「榎さん、今月の二十四日らへんは渋谷に絶対近づかないでください」
「は?」
純丘榎が佐野家でアルバイトをしていることは、ハロウィンの抗争での乱入・闖入・ところで結局あいつ誰? 事件を経て、東京卍會の幹部陣には周知の事実となった。
さすがに始業時間より大幅に早めに行く、なんて行動は必要でもなければ純丘もしない。行きのときに話しかけたとしても、それが長話であれば、用事のあとにしてくれとやんわり除けられる。逆に言えば、帰り際を待ち構えれば簡単に捕まえられるということ。帰宅時を狙った花垣に捕まったのはそういうわけ。
純丘は、開口一番の訴えに思わず素で返してしまった。
「なんの話……ああ、抗争の日取り、そうなったのか?」
「そ……んなかんじっす」
露骨に他にもなにかあると言わんばかりだ。
しかしつくづく嘘が下手な様相を見せる——数秒思考整理の時間を設け、それから純丘は口を開いた。
「タケミッチくん、俺たちが前に会った日のこと覚えてる?」
「エ?」
花垣はきょとんと目を瞬かせた。脈絡もない質問だった。
純丘の声色は気軽で、表情もいつものもの、なにか探りを入れるような問とも思えない。
記憶を振り返るためにしばし考え込み(なにせ現代から戻ってきたばかりで、直近でも出来事の混雑が激しい)結論を出す。
「あー……映画んときですよね? ヒナと一緒だった」
この回答に、質問者たる純丘は刹那沈黙した。
彼の記憶に、花垣と日向の映画デートに遭遇したことは記録されているが、それは半月と少し前。
そして、ディズニーに団体で訪れたのが十日ほど前の話だ。メンバーの中には花垣もいて、ただ、雰囲気がわずかに違ったことだけは覚えている——明らかな記憶の相違。
あの日は万次郎に対して〝人格が違うほどでもない〟とは評したが、しかし。
「ちなみに今更だけど右手首大丈夫か?」
別の問いを投げる。
「前に手加減無しで捻り上げちまったろ」
「それは全然! ……てか、もう二ヶ月ぐらい前の話っすよ? マジで今更っすね?」
「ホントにな。確認を怠ってたのは悪かったよ」
そして——なるほど、と内心つぶやく。
記憶の相違、雰囲気に垣間見える違和感、さてそのからくりは純丘の知るところではない。
少なくとも〝稀咲〟のことで探りを入れた花垣と、ハロウィンの彼と、今このとき警告した少年は、純丘がよく見かける方の〝花垣〟で同一のようだ。
「で、なに、十二月二十四日だっけ?」
「そうっす!」
ハロウィンの前後同様、どうせ口も割らないだろう。無意味な追及より目先の話題を優先するべきだ。
純丘は話を引き戻した。
「クリスマス・イブだな。教室は休みだが、塾講師のバイトのシフトが一応……」
「塾ってクリスマスもやるんすか!?」
ヤンキーたちはわりと中卒で就職、進学するとしても偏差値低めで手軽に手に職つけられるところ、等よくあることなので、受験事情にあんまり詳しくない。
「クリスマスは祝日じゃないしそもそも受験生に祝日なんてないんだぜ、タケミッチくん。十二月は追い込みの時期だし、尚更」
「し、知らない話だ……」
純丘はもとよりバイトと塾経営の両立をしている上、数年前は、それこそ当人こそが受験生。どこぞの日本最高峰の大学を目指していたので、アルバイトと食事と睡眠以外は、ほとんど勉強時間だった。
移動中も暇さえあれば単語帳を開いて、問題集を解き、就寝の前には課題とともに過去問反復——と、いう話をしたところで眼前の人物にはちんぷんかんぷんのようなので「さておき」と純丘は己で行った脱線を修正。
どうにせよ純丘が受験生だった頃の生活も、他人に話せば、何故そこまで別事も並行しながら受かったのかと訝られることだろう。
「さすがにシフトは変えにくいんだが、真っ直ぐ帰宅すればいいか?」
「できればそのあとも誰とも遊びにいかないとかだとありがてェんすけど……」
「どっちにしろ、授業終わるのも十時半ぐらいだから、普通に夕飯食って寝に帰る予定だったよ。……にしても注文が多いな?」
「す、すんません、あと特に神社のあたりはなるべく寄らないでください」
「マジで注文多いな?」
「スイマセン」
気後れしている様子はある。明らかに怪しい要請だと、花垣本人もわかっているからだ。
しかし要請が撤回される気配はない。なんとしてでもゴリ押ししたいという感情だけは伝わってくる。
稀咲の苗字を知っていた件といい、今のやり取りといい、花垣独自の情報源を有していることは純丘にも察せられるが。経緯も内情も共通項も、未だにさっぱり見当がつかない。
「まァわかった」
ホントになんなんだろうなタケミッチくん、しみじみと思いながら純丘は頷いた。特に断る理由もなかったからだ。
「ヨシッ!」
花垣はガッツポーズで喜んだ。
「約束っすからね。絶対守ってくださいよ、絶対」
「す、すごい圧だな。心に留めておくが……」
「絶対ですよ」
「そんなに念押すほど俺って信用ないか?」
「めちゃくちゃ信用あるからスよ!」
「ああそうなの……ありがとう……」
信用されないような言動をした覚えもないが、そこまで全幅の信頼を置かれても困惑はする。
「絶対なんで!」
もう一回花垣は念押しして、駆けていった。つくづく若いのは忙しねえな、純丘はそんなことを思いながら見送った。
中身は彼よりも歳上だとは、言わぬが花、知らぬが仏というやつだ。
さて、二〇〇五年に戻ってきた花垣のことである。
彼はとりあえず佐野家までひとっ走りし、取っ捕まえた純丘にきちんと言い聞かせられたので、予防策のうちひとつを済ませられた。純丘榎という男は、花垣から見ても一般人寄りのわり、不良少年たちの話を素直に聞き入れる。効力は高そうだ。
とはいえこれだけで防げていたら、毎度毎度走り回って怪我をして殴り合って、などという事態には陥っていない。第一、花垣としても純丘のことはたしかに助けたいが、しかし彼だけを助けたとしてもおそらく意味はないのだ。
花垣はいい加減経験から学んだので、きちんと対策を立てることにした。
手始めに、集会に出向いて、千冬を捕獲し、二〇一七年で得た情報を共有するところから。
——はたと気づいたのは、武蔵神社までの路を半ばまで進んだところだった。
「……そういや、今日の集会ってどこでやってんだ……?」
東京卍會の集会といえば武蔵神社だろう、
と、断言できない事情がある。
12・1宣言。そう題された
その裏にて南朝天竺は、東京卍會と
主目的たる東京卍會の内紛、
もちろん武蔵神社もきっちり燃やされて生垣が黒焦げになったので、巡回ルートに入っていた。
そしてこれまた当たり前のことだが、警察の巡回ルートで集会とか、できない。
正確には、集会まではギリギリ可能だ。ただしだいたい全員無免許バイクの常習犯、それだけで補導の根拠になりうる。
加えて抗争の日取り等を具体的に相談していれば、さすがに声をかけられるだろう。下手をすれば凶器準備集合罪あたりに引っかかる可能性が高い。
それこそ二〇〇五年十二月一日当日は、武蔵神社に消防も警察も出動したからこそ、東京卍會と
苦い思い出が色濃いのは、花垣の事情だとして。
さてあの公園のままなのか。別の場所に移ったのか。
てか曜日的にいつもの時間から集会だと思ってたけど、合ってる——!?
内心叫んだところで誰かが教えてくれるわけもない。
「いっそ戻って聞いたほうが、いや、集会だとしたらマイキーくんいるか……?」
「……なにしてるんですか?」
立ち止まって悩む花垣に声がかけられた。直人だ——中身も中学生の方の。鞄を肩に掛けており、それこそいつぞやのように、塾への行き来の道中だろうか。
声色は怪訝に満ちていて、視線はいっそ不審人物を見るが如く。
俺オマエの姉ちゃんの彼氏な? 花垣は正直物申したかった。
ダサいのでやめた。
「おまえにそんな目される心当たりねえんだけど……」
これは言った。
「姉ちゃんの彼氏が道端で棒立ちしてたらみんなこんな目で見るでしょ」
正しさに満ちた答えが返ってきた。
頭を掻いて、花垣はちょっと道の脇に寄った。
「そういや直人、
「
「俺じゃなくて他の」
「それこそそっちのほうが知ってるんじゃ」
怪訝につぶやきかけて、直人はふと言葉を止める。記憶を辿るように首をかしげた。
「……あ、でも、そういえば来る途中神宮寺の方行くのを見たような」
「神宮寺の方? それ、具体的にどのへん?」
「えーと、」
今しがた通ってきた道を振り返ろうとしたのだろう。上体をひねった直人の身体が、ぐらりとかしぐ。
咄嗟に花垣はその手をひっつかんだ。
「あッぶね……てかオマエ、なんか重!? なに!? 鞄!?」
「あ、ありがとうございます。今日ちょっと本が……」
「塾ってそんな参考書とか使うんだ」
「いやオカルト大全が重くて」
「オウ」
やたらと重い鞄が重心を振れさせているので「斜めがけにしろよ」と掛け直すのも手伝って、それから花垣は、直人が見たという東京卍會の居所を教えてもらった。
側頭部にドラゴンの刺青が入っている長身かつ辮髪の男、とくれば龍宮寺で確定で良さそうだ。教会付近で見かけたらしい。
「ありがとな。あと、もひとつ頼みてェんだけど」
「塾の時間間に合わなくなるんで」
「これはちょっとだから! あのさ、握手してくんね?」
「……またですかあ?」
直人は呆れた表情で、それでもてのひらを差し出した。花垣は、しっかりと握手した。
「……うん! さんきゅ、もう行っていいぜ」
「はあ……」
やっぱりちょっと変な人だなあ、去り際に直人はそんなことをぼやいていった。
花垣はしっかり聞き取っていたが、文句は言わなかった。それどころではなかったからだ。
まじまじと、己のてのひらを見つめる。
——二度目のタイムリープのとき。橘家が住むマンションの屋上で、花火大会を見物したとき。
花垣は、日向と直人を間違えて手を握って、二〇一七年へと戻った。もちろん二〇一七年へ戻ろうなどとはあのときは意識していなかった。
今しがた、転けかけた直人の手を咄嗟に握って押し留めたときも、意識していなかった。
……だから、気の所為かと思ったが。
「……いや、いや、まさか」
なんか、現代に、戻れなくなってね……?
後悔もたまには先に立つ
「千冬、俺俺」
「未来のタケミッチ?」
「なんで今のでわかンの?」
直人の証言もあって、花垣は集会の開催地まで無事に辿り着き——柴大寿行きつけの教会だった。神父と古い付き合いで、あの厳つい男が頭を下げてまで貸し切ったらしい——集会終了後、千冬とともに作戦会議を開くこととした。
カラオケって金さえ払えば居座っていられるし防音効果はあるしドリンクバーもついてくるしで、便利ですよね。
というわけでカラオケの個室に移動し、諸々の情報を共有された千冬。
「ちょっと繰り返すから合ってるか確認してくんね?」
彼はてのひらを顔の前に立て、言った。もう一方の手は自らの側頭部に当てていた。
「ああ」
花垣は頷いた。気持ちはわかる、そう心底から思った。
「未来では……
「そう」
「確実に味方なのは、未来の直人と、警察になってた場地さん。たぶん味方なのは、元
「そう!」
「で、確実に敵なのが、マイキーくん、
三つ巴ならぬ五つ巴の争いだ。なんなら単純な勢力の数だけで言うと七つはある。
「マイキーくんの兄貴は、生きてた頃タイムリーパーで、そンときのトリガーが三途くんだった。マイキーくんの兄貴が、タイムリーパーを殺すか、タイムリーパーが能力を譲ろうと思えば、能力は受け渡されるとも言ってた」
花垣自身も全貌を上手く把握できておらず、説明もいまいち要領を得なかったが、千冬の言葉はきちんと要点を掴んでいた。
「未来のマイキーくんは、単純に
しかし要点を掴んでいてもなお複雑怪奇なのが、今回のタイムリープで判明した、二〇一七年の情勢だ。
図解したいぐらいだよなとは花垣の本音である。
「初代は生きてた頃のマイキーくんの兄貴本人から聞いたから色々知ってて、乾と九井は初代から伝えられた。こいつらは場地さんがタイムリーパーだと思ってる。稀咲たちの情報源は不明だけど、タケミッチがタイムリーパーだと思ってる」
「合ってる合ってる」
「場地さんには、未来の俺がタイムリープのことを伝えた。大寿と柚葉は、タケミッチが動きそうなのは初代から伝えられてたけど、タイムリープのことは知らねえっぽくて、初代のことも怪しんでた。
「いいぞその調子!」
花垣は野次を飛ばした。
野次飛ばしている場合でもないだろ、千冬の眼差しが語った。
「他に新しい情報は、エマちゃんとマイキーくんの爺ちゃんが、襲撃されてること。たぶん、同時に。三途くんがスパイで、天竺の情報
情報整理が優先なので、妥当なツッコミも一旦脇に置く。
「俺らがやんなきゃいけないのは、エマちゃんと爺ちゃんの襲撃阻止と、榎さん殺しの阻止。……それはそれとしてオマエのタイムリープはなんかできなくなってる、と」
「すげえちゃんとぜんぶ合ってる」
「そりゃよかったけどやたら複雑ンなってね? ……ええと、そうじゃなくて」
ややこしすぎる事態だが、やるべきことは単純。
過去にて守るべき対象は三人。特に気を配るべき日も、時間も、場所もおおよそわかっている。
「……ストーカーしとく?」
「榎さんはまだしも、さすがにエマちゃんつけるのはマイキーくんかドラケンくんのどっちかに絞められるだろ」
「俺はどっちもと爺ちゃんの方まで出てくるに賭ける」
「そこまでわかってんのになんで提案した?」
「話戻すと」
花垣のツッコミは無視された。
「二人は抗争直前だから無茶だろうけど、場地さんに警戒してもらうとかアリかもな。喧嘩できねえっつってもあのひとなら雑魚ぐらいノせるし」
「あーたしかに……ただエマちゃんが納得するかどうかはちょっとわかんなくね」
「そこは危険だからって……言っても、危険ってのはわかってるだろうし、だからお爺ちゃん連れてったんだろうしな……」
二人して渋い顔をして押し黙った。
「……榎さんは、場合によるか? 灰谷兄弟が一人だったら死ななかったっつってたなら、それは信じて良さそうだけど。てかあの人と灰谷兄弟ってつながりあったんだな……」
話を戻した千冬が、これまた言い淀む。
それはそう、花垣も頷いた。
灰谷兄弟の名前はハロウィンの抗争と、その前後も度々耳に挟んでいたが(なにせ彼ら、目立つので有名だ)彼らと純丘榎を個人的に結びつける情報はなかった。イザナとの関わりとて、佐野家経由かと思われていたことだし、その佐野家との交流すら奇異の目で見られるぐらい、純丘は一般人的だ。
「……追々として。未来じゃ、稀咲がタイムリーパーじゃねえかって話にもなったんだろ? けっきょくどうなん?」
「……ねえかなと思う」
花垣はしかめつらで回答した。
体感としてはたかだか昨日に、実際は十二年後の未来で行われた銃撃戦。命からがら、今振り返ってみても、あそこで死んでもなにもおかしくなかった。
あのとき、花垣を盾にすることを提案したのは望月だ。
タイムリープの能力を狙っているなら、半間は花垣を撃たない。撃てない。その稀有な素質を稀咲に渡そうとするはずで、ゆえに隙をつけるとしたらその一瞬。
〝……狙ってなかったら?〟
〝骨ぐらいは拾ってやるよ。気が向いたらな〟
ふざけたブラックジョークだったが、結果として目論見は成功した。
花垣は、確かに半間が焦ったようにうめいた声を聞いた。稀咲が目を見開いて、拳銃を構え直すところも見た。その直後放たれた銃声、銃弾、どれもが花垣には当たらなかったことを覚えている。
——もとからタイムリーパーなのであれば、今更その能力を欲することもないだろう。
「じゃあなんで知ってんだよ、ってかなんであんなヤバい計画思いつくんだよ、に戻ってくるけど」
「わかんねえモンが相変わらずわかんねえことがわかった……って話なんだろうな」
思い出したようにコップを手に取り、千冬はコーラをすすった。炭酸と人工甘味料が味覚を刺激して駆け抜けていく。
「タイムリーパーじゃねえのは良かっ。……タイムリーパーじゃねえのにこんなん企てんのもおかしいけどな! 化物?」
「かもな! てか、これでめちゃくちゃ頭良いだけとか言われたらさあ。したら俺、十三のガキの計画に毎回毎回ボロ負けしてるわけ……?」
実際そのとおりである。
真相は未だ知らぬこと。彼らはウンウンと唸って、諦めたように溜息を吐いた。わからないものはわからないので。
「ンで——タイムリープがなんかできなくなってるのは、タケミッチはマジで心当たりねえの?」
「知らねー!」
こればかりは、シンプルに最悪だった。
今更二〇一七年に戻ったところで、闇社会が生み出した魑魅魍魎同士の派閥争い、そのトロフィーとして巻き込まれるのが関の山だとしてもだ。
二〇一七年からの情報も、現状の手札こっきりで勝負するしかない、ということも痛い。この条件自体は前回のタイムリープでも同様だったが、現在に戻る手段はあるが戻らない方がいい、と、そもそも手段が消滅した、では話がだいぶ違ってくる。
「つったって俺だってタイムリープとか詳しくないしさあ」
困ったように腕組みをする千冬。タイムリープに詳しい人間なぞ、いたらばそれは逆に困惑はするとしてだ。
「頭良いやつに聞く? 稀咲じゃなくて」
「そりゃな。……でも誰にだよ、榎さんとか? さすがに信じなくね」
不良少年たちの主張を受け止めるのと、初めからSFじみた内容ではやはり訳が違うだろう。
純丘榎は一定数の人々から信頼されており、花垣も納得するところで、加えてなんだかやたらと諸々手広い男だが、ただ地に足ついた人間でもあった。つまり、タイムリープのことを真面目に語った場合、ある程度話を合わせたあとにやんわりとカウンセラーを勧めそうなタイプ、ということだ。
「その、直人ってのに聞くのは?」
千冬の提案は、選択肢としては真っ当だった。
「塾行ってんなら頭良さそーだし、オカルト趣味なら詳しいんじゃねえの」
「聞かねえよりはマシかもな、当たってみるか」
思い立ったが吉日。花垣は日向から連絡をつけてもらうべく、ケータイを開いて。
……待ち受けに記載された時刻が目に入った。夜の十時半だ。
花垣たちヤンキーなら普通に出歩く時間帯でも、直人のように、文科省が提示しそうなくらい模範的な生活を送る少年は、せいぜい塾帰りにしか外を出歩かない。今の時間から直人の帰路を予測し、ルートを辿って、本人を捕まえられるかチャレンジする……のはちょっとリスキーだった。
「……明日、タイミング見つけて聞いてみるわ。てか出ようぜそろそろ入って三時間経つ」
「もうそんな!? タケミッチの話だけで二時間半ぐらい経ってたんじゃね?」
「マジでなー!」
中学生には金がない。カラオケでうっかり一分オーバーすると財布が痛い目を見るぐらい。彼らは慌てて帰り支度を整え、個室を飛び出した。
ギリギリ三時間以内で会計を終えたが、それでもやっぱり懐は寂しくなった。
——ところで、結論として。
花垣は、タイムリープの間に起きた事象について、直人に相談することはできなかった。
信用されなかったから、ではない。日付や時間帯の問題でもない。
そもそも話ができなかった。
「娘と、別れてくれませんか?」
……橘正人。橘日向と、橘直人の父親。警察官であり、過去の直人が、花垣の言葉で警察を目指すようになった理由の一因。
日向は、恋人のことを母親によく話していた。
花垣武道。髪を染め、制服を着崩した、素行不良の少年。暴走族に所属していて、今は隊長を務めている。橘日向にとって、泣き虫のヒーロー。
既定路線の物語と、この夢物語において、ありとあらゆる点に差異が見受けられる。
とはいえこの流れは変わりようがなく、ゆえに、変わらない。
橘正人が、娘の彼氏の素性を知り、人格を知り、その上で花垣武道という少年の周囲を危ぶんだことも。花垣が、その主張を道理だと思ったことも。
「悪い、直人に聞けなくなった」
「は? いや、俺はいいけど、ちょっと聞くだけじゃねえの? なんかあった?」
「……」
物語は変わらない。
しかし物語は転じて、展開される。
「とりあえず。だから、他の人に聞こうと思う。——三途くんに」
「……マァ、もともと当たる予定だったけどさ」
べつのかたちで、べつの方へと。
「……三途と連絡取りたいって、あいつはもう天竺だろ?」
三ツ谷はやんわりと尋ねた。
一瞬、弐番隊で預かっていた隊員。花垣武道。今は同じ隊長の立場。凡庸で、秀でたところはなく、虚勢と泣き言ばかりで、ただ土壇場の根気が妙に強い。
そして、ときどき、変なことを言う。
千冬と仲を深めていることも知っていた。彼らの絆は、ハロウィンののち、なんらかのきっかけを経て更に深まったようである。
「昨日も天竺からちょっかいかけられたし、その中にあいつもいた。
三ツ谷の問いに、口ごもる様子を見せた花垣の代わりに「……とにかく」と、千冬が押し通す。
「聞きてェことがあるんです。早めに話さないと、下手すると間に合わなくなるんで」
「〝二〇〇三年の七月二十日みたいなことにしたくない〟っつったら伝わります。……たぶん」
「たぶんかよ」
「お願いします」
頭を下げた壱番隊ふたり。困ったように息を吐いて、三ツ谷は彼らを俯瞰した。
「……ったく、仕方ねえな」
三ツ谷はケータイを取り出し、たたたたっ、と素早くテンキーを打った。中高生にとってテンキーの早打ちは必須技能だ。
「ほら」
文面を見せて——花垣と千冬の懇願通りの表記、二〇〇三年七月二十日の日付も入っている——送信する。
「これでいい? 連絡あったら回してやるよ」
「あざす!」
「ありがとうございます!」
次々に述べられる謝辞。三ツ谷はハイハイと軽くあしらった。もう充分にお礼を言われたところで、必要な補足を付け足す。
「つったって返事もいつになるか——」
訂正。付け足そうとした。
しかし途切れた。
受信音が鳴ったからだ。
三ツ谷は眉をひそめ、新着メールを開く。三途からだ。
待ち合わせ場所の指定。集合時刻は、今から数えて二時間後。花垣と千冬のみ、遅刻は不可、部外者を呼べばその時点で立ち去るとの旨。
「……だって」
メールを見せた三ツ谷は「三途はマジで警戒心強いから、うまくやれよ、ホントに」釘を刺した。
「マジでありがとうございます!」
去っていくふたつの背を、三ツ谷は、じっと見つめていた。己が首筋に手を当てて、こきりと音を鳴らした。
なにしようとしてんだかな、と、彼は晴天の下でひとりごちた。
「なんであの日付を知ってる」
「未来の君から教えてもらいました。タイムリーパーなんです、俺」
二〇一七年の三途が嘘をついている、という可能性を、花垣たちとて考えなかったわけでもない。真偽のわからぬ情報に賭けた。
そして、三途は、たしかにかつてはトリガーだった。事実として。
「——……」
花垣の説明が要領を得ないのは相変わらずだったので、既に体験し、慣れている身として、千冬がしばしば補足を入れた。
すべてを聞いた三途は、しばらく、頭を抱えた状態で停止していた——マスク越しにもよくわかる、露骨な困惑だった。
「……わかった。わかった、クソ……」
リアルタイムで五分ほど経過したのち、ようやく再起動する。
悪態は挨拶代わりとして。
こめかみを押さえて内容を噛み砕く。やたらと怪しい動き、まるでこれから起きる出来事をわかったように動くさま、なるほど確かにわかっていただろう。タイムリープによる予習と実践の結果だ。
勘繰ってた時間を返せよ、三途は切実に思った。
「……エマと佐野の爺さんを襲うって話は、天竺の上の会議では聞いてねえ。俺が……あいつらに勘付かれてるか、あとはマジで関係ねえそこらのバカの仕業じゃなきゃ、稀咲の企みでほとんど確定だ」
ともあれ、三途が今握っている情報と照らし合わせ、精査する。
「純丘くんを天竺が攻撃すんのは、ない。稀咲も違う。そいつの独断だ。俺は天竺についてるってコトになってんだから、動けねェが。……クソ、やることが多い……」
「あー、それで、タイムリープができなくなってることなんですけど……」
「……誰かに譲ったとかじゃねえんだよな?」
頷いた花垣に、三途は眉をひそめた。数瞬思考を巡らせて、口を開く。
「俺もトリガーになったのは一回こっきりだ。確かなことは言えねえが……今ここにいるテメェは、未来から来てんだろ」
「ッス」
「なら、タイムリープの能力自体は消えてねえ。消えてんならオマエはなんにも知らねえ毛も生えてねえクソガキになってるはずだ」
「毛は生えてるけど!?」
言葉の綾である。
とはいえその指摘は的を得ている。
「単に未来に戻れねえ状態なんだろ」
「戻れねえ状態ってなんすか」
「知るか! 未来変えたら、どうにでもなるんじゃねえの。今考えてる場合かよ」
三途は投げやりに突き放した——実のところ、彼は、なんとなく予想がつかないでもなかった。
タイムリープは意識だけが飛ぶもので、肉体は、当該時間に生きている自分のものを使う。少なくとも真一郎はそうだった。
花垣も、中身は二十代後半だと言うが、今使っている肉体は間違いなく十代のそれだ。
未来に戻れない状態。未来に、意識を収める肉体がない状態だとすれば。
……すなわち、未来の花垣が死んでいるとすれば。
映画んとき
:愛情編「違法にはできない」on11.29 より
放火罪
:刑法一〇八条、刑法一〇九条、刑法一一〇条
重くて死刑
凶器準備集合罪
:刑法二〇八条の二
「娘と、別れてくれませんか?」
:11巻90話
未来の花垣が死んでいる
:16巻135話的な