思惑衝突事故寸前
「タイムリープのことをなんで知ってんのか……とでも? にしたって
「言、」
ったかどうかというと、ガッツリ言ったが。
「……千冬はそう簡単に教えるやつじゃねえッスよ、
「……」
花垣の反論に慶三は眉を上げた。
想定したよりもはっきりとした口調で花垣は断言した。己が友人はそんな信用のない振る舞いはしない、と確信した物言い。確かに構築された信頼関係をもとにした言葉である。
腕組みをして、どこかもったいぶったような仕草で「確かに、」と彼は言う。
「松野に聞いたわけじゃねえ。ところであいつに言ったのはマジなんだな」
「バッカ」
「ゲ」
そしてこれはお手本にできるくらいストレートにカマかけに引っかかった図。
決めるときは確かに決める。けれどもその素行もそうだが、こういうところでボロボロ迂闊がこぼれるので、直人は義兄(仮称)に対して未だにコイツ……の目を崩さないわけ。
「十二年前の花垣は、ときどき妙なコトをしてたっつうのを聞いてた」
さておき慶三は話を続ける。なり損ないの義兄弟コントに拘っている場合でもない。
「愛美愛主のことに首突っ込んだとか、突然場地だのの事情を詮索したとか、
「……それで武道くんの素性について勘繰った、というのはわからなくもありませんが。だとしても一足飛びに〝花垣武道はタイムリーパーだ〟なんて結論に至りますか? 武道くんと面識もなかったあなたが」
当時の直人が花垣の言葉を素直に信じたのは、オカルトかぶれで、未来から来たなどという現象に多大なる夢を持っていたからだ。自分は手も足も出なかった不良を追い払った花垣に、ある種の憧れじみた感情を抱いたからだ。花垣の言葉があまりに真剣で気圧されたからだ。
いずれの要素も欠けている。
信じるに足る下地がなく、信頼を築いた時間もなく、信用を補完する強烈な印象もない。
「俺もタイムリープに関しちゃ教えられたクチだ。実際見たわけでもねえ、未だに半信半疑」
スポーツジムの暗がりにも慣れてきたが、やはり暗いものは暗い。表情の機微はわかりづらい。慶三と彼らは初対面なので、経験から類推して予測することも難しい。
「けどなァ花垣……俺がレスラーだとか言ったな」
「ハイ? ハイ」
「〝フツーに有名〟」
「そりゃ、ワールドプロレスリングにも出てんすから……?」
明らかになんらかの意図を含んだ質問の重ねがけに「——武道くん、」先に気づいたのは直人だった。
「君がプロレスラーのベンケイの名前でも姿でも、最後に目にしたのはいつですか?」
「六月半ばくらいの」
花垣の言葉は途中で停止した。
プロレスラー〝ベンケイ〟がレスリングの試合に出場していたのを、テレビ中継で見たのが最後だ。
六月半ば、六月半ばである。西暦を明言してはいないものの、花垣にとって未だ今年のこと、二〇一七年の六月ごろが該当する。
それすなわち、橘姉弟が死んだニュースを目撃する以前であり、花垣が線路に落下する以前であり——最初のタイムリープより以前の話だ。
七月から八月はタイムリープを繰り返して、二〇一七年に戻ってきても直人との情報共有が優先だった。八月から十月まで長いこと現代に留まっていた時期は、日向の死を真正面で目撃して、受け止めて、その咀嚼に忙しくテレビの内容なんて耳を素通りする。
十一月に至っては殺されかけて過去へのとんぼ返り。十二月にようやく現代に戻ってきてからは一日にも満たず、その間はアルバイトと情報共有と三ツ谷隆との面会、働き詰めだ。
タイムリープ後に〝ベンケイ〟を観測したことはない——多忙のせいではなかったとしたら?
しがないフリーター花垣武道ですら、東京卍會幹部に至る未来があった。現在があった。過去があった。
死人だったはずの場地圭介は警察官に成り上がり、
それが他の誰もに影響しないとどうして断言できるのか?
「俺がレスラーの真似事してたのはもう十何年も前だ。プロデビューってほどでもねえ、単なるアマチュアの小遣い稼ぎ。テレビも出たことねえ。週刊誌にすっぱ抜かれるくれェか? 誘いをかけられはしたが、そんなヒマもなかったんでな。カタギに戻らねえと決めてから、ワカ共々、ジムで教えることもなくなった……でもオマエは、プロレスラーだっつったな。有名で、教え子も何人もレスラーになってるだとか」
〝存在するのに、有名なのに知らない〟はありえる事象だ。それこそ、少し前の直人と花垣の会話が良い例だろう。
誰もが全知全能なわけでもない。知識を取りこぼす可能性はどこにだってある。
けれども〝存在しないのに知っている〟となれば話は変わってくる。
「だから俺は、タイムリーパーとかいう妄想モドキも半分ぐらいは賭けてもいいと思ってる。思っているから、テメエらにも聞きたいことがある。そのぶんの無事は俺が持つ。わかったか?」
言うだけ言って、慶三は立ち上がる。
「マシンに寝るのは寝ぼけて怪我すんのが関の山だから、やめろ。マットは勝手に使っていい。あとその扉がスタッフの仮眠室とシャワーだ、ただ水道のメーター見られても困るから使うならジムスタッフが来てからだな。本店なら俺の部屋がまだ手つかずだったろうけど、分店には元から作ってねえ」
「ちょっ……俺らスタッフが来るまでいるの決定なんすか」
「俺もさすがにその前には出てェが。昔ヤンチャしてた野郎は多いにしたって、カタギだ」
線引ははっきりしているらしいが「けど」と慶三は言葉を続ける。
「ここまで追い詰めといて見失った以上、しばらくアイツら辺りうろついてんだろ。帰れやしねえ」
冗談でも脅しでも誇張でもない。彼らが話している間にも、時折、怒声がジムの防音を貫通している。
「テメエらも神経やられてっからこんなカンタンなボロ出しまくってる。俺だって早く済むんなら済ませたかったが、ンな野郎どもからイロイロ聞き出したところで話ゴチャゴチャしてわかるモンもわからねえよ」
あいにく、花垣がボロを出しまくっているのはわりと素だ。
とかいう台詞が直人も花垣自身も喉まで出たが、ちゃんと口を閉ざした。
立て続けに情報を叩き込まれて、命の危険にも晒されて、この数時間で彼らが疲弊しているのもまた事実だ。
「タイムリープっつうのがオタクかぶれの下手な言い訳なら適当に放り出してもよかったけどな。ガチのマジならそうもいかねえ」
「オ、」
「ハイあざっす、お世話になりまーす」
SFに一家言ある直人が〝オタクかぶれの下手な言い訳〟に噛みつきかけた気配を察知して手のひらでばちんと口を塞いで花垣が早口に礼を述べる。ここまで一秒。
さすがにこの暗がりでも、慶三が妙な顔をしたのはわかった。特に追及はなかった。
ヤクザに真正面から噛みつこうとするなよ! とは不良に真正面から噛みついてきた花垣の内心の所感である。
どっちも大概だよ。
思惑衝突事故寸前
指定されたマットを引っ張り出しながら「……つうか」と口を開いたのは花垣だった。
「タイムリープしてなかったら、俺ら放り出されてたってこと……?」
「……武道くんは佐野万次郎に狙われているので、下っ端には逆に殺されなかったかもしれませんね?」
「ナルホドナー!」
空元気じみた冗談と、ヤケクソの相槌を打って、二人はふと一呼吸置いた。
気を休めなければいけない。それはわかっている。
十二分ではないが、一時的に休める空間だ。それもわかっている。
……今しがたの出来事が断片的にも脳裏を過る。咀嚼して受け止める暇もなく、茶化して追いやるしかなかった数々のことが、沈黙のうちに蘇る。
「……佐野エマと、稀咲榎の件は、警視庁の調書を探せば別の情報も手に入るかもしれません」
頭を振って、直人はハキハキと話し出す。
非現実に直面したとき、人は頭の一部の感性が極端に鈍ることがある。直人の場合はまさにそう。
あるべき感傷は消し飛んで、思考は不自然にも冴えている。平常の精神状態とかけ離れている自覚はあるが、皮肉なことに、情報の整理にはきわめて適していた。
「明確な事件性があり、通報もされている。少なからず警察の介入があったはずです」
「……そのへんはおまえに頼むしかねえか。ア、イヤ、場地くんに取ってきてもらうのは?」
直人の調子に引きずられるように、花垣も自ら提案する。
「話通しといた方が動きやすいだろうし」
「……いえ、わざわざ頼るまでもありません。手が空き次第僕がどうにかして取ってきますよ。それはそれとして、あいつから当時の状況を改めて吐かせることも考えれば、どこかで落ち合う必要はありますね」
「吐かせる」
「どこかで締め上げる必要はありますね」
「言い直すのってそっち……?」
「ところで武道くん、君、自分以外のタイムリーパーに出くわしたことはありますか?」
明らかに切り替わった話は、とはいえ確かに気になる点ではあった。
「……ねえよ」
花垣は首を横に振る。
マットはトレーニングスペースに敷き詰めるようにして敷いた。ジムの備品なだけあってちょっと汗臭い。
「ねえっつうか、てかタイムリーパーかどうかってわかんなくね?」
「それはそうですが」
「……ぶっちゃけそれで言うなら、ここまで都合よくイロイロ阻止してくんだから、稀咲っぽいなって思うけどよ……あいつ、今回殺されてるんだよな? だったら半間とかなのかも……」
「……なるほど。ちなみに半間も殺されています」
「……あのゾンビが? ……てか、じゃあいねえんじゃ?」
「……彼ら、気になる話し方をするんですよね」
直人は意図的に声をひそめた。
「柴柚葉もそうでしたが——というか、君の通話に割り込んだときの物言いを考えれば、彼らの情報源は同一と見た方が良さそうですが——明らかに、誰かから情報提供を受けたとばかりの口振りです。タイムリープを実際に体験したか、君が松野千冬に話したように、タイムリープという現象の存在に関して、確信を持てるような出来事に出くわした人間から、既に話を聞いている、と見るのが最もありえる線だと僕は思います」
「……なるほど?」
「となれば疑問がひとつ。何故、わざわざ面識もない武道くんに会いに来たのか……タイムリープの情報を聞くだけなら、手近で済ませませんか?」
「それは……確かに、」
花垣はマットの上に胡座をかいた。
直人は、コートのしわをあえて伸ばしてから座る神経質さを見せた。
「それに先程ベンケイは、武道くんがコトを引き起こしているか、あるいは未来をわかったように動いていたから、タイムリーパーではないか疑念を持った……というような話をしていました。しかしそれらの条件であれば、君が提案したように、稀咲もまた当てはまるはずです」
それこそ稀咲は事を起こしていた側だが。
花垣が策を打ち砕いても、二手三手とまるで思考を読んだかのように布石は敷かれていた。稀咲がずいぶんと都合よく先手を打ち続けるからこそ、花垣だってタイムリーパーではないかと疑った。
三ツ谷の口振りからも、東京卍會内部、
であれば、タイムリーパー候補として名前が挙げられてもおかしくないだろう。
「あいつがタイムリープの情報提供者ってことか? ……でも殺されてるし、柚葉も、稀咲じゃないってのは言ってたろ」
「僕が気にかかるのはまさにそこです」
語尾に被せるように直人は言葉を重ねた。
「稀咲は既に死んでいるのに、彼の差金ではないとわざわざ示唆する意味がありますか? もうなにも言わない人間の指示を最初に危惧して、警戒を解く必要がない」
「なに言っ——まさかっ」
「静かに」
声を跳ね上げかけた花垣、制されて咄嗟に口をつぐみ「……悪い、でも、」とすぐに言葉を続けた。
「……アイツが生きてるって言いてェわけ? おまえが言ったんだろ、マイキーくんがみんな殺しちまったって」
「生存している可能性も視野に入れたほうがいい、ということです。断定はできません。保険金詐欺や戸籍売買、裏社会からの足抜け等、死を偽装する方法はあるにはありますし、実行されて摘発された例もいくつか。本当に殺されたにしたって、その前になにか手を打っていた可能性、そして稀咲を知る彼らがそれを警戒している、という線も否めない——」
直人の意見は慎重だが、並べ立てられる言葉はとっ散らかっていた。
言いながらも彼の視線がちらりとスタッフルームへ向けられる。
慶三は話すだけ話したのち、スタッフルームへと引き上げた。勝手知ったる様子は確かに、出店に際して資金を出しているだけあるのだろうが。
さて、席を外した理由は、単に花垣たちが休むために気遣ったのか。情報整理のタイミングを見越して、盗み聞きを目論んでいるのか。
そのいずれでもなく、彼は彼で、花垣や直人が同席していると不都合なことでもしているのか。
「——どちらにせよ、奇妙な点はそれだけではありません」
思案は続けつつ、直人は言葉も続ける。
「果たして彼らは、稀咲がタイムリーパーと疑わなかったのか。この件について探りを入れなかったのか。タイムリーパーの疑いがあれば助けるなら、武道くん同様、稀咲を助けなかったのは何故か。稀咲が生きているとすれば、あいつは今どこでなにをしているのか。前々から武道くんをタイムリーパーと勘繰っていたと言うけれど、その疑いは誰にどれだけ共有されていたのか」
一度冷静になれば、掘れば掘るだけ疑問が並ぶ。元々発端から奇想天外な物語は、いよいよもって奇妙な方へと既に舵を切っていた。
タイムリープと記憶の共有、情報交換を繰り返し、すり合わせて得るものがあれば、取りこぼしたものも少なくない。
「明らかに情報が足りません。ですから——今日のところは大人しく寝ましょう」
「……絶対そういう流れじゃなかったろ、今」
「これぐらい言っておかないと武道くんに差し迫った実感が湧きにくいと思ったので、親切ですよ」
そうか? 花垣は思った。
彼に自覚はないようだが、8・3抗争直後の彼の浮かれ具合を思い返していただきたい。直人は過去の出来事は知らないが花垣が稀によくちゃらんぽらんなのは知っている。
「ただ殺したいだけならば、それこそさっさと放り出せば済むはずです。僕たちは後手に回っている以上、今は相手の出方を探るしかありません。体力を温存、回復、サバイバルの鉄則です」
「サバイバル。……マァ合ってるけど、」
花垣はジロジロと直人を眺めた。いかにも疑わしげな顔をする男に「なんですか」直人は若干不快げに返した。
「おまえ神経質そうじゃん。寝られんの? ——イッヅ!?」
「静かに寝ろ」
「ッス……」
——スタッフルーム内で慶三はふと顔を上げた。
かすかに聞こえた声は、フロア内ゆえに防音が甘いだけで、店外には響きやしないだろう。しかし潜伏している自覚があるのやら。
『……ってオイ、聞いてんのか?』
「ここ十五秒は聞いてねえ」
『聞けよ……マァいい。起きたことはわかった。そんで、お前が見たあいつらの感想は?』
この旧知はいつだってどこか尊大な物言いをする。昔から変わらず、辟易としながらも未だつるんでいるのは、腐れ縁のなす業か、単なる利害の一致か、その両方か。
「ワカと似たようなもんだ。半信半疑、ただ言い分を聞いてからでも遅くねえな。……当たりだとしたらコッチの方がマシか。頭も人脈も立場も稀咲よりねえからコントロール効きやすそうだ」
『黒幕の台詞だな』
「そりゃオマエだろ、軍神様が」
12・1宣言
:「愛情は不毛にはなりえる」の一連の騒動を指す
ワールドプロレスリング
:テレ朝やその系列局で放送されているプロレス中継番組
警視庁の調書
:被疑者の調書は大抵検察に回すため、データ化して保管されている
保険金詐欺
:たまにいる
近年で有名なのだと、二〇二〇年に至るまでタイに十五年潜伏してた夫婦とか