【完結】罪状記録   作:初弦

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弁論準備

 横浜天竺の側が既に切った手札はいくつかある。

 

 事実として、十代目黒龍(ブラックドラゴン)は今までの有り様からは大きく変質していること。

 黒川イザナと斑目獅音がその前の代であり、つまり黒龍(ブラックドラゴン)の前の所有者ともいえること。

 彼らは一様に暴力行為に躊躇いがなく、前科があり、ネームバリューがあり、それらが脅迫じみた説得力に繋がること。

 柴八戒を確保して、その背後につく素振りを見せれば、いびつな家族想いたる柴大寿は動揺するだろうこと。

 

 警察というブラフに気づくとすれば九井だったが、そもそもかの金脈の重要性は大寿の側もわかっているから、確保して手元に置いていた。引き剥がしておけば事実は伝わらず、牽制として機能する。

 柴大寿は案外、周囲の勢力を考えて動ける。その性質が、転じて、権威に怖気づくようにも見える。

 

「さぁどうだよ。テメェがいくらなにを言おうが、腹心がいくら忠実だろうが、黒龍(ブラックドラゴン)はたかだか二人三人じゃ成り立たねえ。お前らのお仲間は? ギャラリーは? 今の言い草じゃ、どうもカゾクのためにチームを私物化してたみてェじゃん? なあ、ホントに黒龍(ブラックドラゴン)の総長が柴大寿(オマエ)でいいわけ?」

 

 もちろん喧嘩も楽しいが、極悪の世代が極悪と呼ばれた由縁は、加虐を娯楽として消費できるその性にある。

 誰かが大切に守ってきたものを呆気なく踏み躙って、呆然とした顔を指さして笑うように生きてきた。

 

 彼らが裁判と宣うなら、それは同じ裁判でも、異端審問の例に当たる。勝手にレッテルを貼り、屁理屈と偽証を並べて、権力を振り翳して脅迫し、弾劾する。

 煽り倒して、信頼を削ぎ、利用して、周囲の反感と疑心を都合のいいように味方につける。恐怖を権威とし己が鉾とする。思うがままに動かした。

 

 だからこういうショーは大抵彼らの独壇場で、

 

「でも今の特攻服(トップク)のがカッケくねェ?」

 

 ……ただ、あくまでも得意分野というだけで、極悪の世代も所詮は人間の域を出ない。

 

 人間の能力とそこから成る想定には当然限界があり、想定と現実の間には誤差が含まれる。

 それこそ、本来抗争の存在すら知るはずがなかった東京卍會のメンバーが今この場に足を踏み入れている事実、イザナが裁判という単語にうっかり釣られてしまったことだって、誤差の一つだろう。

 人々が織りなした誤差が、運良く想定の結果に影響しなかった。その末路が十二年後に中華料理店で開かれた東京卍會の会食だ。

 

 二〇一七年までの軌跡がそのように展開されたのは、タイムリープした花垣が十二月頭に現れるよりも、前の話だ。

 

 もちろん、今は違う。

 

「だぁって九代目の頃とかツナギだろ。俺アレ着たくねーわ、作業員じゃん」

「バッカ声デケェよ!」

 

 突然上がった声に蘭が眉を上げた。「だッれがツナギ、」怒り心頭の斑目が怒鳴り返す前に、更に大きな声が諌めるように被さる。

 

「つかあれは初代の頃からで、歴史あんだよ。テキトーなこと言ってんな」

「歴史とかいったってさァ。前の特攻服(トップク)だって先輩から見せてもらったくらいでしか見たことねえよ? 小坊の頃のハナシとか、尚更知るわけなくね」

 

 聞くものが聞けば、あまりに稚拙な小芝居だと気づく程度の演技だ。実際、八戒は素で「……え?」とつぶやいた。

 

 柴八戒は東京卍會の弐番隊副隊長で花垣の兄弟分、つまり壱番隊副隊長の千冬もつい先日隊長になった花垣も声だけで判別できるので、これは完全に本気で戸惑っております。なんで?

 

「だから特攻服(トップク)はこのまんまがいーわ」

「つったらオマエ十代目派? 俺しょーじき、さっきので幻滅したけどな」

「まじぃ? つかそー言うけどさ、誰でも欠点とかあんだろ。俺なにより八代目とか言ってる人んとこ行ったらいよいよヤベェことやらされるって」

「そりゃ十代目だってそうじゃねえか。オマエだってそれが黒龍(ブラックドラゴン)のよさっつってなかった?」

「そういう問題じゃねえよ! だって警察(サツ)来てんのに喧嘩そのままやろうとしてたチームとか、今どうにかなっても後が怖ェよ」

 

 裁判とは名ばかりに、周囲を巻き込んでアウェーの空気を作り上げ、柴大寿を追い落とすことが今の横浜天竺の目論見だ。

 場地はそれに手があると述べた。花垣と千冬に任されたのは時間稼ぎで——今ここで黒龍(ブラックドラゴン)の特攻服をまといながら、純然たる第三者の彼らにできること、といえば。

 

 学級会でも、委員会でも、グループワークでも会議でも、集会でも、とかく〝多人数の意見の擦り合わせにより結論を出す〟ことを目的とする集いを想像していただこう。

 結論が出なければ対話は長引く。これまた当然の事象だ。

 

 なれば時間を稼ぐためには、意見を細分して、揉め続ければよろしい。

 ごく簡単な出力だ。

 

 聞くものが聞けばわかるということは、転じて、わからないものにはわからないということでもある。

 黒龍(ブラックドラゴン)には少なくとも百人以上の兵隊が集っているわけで、であれば多少聞き慣れない声でも〝自らが把握していない新入り〟程度の認識になる。

 

 疑念を煽れ。信用を削げ。今まさに天竺側が行っていた手段だ。

 そしてそれらは、天竺の専売特許でもなく、極論、誰にでも行える。

 

 ——「確かに、」と誰かが呟いた。千冬でも花垣でもなく、正しく黒龍(ブラックドラゴン)の誰かが言った。

 

 そして、それとほとんど同時だった。

 

 ケータイに向かって何事かを話していた場地、の力が一瞬緩んだ隙をついて、柚葉は唯一自由な左足で右足を拘束する脛を蹴り飛ばし——ッあやべ、場地は咄嗟に体勢を立て直そうとしたが一瞬遅かった——無理やり屈んで、腕の拘束も振り払う。

 追いかける前に「俺が行く」同じく振り払われた三ツ谷が飛び出した。

 

「おう……」

 

 場地は一瞬の出来事を呆然と見送った。あの女マジで思ったより強いな……。場地にとって強い女とは、連鎖的に母親が連想される。

 彼が握りしめているケータイの向こうで『なに、』と訝しげに声が尋ねる。

 

『なんか状況変わったワケ』

「……ヤ別に。多少持たせちゃいるけど大して変わってねえ、だッから早く来いってマジで。辞めた俺が出張るようなことになってんじゃねーよ」

『だから今行ってんだろ。てか、復帰していいっつったろ、俺は』

「聞こえねーな!」

 

 人波を駆け抜ける。身を屈めて走り抜けて、勢いを殺さぬままに飛び込んで、無理に立ち止まったからスニーカーの滑り止めが焦げ付くような臭いを漂わせた。摩擦熱を馬鹿にしてはならない。

 

 ともあれこれで柚葉は幹部らの間に割り込んだ。

 黒龍(ブラックドラゴン)の面々が遠ざけるより早く、イザナが立ち上がった。茶番にすら満たない弾劾裁判が始まって、初めてのことだ。

 

「ようやくお出ましかよ。啖呵切ったくせにずいぶん遅かったな。で、どーだ? 弟一匹守れないお姉チャン?」

「……報告に上がってねえ」

 

 大寿の短い詰問に「ちょっと前に話しただけ」これまた短く答えた柚葉は、真っ直ぐに八戒を見据えていた。

 

「……アンタ一人守れなかったね」

「俺なんか、姉貴一人守ろうともしなかった」

「アタシはそれでもよかったよ。——八代目、アンタなんで八戒を焚き付けたの」

 

 姉弟のやり取りは一瞬だった。続いて鋭く問いかけられたイザナが「言わなかったっけか?」きょとんと目を瞬かせる。

 

黒龍(ブラックドラゴン)を潰すにはちょうどよかったからだよ」

「口実でしょ」

 

 柚葉はすぐさま切って捨てる。問いかけたのは彼女の方だったが、しかし、答えが既に見えているかのような物言いだ。

 

「アンタはアタシと話してるその途中まで、今のチームになんかなんにも興味もなさそうだった。乾がさっき言ってた通りだ。興味なかったくせに、明らかにアタシとの話の途中でスイッチ入ってた」

「自分のせいって? 自惚れてんな、そりゃ喧嘩にもしゃしゃり出てくるわけだ」

「ぶっちゃけそう思ってた、認めるよ」

 

 アンガーマネジメントには、怒りを発露する前にわずかでも時間を置く、という手法がある。

 かの手法の真偽と実際の効果のほどはさておき、今の柚葉は意図せずそれを活用していた。抑え込まれている間に次から次へと感情が過ぎって、付随して記憶を想起し——違和感に思い当たる。

 

「でもアタシがなんか言ったせいにしちゃ、やり口が変だろ。アンタいったいなにが気に食わなかったワケ?」

 

 ざりっと靴音が鳴る。

 イザナの顔からは既に笑みが抜けていた。一歩近寄られても、柚葉は怯む様子も見せずに、睨み返す。

 

 柴柚葉は、隠すのは得意だった。昔から。

 怯えていないわけがない。一瞬でも怯えてみせればそこに付け込まれる。怖くないわけがない。振るわれる拳の重さを知っている。痛くないわけがない。なにも虚勢を張り続けるばかりが得意なのは弟だけでもない。

 膝の震えを抑え込んで、すべてを軒並み隠し切る。どうにも昔から得意だった。今ここで役に立つのが癪で、その怒りも、立ち続けるための気力に回す。

 

 迂闊な言葉を覚えている。どちらにとっても不幸なことに。

 

〝ああ言えばおもしれーかと思ったけどアテが外れた。いいよなァ——〟

 

 おそらくこれが逆鱗だと柚葉は確信していた。

 

「——アンタ、自分の家族に恨みでもあんの?」

 

 躊躇なく蹴り出された足はほとんど反射だ。これまた反射で迎撃しようとした柚葉を肩から掴んで引かせたのは大寿で、半ば飛びつくようにしてイザナの蹴りを抑えた——若干引きずられた——のは八戒。

 上背も体格も大きな八戒が引きずられるなら、この蹴りが柚葉に直撃していたら、身体ごと吹っ飛ぶだろう。

 

「あっぶね、」

「邪魔だ退け」

「ゲホッ」

 

 腹を足蹴にされてえずいた八戒が「柚葉に手ェ出すなっつったろ」それでも唸るので、イザナはもう一度鳩尾に蹴りを入れた。尖った踵が腹にめり込む。

 

「イザナやり過ぎだ!」

「躾は半端がイチバンやっちゃなんねえ。叩き込んでわからせんだよ」

 

 さすがに入った鶴蝶の制止に、答える声はにべもない。三度目の足蹴が振り上げられて——空振る。

 イザナの足元から八戒の身体を引きずり出して「そろそろ見過ごせねえけど?」三ツ谷が静かに言った。

 

「辞めた副隊長にお優しいな?」

「その前に、弟分だよ」

「……へえ」

 

 紫の中央で瞳孔が開いている。

 黒川イザナは今、明白に苛立っている。なにもかもが彼の神経を逆撫でしていた。

 

「……よくわかった」

 

 低い声で大寿はつぶやいた。柚葉を自らの後ろに押しやって、独特の色合いの金眼が周囲を睥睨した。

 ——そしてここで気づいたのは望月だ。蘭の肩を掴んで「弟に警戒させろ」鋭く述べた。

 

「なに」

「乾がいねえ」

「……あー、はは……やっべ」

 

 柚葉の乱入と、真っ先に反応したイザナに、気を取られ過ぎていた。少なくともその直前まではいたはずだ。蘭は乾いた笑いをこぼす。認めるのはたいへん複雑だが、確かに、十代目は正しく有能だ。

 

 あいにく忠告は手遅れだった。ポケットの中でケータイが三度、震動して、沈黙した。竜胆からだ。

 兄弟は事前に合図を決めていた。三度鳴動したならば、つまり——失敗だ。隔離して確保していた九井が掠め取られた。

 

 計算は狂っている。裁判とやらに彼らの王様が乗ったときから。それでいて、その以前から。

 

 アドリブでコントロールできる範囲には限界がある。不確定要素を切り捨てて、出来得る限りのすべてを支配下に置いて、それでも手の届かない範囲はある。

 

 たとえばそれらの連鎖によって、いま、ここで、大寿が言う。

 

警察(サツ)の配備は、テメエらが流したブラフだな?」

 

 柚葉へ振るわれかけた暴力、実際に八戒に降り注いだ蹴り、それでいて周囲に異常はない。

 

 いくら彼らが警察に怯えないにしても、ここまで()()()()()のは不自然だ。

 それこそ竜胆が周りを煽ったときになにも言われなかったことに違和感が芽生え、大寿が八戒を殴る素振りを見せたときにも動きがなく、彼はほとんど確信を持っていた。

 

「だから最初っから言ってんだろ? 警察(サツ)程度にビビってんの、馬鹿みてェだってよ」

 

 呆気なくイザナは言い放つ。マジックはタネが割れれば機能しない。同様に、偽情報は信じられている間だけ踊らせることができる。疑念が芽生えれば機能しない。

 

 コンテナ脇で推移を見守っていた竜胆は、あーあと小さく声を漏らした。すぐさま乾がナイフをわざとらしくちらつかせるので両手を上げる。

 軽口を叩いてもいいが、どこぞの悪辣は対九井の喧嘩では協力を見込めないので、実質二対一。二対一の恐怖を竜胆はよく知っている。いつもなら恐怖を教え込む側なので。

 

 無駄なことはしないのがベター。今まで身につけてきた処世術のひとつだ。

 

 ようやく拘束から解放された九井は、辟易とした顔で乾の元に歩み寄ると「フォロー回れなくて悪かったな」と、述べた。

 

「ああいうチームだろ。……せめて兵隊護衛つけてけよとは思ったけど」

「金のことわかってねえやつをつけてもな……」

「……まあ伏せといた方がマシ、か?」

 

 気安い会話の間にも、乾の両目は灰谷竜胆の一挙一動を観察している。竜胆はにっこりと笑ってみせた。

 全く無害には見えないのでナイフは下ろされなかった。当たり前だ。

 

「ダメそーだねえ? 色々と」

「他人事かよ」

「どっちにしろ証拠はないからねえ。失敗しても振り出しに戻るってだけだしぃ?」

「……結局、なに企んでたんだよ」

「言った通りだよ。柴八戒にアンタんとこの総長殺させて、その恩使って黒龍(ブラックドラゴン)をもっかいイザナの下に置こっかなって」

「かなってじゃねえ」

 

 九井の問いに答える竜胆は、ずいぶんと正直だ。嘘をついている様子もなく、実際嘘ではなかった。

 頓挫した計画に用はない。どちらにせよ、派手なパフォーマンスは本来必須ではなく、イザナの憂さ晴らしに付き合うつもりでいただけだ。

 

「……つうか、アオサギはなんで乗った?」

「権力が集約すれば見張るところが少なくてラクだねえ?」

 

 こんな公僕はいやだのお手本のような回答を行う公僕に半眼を送り、九井は竜胆に視線を戻した。

 竜胆は朗らかな言い様の通り、大して悔しくもなさそうな顔つきだ。近づいてくるバイクの駆動音に、少し首を捻って、周囲を見回す。それからケータイを取り出しカコカコと操作する。

 

「失敗したわりに余裕そうだな」

「足がかりのひとつがダメになったトコで、ドミノ倒しにはなんねえよ。手札も全部切ってねえのに。——あ、鶴蝶? 俺俺」

 

 彼らは確かに知人だが、それにしてもテンプレートなオレオレ詐欺の文句。そしてナイフを突きつけられた状態で連絡を行う暴挙。

 竜胆は軽やかに言葉を続けた。

 

「兄貴から聞いてるかもだけど、九井確保失敗。あと、無敵のマイキー来てるぜ。場地か三ツ谷かオマエの贔屓の野郎かは知らねえけど、どれかがチクったんじゃね?」

 

 

 

  弁論準備

 

 

 

 ノーヘル、無免許運転、十五歳、通話しながらなので度々片手運転。

 ついでに一般道の平均的な法定速度をぶっちぎって時速は百㎞。

 

 道交法違反で補導どころの話ではないが、しかし奇跡的にもねずみ取りには引っかからなかったらしい。本邦の治安維持の観点から考えるなら引っかかるべきだ。

 

「間に合った?」

『「ギリアウト」』

 

 通話は二重にそれだけを伝えて切れた。通話相手の場地はちょうど眼前でケータイを閉じたところだ。

 渋い判定に万次郎は肩をすくめて、ホークを停めて降り立つ。

 

 来るはずもなかった男、無敵のマイキーこと佐野万次郎にはほうぼうから視線が集まった。うち一人がイザナだ。すぐに逸らされ、ふらりと身体を回すようにひねると、元の鉄材に腰を下ろす。

 

「手……手!? マイキーくんが!?」

 

 二度見する花垣に「なんでソレ着てんの?」万次郎は若干不機嫌につぶやいて、それから二チームの幹部たちを無遠慮に指差した。

 

「場地から聞いたけど……よーするに、黒龍(ブラックドラゴン)がどっちかってハナシだろ? 初代が俺の兄貴だから、なら俺がショーニンだろってさ」

「あにき」

「シンイチローな」

 

 花垣にも、万次郎の兄の情報、そして名前は聞き覚えがある。初代に関しては初耳だが。

 羽宮一虎が殺したという知識も紐付いている——場地が呼び出したあたり、度胸があるというか、それだけ切羽詰まっていたというか。

 

黒龍(ブラックドラゴン)十代目が立ってんのは俺ら東卍(トーマン)も認めてる」

 

 飄々とした足取り。ハロウィンのときの鬼気迫る様子はどこにもない。

 軽やかに足が出向いて、言葉も軽やかに続く。埠頭の人混みが万次郎の周辺から綺麗に捌けて、道を作る。

 

「渋谷のシマの取り決めも、商売の範囲も、ここらのチームは黒龍(ブラックドラゴン)が十代目で、総長は柴大寿って思ってるぜ」

「ガキの天下かよ」

「——でも、シンイチローは、チームを兄弟で継ぎたいっつってた」

 

 どこかふわふわとした言い方だった。

 「下がれ」妹を自らの背より後方に押しのけて、大寿が音もなく囁く。視線は三ツ谷を捕まえていた。三ツ谷は短く頷いて、八戒とともに足を引く。

 

「なァイザナ。オマエは俺の兄弟?」

 

 改めて鉄材に腰掛けたイザナ。数秒の間、万次郎を眺める。

 

「……聞いてねえの?」

「なにを?」

「血は繋がってねえ」

「……じいちゃん問い詰めたらゲロった。養子縁組の前に母ちゃん病気ンなっちまってなかなか進まなくて、そうこうしてる間に死んじゃって、ならじいちゃんかシンイチローの息子扱いか、どうにしろさすがにそうなってくると本人と話さねえとって矢先に喧嘩してそれっきりって」

「ああ、そういう流れか」

 

 言葉に棘はない。淡々と事実を確認するような口調で、万次郎もまた、事実を並べるような言い方だった。

 

「……聞ィてたか?」

 

 小さく尋ねたのは斑目だ。「いや」と望月は否定し、蘭も、すぐに首を横に振る。

 

「さァすがに一切。なんかあるとは思ってたけど、ナルホドなァ」

「まじで? フクブくんとか知らねえのコレ」

「フクブは知ってんじゃねえの? 確かにいろいろ辻褄合う……」

 

 純丘とイザナがどこか似通っていて、相性がいいと感じたものの、彼ら当人たちは反駁しあっていた理由にも説明がつく。

 蘭はなんとなく想起して、頷く。

 

 点対称の図形は同じ形でありながら真反対の位置にある。類型でありながら、最も遠く離れて交わらない。

 かつて純丘はイザナを妬ましいと評したらしい。事情を知っていたからこそだ。

 

「でもアイツまじ、必要ない情報ろくに喋んねえから」

「純丘はそうだろ。……鶴蝶は知ってたっぽいな」

「……マァ……」

 

 ケータイを閉じた鶴蝶はかろうじてそう返した。

 

 竜胆の忠告は正しく伝わったが、手遅れだった。

 あとはなるようにしかならないだろう。

 

「そんでも兄弟かって聞くのか?」

「俺は……兄貴がもう一人増えても、嬉しかったよ。血が繋がってなくても」

「ふーん。——前に言った通り」

 

 なめらかに言葉は綴られる。手の甲に顎を乗せて、紫が万次郎を捉えている。

 

「俺は真一郎じゃねえ。テメェも真一郎じゃねえ。俺はテメェの兄貴じゃねえし、テメェは俺の兄弟でもなんでもねえ。佐野万次郎、オマエと俺は、なんの関係もない赤の他人」

「なら黒龍(ブラックドラゴン)に口出す権利もねえな」

 

 万次郎はすかさず切り返した。

 ここでいっとう小柄な二人が、埠頭の空気を支配している。

 

「ケンカで負かしたら話は別じゃね?」

 

 よっと軽い素振りで膝を伸ばして、イザナは立ち上がった。なんでもないような口ぶりで笑っている。……口ぶりだけだ。

 瞳孔は相変わらず大きく丸い。紫の目は、確かに万次郎を見据えていた。元々眼力が強い目つきに、更に、感情が乗っている。今にも吹きこぼれそうないろ。万次郎は真正面からそれを見返した。

 

「どっちにしろ、譲位に興味はねえ。やるなら簒奪、侵略」

「やんの?」

「今日はもう気分じゃねえな。それにオマエらいるし、やるなら全員連れてくる」

「……へー。他にも手駒がいるんだ」

「ああ、知らねえか」

 

 東京都以北に情報は流れていない。東京卍會を警戒し続け、悟られないように徹底してきた。

 それは純丘も含んでいる——彼が三途に伝えた目測には、大枠は正しかったが、いくつかのミスがあった。不足した情報から成る推測ならば、当然、出力には誤差が生じる。

 

 純丘が東京卍會の知人と懇意にしていることは、天竺もまた把握している。たとえ嘘をつかずとも、意図してピントをぼかして伝えるのは、それこそ純丘の常套手段だった。

 純丘の常套手段を多少学べる程度には、彼らは共に過ごしてきた。

 

 ひっそりと行われた天竺創設の集会から、灰谷兄弟との決別までは、いくらかの日数の間があった。

 それは、灰谷蘭が多少の情によって躊躇ったため——でも、ない。彼の最優先事項は己が兄弟であり、極悪どもであるからして。情報伝達によって生じるリスクの低減のため、そして、単なるスケジューリングの問題だ。

 

 確かに、横浜天竺が為した()()()()()初動は、対黒龍(ブラックドラゴン)戦だ。

 

「天竺はとっくに神奈川と千葉を制圧した。黒龍(ブラックドラゴン)は、東京の手始めにやろうってのと——あとは東京の不良どもへの宣戦布告」

 

 アそれも言っちゃうんだ〜と竜胆は思った。

 「そうなんだよねえ」と相槌を打つのは横の得体のしれない誰かさんである。協力を仰いだ身として言うのもなんだが、マジで関わりたくねえなと竜胆は常々思っている。フクブなんでコレのこと師匠とか言えんの?

 

「そりゃ元から神奈川は実質掌握済みたいなとこあったけどぉ、十一月中ちょこっと目ェ離してたらいつの間にか千葉もなんか……叩いてまるめてまとめてたよねぇ?」

「まァ黒龍(ブラックドラゴン)に喧嘩売るとかすんなら、とりあえず軍はほしいだろ? 捻じ伏せると場合によっちゃバックについてんの出てくるし」

「うんうんその理屈は全くわかんないとしてもぉ、だからちょっと恩売ってでもパイプ繋いどいてぇ、一括で見張れたほうがいいかなぁって思ったんだよねえ。おじゃんだけど♡」

「部外者巻き込んだの誰だよ?」

「僕かなぁ〜」

 

 九井と乾は半眼でそのやり取りを眺めていた。

 先程の竜胆は〝化物以外のまともな話相手がほしい〟などと宣って九井を捕獲するなどしたが、「ていうかなに目指してんの? 関東統一?」「日本乗っ取って世界征服」「へえ〜」この軽薄なやり取り、九井的にはどう考えても、まともどころか竜胆も化物側である。

 

「やるなら全員連れてくるっつったな」

 

 さておき会話内容も聞き捨てならない。乾は平坦に言った。

 ナイフを鞘に戻して、代わりに引き摺ってきたパイプを両手で握った。

 

「なら今ここでテメェらを潰しときゃ、少しくらい戦力削げるんじゃねえの。灰谷兄弟の半分と、情報屋」

「あン、僕もぉ?」

「……よっぽど賛同したいところだけど、今は相手が悪い」

 

 溜息混じりに九井が止めた。本当に、よっぽど、心底から賛同したいところだが——マブの意図を問いかける視線に対して、ダメ押しのように首を横に振る。

 

「灰谷兄弟は一揃いだ。どっちも同じタイミングで落とせねえなら、お礼参りどころじゃ済まねえよ」

「よくわかってんな?」

「ならアイツは」

「アレはもっとダメ。殺してもたぶん蘇る」

「蘇らないよぉ、化け物じゃあるまいし。祟るくらいじゃない?」

 

 ウソつけよと無声音でつぶやいた竜胆は、脇腹に肘鉄を入れられて無言で身体を丸めた。シンプルに激痛。

 

 この化物が九井一を極端に贔屓していると知らないのは、それこそ九井一本人と乾青宗くらいである。祟るはずもあるまい。

 ……それ以外の者共が相手なら、たぶん社会的に抹殺する方向で祟るけど。

 

「イザナさ、俺はアンタとは会ったこともそうなかったけど」

 

 万次郎はふらりと身体を揺らす。

 あのとき——ハロウィンのとき、この男が何故己を止めたのか、万次郎にはわからない。理由を知らない。こと再び対峙した今に至っても、兄弟ではないと断言し、その瞳は無感情だ。

 

 万次郎としてはそれでもいい。わからなくてもいい。寂しさを殺すのは慣れている。無敵なので。理解できないことは山程あって、理解できなくても許容される環境がある。

 

 ……ただ。

 たったひとつだけ、万次郎には、確認しなければならないことがあった。

 

「なら……エマは?」

 

 イザナの脳裏で記憶が閃いた。

 幼い子どもが、無邪気に、己をニィと慕う。大人一人に幼児二人でさえも、十二分に狭苦しい、小さく古びたアパートの部屋で過ごしたかつて。

 

「お優しいアニキだな。真一郎と似てる」

 

 イザナは意識して唇を引き上げる。いつからだったか——その名前を口にするたび、まるで反吐が出そうな気分になった。

 

 過去形だ。

 今はそうでもない。

 

「兄貴がそう何人も必要かよ。あるモンで充分だろ」

 

 佐野真一郎は死んだ。黒川イザナに兄などいない。黒川エマはとうにいない。佐野エマには、同じ佐野の苗字を持つ兄がいる。

 

 既に覆りはしない。

 

「あっそ」

 

 佐野万次郎が確認したいことはそれが最後。溜息のような返答とともに、足を開くようにして、そうして雰囲気がわずかに変わる。

 硬質に、冷たく、油断なく、黒川イザナを見つめる。

 

 あとは——東京卍會総長、無敵のマイキーとしての問いかけだ。

 

「んなら、このケンカはどう落とし前つける気? お前らはどっちが相応しいかって言ったらしいけど、黒龍(ブラックドラゴン)の所有権がどうかってのはソッチの負けだ」

「終わってねえもんに落とし前があるかよ」

「それ、ヘリクツってやつだろ? 実際ソッチに手足があるとかも証拠もねえし」

「マァナ? べつに今から決着つけるんでも俺はいい」

 

 意外なほどにあっさりと肯定して「けど」と、天竺総長は接続詞を踏む。

 

「面白いよな? 黒龍(ブラックドラゴン)の野郎どもは、馬鹿正直に全勢力で来た」

 

 笑みの種類が変わる。

 どこか慈しむ印象を与えるものから——悪辣なそれへと。

 

「おかげで渋谷の半分は今カラッポだ」

 

 神がかったタイミングだった。

 

 万次郎のケータイと、少し離れたところで九井のケータイも囀った。「九井がまだ独自の子飼いを持ってんのは有名な話だ。コッチから確認させようと思ってたけど、そういやもう一時回ったか? 出てみたらいいんじゃねえの」イザナは声色に笑みを含んでいた。

 

 万次郎は普段、ろくにケータイを持ち歩かない。

 今回ばかりは巡り合わせの問題だ。場地からの連絡を自宅で受けた彼は、バイクをかっ飛ばしながら状況説明を聞くため、持ち出していた。

 

『マイキー、今どこだ!?』

「なにか起きたな?」

『……なんか首突っ込んだな?』

 

 一瞬で察した龍宮寺の背後では、怒号と、悲鳴が聞こえる。万次郎はすぐさまケータイのスピーカーモードをオンにした。

 龍宮寺からの連絡が拡声される。彼の特徴的なテノールに混じって、かすかに、破裂音のような——

 

『裏原で三箇所、宇田川で二箇所、それと武蔵神社で小火騒ぎだ。規模は小せェけど、東卍(トーマン)の根城含めて渋谷近辺の族の溜まり場ばっか抑えられてる。あと参番隊の新樹と真司、陸番隊の翔平が黒龍(ブラックドラゴン)の野郎に囲まれてボコられた。とりあえず小火は消防連絡して、火消しと複数人で見回り指示したが』

 

 万次郎は大寿を振り返った。表情を見て確信したが、敢えて問いかける。

 

「大寿、オマエらのチームって今ここに全員揃ってんだよな?」

「揃ってる。……クソ、」

 

 ここまで情報が揃えばさすがに察せられる。

 ケータイを握り直した万次郎が口を開く。喫緊で行うべきは、情報共有と確認だ。

 

「ケンチン、襲撃してきた野郎って捕獲できた?」

『できてねえ。ボコられて逃げ出してきたっつう報告だからその余裕もなかったろ……大寿って聞こえたが、そこに黒龍(ブラックドラゴン)のボスがいンのか?』

「いるいる。つか、俺らたぶん嵌められかけてたな。ソレたぶん黒龍(ブラックドラゴン)じゃねえよ」

 

 たとえば柚葉は、花垣と千冬を紛れ込ませるために、特攻服を掻っ払って彼らに着せた。

 原理はおそらく同じこと。襲撃犯が一目でわかるなら、特攻服を着ていたと推察は可能だ。——盗んだか作ったか。正道の入手ルートではないことだけが確かだ。

 

「片がついたら緊急集会開くから集めといて。副隊長まででいい」

『……神社集合は無理だぜ。他の拠点も無事か確認取れてねえ』

「使えそうなとこなかったら、三中の脇に公園あったろ。あそこで」

『確かにキヨマサが引いてから手が入ってねえし、ワンチャンあるか……?』

「他ンとこいけそうだったらそっちで判断して連絡回しといて。三ツ谷とタケミッチと千冬は俺が連れてく、ついでに場地も」

『……なんでオマエら揃ってんだよ』

 

 ホントになと万次郎は内心呟いた。しかし、ゆえにこそ、とも言える。

 少なくとも今この場にいなければ、東京卍會は黒龍(ブラックドラゴン)の襲撃と誤認したはずで、黒龍(ブラックドラゴン)も東京卍會側の無根拠な因縁と勘繰っただろう。

 

 なにせ二つのチームはつい先日揉めたばかりだ。

 多少の疑心の下地は、いくつかの違和感を見落とすスパイスになる。

 

「もうちょい撹乱する予定だっただろうが……!」

 

 詰る望月に「よく考えたんだけどナ」とぼけた言葉が返る。

 

「祭りってデカい方が面白くね?」

「それよく考えてねえじゃん。思いつきじゃん」

「面白ェけど計画練り直しじゃねえ?」

「他人事してんなよ、今度はテメェもキリキリ働け」

「はー!? テキザイテキショってやつだろ!?」

「マジで獅音、腹の野郎から変なことばっか勉強してんな——」

 

 イザナの言葉尻が奇妙に途切れたのは、突っ込んできた九井が原因だ。全力疾走にしても、不自然なほどに大きく息を切らして、震える指が赤い特攻服の胸ぐらを掴む。

 

 黒い瞳が、しかしどうにも燃え盛っているようにも見えた。

 

「……テメェらの仕業、って、ことでいいな?」

「あー、小火のあたりは俺の発案?」

 

 ヒラッと手を振った蘭に視線がキンと向く。殺意にも似た感情の発露を気にもせず、そういや、なんて軽い口調で彼は言葉を続けた。

 

「オマエ火事にやたら過敏だよな。そこのケロイドのワンチャンよりも」

「ッ」

 

 振り上げた拳は、遅れて追いついた乾が捕獲して、九井を身体ごと引き剥がした。「ざっけんなブッ殺す」喚いた九井はかつてなく取り乱していた。どのように捩じ伏せるか、考えながら忍び寄っていた竜胆に気づかないほど——刺すような碧眼に、竜胆は肩をすくめる。

 乾の神経ももちろん盛大に逆撫でされたようだ。

 

「ガキの喧嘩じゃ済まねえぞ」

「遊ぶのもマジでやんのが楽しンだろ。それともなんだよ、まさか本気で俺らに馬鹿正直に真正面からやって勝てると思ってた? 侮辱だな?」

 

 ケラケラと笑い声が耳につく。まるで悪魔の言い草だった。

 

 舌打ちをした大寿が「仕切りに伝えてこい」暴れかねない九井の襟首を捕獲して、続いてまだ冷静な乾にいくつかの指示を出す。

 いくら揉め事が起きていようが、なにかの謀略に巻き込まれていようが、筋は通さねばならぬ。

 

 その上で——

 

「三中脇の公園ってのは、プラス三人増えても問題ねえか」

「よゆうー連絡入れとくわ」




ああ言えばおもしれーかと思ったけど〜
:愛情は保証にはならない「普遍と異変の分岐点」より

じいちゃん問い詰めたら
:佐野真一郎が通い詰めてた理由が特別養子縁組制度のためぐらいしか思い当たらない
 佐野桜子さんが当時から病気がちだったとかかな……と

妬ましい
:抱えきれない「9 months ago」より

神奈川と千葉
:具体的に書くかどうかわからないので述べておくと、埼玉以北および北関東一帯は愛情は保証にはならない「異国の異聞と共通点」で匂わせた通り、現在寺野南くんが遊んでおります

参番隊の新樹と真司、陸番隊の翔平
:ここで稀咲鉄太と半間修二がそれぞれ、東京卍會で隊長を務めている隊の番号を思い出してみましょう。

三中脇の公園
:1巻1話
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