【完結】罪状記録   作:初弦

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証人尋問

 兄とは恐ろしいものである。

 それが八戒の認識だった。

 

 手のつけられない災害じみていた。規則性を持っていて、予測や対策の仕様もあるけれど、下手を打つと過ぎ去るのを待つしかない。そういう点も含めてだ。

 

 三ツ谷のような兄が欲しかった。

 心底からの本音だ。

 

 三ツ谷のような兄が欲しかった。手に入る、かもしれなかった郷愁からだったのかもしれない。物心つくかつかないかの頃、たしかに優しく接されていた記憶は、奥底にこびりついていた。

 剥がれてしまえばよかったものを。初めから知らないものを名残惜しむことなどない。

 

 憧れるとともに心は軋んだ。無理をして演じた。

 隣に立っても相応しいような顔をしたかった。

 

 一歩後ろが限度で、限界だった。

 

 強くならねばいけなかった。隙を見せるなときつく言われた。

 拳の振るい方を覚えた。ひとの黙らせ方を覚えた。虚勢の張り方を覚えた。嘘のつき方を、覚えた。

 

 柚葉に守られてばかりではいられなかったから、弱さを腹の底に沈めて、さらけ出さないことを覚えた。

 しかしそれもまた姉の犠牲があるからこそ成り立つ話だ。

 

 とぐろを巻いて、内側から自分の弱さを糾弾する己を、八戒は最もよく知っている。

 泣き叫んで喚き立てる弱さを殴りつけて蹴りつけていたぶって黙らせて埋める。何度も何度も繰り返す。

 しかし懲りずに、いつの間にか這い出てくる。

 

 たとえば、兄と対峙したとき、とか。

 

〝姉貴を救うヒーローがほしいなら。……手はあるぜ、勇気がなくても〟

 

 稀咲はそのとき親身にそう囁いた。

 まるで弱いところに理解を示し、解決策を提示する。参謀に就任した稀咲鉄太は頭が回るし気が利く良いやつだとは、東京卍會の中でも評判だ。かすかに囁かれる悪評を打ち消すほどに。

 だのにそのとき八戒は、兄が所持して指針とする聖書のうち一行、堕落の悪魔の誘いを何故か連想した。

 

 誘いに乗ったのはある種の気の迷いで、それでも本音だった。

 

 出向いた先では一刀両断された。

 つまらなそうな紫が八戒を見据えて、それからふっと視線が逸れた。

 

〝ううん、覚えてる限りでは、話題に出たことはないな……〟

 

 純丘はそのとき柔和に言葉を濁した。

 視線はどこか注意深く八戒を眺めた。警戒ではなく配慮の色が滲んでいた。その目からどうにか逃れたかった。

 

 限りなく搦手を使うといっても、結局のところ、どこまでも優等生のように振る舞うのが純丘榎だ。彼は相変わらず、たとえかろうじてだとしても、道を踏み外さずに生きている。

 何かを言いたかったはずなのに、何も言えなかった。明確に立場の異なる少年たちと交流しながらも、未だ()()()ところにいる人は、きっと、八戒を()()()心配する。彼の醜さを理解した上で。

 

 出来た人間の前では、相対的に出来ない自分が顕になる。引き摺り出される。それに耐えきれない。恥ずべきことだ。きっと叱られる。ぶたれる。

 

 だから、やっぱり、隠さなければならなかった。

 

 もはや八戒自身、その振る舞いをなんのために行うのかも分からなかった。

 がらんどうの己を虚飾ばかりが彩って、誤魔化している。そういう気分だった。

 

 ——東京卍會を辞したその翌日のことだ。十一月の二十四日。

 

 ガッ、と背後から側頭部を掴まれて、頬を寄せられる。気配はなかった。

 まるで歌うように声が述べる。

 

「よォ八戒クン、東卍(トーマン)やめたって?」

 

 ここまでシンプルに恐怖しか感じない状況もまた珍しい。八戒は目だけを動かして、蘭の様子を窺う。なにを考えているかもわからない、平べったい笑みを浮かべている。

 

「……ここは六本木じゃねえ。黒龍(ブラックドラゴン)のシマだ」

「ウチの大将がお前をご指名なの。知ってるだろ、黒川イザナ。来なくてもいいぜ? 俺のこと兄貴にでもチクれば? それとも元お宅の隊長?」

 

 八戒の身体が明確に強張った。蘭は笑みを深めた。

 彼らの隣に黒塗りのバンが停止、後部座席の扉が開いて、あっという間に路地から二人の姿が消える。

 

 正真正銘ただの誘拐だ。

 ずいぶん手慣れすぎていて、ところで常習犯ですか? そう聞きたくなるカンジ。

 

 放り込むだけ放り込んで、蘭は扉のロックに指をかけたまま、車窓の外を眺めていた。呆れたように一瞥して、首を振った竜胆——こちらは車内にいた——は「出せ」とだけ述べてまた同様に。運転手の顔は八戒は知らないが、大方灰谷兄弟の手駒の一人だろう。八戒が後部座席真ん中で、灰谷兄弟が両脇を固めているのは、逃亡防止。

 カリスマ兄弟が揃って退路を断つための文鎮だ。贅沢だなと八戒は他人事のように思った。どこか現実味もなかった。

 

 本当に拉致だけが指示らしく、会話が弾むはずもない車内。重苦しい沈黙が続くこと三十分。

 横浜中区の廃墟倉庫にて、八戒は車外に蹴り出された。無駄に長い脚の非有効活用例。

 

 イザナと鶴蝶、望月、斑目は既に揃っていた。

 

「あーダルかった。まぁじでこんなことにパシるとか慰謝料請求できるワ」

「誰だよパシれる兵隊八つ当たりで骨折ったの」

「はー? 俺のせいってか?」

「兄弟喧嘩は家でやれ」

 

 一瞬にして険悪ムードの灰谷兄弟に、王将が無機質にも水を差す。

 

「テメェらの機嫌を好き好んで取んのは腹ぐらいだ」

「……取られたことねーよ」

 

 苛立ちも露わに蹴られた台車が盛大に音を立てて転がった。足癖が悪すぎる。

 降りてきた竜胆も台車を踏みつけた。この兄弟最悪だ。

 

 最近やけに機嫌の悪い二人に関しては、触れても意味がないので置いておく。彼らがギスギスしているところに首を突っ込んでもろくなことにならないとは、数年前の元副部長との冷戦からとっくに理解していた。

 イザナの視線は八戒に据えられた。「ヒサシブリ」朗らかに挨拶を投げた男を、八戒は警戒もあらわに見つめ返している。

 

「兄貴は殺せそうか?」

「……なにが目的だよ。こないだは気が乗らねえとか言ってたけど、黒龍(ブラックドラゴン)と揉める気でも乗ったってか」

「威勢がいいナ。意外と根性あんじゃん——けど礼儀がなってねえ」

 

 イザナの声色が途端に冷えた。

 瞬間、八戒の足が掬われ、転がされる。

 

「年上には相応の態度ってモンがあるだろ」

 

 跳ね起きようとした八戒の肩を鶴蝶が完全に抑え込んだ。位置と筋力の問題でびくともしない。

 いまにも舌打ちをしそうな剣呑な目つきを見下ろして「どうもわかんねえな」とぼやいたのは望月だ。

 

「俺ら揃ってるトコで反抗する度胸はあるくせ、テメェの兄貴一人が怖ェってのか」

「見た目は柴大寿のがイカチィんじゃね? 見た目は」

 

 斑目が強調する通り、見た目が最も華奢なのはイザナだろう。「獅音ン?」「だ、だってマジだろ。……つってもヘンだけど」とはいえ彼もまた不思議そうに首を捻る。

 

 ハロウィンの抗争で忘我状態に陥った万次郎に、イザナは真正面から蹴りを食らわせた。八戒も見ていたはずだし、なんならもう片方の肩を外したのは彼と三ツ谷だ。

 それだけの実力があると理解しているから兄の殺害も依頼したのだろうに。

 

「数は明らかこっちが多いし、体格は望月(モッチー)がどっこいどっこいだろ。別にわかってねえわけでもなさそーじゃん」

「あー、違ェっしょ」

 

 軽やかに述べたのは竜胆だった。

 

「違ェって?」

「自分の兄貴が怖ェから、他が怖いとか強いとか考えてらんねえんじゃね? 咄嗟に媚びたとこで兄貴にバレてヤキ入れられんなら逃げ場ねえじゃん、同じ家住んでんなら尚更。だったらワンチャンあるとこで立ち向かった方がまだ得とか?」

 

 S62世代全員、発言者ではなく兄たる蘭に視線をやった。

 蘭は小首をすこし傾げる。人工的に作られたように読めない表情——「なに?」「いや?」短く答えたのはイザナだ。

 

 灰谷家の兄弟事情とヒエラルキー、力関係の作用の詳細はまるっと割愛しておこう。今掘り下げたところでおそらく生み出されるものはただの虚無。

 

 そんなやりとりの間も、八戒は注意深く動向を窺っていた。

 鶴蝶が彼を押さえつける手は変わらず、微塵も緩まない。しかし少なくとも、出口を塞がれた車内よりは融通が利くだろう。

 

 反抗の機会を窺う少年を見下して、特に指摘することなく、イザナは言葉を続ける。

 

「正直俺も別に今も柴大寿とかどーでもいいんだけど、オマエの姉貴がさあ」

「——柚葉になにした、」

「マジでわかんねえな。姉貴はちゃんと大事なのかよ?」

 

 イザナの顔にはありありと不可解と記していた。「俺はなんもしてねえよ」組んでいた足を解く。

 

「アイツはちゃんと大寿を殺す気あるらしいぜ。よかったなァ、テメェがなんもしなくてもテメェの兄貴はもうすぐ死ぬ。姉貴がちゃんとオトウトの尻拭いしてくれるってよ」

 

 そのとき。

 

 八戒の心をよぎった感情がなんだったか、八戒には、形容も言語化もし難かった。

 鮮烈にもなにかを思ったことだけは確かだった。おそらくは安堵に近しく、もしくは激怒に近しく、明確に異なっていた。矛盾しているようで、しかし、明確に指向性があった。

 

 奇妙な音を立てて関節が軋む。骨伝導が脳に届ける不快な音程。

 八戒は、鶴蝶の拘束を半ば振り払って、イザナの胸ぐらを掴もうとした。

 

 かろうじて抜け出した片手が届く——前に、ブーツの爪先が的確に八戒の手の甲を叩き落とした。

 

「っづ、」

「俺に頼みに来たときだって本気じゃなかったくせに。文句だけは一丁前か」

 

 そのまま踏み躙った。容赦もなく。

 廃墟倉庫は長らく掃除もされていない。床にはまばらに砂と埃が積もっている。八戒のてのひらとともに砂利が擦れる音。ブーツの滑り止めに引っかかって皮膚が変に引っ張られる。

 

「イザナ、そろそろやめとけ。折れる」

「折れても大差ねえだろ? 使い物になんねえ拳なんざ」

「どっちにしろ喧嘩売んだからもう何日かぐらい待てって意味だよ。まだ半分しか引っ張ってきてねえんだぞこっちは」

 

 望月の剣呑な静止に、イザナは肩をすくめて、爪先を退けた。目つきの悪い三白眼が、釘を刺すように紫をもう一度だけ睨んで(つまらなそうにしっしと手を振られた)続いて視線は八戒を射抜く。

 

「助けてほしンなら児相にでも駆け込めよ。せいぜいお優しくしてくれってなァ」

 

 望月とて止めたとはいえ結局のところ自分都合だ。八戒にかける言葉はおそろしく冷たい。

 

「煽ったのはどっからどう見てもイザナだろうけどな、コイツに親切心なんざねえ。俺らもテメェの姉貴をわざわざ止める義理なんざどこにもねえ」

「ンだよその言い草」

「事実だろうが」

 

 不服そうなイザナに言い返し、仏頂面の望月は、八戒をじろりと見下ろしている。

 

「イザナに噛みついたあたりテメェの姉貴が根性あんのは認めてやるよ。……弟が兄貴殺してェくらい追い詰められてたってわかったら、守られてばっかだった女にしても、殺る気くらい出んじゃねえの。そのへん這いつくばってても結果がついてくる、良い御身分じゃねえか」

「……ちがう……」

「はあ?」

「柚葉を守れたことなんか一度も、」

 

 三ツ谷隆に憧れて彼を手本にする少年。兄の暴力から姉を守らんとする弟。事前に東京卍會や黒龍(ブラックドラゴン)構成員から収集した、柴八戒の人物像はそういったものだ。

 また不良少年たちの任侠崩れに類似した価値観には〝男は女を守る〟という強固なジェンダーバイアスじみた常識もある。

 

 暗がりに集う天竺の幹部は、正義漢にも程があると呆れた。お綺麗な自己犠牲だと彼らは誤認した。

 些細なすれ違いには気づかない。気づかずとも支障はない。

 

「だったらちゃんと守ってやればいいだろ」

 

 八戒を拘束するだけして、沈黙していた鶴蝶がここで口を開いた。彼のヘテロクロミアが八戒の面持ちを俯瞰した。

 

「お前は今、イザナを利用しようとしたからしっぺ返しを食らってる。中途半端なんだ。守りたいなら覚悟しろ」

 

 鶴蝶は。

 悪辣を極め尽くしたような、理性の箍を自ら打ち毀したような、そういう男の傍らに付き従いながらも、一種の強固な倫理観を持ち合わせ、維持し続けている。未だに。

 

 喧嘩はいいが殺しはだめだ。戦略はいいが卑怯はだめだ。

 かつてヒーローに焦がれて焼き付いた価値観のままに。

 

「頼み事にはまず誠意が大事だろ。お前がしなきゃいけねえのは、丸投げじゃなくて、頭下げることじゃないのか」

 

 変わらないからこそ、鶴蝶の言葉は、彼に正当性があるかの如く誤認させる。

 

 守るもなにも彼らの行いは紛れもなく殺人教唆で、柚葉を唆したのはイザナで、それを仄めかすのは脅迫だ。半ば誘拐し周囲を取り囲み凄んでいる相手に、誠意なんて、用意する以前の問題だ。

 そも、相手が兄でも誰であっても、人を殺してはなりません。

 

 たとえば北風と太陽の寓話に記されたように。

 強制するのではなく、誘導することで、自らの選択だと錯覚させる。

 

 あるいは飴と鞭という言い回しのように。

 厳しく当たられたあとの共感と労りの物言いには、より陥落しやすい。

 

「明日、俺たちは黒龍(ブラックドラゴン)に宣戦布告する。テメェらの揉め事に興味はねえが、あのチームは名が売れてて歴が長い。踏み台にはちょうどいい高さだ。——抗争は一週間後。十二月一日。その日、俺たちは総長柴大寿からすべての構成員を引き剥がす。用意してやるよ、そんだけはナ?」

 

 ——この一連の細かなシナリオを組んだのは横浜天竺だった。

 八戒を唆して説き伏せて、背水の陣まで追い込んだ。柴大寿を確かに殺せるだけの決意を固めさせた。

 

 それでも彼らがシナリオを組む必要性を編み出したのは、そのように誘導したのは、稀咲だった。

 柴大寿が適切なタイミングで死ぬように。柴八戒が黒龍(ブラックドラゴン)を継ぐように。隙に入り込むために。

 己が望みのためだけに、容易く命を弄び、人の心を操って、すべてを踏みにじって進もうとした。進んでいった。

 

 だから花垣が七度目のタイムリープを実行するまで、十二月に起きたすべては稀咲の思い通りに運んだ。

 

「イザナが気まぐれ起こした。あれはたぶん、柴大寿を一人にさせるとかもうやる気がねえ。話次第じゃオマエも引きずり出されるからそう思っといた方がいい」

「……意味わかんねえんだけど」

「そうだな、俺もだ。いつもだ」

「いつもって」

 

 絶好の機会は潰えた。わずかな差異が拡大して、増加して、増幅して、収束して——そうしてすべては捻じ曲がる。

 

 しかし八戒は、既に覚悟を決めていた。便宜上の表現だ。

 本来そうあるべきだったように、弱さに向き合ったわけでもない。脅迫と甘言に屈したともいえる。

 

 人為的に退路を断たれただけのそれを、本当に覚悟と呼ぶべきか、呼んでも良いのか。厳密な定義など彼らの誰ひとりとして興味もない。

 

 ——少なくとも。

 

 このとき既に八戒は、柴大寿を殺せるだけの覚悟を決めていた。

 

「俺は黒龍(ブラックドラゴン)継ぐ気はねえよ。兄貴の言いなりはもう御免だ」

 

 だから多少の反抗くらい、もはや誤差だった。

 横浜天竺の側から進み出ることも。そう言ってのけることも。

 

 

 

  証人尋問

 

 

 

 こきりと大寿は首の関節を鳴らした。斜視気味の目が弟を睨んでいた。

 

「移籍早々、鞍替えか? 八戒……そんな不義理が通ると思ってんのか」

「鞍替えじゃねえよ。俺はまだ黒龍(ブラックドラゴン)だ」

()()?」

「……俺はちゃんと東卍(トーマン)を抜けてチームに入った。兄貴が望むように、アンタが言う通り。機嫌取って従った。もう充分だろ」

「……わからねえなァ、それがケジメつけようとするやつの態度かよ」

 

 大寿はわざとらしく溜息をつく。踵が何度か地面を叩いた。苛立ちを交えた仕草だ。

 

「第一、俺はオマエのことを思ってチームに入れてやったんだ。ろくになにもできねえ、庇われるのが当然で取り繕うのばっか得意になりやがって」

 

 妙な言い回しだ、と気づいた人間は少なかった。

 少なかった……ということは、皆無ではなかった、少なくともいた、とも言い換えることができるだろう。事前に収集していた情報との齟齬に眉をひそめる者が何人か。

 

 息を飲んだ柚葉が、言葉を飲み下す。ひっそりと足を踏み出す。

 

「柚葉に甘やかされんのが当然で居続けたやつがよくほざくな。言いなりはもう御免だって、テメェが本気で辞めようとしたことが一度でもあったか?」

「——そうだよ、」

 

 肯定がひとつ。

 

「俺はずっとアンタから逃げてた。柚葉に押し付けて、嘘までついて」

 

 わりとドン引いた「マジかよ」が望月からこぼれ落ちた。イザナは不審そうに彼を見遣った。

 

「姉貴に庇われてたってか……?」

「……オマエなに引いてんの?」

「きょうだいっつってもたかだか一個上の女に守られてしかも逆って言い張ってたのはフツーに引くだろ」

「つっても姉ちゃんだろ」

 

 イザナは、兄や姉といったいきものを完璧超人なスーパーマンくらいに考えている節がある。

 指摘する意味もないので望月は視線を切った。次の瞬間脛の中央にブーツの踵を叩き込まれて、静かに蹲った。呻き声は押し殺したが殺意はうっかり湧きかけた。あ〜あァ、とでも言いたげに斑目が肩をすくめた。

 

 フンと鼻を鳴らして、王様は膝頭に頬杖をつき直す。紫の瞳が感情もなく兄弟喧嘩を眺めている。

 

 八戒に発破をかけたのは彼らだ。追い詰めて、追い込んで、後戻りできないようにして、白い特攻服を纏いながらも横浜天竺の側に立たされた少年は、今早口にも捲し立てている。

 

「兄貴の期待通りになんかなんねえし、なれねえよ。俺は上に立つのだって向いてねえ。そんなふうに躾けられると思ってたんなら、兄貴の見通しが甘過ぎだ」

 

 大寿は無言で弟を俯瞰する。

 引き攣った口元。不自然に先細る声色に、微かに震えている手元。泳ぐ視線が大寿を捉えようとして逃げる。大寿の前に立つときの八戒は、反射で防御姿勢を取るようになってからの方が長い。

 

 八戒が自らの非を——それも公衆の面前で——認め、その上で大寿に抗ったのは、初めてだった。

 

 ()()()()()()()()

 極めていつも通りに怯えている。

 

「要するに。……開き直りだな、自分が弱ェのを棚上げにして」

 

 どこか抑えた声色で、大寿は述べた。こめかみには青筋が立っていた。

 瞬間湯沸かし器ではないだけで、大寿の沸点は高い方でもない。「そいつらになに吹き込まれたんだか知らねえが」半身を引いたかと思えば、既に握っていた拳を無造作に振るう。

 

「寝言しか言えねえんなら黙って——……乾」

警察(サツ)が来てんならマズイだろ、ボス」

 

 乾は、大寿の肘を引くように抑えて、動きを止めていた。先程煽られて煮え立った頭は既に冷えていた。

 

「アンタは家族のことになると冷静じゃなくなる」

 

 ことこの状況下で殴れば完全に大寿がヒールだと、今の乾ならきちんと判別がつく。

 そも彼らが悪趣味なディベートに巻き込まれたのは、警察が張り込んでいると言われたからだ。彼らは未だ真実を知らない。

 

 短くせせら笑って「止めてくれんだ、いい腹心だな?」蘭は警棒で長髪の己の毛先をもてあそんでいる。

 警察のハッタリが今もなおごく順当に効いていることも含めて、どうにも愉快でたまらない。

 

「族にしちゃずいぶんなニューピー。見る目がねえ。見通しが甘ェ。言うこと聞かせて手元においてだぁいじに過保護に守ってた弟クンはとうとう反抗期で相続放棄、しまいにゃ部下には介護されてる。それでなんだって真っ当に黒龍(ブラックドラゴン)が継げてると思ってんだかな」

「真っ当だのなんだの、オマエらが言うことかよ。極悪どものくせして」

「俺らは捻じ伏せられるからやってんの。そんで実際、テメェは捩じ伏せられてねえじゃん?」

 

 あまりに屁理屈だ。暴論だ。冷静に吟味すれば、その主張の矛盾は明白だ。

 

 矛盾を冷静に吟味する者が、果たしてこの場において、どれだけいるかという話でもある。

 

「——離せよ、」

「ダメだって」

 

 唸るようにつぶやいた柚葉。彼女の左肩を羽交締めにしたまま——駆け出さんとしたところを間一髪で捕獲した——三ツ谷はきっぱりと言った。「離せっつってんだろッ」「こいっつ力強ェな!?」右肩を抱き込むように拘束しているのは場地だ。火事場の馬鹿力に慄くわりには力は微塵も緩まない。

 たとえ救心が必要になった現一般人といえども、元特攻隊長が負けるわけもないだろう。関節が外れかねないほど激しく身を捩るから、右足をすくうようにして引っ掛けて、押さえ込む。

 

 唇を噛み切らんとばかりに噛み締めて、だん、と柚葉はコンクリートに左の踵を叩きつけた。

 激情が身体を巡って、どこにも逃げ場はない。よっぽど叫んでしまいたかった。なにもかもぶちまけてしまいたかった。

 

「だから、アタシは言ったんだ。だから……!」

「……うん、ごめん。あんときお前が隠してたこと、ほんとに、ようやくわかった。でも今はマジでダメだ」

「八戒、アレなんか取引してんな。利用価値があるうちはアイツらも下手な目には遭わせねえ……なあアンタ、八戒の姉貴だよな。イザナクンと会ったことでもあんの?」

 

 問いかけのかたちをしながらも、確信を持った口振りだった。

 柚葉はわずかに黙って「聞いて何になるの」と声を絞り出した。感情を押し殺すような物言いだ。察するのは容易い。

 

「あいつら……テンジク? の方が柴大寿への対抗手段で八戒を抱き込んだなら、なんで東卍(トーマン)辞めたのか、とかわかってんだろ。したらアンタの話が出てねえのはおかしい。目ェつけられてんな。誘い出してんだよ、コレ」

「同意見。なに、場地、頭回るようになってんね? 勘はオマエもとから良かったけどさ」

「塾長の周りのせい」

「あの人の人脈マジでなに?」

 

 この場に本人がいたらさすがに風評被害を申告しているはずだ。

 厳密な事実に基づいてはいるので即座に棄却されるだろうとしても。

 

「……つうか、どうする?」

 

 柚葉を捕まえたまま、弐番隊隊長は元壱番隊隊長に話を振る。

 

「コレほっとくと天竺が勝ちかねないだろ。ぶっちゃけ黒龍(ブラックドラゴン)も勝たせたくないけど、そんなん言ってらんねえよな」

「そーだな」

 

 柚葉を拘束してない方の手でケータイを取り出しながら、場地は簡素に相槌を打つ。

 

「手はなくもねえけど、間に合うかワカンネ」

「逆にあんの? それこそ部長くん?」

「カタギはだめだろ。そりゃ警察に顔利くけどハロウィン収拾つけてもらったばっかだし。別だよ、別」

「オマエももうカタギだけどな?」

「とりあえずやるだけやってみるワ!」

 

 テンキーを操作しながら露骨に明後日の方を向いた場地。

 三ツ谷はじとっと目を向けて、すぐに首を横に振った。戯れている場合ではない。

 

 そこで「三ツ谷くん」と様子を見ていた花垣が声をかけた。

 彼の隣にはやはり千冬もいる。

 

 花垣は、つい先日まで、三ツ谷にとっては同じ隊に新しく配属された隊員だった。喧嘩はさして強くもなく、へたれてセンスもなく、しかし現在の彼は、三ツ谷と同じように隊長の肩書きを有している。

 ……今は黒龍(ブラックドラゴン)の特攻服を羽織っているのは、さておき。三ツ谷は隊長という立場的にも特攻服を作った個人的にもめちゃくちゃ物を申したいが、あとに取っておこう。

 

 花垣は時折、眼光に不思議な力を宿す。

 そのときも三ツ谷を見据えた目つきは、どこか奇妙な色をしていた。

 

「時間稼げばいいっすか」

「稼げればな、たぶん。……できんの?」

 

 花垣を見て、続いて視線を振られたのは千冬だ。「どこまで通じるかわかんねッスけど」千冬は少し首を捻って、それでも頷いた。

 

「それこそやってみたらわかるっしょ」

「そりゃそうだ。任せたぜ、壱番隊」




物心つくかつかないかの頃
:キャラブック2巻
 柴八戒の武勇伝もしくは失敗談より

ニューピー
:外タレ志望の灰谷蘭、こういう煽り方をしてほしい

あんとき
:10巻86話
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