花垣武道は現在中身二十六歳の成人男性だが、同時に肉体はれっきとした十四歳。中学生と暴走族隊長を兼任しているので、当然生活はそっちに引きずられる。
可愛い彼女は変わらず可愛いのはもちろんとして、二十六歳花垣武道にとっては一回りは歳下で、ついでに現代で最後に会った記憶が記憶——悪夢で飛び起きて吐くことこそなくなった。それでも、ガソリンと、肉とゴムが焼け焦げる悪臭は、鼻の奥にこびりついて剥がれない——花垣はブンブンと首を横に振った。
どうしたの? 覗き込む日向に「アいや……映画楽しみだよな!」笑顔でお返事。
今生きてるし未来はこれから変えればいいから! ポジティブに考えていこう。
というわけでとりあえず、恋人であると同時に庇護対象という認識が強い。
めいっぱい楽しませて幸せにしてあげたいなー! そんな感情が優先されている。
本日の映画デートは花垣が二〇一七年に戻っていた頃に約束したもので(当然花垣は約束時の記憶は消し飛んでいる)二十六歳、わりとウッキウキでデートに来ていた。
ちょうどチケット購入の列に並んだところであった。
二〇〇五年当時公開の映画が劇場で見れるシチュエーションは、花垣武道の映画好きの魂に火をつけた。わけではないがそこも楽しみなのでして。
しかしまあ不運はランダムにも平等について回る。
「あ、」
日向が悲壮な声をこぼしたのは、列に並んで、半ばまで進んだあたりである。
「エッうそどうしよ、鍵落としちゃったかも」
「え!? 紫のキティちゃんついてるやつだよな!?」
「ウン……」
財布を取り出そうとして気がついたらしい。花垣も慌てた。
どこで落としたのか、はて記憶にない。彼氏とデートで日向も浮かれていたのでたま〜にポカるときもある。
日向が鍵をなくして慌てているのは、もちろん家の鍵を失くせば大惨事なのもあるが、なによりくっついている〝紫のキティちゃん〟は、デートのときに花垣がクレーンゲームで取って、プレゼントしてくれたストラップでもあるからだ。
たぶん花垣はあげたことを忘れてるけれども(橘日向は彼女なのでよく理解している、武道くんはそこらへんはちょっとヒドイ)日向にとっては思い出も含め、世界でひとつしかない。
「君ら、ごめん、話が聞こえたんだけどさ。もしかしてこれじゃないか? 鍵って」
横からひょいと伸ばされた手が、鍵と、くっついたキティを吊り下げていた。
日向は思わずそれをまじまじと見つめ「それです! ありがとうございます!」歓声を上げた。お礼も言った。
「アザッ、あ!?」
花垣もまた歓声混じりのお礼を上げ——かけて、声色は困惑に差し替えられた。
「どうも、タケミッチくん。聞き覚えのある声だとは思ったんだよ」
純丘は肩をすくめて「自販機ン前落ちてたから、落とし物センターに持ってこうかと思ってたトコ」と付け加えた。
ついで、チケットをお求めの方々の列が微妙に進むので、それに合わせて彼も一歩足を踏み出す。
日向はぱちぱち目を瞬かせて、それから首を傾げた。
「武道くんの知り合い? ……すみません、もしかして、会ったことありますか?」
「ヤ、ヒナに紹介したことはなかったよ。俺が会ったのも何回かってぐらいだし……」
カップルがわやわやとやり取りを交わしている。純丘はしばし、戯れている知人二人を眺めていた。
その微笑ましさはさておき。
言うか言うまいか、しばし考えたのち、彼は口を開く。
「間違ってたらアレなんだけど……」
どこか慎重な声色で切り出した。
「橘ちゃん?」
「え?」
「あ」
花垣がキョトンとする一方で、ぱっと笑顔を浮かべたのは日向だ。
「てことは榎さん!? え、えー! ほんと!? お久しぶりです!」
「待って待って待ってナニ何々なに!?」
「だいぶ前に会ったことあったわ、なつかし。というか君らもしかしてデートか? お邪魔しましたね」
「お邪魔はそうだけど俺がわかんねえ! 俺がわかんねえから説明がほしい!」
「正直だなァ」
「榎さん、塾に通ってた頃の友達のお兄さんだったの」
「……友達のお兄さん?」
うっかり花垣は復唱した。
彼の記憶では、純丘榎の弟には一人しか心当たりがない。
「まァ恋人に言い寄る野郎に見えてるのも困るな」
独り言ちた男は「とりあえずチケット買ってこいよ。俺も映画観に来たクチだが、チケットはもう買ったし、話す時間くらいはある」受付の困り顔を目で示した。
花垣ははっと気づいて、ポケットに片手を突っ込んで、千円札を取り出した。ポケットに硬貨も紙幣も素で入れるので、花垣のケータイは塗装が傷だらけになっている。
on11.29
「俺の弟が鉄太なのは君はわかってるよな」
「ああ、ハイ」
「基本的にうちは小学校から塾に通わせる教育方針で、俺はあいつが小一のころ、塾の迎えに行ってた。で、橘ちゃんはその頃塾で鉄太と同じクラスで、仲良くしてくれた子」
花垣と日向が無事にチケットを購入したところで。映画館ロビーの壁に寄りかかって、純丘が述べたのは至極さっくりとした説明だった。本当に、それ以上の関係もない。顔を覚えるのは得意な方の純丘が判別に自信を持てなかったくらいだ。
にしても、と彼は感慨深げだ。ちびっこの成長は速いな〜とか思っている。大して年寄りなわけでもないのに感性が微妙に老成している。
「よく覚えてたな。俺が中一の頃だから、もう七年は前だろ?」
「兄弟と一緒に通う子とか、お父さんお母さんに送り迎えされてる子はいましたけど、お兄ちゃんが迎えに来る子は稀咲くんくらいでしたし」
喋りながらも指先は折り込まれ、数えるような仕草を見せる。日向の視線は、当時を想起して宙を彷徨った。
「稀咲くんと一緒の曜日のときは私のことも送ってくれたし」
「さすがにチビっ子どもだけで帰すのはな……鉄太にはちょいちょい怒られたが。別に迎えに来なくていいって」
「あ、わかります。下の子って、昔みたいに子供扱いしてるとたまに怒りますよね」
「それもあったろうな」
純丘はさりげなく言葉を濁した。
なんで兄さんは橘に名前で呼ばれるんだよ、などと泣きながら怒られたら、兄でなくとも察する。たぶん稀咲さんだと稀咲くんと被るから以上の理由はないと思うぞ、苦し紛れの返答には〝わかってる!〟と逆ギレされた。
無駄を嫌う弟が、それでも駄々を捏ねたならそういうことだ。
腐れ縁の同級生に付き合って、純丘が軽音楽部に入部したのが中二のときだった。
有名無実の活動内容。時間はいくらでも作れた部活に入ったことを、しかし、弟を迎えに行かない理由とした。純丘なりに気を遣ったので。
……と、いうことをわざわざ言う必要もあるまい。
純丘は心のうちに事実を畳む。
彼らは恋人同士、なにより弟の初恋の人はそのあたり微塵も気づいていないようだ。
純丘は好んで修羅場を作る趣味は持ち合わせていない。弟に限らず、誰かの恋心を悪趣味に詳らかにする趣味もない。
初恋にやぶれたらしい弟にはシンプルな同情がなくもない。そういうこともあるよな。
「ていうかあのとき、榎さんって中一!? ウソ、今の私より年下だったんですか!?」
「ははは。誰が昔から老けてるって?」
「もー! そんなこと言ってないじゃないですか!」
日向がきゅっと眉を吊り上げるので、純丘はいよいよ声を上げて笑った。記憶にあるのは七年も前の顔だが、仕草は本当に変わらない。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。
「やっぱり榎さんってひとのこと揶揄うの好きですよね」
「打てば響くのは面白いなと思ってるよ」
「……榎さん榎さん」
「ナニ」
「ヒナは俺の彼女っすからね」
真面目な顔してなにを言うかと思えば、突きつけられた言葉に「取らねーよ」純丘は間髪入れずに返した。
図らずとも
「わからないじゃないですか! ヒナかわいいし」
「ハタチになった時点で未成年は端からアウトだアウト」
「武道くんそんなかわいいって、う、うれしい」
「ねえほらこんなの好きになっちゃうでしょ!?」
「心配するかイチャつくかせめてどっちかにしてくれ。というか橘ちゃんも大概タケミッチくんが大好きだろ。取る以前に、ないだろ」
「やっぱりそう見えます!?」
「俺のほうがヒナのこと大好きですけど!?」
「もういいよ好きにしてろ」
実質惚気けられている。馬も食わないやり取りだことで。
純丘は手元の缶コーヒーをやけくそ混じりに煽った。ブラックコーヒーの変わらぬ味に安心感すらある。
「ふふ、でも懐かしいなあ。稀咲くん元気ですか? 彼、私学合格したら塾やめちゃったし」
「俺も一人暮らし始めてからは、あんま会ってないんだよな……とはいえ、こないだ見かけたときは元気そうではあったよ。よくやってるんじゃねえの?」
「え、連絡取ったりしないんですね」
素朴な疑問に対して、純丘はやさしく微笑んだ。
「……誕生日プレゼントは贈ったな?」
なおこの台詞は時期を明言していないが、最後に贈ったのは、稀咲鉄太の小学校卒業記念を兼ねた二年前の話だ。ここ二年は没交渉と称して差し支えない。
純丘を呼び出すのは大抵両親および実家で、彼は、そのときわざわざ弟と顔を合わせるような調整はしない。
もちろん橘日向は稀咲家の諸事情を知らない。
「私はプレゼント渡したときにいろいろ聞いちゃいそうだけど、男兄弟ってやっぱりサバサバしてますね」
「男兄弟ってよりは、歳の差だろうな。六歳も違うと話題もかなり変わってくる」
「あそっか……小学校も被りませんもんね」
「そうそう、うちはろくに喧嘩もしなかったから。あいつも小さい頃から滅多に感情的にならないが、まず、喧嘩の形にならないっつうか、なれないっつうか……知人に歳の近い男兄弟がいたけど、そいつらは団結力は高いが派手な喧嘩もするし」
「あ、うちもします! 一週間口利かない! とか」
派手な喧嘩、の例としては微笑ましかった。純丘が知る派手な喧嘩は兄弟間でも容赦なく骨を折りにかかる。歳の近い兄妹でも、万次郎とエマの〝飯をひっくり返した兄にブチギレて飛び蹴りを食らわす〟あたりだ。
とんだアグレッシブどもよ。
「榎さん、ヒナの彼氏は俺ですからね」
「わかってるって」
一人っ子の花垣だけが疎外感を覚えるこの状況。齟齬が生じているのも経験がなければ気づくはずもない。
横からかけられる圧に純丘は適当に頷いてあしらった。ついでに手首の時計を覗けば、そろそろ開場時間である。
「そんじゃ、俺はもう行くから。デート楽しんで」
「なに観るんですか?」
「ハリー・ポッター。君らは?」
「コープスブライドっす!」
「……。楽しんで?」
デートのチョイスにしては面白いところに行く。
とはいえ彼が言えたことではないだろう。少なくとも、魔法使いの腹の探り合いに殺し合いよりは、ホラーチックでもラブコメディのほうがいくぶん似つかわしいはずだ。たぶん。
映画の前には少しの間広告が放映されるとしても、純丘は背が高いので、早めに席につかないと些か悪目立ちする。片手にはドリンク(コカ・コーラのLサイズ)を握って、もう片方の手は、ポケットからチケットを取り出した。
去りゆく背を見送るのも程々に「そういえば武道くん」と、日向が口を開く。
「柚葉ちゃんってあれから会ってる? ほら、ボウリングのとき」
「あー、八戒の姉ちゃんの……」
「そうそうそう! 話したりとか」
「うーん、してねえかな。なんで?」
それこそ、花垣が大寿にぶん殴られてから再会していない。
クリスマスに大寿が一人になることは確定している。だから決戦までに気取られぬよう準備を整えることが〝ハンマーズ〟の目下の最重要事項だ。
第一花垣は、決戦において、柚葉は蚊帳の外にされると見込んでいた。
八戒は〝家族を守るために暴力を振るう〟と述べたのを花垣は覚えている。この点は千冬も同様だろう。——兄を殺す、そんな決意表明とともに。
であれば、柚葉は遠ざけられる。守るために。
どうにせよ暴走族は男社会だ。姉であり妹である柚葉は口を挟む立場になく、ろくな情報も渡されない。
花垣はそう判断した。千冬も同意した。
柴柚葉に関しては二〇一七年時点の情報もない。
未だかつてない切羽詰まった状況下のタイムリープ。最低限の要点以外は話題に上げる暇もなく、彼女の存在を知ったのだって、花垣が再び過去へとんだあとの話。
そして今二〇一七年に戻った場合、おそらくどころではなく目覚める地点は留置場か刑務所か裁判所の三択だ。
「さっきの兄弟の話で思い出したの。八戒くんのとこのお兄さんって、こう……」
「……俺らもそれ、気になってんだ。八戒は、強いし、カッコいいけど。だから、いつかマジで切羽詰まったとか、助けてってのも言わねえで、一人でやらかすんじゃねえかって」
花垣は、この先をいくらか知っている。
十一代目
彼は拳を握りしめた。親指と人差し指で挟んでいた映画のチケットがくしゃりと音を立てて、若干シワが寄った。
「だから助けるよ。ゼッテェ」
「そっか。……そっ、か」
明らかに歯切れの悪い言い方だった。「……もちろん、柚葉も助けるよ。八戒を助けんなら絶対必要だし、そうじゃなくても」花垣は付け加えた。
日向は首を振った。……横にだ。
「八戒くんもだけど。あの日、私には、柚葉ちゃんが一番焦ってるみたいに見えた」
「……八戒より?」
「より、なのかな。なんか……八戒くんは、焦ってるっていうより。……うーん」
日向はしばし口ごもった。きゅっと唇を丸める。目を瞑る。
少し言葉を探して、再び目を開く。
「柚葉ちゃん、暴走族のひとにも負けないし、お兄さんにぶたれても言い返して、強いんだと思う。……ただ、なんだろう、すごく、警戒してる?」
そう言われて、花垣は記憶を回顧した。
それこそ、大寿に殴られ、蹴られ、散々な目に遭った。おかげで曖昧な箇所も多い。
とはいえ日向の話には覚えがある。
向かってきた
「それも、お兄さんが来たときが一番そんな感じだったけど、そのときだけじゃなくて。ボウリングの間も、歩いてるときも、なんだか、ピリピリしてる? のかな」
「ずっと気にしてることがあるみたい、」日向は自信なさげに付け足した。
花垣は眉をひそめた。
日向は、人々をよく見ている。初対面でも、親しくても、それは変わらない。
公共交通機関では見知らぬお年寄りに席を譲り、友達の話を親身になって聞く。万次郎と龍宮寺が学校に襲来した折、花垣がヤンキーに絡まれていると勘違いしたときには、よほど巨躯で厳つい龍宮寺に向かって啖呵を切った。
困っている人には気を遣って、朗らかに優しい言葉をかけて、上手く周囲を回す。間違ったことにはハッキリと反論を呈する。
彼女は常に、彼女なりに、真摯に人と向き合おうとする。だから自然と彼女の周りには人が集まる。
「……私の気のせいかもだけど。ごめんね、武道くんについついなんでも話しちゃうな……」
「俺ヒナに頼られんのはめっちゃうれしーよ。ホラ、普段からちょっとダセェとこばっか見せちゃってるし、」
「ウウン、武道くんはカッコいいよ。ずっと」
照れ隠しじみた自虐を、日向は間髪入れずに否定した。「昔から」念押しするように、噛みしめるように、付け加える。
「最初っからずっと、武道くんはカッコいいヒーローだよ」
「ええ〜! 俺そんなカッケェ男になれてんの?」
「そうだよ。ヒナの武道くんはずっとかっこいいし、ヒナ、そんな武道くんがいっちばんすき」
「……し、幸せにする……!」
ちなみに、二人の現在地は映画館のロビーであり、開場を待つ人々という名のギャラリーがそこそこいるのだが、どうやら失念しているご様子だ。
——さて。
二〇〇五年の十一月二十九日は平日だった。
花垣と日向にとって、このスケジュールは、ちょうど二学期の期末試験の最終日に当たる。試験からの解放感も兼ねてデートの計画を立てていた。
一方、特に期末試験の時期でもない純丘榎が、しかし平日の昼間から映画館に出没していたのは、ひとつは時期に由来する。彼が通う専門学校はこの時期に一般入試を行うため、授業がなく、休講となる。
ひとつは、塾生にハリー・ポッターシリーズのファンがちらほらいることに由来する。純丘は塾講師だが、勉学を教えるにはただテキストを開けばいいというものでもなく、生徒との交流もまた重要になる。話題の手数は増やしておいたほうがいい。
「久しぶり、三途くん。ちょっと本題の前にセドリック・ディゴリーについて十五分ほど話をさせてもらってもいいか?」
「絶対嫌っすけど」
「そうだよな……」
最大の理由は、昼ごはんを食べたあと、長編映画を一本観ておくと、ちょうど約束の時間までの暇が潰せたからだ。
フードコートの椅子に斜めに腰掛けて、自販機のモンエナを片手に、三途はシンプルなヒキの表情を浮かべていた。誰だよセ……セなんちゃら。
純丘はたまに、三途の知らない名前をさも当然のように口にするので、三途も拒絶に躊躇いがない。
純丘は残念そうに首を振った。もちろん半分冗談だが。半分は本気だった。
片手が向かいの椅子を引く。ナチュラルな色合いをした木材の背もたれだ。座面は硬い。フードコートにありがちな椅子である。
「しょうがない、なら早速本題に入ろう。アその前になんか頼む?」
「いいです。……灰谷たちになんか動きねえか、聞きたいだけなんで」
「メールで述べた通りだ。心当たりのあるなしを言う前に、君が、彼らの動きを知りたい理由を説明してほしい」
途端に声色は平坦なものに変化した。
表情も同様、静かな目つきが三途を見つめた。
「以前の、万次郎とドラケンくんの件もそうだが。君がわざわざ聞く理由に足るなにかを先に言ってくれれば、状況に応じてこちらも開示する。そうでなければ話はできない」
三途は無言で純丘を睨めつける。わかりやすく、そしてやりづらい。頭が固いと言い換えてもいい。
前提条件を明示し、牽制する。相手に同様の要望と説明を求める。そうやって環境を整える。そうやって争いを回避する。契約と言うには厳密ではなく、知人友人同士にしてはぎこちない。
……誠実さを先に差し出すことで、信用と、口実を得る。
卑怯と誠意が表裏一体のやり口だ。
「……この間、
つまり、柴兄弟と花垣——
これについては、三途は「そっすか」の一言で終わった。終わらせた。
だから今回の本題は別だ。
「もう一つは、
「……川崎をシマとしている、と聞いたことはあるが」
「はい」
純丘の言葉に、三途は短く首肯した。
「間に大田とか品川があるんで、渋谷の
三途の口調は淡々としている。
話したいことを予め整理し、上から順に述べている。並行して、彼は己が記憶を想起する。
この件を幹部会の俎上に乗せたのは、東京卍會所属前から
とはいえ、ナホヤとソウヤが
他にろくな情報が出てくることもなく、議題は、またぞろ花垣が連れてきた最大の懸念事項へと、流れていった。
それこそを不自然だと思ったのは、三途ぐらいだった。
「隊長は望月と面識があります。なんなら、一緒に飯食ったり、個人的にやり取りまでしてる」
「そうだな」
純丘は素直に肯定した。同じ場にいたからこその同意だ。
三途の察しの良さと疑り深さは、既に、純丘もいくらか理解していた。能力の高さから導き出される勘というより、自らの不足を認めて、補完を試みた結果であった。
「隊長がなんも知らねえなら、こっちから確認してくる、ぐらいは言ったはずだ。一人だけオッサンで、世代が同じなのも割れてる。やり取りがあったところで、大して不思議でもねえ、でしょう」
なのに、言わなかった。一言も。三途はだから動揺した。
黒いマスクの下で、唇をも引き結んだまま、彼はその意味を考えた。
下手に多い口数が、いずれ災いを招くことを、三途はようよう知っている。たとえば、いもしない——ことにした——実兄が、間違いなくそうだ。
隠し事をするにはいくつかの方法がある。
嘘をつかずに隠すなら、黙り込むしか道はない。
「……あの人は、知ってんだ。知ってて言わねえんだ。
何故黙るのか。隠しておきたいからだ。
何故隠しておきたいのか。知られれば不都合であるからだ。
何故、知られれば不都合であるのか。
「たぶん、
その結論にたどり着いたとき、三途は思わず吐き気を催した。
それは、裏切りだ。よりにもよって、三途が信頼した——兄であってほしかったとすら思った!——人間が。王が一番であると述べたかの男が。
「……君の懸念は把握した」
低い声が述べた。純丘のものだ。腕組みの位置を直す。
三途の推察には、純丘としても異論はない。望月の行動、武藤の沈黙、そして純丘だけが知る、蘭から告げられた、灰谷兄弟の拒絶。
揃ったならば予想はつく。
——黒川イザナが動き始めている。
純丘榎は不良ごとには詳しくない。それでも付き合いが長ければ、彼らの関係に紛れもない上下関係があり、それに則った指揮系統が存在することくらい、うっすらと見えてくる。
万次郎とイザナには、佐野真一郎から始まって絡まって拗れて反転して至った因縁がある。まず、良い方にはたらくとも思えない。
「望月くんがチームを引き上げたというのは、いつ頃の話だ?」
「……幹部会で話題に出たのが、二十三日。そのときにはまだ宣言の段階っつってましたけど、もう手筈は整ってた。から、遅くても一週間以内……もう終わってるかもっすね」
「なるほど。これは俺の予想だが、結論として、十二月頭にはなにかしら事が起こる。ただ、東京卍會が巻き込まれるとしたらそれよりあとだ」
そして対立はおそらく今ではない。十二分に準備は可能である。
純丘榎は、自認としても他者評価としても、頭の回転が速く、人を観察し推察することに長けている。
知識を多く蓄えて適時修正、分析を行い、限りなく正確な結果を導く。ただそれだけが人よりも優れている。
「まず、彼らの関係についてだ。俺もさして詳しいわけじゃないが、彼らは少年院で出会ったらしい。上下関係は、普段は明確ではないが……おそらく、最高権力者は黒川くん」
三途の脳裏を記憶が過る。
小柄な身体と均整な、童顔じみた顔立ち。ヤンキーにしては珍しい特徴を揃えていた。爛々と不思議な力を持ったような瞳は、おおよそ、不気味なほどでもあった。
武藤が連れてきた三途にはコメントはなく、そのときは、芯のところでは頑固でこそあれ、ほとんど無関心な男に見えた。並んだ中ではむしろ物静かにすら思えたほどだ。
場地への異様な態度。ハロウィンでの血に興奮しきった様子。万次郎をひとりで引きつけるだけの実力。
評価は改められた。危険度は上乗せされた。
「黒川イザナ……」
「黒川くんは
「知ってます。……その逆恨み?」
「……もう少し事情があるが、これは俺が話すことではないから省略する。ひとまずはそう捉えてくれ」
純丘もまた、彼が知り得る断片的な情報を繋ぎ合わせて、起こり得た出来事を推測しただけでしかない。真実ただの部外者だ。
佐野真一郎と黒川イザナの出会いと決別は、もはや、当事者はイザナしか語ることのできない話で、当の本人は口をつぐんだままでいる。
明示された線引きに三途は踏み込まない。ここで踏み入っても、純丘は話を切り上げるだけだろう。
「望月くんが今までの縄張りから引き上げて、武藤くんが関わっているなら、彼らは自分の勢力を作るつもりだろう。おそらく灰谷兄弟にも招集がかかっている」
「おそらく?」
「俺は灰谷どもに二度と関わるなと宣告された。今月の二十一日にな」
さらっと明かされた話に、三途は無言のまま、かすかに瞬きをした。
灰谷兄弟と純丘榎の奇妙な関係は、共に顔を合わせた機会が二桁に届かない彼でも知るところである。
「俺に関与されたくないってのは、あいつらがこれまで以上にまずいことを大々的にやる証だ。ここまでタイミングが被ってるなら、各々が単独で行動したのではなく、なにかしら組んだと見たほうがいい」
〝お人好しヅラして俺らのことに首突っ込むのやめればァ?〟とは、純丘が蘭に突きつけられた言葉だった。つい一週間前の話だ。
彼らは純丘が東京卍會の面々と繋がっていることを知っている。だからこそ出てきた言葉だったのかもしれない。
純丘は、彼らの感情の具体的な内訳まで予測できるわけではない。情報から導かれた考察であり、外れることも有り得る。
当たる可能性が高いと彼は判じた。
ゆえにこのように言う。
「暴走族だかギャングだかは俺は知らない。それでも、最終的には東京卍會とも対立するだろうな。東京卍會は暴走族にしては比較的穏健らしいし、勢力を擁していると聞いたことがある。彼らにとってはたいへん邪魔だろう。——なにより、黒川くんは万次郎のことを嫌ってる」
かつかつと硬質な音がした。テーブルの木目を純丘の爪先が叩いた音だ。
導いた思考を、他者に説明するために組み立て直すとき、彼の指先はよくまどう。漠然とした道筋を辿り、要点を抑える。
「まだ準備が万全じゃない。すぐにでも動くつもりなら、武藤くんも呼び戻すだろう。……たぶん、あちらは単純に人手が足りてない」
卓越した知識はときに理解の不備を補う。秀抜な理解はときに知識の不足を補う。
純丘にはどちらも不足している。どちらも半端に持ち合わせている。
「灰谷たちは君らを指してよく悪口を言った。いい子ちゃんとか、規模ばかりでかいとか、中坊の脳筋どもが揃いも揃ってごっこ遊びとか。つまり規律が取れていて中学生とは思えないほど個々が強くてしかも人数が多い、ということだな」
「物は言いようっすね」
さすがに怒りが勝って平坦な物言いをした三途に「実際、俺の意訳のほうが、実力の評価としては近いと思うぜ」純丘は切り返した。本心から言っていた。
悪し様な言い草が先行しているからわかりづらいのであって、単語をいくつか言い換えれば意味が見えてくる。
無論、貶すことのみを目的に並べ立てる場合もあろう。
純丘は経験に基づいてその可能性を排斥した。
「あいつらの他人を皮肉りくさす習慣が悪癖なのは前提として、本当に馬鹿にしているなら、丁寧にこき下ろしはしない。まず君らって、いま正規の構成員だけでも総勢一〇〇人はいるんだろう?」
「四〇〇越えてます」
「……三、四ヶ月くらいで倍以上になるモンなん……?」
ハロウィンの抗争は途中様々な出来事が起きて散々に引っ掻き回されたが、最終的には、東京卍會側の勝利として事は収まった。
敗北した
当然八月時点の情報と比較して構成員の数は跳ね上がるわけ。
「いや、ともかく、だったら尚更だ」
わりと素で引いていた純丘、我に返って話を引き戻す。
「兵力の質量揃った相手に勝つとして、味方の兵力も質量ともに揃える必要があるのは、兵法の基本中の基本だ。バラバラな配下をより集めて一つの組織にするんだから、多少の反発は確実に起きる。新しい上下関係を叩き込むにも時間と機会が必要だ」
S62世代および極悪の世代は、各々が種別の異なる求心力を持ち合わせている。彼らの振る舞いは度々一定の人をひきつけ、忠実な部下を生み出しやすい。
転じて、部下たちは忠実であればあるほど、己が定めたリーダー以外に付き従うことをしばしば嫌う。命令に服従し、従順に、十全な結果を齎すように、組織に対抗できる兵に仕立て上げるなら、従うに足る根拠を示す必要がある。
根拠を示すためには、何度も何度も、繰り返し、根気強く教え込むか——百聞は一見に如かずか。
嵐の前の静けさとただの平穏は、一見同一に見えたとしても種類が異なろう。
些細な兆候を掻き集めて、今までの傾向と照らし合わせて、推測を立てれば、嵐が到来する日時を絞り込むこともできる。
「あいつら全員なんだかんだ目立ちたがり屋だ。とっくに準備が整ってたら、もっと騒ぎになってる。本人たちが自制したとしても配下が黙っていられない」
純丘榎は、きちんと稀咲榎と名乗っていた頃から、知ったふうな口を利くのは得意だった。
観察して、特徴を拾い上げて、繋ぎ合わせて、それを繰り返して応用すれば人の心の奥底まで見通せる。果てには、己が望むように、他人をコントロールすることだって可能だ。
それを行う理由がないだけだ。
彼には。
「チームの試運転がてら、確実になにか事を起こす……十二月頭が最有力だろ。望月くんと灰谷どもの配下は今集められるぶん集めたろうし、黒川くんはさすがにわからないが、斑目くんもお仲間を引っ張ってくると仮定すれば第一陣はそろそろ出揃う」
非行少年たちの論理を真に理解していなくとも、純丘は彼らを知っている。
不良の歴史を把握していなくとも、純丘は肩書のない彼らをいくらかは理解している。
視線は空を走り「——そうだな、」と、言葉を継いだ。
「
「つまり脅せってことっすね」
「なわけねーだろ」
どこもつまりではない。普段常識然と口をつぐんでおきながら、真顔で突拍子もないことを言い出すあたりが三途が三途たる所以だ。
純丘は半眼で指を立てた。俺は教唆犯になりたくないのでちゃんと軌道修正をします。
「暴力を使えとは言わん。というか使うまでもない。昔憧れた人に勧誘されれば誰かはうっかり口を滑らせて自慢する。当たるべきは、自慢した側じゃなくてされた側。不良に無関係で無知な奴。あいつらが抑えられないとしたらそこだ。人を従わせることには長けていても、会ったこともないやつまで支配はできない」
今のところ、と、注釈はつく。あるいはこの先、進化するやもしれない。今現在そうではないだけだ。
すぐ先の対策をするなら、現在の情報だけで充分だ。
喋り過ぎたので喉が渇いている。純丘は自らの唇を少し舐めて湿らせた。
「あいつらの最新の動向は、俺は真実知らないわけだが……これで君の要望には答えられたか?」
ほとんど相槌に徹していた三途は、その問いに、少し首を傾げた。
要望はほぼほぼ満たされている。だからこそ三途は妙な心境である。
尊重するわりにはあっさりと売り渡す。線引きをするくせに衒いもなく手を差し伸べる。
東京卍會の総長を万次郎と親しげに呼ぶのと同様、灰谷兄弟を灰谷どもと言って、蘭と竜胆と呼び分ける。三途の本来の苗字を知った上で、純丘は、三途を三途くんと呼ぶ。
「……アンタは
「俺は俺の原理に従って動く。時と場所と状況と人によるだろうな、たとえば噂のキヨマサくんに俺は味方したいと思ったことはない」
「灰谷兄弟は」
「……さてね。ただひとつ、あいつらは俺の関与を望まない」
ガソリンと〜
:4巻33話
紫のキティちゃん
:たまたまクレーンゲームで取り扱われていた北海道限定ラベンダーハローキティ
ハタチになった時点で未成年はアウトだアウト
:中の人の年齢を踏まえて笑いどころです
知人に歳の近い男兄弟がいたけど
:過去形
ハリー・ポッター
:炎のゴブレット
シリーズ四作め
コープスブライド
:ティム・バートンのコープスブライド
セドリック・ディゴリー
:ハリー・ポッターと炎のゴブレットの登場人物
いいキャラ
焦ってるっていうより
:怯えている
姉の勘
:ここでお手元の10巻80話をご覧ください
知らない名前
:「贖いの方法」多面的な価値より
総勢一〇〇人
:「贖いの意味」on7.25より