「ベンケイから聞いてるぜ、武道と直人だろ。俺が明司だ。明司武臣」
軍神とまでいわれた男は、思いの外フランクに挨拶を述べた。
「ヨロシク」
ニッと笑みを浮かべて、握手を求める。まずは直人が応じて、花垣にもてのひらが差し出された。花垣は慌ててズボンの端でてのひらを拭って——手汗が気になったのだ!——武臣と握手を交わした。
二〇〇五年に飛ぶにしても事件が起こる日付は確定していて、今から改変するには情報が不足している。そして、今回の二〇一七年のスケジュールには、直人以外の面々も関わっていてあまりに読めない。
そもそも花垣らは情報収集にくわえて、万次郎に殺されないために潜伏し続けている最中だ。過去に飛んでいる間とて身体は二〇一七年に現存していて、もしもうっかり殺されてしまえば、戻りようもなくなる。
これらの理由により、花垣武道は、未だ二〇一七年にとどまり続けている。
今日は十二月十五日。クリスマスまで、残り十日を切っている。
「そういやワカはどうした?」
「若い衆だけじゃまだ回んねえとよ」
「忙しねえやつらだぜ。……っと、とにかく、望月のことだったな。アイツとは組の縁でなにかと縁があってな、おまえらの話も通しておいた。顔は出すだけ出すとさ」
三ツ谷隆とはどちらも隠れ潜みながらの密会だったので、風俗店の一室(そして、龍宮寺の過去の住処)での再会だったわけだが。武臣が指定した場所は、赤坂に暖簾を掲げる老舗の料亭だった。
出迎えの人々、広々とした座敷、料金の記されていないメニュー、すべてに花垣や直人が気圧される一方で「これぐらいはしとかねえとな」武臣は当然の口振りだ。
「相変わらずだな、オマエは」
苦言を呈したのは慶三だ。
「組の集会でもねえってのに。まさかとは思うが、この手配のために日数かかったとかじゃねえだろうな?」
「そう言うベンケイは相変わらずケチくせえなあ。金は天下の回り物だぜ?」
武臣のあっけらかんとした返しに、慶三は呆れたように首をぐるりと回した。付き合っていられないとばかりの仕草。
言葉は軽やかだが、軽口にしてはその声色には些か棘が含みすぎているようにも思えた。直人はこっそり眉をひそめた。
——気のせいだろうか?
「本気で連れて来やがった」
望月莞爾を花垣は顔だけは見たことがあった。十二年前の
今も巨躯には変わりないものの、髪を刈り上げていた。加えてスーツにネクタイをきちんと締めていた。
到着した彼は開口一番そう言い放った。ほとんど吐き捨てる勢いだった。
「ずいぶんご挨拶だな」
「ご挨拶にもなるだろ。そこのパンピーのザコか、」
ここで望月に指されたのは花垣だ。
「ポリ公なんぞに成り下がった場地か、どっちか。どっちでも、先に見つかった方がマイキーの次の獲物だ」
座敷に足を踏み入れこそしたが、用意された座布団に落ち着けることもしないまま、望月は皆をじろりと睥睨した。
「下手に庇い立てすりゃとばっちりを食いかねねえ、ンな状況で部外者もいるような店に本人連れてきやがって。抑えられたら終わりだぞ。顔合わせてる以上言い訳も効かねえ」
「そう力むなよ。コソコソしてる方が目立つときもあんだろ」
「ゼロか百しかねえのか? コッチの世界で過ごして何年だよ。テメエもだぞベンケイ、口車ばかりの泥舟に乗るのはいい加減懲りたんじゃなかったのか?」
「ああそうだな、今回きりだ」
がなり立てるとまでは言わない——むしろ、声はかなり抑えられている——が、明らかに怒気を含んだ物言いに口を挟む隙もない。
水を向けられた慶三が淡々と述べた。座布団に片膝をついていて、視線が望月をほとんど射抜くようにしている。
「それで、オマエもだ、望月。ここで蹴るだけ蹴って帰るのと話最後まで聞くのとじゃ、もう変わんねえだろ。来ちまった以上は駄賃は取ってけ」
間を置いて、音高く舌打ちをこぼした望月がようやく残りひとつの席についた。指先は机の天板を叩き始めた。どう見ても苛立っている。
「呑むか?」
「要らねえ」
お猪口を掲げた武臣は素気無く突っぱねられた。
「……明司から要件は聞いてる。十二年前の話を聞かせろってのがテメエらの要求だったな」
眉間を揉んだのち、望月が顔を上げる。今度は彼は、直人と花垣に順繰りに視線を向けた。
「マイキーの家族への襲撃と、純丘が殺された件。それで三途に確認を取らせろと」
「はい」
すぐさま直人が頷いた。花垣と直人二人を並べた場合、彼の方が弁が立つ。
「そして、当時は南朝天竺と名乗っていたあなたがただけがご存知の情報等もあれば、それも含めて」
「イザナか灰谷にか?」
「……灰谷? 十二年前から南朝天竺に所属していたのは、あなたも含め、現在の天竺派幹部全員がその通りでしょう。黒川イザナには、佐野エマや純丘榎との個人的な関連がある以上、余分に聞きたいことは確かにありますが」
「あー……なるほどな。そういやそうだ」
「そういや?」
「言葉の綾だよ」
直人の復唱に対し、煩げに望月は手を振った。膝を崩して、その場にあぐらをかく。
「それで、今更十二年前の話を聞きてェってのは。タイムリープだとかいうトンチキなオカルト由来か?」
さすがに二回目(場地をカウントすれば三回目)ともなれば、直人も花垣も、タイムリープの指摘で露骨に動揺を表に出すこともなくなった——が。
「……おかしいな、俺ァそこまで伝えた覚えがねえが」
ここで唇を歪めたのは、何故か、武臣だ。
「おかしいは、それこそこっちのセリフだ。まあ今のでだいたいわかった……」
望月は動じた様子もなく、自らのネクタイを緩めた。
「手ェ握ったら過去だの未来だのに飛べるだとか。ったくマンガか都市伝説かと言いてェところだが。俺の周りにも信じてるやつァいることにはいる。……笑い飛ばさなかったな。信じてるから乗ったか、テメェらも」
……いくつかの情報が齎されている。
望月も、タイムリープのことを知っている。どころか〝俺の周り〟——
それでいて、
望月のてのひらがスーツの内ポケットを探り、もう一方の手はテーブルの灰皿を引き寄せて、取り出した葉巻の先をカットし、炙る。そうして深く息を吸う様子を見せた。くちもとから紫煙が漏れる。
葉巻は煙を肺に入れないものなので、あたりに撒かれる煙の量は非常に多い。独特のかおりが鼻につく。
「だったら簡単だな、
「人聞きが悪ィな。確かに俺たちにも目的はあるが、だまくらかすぐらいなら最初から見捨てて——」
「他の誰かに殺されんのは困るだけだろ? タイムリープの能力は他人に渡せるらしいからな」
は? と直人は声を上げそうになった。そんなの聞いていない! ——花垣を盗み見ればふつうに目をかっ開いて驚いている。今更詰め寄らなくても丸わかり、絵に描いたように初耳の顔だ。
君、能力者当人でしょう!? と突っ込みたいのは山々だが、そもそも花垣のタイムリープ能力の条件を突き詰めたのは直人の貢献が大きい。直人が関与しなかった能力の初動ですら、電車に轢かれたか轢かれる寸前で、花垣には自覚がなかったと聞いている。
逆に言えば——能力者当人たる花垣ですら知らないことを、望月たち天竺派は、そして
「こいつらもオマエらには説明されてねえようだな。良い顔して協力して絆して、あわよくば譲ってもらう……いや、奪い取るつもりだったんじゃねえのか。実際、オマエらの最初の頭——佐野真一郎は、前の能力者を殺して奪い取ったって?」
いくつかの情報が齎されている。いくつもの情報が齎されている。その多くが花垣にも直人にも初耳だ。
「マイキーくんの、お兄さんが……?」
「——本当に、どうこうなんざするつもりなかったよ。こいつらには。やるつもりならとっくにやってる」
「おい、ベンケイ」
「回りくどいのは俺には合わねえんだよ。昔っからの性分ばっかりは直らねえ」
「言い出しっぺはお前らだろうが」
勝手しやがって。武臣が舌打ちとともにこぼして、こちらも一服するつもりらしい。紙巻き煙草を取り出して、カチッと音を立ててライターで火を灯す。
「一般出身の警察と、族から足洗ったフリーター……俺は天竺どもと違って、従ったどの総長にも、カタギに手ェ出すなってきつく言われてきた」
「どの口が……」
「それに、囮を殺したところで意味もねえ」
「……囮?」
望月は眉をひそめた。
「とぼけるじゃねえか」
慶三はもはや直人にも花垣にも目を向けない。
「本気でタイムリーパーだってんなら、なんでもう少し警戒して動かねえ? 能力者当人が、過去を変えたら未来も変わると知らねえはずもねえ。殺されたら相手に能力が渡るってのを知らないはずがねえ。
——なるほど。
直人は、一周回って冷静に事態を認識した。
中途半端に事情を知って、中途半端に知らないから、そのような結論が出たわけだ。
そして、場地から送られてきた〝タケミチを死なせるな〟というごくシンプルなメッセージに含まれた意味も理解した。下手を打てば殺されていた。むしろ、下手を打たなかったら殺されていた。
確かに——このような非現実的な事象が立て続けに起きていて、当人が今並べ立てられた条件をひとつも知らないなんて、思いもよらないだろう。直人とて思いたくもなかった。ハンロンの剃刀の例に思い当たられていれば、あるいは。
……今も。
「……なら、テメエらは本物は誰だと……ああ、そうか」
ぐりぐりとこめかみを押さえた望月が、つぶやく。
「殺したやつが継承する。佐野真一郎を殺したのは、羽宮一虎か。あいつが死んでることを踏まえりゃ、今はマイキーだって?」
「言い出すと思った。違うな」
いっそ愉快げだ。
慶三はその強面に笑みを浮かべて、あぐらをかいた膝に手をつく。
「
「……今牛がこの場にいねえのは、」
「ハッ、今更だな。ずいぶん」
同年同月同日。
同時刻。
六本木の繁華街。ある高級クラブ。
具体的には灰谷竜胆がオーナーを務めている、東京卍會天竺派のシノギ、兼、ちょっとした集会場のひとつ。
「お客様ァ? バックヤードは従業員以外立ち入り禁止でェす。禁止表示見えなかった? どこ入ろうとしてんだよ」
従業員用スペースに一歩踏み入ったところで、見覚えのある兄弟二人に声をかけられて、若狭はげんなりと溜息を吐いた。この凸凹兄弟に関しては、むしろ得意な人間の方が希少なわけだが——ともあれ。
「お客様は神様だろ? 金ならいくらでも出せるケド」
「は〜ヤダヤダこれだから金でなんでも解決すると思ってる老害は。こういうやつがレビューで星1つけて評価平均落とすんだよなあ」
「兄貴マジで俺の店で兄貴節やめて」
わざとらしく首を横に振る兄に、竜胆が苦言を呈する。すぐにガッと頭を抑えられて「……え? ごめんなさい」すぐさま謝罪した。
灰谷兄弟のヒエラルキーは二〇一七年になろうとも健在だ。
「オマエらの人食った態度は変わんネェな」
自分からそらっとぼけておいてなんだが、マシンガントークとコントで返されても困るわけ。
若狭はすっかり辟易とした気分だ。辟易とした気分のまま、ジャケットの袂に手を伸ばす。
そっちこそアラサーだろと言ったところで年齢合戦では若狭の方が不利である。アンチエイジングに余念がなくとも、生まれ年は変えようがない。
「まァでも、オマエらが門番してンなら——場地がいるのはここで合ってるってコトだろ?」
「お、なに? もしかしてマイキーのお遣いかなんか?」
剣呑な光をはらんで、上着の内側に仕込んだ拳銃に手をかける。
若狭の動きにおそらく勘付いていながらも、蘭の語調は軽快だ。いつも通りに小馬鹿にくさす物言いで、いつも通りに視線はつめたく、相手を俯瞰するように観察している。
「あいつ兄貴の元幹部も顎で使えるようになったのか〜つくづく偉くなったな、クソ小生意気なルーキーだったマイキーちゃんが立派になっちゃって……」
「混ぜっ返すのが上手だな。こっちがマイキーにチクってるなんて、思ってもねえくせに」
若狭は片頬だけで笑い飛ばした。
「天竺派がタイムリープなんざ使いたがってるとは思ってなかったケド。
「
どこか納得したように蘭が頷いた。「それ?」竜胆が怪訝につぶやいた。
「三天戦争でこいつら、わざわざ現役復帰して
全く仕方ねえなとばかりに蘭は指を立てる。彼らの命運が完全に違えた契機は十二年前だが、しかし、時間とは地続きなもの。
二〇〇五年と二〇一七年を反復横跳びできるのは現状花垣だけで、彼以外の人間は、その十二年をたしかに自らの足で生きて歩んでいる。
本来の
しかしこの世界では、場地圭介の生存をきっかけに、出来事は連鎖した。
十年近く前、東京で起こった事件。それらの復習のお時間だ。
「
「あれ、妹? あいつ女だったんだ。……てか、あー、だからイザナ……」
「そういうこったな。図星ついたつもりかよ、義経モドキ。佐野真一郎と明司千壽、テメェらが命預けたボスはどっちも死んでて——だからだろ」
黒川イザナは、たしかにエマに対して、突き放した言葉以上の感情を抱いていた。佐野真一郎のことは未だに瑕として残っている。
しかしそれは、タイムリープを利用する根拠にはなり得ない。彼ら極悪の旗頭は、蘭が知る限りきわめて天の邪鬼で、実のところ繊細で、加えて意地っ張りだ。存命だった頃の純丘も類似の所感を述べている。たとえ本当に助けたいと思っていても、別の行動を取るだろう。
そして……若狭が引き合いに出したのは、天竺の頂点が有する矛盾を指摘するため、ではない。
「案外ちゃんと大事にしてたのも、助けたいのも、そっちだ。テメェの話を他人にすり替えんなよ」
一。
かつて
三天戦争にて、神輿と担いだ明司千壽が死んだからだ。殺されたからだ。組織の拡大に勤しみ、能力を過信し、その死を止められなかった。
責任の所在は明確に、誰に求められることもなかったが、かといって、誰にも責任がないとは口が裂けてもいえるわけがない。
二。
離散を経た
稀咲の側は簡単だ。花垣武道による度重なる改変により、
そして
三。
佐野真一郎と、明司千壽の救済だ。花垣に素直に情報を打ち明けず、能力の奪取を目論んだ理由でもある。
S.S.MOTORにて発生した強盗殺人事件の日付は、二〇〇三年八月。明司千壽が死んだ三天戦争は、二〇〇八年に起きている。花垣のタイムリープはきっかり十二年前に戻るものだ。二〇一七年からでは、どちらの出来事にも触れ得ない。
他人任せでは、救いたい人が救えない。
「……ああハイハイ」
若狭がつぶやいた。明らかに投げやりだった。
「ご明察。その通りだよ。俺だとかベンケイとか、
「でもアイツって確か、三途だとかマイキーと幼馴染なんだろ? オマエも懇意にしてたんじゃねえの?」
竜胆の問いは興味本位百パーセントだ。
場地だか三途だかが確かそんなことを言っていた気がするなと今思い出して、今聞けるから聞いた、わりとどうでもいいからこその問いかけ。
乾いた笑い声がひびく。若狭のものである。
「ダチの仇とダチのどっちが大事かってハナシ、する?」
笑い声の次に述べられるにしては、些か感情のこそげ落とされた声色だった。
引き出した拳銃を掌中に収めて、指先がその硬質な感触をたしかめる。
組の中でのし上がっていくうちに、喧嘩もしなくなって、専ら道具に頼るようになった。片付けられるツテがあるなら、より簡単な手段を取る。
「ホント、なんで灰谷が出てくるワケ? オマエら場地とは関係ないだろ。それこそ春千夜か、まだ八代目が出てきた方が……やっぱわかんねえな」
「実際関係ねえよ。俺ら」
竜胆は大袈裟にも両手を広げて、肩をすくめてみせた。
場地との因縁があるのはイザナで、肩入れする理由があるとしたら三途だ。しいていえば……どこぞの元副部長が教え子にしていた。それぐらい。
「だから命賭けてェわけでもねェの。てわけでアンタもそうだけど、下ろしてくんね……なんだっけ、乾? つうかオマエらも組んでたんだ?」
朗らかに宣った灰谷の弟の方に、乾は——竜胆の背中に銃口を突きつけていた——右目をすがめて、隣の九井を一瞥した。
視線を受けた九井は首を横に振った。こちらは、蘭の背とほとんどゼロ距離で、銃を向けている。
「都合のいいこと言うだけ言って、どうせあとから跳ね返ってくる。十年以上前から変わんねえよ、コイツらは」
「だよな。ワカくん、こいつら抑えとくから、早く行って場地確保した方がいいぜ」
「助かるワ」
悠々と歩き去る若狭に「あーあ」大して残念そうでもなくつぶやいたのは、蘭だ。
「行っちまった。めんどくせえ、大将にバレたくねえ……」
「言ってる場合かよ。十代目も初代組んでるとヤバくね? 柴って花垣の方と提携してたんじゃねえの、情報ほとんど貫通してそう」
「んー俺が思うに、柴とワンニャンどもは今むしろ別行動だろ。コイツらはコイツらで、時間が巻き戻るってんならそうしたいんじゃねえの? たとえば……火事の件とか」
地雷だとわかって出した単語だ。案の定、ごり、と、蘭の背中に銃口が押し付けられる。
「土手っ腹吹き飛ばされてェならそうしてやるよ」
「警告が先とかやっさしー! ココチャン丸くなったな」
命の危機に言うことでもないが、実際、十二年前なら初手で拳が飛んでいる。
つくづくイッてんな、小さく毒づいた乾を眼差しで宥めて、九井は思考を回した。灰谷兄弟をまともに相手しようと思うから馬鹿を見るのはもう重々承知だとして——違和感もあった。
「テメェらは別に頭も悪くない。死にたがりってわけでもねえ。うっかり殺されてもおかしくないって、わかってんだろ、この状況で足掻くでもなく俺たちを怒らせてなにがしたい?」
「りんどーなにしよっか」
「えーわかんね。いっせーのせでもやる?」
「……ココ、とりあえず殺してから考えないか?」
「俺も正直そうしたいな……」
一方的におちょくられていると腹が立ってくる。拳銃突きつけられてんのわかってんのか?
本当に、違和感があるから問いただしているだけで、心のままに殺意に従っても、べつに彼らはなにも困らないのだ。
「あのなァよく考えてみろよ? 俺ら、喧嘩はやってたけどもうとっくに現場引退してて、しかも現役時代だって白豹とかフツーに勝てる要素ねえの。飛び道具も得意じゃねえしな。今から取り出してもオマエらのがどう考えても早く撃つしな。お喋りしかやることねえだろ?」
「本当に口がよく回——」
——ジリリリリリ!
けたたましい音とともに髪にぱたたと冷えた感触。
火災報知器の音、スプリンクラーの作動——思い至るまでは一瞬でも、確かに気を取られた。
かつてH1世代といわれた二人、双方足を払われて「ッ」「悪いな?」革靴に背中を蹴り飛ばされる。
年下二人を足蹴に、灰谷兄弟は店の外へと駆け出した。どうせ追ってもこないだろう。彼らの目的はタイムリープの能力で、わざわざ遁走した兄弟と鬼ごっこをする趣味はない。
「竜胆オマエまーじでコントロール良いな。肩すくめるのでライター投げるの天才だったわ」
「さんきゅーどうも。MLB出れっかもな」
「足洗ったらな」
無理である。
「ところでアレ場地死んだよな。せめて端末回収しなきゃ俺ら大将にいよいよキレられんぞ」
「ヤたしか今場地んとこ、三途の様子見に
アラサー全力疾走のキツさをしみじみと味わいながらも、兄弟は状況整理していく。辛うじて現役時代の名残があるからこその暴挙だ。白豹には勝てないとしても。
「あっちがまーじで場地のことタイムリーパーって勘違いしてんのウケたけどそれの確定報告と、元
「連絡事項多いんだよなァ」
虚実弁別手段喪失
険しい顔で押し黙っていた望月は、おもむろに、傍らの灰皿に葉巻の灰を落とした。
口の中に煙を溜めるように吹かせば、ふたたび葉巻の先が赤く染まり、煙が燻り出す。
「よくわかった。テメェらが稀咲どもを匿ってるのもソレか」
「匿ってるってのは言い過ぎだ。情報の対価として情報を提供する、取引の一環に過ぎねえ」
「……匿ってるって、まるで稀咲が生きているような言い方をしますね」
迂闊なことも言えない状況下で、できる限り情報を把握しようと口を閉ざしていた直人が、ここでようやく口を挟んだ。花垣と直人の情報整理でも、可能性としては提唱されていた話だが——。
望月が視線だけを投げた。
「生きてるんだろ、実際。……ああ勘違いすんなよ。ドラケンだのパーだの、ほとんどの旧東京卍會からの幹部は確実に死んでる。それは俺らも確認した。テメェらが接触した三ツ谷もな。確認できてなかったのが、稀咲と、半間だ。マイキーとどういうやり取りをしたのかは知らねえが」
「……なんだ、カマかけたのかよ」
慶三が若干不快げに眉を上げ「まァ、別にいいんじゃねえか」二本の指に煙草を挟んだまま、武臣が気のない声色で言った。
「そもそも、花垣がタイムリーパーなんて眉唾言い出したのはあいつらの方からだ。
「ナルホドな」
溜息のような相槌ともに、望月があぐらから立膝に姿勢を切り替えた。
テーブルに手のひらをついて「よくわかった」ともう一度言った。
「もういいぜ——獅音」
「うし」
座敷の襖が蹴り破られた音だと理解したのは全てが終わってからだ。
「はっ!?」
咄嗟に花垣を巻き込んで伏せた直人の頭上すれすれを掠めて「ウワッ!?」「ぐ、」脚が低く重厚な卓が、ひっくり返されて、ちょうど真ん中にいた武臣に叩きつけられる。……灰皿ごと。
庇われたんだか引き倒されたんだか判別不明の体勢で、花垣は、慶三の顔面めがけて望月が拳を叩きつけたところを見た——指と指の間に今しがた点けた葉巻が挟まれていたのも、しっかり、見えていた。
焼け焦げたにおいと呻き声。……花垣は考えるのをやめた。
考えたのをやめたタイミングで、襟首ごと引き摺られて「グエッ」「悪ィな」直人と花垣はどちらも、部屋からほとんど放り出されるように引っ張り出される。
「無事か?」
「喋れりゃいいだろ。おいテメェら立ちやがれ、さっさと。手ェ煩わせてんじゃねえよ」
催促の意図を含んだ足蹴のうち一撃が、うっかり脇腹にしっかり入って直人が蛙の潰れたような声を上げた。普通に痛い。
「蹴んな蹴んな」
ようやく制止が入り、ただはよ立てという心境は全員一致だったようだ。肩から引き上げられるようにしたのち「ヨシ骨折れてねえな、走れ。折れてたら気合いで走れ」体勢を立て直す暇もなく追い立てられる。
ほとんど転がるように駆け出した。
料亭の廊下は広く、成人男性四人が駆けても支障はない。ただ客どころか従業員の気配もない店内は、どこか不気味さを覚える。
「ま、斑目獅音……天竺派の幹部、あなたも来ていたんですか?」
「命の恩人だろうが、まず感謝しろ。そんでもって獅音サマと呼べよ」
「まだ恩人じゃねえだろ、だとしても呼ばれんならまず俺だ。モッチー様な……」
尊大な振る舞いをする斑目にしっかりと釘を刺し(?)望月は、花垣のパーカーの肩の部分を掴んだままだ。
「つうか今牛の方が場地ンとこ行ったってのは裏取れたのか」
「
「なんで
「三途」
「ああ」
「
「んどくせえな……稀咲は?」
「どっちも鉢合わせてねえってよ。あとあいつら側の車が何台かこっち着きそう」
「最悪じゃねえか……」
「えーっとあのマジでなんもわかってねえんすけど、」
口を挟むのかよと言わんばかりの目で睨まれたが、花垣は、今回は怯まなかった。
いろいろと情報が多すぎて処理しきれていない。恐怖も含め。
鈍った神経は存外に、大胆な行動を引き出すこともある。
「天竺派は結局場地くんの味方なんすか? 前のタイムリーパーはマイキーくんのお兄さんだったんすか? 初代は場地くんのタマ狙ってるってことっすか? 稀咲は——生きてんすか? あいつはまだなんか企んでるんすか?」
「……前のタイムリーパーが佐野真一郎ってのはマジだ」
溜息を飲み込んで、望月が述べる。
「テメェら、タイムリーパーは花垣、過去から戻るトリガーは橘だろ。一緒に行動する理由がそんぐらいしかねえ。佐野真一郎んときは、過去から戻るトリガーになったのが、三途だった。だから俺たちは知ってる、三途本人から聞いてるからな。佐野真一郎は、自分の前のタイムリーパーを殺して能力を奪ったんだとか、握手でタイムリープの能力が発動するだとか、そういう話もしたらしい」
「は、はぁ……? な、なんで、ああだからもしかしてマイキーくんあのとき俺が真一郎クンと似てるって、いやなんで?」
「なんでとかほざかれても知るわけ。で、テメエら、初代から握手されなかったか?」
「され……ましたね。僕も、武道くんも。まさか、」
「テメエらが助かった決定打はそれだろうな。場地が怪しい上に、行動が杜撰、ダメ押しに発動しなかったから違ェと判断した、と。ただ佐野真一郎のタイムリープってのは、三途が言うには一回こっきりだったとよ。知らねえ条件が腐るほどあるんじゃねえのか。……ああ、条件を知らねえのはテメエらもだったな」
最後の声色だけは呆れが滲んでいる。マジで聞いてて意味不明だったワ、斑目もぐるぐるとわざとらしく眼球を動かしてみせた。
「能力者を殺せば能力ごと渡る、佐野真一郎がタイムリーパーだった、そこすら知らねえ。ったくマジでテメエらで合ってんのか? 下手すりゃ組三つ敵に回すリスク負っといてチガイマシターとか漫才じゃねえんだぞ」
「それこそ場地に担がれてるってんなら俺らはとんだ頓馬だよ、生きたまま刻んで魚の餌にしねえと」
「そ——う言われても、俺だって自分がタイムリーパーとか一回死ぬまで知らなかったし、ヤ、死んだのかもわかんねえけど」
「訳わかんねえヤローだな」
要領の得ない説明は切って捨てられた。
「聞いてきたのそっちっすよね?」
花垣も素で返してしまった。
「天竺はしょーもねえオカルトなんざ使うつもりもねえよ。イザナだとか、それこそ灰谷はテメェに二、三聞きたいことぐらいはあんだろうがな。あいつらも殺して使いたいほど興味もねえ」
「あ、ハイ……ン? イザナくんはまだしも、灰谷?」
「だから味方かどうかで言やァ、利害の一致だ。あんま期待すんな」
一問一答にも新たな疑問が次々に生えていく。枝葉の問いかけは望月は無視することに決めた。
早めに逃亡しておきたい以上、少なくともここで懇切丁寧なQ&A回を繰り広げている暇はない——穏便に済ませることも可能だった場面で、ちゃぶ台返しをキメたことにも、理由がある。
意味なく喧嘩できるような立場でなくなって長い。
「にしても人がいねえな、つくづくきな臭え。獅音コレ外に出ろって指示は変わってねえのか?」
「とりま中庭行けってよ」
走りながらスマホを確認していた斑目が頷いた。スマホをポケットに突っ込んで、廊下の脇に設置された消火器を手慣れた様子で回収し、そこで斑目は、思い出したようにぐるっと花垣に顔を向けた。
花垣はちょっとビビった。
「オマエ、防弾チョッキって今着てるか?」
「エッ、着てるどころかまず持ってねえっすけど」
「はーコレだからパンピーはよォ」
「
「そっちのポリ公はもちろん着てきてんだよな?」
「い、いえ、耐刃防護衣です。防弾ベストの着用は申請が必要で……」
「使えねえ!」
ストレートな暴言である。
ヤクザどもと一緒にするなと直人はよっぽど言いたかった。
「しゃあねえな……オマエらゼッテェ、
瞬時に真顔に切り替わった斑目が脅しをかける。勢いに押されて花垣は頷きかけて……廊下の角を曲がったところ、広々とした中庭が見渡せる大窓と、その前にて待ち構える二人に目が留まった。
「おー、釣れた釣れた」
「読みやすくて助かるな」
「稀咲、半間……!」
「クソッ早ェんだよ」
「っぱこっち来てやがった……!」
大窓の傍ら、中庭を見やすいように設置されていたソファとテーブルが倒されている。バリケードの意図だろう。
どちらもテーブルの陰にて拳銃だけを引っ掛けている。ガラス窓に反射した顔、稀咲は無表情に睨んでおり、半間は食えない笑みを浮かべていた——パシュッと音ひとつ。
花垣の鼻先で、咄嗟に庇った望月が息を詰めた。
拳銃。サプレッサーつき。
「は、やく隠れろ危機感湧いてんのか!」
今しがた曲がったばかりの角に引っ込んで「オイ獅音!? ルートはオマエ任せろっつったろうが!?」望月が斑目を怒鳴りつける。
「フツーにミスった! ヤ俺でも悪くねえよ、GPS玄関側から回ってたぜ!?」
悲鳴のような反駁に「あ、さっきの虫オマエのか」半間の無造作な呟きが差し挟まる。
「バレてたのかよ……仕掛け直さねえと……」
「生きてたらな。とりまそれ貸せ、確実にこの肩で銃ぶっ放す方がまずい」
「そりゃそう」
迷惑防止条例違反、加えて直球で銃刀法違反のやり取りに直人は明後日を見つめた。検挙できるわけもない状況にて、ただただ罪状を気にするのは警察としての職業病に近い。
「稀咲! オマエ、なにがしたいんだよ!?」
一方、花垣は声を張り上げた。現状の打開においては、花垣はなにも役には立たないが、せめてもの時間稼ぎと——稀咲にも、聞きたいことは、もちろんある。
花垣の位置からは見えないが、稀咲はつゆほども動揺した様子もなかった。
「マイキーくんを操って、
「長ったらしい遺言だな」
「いや、そこまでならまだやりてェことはわかる。
「稀咲ィ、ベンケイと軍神、こっち誘導しとくか? 追ってきてるだろ」
「……あっちが今更
「おっけー」
「——なんで毎回ヒナを殺すんだよ!?」
しかしそれだけは、稀咲の眉がわずかに動いた。角に隠れている面々は誰もまだ稀咲を目視できるところにいなかったので、おや、とその微細な変化に気づいたのは半間ぐらいだ。
「毎回……それはそれは」
一瞬のことだ。稀咲はすぐに酷薄に笑い飛ばした。
「たかだか女ひとり死んだくらいで、オマエはわざわざ俺に挑みに来ようとしてるわけだ。無謀で無様、ご苦労なことだな」
「ッこいつ……!」
「その
歯噛みした花垣の代わり、追撃を投げながらも、直人は拳銃のセーフティを外す。望月は消火器のピンを抜いて片腕で保持し、斑目もまたグロックを握った。
「ああ、橘弟……望月と斑目併せて、内訳四人か」
「だりぃの二人とお荷物二人……ん〜やっぱ眼鏡あると動くのも狙うのもメンドーだな。稀咲さん持っててくださいます?」
「キメェ」
「おい」
「橘弟の得物はあってSAKURA、制服着用してりゃあナイフは通らねえな。防弾ベストは五分五分ってところか。望月と斑目はチャカぐらい持っててもおかしくはない。さっきの反応を見るに、こっちは防弾ベストは確定……まァ、殺れるだろ。望月も利き腕の肩は潰せてる」
「人使いが荒いんだよなァ」
この短時間で人員と装備がほぼ割れた。おそろしく頭の回転が速い。
人数比で言うなら四対二で有利だが、花垣の側は負傷者一名に素人が一名、しかも稀咲は素人たる花垣一人を殺せば目的達成と考えると、むしろ分が悪い。
「今から引き返して別のルートから突破しませんか」
「軍神とベンケイもまだいるだろ」
声を潜めた直人の提言に、すぐさま望月は首を横に振った。
「下手に鉢合わせたら困る。さすがに机ぶん投げといて見逃してくださいは無理だな」
「それにあいつら突っ切れれば中庭なんだから、ここにいた方がまだマシってわけだ。迷子とどっちがマシかみてェなレベルだが……」
中庭にこだわる天竺幹部二人、渋い表情で頷き合って「ポリ公のは撃てんのか?」斑目が振る。
「始末書を考えている暇はないので撃てはしますが。警察学校で練習したきりなので期待はしないでください」
「マジで期待できねえな」
「あいにくここはアメリカでも神奈川でもないんですよ……」
「てなると、花垣は後ろに……いや、そうだな、テメエも働け」
「いいっすけど俺なんも持ってねえっすよ」
「なにもよくはないですけど」
「
「まずコレ」
ほとんど投げ渡された消火器をなんとか受け止める。続いて下された端的な指令に、花垣は顔を引き攣らせた。「あー……行けっか」「しょ、正気じゃない」斑目は納得した素振りだが、直人は絶句している。
マジで? 二人の目が語っているが、もはや望月も斑目も聞く気はなかった。
「大人しくなったな。逃げたか?」
「……仕掛けようとしてんだろ」
初代二人を撒いてきているはずだ。どうにせよ、他の出入口には稀咲が先んじて配下を張らせている。退路がない。ソファとテーブルで築いた簡易バリケードは機能している。
一方で花垣の側は、盾となるようなものはそれこそ防弾ベストぐらいだろう。あれはあくまでも銃弾の直接の着弾を防ぐというだけで——要するに頭は護られていないし頭を撃たれれば人は大抵死ぬ。
ついでに、防弾ベストはべつに衝撃まで抑えきることはないので、たとえば肋骨が折れて刺さるだとかもあり得る。
つい先程望月の肩も着弾していたが、当たった位置を考えれば骨折ものだろう。
先陣を切る可能性が高いのは、武装しており、五体に支障のない斑目か直人。思い切りの良さと修羅場の数でいえば前者か。
どちらにせよ、ヘッドショットができれば上出来。拳銃の射程距離は平均五十m前後。多少動く的でも、半間ならば外すこともない。
予測通り飛び出した。
——予想外にも花垣が。
消火器のレバーを握り、頭の前に構えている。薬剤が吹き出て散布される。視界が白くけぶる。
「ゲッ」
花垣の頭を狙った半間の照準がブレた。タイムリープの能力は、殺せば引き継がれる。らしい。若狭がそのように述べていた。
引き継がせるなら稀咲に——頭を撃てば殺してしまう。
「クソ!」
サプレッサー特有の銃声が二連撃。
銃弾のひとつは半間が間一髪で外して、壁にめり込んだ。もうひとつは稀咲が発砲したもので、花垣の頭を狙ったがそこには当たらなかった。
ではどこに当たったか?
花垣が稀咲と半間めがけてぶん投げた消火器である。
ここで、ごく一般的な消火器について少し語ろう。構造としてはおおまかにふたつ、蓄圧式と加圧式に分けられるが、二〇一四年頃より蓄圧式が主流になった。
加圧式の構造をざっくりと説明するなら〝使用時に消火器内部を加圧することで、薬剤を持続的に放射する〟というふうになっている。そのため経年劣化による腐食や変形があれば、容器の一部分を脆くして、使用の瞬間、急激に加えられた内圧に耐えきれず、爆発しかねない。
蓄圧式にも爆発リスクがないわけではない。けれども、適切に管理さえしていれば、経年劣化によるリスクが加圧式よりも低いため、蓄圧式の設置が推奨された。
とはいえ加圧式消火器は設置してはならないという法令はない。消火器の使用期限は平均十年前後。室内であれば経年劣化の度合いも低く、この料亭では、五年選手の加圧式消火器を採用していた。
よって花垣が今しがたブン投げた消火器も加圧式だ。
ところでもちろん、銃弾の着弾は〝容器の一部分を脆く〟するだろう。
——爆発音。
「ハッハァ、たまやー!」
「本ッ当に正気じゃない!」
破裂した消火器の残骸が大窓のガラスごと粉砕する。破片が稀咲と半間の頭上に降り注いで、薄赤色の薬剤があたりに撒き散らされる。
「に、二度とやらねえ……! マジで! ゼッテェ!」
「さっさと走れ!」
一歩間違えば銃弾が頭部貫通、あるいは消火器爆発四散の巻き添えで掌部粉砕の憂き目となれば、泣き言のひとつやふたつ吐くだろう。あいにく状況も同行者も敵も許してくれなかった。
ほとんど追い立てられるようにして、中庭へと飛び込む——
「逃がすか、」
破片で切ったのだろうか、額に真一文字に血がにじんでいる。眼鏡のレンズ越し、血が垂れた左目を閉じて、右目はいっそ爛々とひかっている。
稀咲が両手で構えた銃口は間違いなく花垣の眉間を狙って、
——銃弾は大きく逸れて天井に当たった。
誰が間に合ったわけでもない。
半間が、稀咲を背中から引っ掴んで己の背後へと放り投げたせいだ。
「テメェ、半間!」
「周り見ろ!」
上司に対して怒鳴りながらも、片手の拳銃を新たな人影に突きつけて牽制する。稀咲と同タイミングで、稀咲に向けて発砲したヘテロクロミアが、うっすらと細められた。
「勘が良くて助かる」
「鶴蝶おっせェ!」
「これでも六本木から飛ばしてきたんだが……早くずらかるぞ」
黒川イザナの右腕。東京卍會内で天竺派と呼ばれる幹部において、イザナに次ぐ立場に在る者。
十二年前のハロウィンでは純丘榎とともに抗争に飛び入り参加し、イザナとともに万次郎を止めた。それでいながら、十二月一日には悪役の振る舞いを行った。
鶴蝶は、こちらも拳銃で牽制しながら、じりじりと後ずさる。かすかに半間の銃口が動いた瞬間、一手先に鶴蝶が発砲。大窓をもう一枚割った。甲高く音を立ててガラスが飛び散っていく。
「おい待て、それこそ今のうちに稀咲殺してった方がいいだろ」
「ここ十年でさっきが一番の隙だった。あそこで殺れなかった時点でもう殺れねえ。それだって、あいつがタケミチにやけに食いついたタイミングだったから半間が釣れた。そうでなきゃ先に気づかれて俺が撃たれてる」
会話の間にも家屋から距離を取る。何度か発砲して、中庭の樹木が二本倒れた。常緑樹なので視界が塞がる。
鶴蝶は息を切らした様子もなく、片手に持っていたクーラーボックス大の箱を地面に放り投げ、蹴り転がす。蓋が開いていたのか、中身の液体が振りまかれ——鼻をつくにおい、もしかしてガソリンじゃないですか? 直人は気づいたが為す術もなく染みていく——素早く、大きく距離を取ったのち、振りかぶってジッポーライターを投擲。
今度こそ大炎上した。
呆然としていた花垣を直人が引きずるようにして走らせる。おそらくどころではなく盛大にトラウマを抉られる状況下だが、フリーズからの復帰を待っている暇もない。
「それに今ならイザナが運転手とかいう贅沢が味わえる」
「マジで!?」
背景炎上状態でふつうそこまではしゃいだ声出ます?
直人は聞きたかったが大人なのでグッと堪えた。どう考えてもこの状況がふつうじゃないし。
燃え盛る料亭を背に駆け出すなんて、とんだ三流映画のようだ。あいにく彼らにとっては現実だ。
先導していた鶴蝶が「あれだ」加速のギアを一段上げた。黒塗りのベンツ——が、料亭の中庭に突き刺さっている。
「ナニ起きたん、アレ」
「稀咲の手駒が裏門固めてたから、イザナが門ごと轢いた」
「ベンツで……?」
「あいつたまにめちゃくちゃバカだよな」
待機中のイザナは、暇つぶしがてら、門ごと轢いた者共を更に念入りにアイロン掛けしていた。
最悪の暇潰しも終えて、ハンドルを指先でかつかつと鳴らしていた彼。幹部の帰還に気づくとすぐに眉を上げる。
「テメェ、
「労りはねえのか、労りは!」
扉を開けて開口一番が罵声だった。
「オマエらが失敗するわけねえだろ。当然のことやってなにが労りだよ」
「暴君」
「傲慢」
文句もどこ吹く風。
めいめい次々に乗り込み、鶴蝶が助手席に座ったのを確認した瞬間、イザナはペダルを踏み込んだ。ぎゅるぎゅると音を立てて(側面がガッツリ擦れているがゆえの音だ。ベンツに対する暴挙とは思えない)バックをキメる。
「ところでさっき俺のことバカっつったのどっちだ」
「聞こえてたのかよ!?」
「言ってたのかよ」
「へえ、バカ犬あとで仕置な」
「爪は勘弁して」
「歯がいいか?」
「イザナ遊ぶな、イザナ」
成人男性四人が詰め込まれた後部座席。やたら広い車内だが人数分の座席はなく、斑目と望月の足元に直人と花垣は押し込まれた。シートベルト着用とかいう概念がない。
瞼の裏に蘇るトラックと乗用車の炎上を、花垣は、深呼吸でようやく振り切る。
「タケミチ、大丈夫か?」
「あー、うん、ッス……死んじゃいねえっす」
慮る問いかけに返して、花垣はもう一度肺から空気を吐き出した。
声をかけた鶴蝶はすこし眉をひそめた。案の定だが、さすがに疲弊している……花垣は返事ができているだけマシな方で、直人は緊張が切れたのか、かろうじて顔を上げているが意識が飛んでいてほとんど白目だ。
「そりゃタマあるだけ儲けもんだな」
「久々に死にかけたワ……」
「まァオマエらはともかくそこ二人は手足の二、三本吹っ飛んでも驚きやしなかったが」
「それほぼ達磨」
一方こちらとっくのとうに良心を捨てた者共の発言。冗談が悪趣味すぎる。
瑕のついたベンツが、器用に人気のない道を選んで爆走していく。稀咲の手駒もそうだが、これだけ騒ぎになってしまうと、早々に離脱しなければ警察とも鬼ごっこせざるを得ない。明らかに近くを通り過ぎるパトカーのサイレンがBGMだ。検問に未だ引っ掛かっていないのが奇跡である。
「この後、別行動組と合流する。オマエらのオトモダチの場地ともな。ついたら叩き起こすがそれまでなら寝ててもいいぜ?
「犬すら抜けた」
「俺らも寝かせろ……」
「報告が終わりゃあ気絶なりなんなり好きにしろよ」
「なんでコイツをカシラに立てちまったんだろうなマジで」
仲間たちの悪態をイザナは鼻で笑い飛ばした。なにせ彼ら曰くの暴君なので。
忙しねえやつ
:複数形
赤坂に暖簾を掲げる〜
:人生で一度ぐらいは入ってみたいですね
ハンロンの剃刀
:|Never attribute to malice that which is adequately explained by stupidity.《無能でじゅうぶんに説明できる言動の裏に悪意を読み取るべきでない》
オッカムの剃刀を由来とする警句
義経モドキ
:源義経の幼名は牛若丸
〝あの公園〟での出来事
:最終巻273話
火事の件
:乾赤音
火災報知器の音
:彼らはトラウマでもおかしくないだろうなと思います
MLB
:メジャーリーグベースボールの略称
葉巻の灰
:灰は落とさないで嗜むという言説があるが、実際のところふつうに落とした方がいいらしい
魚の餌
:22巻196話
迷惑防止条例違反
:東京都でいえば第五条の二らへんに引っかかる可能性が高い
耐刃防護衣
:お巡りさんが着てる分厚いベストみたいなアレ
アメリカでも神奈川でも
:言葉の綾
綾ですよ
防弾チョッキ/防弾ベスト
:最近はベストって呼ぶらしいですね
加圧式消火器
:安全ピンを抜いて放射する過程を取らなければたぶん爆発しない
ただ蓄圧式消火器は↑の過程を経ずとも銃で撃たれたらたぶん爆発する
真似しないでね! しないでください
ガソリン
:引火性が極めて高い