【完結】罪状記録   作:初弦

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午前八時全員集合

 直人は背中に走った衝撃に飛び起きた。襲撃にしては追撃もなく、半防御姿勢で目を白黒させている。

 

「やぁっと起きた」

 

 彼の背中を雑に蹴り飛ばした斑目は謝罪もなく、呆れた口振りですらある。寝起きの頭は現実の把握までにラグがある。

 幾ばくかの間を置いてようやく、直人は先だっての出来事を——まるで、出来の悪い悪夢の如き一夜を——思い出した。

 

「ここは……」

「兵庫」

 

 ほとんどつぶやきじみた疑問に、意外にも、望月が一言。開いたドアに寄りかかって葉巻をふかしている。といっても葉巻自体はすっかり短くなっていて、もう指につきそうだ。

 実のところ慶三の眉間を焼いた葉巻と同一であるというのは、マァ、本人が言わねば誰も気づくまい。

 

 ……潮風のかおりが強い。葉巻と対抗して酷い匂いを醸すほど。そして、波の音が響いている。

 

「……兵庫の、どこですか?」

「要るかそれ」

「……本庁に戻らないと、土曜日、出勤、ここから何時間……」

「言ってる場合か」

 

 呆然と述べられる言葉に、望月はきわめて冷静に反駁した。

 

「つくづく馬鹿っつうか、その馬鹿で命拾いしたっつうか」

 

 とうとうお役御免の葉巻を地面に投げて、靴の踵で踏みにじる。砂利が敷かれた駐車場——更地を均して紐を引いて駐車場と呼んでいる程度のものだ——火元になりそうなものはないが、そこらへんから飛んできた枯草にでも火がつけば、大惨事だ。

 

 真似しないでください。

 

「公僕って土曜出勤もあんの? はー、世知辛ェな」

「いいよなテメェは不定期出勤」

「イザナへの報告が不定期ってだけでオシゴトは四六時中してんだよ。盗聴だの監視だの、音抽出して倍速したところで今ンとこは書き出しの確認も人間がやんのが正確……てか望月(モッチー)そういや休みとかあんの?」

「灰谷ですら馬車馬の如く働いてる環境で?」

「あ〜、無茶〜」

 

 反社会的勢力の労働環境もだいぶ世知辛いことが判明した。ついでにしれっと暴露される違法行為。電波法、電気通信事業法、迷惑防止条例、軽犯罪法、さてどの条項にどれだけの罪が該当するのやら。

 

 直人は遠くを見つめようとして、我に返り、首を横に振った。今考えたところで意味もない話だ。

 今更ながら、ようやく車中から這い出る。

 

 花垣は、直人よりちょっとだけ起きるのが早かったので(というか彼もまた望月に強めに蹴られた。どいつもこいつも足癖が悪すぎる)先に車を出ていて、眼前の建物を見上げていた。

 無骨な鉄筋コンクリート製。緩やかな傾斜をつけた折板屋根は、シンプルにペンキ一色でベタ塗りされている。海岸脇に建てられた倉庫のようである。

 

「……死体処理工場……?」

「ああ良いな。今度からそうするか」

 

 からからと背後で笑う気配に、花垣は悲鳴を上げて飛び退いた。

 

「なんだよ、冗談だろ? ンなガチになってんじゃねえよ」

 

 からんとピアスを鳴らして、イザナはいかにも心外そうな表情を浮かべた。

 三十路にして童顔な顔立ちは未だ健在である。十二年前と髪型以外ほとんど変わらない。……身長も含めて。

 

「なァお前ら?」

「なんだ冗談だったのか。事業計画に入ってねえなと思ったら」

「つうかここ物流倉庫だろ。処理用機具運び込むところからかよって」

「エッさっきのはマジのトーンだろ!?」

「……そういやまだヤキ入れてなかったな、今入れとくか?」

 

 うっすら目を細めたイザナ。さながら蛇に睨まれた蛙の如く、鶴蝶と望月と斑目の失言三名は背中に冷や汗を流した。

 この三名、危機一髪の直後に長文報告とお叱りを受けている。睡眠だってろくに取れていないのだから注意力も散漫にもなろう。うっかり冗談のノリ方を間違えたりもするわけ。

 

 油断大敵とはよく言ったものだが、たかだか一言二言程度で命の危険を招く環境も大概だ。

 

「もうちょい後にしろ」

 

 と、そこに別の声がかかる。

 

 倉庫の方から歩み寄る人々、その先頭にいたのが武藤だ。こちらはベンツに押し込まれた六名よりも、一足先に着いていた。

 

「灰谷も来てねえだろ。まとめてやったほうが効率的だ」

「それもそうだな」

 

 そこで納得するんだ……という感情と、それでいいんだ……という困惑。

 

 ……ていうか焼き入れられる予定はけっきょくそのまんま決まっちゃったんじゃないか?

 花垣はふと気づいてしまった。指摘するかどうか、迷って、やめた。誰も藪蛇なんぞつつきたくない。

 

 それに、武藤が連れてきた人々、残り二人のほうが、花垣には重要だった。

 

「場地くん……と、えっと」

「よォタケミッチ」

 

 十数日ぶりの顔が軽やかに挨拶をかました。

 

 あ、はよっす。花垣もノリに釣られた。

 九死に一生を得た直後の挨拶にしては、羽のように軽い。

 

「こっちは三途……会ったことあるよな?」

「三途くん!? け、けっこう変わりましたね」

 

 具体的には十二年前よりも痩せこけて頬が削げている。髪色も当時から明色だったが、妙にサイケデリックな色合いへと変化していた。

 

 花垣の評論に、三途は大きく舌打ちした。

 この幼馴染が花垣に当たりが強いのは今更だ。マイキーとオマエで足して二で割れよ、場地は肩をすくめて、それからしげしげと花垣を眺めた。

 

「……腕の一本二本飛ばしてても正直驚かなかったけど、マジで五体満足じゃねえか」

「あのそれイザナくんにも似たようなこと言われたんスけど……」

 

 手足の残り数の想定が一本多いぶん、マシかどうか。

 

「……長時間共に過ごしていると類似点が出てくるとは心理学的にも言われますが、ジョークのセンスも似通い始めましたか?」

「げ、それは勘弁」

「聞こえてんだよ場地ィ」

「聞こえるように言ってんだよ」

 

 顔を顰めた場地に「テメェはんっとに昔っから自分の立場をわかっちゃねえな」イザナが不機嫌に吐き捨てた。

 

「わかってっからだろうが」

「どうだかな……マァいい。とにかく、お望みの野郎どもは配達してやったぜ。ちゃんと五体満足で」

 

 目を細めたイザナが、ぽん、と花垣と直人それぞれの肩に手を置いた。手を置かれた二人は、仲良く揃って、背筋に寒気が走った——正真正銘の危険人物にしっかり背後を取られているのが現状だ。

 黒川イザナの所業が悪辣極まりないことは、伝聞だけでもとっくにようよう理解していたし、たとえその前評判を知らなくたって、肩に置かれたこの手でハンドルを握り、情け容赦なくベンツで人を複数人轢いたのがつい数時間前のこと。

 

「運び屋の真似事なんざ、それこそ中坊以来かもな」

「逆にアンタにンな時期あったんだな……」

「金と人脈は大事だろ」

「マジでアンタにそんな考えあったんだな……」

「馬鹿にはワカンネエだろうけどな。で、なんか言うことあるだろ?」

「……ありがとうございました」

 

 背筋を正し、九十度の礼。茶化すこともない最敬礼。

 場地の礼にイザナはふんと鼻を鳴らして、視線を外し、肩をとらえていた二人からも離れていく。

 

「あ、ありがとうございました!」

「……助けられました。ありがとうございます」

「オマエらは八時間遅ェ」

 

 続いて述べられた二人の謝辞には憎まれ口で返された。スタスタと歩いて行った背が鶴蝶をド突き(鶴蝶は一切ブレずにイザナを見遣った。体幹の強さが化物じみている)二人でスマホの画面を覗き込んでなにやら話し始める。

 現状、もはやこちらに用はない、らしい。

 

 ふと自らに落ちた影に花垣は振り仰ぐ。もとより長身たる武藤は、朝日の方向と角度も相まって、花垣・直人・場地・三途の四人をほとんど一人で暗がりに落とし込んだ。

 三途は無言で眉をひそめ、一歩ずれて、日差しの方へと身を寄せた。冬の海岸付近で日陰はふつうに寒い。

 

「……ギリギリで打つ手間違えねえな。それともこれもタイムリープのおかげか?」

「……え? なんか間違ってたらヤバかったんすか」

 

 花垣の問いに、武藤はちょっと首を傾げた。

 十二年前とは髪型が異なり、黒染めに七三分けをしているが、こちらはこちらで過去の時点で〝オッサン〟呼ばわりされる程度に体格が完成していたので、顔立ちも体格もほとんど変わりない。

 

「まァ余計なことで怯える必要もねえだろうな」

「怯えるようななにかをされるかもしれなかった、と……?」

 

 気遣った結果なのかは不明として。人間の想像力とは豊かなものであり、つまり下手に具体的に答えられるよりも怖いのですがそれは。

 

「……とにかく」

「とにかくで済ませていいんすか」

「二度手間もなんだ。全員着いたら、諸々の説明を始める予定だったが……」

 

 露骨に言葉を濁して話題の転換を図る。

 言いながらも武藤は、ジャケットの袖を少し抑えるようにして、手首の腕時計の文字盤を確認した。

 

「……まだ来ねえやつらがな」

「来ねえやつら……?」

「灰谷兄弟」

 

 すぐさま場地が補足した。

 

 たしかに灰谷兄弟も東京卍會天竺派の幹部であり、道中でも、度々名前が出ていた。

 

「灰谷ども、俺らより先にずらかったんだよな? なんでそれで一番遅ェんだよ」

「どこか高飛びしたとか、じゃないですか。彼らは要領が良いでしょう」

 

 これは直人の意見。ちなみに実際、組対としても何度も煮湯を飲まされている。

 

「他の案件だったら不思議もねえが……」

 

 さらりと同意自体は示しつつも、武藤は首を横に振った。

 

「現状でこの段階であいつらが高飛びは、まず、ねえな。なんせ稀咲も殺してねえ」

「あのバカどもの稀咲への殺意、なんだよマジで」

「聞き出してェんならあいつらに聞け。……ああ、言っているうちに来たな」

 

 倉庫周辺には家屋もなく、片手には切り立った崖と海ばかりが続いていて、その反対側には、眼前の倉庫と似たような、鉄筋コンクリート製の建築物が並んでいる。これらも倉庫だろう。

 淡々と同じ形を揃えて並べた建物の陳列、その脇をすり抜けるようにして、アルトラパンが現れた。

 

「……あれが灰谷兄弟の車?」

「に、似合わねえ……」

 

 信じられないとばかりの直人に引き続き、うっかり本音が漏れたのは場地だ。

 

「俺も思う」

 

 武藤も真面目な顔で同意を示した。

 

 さて満場一致で〝灰谷兄弟には似合わない〟アルトラパン。わりと丁寧な所作で、適当なスペースに駐車したかと思えば、すぐに運転席の扉がバンと開いた。

 

「あー! 無理だって運転八時間ぶっ続けとか!」

 

 竜胆だった。

 

 紫の長髪をぐちゃぐちゃに混ぜて吼えた。

 

「酒飲まなきゃやってらんねえよ!」

「ない」

「ねえよ」

「終わったらな」

「クッソ……」

「重役出勤ご苦労だな。で、テメェの兄貴はとんずらか?」

 

 皮肉げに尋ねたイザナに「いる、単にさっきまで寝てたから髪型決まってねえって」竜胆が親指で車内を示した。

 

「おいばらすなよ」

 

 即座に兄の叱責が車内から飛んできた。

 

「へえ、俺が運転してる間にテメェは優雅に睡眠か。まさかそれで遅れたんじゃねえだろうな」

「いやいやまさかまさか……え、大将の運転? 激レア過ぎるだろ、何年ぶり? 稀咲も出くわしたらしいじゃん。マジでそっち行きゃ良かった」

「終わってからならいくらでもほざけるってワケだ」

「冷てェの。俺らもちゃんと働いてんだぜ? 鶴蝶に送ったっしょ、安否確認と保険に撹乱、船舶航路の揉み消しとダミーのプライベートジェット飛ばして、たぶん今頃フィリピンにでも逃げたと思われてんじゃねえの」

「確認したがオマエらが集合に間に合ってねえのは変わらねえな」

「勘弁しろ〜? パンピがサビ残憎んでんのこういうトコなんだな」

 

 当然ながら真なるパンピはサビ残感覚で犯罪を冒さない。たぶんプライベートジェットも飛ばさない。

 

 軽口を叩いている間に、ようやく助手席の扉が開く。

 蘭は、普段はオールバックにしている髪を、今日は固めていなかった。髪型決まっていないというのは本当だったようで。そんな状態でも一挙一動がスマートに見えるのは自己演出の賜物か。

 

 とはいえ、さすがに一八三㎝が車内に八時間詰められていたなら多少窮屈だっただろう。コートを羽織り、スーツを軽く払うようにして——さて。

 

 軽薄な笑みを浮かべて、瞳がざっとあたりを一瞥、それからふと目を瞬かせる。

 

「で、花垣どれ?」

「あソレ俺も思った。どれ?」

「場地の前のコレ」

「完全にモノ扱い」

 

 イザナがピッと親指で示したのはたしかに花垣だ。蘭は無遠慮にズカズカと近寄って(ほぼ鼻先、花垣はちょっと仰け反った)鼻で笑った。

 

「これがタイムリーパー? 冴えねえカッコ」

 

 兄に続き、竜胆がこちらもざかざかと歩み寄る。兄の肩に手をかけるようにして寄りかかり、花垣を眺めた。

 

「シケたツラしてんなー。大した取り柄もねえかんじ……」

 

 兄弟揃って開口一番の評価があまりに失礼極まりない。

 

 花垣や場地は挨拶がてらの悪口にいろいろと慣れているので気に留めないとしても、育ち自体は比較的良い直人の方が、うっかり頬が引き攣った。情報が正しければこの二人ってアラサーなんですよね……?

 いつもならもう少しまともに振る舞っているのだが、なにぶん彼らも働き詰めで精神がささくれている。ささくれたにしたって、出力結果がコレなのはどうかと言われれば反論の余地もないが。

 

「なーんかたまにガッコに顔出したときに頭トサカにしてイキってる雑魚とかこんなんだったよな。言うて腹パン一発で泣くやつ」

「なァマジでこいつで合ってんの? 全然関係ねえパンピーだったりねえ? 稀咲が手こずった敵とかホラだろどう見ても」

「ボロクソワーゲン……」

 

 悪意がない悪口はむしろ微妙な心地を促進させるらしい。花垣はひとつ学んだ。

 

「いつものことだから気にすんな」

 

 武藤のフォローがフォローの体を為していない。

 

「まだ興味ある方だろ」

 

 望月の補足がむしろ惨状を補強している。

 

「てか、マジで寒ィんだけど、寒くねえの? 全員集まったってのにいつまで外いんだよ〜。倉庫入ろうぜ」

「それについては同感だな……さすがにコート脱ぎたいんだが」

 

 狂犬と下僕、各々の訴えに——つまり彼らはフォローや補足すらも入れなかったわけだが——「マァそうだな」イザナは鷹揚に頷いた。

 

「倉庫の中に暖房あるっけか」

「期待しねえ方が良くね」

「……もう少し寒くねえ場所、他になかったか」

「野晒しよりマシだろ」

「お前らが来るまでにストーブとカイロと毛布は運び込んだ」

武藤(ムーチョ)有能〜!」

 

 修学旅行生か? というツッコミを直人はかろうじて飲み込んだ。

 

 

 

  午前八時全員集合

 

 

 

 ……それにしても、やはり寒さは人を疲弊させる。

 瀬戸内海は穏やかな海で有名だが、とはいえ平地の定め、外はどうしても吹きさらしなので、風が遮られるだけでも違うものだ。

 

 ストーブからはほんのりと灯油のにおいがかおっている。ようやく取れた暖に、寒さのこわばりが少しだけほぐれたところで。

 

「でさあ、」

 

 ——真っ先に口火を切ったのは竜胆だった。

 物流倉庫と名の通り、隅に荷物が片付けてあったが、それ以外はほとんど空っぽの倉庫で(しいて言えば、灯油タンクが置いてある。武藤がストーブとともに運び込んだらしい)彼の声はやけに大きく響いた。

 

「実際マジでハナガキ? がタイムリーパーとかいうので合ってんの?」

 

 花垣と直人が各々顔を上げた。

 竜胆はすこし頭を傾げるようにして、彼ら二人を順繰りに見た。すぐに首をひねる。

 

「見てもわかんねえんだよなー、だぁっていかにもモブじゃん。まだ稀咲が、場地が、って言われた方が信じるわ」

「さァ?」

 

 あっけらかんとのたまう声。

 毛布を畳むようにしてそこに腰掛け、イザナは己の足を組んだ。

 

「博打なんざ今更だろ。マどれにしたって俺にはどうでもいいが。……どうでも良くねえ奴らが確かめろよ、なァ、三途?」

 

 笑みを含んだ呼び声。いっそ場面に不似合いだ。

 

 呼ばれた三途は、大きく溜息を吐いた。

 

「ドブ野郎」

「……えっ俺っすか?」

「テメェ以外に誰がいんだよ」

 

 三途は知らなかったのかもしれないが、まずドブ野郎はふつう呼び名ではない。

 

「真一郎くんに会った覚えは?」

「ねえっすけど……マイキーさんのお兄さんなのは聞いてましたけど。タイムリーパーってのを知ったのも、昨日……? 忘れてるだけかもしんねえっすけど、だってマイキーさんのお兄さんが死んだのって、十何年か前すよね? たしか」

 

 視界の端でイザナがおもむろに指折り数えはじめた。右手を一度折り返し、二度折返し、四本指を畳んだところで、ひとり頷く。

 

「タイムリープの能力を最初に使ったのは?」

「こ、今年の七月頭っすね」

「ずっと使ってこなかったってか」

「そもそもタイムリープとかできるとも思ってなかったっすよ」

 

 当然過ぎる答えだった。

 

 譲られたという自覚がなかったのが花垣だ。架空の設定、物語として空想したことぐらいはもしかしたらあるかもしれないが、現実的な選択肢として思考を過るはずもない。

 

「なら——なんで、そんときは、使った?」

「……使おうと思って使ったわけじゃ……」

 

 花垣は思わず言い淀む。

 

 実際、発動のトリガーがなんだったのか、花垣は今に至っても理解していない。いつの間にか戻っていた、というのが彼の主観で、体感だ。

 

 敢えて補足するとしても——

 

「あの日、俺、電車のホームに落ちて……落ちてってか、落とされて、轢かれかけたんスよ。てか、あんときは轢かれたのかもしんねえけど」

「は?」

「獅音、しばらく口閉じてろ」

「んだってよ、」

 

 武藤に強めに叱責され、渋々口を閉ざす斑目。

 

「……たしかそのちょっと前に、ヒナと直人が、東卍(トーマン)の抗争に巻き込まれて死んだってニュース観て」

「ヒナ誰だ?」

 

 望月の声をひそめた問いかけに「タケミッチのヨメ……元だな。んで、直人の姉貴」場地もまた小声で答えた。

 

「轢かれるときに、あいつのこと思い出して……したら、いつの間にか、十二年前のダチが」

「そんときはどうやって戻った?」

 

 花垣の説明は要領が得ない上、時系列も行ったり来たり。

 しかし三途は(意外にも、と補足するべきだ)しびれを切らす様子もなく、淡々と追及していく。

 

「戻れると思ってなかったんすけど。十二年前自体、いろいろヒデェ目に遭った日だったし、なんかもう、最悪の走馬燈だなとか思ってたぐらいだし。ただ、直人が——」

「——十二年前の七月、武道くんに、二〇一七年七月一日に僕と姉さんが死ぬことを伝えられました。姉さんを守ってくれ、とも」

 

 己の名前が出たこともあり、直人が途中の説明を引き取った。

 

「十二年前当時の僕は、オカルトにハマっていたので、武道くんの言葉を本気にしました。本気にして、僕は刑事となり、その日を生き延びました。姉さんは——そのときは、七月一日に死ぬことを止められなかった。ただ、武道くんが七月四日に渋谷駅のホームから転落した、という話も聞いていたので……」

「直人に間一髪で助けられたっぽくって、そんときの俺は電車に轢かれないまま、無事生き延びたってかんじです」

「落とされたっつったな。誰にだ」

 

 わずかな沈黙。

 

 花垣は三途の表情を窺ったが、彼は、目元をてのひらで覆うようにしてうつむいており、表情は見えない。

 

「……アッくん、千堂敦」

「旧東卍(トーマン)派だな。松野の傘下だろ」

「マイキーが殺したリストにも入ってたはずだ」

 

 武藤と鶴蝶がそれぞれの記憶を諳んじた。

 

「正確には、武道くんが佐野万次郎と接触した以後です」

 

 直人は、花垣が提供した情報に訂正を加える。

 

「最初は……最初からそうだったのかもしれないし、そうではなかったのかもしれませんし、ともかく、わかりません。本人の証言を踏まえると、どうも稀咲の指示で武道くんを突き落としたようですが、それは東京卍會の幹部になったあとの彼が口にした話です。千堂敦は、最初は東卍(トーマン)でも末端のチンピラだった。少なくとも僕がはじめに閲覧した資料では、そうでした。そのはずです」

「……」

 

 三途が、静かに、そして深く、息を吐いた。目元を強く擦った。

 視界には蛆が湧いており、脳内で虫の羽音がする——幻覚と幻聴を精神力だけで振り払う。どうせ偽物だ。

 

 二重の視界。二重の聴覚。これらはいずれもどちらかが幻でしかないが、しかし、三途が持ち得るある一定の時期の〝二重の記憶〟は、どちらもたしかに本物だ。

 

 多重の記憶。異なる事実。

 助けたかったこと。助けたこと。

 

 一度目の真一郎は川に転落し、己が死を以て過去へと消えた。三途はあのとき間に合わなかった。二〇〇〇年の七月に握手したあのてのひらを覚えている。

 

 辻褄が。

 ……合う。

 

「テメェらがタイムリープしてるのはマジだと思ってやるよ」

 

 三途は投げやりにつぶやいた。

 

「稀咲がどうだかは知らねえ。ただ真一郎くんから能力渡されたとしたら、確実にこっち」

「へえ」

 

 興味深げに語尾を伸ばして、蘭が立ち上がる。ピーコートの裾が翻る。

 倉庫内はストーブがあれども寒々しい。結局コートが手放せないほどには。

 

 カツコツコツと、歩くたび、革靴が鳴った。意図的に甲高く鳴らしているようでもあった。

 

「つっても、オマエら、今更なに変えるつもりなワケ? 元ヨメだの姉ちゃんだの助けてェんなら、見張っときゃいいんじゃねえの。七月一日だっけ?」

「そう思っていた時期もありました。けれど、稀咲は、あいつは……」

「……七月一日だけじゃねえんすよ。何度もタイムリープしても、あいつは、何度でもヒナを殺してる。わざわざ、狙って」

 

 確信を持った物言い。

 花垣は、視界に東京卍會天竺派の幹部たちを捉えながらも、脳裏には炎上するトラックを思い描いていた。瞬きをすれば、その光景は、留置所で見せられた録画映像に切り替わる。

 

「だから、俺たちはそもそも稀咲が東卍(トーマン)を操れねえようにしなきゃなんねェ。八月も、ハロウィンも、黒龍(ブラックドラゴン)のことも……」

「そんで今度は、十二年前のクリスマス・イヴか?」

「エマちゃんが襲われたのはそんときだって聞きました。榎さんが殺されたのも」

 

 蘭がほんのわずかに右目をすがめた。親しい人々以外には気取られぬ程度、ごく些細な仕草だ。

 

東卍(トーマン)が完全に変わったのは、そこだろ」

 

 もう一度、花垣は瞬きをする。

 項垂れた三ツ谷のシルエットは思い出せるのに、表情はうまく像を結ばない。

 

「エマちゃんが目ェ覚まさなくなって、金が必要になった。兄貴を殺された稀咲に、言い返せるやつがいなくなった」

 

 これは、橘日向を助けるという、最初期からブレない目標に基づいた理由。

 

「エマちゃんはヒナのダチで、明るくて可愛くて、ドラケンくんとすげーお似合いで。榎さんは頭が良いのに苦労人で、親切にしてくれて……どっちも、稀咲の計画の巻き添えにされていいような人じゃねえ」

 

 これは、過去に中学生花垣武道としてふたりに関わったがゆえの、理由。

 

「……なにが知りてェって?」

「エマちゃんが襲われた時間と、場所。これはホントに情報がなくって、せめて絞り込めなきゃ無理っす」

 

 まず花垣は即答した。

 第一に優先される情報だ。万次郎の闇落ちの決定打であることは確実で、稀咲が東京卍會に深く食い込む契機でもあった。加えて情報収集もまるで上手くいかない。

 

「榎さんは……時間と場所はわかってるけど、そもそも、あの人をカッターナイフで殺せた理由がわかんねえ。俺、あの人にマジで簡単に手首捻られてなんもできなくなったことあるんすよ?」

 

 蘭の淡色の瞳が己が弟に振られた。竜胆はジッと花垣を眺めている。

 端正な顔立ちは、表情もなく、タイムリーパーを注視している。

 

「それと、」

 

 と、花垣は言葉を続けた。

 

 直人はほんのわずかに瞠目した。他に必要な情報があっただろうか——実のところ、花垣もこの点に関しては、記憶を振り返っているうちにふと思い出した、というのが正しい。

 

「マイキーくんって両親いなくて、兄貴が親代わりだったって話してたんで、十二年前の事件で親の話が出てこねえのはそりゃそーって思ってたんすけど。……思い出したことがあって。マイキーくん、たしか、じいちゃんいたはずだって」

 

 三途に放り投げて、ここまで無言で静観していたイザナの眉がぴくっと跳ね上がった。

 口元に浮かべていた笑みが剥がれる。

 

「エマちゃんが死にかけて、入院ってハナシになって、まず金出すのって大人の方っしょ。稀咲が介入できてんのが、ヘンってか」

 

 多少の喧嘩程度ならば隠し通せるにしても、入院沙汰ともなれば、保護者に連絡がいかないはずがない。

 

 保護者としての責任を完全に放棄しているならまだしも、花垣には、又聞きする万次郎の祖父については、とてもそうは思えなかった。——純丘榎が万次郎の祖父のもとでアルバイトをしている、とは、かつての東京卍會の上層部にとって周知の事実と化した。

 すくなくとも、人を雇用する能力があるはずだ。なんだかんだで我が強く、間違ったことを突っ撥ねる男が大人しく雇われ続けていたなら、人格もそう破綻したものでもないと踏める。

 

「なんかあったんじゃねえっすか。そっちも」

 

 花垣をジッと見下ろしていた蘭が、ふと、場地を振り返った。

 

「オマエ、教えた?」

「教えてねーよ。てかテメェらだろ俺がなんか教えたら居場所マイキーにばらすってごねて連絡も逐一チェックとか入れたの」

「そりゃそう」

 

 しれっと頷いた蘭。

 直人と花垣は顔を見合わせる。心は一つ——ここまで来たら察してはいたけど、にしても口止めしてたのこいつらかよ!?

 

 しかも、言葉選びこそごねた、と言うが。要するに脅迫だ。

 

「……佐野と俺は家族じゃねえ。血も繋がってねえ、戸籍も違う。だから、エマも、爺さんも、俺が助ける義理もない」

 

 嘆息のような吐息をこぼして、それからイザナはつぶやいた。「そもそもとっくに死人だ」言葉選びは強かったが、ただ当てつけではなく、むしろどこか己に言い聞かせるようだった。

 

「義理はねえんだが。……あの日、庇われたぶんは返せてねえし。五万に饅頭って利子いくつだろうな?」

 

 彼の台詞の意味は、その場にいる誰にもわからなかった。

 当事者以外で唯一、意味を知っていた男は、この未来では既に死んでいる。

 

「で、場地、オマエはどこまで知ってんだっけ」

「……エマのことは、渋谷で襲われたっぽい、以外は知らねえ。塾長はマジであの人をパンピーが殺せるビジョンが見えねえ」

 

 場地は渋い顔で断言する。

 

「マイキーの爺ちゃんは……十二年前のクリスマス・イブから行方不明ンなってたろ」

 

 花垣の読みは当たっていた。またもや、十二年前の十二月二十四日に、すべてが集結している。

 

 イザナがかすかに笑った。思わず漏れた笑みに見えた。

 

「行方不明、そこまでか」

「……見つかってたんか?」

「腹の野郎の知り合いに、なァんかやたら耳の多い麻取がいてよ」

「……まさか塾長の師匠?」

「ああ知ってんのな、そいつ。アオサギ」

 

 場地が引き攣った声を上げる一方で、イザナは我が意を得たりとばかりに指を振る。紫の瞳がどこか遠方に投げられて、あらぬところで焦点を結ぶ。記憶を回顧する様子。

 

「事件から……半年ぐらい経った頃か、アオサギがサツの方から水死体パクってきたんだよ。手続は踏んだらしいがどうせろくな手でもないとして」

「それ本当に麻取ですか……?」

「俺らも常々思ってるぜ? ただ、今あの化物の話をしたところで意味もねえだろ」

 

 純丘榎について、天竺の彼らは、大人に気に入られるのが上手い男だったと知っている。彼ら曰くの〝化物〟が曲がりなりにも気を利かせてきた理由だって、そこだ。

 

「潮の流れか、沿岸に今更流れ着いたらしい。骨格が男、身長と虫歯の位置がジジイに似てるとよ」

 

 ぱたりと手が降ろされる。

 

「水死体は厄介だ。腐肉がたっぷり水吸ってっから顔もろくにわかりゃしねえ。加えてそんな状態でもわかるぐらい、あっちこっちの骨がバッキバキ、顔面陥没、殴り殺して海に捨てたのがよくわかったよ」

 

 冷めた言葉に、しかし、嘲りは含まれない。

 世の中を斜に構えて評するイザナにしては、ずいぶんと珍しいことだった。

 

 彼の瞳がふっと焦点を現実に戻す。ストーブの周囲に集う面々を、その顔つきを、紫がただ俯瞰した。

 

「それでも焼かれてねえなら、DNA鑑定はできる……つくづく血縁は便利だな? 万次郎とエマ、どっちのでも、祖父母肯定。あれがジジイだった。死亡推定なんざ、もうわからなかったが、読めたもんだろ」

「十二月、二十四日に、失踪している……」

「そうだ」

 

 すなわち、殺された日付も同等だろう。

 

 そこまで推察して、直人はふと、思い出したことがあった。十数日前に柴大寿が述べた言葉だ。

 

〝あの日のゴタゴタで出た死人は、俺が知ってる限りじゃ、二人だ〟

 

 一人は純丘榎。病院で死亡が確定している。

 

 佐野エマはといえば、この十二年間、延命治療が続けられていた。少なくとも当時は死人ではない。

 純丘を殺害した少年が首を吊ったのは、事件の翌日。てっきり余波の総数としてカウントしているのかと考えていたが、それではエマも含まれて、数は超過してしまう。

 

 ——佐野万次郎の祖父、佐野万作を加えることで、ようやく、死人の数が合致する。

 

「東京卍會内部での情報ですか、それは」

「上層部だけだな。隊長格と、元黒龍(ブラックドラゴン)十代目に俺ら天竺、そんぐらい。それまでは手が空いてるやつが捜し続けてた。捜索を打ち切るにも理由が必要だが、晒し者にする意味はねえ。……場地が知らねえのも無理はねえよ。中三の夏は受験で忙しいモンだって聞いてるぜ」

 

 揶揄うように目が撓み、それからイザナはふっと息を吐いた。

 

「稀咲が手ェ加えたところで、結局、東卍(トーマン)の野郎どもは揃いも揃って良い子ちゃんだ。誰もカタギを巻き込む気もなかったんだろ。巻き込まれた馬鹿どもは、案の定、揃いも揃って死にやがった」

 

 誰も彼もが、暴走族でも、不良少年ですらもなく、ただ巻き添えに被害に遭って、死んでいく。

 取り返しがつかないことに、足掻こうとして、更に深くへ落ちていく。

 

「エマも、爺さんも、あの日いつ外に出たのかは、俺は知らねえ。そもそも抗争間際で相手の総長の家族とか気にしてる暇あるかよ」

「マイキーくんは……」

「聞いたこともねえな。どうでもよかった、過ぎたことだしな。そもそもあんときのあいつ、ちゃんと話できる状態でもなかった。——そんでも、ひとつ言うなら、真一郎が生きてた頃の話だ」

 

 なめらかに挙げられた名前は、この十数日で、花垣も直人も聞き慣れてしまった。

 黒龍(ブラックドラゴン)の創設メンバーの一人であり、初代総長。初代黒龍(ブラックドラゴン)の幹部たちがタイムリーパーの能力を求める原因。花垣武道より以前にタイムリーパーであったはずの人間。

 佐野万次郎と、佐野エマの、兄。黒川イザナにとっては、兄に、家族になり損なった男。

 

「あいつが、毎年、クリスマスは神社に参拝しに行くとか言ってたのは覚えてる。エマも連れて行くようになったとかな」

「クリスマスに……神社?」

 

 花垣は復唱した。ずいぶん特異な習慣だ。

 直人はこっそり首をひねった。橘家の毎年の恒例行事だったからだ。

 

「真一郎が死んだ年と、その次は、たしか純丘が付き合わされてたな」

 

 イザナは足を組み替えて、呆れたとばかりにぐるりと眼球を回す。

 

 全く、つくづくよくわからない男だった。

 身のうちに入れたものたちに対しては、息をするように親切を行うくせして、線引きははっきりと、時折驚くほどにドライな側面を見せる。

 

 二〇〇五年も同じく約束をしていた可能性はあるだろう。しかし——

 

「あいつは、あの日はそれこそ、エマが病院に運び込まれるより前に死んでた。付き添える状態でもねえ。兄貴やそのダチは抗争でピリピリしてんだから、あの時期はなるべく一人で外出すんなって言われてたろ。あの日のエマが、家にいた爺さんに声かけて、一緒に出かけてたとしたら」

「それ、どこの神社すか」

「そこまでは知らねえよ。真一郎が生きてたのはそれこそ十何年も前だぜ? 真一郎からその話を聞いたのだって、俺がガキの頃だ。わざわざ詳しく聞く気も起きねえしな」

 

 花垣の食いつきに、うざったそうに眉をひそめて、イザナは首を横に振った。

 

「どこの神社かは知らねえ。が、俺がガキの頃ってなりゃ、エマはもっと小さい。冬ならうっかりアイスバーン踏んでもおかしかねえ。いくら真一郎のライテクでも、バイクに乗せたら事故る可能性の方が高いだろ。あいつは、車はろくに走らせなかったから……ガキ連れてくなら、あの家から徒歩で行ける距離」

 

 そしてその神社に律儀に通い続けていたとすれば。

 襲撃地点はおよそ渋谷区内の神社のうちいずれか、周辺かその行き来の路地。

 

「俺があの日に関して言えるコトはここで終いだ」

「あ——ありがとうございます! けど、榎さんのことは……」

「そいつはもっと適任がいるだろ」

 

 言いながら、イザナに一瞥を向けられたのは灰谷兄弟だ。蘭と竜胆。過去ではどこか得体の知れぬ、そして、現在では度々稀咲に殺意を滲ませる。

 花垣は一瞬戸惑いを見せた——なんで、灰谷? 心境としては直人も一致だ。

 

 純丘榎、あるいは稀咲榎が、灰谷兄弟と交流があったなど、過去でも現在でも聞いたことはない。天竺という括りであればたしかに面識はあってもおかしくないが、わざわざ名指しされる理由は見当たらなかった。

 

「稀咲の兄貴ってのは割れてて、万次郎ンとこバイトしてたのもバレてて、俺と知り合いってのまでコイツらわかってんのに、テメェらだけはマジで隠し通すの上手かったな?」

「隠せたところで、結局死んでんだから意味ねえよな〜」

 

 イザナの皮肉に、蘭もまたうっすらと笑みを浮かべて返した。

 

 こちらは、皮肉ではない。皮肉にすらならない。

 せっかく距離を取ってやったというのに——八つ当たりが最も近しいだろうか。

 

「場地が口噤んでりゃ、あとはアオサギと、ギリ九井とかが覚えてるかどうかじゃねえの? こいつらが話聞きに行けてるとも思えねえけど。フクブのパンピーの方の人脈はそれこそ関わりねえか、俺らの話なんざ出さねえだろ」

 

 兄弟ともどもよく舌が回る。指折り数えて竜胆は「生きてたら違ったかもな」と締め括った。

 

 その目が花垣と直人を見据えて、ニコ、と笑みを見せる。……この場にそぐわぬ朗らかさは、むしろ、警戒心を煽る。

 

「中学の頃におんなじ部活だったんだよ。あいつが副部長でフクブ」

 

 花垣的には〝灰谷兄弟が部活に入っている〟という情報だけでも頭がわりと混乱する。

 

「最初の頃は潰すか殺すかしようとしてたんだけど、あいつマジで手強ェじゃん? なんか殺せねえうちに仲良くなっちゃってマァいっかみたいな」

「殺……」

「あいつだって当時中坊のくせしてマジで強かったんだよな〜」

 

 どう考えても軽快な口調で話す内容ではない。

 

「だから花垣のソレな、俺も兄貴も思ったワケ。なんであいつが殺されてんのって話だろ。中坊の頃っつったって、俺らだって殺せなかったのに」

 

 十代前半にして傷害致死幇助で少年院に放り込まれ、現在進行形で反社会的勢力幹部。そんな男の言葉だ。説得力が違いすぎる。

 

 つらつらと話しながらも竜胆は無造作に距離を詰めていた。花垣と直人の目前で、だん、と踵が床を叩く。踏み抜かんとばかりの勢いだった。

 

「オマエら、なんでだと思う?」

 

 ——知るかよ。

 二人の内心の答えは当然一致として。

 

「……純丘榎の件は、通報があり、駆けつけた警察官が犯人を現行犯逮捕したそうです」

 

 なんとか声を絞り出したのは直人の方だ。竜胆の眼差しが直人に固定された。

 

「現場は夜の九時、天気は雪、クリスマス・イブともなれば外出先も絞られてくるので、普段より人通りは少なかったでしょう。天候と、傘を差している事も踏まえて、視界も不明瞭だったはず、犯行の目撃者がそう都合よくいるか……」

 

 事件を証拠のない推論で語ったところで意味もない。だから直人は、この可能性には特に言及しなかった。

 

 そも彼は純丘榎とやらに会ったこともないので、実力は不明瞭。武道の心得があったとしても、ただの一般人が、非常事態において、興奮状態の人間を制圧できるかは疑問が残る。

 ただし、当時不良少年として接触した花垣、また、当時から危険人物として恐れられていた灰谷兄弟。彼らのお墨付きの上で、純丘榎という男が、事件当時も本当に一般人らしからぬ動きができたとして。

 

 その上で——それでも、殺されたと言うなら。

 

「当時の純丘榎には同行者がいて、そちらの方が事件を目撃、通報したのかもしれない……とは、思いました、が」

「……なんだ、そこまでわかってんじゃん?」

 

 竜胆は不思議そうにつぶやいた。

 

「あのとき、フクブにはツレがいた。だからあいつは、ツレが注目されねえように、自分に引きつけるために、煽った。煽りすぎて——うっかり殺された」

 

 あっけらかんとした口振りだった。

 

 惜しむ様子もなく。悔しがる様子もなく。

 あ〜あハズレでしたね、と、ただそれだけ。

 

「馬鹿だよな?」

「……ただ、同行者に関する記述は、調書にはなにひとつありませんでした。他に事情が……」

「同行者だけ? 警察(サツ)とか興味ねえから俺ソレ読んでねえけど、どうせほぼ全部じゃね?」

 

 すぱりと当てられて直人は口を閉ざした。

 

「ならかんたん。なかったことになっただけだな」

 

 直人を特に気に掛けることもなく、竜胆は、言葉を続けた。

 

「そんときのツレの親が警察関連だったらしくってさァ。なんせ、娘の目の前で滅多刺しの殺人だぜ? 御配慮ってやつ? あいつの家関係の知り合い、そういうの多かったんだわ」

「そんなことまかり通るわけが」

「いや〜通るぜ? フクブの実家だって、稀咲の方もそっちじゃねえ方も、官僚だったか病院の院長だったかデカめの法人の役員だったかだし」

 

 存命の頃の元副部長が心底嫌っていた話なので、灰谷兄弟も、彼の実家の詳細な内訳なんぞ覚えていない。ただなんらかの圧力をかけられる立場であったことだけは確かだった。

 

「刺したやつは勝手に死んで、動機っぽいチームにはフクブのオトウトがいた。実際事件に関わったにしろ、そうじゃねえにしろ、醜聞じゃん? だから実家の方もなかったことにしたかったワケ。たかだか出来の悪い息子一人、ってな。ウケるだろ」

 

 本当によく喋る。次から次へするすると、口元には笑みを浮かべたまま。

 ただ至近距離で見据えられている二人からは、竜胆の目があまりにも冷めていて、無感情なのがよくわかった。

 

「フクブを死なせねえってんなら、誰かと一緒に出歩くなって、それだけ言っとけよ」

 

 ここでようやく、竜胆は足を引いた。

 脅すように踏み込んだ踵を、一歩後ろに置き直し、膝を畳んで、その場にしゃがむ。

 

「あいつ一人なら、死ぬことなんざなかった」

 

 蘭は、諸々弟に任せて、静観に徹していた。笑みを浮かべるわり、面持ちに感情はなく、時折、思い出したように瞬きをする程度。

 

 その肩を武藤が小突く。淡い色の眼差しが武藤に振れた。

 

「言わなくていいのか」

「……ハナガキがちゃあんと仕事さえすりゃフクブは助かる」

 

 端正な顔立ち。酷薄な表情。問いかけの意図を察して、瞳だけが細められる。

 

「それ以外のこと、気にする必要とか、ある?」

 

 利己的にして悪辣。揺るぎない加害者としての本質。

 天竺幹部と呼ばれた者共、その内側での連帯と、それこそ、かつての副部長だけが例外だ。

 

「……相変わらずだな」

 

 辟易とつぶやく武藤に、口元だけはやはり笑みを浮かべて、蘭はコートの袖からひらひらと手を振った。

 

「勝手に死んだのが悪いだろ」

「何度目だ、それ」

「さァ? 数えても意味ねえのは、知ってる」

 

 囁きより小さい声での会話だ。他の誰も聞き取れなかった。

 

 ほとんど同タイミングで、斑目がふと眉を寄せ、スマホを点けたのち「げ」と呻いた。

 こちらは皆が聞き取った。

 

「ア? なに獅音」

「どうした?」

「フィリピン現地、マイキー確認」

「あ〜……」

 

 スマホをポケットに戻しつつも端的に告げられた言葉に、鶴蝶が額を抑えた。

 

「マイキーがそっちに飛んだってことは、稀咲や初代は国内と読んだだろうな……イザナ、どうする?」

「どうもこうもナ」

 

 イザナは変わらず毛布をクッションに、腰を落ち着けていた。膝の上に頬杖をつき、てのひらを開く。

 

「エマの話はした、爺さんの話もした、凸凹兄弟どもは言い残したことは?」

「もうねえかな。稀咲優先」

 

 竜胆は言うわりにしゃがみこんだままだ。彼は休憩なしの長時間運転でだいぶ疲れていたので、動きたくねえな、と思っていた。なんならストーブの暖気に当てられて眠そうだ。

 

 瞼を半分おろした部下に、イザナは鼻を鳴らす。どうせ必要が生じたときにはちゃんと稼働することは知っている。蹴り飛ばしてでも稼働させるので。

 

「ならオカルトコンビはさっさとタイムリープでもなんでもしてこいよ。足手まといが何人もいるとこっちの手間がかかる」

「マジで粗雑……」

「今回でつくづく実感したよ。俺の部下をパンピ一匹守るためだけに使うの、マジでコスパ悪い」

 

 人命とコスパを天秤にかけてコスパを取っている。場地の非難の視線もどこ吹く風だ。

 

 傍らで湧き起こる諍いは置いといて(なにせ天竺の面々から世間一般的な倫理観が欠如しているなんぞ、あまりに今更だからだ)三途は、花垣と直人を眺めていた。

 彼らが橘日向を救おうとしているように、かつての佐野真一郎は、弟を救うために遡行した。結果として救済自体は成立した。

 

 しかし——万次郎当人が、現状の二〇一七年を望んでいたかと尋ねられれば、明らかに否だ。

 

「花垣。過去の俺はテメエが心底疑わしくて気に入らなかった」

「そ、そうなんすか?」

 

 ほとんどの者には既に周知の事実だが、あんまり関わりなかったので、これは花垣としては実は初耳。

 

「今もだろ」

 

 竜胆が鼻で笑った。睡魔に打ち負けそうでも茶々を入れるタイミングは逃さない。

 

「マイキーに入れ知恵してんのがソイツだと思ってたんだよ」

 

 三途は苛立ち気味に反駁した。

 

「逐一クッソ怪しいわ、妙なことを嗅ぎ回るわ、なんか訳知り顔だわ、マイキーに馴れ馴れしいわ」

「……あれはマイキーが馴れ馴れしかったんだろ」

「だァってろ頓馬。東卍(トーマン)の部外者が口出すな」

「俺、ケーサツの前に、幼馴染な? そもそも東卍(トーマン)作ったの俺らな?」

 

 たとえ幼馴染同士であっても、佐野万次郎に対する解釈には差異があるらしい。

 

「とにかくだ。心底怪しいし、気に入らなかったが。だからテメェの行動が先に起こることを知ってて動いてんじゃねえか……と、ハロウィンの頃には勘づいてた」

 

 半ば無理やり、話が本筋に戻ってきた。

 

「妙な動きなんざしたら、今度こそ邪魔できるようにな」

「そこまで疑われてたんすか俺」

「12・1宣言ンとき三ツ谷にチクったの、俺」

「……三ツ谷くんいたのそういう理由!?」

 

 そういやいたな、いたか? かつての天竺の面々がひそひそと囁き合った。

 なにぶん彼らにとって十二年も前の出来事であり、それ以前に彼らの大半は興味ないものをまるで覚えないので、記憶が若干抜けている。

 

「それで、二〇〇五年の俺は、タイムリープの世界改変を経験したあとだ」

 

 佐野真一郎の一度きりのタイムリープが起きたのも、佐野真一郎が死んだのも、二〇〇三年のことだ。

 花垣はその具体的な年月日を知らずとも、二〇〇五年時点で既に、佐野真一郎が故人たることは知っている。

 

 なるほど、確かに、そういうことになるだろう。

 

「テメェのことはどっちにしろ、心底気に食わねえが。マイキーが作った東卍(トーマン)を、稀咲に好き勝手されたことのほうが俺は気に食わねえ」

 

 眼光鋭く、ほとんど睨むような眼差し。

 

「どうせテメェのことだ、タイムリープしたら怪しい動きすんだろうし、したら過去の俺は疑う。だから……探り入れてきたら、タイムリープのこと、言っとけ。〝二〇〇三年の七月二十日になりそうな未来なんざ見たくねえだろ〟とでも言えば、信じて、折れる」

 

 語気は強く——しかし、どこか懇願に近い雰囲気をまとっていた。

 

「わ、かりました」

 

 花垣は、気圧されたように頷いた。

 

 二〇〇三年の七月二十日。その日付が具体的にどのような意味を持つのか、三途は述べなかったが、ともあれ内心復唱して脳みそに叩き込む。

 事情を知っている協力者が見込めるかもしれない、というのは、花垣としても希望となりうる。

 

 握手を為す。今度こそ頑張ってくださいとのコメントを最後に、意識は過去へと飛ぶ。

 兵庫の海辺、埃くさい倉庫の片隅にて、花垣の身体は、仮死状態と化した。

 

 主人公が消えた以上、この二〇一七年はもはや本筋ではない。いずれターニングポイントを迎えた暁には、あっさりと上書きされる世界だ。




土曜出勤
:まあある

アルトラパン
:HE03系を想定
 灰谷竜胆が何代目かの元カノに買った
 車ごと断捨離された

俺が運転している間に
:実は黒川イザナ御一行は車ごと船に積んで船を運行したという裏設定
 傷だらけのベンツが走行するのはいかんせん目立ちまくりますからね
 船も黒川イザナ運転(無免)
 武藤&場地&三途一行・灰谷兄弟は普通に高速経由

ボロクソワーゲン
:フォルクスワーゲンに恨みはない
 それはそれとしてこの物語において花垣は車を持っている人類全員に若干僻みがある(1巻1話等参照)

庇われたぶん
:罪編「抱えきれない」5 months agoより

五万と饅頭
:罪編「許しきれない」3 months agoより

水死体
:文中で言及したような要因に加え、肉食魚がついばんだりもするので、ろくに原型も留めていないことが多い

あの日のゴタゴタで出た死人は
:「望んでいる」かつてこどもだった誰しも より

二〇〇三年七月二十日
:31巻270話
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