生施設って、加害者のための施設、みたいな言い方されがちだから、勘違いされやすいのかもねえ」どんどん冷めていく声色を聞きながら、塾長は一応表情もちゃんと変えてっからまだわかりやすいんだよな、場地は現実逃避気味に考える。

 

「世の中のためだよ。加害なんてねえ、本人がいくらやってもさぁ、罪悪感がないならなんにも困んないの。困るのは被害者だし、それを被害って定義してる社会の方。加害されればされるだけ、損してるわけだからねえ」

「……牢屋入ったりクレカ使えなくなったりすんのは困んじゃね?」

 

 暴走族にはちょくちょく、犯罪後の措置に詳しい者が所属している。チーム内でなくとも関係者は数多い。少年院はもちろん、少年刑務所も。彼らから話を聞く機会はたびたびある。

 過去の記憶をなんとか引っ張り出して、場地がそのように述べれば、んー、冷めたトーンのままやわらかに声が間延びする。ギャップで風邪引く。

 

「社会的制裁だねえ。良い悪いを決めてぇ、悪いことしたから罰しますね、ってぜんぶ世の中が勝手にやってるコトだよねえ?」

「勝手に……ン? そう、カモ? わかんね」

「たとえばぁ、戦争で人殺したりぃ? 家壊したりぃ? そーやって勝った軍人さんって、そのあと牢屋入れられないでしょぉ?」

「……戦争はちがくね?」

「だいたい同じだよぉ。結局、TPOで変わるだけぇ。それこそ江戸時代くらいなら盗みとか死罪だしねえ? 今は、人の命をそう簡単に取っちゃいけなくなったからぁ、良くないことだよって教えてぇ、社会のために働いてくれる方がマシだよねってなってるの」

 

 つらつらと流れる弁舌は止まらない。かろうじて、口調にこそ名残があるが、声色はほとんど無感情だ。

 

 ニコニコとした笑みの、瞳の奥に、なにか——形容しがたいものが見えた。

 気がした。場地には。

 

「社会のため、世の中のため、声が大きくて、少なくない人のため。もっと言えばぁ、自分に迷惑をかけてくる確率を減らすため。——ネ、私利私欲って明言してるのって、とっても誠実でしょお?」

「俺の生徒洗脳すんのやめてもらえません?」

 

 わざとらしく溜息をまじえた声が投げ込まれた。

 純丘が再び部屋に入る際、大きな音を立てて扉を開けたのは、今回ばかりは故意だった。明らかに表情は辟易としている。

 

「意図的な伏せ札と拡大解釈つきで話すの、せめて初対面でやめてくださいよ。なんか昔より悪質になってるし……」

「ええ〜? そんなぁ、弟子がひどぉい」

「ははは酷いと思ってから言って。……圭介マジで大丈夫か? 俺最後のとこしか聞いてねえけどたぶん話の八割信用しなくていいからな。この人頭良いわりに情緒死んでるせいで話の段階三つぐらいすっ飛ばして喋るんだわ、常に」

「ほんとにひどくなぁい?」

「俺のこれは理解です」

 

 スパスパ切り捨てられても機嫌よく笑っている。ように見える。

 先程までの冷たい声色は影も形もない。ように聞こえる。

 

 場地は、握りしめていた湯呑から、ようやく手を離した。麦茶がこぼれないように、ことん、と置き直す。

 指が関節を曲げた状態で強張っている。変な力み方をしていたらしい。

 

 喉は渇いていたが、麦茶を飲む気力はとっくに失せていた。

 

「……部長あんさ」

「呼び方戻ってるし……どうした」

「帰ってい?」

「師匠」

「ごめんてぇ、お詫びに報酬増やすからぁ」

「いつも示談で解決しようとしますよねホント」

 

 晩秋の夜空は星をふくんで光り輝く。さすがにあの空気で晩御飯のご相伴ともいかず、バイクを駆る気分でもなくなって、百㎏超えのバイクをえいこらと牽きながらファミレスまでを歩いている。

 

 純丘は、こめかみをほぐすように指で揉んだ。ろくでもない相手なのは知っていたが、知人ならば多少は手加減すると見込んでいたのは、彼の見通しの甘さだ。

 

 話のあらましを聞けば、いやはや、なんとも。

 

「……社会のためってのは、否定はしねえよ。善人だけで世の中が回るわけでもないのも真理だ。ただあの人はたぶん犯罪がバレてないタイプの悪人だから八割聞き流せ、本気で洗脳される」

「国家公務員ってアレいいんかよ」

「全く良くないはずだよ。職場でどういう扱いを受けているのか俺は知らないが、百枚くらい猫被ってるとは思う。思いたい」

 

 猫の被り方が上手くて野放しにされているのも困るが、赤裸々なのにスルーされていたら日本の治安組織全体が信用できなくなる。

 

「更生が……まあ、社会に都合のいい人材をつくる、という側面はなくもない。ただ、結局はそれが身を守ることにもなる」

「身を守るゥ……?」

「社会社会とは言うが、実態は巨大な共同体の総体で、コミュニティだからな。要するに人間関係だ」

 

 教え子かつ従業員の怪訝そうな声色に、そのように返して、純丘は思考を巡らせた。

 

「君たとえば……ペットショップ開くのが夢だったよな。そこで人を雇うとして、詐欺師と、殺人犯と、万引き常習犯のうちで誰を雇いたい?」

「イヤなんでその三人なん? フツーなやついねえの」

「そういうことだよ」

 

 場地の反駁に、純丘は肩をすくめてみせた。

 

「少なくない人が〝フツーなやついねえの〟と思うんだよ。だから最初に候補から外す。だから厳しく見る。そういうふうに、ちょっとずつ、損をする。最初から、ちょっとだけ嫌われてしまう」

「……。一虎なら雇えるぜ、俺だって」

「そうだろうな。君が羽宮くんと友達で、彼のことを知っているから、そう言える。そして羽宮くんは全世界の人間とは友達じゃない」

 

 社会に都合が悪いとは言うが、単に、周囲の人々に無闇に警戒されてしまう、と言い換えてもいい。〝話せばわかる〟と言ったところで、無関係な人間にとってそれは〝あなたが元々知り合いだから庇っているんでしょう〟と解釈される。

 

「嫌われることも許容して生きていく、それを損だと感じない、そういう感性自体を俺は否定はできない。ただ、そもそも他の選択肢を知らない場合は……本当はちょっとずつ損しているのかもしれない、本当はもっと上手くやる方法があったのかもしれない、そうやって考えることすらできなかったら、それはそれで不平等だろ」

 

 結局、なぜ罪が法律によって悪事として定義され、それに対する罰が設定されているか、といえば。

 それで損をする人が数多くいたからだ。罪であると規定しなければ、踏み躙られて、そのままの人があまりに大勢いたからだ。

 

 そして同時に、一度の罪により、周囲に嫌厭されて、突き放され、いよいよ選択肢を失った者たちが、いたからだ。

 

 然るべき制裁を下し、相応の補填を保証し、それ以上の感情的な私刑を禁じる。社会を円滑に回すための措置であり、ゆえにこそ、不当な仕打ちが放置されうるリスクを少しでも減らす。

 法律はそのように作られている。法律はそのように変遷し続けている。

 

「知識は、弱いやつの味方でも、善人の味方でもなくて、知ってるやつの味方なんだよ。法律も、教育も、制度も……君らは、あそこが真一郎さんの店だと知っていたら、それでもバイクを盗んだか?」

 

 おそらく、純丘と場地の間でその名前が出たのは、事件が起きて以来であった。

 

 場地は純丘の横顔を盗み見た。彼らの背丈は既にほとんど変わらない。

 

「他ンとこで盗んだかもな」

「ははは」

 

 捻り出された答えは苦し紛れのものだ。純丘は軽く笑い声を立てた。

 コンマ数秒の沈黙を挟んで。

 

「……俺が言いたいこと、わかってるよな?」

「ワカッテマス」

「ヨシ」

 

 圧をかける時は声を落として表情を消すのでわかりやすいが相応に怖い。

 場地は首をすくめた。さっきの妖怪よりマシだけどさァ。

 

 満足げに頷いて、純丘は表情を和らげ、視線を左右に振る。記憶が正しければ、このあたりにガストがあったはずである。

 

「まあこんなふうに。あの人の言い草、けっこうかなりだいぶ誇張と偏りはあるけど、事実もちったァあるよ。それこそ福祉に善人が向いてないってのはよく言われる」

「そこマジで向いてねえんだ。良い奴のがちゃんとやる気がすっけど」

「もちろん悪人の方が圧倒的に向いてないのは君も見ての通りだ」

「アァ。ウン」

「ただ、どうしても個人には限界があって、尽くせば報われるとも限らない。ただの善人に慣れてないやつも多い。……それをしゃあないと思えなけりゃ、キツいだろ」

 

 言いながら、純丘は何度か瞬きした。瞼の裏を数年前の記憶がちかちかと明滅する。

 中学生の頃、机や椅子を武器の如く扱って、斜に構え、手紙にすら悪態を連ねた少年たち。もののついでに差し伸べた手を、さも怪訝そうに見つめられたことだって、覚えている。

 

 すぐに彼は首を横に振った。過ぎたことだ。純丘自身も彼らに対して、尽くそうとも、助けようとも、思ったことはない。

 

「ところで、報酬追加でやるなんて言ってたけど……どう考えても示談だから俺が求めるものでもないし、君なにか願い事とかあるか? あの人は願えば大概のことは叶えてくれるぜ。方法には言及しないが吉だが」

「……ヤもう関わりたくねえわ……」

「気持ちはわかる」

 

 心底嫌そうな顔でつぶやいて、場地はそれから、ふと目を眇めた。

 

「……そいやあいつ、なんで黒龍(ブラックドラゴン)潰したからって俺らンこと追ってたんだよ?」

 

 純丘は一瞬、回答までの間を開けた。

 

「……九井一ってわかるか?」

「ウン」

「あの人の一番のオキニ」

「ああ……」

 

 端的な説明だった。場地の目は死んだ。

 純丘の目はギリギリ死んでないが、これは慣れからくる耐性でしかない。実際声色は諦観で満ちている。

 

「……てことはヨ、黒龍(ブラックドラゴン)のことも調べてたりすんの?」

「……どうだろうな? 報酬として、知ってることを教えてくれと言われたら応じるし、調べてくれと言われたら調べるだろうが。約束は反故にしないから」

「フーン……」

 

 場地は低くつぶやいた。なにごとかを考えているような顔つきだ。

 純丘は首を傾げていたが、視界の端にようやくお目当てのガストを捉えて「ほら行くぞ」場地を促した。




医療少年院
:二〇〇七年改正により、第三種少年院と名称変更

刺されたくねえけど
:刺されたら死にそうなくらい痛かったことをよく知っている

無知で愚か
:そのように断じる人間もまた愚か
 にんげんおろか

戦争で人殺したり
:国際法に基づいて、民間人への被害はアウトなので対象や状況に応じてフツーに罰せられます

誠実
:誠実が必ずしも正しくない一例

国家公務員
:書きながら「絶対いてほしくない……」と思ってる
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