変化は連鎖していく。変転して影響していく。変幻が固定され、現実に具現する。
二〇〇五年十月三十一日。
登場人物をすり替えて、多少の差し引きが行われ、いくつかの変化が引き起こされた。
斑目獅音が現れた。
三途春千夜が気づいた。
黒川イザナが乱入した。
鶴蝶が止めに入った。
純丘榎が処置をした。
場地圭介は一命を取り留めた。
奇跡も理想も持ち合わせはなく、分岐器は無意識にも切り替えられて、なにもかもがそのままに進んでいく。事はそのまま動いていく。
場地は東京卍會を辞して、花垣が壱番隊の隊長に抜擢される。柴兄弟の溝は深まり、今のところ解決の見込みはない。極悪と呼ばれた者たちが集結し、横浜に天竺を築く準備が行われる。
生じたひずみは補完され、補修され、噛み合わないままに進んでいく。
時折軋んで、奇妙に歪んで、元通りに戻すすべなどあるはずもない。
ゆえに。
花垣武道がタイムリープをするしないに関わらず、この夢物語において、聖夜決戦は
——花垣がかつての恋人を殺め、逮捕されるに至ったのが、血のハロウィン改変後の二〇一七年十一月十九日。
この十二年前には既に柴大寿は命を落としていた。
死因は、下背部をナイフで刺されたことに由来する、腎動脈の損傷および出血性ショック。ここまでは改変以前とも一致するが、しかし、柴大寿の命日はクリスマスではなく、それより三週間以上早まった。
二〇〇五年十二月一日のことだ。
聖夜に決戦は起きなかった。事はそれ以前に成し遂げられた。
まず、場地圭介が生存したことにより、そもそも抗争自体が誰もにとって大きく想定外の展開に至った。
稀咲鉄太の計画は修正を余儀なくされた。修正のための一手が必要だった。
稀咲にとって、黒川イザナの経歴の調査は、たとえ物事の片手間でも数日で成し遂げられるものだった。
彼が予測できないのは情報が足りないときだけでしかない。情報は学習により補える。調査し、精査し、分析すればものにできる。今までもそうだった。同じことを繰り返すだけでいい。
執着にはどんなに些細でも何かしらのきっかけがある。稀咲鉄太はよく知っている。
さらに遡れば、イザナが所属していた児童養護施設に、佐野真一郎が何度か顔を出していたことまでわかる。
黒川イザナが佐野万次郎を嫌っていることも、稀咲は、ハロウィンの抗争で既に理解していた。
身寄りを持たない少年に定期的に会っていた男、とその実弟。具体的な家系図まで把握せずとも、おおよその見当はつく。
観察が必要だった。
さざなみひとつ立たない水面はただ穏やかなだけだから、小石を投下し、生成された波紋を注視した。
慕っていた男の、実の弟を忌み嫌う少年。果たして血縁関係の揉め事にどのように反応するか。殺しに加担すれば稀咲にとって儲けものだがそう簡単に動くとも思えない。なればどのように動くか。
正道でなければいけないわけではない。卑怯な手とて手段のひとつ。
たとえ今は上手くいかずとも、最終的に勝てばよい。着実に進めるべきだろう。
どんなものにも使い道はあり、利用価値がある。
なにより殺す機会はいくらでもある。
イザナは、反応は薄かった。興味もないような紫の瞳が彼らを視界に入れていた。
彼が感情を煮詰めているのは真一郎と、万次郎に対してのみで、周囲はほとんどどうでもいいようだ。
しかし——柚葉が彼らをつけたのは、稀咲の意図したところではなかったが、気づいても撒かなかったのは確かに故意だ。
横浜天竺。
なるほど、それらしい名をつける。
稀咲はこのような所感を得た。逆に言えば、そうとしか思わなかった。
手札は出揃った。あとは簡単だ。燃料をぶちまける。火種を熾す。各員を誘導、そして起爆させる。稀咲は造作もなくそれらを成し遂げられる。
——観察して、特徴を拾い上げて、推察して、それを繰り返して応用すれば人の心の奥底まで見通せる。果てには、己が望むように、他人をコントロールすることだって可能だ。
純丘榎が何故そうしないか。それを行う理由がないだけだ。
稀咲鉄太が何故そうするか。それを行う理由があるからだ。
他人はただの駒であるからして、洗脳と扇動に躊躇はない。毀損や傷害に罪悪感もない。倫理が、己が望みよりも優先されることはない。
であれば彼を止めるものはなにもなく、二〇〇五年十二月一日、稀咲鉄太の目論見は極めて予定通りに達成された。
……花垣武道が、二〇〇五年の十一月に再びタイムリープするまで、という注釈がつけられる。
Before Christmas
灰谷兄弟が純丘に訣別を突きつける。
場地が純丘の紹介で、外部の知人を得る。
三途が純丘に情報を求めに訪れる。
デート中の日向と花垣が、純丘に遭遇し、稀咲の話題が出る。
これらは花垣がタイムリープする前にも起こり得た出来事だ。
花垣は柴八戒に関心を持った。柴家の関係により深く口を挟むポジションを得た。
花垣は先達として場地を頼った。場地圭介は東京卍會が
花垣も柴兄弟を気にしていたから、日向は己が所感を打ち明けた。
これらは花垣がタイムリープしたからこそ引き起こされた出来事だ。
変化は連鎖する。変質して連動する。
起こり得なかったはずのことが起きて、起きたはずのことが起こらなくなる。
たとえば、日向の言葉をきっかけに、花垣は柚葉に連絡を取った。千冬とともに彼女に話を聞きに行った。
十一月三十日のことだ。
これもまた、起こらなかったはずの出来事のひとつ。
指定されたコンビニ前には、最近車止めのポールが設置されたばかりだった。うち、灰皿横に設置されたひとつに腰掛けて、柚葉は微かに笑った。
意図としては嘲笑に近い。眼前の少年らの無謀さを諫める意味と、無力な己に対する自虐が内包されている。
「アタシが、焦ってるって……そんなの気にしてどうすんの? アンタらみたいなヒョロいチビ、大寿にすら勝てねえのに」
「大寿にすら?」
煽りにも聞こえる言い回しを、千冬は耳聡くも聞き咎めた。
「柴大寿よりやばいやつが来る、みたいな言い方だな」
「……。だからなに。中途半端に手ェ出されんのがイッチバン迷惑なんだよ、わかんないかな」
質問への応えではなく、苛立たしげに語気は強い。カツカツと踵を打ち鳴らす。
柚葉は確かに焦っていた。十一月の八日から。弟が思い詰めた顔で外出する様子に、思わず、そのあとをこっそりつけたときから。ずっと焦っていた。
悪評高い八代目の意味深な言動。結果的に柚葉が焚き付ける形となってしまったのは、おそらく気のせいではない。
重圧から逃げ出すように弟と息抜きに行けば、一触即発の事態へと急変する。東京卍會との諍いは辛うじて回避したが、代わりに八戒は
焦燥は前のめりな姿勢につながり、些細なミスをいくつか引き起こす。柚葉は、普段ならわざわざ兄に食ってかかって煽ったりもしない。
——十代目
らしい。
仮にも
ただし、らしいと述べた通りだ。たとえ総長の血縁者でも、チームの中では柚葉の立場は末端に当たる。抗争に出るわけでもない。報告の優先順位は最後の方。
だから、それを教えられたのは、たった数時間前の話。
徐々に追い立てられている。焦燥は加速している。
「自分勝手にさ。表面だけいいカンジに見えるようにして、これで助けられた、イイコトした、もう大丈夫って気分になって。そういうのがほんとに、」
柚葉の脳裏をちらつく顔がある。
彼女と同い年の、弟が懐いている少年。見本にして理想のような〝兄〟の振る舞い。安心感を齎しておいて、助けてくれると錯覚させておいて。それでも結局なにもわかってない。
……忌々しく厭い嫌う感想がしかし、己の僻みが大半を占めていることだって、どこかではわかっている。助けを求めれば応えてくれるかもしれないことを知っている。それ以上に長兄が強大で、恐怖でしかないことだって、わかっている。
わかっているから余計に惨めで苛立たしい。
彼女はまばたきだけで余計な思考を追い払った。
弟が頼りにする相手は今ここには不在で、代わりに、彼よりも頼りない少年らがふたり。なんなら一人は新顔。誰だアンタ。いや副隊長っつってたっけ?
柚葉は普段
「……だいたい、なにができるって言うの。なにをするって言うわけ? つうかマジで大寿にワンパンでやられてたやつがアタシらの心配して首突っ込みに来るとかちゃんちゃらおかしいから」
「あっあれは後ろからぶん殴られたんだからしゃあねえだろ!」
「八戒なら避けたよ」
一刀両断。
なにも言い返せない花垣に「タケミッチは喧嘩できねえけど壱番隊隊長だから勝ってる」千冬の弁護が入る。勝ってるかどうかは微妙なところだ。
「ホント、八戒の方が上に立つ器だろ。絶対」
柚葉は呆れの溜息をつく。
彼女の弟への評価にも贔屓が多分に含まれているが、花垣が様々な意味で実力が及ばないことは、事実だ。
「とにかく。自分のこともろくに面倒見れないんだから、せいぜい大人しくしてな。第一、八戒は
「関係なくはねえよ!
「アタシはそこで混ぜっ返せなんて一っ言も言ってないんだけど……」
「つうか、そりゃ俺は自分のこともなんもできねえけど」
とうとう認めたよコイツ。
頭痛をこらえるように額を抑えた柚葉。
しかし花垣は、大真面目な顔で言葉を続けた。
「だから大寿くんに会ったときも、八戒に庇ってもらわなきゃたぶんぶっ殺されてたし」
「自覚あったんだ」
「アイツやべえな……」
「そんでも、俺だけで頑張んなきゃいけないってわけじゃねえだろ」
その台詞に、千冬は眉を動かして、ふんと腕組みをした。
柴大寿との遭遇で、弱気になって、一人でなんとかしなければ——抱え込んでいた相棒に喝を入れたのはこの俺です。後方相棒面。
「俺ができることとかほんのちょっとで、ぶっちゃけ俺だって俺のことマジでダセェな弱ェなって思うけど、だからって諦めてたら守りたいもん守れねえし、守れるもんも守れねえ。だからいろいろ聞いて、手ェ貸してもらって、なんとかしようとしてんじゃん」
開き直りと言っても差し支えのない主張だ。
花垣は大真面目だが、大真面目だからこそ、よくよく聞けばオマエそれでいいのか案件。
つまりそれ、他力本願ってコト?
「てか、いくら俺より強くったって、一人だとまだ大寿くんに勝てねえのは八戒だっておんなじだろ。俺らちょっとでも力ンなれんなら、そのほうが良いだろ」
この話し合いは、今までの分岐では起き得なかった出来事だ。
花垣の主張は、千冬と秘密を共有し、励まされ、自信をつけたからこそ吐き出せた言葉だ。
今までの花垣の軌跡は、二〇一七年では確かに救い損ね続けているとしても、二〇〇五年に限って言えば順調である。
8・3抗争で龍宮寺を救い、ハロウィンでは場地は一命を取り留めている。ハッピーエンドには至らぬまでも、致命的な失敗はなく進んできたという自負がある。
その自信は過信とも言い換えられる。
彼が口にする言葉は、あまりに楽観的すぎる。薄氷の上をスキップで進む方がまだリスクが低い。
「……」
柚葉は、しばらく沈黙した。
愚かで無力でなにもわかっていない少年を眺めた。真っ直ぐに己を見つめる少年を眺めた。
……自分よりも強いとわかっている八戒を、それでも、躊躇いもなく助けようとしている。強いから助けなんか要らないだろうとは、言わない。己が無力でダサいことを恥じながらも、隠そうともせず、自覚があった上で行動する。
反発する心は確かに存在している。歯痒くも突っ撥ねたい気持ちはたいへん強い。
「今、
ダサくて愚かで無力で、ただ、飾りも嘘偽りもない言葉だから、柚葉は情報の開示を選んだ。
「……横浜天竺? てことは、神奈川のチームだよな? そんなんいたんだ」
「いたっつーか、できた、だろうね。昔名を上げたやつらが雁首揃えてチーム作ったみたいだよ。抗争の日取りは十二月一日」
大寿はあれで暴力の使い方をよく心得ている。柚葉は身を以て知っている。
彼女の兄が振るうそれは、心を折って、従わせるための暴力だ。手段であり、加減をして執行される。殺すことそのもの、甚振ることそのものを目的とはしていない。
「そこのトップ……黒川イザナは、大寿のことも殺すつもりだよ。必要なら」
「……エッイザナクン? なんで?」
ひっくり返った声を上げた花垣。イントネーションがタワーオブテラーが如く上下した。千冬もさすがにハロウィンのトンデモ闖入者は覚えていて、目が点。
柚葉は、若干首を傾げた。訝しむ顔でもあった。
恐怖を覚えている、に、しては様子が違う。
「元八代目だからっつってたけどね」
「八代目!?
「アンタらなんで黒川イザナがわかってそれは知らないの?」
「これには浅い事情が」
「は?」
確実に深い事情はないがそんなこと知らない柴柚葉的には何言ってんのか微塵もわからない。
——たとえばこのようにして、花垣と千冬は、十二月一日という日取りと関係者の情報を手に入れた。
これはタイムリープによる変化が為した明確な変質だ。
同様の事が起きている。どこかでなにかが起きている。無自覚にも影響は及んでいる。
たとえば、純丘からヒントを手に入れた三途は、その後、己がツテを辿って、
これはもとから起こり得る出来事だった。
横浜天竺を築くと決定されたのは十一月十七日で、花垣が再び二〇〇五年にタイムリープしたのは十一月の十九日。
望月の行動に変化はなく、議題も変わらず、そちらの経緯には花垣は関与していない。であれば三途が違和感を覚えることも既定路線。武藤本人に聞けぬならば、純丘を呼び出すのが順当だろう。
これまでの流れに変化はない。
花垣のタイムリープ前。
三途は、この抗争の情報を誰にも明かさなかった。
彼自身、突き止めたときには抗争まで残り数時間を切っていた。
柴兄弟とは大した因縁も交流もない。それこそ八戒とは同じチームに所属しているが、それだけ。三途の優先順位としてはごく低い方に振り分けられる。武藤の裏切り疑惑には多少なりとも動揺したが、どちらにせよ、下手に動いて事を仕損ずるのではなく、様子見に徹することを選んだ。
……ところでこの三途春千夜、相変わらず花垣を疑っている。
実際彼が食いついた先々でだいたい人が死にかけていて、なぜだか人々が揃いも揃って花垣を信頼するので、疑い続けるのも無理はない。無理はないが花垣にとっては百パーセント濡れ衣である。苦労しますね主人公。
ともあれさておき、三途は未だに花垣を疑っている。
ここまで前提。
疑っているので——タイムリープ後の花垣が突然気にかけ始めた、という点から、三途もまた柴八戒に注目していた。
これは間違いなく、花垣のタイムリープによって起きた変化である。
確かに大した因縁も交流もないが、それはそれとして、長兄から受ける圧力としつけには彼もまた心当たりがあった。一人っ子だが百個くらいの心当たりがあった。一人っ子です。三途の主張。
興味ゼロならたいへんどうでもいいので記憶の片隅にも残らなかった話だが、ひとたび注視してみれば、共感できる点がなくもなくてたいへん居心地が悪い。実兄ではない相手を慕っていることもいろいろ被って見えてしまう。三ツ谷隆はその点隠し事もなさそうなので、尚更。
ちなみに三途は武藤がもしかしたら裏切者かもしれない現状に、フツーにシンプルに傷ついていた。
「おっせえよ何コール鳴らさせんだよ」
『いま四時な?』
変な共感と現状のメンタルの不調の相乗効果により、三途はなんにも考えずに三ツ谷に電話をかけた。
さすがに不機嫌三ツ谷の返答からお察し、夕方四時ではなく朝四時である。
「ヘェ、そーなん」
『俺ほんと、オマエが幹部会で敬語使ってんの何事かと思う、毎回』
「話進めるぜ」
『……ドーゾ』
弱冠十五歳だと、生まれてから十年余りを共に過ごした相手とはつまり人生の三分の二以上を一緒にいる。
三途本人に自覚はないが——当然というか、不可抗力にも似てくる。自分勝手さとか。人の話聞かなさとか。その他諸々。
とりあえず、三ツ谷はなにもかも飲み込んで促した。
心境は半年ともう数ヶ月前の純丘とだいたい一緒。諦めとこ。
「今代の
『……それ俺個人より
「新設のチームっつっても中身はバケモンだ」
『おっけ、聞く気ねーのはよーくわかった』
「六本木の灰谷兄弟、
『……。灰谷兄弟に、斑目? 斑目獅音?』
三ツ谷の声は途端に鋭くなった。紛れ込んだ固有名詞により、話が変わってくる——特に斑目は、東京卍會創立メンバーにとっては別種の意味を持っている。
しばらく潜伏していた男が、実はハロウィンの抗争で観戦の顔触れにしらっと並んでいたとは、三ツ谷もあとから聞いて知った。
『つかイザナって、ハロウィンのとき殴り込んできたやつだよな? マイキーが場地に突っ込んで何度もはぐらかされてる』
「そうそれ」
『……なんでそのチームに? まず
東京卍會での黒川イザナの認識は概ねそういう扱いだ。「アイツもS62世代のひとりだ。活動が被ってるどころじゃなく、どうも昔っからつるんでたみてェだよ」三途は言いながらも己の爪を見つめる。ささくれを見つけて顔を顰めた。
「斑目の、前の
『斑目の前ってなると、』
「八代目」
まるで用意していたかのように、回答は先回りして提示された。
『——三途、なんでこの話を俺に持ってきた? それこそマイキーに言うんじゃなくて』
「俺ァ別に
三途春千夜は、ひょろくて、筋肉もつきにくい体質で、無手はとことん向いてない。副隊長を務める程度には強いが、隊長副隊長格の中では、新入りの花垣と稀咲、彼らが入るまでは最弱だった。妹の方が(一人っ子だが!)抜きん出たセンスがあったから、尚のこと三途は強く自覚した。
多少の心得があるので、剣を持った方がまだまともに立ち回れるが、不良の喧嘩の流儀には反する。なによりパクられるリスクが上がる。
持てるものには限りがあった。限りがあるから持てるぶんを最低限だけ抱えて、他のあまねくものを切り捨てた。
黒い衝動に追従し、己が生き残るための手段以外のすべて。
だから三途には関係ない。彼はこの件にこれ以上触れるつもりはない。
捨て置くべき物事よりも、さらに先を見据えて動かなければいけない。
「どうでもいい。が、」
三途
「たぶんな、柴、アレ下手すっと死ぬかもしんねえな」
『……八戒は強いぜ?』
「強いのは死ぬかどうかに関係ねえよ。アイツ、花垣と馬が合うようじゃねえか」
『それは聞いてっけど』
「同じニオイがする。ああいうやつらは、自分じゃ殺せねえ。最後の最後で怖気づいてウッカリ外す」
我に返って、手加減してしまう。急所から逸れて着地する。
それはある種の臆病とも呼ぶべきだ。情を傾けてくれる誰かがいれば、代わりに遂行してしまうかもしれない。しばしば重責を他人に押し付けてしまう性根である。
また、理性が引いた最後の一線でもあるだろう。
手放せば、きっと、あとは転がり落ちていくまま。
三途の評論に三ツ谷は一瞬沈黙した。音質の悪いマイクは音を拾わなかったが、通話の向こう、三ツ谷の喉は上下した。
『それこそ……殺せねえのが、死ぬかどうかとは関係ねえだろ』
「相手がフツーのやつならナ。灰谷も望月も斑目も黒川も相手を殺しかけたか、殺して、
噂話以上のなにかを知っているような口振りに、三ツ谷は、聞きたいことがいくつかあった。口にはしなかった。まとめて飲み込んだ。
口調の軽快さとは裏腹に、三途の声色に、面白がる雰囲気はなかった。
紛れもなく忠告だ。
「殺せねえやつとノリで殺せるやつが喧嘩したら、死ぬとすりゃ殺せねえやつ。当然だな」
『三途オマエ』
「俺はどうでもいい。どーでもいいよマジでな」
三ツ谷の声を遮るように声を張り上げる。
通話越しには表情は伝わらない。三途はほとんど常にマスクを身に着けているからして、普段から目から上くらいしか様子が窺えない。機械を通して変換された声色からは、表情を推し量るのも難しい。
「なんならマイキーが首突っ込みそうだから報告上げるにしたってあとだよ後。全部終わったあと。そのつもりだ、俺はな。——言うだけ言った。あとはテメェの好きにしろ」
通話を切った。そのままケータイの電源を落とした。
三途は自分の端末を握りしめていた。彼の瞳はぼうと壁を見つめていた。しみひとつなく磨き抜かれた壁は、彼の潔癖症に由来する清潔さを保っている。
深く息を吐く。大きく息を吸う。
もう一度吐き出した。
長髪をかき回して、それから、彼はその場に踞った。
なにもかも。残ったものをも放り出して、泥のように眠りたかった。
三途は、今、そういう気分だった。
——たとえばこのようにして、三途から三ツ谷に、十二月一日という日取りと場所と関係者の情報が伝えられた。
人が異なれば持ち得る情報にも若干の差異があり、伝えられる情報にはそのぶんの誤差が生まれる。
同様の事が起きている。どこかでなにかが起きている。誰かの思うことにも変遷がある。誰かが述べることにも変化がある。無自覚にも影響は及んでいる。
ほとんどの人間にとって、知らぬ間に。
たとえば、純丘に連れられた場地がちょっとした恐怖体験を味わうのは、もとから起こり得る出来事だった。多少時期は前後したかもしれないが、場地が生存した以上は、いずれ経る事柄だった。
たとえば、場地が
「……もしもし?」
『頼まれてた
そして場地にこの電話が来たのは、十二月一日、朝の八時。
三途と比較して常識的な時間だが切り出し方が常識的ではなかった。
寝ぼけ眼で反射で取った場地——いつもながら一限には間に合わない、彼も努力しているが現時点改善は見られない——は、ケータイから耳を離して、画面をまじまじ見つめた。
表示は非通知。
まず名乗れや。場地は思ったが言わなかった。
心当たりはあったからだ。
「……もしかしてアオサギとか言うやつ? エなんで俺のケータイ、塾長か?」
『純丘くんは教えてくんないよぉ、そのへんしっかりしてるからねぇ』
「ンなら誰から聞いた?」
『ところで慰謝料なんだけどねぇ?』
「無視?」
慰謝料を取るべき案件が現在進行形かつ同時進行で別件発生している気がする。
場地がこっそり震えているのをよそに『君さぁ』甘ったるい口調が言う。
『報酬どうするって聞いたときぃ、
「オゥ……」
そして相変わらず喋り方と内容の差が激しくて風邪を引きそうになる。
場地は万年平熱の健康優良児だが、コレと話すことで背筋にゾッと寒気が走る感覚を理解した。理解したくなかった。
『今日抗争するみたいなんだよねぇ』
「へー……抗争……」
『んでもってぇ、相手のチームが、わかるかなぁ? 横浜天竺って名乗ってるんだけどぉ、幹部に灰谷兄弟とかぁ、
「……ア? それまさかイザナクンいねぇか」
『勘がいいねえ。もちろんいるぅ。てかトップ?』
きゃらきゃらと笑い声が響く。笑い事ではない。
完全に目が覚めた場地は布団から跳ね起きた。
正月に揃っていた面々はあまりに強烈過ぎて鮮明に覚えている。三途がいないことは確定として——彼は幼馴染をそういう意味では信頼していた——武藤は怪しい。
そうだとして東京卍會は、稀咲の他にも獅子身中の虫を飼っている。かもしれない。
『場所は勝島の埠頭でねえ、競馬場に近いんだけどぉ。だから少年課の知り合いをちょっと呼んでねえ』
「は?」
場地がなけなしにも思考を巡らせていたら、話の雲行きが一気に怪しくなった。
少年課とは、警察に設置された課で、特に少年を対象とした捜査をする部署だ。場地も説教をかまされたり強盗事件で聞き取り調査をされたりで、その名称と存在と役割を知っている。
この部署は少年犯罪を取り扱う。暴走族はもちろん、たびたびちょくちょくお世話になる。
——それを呼んだ?
『あと白バイも呼んでねえ。ホラ君らってバイク使うじゃなぁい? 逃げられたとき追っかけるならプロがいいよねってぇ』
「オイ」
『そんでぇ、ちょこちょこ助っ人呼んで埠頭張らせてんのぉ。一応、僕って公僕なんだよねえ、まず通報は一般市民の義務でさ?』
「オイ。ていうかオマエが一般市民?」
『えそこぉ? まァぶっちゃけぇ、横浜天竺がどうとかはいいんだけどぉ、この際九井くんをそろそろ足洗わせたほうが得かなってぇ』
まだ一般市民の義務を主張された方がマシだったかもしれない。一人のためにチーム二つを一網打尽にする気でいる。
非行少年が形成する組織とそれらが為す犯罪は、問題視されているが、未だ完全には撲滅されていない。
もちろんいたちごっこなのもあるが、それらの集いがある種の受け皿の役目も果たしているのも一因だ。家庭や学校といった、社会一般的に居場所とされる場所でそう在れなかった一部の少年たちにとって、共助の役割も担っている。
だから、規模の大きなチームは、潰す際には慎重にならざるを得ない。
暴走族が消えた地域で、空き巣や強盗の発生件数が跳ね上がった——そういう例を聞いたことはあるだろうか。
集団でなければ大人しくしているとか、そんな都合の良いように回るなら、最初から彼らは非行に走らない。
辛うじて成立していた規則が破壊され、個々が好き勝手にやらかし始める。今までチームに睨まれて動けなかった者共が、目の上のたんこぶが消えて身軽になる。
……そういう可能性も、ある。
当然それだけの構成員を擁していて、影響もひとしおだ。
今代総長の柴大寿は、図体には不似合いにも頭がキレる男であるからして、チーム外の雑魚への睨みも効かせている。本当に見た目にそぐわないが、あれでいて管理下に置いたものに関しては徹底している。
乾青宗は前代
九井一はチームはもちろん、彼が取り扱うビジネスが高名であるからして、もし捕まれば余波は非行少年の範囲では収まらない。そもそも
問題は
灰谷兄弟は、本人たちはチームを作らないが、それこそ〝一声かければ百人以上集まる〟傘下が存在する。信者と呼んでも差し支えのない面々が雁首揃えて彼らの指揮に従うさまは、薄ら寒さすら覚える。
望月も川崎を長らく支配していた。場地は、彼が総長を引退したことは
斑目は元
黒川イザナの説明はもはや不要だろう。それこそ場地と同年齢、H2世代以下に当たる少年らは彼の全盛期を把握してない者も多いが、彼らの二つ三つ上には周知の名前だ。畏怖を以て、ある種の新しい伝説にも成りかけている。
『まぁでもねえ、アレだよねえ。逮捕ってさぁ、犯罪が起きなきゃ逮捕できないんだよねえ』
場地の思考は中途で切られた。ずいぶんとわざとらしい言い草。
声は上げなかったが、目を瞬かせた場地の表情を、まるで通話越しに読んだように『ワカル?』念押し。
『九井くんには足洗ってもらってもいいんだけどぉ、別に洗わなくてもいいんだよねえ。なにがなんでもカタギになってほしいならぁ、今まで見逃してないしぃ? ただねえこれで横浜天竺のほうが勝つと困るんだよねえ? あの子なんだかんだ逆らえないからぁ?』
「オマエ九井のなに?」
『ファン♡ だからほらぁ、あくまでもこっちは逮捕する目的だから本人たちにバレたらやばいじゃあん? 抗争取りやめちゃうでしょぉ』
言わんとすることはわからないでもない。やらせたいことに予想はつく。
これでも場地圭介には壱番隊隊長としての蓄積があって、だから多少の駆け引きは覚えざるを得なかった。
「……」
ただ場地はちょっと足掻きたくなった。ひとの命令に従うのは彼ももちろん好きではないし、なによりコイツが怖い。
沈黙した少年に『う〜ん』高く作られた声が囀る。
『ちなみにほんとに配備はしてるからフツーに逮捕できるよ』
「行きゃあいいんだろ、行きゃあよ。行って教えて抗争中止させろってことだよな?」
あからさまに声は投げやりだ。投げやりにもなる。
東京卍會すら辞めた身で何故か他のチームへの伝言役にパシらされているのが今の場地の現状。同情の余地がある。というか同情の余地しかない。
「今日品川の競馬場近くの埠頭に十二時な、わぁったわぁった。行くっての」
『そぉ! よろしくねえ、なにかご褒美あげよっかぁ?』
「イラネ……」
辟易と場地は通話を切った。怪物の相手はこれだから疲れる。早朝から体力を消耗してしまった。
もちろんこれは場地基準の早朝です。
——たとえばこのようにして、場地には、抗争の日時と場所と、そしてそこに警察が配備されたことを知った。
どこかでなにかが起きている。なにかがいつかに連鎖する。誰かの思うことにも変遷がある。誰かが述べることにも変化がある。無自覚にも影響は及んでいる。
ほとんどの人間にとって、知らぬ間に。
時は止まらない。事実は一つだが、常に変わり続けている。たった一つの事実すら、どの側面を見るかによって解釈には差異が生まれる。
気づいたときには、既に、手遅れだ。
腎動脈の損傷および出血性ショック
:捏造です
執着にはどんなに些細でも〜
:経験者の言葉
車止めのポール
:バリカー
プリウスガードの方じゃなくていかにもポールっぽい方で想像してください 棒の
上に立つ器
:9巻78話より
半年ともう数ヶ月前の純丘
:贖いの価格「立春」より
暴走族が消えた地域で〜
:地元の凶悪犯罪が倍に跳ね上がったのは面白かったですね 面白くはない
全国各地にそういう話があったりなかったりラジバンダリ