知ったかぶりと知らぬふり
純丘榎は、しばしば誤解されがちな傾向として、人当たりは良いがお人好しではないという特徴がある。
具体的には、たとえば知人に対してはちょくちょく見返りなしに手を貸すこともあるが、それは彼が〝優等生としての振る舞い〟を常日頃から意識してきた名残り、また借りを作ることで今後の人間関係をより円滑に回す目論見などがある。
実際、純丘は己のキャパシティを超えた仕事量はきっぱりと断ってきたし(そもそものキャパシティが広い、というのはそうだ)引き受けるタスクの限度もそのときどきによって異なる。
主に、純丘が諸事情によって対象へ借りを感じているとき、あるいは単純な純丘の対象への好感にかかっている。前者はたとえば、数ヶ月前に乾青宗にコーヒーを買ったことだとか、後者は灰谷兄弟への諸々の肩入れが当てはまるだろう。
「あれっ瓦城さんと荒師さん? なにしてんすか、ジムのおつかい?」
つまりこの声掛けはその大別で言うなら、借りを返す、に当てはまる。
純丘の声に反応して振り返った千咒が「あっ、たしか榎サン?」きょとんとした様子で首を傾げた。顔を合わせたのはたった一回だが、なかなかにインパクトのある初対面、加えてまだ約一ヶ月前の出来事だ。覚えていてもおかしくはない。
千咒同様、振り返った慶三が、ああ、と声をこぼす。こちらはこちらで、純丘の頼みに応じて何度かやり取りを交わしたので、顔を覚えられていないほうが逆におかしい。
そして——彼らの眼前で立ち塞がるようにしていた警察官も、突然の闖入者に目を留めた。
それから目を丸くした。
「純丘くん?」
「あ、お久しぶりでーす大林さん」
人の良い態度を崩さず、にこやかに朗らかな挨拶を返す。
やたらと警察に顔が利く上に、一回こっきりの遭遇でも氏名と顔を覚える記憶力、加えて本人の素行は良いので警察と話すにも臆する理由がない、という持ち前のアドバンテージを大活躍させている。
……これでも一般人である。
「というか、ホントにどうしたんですか? 事件の目撃者とか?」
「いや……それより、君の知り合いかな、この二人。ジムっていうのは?」
「荒師さんがジムのオーナーやってて、瓦城さんがそこの生徒……あー、すみません、勝手に喋っちゃって」
「構わねえ」
軽く喋ってから、まるで思い出したように断りを入れた純丘に、慶三は首を横に振った。むしろ助かる、とまでは付け足さなかった。
もとより敢えて千咒と慶三に声をかけてきた時点で、純丘の側が察しているのは明白だ。
「それなら、瓦城さん、というのはあだ名かな」
「ンまあそんなかんじすね。てか俺だって純丘って呼んでって話してるでしょう?」
「あー、あー……そうだね。いや、ごめんなさい。うん、お二人はご協力ありがとうございました」
大林はいそいそと手帳を仕舞って、彼らに頭を下げ、路端に止めていた自転車のスタンドを蹴った。哨戒のお供だ。
「気をつけて〜」
純丘はのんきにつぶやき、千咒はジッとその背中を見つめ、慶三が「どうも」素気なくつぶやいた。
自転車が去っていくのを見届けて、慶三はガシガシとうなじをかき、純丘を見遣った。
「……助かった」
「いーえ、ご苦労さまっすね」
純丘は少しからかうように口端を上げた。
経緯をきちんと説明すると、体格が良く強面の男と線の細い少女(見た目は間違いなくそうだ、見た目は)の組み合わせがめちゃくちゃ不審で、巡回中のお巡りさんの目に止まって「ちょっと署までご同行を……」をされていた図である。
なまじっか親戚にしても似てもいないわ、瓦城千咒は偽名なので登録もないわ、本人たちの弁明が信用されず、そこにちょうど純丘が通りかかった——そして一瞬で事態を察した——というのが現状だった。
「てか榎サン、今のどーやったの!? ジブンらがなに言っても聞く耳持たなかったのに一瞬で引き下がったけど!?」
「日頃の行いってやつ。……さすがに知り合いかつ話が比較的通じそうな人だから勝算あっただけで、これが毎回通るわけじゃない。別の人だったら他の手を打つかな……」
「他の手とかもあんの!?」
「大人にはいろいろと手段があるんだよ」
自らの特異性を隠すために、普遍的な大人に過度な期待をなすりつけていくスタイル。
慶三が一瞬しらっとした目をしたが、実際助けられた身としてこの場で指摘するのはやめた。
あとで千咒に言い聞かせる必要は生まれた。これが普通だと思われたら困るぜ、俺らが。
「いーなー、ジブンもそういうの、できるようになりたい」
一方慶三の算段はつゆ知らず、千咒は唇を尖らせる。
「ベンケイと出かけたら三回に一回くらいこんなかんじだし、ガキの頃より減ったけどさ」
今もガキだろと突っ込むべきか、減った上で三回に一回なのかと突っ込むべきか、束の間、純丘は思い悩んだ。
「しかも、ワカは尚更……」
「……今牛さんのがこういうトラブル多いのか? 君と彼は、目鼻立ちは荒師さんよりも似てるから、親戚でゴリ押せそうだが……」
「ああワカはそっちじゃねえの。逆ナンとスカウト」
「色男はたいへんだな」
純丘はしみじみとつぶやいた。
「あと、いっぱい恨み買ってっから」
「それはちょっと意外だな、いなすのは得意そうな印象を受けた」
「あいつは下手に挑発すんのが良くねえ」
「ベンケイは舎弟のがいっぱいいるもんな!」
「
「真一郎さんはホントになんなんすかねえ……」
「え、
千咒が目を丸くする。
純丘もまた、意外には思った。年齢的には接点が見えない——とはいえ。瓦城千咒という人間が、慶三や若狭といったその世代の元不良に可愛がられているのは、たかだか二度の邂逅でもよくわかる。佐野真一郎と既知でもなんらおかしくはないだろう。
「……俺はあの人のお爺さんがやってる道場のバイト」
「あと小間使いな」
「ハハハそれわりとマジで好きじゃないんでやめてください」
「あー……あー! なんか最初んときもワカが言ってたやつ!」
純丘が〝ガチ〟のトーンで釘を刺した——そこまでイヤか? 慶三は怪訝な顔をした、わざわざ重ねて揶揄うことはしなかった——一方、千咒も初対面のやり取りに思い当たって、何度か頷く。
「ンなら、マイキーとか、エマとかも知ってんの?」
「そりゃな。ん、そっちも知り合いか。友達?」
「んー……昔」
千咒はにぱっと笑った。
明らかに誤魔化されたが、純丘はあえて突っつくほど好奇心だけで動いてもいない。
「なァ、榎サン暇? 暇なら一緒に付き合ってくれよ。ベンケイだけだとまた補導されそーだし」
「悪かったな」
「バイトの時間までなら構わんが。どこへ?」
袖をめくって時刻を確認。余裕はあると踏んだ純丘が尋ねると、千咒は溌剌に応えた。
「ドンキ!」
知ったかぶりと知らぬふり
やたらときらびやかな看板、店内装飾。安価でありながら謎に豊富な品ぞろえ。
三畳間アパート暮らしの頃からの愛着もあり、純丘としても、わりと御用達ではある。
仲間内でクリスマスパーティを行うらしく、その下準備のためとかなんとか。
千咒はハキハキと説明しながらも男衆二人の定位置を指定。彼女当人はといえば、カゴを片手に店内を駆け巡っては買うべきものを回収、カゴがいっぱいになると戻ってきてカゴごと持たせ、新たな空のカゴを取って戦場へと戻る……つまり純然たる荷物持ちとして純丘は呼ばれたわけだ。
慶三は目配せをして「悪いな」とつぶやいた。
「いーっすよ、慣れてるんで。買い出しの付き添いなんてカワイイもんでしょ」
純丘は肩をすくめる。
おおよそもっとも可愛くなかった例は、抗争の付き添いと殺人の制止でワンツーフィニッシュ。
この点、灰谷兄弟はむしろそういう場に連れ出すことがないので、前科は少ない。
ないのではなく少ないなのは、御愛嬌。彼らの素行にしてはマシだろう。
「……つうか、オマエ、やっぱり千咒と顔合わせたのあれが初めてか」
「そうですね。知っといたほうがいいやつですか」
問いかけた純丘に、慶三は少し思案した。腕にはカゴを引っ掛けたまま、ごき、と己の首筋を鳴らす。
「……千咒の本名は、明司千壽だ。兄貴が二人。上の兄貴が、明司武臣。
「
「ただ?」
言いながらも、引っかかった単語に純丘は記憶を諳んじる。
真一郎の話では聞いたことはないが。……覚えのいい頭は、アカシタケオミ、アカシセンジュ、双方の名に心当たりがあった。
「……上の兄貴が武臣、なら下の兄貴は春千夜っすか」
「……そっちは知ってんのか」
「万次郎の関連でちょっと」
「ああ……」
今は三途と名乗っているが、とか、マァ言わなくても良いことである。それを言い出したら妹の方とて瓦城千咒と述べているわけで。
「てことは、俺がもしかしたら知っといたほうがいいってのは、上の兄貴の方の借金問題?」
「そこまでマイキーにも割れてんのか?」
「これは別立て。あいつらと話題に出したことはないですね、それこそ幼馴染とかは知らなかったし」
「……お前はなんなんだろうな」
「不可抗力ってか……」
情報の入手順が奇妙極まりない。
慶三の物言いたげな目から、純丘はそっと視線を逸らした。自覚はある男、意味もなくカゴの位置を直す。
「……マァ、知ってんなら話は早い。言いふらすもんでもねえが、そう言ったって、知らねえやつばっかじゃお話にならねえ」
慶三は無意識に、己が顎を指先で撫でている。
「
「買ってくださり、どうも」
葬式のとき、イザナに怒り心頭だった若狭は、しかし、エマの乱入でその拳を止めた。
果たして彼らが、当時も佐野家に顔を出していたのか、面識はあった可能性はあるが。純丘がそれまで鉢合わせなかった以上、すくなくとも頻度は減っていると見て。
そのうえで〝ちいさな女の子の泣き声で止まった〟——おそらく当時から、エマと同年代の女子とも日常的に接していた、という事実を示している。
「……つうか春千夜元気か?
……キレて……?
純丘は一瞬返答に思案する。突っ込んで尋ねたところで待ち受けている事実はろくでもなさそうだが、さて、答えていいのか悪いのか。
「先月会ったときは大した怪我もなさそうでしたよ」
そもそも純丘自身、そこまで重要そうな情報も持っていないことに気づいたので、サクッと開示。
「
「ああ、
「全く以て」
「八代目も相変わらずシケたことしてんのかよ」
「マァ相変わらずなんじゃないですかね。俺はなにやってたかもそんなに知らねえですけど」
不変であろうが変化があろうがそう大して差異はないのだ。不良事には関わらない。知る必要もない。
……必要最低限の範囲と、不可抗力は、また別として。
気のない声で述べる純丘に「オマエもだな」慶三はかすかに笑った。
「ワカから聞いてるぜ。
「忠告されましたね。つっても、意見は変わりませんよ。俺には関係ない」
「そのとおりだ、本当に関係ねえならな。……わかってんだろ?」
うっかりこぼれた舌打ちにぱっと純丘は口元を覆った。何度か咳払いをする——今更、誤魔化すように——男を横に、慶三が、喉から笑いを漏らす。
「多少ぐらついてンのはさておき」
「……」
「ワカの忠告は無駄じゃなかったみてェだな。線引きはしようとしてるようで、なによりだよ」
慶三の言葉は、直前までの言葉選びのわりに、慮る色合いを含んでいた。
「全部わかってるやつが首突っ込んでくならまだしも、カタギが巻き込まれてんのは寝覚め悪ィからな。お遊びで済ます気もねえ、マトモな道に戻る気もねえ、だったらずるずる関わってちゃなんねえ。一緒に地獄に行く気がねえなら、さっさと切っとけ」
「……よく言うもんですね」
相槌は皮肉げに、純丘は腕組みの位置を変えた。プラスチックのちゃちな買い物カゴは、仕草に合わせて、妙にきしむ。
「実体験すか? 切った側としての」
「実体験だよ、切れなかった側としての」
溜息は深く、長く伸びた。
眉を上げた純丘が慶三を見遣る。
慶三の彫りの深い顔立ちは、日本国内ではあまり見かけないものだ。色素の薄い眉や髪が、果たして生まれつきか、脱色由来か、純丘には判別がつかない。
もっとも、判別がついたところで興味があるのかと聞かれると、ないとして。
「なんで切ってねえのか、時々、自分でも不思議になる」
声色は、ずいぶんと老成した雰囲気を帯びていた。
荒師慶三はすくなくとも、純丘よりは間違いなく年を食っている。とはいえこればかりは、単なる年嵩の問題でもないように思えた。
「……もっとも、やらかしてることの悪さで言うンなら、それこそ八代目九代目のが数段上だがな」
「……総合的なたちの悪さで言うならどっちでしょうかね」
「否定はしねえが言うよなテメエも」
慶三の呆れ声に「すみませんね、俺はわりと正直者なもんで」純丘はいけしゃあしゃあと述べた。
彼がこと今回だけは妙に憎まれ口ばかりなのは、ほとんど正論にしたって、それはそれとして癪に障っているからだ。成り行きばかりが多くても、己が選んでより集めた交友関係だ。口を出されていい気はしない。
……一方で、実際、純丘を慮った忠告としてはきわめて正しい。
不良事には関わらない。そう明言したところで、純丘が知る極悪の世代たちはその名の如く悪行を築き、繰り返す。一括で見て見ぬふりをしたところで、問題の先送り、どころか消極的な加担に過ぎない。
人の交友関係に口を出すなと言うだけなら簡単だ。その悪行を理解した上で同じ言葉を吐くなんぞ、ずいぶんと、都合の良い話である。
ゆえにこそ純丘は、自分の前では一線を越えるなと再三警告をし続けた。
自ら一線を越えることを決めた灰谷兄弟は、その前に、決別を言い渡した。
「たちの悪さもあるだろうが、根本的に、時間と情ってのは厄介だ。どれだけろくでもないってわかってたところでな」
慶三は言いながらもカゴを持ち上げて、肩をぐるぐると回す。買い物の荷物持ちはなにぶん姿勢が凝り固まっていけない。
「……あと、ガキだ。これは良くねえ。下手に見捨てられもしねえまま、雁字搦めになる」
言葉が指し示す意図は十二分に伝わった。
千咒の淡い髪色が、棚の間、熱心に商品を物色し、時折ぴょこぴょこと跳ねている。
純丘は、こちらもまたぐるりと首を回した。
十二月の中旬ともなれば気温も冷え込み、量販店の片隅は、位置が悪いのか暖房の効きがいまいちだ。冷温は筋肉のこわばりを招く。
「……その意見には同意しますよ。俺としても」
「なんだ、気が合うか」
「はははは」
あからさまな空笑いだった。
「……あんた方は、たぶん、あいつらに良い印象なんて全く無いんでしょうが」
作り笑いを打ち切って、短い嘆息を挟み、そして純丘はつぶやいた。
「線引とやらに関して言うなら、俺よりも、あいつらのほうがよっぽどわかってる。とっくに、わざわざ切られたぐらいには」
なにを企んでいるのか。なにを企んでいたのか。
一端は又聞きの又聞きで把握した程度、未だ全貌はわからず、ただひとつ。
突き離したのは、突き放されたのは、彼らなりの誠意だろうと純丘は勝手に推測している。その推測の正誤の答え合わせは、現状、誰も教えてやくれないが。
「……そうかよ。なら、言うことなんざねえな」
「あいにくと」
すべては今更の忠告だ。
極悪の世代、あるいは、個人的に純丘が付き合いを続けていた元後輩たちとその友達、彼らに限って言うのであれば。
せいぜい万次郎には気を配っておくか。純丘が思うことといえば、それぐらい。
ほとんど不干渉の実弟は、どうせ、上手いことやっているだろう。ろくに現状も知らないままそんなことを考えていた。
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