【完結】罪状記録   作:初弦

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もういないあなたへ

 時を大幅に進めよう。

 あるいは、少し戻そう。

 

 二〇一七年の十二月十六日。未だ午前、太陽は空の東方にある。

 

 直人との握手とともに、花垣の身体は崩れ落ちた。タイムリープ名物、いつものごとくの仮死状態、ただ直人以外の面子は誰も見たことがなかったのでちょっとしたどよめきが上がった。

 場地が見たことがあるのは()の話であり、今の彼にその記憶はない。

 

「ウワッなに。……あ、へえ、タイムリープするとこんなんなるワケ」

「おもろ」

 

 全く面白そうではないが、好奇心はうずくのか、じろじろと見物する兄弟。

 ちょっと引いた目で、花垣を庇うように押しやる直人。

 

「つうわけでオマエら」

 

 身内の暴挙はさておいて、イザナはぐるりと仲間たちを眺め、言い渡した。

 

「あとは手筈通りだ」

「了解。場地! テメェはこっちだ」

「うーす」

 

 場地は嫌そうな顔ながら、倉庫を出る武藤の呼び声に従った。三途は予め伝えられていたのか、こちらも彼らの背を追う。

 やがて車のエンジン音が響き、遠ざかっていく。

 

「せいぜい囮役頑張れよ〜」

 

 斑目が気の抜けた声でつぶやいた。声色と内容が全く見合っていない。

 

「獅音」

 

 そんな彼もイザナの呼びかけですぐに表情を改め、スマホを取り出した。画面を確認し、頷く。 

 

「問題ねえけど時間の問題」

「ならさっさと済ますか」

 

 なんの会話だ、と、思った直後だった。

 

  ゴゥン——!

 

「イッ——!?」

 

 直人の後頭部にとんでもない衝撃が走った。頭蓋を揺さぶるような轟音が響いたと、思った——彼は認識できなかったが、ような、ではなく、そのものだった。

 足がふらつき、地面に膝をつく。

 

「お、しぶとい」

「さすがポリ公」

「もっかいやっとけ」

「ハイハイ……」

 

 平衡感覚は完全に崩れて、視界はぐらぐらと焦点も定まらない。強烈な頭痛と眩暈。

 直人はその状態でも、必死に背後を垣間見た。

 

 無造作に振りかぶられる鉄材。傷跡にバイアイ、鶴蝶の容姿は特徴的だ。

 

「悪いな、恨んでいいぜ」

 

 ——二撃目。

 

 今回の分岐において、橘直人の記憶はここで途絶える。

 

「ようやく、邪魔者が消えたナ。あとは改変とやらまでが勝負だ」

 

 灯油タンクはストーブの燃料のような顔をして、倉庫の片隅に積んであった。

 

 倉庫に残った八人のうち、イザナと、鶴蝶と、斑目と、望月と、灰谷兄弟。彼らは黙々と灯油タンクを開けて、中身を転がす。

 床に広がった灯油が、意識のない花垣や直人に接触し、彼らの服に染み込んでいく。

 

「マジで良かったのか?」

 

 言うほど気にした様子もなく尋ねた望月に、イザナが鼻で笑った。

 

「なんだ、今更惜しいのか?」

「実際便利そうだよな〜、タイムリープ」

 

 軽い物言いは斑目だ。「獅音センパイ、昔に戻れたらなにするんすか?」「当たる馬券買う」「バカがよ」今度はイザナは、呆れて首を横に振った。

 

「要らねえよ。……どうせあいつが上書きしに行くんだろ。成功しようがしくじろうが、知ったこっちゃねえが」

「マァそりゃそう」

「戯言言ってる暇あったら早く灯油撒き終えろ」

「わーってるって」

 

 タイムリーパーを殺すと能力の所有権が移り変わるらしい。少なくとも合意を得るより簡単だ、とは反社会的勢力らしい考え方である。ゆえに今、初代黒龍(ブラックドラゴン)らも、乾や九井らも、稀咲らも、各々がタイムリーパーと思う者の命を狙っている。

 

 であれば——タイムリープしている間のタイムリーパーを殺した場合、能力は、その所有権は、果たして移り変わるのか?

 

 どちらにせよ、天竺らは自覚している。一般人を守るのは性に合わず、割も合わない。一方で壊すことばかりは大得意、昔からの十八番だ。

 トロフィーを奪われたくないのであれば、初めに破壊してしまえばいい。かんたんで合理的な理屈である。倫理観が最悪なだけで。

 

武藤(ムーチョ)たちの車どこまで行った?」

「今見る……高速入ったっぽい」

「ならもう燃やしてもバレねえな、場地の野郎に割れたらめんどいのなんのって」

 

 天竺幹部らは、大なり小なり、純丘榎に借りがある。だから、彼が唯一取ったアルバイト、生きて贖うことを望んだ者、贖罪を求めた者、すくい上げた者、場地圭介だけは殺さない。

 場地圭介だけは、だ。

 

 ——彼らは、花垣武道に借りはない。橘直人に対しても同じく。

 

「よーし火ぃつけるぞ、出ろ〜」

 

 建築物炎上リターンズ。品々はあらかじめ運び出し、作業員も捌けさせていた。

 あとはひとが二人、焼け死ぬのを待つだけだ。

 

 燃え盛る倉庫を背後に「——それで」と、鶴蝶が口を開いた。

 

「稀咲と半間は、任せていいんだな?」

「任せろ、ってか寄越せ」

「やるって言ってんだろ」

「言質とーり」

 

 ニッコリと蘭が笑みを浮かべる。その目が笑っていないのをこの場の誰もが知っている。

 

 十二年、十二年だ。灰谷兄弟は稀咲の命を奪る機会を窺っていた。表向き、東京卍會幹部として恭順し、指示を聞き、裏工作をしながらも、ひたすらに。

 

 たしかに天竺丸ごと利用されたことを不快には思っていただろうが、彼らの殺意の由来は、別のところにある。その由来を天竺らも知っている。

 だから、イザナが代表して許可を出した。

 

「大将たちはマイキーだっけ? 死ぬなよ〜死んだらタイムリープで助けるとかできねえから」

「テメェらが死んだら地獄で追加で殺してやるから安心しろよ」

「なにが安心?」

 

 軽口を叩きながら、彼らは散開した。

 狭いきついと言いながらアルトラパンに乗り込むのは、灰谷兄弟と望月と斑目。微妙に凹んだベンツの方は、イザナと鶴蝶だ。

 

 

 

  もういないあなたへ

 

 

 

 日本からフィリピンまでを移動する便は、平均で五時間ほどかかる。天候によっては更に時間を食うだろう。

 

 時差はおよそ一時間、日本の方が早いとしても——イザナと鶴蝶が現地に降り立ったとき、すでに夕暮れが差し迫っていた。

 

 廃墟。

 瓦礫の上で、万次郎は茫洋と空を見上げていた。タンクトップに、申し訳程度に上からニットを羽織っている。

 

 フィリピンは北半球にあるが、赤道に程近く、年中通して、最低気温ですら二十度を下回ることがまずないと言っていい。

 十二月の気候は、たしかに比較的涼しい方に分類される。それでもあくまでフィリピンにしては、であり、日本の気候に慣れた身からすれば、ほとんど七月上旬同等の気候。万次郎の服装でも人によっては暑いまである。

 

 イザナも鶴蝶も、日本のときの服装とは異なり、今は簡素なシャツを着用していた。

 

「よォ、万次郎。誰待ってんの?」

 

 青空がだんだんとこがねに染まっていく。そのさまを見上げる背中に、イザナはいっそ愉快げに声をかけた。

 

 間を置いて。

 肩を大きく揺らし、緩慢に、深呼吸をして。それから万次郎は振り返った。

 

 彼らが顔を合わせたのは、実に数ヶ月ぶりのことだった。具体的には——この未来の分岐の過程。十二年近く眠り続けたエマが、とうとう、正式に死んでしまったときぶりだった。

 

 ポケットに手を突っ込んで、イザナはその顔を仰視する。

 

 黒に染め直した髪を、いつのまにか、さっぱりと切っていたらしい。

 万次郎はすでに真一郎の享年を越えた。やはり血縁なだけあって、その顔立ちはよく似ている。髪型も比較的相似たる今は、尚更に、強調されている。

 

 鶴蝶はイザナの一歩後ろで、同じように万次郎を見上げた。彼は、ふと、自らの胸元にてのひらで触れる。

 拳銃の硬質な感触。銃弾はこめられている。

 

「ハナガキなら来ねえよ」

 

 今度の言葉は、声色は、静かなものだった。

 

 ざり、と、音がした。靴底が瓦礫を踏み躙り、砂礫がこすれたからだ。

 足の向きと位置を変えて、万次郎はイザナに向き直る。

 

「……イザナも、タケミッチのこと、オキニだったっけ」

「いーや? ああいうのは別に、鶴蝶は気にしてたけどナ」

「今俺を引き合いに出す必要あったか?」

 

 思わず抗議する鶴蝶。

 

「まァ、イザナとタケミッチ相性悪そうだもんな」

「勝手に評論しやがって、テメェは何目線だよ」

「聞けよ……」

 

 ナチュラルに双方に無視された。

 彼らのゴーイングマイウェイを真実の意味で止める者が、もはや誰ひとりとしていなくなったので、彼らの息をするような横暴さは強化される一方だ。十数年の成果がこちらってワケ。

 

「千冬が」

 

 と、万次郎は言う。

 

 松野千冬。東京卍會の幹部であり、場地が時折出していた名前であり、過去壱番隊隊長だった花垣と共に行動をしていた者。

 イザナが把握している知識はおおよそそんなところである。興味がないものを記憶しない性質なので、むしろ、よく覚えていた方だ。

 

「タケミッチは、いつか俺を捜しにやってくるっつってた」

「ああ、なんかそんなことしようとしてたっぽいな」

 

 直人から場地へ送られていた定期連絡は、しっかり天竺派の検閲が入っていたので、イザナも把握している。馬鹿じゃねえのと思った覚えがある。

 昔の仲間を次々に殺しにかかっていると知っていて、その上でなお会おうとするなど、ずいぶんな命知らずだ。

 

 その機微を推し量ろうとは思わなかった。イザナは、花垣当人には興味がない。

 

「……来ねえの」

「来ねえナ」

「なんでわかる?」

「俺が殺した」

 

 間が空いた。

 

 イザナの顔に笑みはない。

 

「なんで」

「邪魔だったから」

 

 しばらく誰も喋らず、誰も動かなかった。

 こがねの空が、赤々と染まって、端からじわじわと濃紺に蝕まれていく。

 

 やがて万次郎が、自らのてのひらを持ち上げて、顔を覆った。表情は見えない。

 ゆっくりと上下する肩は、おそらく、努めて確実に呼吸を確保しようとしているからだ。

 

「場地と、春千夜は?」

「あいつらはまだ生きてるぜ? 三途は一応部下だし。場地は、純丘のぶんの借りを丸投げするのにちょうどいい」

「あ、そ」

 

 また、沈黙。

 

「——昔から言ってたけど」

 

 次に口を開いたのは、今度は、イザナだった。

 

「俺、オマエのことは、本気で心底気に食わねえんだよな」

 

 いつもは爛々とひかる紫の目が、しかし今日はどうにも凪いでいた。鶴蝶は長年の付き合いを以て、普段のイザナと、今の彼が、全く雰囲気が違うことを悟っていた。

 

 立ち位置としては仰ぎ見ながらも、イザナはただ、無感情に万次郎を眺めていた。

 

「知ってる」

「オマエの都合通りに動く気はねえよ」

「知ってる……」

 

 気に食わない。ずっと。

 自分だけのオニイチャンだったはずのひとに、実弟がいたと知った日から。オニイチャンと自分に、血の繋がりもないとわかったときから。嫌いだ。いっそ憎かった。

 

 感情のままに動けたらば。八つ当たりのように、思いのままに壊すことができたなら。

 あるいはまた別の道を辿っていたのかもしれない。

 

「でも、まあ、今更だ。ゼンブ」

 

 かもしれないと繰り返し、たらればを提唱し、もしもの行き先を模索した。

 何度も、何度でも。

 

 しかしあいにく、佐野真一郎の通夜の日に、イザナの激情は行き場を失くした。ただの遺影と向き合ってしまった日、振り上げた腕を叩きつける場所が喪われたことを悟った。

 かつての妹が目を覚まさなくなって、もしかしたら祖父になったひとが死体で見つかって、だから、ほんとうに、なにもできなくなった。八つ当たりをするには、なにもかもが遅すぎた。

 

 死人は口を開かない。死人はなにも思わない。

 たとえ手の届くところにifがあったとして、それでも、骨壷に収まった誰かの残骸に、たしかになにかを思ったことだけが現実だ。言葉にできない、言葉にならない、その重みこそが自らの生々しい感情だ。

 

 覆せたところで、一度味わったこころは、消し去ることもできやしない。忘れることもできやしない。

 そして、そう——イザナは過去を回顧して、得心した。誰にも口にしなかった言葉。己自身でさえもかたちにしてこなかったこころ。

 

 たぶん、きっと、忘れたくもなかったのだ。

 

 すべてが今更だった。その自覚さえも。

 

「殺してやろうか。万次郎」

 

 だからこれは、黒川イザナにわずかに芽生えた、慈悲で、同情で、憐れみである。

 

 イザナの問いかけに、万次郎は、ゆっくりと首を横に振った。

 ざりとふたたび音がする。足の位置が変わって、万次郎は、イザナと鶴蝶、主従二人に背を向けた。瓦礫の上にうずくまる。

 

 東京卍會の頂点。かつて無敵のマイキーと呼ばれた少年。

 

 今は、伽藍堂の、おとこ。

 

「……要らねえ」

「そ」

 

 イザナは顎を引くようにして、頷いた。

 気まぐれから芽生えた単なる提案だった。断られたのならば、未練もなく、他に用もなく「じゃーな」ひらひら手を振って、こちらも踵を返した。

 

 鶴蝶はこの間、ずっと黙っていた。コンパクトに折り畳まれた万次郎の背中は、鶴蝶が知っているはずの〝佐野万次郎〟よりもずいぶん小さく見えた。

 

「鶴蝶ォ、置いてかれてェの?」

「いや、今行く」

 

 彼もまた踵を返す。先を行くイザナが不機嫌そうに息を吐き、スタスタと歩調をさらに速めた。

 

 鶴蝶は足を止めず、たった一度だけ、万次郎を振り返った。距離が伸びると、その背はさらに小さく見えた。

 そうして、鶴蝶が〝鶴蝶〟で〝下僕〟になる前の記憶、かつての幼馴染を思った。

 

 ヒーローに憧れた少年。

 凡人だが、しかし、ヒーローのようだった少年。

 

 花垣は恋人を救うべく、東京卍會に訪れた悲劇を変えるべく、過去へと身を躍らせた。その試みは何度か成功し、龍宮寺は生き残り、場地が生き延びて、柴大寿も存命だ。

 またも行われたタイムリープが、成功するのか失敗するのか、彼らには計り知れない。

 

 ただ、ひとつ、わかっていることがある。

 

 分岐の先のif。

 いずれ上書きされるこの世界。

 

 佐野万次郎のもとにヒーローは訪れない。

 

 

 

  その手を掴みたかった者より

 

 

 

「千壽のことなんか大ッ嫌いだったよ」

 

 未だ三途と名乗る男は、ぼんやりとつぶやいた。

 幻聴に侵された耳元で、罵詈雑言やよくわからぬ言葉が絶えず流れている。脳は薬物によって蝕まれ、情報の認識にも時間がかかる。

 

 すっかり付き合いの長くなった天竺派の幹部たちは、三途の有様を面白がり、あるいは呆れ、()()()の調達を手伝いはしても濫用を止めることはない。東京卍會のほとんどは死に絶え、万次郎自身も三途の惨状を咎められる状態でもなく、いちいち苦言を呈し、その自傷行為を慮るのは、もう場地ぐらいだ。

 

「マジでろくなもんじゃねえ。妹なんざ。すぐにヒトのマネしたがるわ、ヒトのモン欲しがるわ、悪さするわ、嘘つくわ、変なことするわ、兄貴ってだけで俺が面倒見ろって押し付けられるし、なんなら俺のせいになるしよ」

 

 眼前の人型はかろうじて認識できるが、歪み、変形し、原型も判別がつかない。そもそも眼前の人間すら三途の幻覚やもしれなかった。

 

 本当に、花垣と直人と喋っていたときの三途は、珍しくも長時間、正気だった。根性が見せた奇跡か、単に()を飲んだタイミングの問題か。

 ……掘り下げたところで意味もない。

 

「俺に負かされてぴいぴい泣いてた頃はまだ良いにしても、見様見真似で空手やってきやがってからがクソだったな。頭狙ったら死ぬってこちとらジジイに叩き込まれてんのに、そもそもろくに習ってもねえくせして腹立つほど強くてマジでゴミ」

 

 まだ祖父母の家に住んでいた頃、長兄に逆らうという発想すらなかった頃の話だ。

 回顧して、三途はしみじみとつぶやく。

 

「いなくなれとか、死んじまえとか、思ったことなんざ数え切れねえ。なんなら喧嘩のときには何回か言ったか。あいつもあいつでじゃあ殺ってみろよとか煽りやがる」

「……だから、殺したのか?」

 

 人型の問いかけに三途は、ハァ? と声高らかに返した。いかにも心外そうで、実際心外だった。

 

「誰を? 千壽を? なァんで俺があのノーテンキなバカのためにわざわざ手間かけてンなことしなきゃなんねえんだよ意味わかんねえな」

 

 ノンブレスでまくしたてる。

 

 人型は沈黙した。三途の視界では、蝋燭に照らされているように、揺らめいて見えた。

 

「第一、殺るなら刀だ。銃はどうでもいい野郎を殺すモンだろ」

 

 論点がだいぶズレている上にあまりに矛盾極まりない物言いだったが、三途が——つまり、本名を明司春千夜という男が——瓦城千咒を殺したのではなく、明司千壽を殺したのではなく、妹を殺したのではない。それは確かな事実だ。

 

 明司千壽は、十年近く前に、六波羅単代に殺された。

 それも下っ端の下っ端が独断で逸った結果。銃弾に何度か貫かれ、死亡した。無比なる少女はあまりに呆気なく散った。

 

「ったくさァ、笑えるもんだぜ。ろくでもねえ兄貴と、そうでもなかったはずのヤローどもが、揃いも揃って単純バカを担ぎ上げちまって。おかげであいつは勝手に死んだ」

 

 ガリガリと肘の裏を掻く。肌の上を、虫が這いずり回っている気がした。

 全くそんなことはなく、悪癖の副作用であり、これもまた幻覚の一種であることを三途はきちんと知っている。

 

「そんで、今度は、助けたい? 救いたい? 生かしたい? まぁじでちゃんちゃらおかしィな!」

「その言い草は……オマエが千壽を嫌いだからじゃねえか、春千夜」

「ハ!」

 

 なじられて、三途はいよいよ哄笑をこぼす。

 

「そーだよ大ッ嫌いだ、ガキの頃も、死んだときも、今も、今でも! 顔も見たくねえ! だのに、そんな俺でもわかることが、あいつらわかってねえんだぜ! ずっと一緒にいたくせに、あいつが死ぬ前なんか、おんなじチームだったくせに! 褒めて、持ち上げて、祀り上げたくせによ」

 

 三途は、本気で、心底可笑しい気分だった。

 薬が悪さをした脳は、変に神経が過敏になり、あるいは鈍感になり、笑いのツボさえねじ曲がる。

 

 己の腕を掻きむしる。血が滲み、指先が赤く染まる。

 もはや痛みもない。それでも傷跡は刻まれて、何度も再生した皮膚はやがて色も異なり、なかったことには、ならない。

 

「あいつ、嘘つきで意地っ張りで見栄っ張りだったじゃねえか。ひとの真似ばっかのくせして肝心なコトは二の足踏むじゃねえか。で? そんなやつを助けるためにタイムリープの能力が欲しいって? そりゃあ喜ぶだろうよ。死ななくていいなら、死にたくなかっただろうなァ、千壽チャンだって」

 

 一頻りせせら笑って、三途は、かくんと首を傾げた。

 

 眼前の人型の表情はわからない。目鼻立ちさえうまく認識できないから、誰なのかすらも、三途には識別不可能だ。

 

「そんで——そんな優しィ野郎が、自分を助けるために人殺したって知ったら、あいつどんな顔すんだろな」

 

 三途は、妹のことが嫌いだ。昔から嫌いだ。今も嫌いだ。

 甲高い声で付き纏い、なにかと面倒事を押し付けられ、いつも怒られるのは三途ばかりで、腹が立った。損な役回りだった。

 

 兄妹は、幼い頃は共にいた。ほとんどいない親、不在がちで顔を見せれば叱り飛ばしてくる兄、孫を養育はせどあまり興味関心のない祖父母。環境が環境だったから、否が応でもずっと一緒だった。

 

 だから三途は妹をよく知っている。明司千壽をよく知っている。欠点と短所を知っている。

 瓦城千咒の名前を一緒に考えていたときの、無邪気な笑みを、知っている。

 

 三途は、三途春千夜と名乗っている。かつて三途が三途でなかった頃、明司春千夜でしかなかった頃、妹と共に考えた名前だ。

 

 今でも使っている。

 ただそれだけの話だった。

 

「なに油売ってんだ。行くぞ、三途」

 

 ところで——三途は別に単独行動をしているわけでもない。

 

 武藤が声をかければ、三途はどこか虚ろな目をふらっと振ったのち「ッス」と従った。

 

「おい」

 

 ちらりと武藤が後ろを一瞥すれば、今しがた三途が喋っていた相手——もっとも、三途が相手を認識していたかはわからない。直属の上司ゆえ、彼と接する機会が多い武藤ですら、ドラッグジャンキーとまともに会話できているときの方が珍しい——武臣が、彼らを見つめていた。

 

 ……片目にガーゼを貼り付けている。

 

「望月は元気かよ」

 

 武臣の問いに、武藤は目を細めた。

 

「元気なんじゃねえか? 最近会ってねえからよく知らねえが、風邪引くようにも思えねえ」

 

 息をするように嘘を吐く。

 

「本音か?」

「……アイツはアンタとはマシな関わりしてると思ってたが、なにかしたか? マァ変なところで頑固だからな、不思議はねえ。恨み言なら伝えておくが」

 

 探るような視線。——武藤は、不意に、いつかの記憶を想起する。

 

 武藤はかつて、息をするように吐いた嘘を、あっさりと見抜かれたことがある。既に死んだ男との会話の中での話だ。あのときは、正直に話すことこそが最適解だった。

 中華まんの食べ方がずいぶんと無惨だった男は、去り際にいくつかのコメントを残した。嘘をつくときのコツ。生理的に、無意識に現れるいくつかの反応があり、それを抑制するときのコツ。

 

 真っ当な男だった。ろくでもない男でもあった。

 賢いくせして、ろくでなしたちにリソースを割くような愚か者だった。

 

「……いや、俺も最近会ってねえからどうしてるかと。挨拶したがってたって伝えといてくれ」

 

 武臣はニコと笑みを残した。「気にしとく」武藤はこれまたぞんざいに返答した。

 

「十五年も前の時点で、これ以上拗れようもねえだろと思ってたけど、拗れたな……」

 

 こちらは場地の所感。車の後部座席に身を潜め、繋ぎっぱなしのケータイから流れてくる会話内容を、すべて聞いていたがゆえの感想だ。

 後部座席に三途も放り込んで、武藤は、自らも運転席に乗り込む。

 

「とりあえず、柴は味方につけてきた」

「おー、聞こえてた」

「なら道中で明司に遭遇したのも聞こえてたな?」

 

 彼らの現在地は、柴兄妹が経営する企業の本社ビル。

 そもそもの彼らの用件は〝もうすぐ稀咲とバトるので、稀咲やあいつの協力者たちに手ェ貸さないでくださいね☆〟をやんわりオブラートに包んだ挨拶巡り、兼、陽動だ。

 

「若狭を撒いたのだってどうせ共有されてんだろうし、あれは勘づいてる。ここが柴の管轄だから仕掛けられてねえだけで」

「……ビル出た瞬間からカーチェイス確定、みたいな話してね?」

「してる」

「最悪」

 

 

 救えるとして。助けられるとして。

 そのために人を殺したとして。

 

 あなたが助けたい人は、果たして、己のために誰かの命を踏みにじったと知っていても、笑える人なのか?

 

 

「言えば気にするかもな。で、それが?」

 

 ところで、この質問に対してそんな言葉を吐いたのは、誰であろう、九井だった。彼の吊り目が無感情に斑目を眺めた。

 言葉通り——〝で、それが?〟と思っている、逆に言えばそうとしか思っていないのがひしひしと伝わってくる。

 

 ウーン蘭直伝の煽りが全く効いてねえぜこんなことあンのかよ、斑目はしみじみと思った。

 

「助ける方法なんて言うわけねえだろ。助けたことなんて伝えなくていいんだよ」

 

 九井の口調は淡々と、平坦だった。彼の隣、斑目に向かって一歩踏み込む乾もまた、無表情で、動揺もない。

 

「オマエらが、人を助けるって行為に、いったいどう思ってんのかは知らねえが。助けたいから助けるんだよ。見返りなんざ要らない。知らなくていい」

 

 十代から金稼ぎを繰り返し、裏社会に身をやつし、そんな生涯を送っていた九井にとって、久しく触れていない、あまりにきれいな言葉だった。まるでフィクションの一文のようで、ただ、九井の素直な本音だった。

 

 悲劇がなかったことになって、ただそのあとに、日常が続いていくだけだ。悲劇の存在なんて知らないままで、もっと言えば、その悲劇をないことにするために罪を重ねたことだって、気づかないままでいい。

 

「ただ、生きていてほしいだけ」

 

 そう願った九井がかつて積み立てたのが四千万だ。

 悪事を繰り返し、人を不幸にして、そのかわりに手に入れた金。意味もなくなって、無駄に手元に残るばかりとなった、金額。

 

「めんどくせー」

 

 一方、情緒とか共感力とかそういう人間として大切なものが諸々死滅している極悪の世代。その例に漏れない斑目は、うっかり本音が口から飛び出した。

 

 腹を括った者こそが最も厄介だ。誰を助けたいのか斑目は全く知らないが(灰谷兄弟が勘づいているっぽいなとは思っている。興味がないので尋ねたこともなかった)すべての泥をかぶる覚悟なんぞ、どう折ればよいというのか。

 

 タイムリーパーは死んだ、と突きつけても斑目の心情的には全く問題ないのだが。陽動組はその嘘を以て黒龍初代を釣っているので、そこと連絡を取り合っているとやや困る。

 そもそも、花垣と直人の真のタイムリーパーコンビ殺害の情報を何故伏せたかって、もちろん稀咲の注意をそちらに引きつける目的もあるが。彼らの生存に助力していると思われているからこそ、場地の協力や柴兄妹の黙認が取り付けられている。そんな彼らに真実が伝わってもだいぶん面倒だ。

 

 なにより窮鼠に噛みつかれたら手に負えない。

 斑目は、まァさすがに弱くはないが、己の戦闘力がそこまで高くもないことを、しっかり自覚していた。現役時代ならまだしも、最近はイザナの指示で情報収集ばかりが仕事だった。時は二〇一七年、便利な機器もいろいろとあるのでデスクワークの時間も長くなる。

 

「面倒ならさっさとタイムリーパーを寄越せ。場地圭介を引き渡せばそれで済むんだぜ」

「ウケる」

「なにがウケんだよ」

 

 そりゃいろいろと。

 

 のらりくらりはぐらかし、適当ほざいて意味深に情報をばら撒きつつも、斑目はいいかんじにひきつけて逃げる算段を考えていた。

 灰谷兄弟が稀咲を殺すまでの陽動にしたって、二対一で真正面から戦うなんぞ、切実にご遠慮願いたい。




ほとんど七月上旬同等の気候
:フィリピンの十二月の平均気温が28℃前後

妹と共に考えた名前
:25巻216話

息をするように吐いた嘘
:「贖いの動機」相互誤解 より
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