【完結】罪状記録   作:初弦

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たとえば知らない過去の件

「テメェは車番」

「ア? ここまで繋いだの誰だと思ってんの?」

「俺も案内終わったら車内待機だよ。つうかさっきから思ってたが元ギャル出てんぞ」

「うるせえよアンタも元ヤン出てるから」

 

 秒速でいがみ合いながらも伝達事項は伝達するあたり、十数年の歳月を垣間見た気はした。

 気がしただけである。兄妹仲は殺し合いよりマシだが完全な修復とも至らないらしい。

 

 B1で呼び出したエレベーターは四階に到着。どうやら風俗店らしく、薄暗い照明とサイケデリックな色合いの内装——花垣はふと既視感を覚えた。

 心当たりの切れ端を追いかける前に「オゥ、ソイツか」と声がかかる。入口脇のカウンターの向こうからだ。

 

 手元の新聞を畳んで、男は顔を覗かせる。顎髭とオールバック、カッターシャツにシックなベストで合わせた姿。中高年と称するのが相応しい年齢だろう。

 

「アイツならいつもの部屋だ。ケン坊の」

「助かる」

 

 声が漏れかけたのを抑え込む。花垣はここでようやく記憶の照合が為された。彼にとっては一月も満たぬ前、同時に十二年は前に訪れた。

 ……龍宮寺堅の、実家と呼べる場所。

 

 当時は駐車場などなく、花垣だって龍宮寺の案内で徒歩で訪れて一階からエレベーターに乗った。だから気づかなかった。

 言葉を交わす彼らは慣れたようなやり取りだった。秘密裏のやりとりにはある種適しているのかもしれない。

 

 二m近い巨体が狭い廊下を闊歩し、遅れて花垣、直人が追従。一つ年下の警察官の視線は落ち着きがなく、気後れしたように、しかし好奇心を抑えきれないようにあちこちを彷徨っている。

 

 ——し、思春期の童貞かよ……!?

 

 花垣はそれこそ彼にとっては一月にも満たぬ前、嬢にホイホイついていって龍宮寺に呆れられた己を、思いきり棚に上げていた。

 

「……話通して、人払いぐらいしてあるからな? 客も嬢もいねえよ」

「大寿クンもしかして背中に目ェついてます?」

「見なくてもわかる。まごまごと……」

 

 ぼやいた大寿がある扉の前で立ち止まる。「俺はここまでだ」一言、そしてくるりと踵を返した。

 本当に案内をするだけしていった男に、二人は一瞬唖然とした。

 

 我に返ったのは直人だ。軽くこぶしを作ってコンコココンとノックをすれば「開いてるぜ」静謐な色合いの声が返された。花垣の前に立つようにして扉を開けたのも、直人である。

 

 花垣はタイムリーパーであり、時間遡行と過去改変はまぎれもなく彼以外に例は発見できず、今のところ替えが効かない。

 なにより、本来はただのしがないレンタルビデオ店のアルバイトで——一般人だ。

 

 橘直人は、警察官だ。

 

「久しぶり、タケミッチ。そっちは初めましてだな、橘直人だろ? ヒナちゃんの弟」

 

 果たして——扉が開いた瞬間襲撃されるとか、そういうこともなく。

 

 来客ふたりの眼前で、三ツ谷隆は人が良さそうな顔つきで微笑んだ。チープな装飾のベッドと高級感あるスーツはずいぶんアンバランスに見えた。

 

「三ツ谷くん……」

 

 以前の龍宮寺の面会のようにガラス越しでもない。かつて東京卍會幹部であったときのようにある種対等な立場でもない。花垣は元隊長であり、元仲間であったひとを眺めた。

 

「……髪黒染めしたんすね」

「そこですか?」

 

 さすがにツッコミが飛び出した。

 

「いやァそっちはマジで変わんねえな。ほら突っ立ってないでさ、座れよ」

 

 カラカラと今度は愉快げに声を立てて、東京卍會幹部は無人の二脚の椅子を指す。

 明らかに内装にそぐわないパイプ椅子。訪問のために用意されたと察せられる。

 

 失礼します……と断りを入れて、花垣も直人も腰を下ろした。直人はコートを脱がなかった。

 

「積もる話もしたいけど……大寿くんと柚葉が話した内容は把握してる。LINEって便利だよな、通話料かかんねえんだぜ?」

「暴力団幹部ってLINEやっていいんすか……?」

「規約だとダメだけど誤魔化す方法はたくさんあってさ」

「僕ら、LINEを出し抜く方法を聞きに来たわけでは……」

 

 直人の苦言が最も正論だった。

 

「そりゃそうだ」

 

 頷いて、三ツ谷の表情が不意に切り替わる。柔らかい部分がごっそり削げ落ちて、鋭利に、硬質に——立場相応に、それらしく。

 

「要件はわかってる。頭から話すよ。……十二年前、東卍(トーマン)黒龍(ブラックドラゴン)は同盟を組んで、天竺に立ち向かった。そのとき俺は三途……三途春千夜から連絡を受けていた。武藤(ムーチョ)くんが天竺幹部ってバレたとき、あいつも武藤(ムーチョ)くんについて天竺に行ったことは覚えてる?」

「覚えて——」

 

 ——るもなにも、つい昨日のことのように思い出せる。

 実際花垣の認識では昨日というか。日付が変わったので一昨日というべきか。

 

 伍番隊の武藤については、前回の東京卍會幹部としての二〇一七年や、柴大寿および黒龍(ブラックドラゴン)と揉めた件では八戒を詰めた姿で、前々から認識していた。

 

 ただその傍に付き従う三途に関しては、寡黙で小柄、滅多に拳も振るわない様子から、個として認識したことはなかった。

 場地との言い争いでようやく名前を知ったくらいだ。

 

「三途は、マイキーや場地とかと昔っから、それこそ俺らと仲良くなる前から付き合いがあったらしい。……あのとき場地もマイキーも二人をさっさと追い出しにかかった。たぶん、わかってたからだろうな」

 

 二〇〇五年十二月一日、最初に三途を問い詰めたのは場地であり、万次郎は訣別の証として武藤の名だけを呼んだ。

 

 もっとも三ツ谷とて、万次郎や場地と三途に、昔からの交流があったと知ったのは、すべてが片付いてしまってから更にあとのこと。……その話を語ると本題から逸れ行くだろう。割愛する。

 

「……マイキーくんと場地くんと付き合いが長かったのに、連絡されてたのは三ツ谷くん、なんすか?」

「オマエらにとっちゃ東卍(トーマン)と繋がってるサツのイメージのほうが強いかもしんないけど」

 

 つい半月前までの花垣と直人にとっては、場地圭介とは二〇〇五年にとっくに死んでた少年だったので、つまり全くそんなことはないが。

 

「まァそもそも場地は、あんときにはもう東卍(トーマン)を辞めてたから」

 

 ただ〝東京卍會の壱番隊隊長〟のイメージは確かに強かった。そういや辞めてたわ。

 抗争に顔を出してたはいたがあれは救心が必要な場面でもなかったので確かにノーカンだろう。

 

 救心ネタはいい加減にするとして「つっても突き離してもいざとなったら勝手に突っ込んでくるのは、南朝宣戦布告の件でよーくわかったし……」明らかに呆れたトーンで三ツ谷は旧友を評価する。

 なんなら三ツ谷が伝え聞くに、場地が警察官になった経緯も〝旧友たちを止めるため〟らしい。三つ子の魂百までとはずいぶん現実に即した慣用句だ、といっそ感心すらした。

 

「チームに関係なく動けるって意味でも、わざと部外者扱いで残しといたのは、ある」

 

 腕組みをした三ツ谷は目を瞑った。彼は、瞼の裏で過去を想起している。

 

「んでマイキーはこっちも簡単。総長だから、迂闊に動かしちゃならねえ。でも当時のアイツ本人はあんまりさあ、ぶっちゃけジッとしてるのマジで嫌いだったろ? ホッント毎度毎度俺らが止めても突っ走って」

「あ、ハイ」

 

 ハイ。

 花垣は思わず素直に頷いた。

 

「マイキーと場地がダメで、俺に連絡が来たのは、まずあのときの東卍(トーマン)幹部の中でも創設メンバーで、要するに信用があったから。東卍(トーマン)の中での発言権も強かった。それと……三途がスパイとしてついてった、なんて突拍子もない話を信用するとしたら、俺だったから」

 

 十二月初めの日、早朝にかかってきた一本の電話。明らかに普段とは様子の異なる三途春千夜。

 あの日、三ツ谷隆を品川の埠頭まで導いた原因。

 

 あれがなければ三ツ谷も、三途が裏切った、という点に疑問を抱くことはなかっただろう。なにせ伍番隊の副隊長とは、武藤の言うことをよく聞き、敬い、従う、忠実な右腕だった。

 

 日頃はほとんど見せない万次郎への執着と、極悪の世代を調べた形跡がうかがえる、あまりに一方的な連絡さえなければ——そんな主張信じると思われているのか、嘗めてるのか、と一喝した可能性のほうが高い。結局のところ三ツ谷もまた、多少短気で、なにより東京卍會を大切にしていた。甘く見られたと思った瞬間キレると確信できるくらい。

 この点も踏まえて、副総長だったドラケンに連絡が行かなかった理由はそこだろうな——と、三ツ谷は思っている。ケジメを重んじて実行することについては、左側頭部に龍を飼うおとこの方が苛烈である。

 

「そういうわけで、確かに俺には三途から情報が流れてた。俺は天竺の動向をうまく伝えて、それか意見に反映して、伝えた。……途中まではよかった。十日の魁前哨戦は万全に備えて返り討ちにした。十七日の奇襲だって怪我くらいはしたけど、それも上手く行ってると見せかけるためで、抗争当日戦えねえなんてザマにはならなかった」

 

 三ツ谷の語調は冷静だ。しかし直人はより気を張り詰めて、三ツ谷を観察していた。

 

 情報共有の際、三ツ谷隆は確かに気のいいおとこだと花垣からは聞いていた。

 なるほど適度にユーモアのある物言いと、険のない態度、ほとんど言い淀む様子のない自信を持った喋り方。頼りがいのある兄貴分じみて(それこそ、花垣とは違って)スーツがアルマーニのオーダー物でなければ、会社員やアパレル店員としても溶け込めるだろう。

 ただ……躁状態じみた、平常とはかけ離れた振る舞いのようにも見えた。直人には。

 

 ちょうどそのタイミングである。

 

「全部狂った。二〇〇五年のクリスマス・イヴ」

 

 聴衆二人の背筋に怖気が走った。

 三ツ谷の声色は、ゾッとするほど無感情だった。

 

「あの日、あのとき——うん、よく覚えてる。抗争は、二〇〇五年十二月二十五日の零時丁度、横浜の倉庫街で始まる予定だった。……予定だったよ。二時間前の十時十二分、エマちゃんが意識不明の重体で運ばれるまで」

 

 ——二〇一七年の佐野エマと花垣武道は、会うどころか、名前すら一度たりとも出たことがない。

 

 分まで細かく取り出された記憶。

 それだけ鮮明に脳裏に焼き付いている。たとえ十二年前の出来事だとしても。

 

「背後から襲われて頭ブン殴られた。命からがら逃げ出して、頭から血ぃ流してる女とか、普通にヤバいと思ったんだろうな、通行人が通報したんだと。救急車で運ばれた。抗争どころじゃなくなった」

 

 淡々としている。ただ事実を述べているだけの口調だった。

 事実を述べるだけに努めて、感情を抑え込む口調だった。

 

「固まっちまったマイキー……——当たり前だ、俺だってルナやマナがああなってたら、しかもたった一人の妹だ——の代わりに大寿くんが抗争中止を知らしめた。天竺の方は、鶴蝶……イザナくんの右腕が制した。エマちゃんはそのとき、一命は取り留めたけれど、目を覚まさなかった。植物状態の診断が下った」

 

 三ツ谷はそこで一度口を噤んだ。何度かまばたきをする。彼の瞳は乾いていた。

 

「……一命を、取り留めた()()だった。布団に寝かせるだけなら誰でもできても、エマちゃんの状態じゃ三日と経たずに死んだだろう。でも、入院は……金がかかる」

 

 俗な話だ。

 そして、当たり前で、避けては通れない。

 

 何事にもコストはかかる。高水準の医療設備や技術を彼らが持ち得ない以上、誰かに代行してもらう必要がある。そのぶんの対価が必要になる。

 

「生命維持装置もタダなわけじゃない。俺たちは、どいつもこいつも中坊で、金はそこらへん掘ったら出てくるわけじゃない。あのとき……逸早く稀咲が提案した。黒龍(ブラックドラゴン)のメンバーは金を稼ぐのに慣れてるから、協力してもらおう。ノウハウを使って入院費を稼ごうって。……黒龍(ブラックドラゴン)のビジネスが犯罪じみてるのは知ってた。知ってて、俺たちはその案に乗った」

 

 稀咲——花垣はつばを飲んだ。

 稀咲鉄太が完全に東京卍會に食い込んだ、少なくともその目的を完全に達成した、明確なタイミングがあるとすれば、そこだったのだろう。

 

黒龍(ブラックドラゴン)は俺たちの提案に応じた。この件に関しては黒龍(ブラックドラゴン)の乾も九井もやけに協力的だった……天竺も乗った。イザナくんは、赤の他人とは言ったけど、そんでも、エマちゃんのことは嫌いじゃなかったらしい。チーム自体はそれぞれ一旦解散して、洒落にならない道に、不良どころじゃねえ悪をやることに、賛成する奴らだけでチームに直した」

 

 空調がきちんと完備されていて、室温は二十度ちょっとを保っている。直人は未だコートを着たままで、暑いくらいだったが、脱ぐ気にもなれなかった。

 

「喜ばれるわけなかった。エマちゃんが起きてたら止めたんじゃねえかな。平手打ちか、蹴りのひとつくらい飛んできたかも。気ぃ強かったからな……」

 

 再び、まばたきを繰り返し為した。それから三ツ谷は目を伏せた。

 

「あれは俺たちの我儘で、エマちゃんは、あのとき喋ることもできなかった。……東京卍會は暴走族のチームじゃなくて、犯罪組織になった」

 

 十二年前——東京卍會が、巨悪に至る契機。

 

「……エマちゃんを襲ったのは、誰だったんですか?」

「わかってねえ」

 

 花垣の問いかけには首を横に振られる。

 

「目撃者はいなかった。頭殴られたってのも、怪我の位置が後頭部で、どう見ても撥ねられたんでも自分で蹴っ躓いたんでもない状態だったからだ。天竺のやつかも知れねえし、関係ない第三者だったかもしれない」

「なら……稀咲が指示したってことは?」

 

 花垣は、敢えて踏み込んだ。

 今までの会話をみれば、思惑はさておいても振る舞いだけならば、稀咲鉄太は東京卍會の恩人かつ立役者だ。あまりに不敬かつ失礼な物言いだ。

 

 しかし三ツ谷は咎めなかった。

 

「……そうかもしれねえと思ったことはある」

 

 むしろ彼はそう続けた。

 

「あいつはなにかと……いろいろタイミングが良すぎた。ぱーちんの保釈の件といい、8・3抗争での警告といい、ハロウィンでマイキーを助けたときといい、なんなら八戒にもなんか言ってたみたいだし。三途の話じゃ、宣戦布告の時点で天竺とも内通してた……さすがに天竺の方にはなに企んでんだぐらいの警戒されてたっぽいけど」

 

 八戒と稀咲の関わり、また天竺と稀咲の関わりについては、花垣は把握してこそいなかったが、そうであってもおかしくはないとも考えていた。緊急招集された公園での幹部会議の手回しの良さったら!

 

 案の定、背後から手を回していたことに、期せずして答え合わせが成る。

 

「助けるためっつったって、いきなり犯罪で稼ぐとか言い出したのも、東卍(トーマン)をこんだけデカくするためのプランを十二年前から考えてたのかもな。でも……あのとき、よりにもよって俺らがそれを稀咲に言う権利はなかった」

「よりにもよって……」

「本当に、覚えてないんだな」

 

 三ツ谷の言葉は決して責める口調ではなかった。彼本人としても事実を再認識、再確認しただけのこと。

 ただ……花垣としては少し居心地が悪い。誤魔化すように椅子の上で少し身体をずらした。

 

「……十二年前、部長くんが死んだこと、大寿くんと柚葉が説明しただろ。俺たちは、あれが事故だってことを知ってる。結果として殺されてるのは確かだけど——()()()()()事故だった」

 

 それから三ツ谷はある単語を口にした。一人の名前じみた発音に聞こえた。「知ってるか?」と問われた花垣は、本当に記憶にないので否定を返す。

 直人も訝しげな表情を浮かべていた。彼もまた知らない名前だ。

 

 彼らの答えを予想していたように、三ツ谷は正解を開示した。

 

「部長くんを刺した犯人の名前だよ。大寿くんの言う通り、留置場で首吊って死んだ。……ぱーちんの親友でもあった」

 

 名前には聞き覚えがなかったが……その肩書は、花垣にも聞き覚えがある。記憶を辿る。

 辿って、そして、気づく。

 

 花垣の体感でもそろそろ四ヶ月は前になる。二〇一七年はもちろん、二〇〇五年十二月時点にも、既に存在しないチーム。

 タイムリープを原因とした事象分岐による消滅ではない。抗争と、刃傷沙汰による頭首の引退、分裂ののちに芭流覇羅(バルハラ)へと統合され、更に東京卍會が吸収した——愛美愛主(メビウス)

 

 そのチームに目をつけられたひとりの少年がいた。

 

 当時東京卍會の参番隊隊長の立場だった、林田春樹と、友人だから。

 たったそれだけを理由に、徹頭徹尾被害者として消費された少年がいた。

 

 たったそれだけで退場するはずだった少年が、いた。

 

 

 

  たとえば知らない過去の件

 

 

 

 彼——この物語において、具体的な名前が敢えて提示されることは、ない。

 

 あるべきだった道筋では、伝聞でのみ登場しただけの人物だ。

 どこかの誰かには舞台装置として忘れ去られた少年。もしくは他の誰かには、ハッピーエンドに至る過程で救われたと信じたい存在。

 

 とりあえず、ひとまずは〝親友君〟と呼称しよう。

 

 前提をおさらいする。あるはずだった世界における〝親友君〟は、暴走族でもなく、まるで落ち度のない純然たる被害者だった。

 ただ友人が不良で、東京卍會の幹部であったがために、ほとんど無関係だったはずの交際相手までもが巻き添えに嬲られた。親兄弟を含めて恐喝され、際限なく金を巻き上げられた。少しでも反抗し、従わないとみるや否や、すぐさま制裁を下された。

 

 ……加減のない暴力は下手をすれば死を招く。そうでなくとも、後遺症が残ることだって十二分に視野に入るだろう。

 寺野南が、黒川イザナが、灰谷兄弟が、羽宮一虎が、佐野万次郎が——暴力がもたらす不幸を証明している。

 

 路地に放置された少年少女は、無辜の第三者が発見し、通報した。花垣もまた覚えている。まだ8・3抗争以前の話だ。

 集会で声を限りに悔しさを叫ぶ林田。仲間のためにと湧き上がる東京卍會構成員たち。真っ向からぶつけられる言葉に、反論を放ちかけた総長と、その頭を抑えてただ謝罪に徹した副総長。抗争を止めるべきだと迂闊にのたまって、ぶん殴られた痛み。刺された長内。手錠をかけられた林田。

 

 当時東京卍會でもなかった花垣は、万次郎と龍宮寺の仲違いさえ防げばなんとかなると、そう信じていた。

 龍宮寺の付き人になると息巻いて、彼と万次郎のあとをつけた。

 

 ゆえに〝親友君〟の恋人に起きた惨状を見た。

 

 頭七針に歯牙破折、左目網膜剥離、全身打撲、肋骨骨折。

 羅列した症状は一部でしかなく、数多の傷を負った彼女は、何日も昏睡していて、目を覚ましたのか花垣は知らない——〝親友君〟の怪我について聞く機会はなかった。しかしおおよそ察せられるだろう。おそらくは大差もない。

 

 万次郎や龍宮寺は〝親友君〟の恋人の見舞いに行った。東京卍會としての責任を取るためだ。〝親友君〟の恋人、彼女の父親には散々に罵倒されていた。東京卍會であったからだ。

 

 もちろん彼らとて、仲間の友達に恋人に危害を加えられたのは不本意で、愛美愛主(メビウス)を許せるわけもなく——しかし。東京卍會と関わりがあったから狙われた、それは正しかった。それだけは正しかった。自らの因縁に周囲を巻き込んでしまったのは、疑いようのない事実だった。

 

 そして。

 ——純丘榎は、

 

「部長くんが刺されたのは、二〇〇五年の十二月二十四日、夜。滅多刺しってのもそうだけど、なにより刺された位置がまずかったみたいで、直に亡くなった」

 

 こちらは時刻は提示されなかった。

 とはいえ十二月下旬、更に夜ともなれば、あたりは冷え込む。失血はもちろん、低体温症、破傷風等も危惧されただろう。

 

「あのひとホンットに実家と仲悪かったから、ケータイに家族の連絡先入ってなくて、身分証から連絡つけて……親御さんから弟の稀咲に連絡が回って、俺たちが部長くんの状況を知ったのが、次の日の、いつだったかな」

 

 こめかみを何度かこすって、三ツ谷は溜息を吐いた。十年余りの歳月ぶんの重さが混じった吐息である。

 

「悪い。あのとき、あんまり一気に起きすぎて、このへん細かいとこは覚えてねえ」

「いえ、」

 

 間髪入れずに応えたのは直人だ。否定形を以て答えて、そこで押し黙る。

 

 どう続けるべきか、直人は考えた。

 今このとき、話には聞いていても初対面の相手に、なにを言うべきか。

 

「……とにかく、」

 

 考えている間に三ツ谷が再び口を開く。直人は開きかけた唇を結び直した。

 

「部長の件は通報が早かったし、犯人が逃げなかった。だから現行犯で捕まって、すぐに死んじまってた。警察もほとんど聴取できなかったっぽいけど、ただ……ぺーやん覚えてるか?」

「林くん、スよね」

「そ」

 

 花垣が知る二〇〇五年十二月一日時点では、林良平は参番隊副隊長である。

 

 8・3抗争で愛美愛主(メビウス)に加勢し、龍宮寺を刺した不祥事をもとに、期間限定で参番隊副隊長ではなく弐番隊預かりの隊員だった。

 三ツ谷と林、そして林田も同じ中学で、その縁により三ツ谷が引き受けたという経緯になる。

 

 ……直人曰く、二〇一七年時点では、林良平もまた東京卍會の幹部になり、やはり先日殺されていた。

 

「ぱーちんにいっつも引っ付いてたから、そのノリで三人ともまァまァ仲良くてさ。事件の前の日に、ちっちゃな手帳みたいなノート、渡されてたんだって。持ってきてもらって、開いてみたら……ビッシリ、愛美愛主(メビウス)のことが書かれてた」

 

 喉の奥で不意に笑って「ほんとビッシリ。ひと目見てうわコレヤベェってわかるかんじ」面白がるように言葉を続ける。

 

 しかし三ツ谷の表情は無感情から動かない。揺らがない。声色も淡々としたまま。

 表情と声色を合算した上で評価するなら、到底、面白がっているようには見えない。

 

「長内のこと、稀咲のこと、半間のこと、他の構成員のこと——一人で全部、地道に調べたってのがよくわかった。けど、あいつ本人はゾッキーでもヤンキーでもないくらいだったから、ちょくちょく間違ってた。S63世代の長内たちと、H2世代の稀咲たちが、愛美愛主(メビウス)末期には対立してたことすら書かれてなかった」

 

 そんでも、と三ツ谷は言葉を続ける。

 

「稀咲と部長くんが兄弟ってのは、書いてあった。あの苗字早々ないから調べんのは簡単だったのかもな。部長くんは、純丘ってのは勝手に名乗ってただけで苗字変えてなかったし。実際ぱーちんの家との家庭教師契約は本名だったらしいから、親友の縁で、親御さんから聞いたかもしれねえ」

 

 確かに——花垣は思う。

 確かに〝親友君〟とその恋人と揉めたのは、長内一派である。理不尽な目に遭わせた。遊ぶように甚振った。その果てに林田に刺された。

 

 しかし、

 

「今考えると、長内の件だって、稀咲は最初っから仕組んでたのかもしれない」

 

 花垣の思考を読んだように、三ツ谷がそう述べる。

 

「八戒にやったみたいに、ぱーちんが長内のこと刺すように唆したのかもしれねえし、なんなら長内が東京卍會の関係者を襲ったのも、稀咲の手が入ってるかもしれねえ」

 

 彼の視線は目の前の花垣や直人を通り越して、個室の壁を見つめていた。

 

「あいつは確かに頭がキレるやつで、腹の中でなに考えてるのかわかんねえし、裏工作が大得意だ。東京卍會をここまでやってきて、よくわかった」

 

 少しだけ間があった。

 再び続いた台詞の冒頭は「それでも、」——逆接だ。

 

「あんとき、テメエの兄貴の死亡報告を受けた稀咲が……本気で動揺してたのはホントだった。部長くんが、純丘榎って呼ばれてたあのひと自身が、ほとんど知りもしねえ他人から、滅多刺しにされて殺されるようなことしてなかったのは事実だった」

 

 三ツ谷の掌が自らの額を覆う。深々と呼吸をひとつして、そうして彼は、声を絞り出した。

 

「俺たちが、ずっと復讐を考えて、誰かを殺そうとしてる友達に気づけなかったのは、事実だった。復讐の巻き添えに、知り合いが殺されそうだって、ちょっとも気づけなかったのは事実だった。あのひとが巻き込まれただけなのは、事実だった。だからあれは——事故だった。俺たちのせいで起きた事故だ」

 

 二〇〇五年十二月二十四日。

 聖夜と呼ばれるはずのその日、純丘榎は殺された。稀咲榎は殺された。

 

 同時に、それは事故だった。純丘本人には原因がなく、理由がなく、非がない、巻き添えと八つ当たりじみた事故だった。

 

 純丘榎の死に関する東京卍會の極めて矛盾した主張、その内訳である。

 

「二〇〇五年、十二月、二十五日には。クリスマスには。稀咲榎がもう死んでいて、エマちゃんはまだ生きていて、俺たちは喧嘩はできても人の命ひとつ救う方法も知らねえ馬鹿野郎どもで……エマちゃんを生かし続けるための方法を提案したのが稀咲だったのも、事実だった」

 

 しばらく、沈黙が続いていた。

 

 ぐるぐると腹の中で、頭の中で、身の内側全体を通して感情が撹拌されている。ともすれば視界まで回るような、目眩じみた感覚に支配されて、思わず花垣は目を閉じた。

 

「……あなたの話は、よく、わかりました」

 

 沈黙を破ったのは直人だ。

 感情を抑え込んで、声色は平坦に、冷静だった。

 

「でも……僕には理解できません」

 

 すべてを押さえ込んでなお、彼の双眸だけはたしかに燃え盛っていた。こうこうと、瞳の奥では感情が煮えている。

 注ぎ込まれて、撹拌されて、生まれたいくつもの感情を、言葉として出力する。

 

「無関係の第三者を巻き込んだことを、そこまで後悔していながら、無関係の第三者を巻き込むような組織を運営し続けていることが、理解できません。無関係の第三者……橘日向が——姉さん、が、殺された理由も。わかりません」

 

 直人は、おそらく、この場で最も清廉潔白な経歴のおとこだ。

 

 暴走族だったこともなく、真面目に塾に通い、多少オカルトに傾倒していた以外に特筆すべきこともない。警察官を目指したのは私情だったが、とはいえ職務に極めて忠実に向き合い続けた。かつて伝えられた、二〇一七年七月一日を記憶したまま——あの日、直人は、自らの命だけはとりとめた。

 姉の命は、とりこぼした。

 

「それにあなたがた、つまり、佐野万次郎の妹のために東京卍會を犯罪組織にしたんでしょう。生かすために。取りこぼさないために」

 

 ともすれば震えそうな声を、無理くり抑え込む。内側に閉じ込められて、あふれそうな感情を、言葉に変えて出力する。

 

 直人は怒っていた。身中で渦巻く感情を統合し、結論を出した。直人はそれを激怒と名付けた。

 激怒の内側は、私情と義憤に満ちている。

 

「だっていうのに、今更なんで幹部は次々に死んで……松野千冬も、羽宮一虎も、死んでるんですか。殺されてるんです、か?」

 

 彼と千冬や、一虎の付き合いは、ごく短い。場地を経由で紹介されて、組対所属の警察官と、情報提供者であり協力者。ある種ビジネスじみた関係である。

 と同時に、なにせ相手は日本で名高い反社会的勢力だ。ともに歯向かう彼らは、一種の戦友でもあった。

 

 世話になった人々を。かつての友人たちを。正しい道に引き戻そうと、助けようと、どうしようもない状況で自らもまた罪を冒しながら、それでも藻掻き続ける努力を知っていた。

 もちろん東京卍會との関わり自体が危険な以上、生死のリスクは織り込み済みで、その死を受け入れていて——それでも怒っている。理不尽に失われた命に怒っている。

 

 直人の姉も殺された。彼女に至っては、なにもしていない。

 直人は知っている。橘日向は酷いことをするようなひとではなかった。悪いことなどしていなかった。むしろ、間違っていれば物怖じもせず立ち向かい、どころか叱り飛ばすようなひとだった。

 そりゃあ確かに花垣に憧れるのはだいぶ見る目がないな、なんて幼心にも今にも直人は思っていたが、それでも当の花垣武道も、決して最悪ではなかった。悪事を為せるにんげんではなかった。本質的に、悪に惚れるひとではなかった。頑固で、筋道が通っていて、度胸があって、芯を曲げぬひとだった。

 

 直人の姉だった。たったひとりしかいない姉だった。

 喧嘩をして一週間口を利かなかったことがあった。趣味が合わずにお互いを白い目で見たことがあった。別に全部が全部好きでもなかった。

 

 死んでほしいなんて、思ったことも、ない。

 

 姉を形容する言葉すべてが過去形の中、これだけは。こればかりは。

 直人にとって過去にしたくもない感情だ。

 

「……ヒナちゃんが殺された理由は、俺もわからない」

 

 三ツ谷は、答えた。直人の、半分はどうしようもなく正しくて、半分は当てつけでしかない言葉たちを、真正面から受け取った。

 彼の瞳がまっすぐに直人を見返した。

 

「ヒナちゃんの件に俺は関わってねえけど……稀咲が指示したのは知ってる。あいつにはなにか理由があるんだろう。でも、その理由までは俺にはわからない。稀咲は秘密主義で、自分の考えをほとんど口にしない」

 

 前々から聞いていた稀咲の評判と合致している。

 東京卍會の幹部としての花垣が、日向を殺してしまった二〇一七年でも、理由は明確には説明されず、ただ殺せと指示されていた。

 

「ただ。……あの頃の東卍(トーマン)のメンバーを、いま、一人ひとり殺してるのはマイキーだろうな。そっちは簡単だ」

 

 続いて三ツ谷は首を振った。肯定否定の意味ではなく、どこか疲れた仕草に見えた。

 

 彼もまた、彼なりの理由により、旧友の凶行を疑っていない。

 しかしそこに怒りもなかった。まるで遣る瀬無い口振りだ。慮る心すら窺えた。

 

「おまえの言う通り。東卍(トーマン)ができたのは、エマちゃんのためだった。だから……()()()()()()()()()()()()()()()()()()。もともと、容態だって金に物言わせて無理くり安定させてたんだ」

 

 察するものがある。察せられてしまうものがある。

 佐野エマのために作られた、直人はそのように評した。三ツ谷も、それを肯定した。

 

 この分岐で東京卍會が維持され続けた理由は、意味は、佐野エマだった。——であれば。

 

「最初に殺されたのはドラケンだった。エマちゃんが——十二年越しに。本当に死んじまった、その次の日だ」

 

 数多の感情を、言葉を、事実を、どろどろと煮込んで、煮詰まって、どす黒く染まりきった塊。

 不幸は連鎖し、重なり、山となり、それと比例する。

 

 佐野万次郎の内側で、ゆっくりと育まれ、肥大化した呪い。ひとつひとつ、箍が外れて、鍍金が剥がれて、衝動となって現れる。

 

 もはや止まらない。

 宿主が亡くならぬ限りは。




規約だとダメ
:LINE利用規約「14. お客様の責任」2の(2)より

あのときのトーマン幹部
:壱番隊花垣武道、松野千冬
 弐番隊三ツ谷隆、柴八戒
 参番隊稀咲鉄太、林良平
 肆番隊河田ナホヤ、河田ソウヤ
 伍番隊武藤泰宏、三途春千夜、もとい双方欠番
 陸番隊半間修二

ぱーちんの親友
:作中、何度も繰り返して出したのでもちろん覚えていらっしゃるかと

二〇〇五年の十二月二十四日
:聖夜

愛美愛主末期には対立してた
:5巻40話
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