南朝天竺、対、東京卍會&
「すびません。ぢごくしました」
「タケミッチまじ遅ェ、もう始まっ……どうしたその顔」
——のことではなく。
まず真っ先に花垣の無惨に膨れ上がった顔に言及された。
「は? 天竺の襲撃でも遭った? イザナあいつ規定違反」
「ち、ちがいま、違います! これはその」
「だったらなんだよ、言えよ」
勢いよく詰める万次郎を「言いたくねえことなんだろ」察して引き剥がす龍宮寺。
とりあえず冷やしとけよ、とそのへんの雪を差し出す千冬。ヤ汚えから、やんわり押し留める八戒。稀咲は無言で俯瞰し、半間は爆笑している。
「ったくこの調子でなんとかなンのか」
心底興味ない大寿がつぶやいた。「まァ、許してやって」三ツ谷が苦笑した。
「こっちで勝手に進めてもいンじゃねえの」
「さすがに
「まァ俺らで聞いて共有してもいいけど……」
乾と九井のぼやきに、ソウヤが応じて、兄を見る。ナホヤは耳をほじっていたが、ふと指を引き抜いて、それからふっと息を吹いて耳くそを飛ばした。もう明らかに飽きている。
「ヒ……ヒナと」
「なんだ痴話喧嘩か」
万次郎が興味をなくしたので、ようやく本題に——思った直後だ。
「別れて」
「ハァ!? 相棒とうとうヒナちゃんにフられたのかよ!?」
千冬の大声に、稀咲の眉がぴくっと上がった。
「ヤ俺がフって」
「は?」
今度は万次郎だけでなく、東京卍會上層部が花垣の周りに全員集合した。
「オマエあんないいコをフったの!?」
「タケミッチがあんなクソダサファッションしてても見捨てねえのに!?」
「抗争でデート台無しになっても笑って許してたのに!?」
「マイキーだの俺だのが凄んでも一歩も引かねえような肝座った女を!?」
「学校毎日登下校一緒のくせに!?」
「てかタケミッチのがベタ惚れだろ!?」
「フった!?」
「正気か!?」
「今すぐコールしろ電話しろ別れるなんてナシお前のこと愛してるよって言ってやれよ!」
「ケータイ俺の貸してやっから!」
「……なに?」
「……ヒナ、アレか、俺に歯向かって来ようとしたあのアマ。柚葉が止めてた」
「……ああ〜……」
「ああ……」
思い当たるフシがあった大寿と、続けて思い当たった九井と乾がそれぞれ納得の声を上げる。
「だっ、いや……俺だってホントは別れたくなんてねえよ! 好きだし! めちゃくちゃ大好きだし!」
四面楚歌でガン詰めされ、逆ギレの花垣武道。
世界の中心で愛を叫ぶ回が始まった。
「なら別れんなよ!」
「でも! オヤジさんに娘を危険な目に遭わせないでくれって言われたら! なんも言えねえじゃんか!」
「ヴ」
千冬がチョット弱った。
少女漫画好きであり、かつ、彼だけは未来で日向が何度も死んでいると知っている。
「んなの聞く義理ねーだろ、ガキの話に親がしゃしゃり出てんのがおかしい」
「じ、実際、何度もめちゃくちゃ危険な目に遭わせてきたのに! ……8・3抗争とか!」
「ン」
未来のことは言いにくいので、苦し紛れに絞り出した答えに、今度は龍宮寺がチョット弱った。
彼は8・3抗争で自らも刺され、同伴者を危険に晒した自覚があった。
「
「……」
実際、柚葉が止めなければ遠慮なく殴りかかっていた自覚はある。
「す、好きな人のこと、守りてえって思ったら、そりゃ……」
「ぐ……」
守れなかった九井にしっかりクリーンヒットが入った。実はあのとき稼いだ四千万円は、未だ手つかずのままだったりする。
唯一わかっている乾がその背中をさすった。
「……まァ理解はしたわ」
と、これは三ツ谷。
妹が成長して、彼氏に不良を連れてきたら、たしかに嫁一人守れそうにねえ男は認めるには厳しいな、と彼はその点も理解があった。いくら好き合っていたとしても、快く受け入れられるかどうか、かなり怪しい。
花垣は謎の打たれ強さがあるが、とはいえ隊長格の中では明らかに東京卍會最弱だ。実績に見合う地位だが、地位に見合う喧嘩の腕はない。
「ちなみにそれ言ったらヒナちゃん殴りそうもないんだけど、めちゃくちゃ殴られてんのはなんで?」
「……オトーサンの言葉、一理あるなって思ったのと」
「おう」
「ヒナはこれ聞いたらあいつまずオトーサン殴りに行きそうだなって思ったのと」
「……おう」
「で、こう……別れる理由聞かれて咄嗟に、他に好きな人ができたからっつったらめちゃくちゃ殴られて」
「うん自業自得だな」
三ツ谷は冷静に判決を言い渡した。情状酌量の余地はあるが、口実にしてももう少し他にあっただろう。
第一ソレ、そもそもヒナちゃん信じたのか? 三ツ谷はそうも思ったが、こちらは口にしなかった。
「ッスね」
反論もなく、花垣はただ項垂れる。ひどいことをした自覚はあった。
「まァ……足洗ったらもっかい告白するとかイロイロあるからな。とりま、天竺戦が先としてだ」
「ヴ……ヒナ……」
「話しちまったせいでタケミッチの涙腺緩んでねえ?」
「わりと鬱陶しいな」
「話させたの誰っすか……!」
「まァ俺らだわ」
「つか誰だよさっきからケータイ鳴ってんの」
「ア俺。ちょい出てくる」
ケータイを開いた万次郎が名乗りあげ、続いて花垣を指差す。
「タケミッチ俺が電話終わるまでに泣き止んどけよ〜」
「ッス……」
花垣は首をすくめた。涙腺は相変わらずダバダバだった。
ンだよなに〜? 俺帰る頃にはスーパーも閉まってんよ、雑な応答が背後から聞こえてくる中、とりあえず特攻服の袖口で顔を拭く。特攻服を作った者として三ツ谷がジト目でそれを眺めていた。
いやいいけど。けっきょく服は服だし。オマエんだし。でも俺が作ったんだよなそれ。みたいな。
「あ?」
万次郎の声が低く響く。皆がそちらを見た。
万次郎もまた、背後を振り返り、メンバーを俯瞰した。くろぐろとした瞳がひとりひとりを見据え、見透かすように細められる。
「連絡とかしてねえけど。そもそも俺、家出るなっつってたじゃん、フツーにケンチンとかパシらせる……」
「またなんかパシらされんのかよ」
龍宮寺がぼやいた。
「またって、マイキーは自分ンとこの副総長いつもパシらせてんのかよ」
乾が突っ込んだ。
そうだが? 当然だが? 東京卍會幹部陣がそんな顔をするので、己がおかしいのかと若干不安になった。当然ながらそんなわけがない。
「そもそもいくらイザナ出るったって、関係ねえシンイチローのトップクとか持ってくわけ。……は? おいエマ、」
何度か呼びかける様子。龍宮寺が顔色を変えて、万次郎に歩み寄る。明らかに電話向こうでなにかが起きている。
稀咲はこの時点で内心、また失敗だな、と思っていた。
エマに仕掛けた呼び出しと襲撃がバレたことは一目瞭然。もっとも、稀咲本人ではなく手駒経由で更に捨て駒に指示したので、稀咲の関与は早々露見しないとしても。また別の手を考える必要が生じた。
「エマちゃんになんかあったんすか、」
花垣が立ち上がった。顔はわりとぐしゃぐしゃのままだが、さすがに涙も止まる。
「今んトコ無事っつうか……」
万次郎は、言うわりには険しい表情だ。
ちらりと花垣に視線を振って、ケータイのモードを変更する。ハンズフリーモードへと。
「じいちゃんいるし、ワカとベンケイと千咒が偶然居合わせてるっぽいし、なんとかなりそうだけど」
「ワカとベンケイ誰」
「なんで初代と居合わせてんだよ」
「知らね。でもなんか起きてる。エマ、今どこ? あと千咒そこにいんなら、三途に連絡しろって……してんの。なら場所」
そしてここで、またもやケータイの呼び出し音が鳴り響く。今度は花垣だった。
視線が集まった花垣は、すぐさまケータイを取り出して——表示名、タクヤ——応じた。
「もしもし、」
『武道、聞こえるか!?』
「聞こえてる」
緊迫感を帯びた響き。
花垣は端的に回答した。
——息を弾ませ、ひた走る。
傘は突き飛ばされたときに取り落として、そのままだ。
肩には雪が降り積もり、耳が冷えて、頭も痛んだ。先程まで泣いていたから尚更だ。
「こうばん、」
呼吸のたびに肩を弾ませて、日向は、繰り返す。近くの交番。Y字路の道を、右に行ったところ。
指示通りにしたはずだが、この道で合っているのだろうか。
街灯は暗く、人気のない道。脇の工場は今日は閉まっているようだ。住宅に明かりはない。本日はクリスマス・イブだ。人々は外食に出かけているのか、デートか、あるいは働いているのか、その他の予定か。
彼女の恋人、花垣が、純丘は強いと太鼓判を押していた。万次郎が、俺には負けるけどね、と余計な一言を付け加えて龍宮寺にしばかれていた。
彼が恨みを買うような人には思えなかったので、何故襲われたのか、日向にはわからなかったが、暴漢なんぞには早々負けないはずだ。そのはずだ。
——夏の記憶が脳裏を過る。
夏祭りの最後に雨が降った、あの日。喧嘩が始まったあの日。
花垣よりも強いひと、エマが常々〝ケンちゃんはすっごく強いの〟と言う、無敵だという万次郎も認める、龍宮寺が。死にかけたあの日。
大丈夫なはずだ。日向は内心繰り返す。
日向が小さい頃、幼馴染の少年も、歳の離れた兄を鬱陶しがりながらも頼れるお兄ちゃんだと認めていた。今では反抗期の直人が、あのときの幼馴染と、よく似た振る舞いをする。許されると知っているからこそのつっけどんな態度だ。
人が好く、強い人だ。むしろ、日向がいた方があの人は困ったはずだ。気が散って仕方がないだろう。
大丈夫なはずだ。
……本当に?
龍宮寺が刺されたとき、現場には、エマと日向と、花垣がいた。弱った龍宮寺に対して好機だとやってきたキヨマサたち、彼らを撃退したのは、花垣と、彼の友人たちだった。
対して、先程の相手はたったひとりだ。いくら武器があろうとも、ちゃちなカッターナイフ一本で早々ひどいことになるとも思えない。
……純丘もひとりだ。
「武道くん、」
つい先だって、日向は花垣にフラれた。花垣は、フる理由をしどろもどろに説明した。
——花垣は嘘をつくのがあまりにも下手だ。
「武道くん、」
彼は今ここにはいない。
日向が叩きのめして、大嫌いと言ってしまった。抗争を控えていて、デートの後、集会があると言っていた。出られなくなればいいのにとちょっと思った。嘘をついて遠ざけられたって嬉しくもなかった。本当のことを言って、それでもと願ってほしかった。
かつての公園で、日向が一目惚れしたヒーローは、今、ここにはいない。
「たすけて……」
同時刻。
「雪降ってんのはメンドクセェな、見づれーわ音も聞こえにくいわ」
ぼやいた場地に「まァでも、武道の頼みなんで……」千堂が応じた。彼は彼で外気温の目測を誤り、現在しこたま寒いらしく、自らのてのひらをしきりに擦っている。
「アイツの頼みってだけで、抗争前に夜の渋谷見回りすんの、スゲーよな」
「え? 場地くんが言うんスか、それ?」
千堂ら溝中のメンバーは現在一応、壱番隊の隊員なわけで、それこそ場地圭介こそ現在一般人のはずの少年だ。水を差し向けられて、場地は無言で肩をすくめた。
実際彼が自分で言った通り、こんな雪の日に喧嘩にも出られず、なにが起きると確信もできない路地の見回りなど、あまりに億劫だが。
……花垣は、ハロウィンでなにかが起きると予期していた。そして実際に、場地は助けられた。となれば、彼の証言は一定の実績があり、信憑性がある。
なにより、命の恩人と、辞めた場地に対して未だ忠実な少年に、揃って頭を下げられてしまえば、場地はさすがに否とは言えない。
「ぶっちゃけさあ……エマちゃん、お洒落さんだから前よりもっと可愛くなってたら見つけられる気がしねえんだけど」
「マコトおまえ、気持ちはわかるけど、マジでやめとけよ。ドラケンくんに聞かれたら……」
「ドラケンは気にしねーと思うけど」
場地は興味もなさそうに返して、それから首をひねった。
この男、幼馴染の少女のことを一度だってそんなふうに見たことがない。
「アイツがお洒落さんなァ。あのちんちくりんが?」
「目が節穴」
「刺されろ」
「刺されたんだよ」
「っぱ千冬との噂、マジなんかな……」
「オイ最後、は?」
寝耳に水の案件に盛大にうろたえた場地。噂!? なんの!? ペケジェーのことか!?
途端に元壱番隊隊長の風格で山岸を詰め始めたので、関わらんとこ、タクヤは騒動から一歩距離を置いた。
「程々にしてほしッス」
千堂が声を投げて、こちらも一歩距離を置く。
傍らでは謎の諍いが繰り広げられているが、ともあれ、目的は見回りだ。暗い路地を観察するように視線を振って——その目が見開かれた。
「——あれ、橘!?」
改変
タクヤ、と、たしか言ったか。
犯人を取り押さえるのは友人に任せ、ケータイを耳に当てた長髪の少年を眺めて、純丘はぼんやりと考える。
先程襲撃者を蹴り飛ばし、今拘束しているのは、千堂とマコト。救急車を呼んでいるのが山岸。
わずかに遅れてついた場地——息を切らして咳き込んでいた、無理をするなよと思う——が、彼らをそのように呼んでいた。
「橘と場地くんの知り合いの、榎サン? が刺されてるとこ出くわした。救急車呼んで、今警察到着まで犯人抑えてる。ああ。橘と一緒にいるとこ襲われたっぽくて……」
日向はどうも、交番へ駆け込む道中、彼らと鉢合わせたようだ。本職は呼ぶが、それはそれとして、喧嘩の実力を知っている少年たちにも助けを求めたほうが良い。彼女はそう判断したようである。
「わるいなー……クリスマス・イブってか、なんなら、ホワイトクリスマスなのに。ほんと散々で」
「部長もう喋んな!」
「けいすけ、呼び方もどってんぜ」
ちょっと笑えたので指摘すると「口閉じてろ頼むから……!」場地の声がかすかに震えた。顔をぎゅっとしかめるさまは、怒っているようにも、泣くのをこらえているようにも見える。
「アンタ今首から血ぃダバダバ出てんのわかってんのかよ!?」
「あー、わかってるってか、」
まァわかっているかどうかで言うと、わかっている。傷を負った張本人ゆえに。
なんなら、痛いを通り越して感覚が無くなってきている。本当にまずい。神経は切られていないと信じたいところだが。
純丘としては、普通に防御ミスったなー、やっぱ追い込まれた人間やべえわ、というのと。
「喋ってねえと寝そう」
「前言撤回絶対寝んなずっと喋ってろ」
いつにもまして減らず口が止まらないのはそういうわけ。
何人もがコートを脱いでかぶせてきた上、コートについたフードを引っ張り出して来て、ストールだの手袋だのをぎゅうぎゅうに詰め、首筋の傷をなんとか抑え込もうとされている。
止血と、保温。咄嗟の判断としては上出来だ。純丘は冷静に評価した。
ハロウィンのときに場地に対して施したことを、似たように、施されている。あれを覚えていたのか、あるいは単純に、いつかのために習得したのか。
もしかしたら、あのときの己も、今の場地のように隠しきれていなかったのだろうか。
純丘はふと考える。
彼は——純丘は、あのとき、ハロウィンのとき、本当に怖かった。当然、そんなことは誰にも言わなかったが。
判断を誤ったかもしれない。処置をどこかでミスしたかもしれない。救急車がつくまで保たないかもしれない。
目の前で、ひとりの人間が、よく知っている相手が、死ぬかもしれない。
思ったけれど口にはしなかった。努めて、もちろん助かるというふうに振る舞った。
頭が良い部長が言うならそうだろう、と、彼らは当然のように信じるので。
場地の誕生日に、彼に向かって語った言葉は真実だ。
許せていない。許せない。いつか許せるまで、正しく、贖わせたい。
ただ、瀬戸際に出てくる感情がそれだったのかと尋ねられると、未だわからないままでいる。
「あのさァ」
ところで本当に寝そうな上にもしかしたらこれ走馬灯かもしれん。
純丘はやはり冷静に思ったので——彼自身薄々わかっていたが、今の〝冷静〟とはすなわち〝他人事のように〟や〝実感がないまま〟とも言える——この際とばかりに、場地に話しかけた。眠気覚まし半分。気を紛らわせる意味半分。
もしかしたらば本当に死にかねないので、せめてその前に確認しておきたい答え合わせが、ちょっと。
「俺、前……死神に、会ったことあんの」
「マジで縁起でもねえ冗談やめろ」
「じょーだんじゃなくて。歌舞伎町で」
焦燥ばかりだった場地の表情が「は?」となり、そして思案する顔つきへと変化する。
「歌舞伎町で、死神? ……半間修二?」
「手の甲に、刺青、入れてんのな。罪と罰……」
「半間だワ。なにしてんだ……」
「あのコさあ。いま、
「……
マジでなに聞かれてんだろうな、という表情だが、場地は律儀に答えた。喋らせて意識を繋ぐことを優先したらしい。
君の素直さは美徳だな。純丘は場地に対して、何度目かの感想を抱く。
「ならさあ。鉄太ってわかるか?」
「あ? ……稀咲鉄太? ……ぶちょ、塾長、稀咲と知り合いなのかよ?」
にわかに声色が険しさを帯びる。
純丘は、こちらは正直に答えた。
「弟だなあ」
「ァア!? え!? ハ!? おと、弟ってあの弟!?」
「ところで、鉄太って……もともとは、
ぎくりと場地の肩がこわばった。
——相手の反応を引き出して、観察したいときは。
まず、不意打ちで情報を与え、動揺したところに畳み掛ける。
純丘は滅多にそうしない。己が意識してそういう手法を扱えると知っているからこそ、相手を尊重するために、敢えて封印している。
その〝敢えて〟の原動力は、たとえば良識や常識、あるいは倫理、そういったものであり、成長の過程で後天的に獲得した彼の理性や善性である。
今の純丘はわりと死にかけだった。本人が気力だけで意識を保たせているだけで、本来瀕死レベルの重傷といっていい。
いつもは理性的に抑えている振る舞いを、簡単に、実行してしまえるほど。
「あー、はー、なるほどなー……なるほどな?」
何故かことここに至って楽しげに笑い出した男に、いよいよまずいか、周囲が焦り出した。
「きゅ、救急車もうすぐつくっぽい、案内しに行ってくる!」
山岸がケータイを耳に当てたまま駆け出す。
一方で場地は、ストール越しに傷口を抑え込もうとする指先に、すこしだけつよく、力を込めた。
背中に冷や汗が伝っている。その自覚がある。死にかけている純丘への心配ももちろんある。
しかし——彼は。
今自分が完全にやらかしたことに、気づいた。
「鉄太に、さあ。俺が生きてたら伝えといてくんね。……あとでツラ貸せって」
三途はマスクの下でこっそり顔をしかめた。ポケットの中、ハンカチにくるんだケータイがうっすらとバイブレーションを奏でている——このパターンは、彼の妹専用に登録したものだった。
何故ってわざと無視するためだ。
「三途」
天竺の幹部陣による抗争時の段取り最終確認。とくに異論もなく淡々と進んでいく中、隣の武藤が見もせずにささやいた。
大方、他のメンバーに気づかれぬようにとの配慮だろう。
「ずっと鳴ってねえか」
「……」
さすがに隣に並んでいたせいで気づかれたらしい。
「出てやれ」
「……ッス」
不良の上下関係とは絶対である。武藤はその中でもかなりマシな部類だが、とはいえこれは、促しに見せかけた、ただの命令だ。
三途は舌打ちをこらえてケータイの通話ボタンを押した。
『繋がった!? 今度こそ繋がったよな!? ハル兄!? ハル兄聞こえてたら返事して!?』
キーンと三途の耳に幻聴すら響く。「おお」斑目がびくっと肩を震わせて、三途を見やった。
ハンズフリーモードでもないのに貫通している。武藤の配慮がほぼ台無しになるレベル。
ところで俺、前に隊長に一人っ子って言ってたんだよなァ?
三途は思わず天を仰ぎたくなった。
「ウッセ、なん……」
『今なんか、エマと佐野のじいちゃん狙って天竺って野郎どもに襲われてんだけど!』
「は?」
完全に通話内容が貫通しているせいで、三途より先にイザナが唸った。
紫がさっと仲間たちを睥睨するので「俺ら違うけど」「やるわけねえだろ」「マジで初耳」「特になんもしてねえな」各々、即座に応える。
イザナは、必要であればおそらくエマをも殺すだろう。彼らにはおおよそその確信がある。
しかし、命令していないことを勝手に遂行されるのは、イザナの意思に反している。そういうものを彼はひどく嫌うので、極悪の世代たちももちろん指示など下していない。鶴蝶は尚更だ。
「怪我は」
『エマとじいちゃんはない! ワカがうっかり脇腹一発喰らって今キレてる! あとベンケイがワカの振り回した傘当たってこっちもキレてる!』
「今初代の名前出たよな?」
「つかなに内輪揉めしてんだ」
蘭と望月がそれぞれ突っ込んだ。
三途は眉間を揉んだ。若狭と慶三が見込みある妹を可愛がっているのは三途も知るところ、彼らが共に行動していることには不思議はないとして。
「テメエの怪我は?」
『え? ハル兄が心配した? この雪今から晴れる?』
「しばくぞクソガキ」
「オマエそんな口悪かったの?」
「昔はだいたいこんなんだったな」
外野が好き勝手言ってくれるものだ。微妙に内情に詳しい武藤の補足が三途的には一番やめてほしい。
『てか二人が喧嘩出してくんねーんだもん怪我するわけねえじゃん』
「出んなボケカス」
『ジブンだって
「ああそう」
三途の相槌はとうとう雑になった。我が妹ながら(いや、三途はもちろん一人っ子だが)どこの戦闘民族だ。
「つうか、今の状況は? 怪我以外」
『ワカとベンケイが伸してってっから問題ないっちゃ無いんだけど地味に数多くてめんどそうだな〜って思ってる!』
「オマエ実は余裕だな?」
『そりゃヨユーだけど、あの二人いたら余裕じゃねえことの方が珍しいし。エマと佐野のじいちゃんだけだったら、サッサとボコボコにされて下手すりゃ死んでると思う。コイツら見てる感じ、加減とか知らねえぜ』
予想外に真面目な返答が来て、三途はしばし口をつぐんだ。
千咒の戦闘センスは若狭や慶三のお墨付き、そのぶん目も肥えている。彼女の見立てが間違っているとは思えない。
『天竺ってマジでやべーチームってワカから聞いたけど、総長の家族っつったってカタギにこの質の奴ら揃えて手ェ出すレベルなん?
三途がちらっと武藤を見た。
部下のアイコンタクトを受けて、武藤がイザナに目を移す。無言で考えていたイザナが指を三本立てた。
「三人はほしいとよ」
「……そいつら三匹ぐらい、確保できたらしとけ。聞きてェことがある」
『オーケー了解。あ、ハル兄切らないで! なんかエマの方今マイキーと繋がってんだけど、伝言あんだって。アレてことは今ハル兄、マイキーと一緒じゃねえの?』
実際切ろうとしていた三途、今度こそ思わず舌打ちをこぼした。そして、つくづく妙なところで気のつく妹だ。
「野暮用だ。で、なんだよ?」
『ん、今から言ってもらうから繰り返す。えー、こっちはケンチンと一緒にエマんとこ向かう、抗争は中止かせめて延期がいい、別件で部長が襲われて死にかけっぽい、エッ死にかけっつった? てか部長誰? 純丘榎……は!? 榎サンが!?』
オマエもあいつの知り合いかよ、と、三途がここで突っ込むことはなかった。
「待て」
イザナの声が鋭く飛んだので。
ちなみに、三途に対してではない……灰谷兄弟二人とも、揃って、先程の位置から半歩動いていた。
紫が兄弟をひたと見据えていたが、続いて三途に据えられる。
「三途、伝言返信、復唱」
「ッス」
「抗争は一旦延期、日程は保留。襲撃はどっちも俺たちは把握してない。向かうなら最低三体はこっちに寄越せ、あとは好きにして良い。以上」
三途は同一の内容を千咒に伝えた。千咒は一通り素直に伝えてから『もしかしてハル兄……今
三途は無言で通話を切った。
若狭と慶三に加えて
答えるのが面倒だったとは断じて認めない。
「こっちの方針を立て直す。先に言ったとおりだ、抗争は延期。虫どもを先に駆除」
イザナがカツカツと踵で床を鳴らした。苛立っている。
稀咲の裏をかいて、東京卍會と
けっきょくのところ、稀咲の計略が一枚上手だったことも明らかで、その点でも腹が立っているのだろう。
「兵どもに延期は伝えろ。雑兵が寝返ってる可能性も高い、様子を見る」
「まァそこはべつにいいが。12・1の件に引き続きだ、普通に不満も出るだろうな」
「出たら言え、王直々に殺しとく」
苛烈な回答に、望月と武藤が視線を交わし、頷いた。
とりあえずイザナに報告する前に、彼らで留めて沈められるように準備しておこう。八つ当たりで兵力を削がれてはたまらない。
「それで、灰谷」
イザナが「灰谷」と呼ぶときは兄弟両方を指している。
蘭はとくに表情もなく、答えもない。竜胆が短く「なに」と尋ねた。
「純丘の様子見てこい」
「……あ、許可出んの」
眼鏡越のレンズ越し、明色がまたたいた。
その点は三途も意外だった。イザナであれば、チーム外の他人にかかずらってないで働け、とでも言いそうなものを。
「人間がカンタンに死ぬのはオマエらもわかってんだろ」
イザナはつまらなそうにつぶやいた。
その目が一瞬、どこか遠くを見て、すぐに焦点は現実へと帰還する。
「オマエらがあいつを気に入りなように、あいつもオマエらが気に入りだ。そんで癪なことに、俺はあいつにそこそこの借りがある。——ただし条件だ、三途をつけろ」
俺かよ……とは三途の正直な感想である。
「テメエらだけで行くと、襲撃扱いされるぜ。病院はどうにでもできても、場地だのが同席してねえ限り
「……ん〜」
なんとはなしに唸った蘭が、続いて首を横に振った。
「ヤ、俺いーワ」
「あ? 蘭テメエせっかくの俺の厚意をナ」
「マジで死にかけてんの見たらうっかり殺すかもしんね」
いつもならば揚げ足取りをするタイミングで、いやに静かに、蘭は言った。
やはり特に表情は浮かべていない。
イザナは一瞬目を眇めて「まァありえる」溜息をつく。彼自身の経験を振り返った上での結論だ。
「竜胆は?」
「さすがにフクブは殺さねーだろうけど……それ以外でなんかバグるかもだし、やめとくわ」
「オマエらあいつにバグってる自覚あったのかよ。まァいい、なら両方組み込む。明日か明後日には結果出てんだろ、それまで逃げねえでキリキリ働け」
「りょ〜かい」
灰谷兄弟の返答は揃って気の抜けたものだった。場面に一切似合わない。
世界の中心で愛を叫ぶ
:「世界の中心で、愛をさけぶ」片山恭一作
2001年出版
どこの戦闘民族
:サイヤ人
ドラゴンボールはいいぞ