【完結】罪状記録   作:初弦

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口頭弁論

「……えーと」

 

 花垣は記憶を振り返る。

 彼が黒龍(ブラックドラゴン)に関して持ち合わせている知識は、二〇一七年には後身の十一代目が東京卍會と密接な関係にあったこと、あとは千冬や場地から聞いた知識がほとんどだ。

 

東卍(トーマン)が潰したのが黒龍(ブラックドラゴン)の九代目なんすよね? で、消えかけてたチームを蘇らせた十代目が、今……歴代最狂最悪って言われ……ん? 許可ってなんすか」

 

 その知識をちゃんと洗ってもなにも繋がらなくて困惑している。

 

 ガリガリとうなじのあたりを掻くのは場地だ。心底面倒そうな顔をしていた。実際シンプルに面倒だった。俺解説とかガラじゃねえんだけど、塾長とか突然出てきて解説だけして帰ってくんねえかな。

 引き合いに出された純丘はちなみに今普通に学校でお勉強の真っ最中だ。行けるわけねーだろ。

 

 そもそも引き継ぎもなにも本当に行えていないのは場地の方である。突然の引退でしたからね。

 

 ふーっと息を吐いて、元壱番隊隊長は口を開いた。

 

「俺らが潰した九代目はそのあと散り散りになって、行方知らずのやつも珍しくなかった。そん時の総長も含めてな。柴大寿は、今こそ十代目のアタマ張ってっけど、黒龍(ブラックドラゴン)に入ったって意味じゃ新参だ。てっきりあの頃は、乾が話つけてたと思ってたんだけどォ……」

「そういや斑目、あんときどこいるかほんっとわかってなかったよなー。いろいろ説はあったけどさ」

 

 場地と同じく創設メンバーの三ツ谷が朗らかに相槌を打った。彼もまた九代目黒龍(ブラックドラゴン)との諍いの当事者の一人だ。

 三ツ谷の相槌は、一見この状況にはそぐわない朗らかさ。

 

 ただ目は明らかに死んでいる。

 

「前代に海に沈められたとか、山に埋められたとか……」

「漁船に乗せられたってのなかったっけか」

「あったあった」

「ど、どういう……?」

「柴大寿はマジでやべえよ。喧嘩を金で売るようになったのも、それができるように兵隊を躾けてんのも、噂がホントならマジのヤクザとも取引してるとか言われんのも、あいつの代の黒龍(ブラックドラゴン)だけだ」

 

 それらは正しく、適切に、今代黒龍(ブラックドラゴン)を評価している。

 

 しかし九代目の敗北から十代目の復活まで、一年の間が空いていた。多くのメンバーは入れ替えられ、新しく総長を立てて、それは刷新であり新設とも評せるだろう。

 知らぬものも少なくない。三ツ谷や場地だって、八代目については真に目撃することもなく、先輩の先輩からの又聞きだった。多少年嵩のある河田兄弟や武藤ならば、あるいは直に目にしているかもしれない。そう推察する程度。

 

「でも、黒龍(ブラックドラゴン)が……ネジ外れた犯罪集団って意味で危ねえチームって言われてたのは、八代目なワケ」

「……だから〝海に沈められた〟っすか……?」

 

 花垣の引き気味の問いかけに、頷いたのは三ツ谷だ。

 

「わりとマジでそういうことするチームだったらしいぜ。斑目、死んでる説あったの冗談じゃねえよ」

「しん!?」

「ホントホント。つっても、さすがに俺らは世代被ってねえから、実際に見てた、とかじゃないし。その頃の総長がどうとか具体的には知らなかったけど……場地はわかっててアイツと知り合いだったわけ?」

「……一応はな。たぶんマイキーも黒龍(ブラックドラゴン)八代目ってのは知ってる。覚えてんならの話だけど」

 

 佐野家で初めて会ったとき、場地は万作に向かって頭を下げていた。イザナが万次郎に向かって言い放った台詞は、発言者の表情も見えなかった。

 それでも耳は確かに聞こえていたから、話の内容は、おぼろけながらも記憶に留めていた。

 

 ……そんでも会いたがってんの? 三ツ谷はこっそり首をひねった。

 あまりに当然の困惑だ。

 

 ここまでに〝佐野エマは旧姓を黒川エマといい、三歳まで黒川イザナとともに暮らしていた〟〝佐野真一郎は黒川イザナを弟として可愛がっていた〟などの情報は付与されていない。彼らも知るタイミングは未だない。

 そして今ここで解説されるタイミングもない。

 

「とにかく」

 

 三ツ谷自身もそこは一旦置いておきたい。今は話を脱線させるよりは進めておきたいところだ。

 

「だからほら。なんつーの? マジで九代目に話が通ってなかったなら……そりゃ先輩に義理を通さねえで乗っ取った、的な話になるわけ」

「ワ……ァ……」

「……いや、それはおかしいんじゃねっすか」

 

 二〇一七年よりもさらに未来を先取りしたちいかわ発言はさておき。

 怪訝そうに、異を唱えたのは千冬だ。

 

「行方不明になってたってんなら、通せる話もなんもねえでしょ。てか、乾とか九井って何代か前からいたんすよね。だったら斑目本人には通せなくても、連絡取れる他のメンバーに話つけんのはできたんじゃ?」

「実際あいつらはわりと上の立場だったっぽい、ってのはそーだよ。乾は少年院(ネンショー)入ってて俺らとやり合わなかったけど、数はもとから黒龍(ブラックドラゴン)のが多かったから、もしかしたら負けたかも知んねえ」

「場地さんが負けるわけありませんけど……だったら尚更。十代目できるまで一年は空いてたって話でしょ、そりゃもうあいつらのチームとか言う方がおかしいっしょ」

「ヤ俺も負けるときは負けっけど。あー……」

 

 花垣は言わずもがな。千冬とてそも東京卍會に入るまでは一匹狼ですべて突っぱねてきていたから、ときたま、界隈の動きに疎いところもある。

 

 さてどう説明するべきか。

 顔を見合わせた三ツ谷と場地が、しかしどちらも口を開く前に声が空を裂いた。

 

 

 

  口頭弁論

 

 

 

「許可? そもそも、最初にトんだのはそっちの方だろ」

 

 吐き捨てるような言葉。発言者は乾だ。

 

 彼は上体をねじるようにして竜胆を睨んでいたが、すぐにイザナに視線を戻す。

 

黒龍(ブラックドラゴン)を継いだら、初代みたいに盛り立てるっつったから、あんとき俺はアンタについた。実際、七代目までは族とか言ってもほとんどOBに牛耳られてたのに、極悪(きわめ)るのを目指した八代目からは、黒龍(ブラックドラゴン)にはちゃんと中身もあった——そんときはな。でも、俺が少年院(ネンショー)出たときには、九代目はOBどころか誰も残ってなかった」

 

 黒龍(ブラックドラゴン)解体と東京卍會創立は、二〇〇三年の六月に起きている。

 一方で乾の出所は、彼が中三になるまで長引いた。

 

 空白期間はおよそ一年。

 

「……黒龍(ブラックドラゴン)の名前も、とっくに、負けてなくなったチーム扱いだった」

 

 少年と呼ばれる期間はそう何年もない。ヤンキーたちには暗黙にも、一定の年齢となれば卒業やOBとして別の括りに分類し直される。世代交代の早い彼らにとって、一年は忘れ去られるに充分な期間に該当する。

 

 乾は、それは理解している。

 敗北は敗北であり、そのとき黒龍(ブラックドラゴン)の天下は確かに終わりを告げていた。不良の世界で敗者の主張におおよそ理はなく、残兵も潰されたならそれは負けた彼らが悪い。その場にいなかった乾が悪い。あれこれ言うものではない。

 敗北したメンバーが、口先だけで結局チームに固執しなかったことだって、苛立ちはしたがどうでもいい。

 

〝え、まだ黒龍(ブラックドラゴン)になんかこだわってんの? てか乾オマエ足洗ってなかったんだ〟

〝まァ……どうせ総長だってどこ行ったかもわかんねえし、他のやつで気にしてんのもいねえし。なら好きにすりゃいんじゃね?〟

 

 かろうじて連絡のついた諸兄を当たれば、彼らはあまりにぞんざいにその名を差し出した。一発殴ってもよかったが乾はそうしなかった。

 

 そこに価値はない。

 差し出された名前だけが真実だ。

 

「あんときバックレたのはアンタらの方だ。俺が連絡つけようとしても返事寄越さなかったのも。俺らが十代目立ち上げてもなんの音沙汰もなかったのも」

 

 黒龍(ブラックドラゴン)は再び悪評を轟かせた。極悪の八代目ではなく、その志を受け継いだ九代目でもなく、最狂最悪の十代目として。

 噂を聞きつけて問い質されるケースも想定していたが、ついぞなかった。

 

 ……乾は、佐野真一郎の葬式には出席できなかった。当時は少年院に入っていたからだ。

 しかし若狭から葬式でイザナを見かけたことは聞いていた。それから大した間もなく、偶然により〝真一郎クンの小間使い〟とも鉢合わせた。

 

 だから乾は、八代目の首脳部、九代目の頭領と連絡がつかないと悟った時、その上で深追いすることはなかった。友人たる九井に頼めばそちらの伝手に当たれたかもしれないが、乾はそうしなかった。

 一種の気遣いに近しかったのかもしれない。諦観に近い理解であり、ある種の共感でもあった。

 

 イザナが、かたちは歪でも初代に執着しているのは確かで、ゆえに乾は八代目を認めて、付き従った。斑目に譲ると聞いた時もそうした。そうでなければ、自分がと譲る気もなかっただろう。

 乾が喧嘩の実力で屈服したのは、今のところ、柴大寿だけだ。

 

 イザナのことを、乾は、かつてのボスであると共にS.S.MOTORで出会ったある種の同志として認識していた。誰もいなくなったところで、それは仕方ないと納得できたのは、佐野真一郎の死が落としたものがあったからだ。

 だからだと乾はひとり悟って、しょうがないと思った。

 

「俺が少年院(ネンショー)出てから、もう一年は経ってる」

 

 それが今更、裏切られたような気分だ。乾にとって。

 

「その間に、とっくに、黒龍(ブラックドラゴン)は十代目に継がれたんだよ。そうなってんだよ」

 

 最悪な心地を丸めて叩きつけるが如く、乾は言葉を吐き切った。

 ぱちぱちと目を瞬かせて、ふうん、イザナは鼻を鳴らした。吐息のように軽い相槌だ。

 

 それから一音。

 

「で?」

「……で、じゃ、ねえだろ」

「で? だろ。それが黒龍(ブラックドラゴン)勝手に名乗って乗っ取ったのとなんか関係あんの?」

 

 ——そもそも、だ。

 そんな乾の心境どころか、まず他者の思考一切を彼らがほんの少しみそっかす程度でも考慮するようなら、最初からこんな事態にはなっていない。

 

 口火を切ったイザナはことんと小首を傾げている。彼はまだ立ち上がりもしていないから、感情が追いつかず、拳ばかりが戦慄いた元腹心を見上げる形になる。

 

「乾、まずテメェには獅音ごとチームを任せたっつったよな。だってのに潰れてんのはどういう了見だ? 犬はご主人様を待つのが仕事だろ、ってのに我慢しきれねえでお漏らししたやつが今更なにほざいてんだ」

 

 つらつらと弁は述べられる。煽る言葉を挙げ連ね、挑発ばかりはお得意だ。

 言いながら、紫の目を細めた男はくいっと口角を上げる。嫌味を多分に込めていた。

 

「しかも勝手に特攻服(トップク)も変えて? メンバーも変えて? ヤクザにも媚び売って? は? 何が継ぐだよ、筋も通してねえのはどう見てもそっちだろ? ナァ?」

「ッ黒龍(ブラックドラゴン)の復興にどれだけ尽くしたかも知らねえで好き勝手言いやがって」

「俺がテメェにいつそう命じた。獅音から報告も聞いてねえぜ?」

「たりめえだろ、九代目はとっくに消えて」

「聞こえなかったならもう一度言ってやるよ。——俺が、そう、言ったっけか?」

 

 乾青宗は、黒川イザナのことを、かつてのボスであり、S.S.MOTORで出会ったある種の同志として認識していた。喧嘩の実力で屈服したのは柴大寿とのやりとりだけで、黒川イザナをボスとしたのは、彼が語る理念に魅せられたからだ。

 

 なので——実は乾は、イザナが黒龍(ブラックドラゴン)外部からどのように思われていたのか、真に実感はしていない。

 彼は他の構成員ともまた異なる立ち位置にいた。

 

 イザナのやり方は完全に常軌を逸していた。チーム内ですら彼に怖気付く者はいた。初代に直接の面識がある者はそう多くはなく、だからイザナのやり方は〝伝説とはこのようなものである〟と受け取られた。

 自然災害に神を見出したように、人々は、人間味を持たぬ暴虐に畏怖を実感する。

 

 イザナはあいにく、自らこそ最強として謳われる実力を持っていた。信じさせる振る舞いを、無自覚にも、意図的にも、為せた。その素養があった。

 

「言ってねえよな? 一言も」

 

 黒を白と言えば現実が白になるわけではない。

 それでも思い込ませることは可能だ。

 

 イザナが話しかけたのは乾でありながら彼ではない。

 乾はイザナを人間だと知っている。乾本人も強さとどこか欠如した倫理観を持ち合わせているから、イザナを尊敬はしても信仰はしない。

 

 しかし彼の周囲まではそうも行かない。やり取りが聞こえて疑念で揺らぐ。

 

 〝義理も通さなかった偽物が今の黒龍(ブラックドラゴン)なのでは?〟——黒龍(ブラックドラゴン)の構成員すら。

 

「黙って聞いてりゃ、適当な口だけは叩くな」

「パチモンの大将に用はねえよ」

「俺はある。テメェらがパチモンと思ったところで、俺が今の黒龍(ブラックドラゴン)のボスだ」

 

 暴力による意図的な支配を行う者として、大寿はその機微を理解している。

 おおよそ暗黙に敷かれたルールを理解し、彼は口火を切った。

 

 乾は怒りにより半歩前に出ていたが、ボスをちらりと仰ぎ見ると、口を噤んだ。

 

「なにをどうゴネようが、黒龍(ブラックドラゴン)は九代目で一度潰れた。シマも軒並みチームに食われて消えた。それを再興させたのだって俺たちだ。今更出てきたところで、また有名になったからってウチの金でもガメようとしてるようにしか見えねえな。ダセェぞ」

 

 つまりこれは、いかに尤もらしく論って、観客に信じさせるか——そういう、ショーだ。

 

「どっちの言うことが正しいかとか、たぶん、あんま関係ねえの」

 

 と、述べたのは三ツ谷である。始まったやり取りから目を離さない。いつもよりもどこか慎重な素振りで、言葉を選んでいる。

 

「どっちが信じさせられるか……いや、これも違うな。どっちについた方が()かってことだよ」

「つったって、得かどうかで判断したところで、あいつらの言ってることの方がおかしいのはどう見てもでしょ。そんなんマジで通じるんすか?」

 

 怪訝さを隠そうともせず、千冬は反論する。

 彼は場地を認めて、その軍門に下りたいと進言するまで、ひとりでなにもかもに喧嘩を売って生きてきた。群れることを嫌って、個人での台頭を貫いた。彼は根本的に〝とりあえず強い誰かに媚を売って従っておく〟といった気質を理解していない。

 

「千冬はそういうトコあるよなー。教え込んだのオマエ?」

「コイツは元から。あいつらの言うことは確かにどっからどう見ても筋通ってねえけど、筋通さなくてもハイハイ頷くボケどもがいんのが問題だ……あと、ボコりゃ勝ちとか思ってそうなのがな」

「……筋通ってなくても、勝てそうな方についとけば、あとでおこぼれとか貰えそうだから、ってやつがいるってこと……っすかね」

 

 納得しがたい表情を浮かべる相棒の一方で、花垣は、そのように述べた。彼は本質的に強者ではないから、少しばかり覚えがあった。たとえば——キヨマサくんに心を折られて、そのままだった一回目の人生とか。

 

「あと単純に、怖いからなんも考えねえで従っとくとか……」

「お、武道わかってんじゃん。てかたぶん、だから大寿くんはああ言ったんだよ。ダセェってさ」

 

 暴論に対して正論で返したところで大した効果はない。彼らは自らが集める恐怖をよくわかっていて、意図的にか無意識にか、それを悪用した話し方をする。

 イザナのそれは天性のものだ。無意識に染みついた振る舞いが人々を錯覚させ、魅了させ、自ずと下々として振る舞うように仕向けた。いくら反論の理が通っていようとも、その正しさをも押し流せる暴力には、付加価値すらついてくる。

 

 なるほど、その点大寿はよくわかっている。

 恐怖による統制とは過大評価のひとつに数えられる。であれば、同じ土俵まで引き摺り下ろして、恐怖の皮を剥げばよろしい。

 

「ハハッ、ダセェ。ダセェね? よく言うじゃあん褒めたげよっか? 足りねえオツムでちゃあんと考えたな?」

 

 嘲笑ったのは蘭だ。鉄材に乗り上げていた足を軽やかに振り切って、コンクリートの上に降り立った。

 ——選手交代。

 

 もとより自己演出を得意とまで豪語する男だ。確かにイザナよりも蘭の方が口が立つ。

 

「図体だけじゃなくて、口も一丁前のつもりかよ」

「テメェがそれを言うとはな。カリスマだとかなんだとか持ち上げられといて、結局はソイツの金魚のフンか?」

「少なくともオマエみたいなのとイザナは比べるまでもねえよ。弟妹もろくに躾けられねえ木偶の坊と俺らの大将が同レベルとか、本気で思えンならずいぶんおめでたいことだな」

 

 ハァやれやれ、わざとらしく肩をすくめて首を振った蘭に「論点がズレてるぜ」大寿はあくまでも冷静だった。

 

黒龍(チーム)のこと、このまま捲し立ててもボロしか出ねえってわかってんならそりゃ弁えてるこった。たしかに比べるまでもねえな?」

「ズレてると思ンならいよいよ自覚が足りねえな。半端やってっから見逃すんだよ……躾けんなら徹底的に、ちょっとでも自由にさせんなら最初っから野放しのがマシだ」

「御託並べてりゃ誤魔化せると思ってんなら大違いだぜ」

「それがそうでもねえのよ大寿チャン。ところで——弟くん元気ィ? どうもオマエのこと、なりふり構わず殺してやりたいくらい限界っぽいけど?」

 

 会話は思いの外大きく響いている。両者聞かせる目的であるからして、当然だろう。

 花垣と千冬がぱっと目を交わし、かすかに眉をひそめたのが場地だ。三ツ谷も驚いたように目を見開いていたが、ふと目線を切り、背後の集団黒龍(ブラックドラゴン)に視線を走らせた。

 

 柚葉はぐと自らの掌を握りしめて、深呼吸をした。呼吸が震えたのは最初の一息だけだ。丁寧に整えたネイルの先が切り傷をつけて、苦痛が無理やり理性を喚起する。

 

 一方で、大寿にさしたる動揺はなかった。目を眇めて、続いて溜息をつく。

 どちらにせよ、東京卍會が聖夜になにかを仕出かす予定だとは、既に九井から聞いていた。彼らの八戒への肩入れは十二分に把握している。その情報を横浜天竺が掴んでいるのは些か不思議なことだったが。

 

「ナルホドな? それで目をつけたってのかよ、しょうもねえ」

 

 そも大寿の横暴で理不尽な行動は、彼としては、家族を強く鍛えるためだ。

 

 八戒への態度が辛くあったのは、大寿基準で、八戒が弱いから。柚葉へ暴力が振るわれるのは——同様に。

 歪んだ愛情表現だ。公助の探りが少しでも入っていれば、間違いなく虐待と認定されただろう。

 

 ただ少なくとも、大寿にとって弟妹の反抗は叩き潰すべきものだが、両手を挙げて迎え入れたいものでもある。

 

「アイツに俺を殺してでも乗り換える強さが身についたってなら、そりゃ喜んで返り討ちにしてやるが……ハ、その言い草、テメェらに協力でも仰いだか? あのバカ、いつまで経ってもろくに独り立ちもできねえな」

「マ俺らもガキの言い分をまるきり信じるとかそんなお優しくもねえし? いいように使われんのもそりゃ立場が廃るし? 十年後に出直してワンチャンあるかどーかだな」

 

 カラカラと笑って、でもさぁ? と言葉は続く。

 蘭は口元にゆるく笑みを描いている。目元は変わらず冷えている。申し訳程度にとってつけたような笑みだった。むしろいつも、彼はろくに心から笑いもしない。

 

「そんなどうしようもねえみそっかすを若とか呼ばせとくのも、なかなか面白ェと思うぜ。俺はな?」

「ああ、テメェのとこの弟はそれこそ金魚のフンだからな。なんだ僻みかよ、聞いてたよりずいぶんしょうもねえな?」

「かあいそうになあ。俺が完璧過ぎんのは認めるけど、安易に相対評価でものを量ると見る目がねえのを晒すだけだぜ」

「オイ蘭。テメェの弟自慢はそのへんにしとけ、またテメェらの兄弟喧嘩で鎖骨折っても喧嘩には引き摺り出すからな」

 

 ()()から話題が逸れている。ぴしゃんと横槍を入れた望月に「……ハイハイ、わぁってるよ」蘭は皮肉げにつぶやいた。

 

「これ以上望月(モッチー)怒らせんのもめんど……こえーし」

「オマエマジでいっぺん痛い目見せるぞ……」

「痛い目見せられる前に巻きで行こうな? つまり、俺たちが十代目に思うトコってのは三つだよ」

 

 定期的に茶番を挟むのでややこしい。出鼻を挫く意図ももちろん含んでいるとしても、半分くらいは素。

 

 白手袋に包まれたてのひらを、クッと大寿の眼前に突きつけて「まず」蘭はわざとらしく人差し指だけを立てた。

 またコイツポーズ取ってんな、後ろでは望月が呆れたように首を振る。

 

黒龍(ブラックドラゴン)が勝手に十代目ンなってること。黒龍(ブラックドラゴン)が代替わりするにしても、新参のテメェが頭張ってること」

「さっきも言ったことを蒸し返すだけか」

「終わってねえ話に口を挟むんじゃねえよ、早漏。聞く耳くらい持っとけ?」

 

 物は言いよう。特技の自己演出の内訳は、棚上げと拡大解釈、あとは仕草を駆使した印象操作。

 

 さも尤もらしく言ってやりましょう。主張の論理を吟味する暇は持たせずに、ただ結論だけは伝わるように。それだけで相手にばかり非があると錯覚させられる。

 言葉選びは重要だ。自らは余裕ぶった言い回しで、相手を宥めるような言い方をすれば、己ばかりが冷静に見せかけれられる。

 

 実際お互いの状況がどうだとか、残念ながら今は関係ない。

 重要なのはより優位な立場を演出し、周囲にそれをどれだけ信じ込ませられるかだ。自ら考えることを放棄した者共は、わかりやすく()()()()()()()()になびいていく。

 

「有能ならまだしも、見る目がずいぶんゴミなんじゃねえかってこと。乾と九井が使えるやつなのは認めとくけど、この二人はそもそも前の代からいるよな?」

 

 なめらかに中指が立てられる。罵倒の意味ではなく2を示す意図だ。

 口車の勢いもまたなめらかだ。聴衆をいかに惹きつけるか、それそのものを目的に据えて為される議論は、言葉に詰まったその瞬間から説得力に欠ける。

 

「てことはろくにしつけのやり方も知らねえんじゃねえのってこと。言うことだけよく聞く兵隊どもが出揃ってるのは認めてやるよ。カゾクまでおんなじ扱いもお年頃にしちゃまともだな。ンでも、次期総長には相応の教育があるだろ。傀儡政権がお望みか?」

「そっくりそのままそこの八代目と九代目に返せるだろ。これで四つめだな、数もろくに数えられねえのか?」

「賢さアピールには不出来だな。十代目と代替わりの頭が新参なことでひとつ、テメェの出来を疑ってるのがひとつ、言葉尻だけ捉えて数える前に文脈ってモンがあんだろ。むしろあとひとつ残ってる」

 

 わざとらしく蘭が指を振った。

 

 エンターテイナーは、望んだ通りの印象を観客に植え付ける。少なくともその素養がある。

 そして灰谷蘭は、自らの素養をよくよく自覚して、意図的に利用できる。

 

 

 一方その頃、と注釈はつけられるべきだろう。

 

 

「隠れるにしては粗雑ですね」

 

 人混みから離れたコンテナの陰。

 辟易と声を投げた九井に、二人はどちらも視線を向けた。「ハァイ」アオサギと名乗る者がひらりと手を振った。

 

 ギャラリーを焚き付けるだけ焚き付けて引っ込んだ男がわざとらしく眉を上げる。当のギャラリーは今は兄に夢中で、弟の不在は気づきもしない。

 灰谷兄弟のコンビネーションの厄介さとは、片方が注目を集めた時、特に真骨頂を発揮する。派手なショーを目前に、さてもう一人がいったいどこか、などと思考を回す者はそういない。

 マジックと同じ要領だ。人々を騙しきるならば、視線誘導の技術は習得必須。

 

「久しぶりぃ、九井くん。三回忌ぶり?」

「御託は置きますが」

「えー、御託だってぇ。生意気になったじゃん」

「アンタ混ぜっ返さねえと話せねえの?」

「そうかもぉ」

「おかしいと思ったんだよ——警察(サツ)なんて、一人も連れてきてませんよね」

 

 車の一台どころか気配もない。黒龍(ブラックドラゴン)だけでも、動かせる兵隊が百人は所属している。

 抗争を鎮圧する想定なら、それこそパトカーが最低でも数台は必要だ。不足した配備など無意味でしかない。

 

 抗争の舞台に選ばれた埠頭には、九井は部下を下見に派遣させていた。何か支障でもあれば、手回しして、最悪は乾だけでも引き上げる心算だったからだ。

 果たしてそうではなかったから自らも現場に足を運んだ。

 

 お出しされた名前から勘繰りはしたが、いくら相手が厄介でも無意味なものは無意味で、不可能なものは不可能だ。

 非現実的、非論理的、フィクションよろしく超能力者ならまだしも——九井はリアリストゆえにその仮定は切り捨てた。

 

「やっぱバレたねえ。この場合契約不履行なわけぇ?」

「予定変更したのはこっちだし、もう大寿の奴乗ってっからセーフじゃね?」

「……またなんか企んでんのかよ。アイツも出てくんの?」

「アイツ? ああ、いねえよ?」

 

 竜胆はあっけらかんとした口振りだ。さして焦った様子でもない。

 

「最初の計画だと、警察(サツ)がいるって噂だけ流して、半信半疑のイイ感じのとこでうちの手駒が警官に化けて乱入して、オマエら上層部と兵隊引き剥がす予定だったんだけど」

「あ?」

「カッカすんなよ、カルシウム足りてねえの?」

 

 しらっと嵌める計画を暴露しといてその言い草は無理がある。

 

「どっちにしろ、イザナが場地に気まぐれ出しちゃったからぜーんぶパァってワケ。……てかなんで場地に教えたんだよ? 打ち合わせだと黒龍(ブラックドラゴン)の末端に流すって話だったろ」

「もちろんそのつもりだったんだけどぉ、どこぞのカワイイ弟子がさぁ」

「いろいろふざけてやがる……」

 

 なんでお前ら被害者(カモ)予定を目の前にして確認事項の洗い出ししてんだとは、九井としても突っ込みたい。

 無駄なので聞かなかった。どうせろくな返答でもあるまい。

 

「僕のこと〝契約に関しては信頼できる〟とかほざいちゃってえ? ピンポイントで聞いてこられちゃったし、こっちがイジワルしたのは確かだし、報酬に嘘はつけないからぁ……教えてコントロールできたら一石二鳥かなって?」

「フクブはもうアレだとしてもマジでそれでも公僕?」

「だから頼ったくせに♡」

「取引って言ってくんね。ア、待て待て。どうせ来たならここで見物してようぜ」

 

 これ以上の情報はないと見込んで、踵を返しかけた九井——の肩を捕獲したのが竜胆。「茶番はどうでもいいんだよ」九井は肩を振るように上体を捻ったが、竜胆の手はびくともしない。

 

「俺もまともな話相手ほしいよな。化物以外で」

「アオサギと取引する時点でアンタもまともじゃねえよ」

「一緒にすんなって」

「本人いるのわかってるー?」

「わかってますが?」

 

 会話の片手間にも九井は、肩を掴む指に爪を立てて、引き剥がそうとチャレンジしていた。しかしやはりガッチリと食い込んで離す気がない。

 そもそもヤンキーの中では文弱に分類される九井が、筋肉ゴリラを振り解けるわけもない。

 

 頭脳派不良は極めて冷静に抵抗をやめた。諦めたともいう。金稼ぎの天才は、賭け事でもできるだけ堅実な手法を好む。

 

「まずなんで今更黒龍(ブラックドラゴン)にって、ほらさっき兄貴が言ったけど、オマエんとこの若頭がイザナに殺し依頼してきたせいなんだよ。つってもイザナの気が向いたのは、正確にはソイツじゃなくてその姉貴が理由っぽいけど……総長の妹?」

「……ああ、柚葉は確かに肝据わってて気が強ェけど」

 

 物怖じせずに意見を申し立ててくるので、黒龍(ブラックドラゴン)内でも、生意気な女と厭われるか気に入られるかで二極化している。九井としては、嫌いではないがひたすら相手に苦慮するタイプ。……なにせ姉なので。それはいいとして。

 

「アイツはガチで殺す気ちゃんとあるっぽかったから、じゃあいけすかねえし邪魔してやろうぜって。最悪だな?」

「そーだな、全員がな」

「そんな褒めんなって」

「ハ?」

「だからまず兵隊剥がして、ほら女の方はきょうだいっつったって末端だろ? 物理的に離れてりゃ殺せねえし。警察(サツ)がいるって思ってりゃ自重しそうだし。でも、そんだけならフツーに次狙うよなって」

 

 日常的に非合法な手段が選択肢にあるゆえのコメントだ。治安が悪すぎる。今更でもある。灰谷兄弟の有名な罪状が傷害致死なのは何故かって、それ以上の重罪が摘発されていないだけに過ぎない。

 九井もその点は同類なので——少年院送りすら回避し続けているその立ち回りは、彼の評価を高める一因でもある——ウンザリと心をこめた一瞥に留めた。

 

「ならいい感じに効率いい嫌がらせはなにかって話だよ。俺はコレ鶴蝶が出してきたのが意外だったけど」

「誰だよ鶴蝶……」

「俺らの期待のエース。アイツが言うには、守りたいもんを守れねえのがたぶん一番キッツいってさ」

 

 九井的には、関節を固められるにあたって力加減を微妙に誤られており、たいへん抗議したいところだが。

 さて、関節の痛み以外の理由で彼は眉をひそめた。

 

 柚葉への嫌がらせという言を信じるならだ。彼女が常々庇う様子を見せる相手など、一人しかいない。

 

「殺す気か?」

 

 主語はなかった。

 それでも適切に伝わった。

 

「惜しい」

 

 ニコッと笑うさまは、いっそ無邪気にも見える。

 

「殺させる、な? その予定だったよ」

 

 ——二〇一七年十一月十八日、花垣武道は二十六歳の柴八戒を目撃した。前代たる兄を殺害し、黒龍(ブラックドラゴン)の十一代目総長に就任したといわれていた。

 だからそれを阻止するため、彼は再び二〇〇五年へと舞い戻った。

 

 導かれた結果は言葉通りだ。悲劇の下手人はその通りだ。

 ハロウィンで場地が救われた連鎖の結末として、正しく手を下したのは柴八戒だった。

 

 柴柚葉では、なく。

 

「予定だった、な」

「そりゃな。だって見ろよ、アレ」

 

 竜胆は当初の計画を知っているからこそ、顎でしゃくって彼を示した。

 九井もそちらに視線を向けた。

 

 奇しくもこれとほぼ同タイミングで、三ツ谷が場地の側頭部を掌でわし掴み、ぐりんと回した。

 

「おまふっざけんな筋傷める気か!?」

「場地」

「なんだよ……!」

 

 三ツ谷があまりに真剣なトーンだったので、場地はヤケっぱちに問うた。変なふうに引き寄せられた首筋をてのひらで擦る。

 語調が喧嘩腰なのは許される、はずだ。

 

「八戒とイザナくん会わしたことある?」

「あるわけね、」

 

 ここでようやく場地は、三ツ谷が(首をねじきらんばかりの勢いで)見せようとしてきたものを理解した。

 斜め前、人垣の更に向こうには、八戒の強ばった顔が確かに見つけられた。

 

 場地も目視で確認したのは双方の幹部陣と、三ツ谷、あと何故かいた千冬に花垣。八戒がどこにいるかは把握外だった。白い特攻服こそ十代目黒龍(ブラックドラゴン)のそれだが、立ち位置がおかしい。

 黒龍(ブラックドラゴン)側で堂々と内緒話していた場地たちから見て、人垣の更に向こう。つまり、横浜天竺の構成員たちが立ち並ぶ中に八戒はいた——陣営が違う。

 

「あとひとつはな、結局弟クンも文句のひとつやふたつあるらしいってことだよ。それこそテメェを殺してえくらい?」

 

 三つ編みに警棒の先を引っ掛けて、灰谷蘭はうっそりと笑う。つい先程九井が至近距離で直視した、弟の笑顔にそっくりでもあった。

 

 彼らは極論、面白ければいいのだ。

 どのような経緯を辿り、結果としてなにが生まれようとも。




S.S.MOTORで出会ったある種の同志
:2020/10/18Twitter東リべ公式アカウント掲載、乾青宗誕生日記念イラスト
 から加入時の状況を推測

九井から聞いていた
:原作11巻97話的にたぶん柴大寿にも情報流してません?

マジックと同じ要領
:ミスディレクション、検索

フィクションよろしく超能力者ならまだしも
:しかしこの世界にはタイムリーパーがいる
 フィクションなので
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