【完結】罪状記録   作:初弦

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精算は奢りで

 二〇〇五年十二月二十六日。午前十一時半。

 

「えっとォ……部屋番号、421……違う、ここでもねえ……」

 

 メールに記された病院名と睨めっこし、無事に辿り着いて受付で手続きをしたはいいものの、今度は病室の部屋番号と院内案内図を変わるがわる見比べる。

 

「421、421……あれ行き止まり、ないんだけど、もしかしてもうワンフロア上!? ここ四階じゃねえの!?」

 

 花垣は、純丘の見舞いに訪れていた。

 つまり純丘榎は、実際襲撃に遭う未来は回避できずとも、生き残ったということである。

 

 ——かつて、起こりうるはずだった事件。

 

 交番に駆け込んだ日向の訴えにより、駆けつけた警察官によって、襲撃者はようやく拘束された。救急への通報も同様だった。

 日向は気が強いが、それでも、興奮しきった男を抑え込む実力はない。そしてこのとき、日向も、純丘本人さえも、まさか彼が死ぬとは思っていなかった。なにせ純丘が日向を交番に向かわせた時点では、襲撃者ですら、凶器をちらつかせても決して殺そうとはしていなかったので。

 

 ——もはや、過去となった事件。

 

 花垣が抗争前の見回りを頼んでいた友人たちが、交番への道中を走る日向に遭遇し、警察官たちよりも一足先に、現場に辿り着いた。

 このとき既に純丘は、襲撃者を激昂させ、手負いとなっていた。首筋の切り傷は運悪く動脈をかすめ、ほとんど致命的だった。

 しかし文字通りの滅多刺しとなる前に、無謀なる少年たちは加害者に飛びかかり、多少の負傷はあれど、ほぼ無事に引き剥がした。同時に、一足早く救急を呼んだ。拙いながらも止血と保温に努めた。

 

 わずかな差異により、過去は変遷し、現在が変転し、未来も変化していく。

 

「421、ここか!」

 

 お目当ての病室を発見した花垣は束の間喜び「ゲッ」すぐに顔をしかめた。先に廊下を闊歩し、お目当ての病室へと向かおうとしていた人物——稀咲が声に気づいて、花垣を見遣る。

 

「ア?」

 

 稀咲の側も凄んできた。ガングロ金髪にゴツい角縁眼鏡、怖いと判断されるに足る要素は揃っているのだが、何分本人がそこそこ小柄でひょろいのであまり怖くはない。

 

「オマエなんでっ……そういや、兄弟なんだっけ」

 

 噛みつきかけて、思い出し、花垣は納得する。

 兄弟仲は悪くもないと言っていたことだし、さしもの冷血漢(稀咲に対する花垣評)も、兄が死にかけたならば顔を見に来る情があるのだろう。

 

「テメエがなんでそれを知ってんだよ」

 

 むしろ稀咲が噛みついた。

 

「榎さんから聞いた」

「兄貴の野郎……言いふらしてんのか? 場地といい、半間といい」

「エむしろそこ知ってたん? てか榎さん半間と交流あったわけ?」

「……俺が聞きてえ」

 

 苦々しげにつぶやく稀咲。

 マァ三ツ谷くんとか場地くんとか、よくわかんねー交友関係とか言ってたもんな。花垣は得心する材料がある一方で、稀咲にはさっぱりわからない。どこをどうこねくり回せば、己が直属の部下と兄が関わるのか。

 

「……つか、テメエ帰れよ」

「テメーこそ帰れよ。俺、榎さんのこと心配だったのもあるけど、呼ばれたから来たんだし」

「はァ?」

「ほら!」

 

 日付と時間を記されたメールを見せる。送信主は純丘榎のメールアドレス。

 稀咲は眉をひそめた。

 

「……なんでオマエと同じ時間に、」

「ハ?」

「まァいい」

 

 花垣は聞き返したというのに、稀咲は早々に話を切り上げた。もうあからさまに会話する気がない。

 

「手違いだとしても、どうせ聞けばわかるだろ……」

 

 スタスタスタと早足に進む。「おい待てよ。……いや待たなくてもいーけど」花垣も負けじと足早になった。

 ほとんど同時に辿り着いた病室にて、扉をノックせんと稀咲が拳を上げる。

 

「純丘くん、あなた本当に傲慢だよね」

 

 ——病室から聞こえてきた声に、その手が止まった。

 

 

 

  精算は奢りで

 

 

 

 花垣は首を捻った。誰だっけ、この声。

 

「ぜんぶ自分のせいだとでも思ってる? 自分がぜんぶ背負い込めば、それで丸く収まるとでも思ってる? 愚かだよ、愚の骨頂だよ、いつもその傾向はあるけど、自覚しているのに、今回はなりふり構わないじゃない。まず、あなた一人でなんとかなる範囲ではないし、そもそも、あなたが取る責任でもない。そうじゃないの?」

「……いい加減、納得してくれると助かるんだけどな?」

 

 こちらの声は花垣も知っている、純丘のものだ——いつもより、皮肉げな色合いが濃いけれど。

 

「君の協力はありがたいが、俺にも次の予定がある。だいたい、一連の話は散々説明したはずだが、もう忘れたか?」

「忘れてないから言ってる。……ねえ、純丘くん、いったいなにを隠してるの? あなた狙いの怨恨で刺されたって聞いたけど、本当にあなたが狙われたの? 違うでしょ」

「堤、」

「あなたはあなたが狙われたなら、ちゃんと、正しく怒れるでしょう」

 

 堤。その苗字は、花垣は聞いたことがあった。エマや、エマと仲良くなった日向も、たびたび口にしていたはずだ。良くしてくれる年上のお姉さん方のひとりだという。どうやら純丘とも知り合いだったらしい。

 

 堤はそれ以前から(一方的に)日向を知っていたし、そもそもエマには純丘から紹介したのだ、という事実は、ここでは知りようもないので省略する。

 

「聞いたよ、純丘くん。ヒナちゃんと一緒にいる時に襲われたんだってね。それで、ヒナちゃんに交番に警察呼んできてって言ったんだって? ……ヒナちゃん、ケータイ持ってるよね。110番させればよかったんじゃないの?」

「その場にいさせて下手に狙われたら困るだろ、」

「違うでしょ、違うよね。最初から狙われてたんだね? 本当はあのとき襲われそうだったのは、ヒナちゃんの方だったんじゃないの? あなた、通報のためもあるんだろうけど、本当は、ヒナちゃんを安全なところに逃がすために、走って交番まで行けって言ったんじゃないの?」

 

 稀咲の拳がノックの形で停止している。角縁眼鏡の奥で、瞳が見開かれていた。

 

「だからあなた死にかけたんじゃないの? ヒナちゃんに被害が行かないように気を配りすぎて、肝心の自分が、しくじったね?」

 

 花垣は隣の少年のことを気にする余裕もなかった。

 彼は未来で、あるいは二十六歳の花垣にとっての現在で、情報収集を行って、そうして過去へと飛んだ。

 

〝フクブは、一人だったら襲われなかったよ〟

 

 ——まさか、あの台詞の真意は、

 

「それで——あなたは、なにかを負い目に感じてる。なにか企んでる。だから、晴天教室の生徒たちを引き取ってもらえるように、いろんなところに頼んでる。アルバイトも、なんなら卒業間近の専門学校も、辞める準備をしてる。私にその協力も頼んでる」

 

 ぽんぽんと初耳の情報が飛び出してくる。「夜逃げみたいだね」女の声が盛大に皮肉ったが、純丘は返事をしなかった。

 どちらの表情もわからない。花垣にはタイムリープの能力は——何故か——持っているけれど、透視能力は搭載されていない。

 

「いいよ、それも引き受けてあげる。長い付き合いだし、あなたにはいろいろと迷惑かけられてるけど、同じくらい迷惑かけてるからね」

「……」

「引き受けてあげるけど、なんでそんなに傲慢になってるのか、聞く権利はあるでしょう。ここまでわかっていて、協力してあげるんだよ。この私が」

 

 しばらく、扉の向こうは沈黙に満ちていた。

 

「……堤さあ」

 

 今度は、純丘が口を開いた。どこか投げやりな声色にも聞こえた。

 

「今月上旬に、ディスニー行った時のこと覚えてる?」

「は?」

 

 女の声がわりと本気で凄んだ。たぶんさっきの稀咲よりも怖かった。

 

「俺と君と、御門と……万次郎とエマとドラケンくんと、タケミッチくんと橘ちゃんで」

「覚えてるけどそうじゃないよ。なにか、関係あるの?」

 

 そんなんあったんだ……というのが花垣の感想だ。

 今月上旬といえば、花垣はほとんど二〇一七年に戻っていた時期だった。その間に起きた出来事だろうと推察はできる。

 

「行きは車で拾ってって、帰りは、タケミッチくんと橘ちゃんは渋谷駅から帰るって言うから、俺たちも一回車停めて降りただろ」

「……だから?」

「俺は——」

 

 ふたたび、沈黙。

 

「……あのとき、ちゃんと自宅まで送っとけば、今回のことは起きなかったんだろうな。あとは単純に、駅で降ろしても、特に見送らなければ。あれしか、知る方法がない」

「……ねえ、なんの話? あなたは、なにを後悔しているの?」

「被害者を加害者にしてしまった。たぶん、あれが、決定打だった。ところで扉の前の君ら、いつからいたのかさておき、入ってくる気は?」

 

 存在を指摘されて花垣が文字通り飛び上がる。

 稀咲も明らかに肩を跳ねさせたが、意を決して、拳をしまい、引き戸を開けた。

 

「久しぶり……タケミッチくんはそんなでもないか。ごめんな、時間こっちで指定したのに、待たせたか?」

 

 純丘はヒラヒラと手を振った。首元に厳重に包帯が巻かれている。

 堤は、女にしても比較的小柄な背丈をヒールで底上げしている。眼鏡をかけていて、ダッフルコートに身を包んでいる。彼女の瞳が花垣と稀咲を順繰りに見て、再び純丘に固定された。

 

「この話をするなら、どうせ、君らには聞かせる必要がある。まとめて話そうか——ああ鉄太、扉は閉めてくれ」

 

 指示された稀咲が素直に病室の扉を閉めた。

 

 龍宮寺は大部屋にて入院していたが、純丘は個室のようだ。彼が横たわるベッド以外に病床はなく、彼の見舞客以外に人はいない。

 窓は閉めてあった。レースカーテンだけが引かれている。

 

「まずはタケミッチくん、ありがとう」

「は、はい……はい? エ俺?」

「もちろん、君の友達や、圭介が、一番の功労者だけど、君にもだ。見回りを指示したのは、君なんだろ?」

 

 タクヤが花垣にかけていた通話の内容を、純丘は、うすぼんやりと覚えていた。「う……っす」花垣はちょっと居た堪れなくなった。

 

 友人たちに託した見回りは、純丘のこともそうだが、エマの件を阻止するためというのが本命だった。肝心のエマの方はしっかり襲撃されていたし、なんなら全然神社ではない方向へと向かっていたようだし、花垣は正直、彼女が何故助かったのかもよくわかっていない。

 黒龍(ブラックドラゴン)初代と鉢合わせ、万次郎と龍宮寺が駆けつけるまでの間に、彼らがほとんどを撃退したことだけはわかっているが。それで助かるならなんで未来じゃダメだったんだよとの疑問が湧く。

 

 なんなら純丘の方への襲撃もだいぶ阻止できていないどころか手遅れになりかけた。素直に受け取っていいのか微妙に迷う。

 

「と、まあ俺の自己満足で謝辞を述べたところであんまり実感もないと思うので」

 

 まるで心を読んだかのようなタイミングで、この男、いつもの調子でほざき始める。

 

「お礼とお詫びがてら。まず、俺の空想を聞いてもらおうかな」

「空想?」

「空想だ。夢物語と言い換えてもいい。根拠もなく、推論で繋いだ話なんぞ、フィクションとそう大した違いはない」

 

 純丘はそこで少し咳き込んだ。振り回されたカッターナイフは、気道に近い位置を傷つけていたとも聞いている。

 

「ところでタケミッチくん、君がかつて俺に聞きたかった〝稀咲〟は、鉄太のことか?」

「は?」

「え?」

「……アッ」

 

 ずいぶん昔の話を持ち出されて、花垣は一瞬反応が遅れた。「稀咲?」堤がいかにも訝しげに繰り返す。

 

「鉄太くんはとっくにその姓じゃないでしょう。あなたはさておき」

「そうだな。というか、だからこそか。鉄太、不良として活動している間、その名前を使っていただろう」

 

 あくまでも純丘は穏やかに確認をとる。一見いつも通りのトーンで話している——そして、稀咲は直感していた。

 

 兄が普段、感情の機微がわかりやすいトーンと表情で喋るのは、相手に適切に意思を伝えるためだ。ふざけてもいい話であること、真面目な話であること、その識別がつきやすいように。意図的に声音を調整している。

 

 ……腹の奥底を悟られないように喋ることも、もちろん、可能だろう。

 

「いつから不良として振る舞っていたのかは知らない。けれど、少なくとも、愛美愛主(メビウス)に在籍していた時期があった。それから東京卍會に移籍した。そうだろう?」

「……」

「半間くんとはずいぶん仲が良いみたいだな」

「……兄貴、アンタ、なにが言いたいんだ」

「そうだな、この言い方は回りくどい。はっきり言ってやろうか」

 

 弟の反駁に、純丘はぱちんとまばたきをした。昔馴染みのやけに無機質な動作に、堤の眉がはねる。

 

「俺は今、鉄太、お前が春樹を唆して愛美愛主(メビウス)の総長を刺させたと疑っている」

「あ」

「8・3抗争でドラケンくんが死にかけた遠因だと疑っている。半間くんに芭流覇羅(バルハラ)を作らせたと疑っている。ハロウィンで圭介が刺された、そのとき羽宮くんが刺すように煽ったと疑っている。そういえば、大寿くんも弟に殺されかけたっぽいな」

 

 至っていつも通りの口調だった。

 

 奢ってやるよと気さくに声をかけてくるときだとか、日向の落とし物を差し出したときだとか、万次郎の冗談にあっけらかんと返すときだとか、そういう、花垣が知っている限りの純丘の()()()の口調だった。家の話をにべもなく跳ね除けたときのように、つめたく、削ぎ落とされたトーンではなかった。

 

 ただ、同時に——花垣は思い出すことがある。

 彼はハロウィンに乱入したときでさえ、いつも通りだったのだ。場地が死にかけて、自ら命を断とうとしたあの瀬戸際に間に合ったとき、しかし一刻を争うときですら、いつも通りだった。

 

 ……そう見えたのだ。

 

「そして、一昨日、エマが襲われたと聞いた。その件も、俺はお前の仕業じゃないかと疑っている。どうだろうか、鉄太」

 

 花垣は、純丘が誰かを〝お前〟と呼ぶ場面を、目にしたことがなかった。

 つい数分前までの話だ。

 

「……意味がわからねえ」

 

 疑義を差し向けられた対象当人。稀咲は低い声で返した。

 声色はかすかに震えていて、それは怒りからか、動揺からか、わからない。

 

「どうしてそんな、ろくでもねえこと、疑われなきゃなんねえ? よりによって実の兄貴に」

「半間くんと仲が良いだろう?」

「さっきも聞いた。まさかそれだけで、か?」

 

 兄の言葉を、稀咲は鼻で笑う。

 

「仲は特に良くない、あいつが勝手に俺の後ろをついてきてるだけだ。今は東卍(トーマン)なんだから下手に事荒立てる意味もねえだけでな。しかもそれだって、元からじゃねえよ……あいつとは愛美愛主(メビウス)時代に対立してた」

「対立」

 

 純丘は意味深長に繰り返した。

 

「なんだよ」

 

 稀咲がわかりやすく苛立った。

 

「……そう言い張るならそうでもいい」

「兄貴アンタ、弟を信じねえってのか?」

「俺が信じようが信じまいが、どうにせよ、疑う奴は疑うだろう。たとえばそれはタケミッチくんで、」

 

 稀咲が花垣を鋭く睨んだ。

 花垣は睨み返した。ガン付けるときのコツは、怯んだら負け。

 

「たとえばそれは圭介で、」

 

 ヤンキー同士のバトルは一般人にはわからない。純丘はわかっても言及する気がない。

 無言の諍いを無視して、言葉を続ける。

 

「たとえばそれは——俺の首を掻き切った奴だ」

 

 純丘のてのひらが、自らの首元を覆う包帯に触れた。

 

「警察にも話してないことがある。君らが、俺と堤の話をどこから聞いていたか……そうだな、一応言っておこう。俺を殺そうとした奴は、本当は、橘ちゃんを狙っていた。そして、最初は、殺す気なんてなかった。もちろん、カッターナイフを持っていた以上、害するつもりがないとは言わない。少なくとも傷ぐらいはつけたんじゃないか」

 

 白い包帯を何度かさするようにして、手を下ろす。純丘の瞳が真っ直ぐに稀咲を、弟を見据えていた。

 

「君らは既に知っているかもしれないが。俺を襲った彼は……春樹の親友だ。梅雨ごろに愛美愛主(メビウス)にリンチされて、しばらく入院していた。彼女さんも巻き込まれてな」

 

 その情報は、花垣は未来で知った。そして現在でも、既に知っている。林から情報が回ってきた。二〇一七年の三ツ谷が述べた通り、彼らは仲が良かったようだ。

 何故彼が、何故純丘榎を、と皆が困惑した——ノートの存在に言及されるのは、時間の問題だろうか。それとも、これまた花垣が気づいていないなんらかの余波により、未だ渡されていないのかもしれない。

 

 彼は、まだ死んではいない。

 花垣が知っている過去では、クリスマスには自ら命を絶っていたが、まだ生きている。留置場で純丘への加害を認めたが、動機もなにも、頑なに口を割らないことだけがわかっている。

 

「なんで橘ちゃんが狙われているのかわからないから、とりあえず、話しかけて気を引こうとしたんだ。確実にこちらに注意を向けられる話題がそれだった。つまり、東卍(トーマン)の関係者というだけで愛美愛主(メビウス)に襲撃されて、彼女さんまで甚振られた件、ということだが……その痛みを知っていながら、何故、同様に、本来は無関係の人を狙うのかとな」

 

 うすく息継ぎをする仕草。

 

「彼の様子がおかしくなったのは、ここだ。明確に殺意が芽生えたのも……彼は〝あんたがそれを言うのか〟と言った。〝最初から止めろ〟と言った。〝俺だって、なんでと思った〟と、言った」

 

 純丘の脳はかなり優秀な方で、そうでなくとも、知人の危機であり、生命の危機だ。一言一句、あのとき言われた台詞は鮮烈に灼きついた。

 

「そして〝キサキが〟と。俺をも指して」

 

 キサキ——花垣は無意識に〝稀咲〟に変換する。

 しかも純丘を指してだというなら、すなわちその〝キサキ〟は稀咲で確定だろう。

 

「……俺は、何度か、彼の顔を見かけたことがある」

 

 純丘は人の顔を覚えるのが得意だ。

 真一郎の店で遠目に見た程度の九井の特徴を掴んでいたように。喧嘩賭博で一瞬見かけたきりの花垣の顔を、龍宮寺の見舞いに来た時点で合致させたように。一年以上前、暗がりで邂逅したきりの半間を覚えていたように。

 

「最初は、春樹と一緒に、彼の親御さんに謝りに行ったときだ。親御さんは頑なに彼を出さなかったが……帰り際、春樹と話しているとき、こちらを見ていた。生活範囲が被っているから、退院したあとも、何度か見かけた。襲われる前で言うと、そうだな、渋谷駅だ」

 

 渋谷駅。

 先程の堤との会話でも出た名称だった。

 

「十二月上旬、俺たちはディズニーに行った——まあなんでかタケミッチくんは覚えていないらしいので関係ないところはさっくり割愛するとして」

「エあの」

「するとして」

 

 ぬるっとゴリ押す純丘に流されつつも、なんでバレてんの!? 花垣はしっかり混乱した。

 

 彼は、十日前に純丘から投げられた問いかけを覚えていない。元々何故問われたのかもよくわかっておらず、なんなら十日のうちにいろいろありすぎた。

 

「渋谷駅で、堤、君は橘ちゃんのことを聞いただろ」

 

 ここでようやく水を向けられて、堤は刹那、思考を巡らせた。先程も一瞬出た話題なので、記憶は辿りやすい。

 

 しかし、この流れは——

 

「……塾帰りのあなたたちを、たまに見かけた、って話?」

「そう、それで、俺は肯定した」

 

 敢えて肝心な部分を省いた確認に、純丘は頷いた。

 

「彼のことを見かけたんだ。あの日、あのとき、あの場所で」

 

 純丘はあのとき、堤から問われた〝鉄太くんが好きだった子〟という問いにも、否定を返さなかった。どころか、現在進行形かもしれない、という懸念まで共有した。

 

 それは、彼らは長年の付き合いがあり、気心が知れていて、他者のプライベートを無闇に口外しないという信頼があるからだ。加えて、彼らの雑談にわざわざ気を配る人もいないだろうと思っていたからだ。

 実際御門が二人に注意を向けた時は揃って誤魔化した。彼らの後輩である御門は〝先輩の家族の話〟〝知り合いの女の子の更に知り合いの話〟として気に留めるだろうと思ったからだ。

 

「興味がなければ見逃すだろう、すれ違った人の会話なんて記憶から抜け落ちるだろう。とはいえ、俺たちの単なる()()も聞こえる距離だった」

 

 肝心な部分は口に出されてはいないが、稀咲はあいにく、頭が良い。頭の回転も速い。

 

 話の流れを踏まえて、己の心情を踏まえて、そしてこの兄が、己の秘めた初恋に勘づいていたと、薄々気づいている。雑談、と強調された単語が、なんらかの意味を含んでいることに気づいている。

 

 純丘は真っ直ぐに弟を見つめていた。

 

「俺が言いたいことが、わかるな?」

 

 ゆっくりと、彼は言う。

 いつも通りのトーンで、音程で。普段のように気さくな声色で。予定確認でもするように。

 

 稀咲は、舌が貼り付いたように動かなかった。

 

「それとも、これも、はっきり言ってやった方がいいか?」

 

 花垣は……稀咲の真の心情までは読み取れなかったが、とはいえ、そろそろ理解し始めていた。

 

 稀咲への報復だという動機自体は、事実だったこと。そのために狙われたのは、本当は純丘ではなく、日向だったこと。

 稀咲には恋人がいないので、親しい女の子、という観点で狙いを絞ったのか。あるいは単純に、女子供は狙いやすいという一点だったのか、そこまでは花垣にはわからない。

 

「……要らねえ」

「理解が早くて助かる」

 

 稀咲が絞り出した回答に、兄は軽く肩をすくめてみせた。

 

 ……想い人の今カレくんの前でソレ、もはや脅迫でしょ。堤は思ったが、口にはしなかった。

 昔馴染の推測が正しければ、この少年にはおそらく、同情の余地もない。

 

「タケミッチくん、話の流れはわかったか?」

「……まあ、はい」

「僥倖だ。というわけで、ここまでがひとまず共有するべき前提だとして、本題に入ろうか」

「ちょっと待って本題まだだったんですか!?」

「まだだよ」

 

 花垣は思わず突っ込んだ。

 純丘はあっさりと返した。なんなら、なにを当然な、と言わんばかりだ。

 コレ前にもあったな——花垣が少しばかり過去を回想した。あのときは千冬が隣にいたが、今はいない。……ちょっといてほしいかもしれない。

 

「君らを呼んだのは、俺からの一足遅いクリスマスプレゼントのためだ」

「クリスマスプレゼントって」

「といってもカタチあるものじゃないが」

 

 既に純丘からいくらかの協力を要請されていた堤は、粗方の内容を察して、今度こそ盛大に顔をしかめた。

 

 堤は、彼女は常々言っている。昔馴染ゆえに信頼はある。倫理観や良識は人並みだ。

 しかし、純丘榎と名乗るこの男は、根底ではあまりに傲慢で——タチが悪い。

 

「鉄太がやらかした諸々を、そっくりそのまま、丸ごと俺の所業とする。タケミッチくんもその点ちょっと協力してくれるとありがたくてな」

 

 

 

  罪悪感は割り勘で

 

 

 

 なにを言われたのか、一瞬、わからなかった。

 

「……なに言ってんだよ?」

 

 続いて花垣が感じたのは、怒りだ。

 ——なに言ってんだよ? と、心の中で繰り返す。

 

「鉄太が稀咲と名乗っていたから、そこを起点にする。稀咲とは稀咲榎のことであり、彼は弟の名前を使って悪さをしていた、と」

 

 やはり純丘は、ことここに来ても、いつもどおりのトーンを崩さない。花垣に視線を移して、にっこり、やわらかく微笑む。

 

「べつに全員が全員騙せなくても、構わないんだ。噂が回ればより面白い方を人は信じる……いかにも不良な風体の野郎より、善人の一般人面したやつがいろいろやらかして悪事を為していたほうが話題性が高い。つまり、面白いから、他人は積極的にそちらを広める」

「ちがう、違うアンタ」

「俺が実家と折り合いが悪いのは、知人は大抵知ってる。実家の苗字を悪評として轟かせようとした、ぐらいの動機が一番興味を掻き立てるか?」

 

 ホントこのオトコ白々しいな〜と堤は心底から思った。

 花垣がどうにかして口を挟もうとするのを無視して、矢継ぎ早にまくし立てていた。

 

「週刊誌に務めてる知り合いもいるし、テレビ局のアルバイトしてるやつもいるし、あとは……詳細は伏せるとしても、噂を広めるのが得意なツテもいろいろと。まァそのへんからばら撒いてもらえれば、決定的な証拠がなくとも煙ぐらいは立つはずだ」

「なんで——」

「俺、今年で二十歳でな。成人式も控えていたんだが」

 

 純丘榎の誕生日は四月にある。

 

 優等生の名残で徹底した法律遵守のケを見せる男も、本人の意向で煙草は吸わないが、同窓会で酒を飲むようになった。半間と出くわしたときも同窓会からの帰りだった。

 

「タケミッチくん、君、テレビ観たか? 実は報道されてたんだぜ、俺が襲われた件」

 

 純丘は人の心を察することに長けている。人の心を誘導することに長けている。

 人心掌握に関しては、普段は己が理性を以て、意図的に抑制しているが、本来息をするように行えるはずのことだ。

 

「殺人未遂、しかも滅多刺しって、だいぶセンセーショナルだろ? 実際ホントに死にかけたせいで、うっかり報道で俺の本名が乗ったんだわ。元々被害者の個人情報保護はわりにガバガバだが。ともあれ、だから……俺が襲われたことは隠せない」

 

 純丘の眼差しは、花垣に向いている。怒りに燃える花垣に気づいているだろうに、その憤怒の矛先をわかっているだろうに、まるで敢えてとぼけてでもいるようだ。

 

 まるで——というより、実際そうだ。

 稀咲は気づいていた。これは実弟としての勘ではなく、同じ手法を使うがゆえの、自らの経験則からの確信だ。

 

「でも他のところは誤魔化せる。動機について彼はまだ口を割ってないのも幸いした、こちらで整えてしまおう。襲われたのは俺の悪事のせい、これにて自業自得と」

 

 故意で怒りを煽っている。無神経を取り繕って、花垣の感情が高ぶるさまを観察している。

 

 そして——あれほどしっかりと見据えていた稀咲からは、弟からは、今度は純丘は視線を外したままだ。

 レンズの向こうで揺れる虹彩も、てのひらに食い込む爪も、見ようともしない。

 

「たぶん実家も協力する。本名も報道されちまった今、隠せない醜聞の俺はこれで切り捨てて、代わりに、鉄太は確実に死守しようとする」

「アンタ、まさか、稀咲を庇うってのかよ!? 弟だからって!?」

 

 とうとう花垣が怒鳴った。あんまりな言い草に、我慢しきれなかった。

 

 何人も、何回も殺されてきた、花垣本人すらも殺されかけてきた、因縁の敵。

 面と向かって罪を認めさせ、頭を下げさせるというなら、まだしも——隠蔽?

 

 よりにもよって、言い出したのは、東京卍會でも少なからず慕われる男なのだ。

 稀咲の被害に遭いかけた——遭った——少年少女たちにも。

 

「はは。……はは! タケミッチくんがそう感じるなら、なによりだ。上手く行くだろう」

 

 そして純丘は、場違いにも声を立てて笑った。

 

「そう、真相を知る者、たとえば君はそう思う。真相を知らなくても、今回の事件を妙だと思っている人間は、訝るはずだ。疑うはずだ。〝稀咲鉄太と純丘榎は別人だ〟……事実なわけだし。付き合いがそう長くなくたってわかる、なんせ俺とコイツは身長からして違う」

 

 年齢差と体格差。声質も異なる。

 振る舞いだって要所に片鱗は見られても、まるで別人だ。

 

 同じ二親から生まれたので、たとえ顔立ちはそれなりに似ているとしても、双子レベルではない。血縁関係を知らなければ他人の空似と思う程度。

 

「俺がそこそこに頭が回ること、俺がそこそこに優しいことを、特に東京卍會の彼らはよく知っている。彼らに対して、俺は、そこそこのリソースを割いていて、借りを作っている」

 

 未だ口角を上げたまま、純丘はようやく、弟にふたたび視線を向けた。

 

「俺の仕業ではないと思うだろう。弟だから、なけなしの優しさを見せて、庇ったんだろうと思うだろう。君のように」

 

 稀咲は既に、純丘の狙いを察していた。喉を鳴らすようにして唾を飲み込む。

 

「そして俺が〝稀咲鉄太と名乗っていた〟と述べて、庇うなら。今までの行いは、本当に、鉄太の仕業で相違ないのでは——と、勘繰るだろう。少なくとも東京卍會にはいられなくなる」

 

 柔らかな声音。穏やかに、宥めるように、さながら落ち着かせるが如く。

 

「お前の立ち回りは、見ていないが、大方の予想がつくよ。ヤクザだのとも対等に渡り合えるような、しかしあくまでもヤンキーたちの立ち位置で、味方で、頭が回る頼りになる参謀として。そんなこったろう」

 

 まるで見てきたように論う。

 ほとんど彼の推察どおりだ、東京卍會における稀咲鉄太の立ち位置とは、そういうものだった。

 

「だというのに……兄だの、親だのに庇われる。なにかあれば大人にチクり、家を頼るような野郎だ。幻滅されるかもな? 噂が広まるのは早い。悪評なら、尚更に」

 

 ……彼が語る構想は、そう簡単に上手くいくものでもないはずだ。

 

 しかし、純丘榎は、信頼されることに長けている。大人に気に入られることに長けている。

 妙な知り合いが多いと、場地も三ツ谷もぼやいていて、なんなら半間ともどこかで知り合ったらしい。

 

 まるで——本当に?

 

「ガキのお遊びで済ませていればよかったのに。それか、俺に気づかれないままでいるか……途中までは上手くいってたな」

 

 灰谷兄弟に言うように、東京卍會に言うように。

 純丘榎は、眼前で事件が起きかけていたら止めに入り、既遂であれば通報する。そういうふうに生きている。

 

「取りたくなかった手段だが、実家も、しっかり見張ってくれるだろうさ。前例があれば締め付けも尚更強くなる」

「それを聞いて、ハイそうですかと、俺が言うとでも?」

 

 稀咲は明らかに、花垣が見てもわかるほど焦っていた。

 

 彼は、己のようなことを、兄もできるだろうと知っていた。たとえば家の期待の星だった頃、稀咲鉄太が名実ともに〝稀咲鉄太〟であったとき、本当に兄を嫌いだった頃、彼らの期待を削げるようにと振る舞い出したことを知っている。

 

「言わないと思ってた」

 

 純丘はごくごく落ち着き払っていた。

 

 現に、彼は予想していた。ここまでのことをしでかした弟が、それでいて証拠は余さずきれいに掃除していた人間が、そう簡単に、素直に頷くわけもない。

 

「だから先に手を打っておいた。今教えてやってるのは、一応、俺の親切なんだぜ」

 

 ——先に。

 

「昨日、麻酔が切れて起きてまず、堤に頼んだわけだな。圭介にアポ取ってもらったのはそのあと。堤がここに来たのは、俺への抗議が主題で、あとは諸々仕込みが終わったことの報告」

 

 純丘に指し示された堤、振り返った少年二人からの視線を集める。

 純丘くんのこういうトコほんとキライ、堤は心底から思った。

 

「……進捗報告はするもんでしょ」

「ありがたいことだ」

 

 純丘がもう二度、乾いた咳をこぼす。一息に喋りすぎたようだ。

 一通り、言うべきことを述べきった彼は、ようやく笑みを消した。

 

「だから昔、俺は、言っただろう。……俺みたいになるなよ、って」

 

 

  ——ガララッ!

 

 

 静寂は突然叩き割られた。

 病室の引き戸がけたたましく開いたからだ。

 

 堤でさえ驚いて戸口に視線をやれば、派手な色彩がふたつ、違う高さで並んでいる。

 

「えナニこの空気、通夜? 葬式? フクブあいつやっぱ死んだ?」

 

 若干低めの位置で、金と青の彩色の方が喋った。

 

「死んでたら病室じゃなくて霊安室だろ。まァうっかり今しがた死んだってんならしゃあねえが」

 

 若干高めの位置で、黒と金の彩色の方が喋った。

 

 堤が無言で、昔馴染に視線を戻す。あなたの客でしょうという目だ。

 純丘は既にてのひらで顔を覆って、天を仰いでいた。ややあって、今度は深々と溜息をついて項垂れた。

 

「この、灰谷ども……」

「おいヒトの苗字を罵倒のように使うんじゃねえよ、躾がなってねえな」

「躾がなってないのはどう考えてもどう見ても十ゼロで君らの方だ。病院ではお静かにな?」

「元副部長の分際で指図すンじゃん?」

「正当な注意だよ。つか君ら、一生話しかけないんじゃなかったのか」

「フクブの一生終わったからもう時効じゃね?」

「生きてるが……?」

「私帰っていい?」

「俺も入院中じゃなければ帰りたい」

 

 フリーダム・ハイタニ・ブラザーズはもはやいつものことだが、しかしここは自宅でもないのでいつものムーブはやめてほしいわけ。

 

「というか、御足労させたところ申し訳ないが、君らこそ帰っていいぞ。俺の用件はあれで終わりだ」

 

 雑に手を振られる少年二人。

 純丘としてはこれでも一応気遣ったつもりだったが、花垣も稀咲も、その場から動こうとしなかった。

 

「榎さん——」

「ところでフクブ、コイツら誰? ボコっていーかんじ?」

 

 話しかけようとした花垣の言葉に、即座に被されて、遮られる。

 花垣を指し示したのは竜胆で、軽い声色のわり、冷たい瞳がじろりと花垣を見下ろした。稀咲に対しては、蘭が目を細めて、やはりじっと見据えた。完全に純丘の死角で行われる威圧。

 

「なんでそう好戦的なんだよ」

 

 そうそうこんなんだったな、懐かしくもねえな。

 純丘はそろそろ頭痛がしてきた気がして、こめかみを揉んでいた。痛むのは深く切った創傷だけで充分なはずだが。

 

「君らも帰るか?」

「ハァ〜? 来たばっかだってのにヒデェ言い草、見舞客に対しての態度がなってねえな」

「客は神様だろ、神様のように持て成せや」

「純丘くん私帰るね」

「見捨てる気だろ……」

 

 昔馴染の嘆きもなんのその。土産品を置いてコートの襟を正し、堤はヒールを鳴らして去っていった。

 本当に見捨てた。

 

「……知り合いかよ」

 

 と、つぶやくのは稀咲だ。

 

「元後輩」

 

 純丘は特に気にした様子もなく、蘭を親指で示した。蘭はノールックでその指を折ろうとしたのでサッと引っ込めた。

 

「俺の刺青の案出したのが高級ホテルのテーマカラーみたいな髪色の方」

「フクブやっぱオマエの命日今日にしとく?」

「イヤ……かな……」

 

 茶番の間にも眼光は突き刺さって抜けない。刺青(スミ)あるんですかとか聞きたかったけど退散しよっかな……花垣は決めた。

 ついでに稀咲の襟元を引っ張って、一緒に退散させた。

 

「あのさあ、オマエのこと、俺マジで大嫌いだし、謝られても許せねえし、ソレ以前にオマエはゼッテェ謝らなそーと思ってるけど」

「……」

「……ヒナには、いっぺん謝る気とかねーの」

「……」

 

 さて病室に取り残された三人。

 

 頭を掻いた元副部長が、なにかを言おうとして、口を開き、一旦閉じて、また口を開いた。

 

「君ら……どっから聞いてた?」

「なにが?」

「なにがっつーか」

 

 純丘にしては歯切れが悪い。

 竜胆は、勝手に持ち込んだ折りたたみ椅子を広げていたところだったが「そーだな」ふと純丘を振り返った。

 

「たとえば……フクブが自分の経歴とか塾とか評判とかぜェんぶ引き換えに、オトートくんを実家の生贄にして晴れて自由になったこととか?」

「あああ」

 

 純丘は頭を抱えた。

 

「それとも」

 

 広げられた折りたたみ椅子にすかさず座った蘭が——竜胆の非難の眼差しを無視して——切り出す。

 

「フクブの弟クンが東卍(トーマン)めちゃくちゃにしかけて黒龍(ブラックドラゴン)のボス殺しかけてマイキーの妹チャン殺しかけて、なんならウチのチームにも濡れ衣着せようとしてたこととか?」

「クッソこいつらホンット」

 

 純丘は頭を抱えたまま呻いた。

 どこからかはもはや判断がつかないが、粗方全部把握できる程度には聞いていたらしい。

 

「入ってくるタイミングが絶妙すぎると思ったんだ……!」

「正直乱入とどっちが楽しーかなとは思った」

「本題が終わるまでお待ちくださり、ありがとよ!」

 

 ヤケクソのお礼。どーも、と鷹揚に手を振ったのは竜胆だ。

 強奪された座る場所の代わりを探しているので、視線があっちこっち動いている。

 

「しっかしマジでおもれーな。弟クンの見張り口実に、実家と永遠に縁切りキメてんの」

 

 己のせいで居場所を失った竜胆をもちろん気にもせず、蘭は半笑いで膝を叩いていた。人の不幸を愉悦の肴とするのは極悪の世代の特徴だが、それにしたって遠慮だとか配慮だとか、そういう基本的な概念が軒並み死んでいる。

 

「タダで起きねえにも程があんだろ」

「ニュースでフクブの名前、死人扱いで流れてたの、アレもわざと?」

「その件に関しては、マジで単純に局の手違いっぽい」

 

 呻いていても仕方がない。純丘はしっかり首を振り、訂正した。

 

「俺のケータイ、手術真っ最中にテレビの写メめちゃくちゃ送られてきたからな……」

「フクブの本名覚えてるやつって意外といんのな?」

「学校経由の知り合いはだいたい知ってるよさすがに」

「あーね。……実際、塾とかまぁじでいいワケ?」

「生徒の心に傷が残りかねないし、受験に響くかもしれないが、俺は他人なので気にすることではない」

「……フクブもしかしてわりと限界?」

「死にかけたからな」

 

 純丘は真顔だった。

 そーだな、と蘭は雑に相槌を打った。

 

「あと引き継ぎとしては個々人ぶん作ってある計画書と経過をちゃんと渡したので……」

「……百人分?」

「君らがいない間に増えて、三百人だが」

「バケモノ?」

 

 竜胆が真顔で尋ねた。

 そーかも、と純丘は雑に相槌を打った。

 

「あ、イザナにチクッといていい? 諸々」

「いいけどっていうかどうせ俺が許可出さなくても言うだろ君ら」

「うん」

「そりゃな」

「……いいけど、それ、黒川くんの性質を鑑みるに、報復されるとしたら鉄太じゃなくて俺じゃないか?」

「まァ、血ィ繋がってるしフクブのが兄貴だからな」

 

 蘭は適当に頷いた。言いながらもとんでもないスピードでテンキーを打って、メールを完成させ、送信。無事に純丘の予定にイザナの襲撃が追加された。

 一難去ってまた一難ってワケ。

 

 ちなみに竜胆はこの間に、カーテンを開けて、窓枠にひょいと腰掛けていた。

 折りたたみ椅子を取られたからって椅子ではないところに座るな。

 

「そういや、しれっと混ざってたからあいつら聞き流したっぽいけどガッコも辞めんのは筋通らねえだろ、なにすんだよ」

「君ら本ッ当にどっから聞いてた?」

「どこだろ〜」

「当ててみ?」

「……まさか盗聴器とかないよな?」

「なんだと思われてる?」

 

 ……ストレートな否定が返ってこない。真剣に可能性として考慮するべきだろうか。

 

 思案する元副部長の顔の前、竜胆がひらひらと手を振った。

 パシッと叩き落とされた。

 

「イッテ」

「……まあいい。学校に関しては、ちょっとした事情だよ」

「フーン、ちょっとした事情、な」

 

 蘭が平坦に復唱する。瞳は眇められ、純丘をジッ……と捉えて離さない。

 

「そう、ちょっとした事情」

 

 明らかに含みがある言い方だが、純丘はこちらも頑なに繰り返した。

 

「ちなみに君ら……今後も黒川くんについていく、というかんじか?」

「まァそうだけど。それが?」

「……いや? 確認しただけだ」

「オイ今の確認の間じゃねえだろ」

「確認しただけだ」




黒龍初代と鉢合わせ
:お察しかもしれないが、三途は花垣からタイムリープの話を聞いていなければ千咒たちに連絡していない
 ので、本来の未来では、彼らは予定通りオールでクリスマスパーティーをしている
 当然夜帰るわけがないので、彼らが佐野家と鉢合わせることもない

〝お前〟
:花垣が知らないところで一度だけ別の誰かを〝お前〟呼びしたことがあります(これは意図的)ただ当方のチェックはけっこう甘いので二度三度呼ばせている可能性もあります(これはただのミス)

帰り際、春樹と話している〜
:「彼」が、自らを襲ったチームたる愛美愛主(メビウス)の概要を耳に挟んだのがこのとき
 調べて、辿り着いて、復讐を志すに至った、ほんの小さなきっかけ
 ……なお花垣武道が8・3抗争を乗り越えなければディズニーデートは実現しないので、復讐対象を決めあぐねている間に巨悪へと至っている

俺みたいになるなよ
:「許しきれない」Today より

コイツら誰?
:当然ながらわかっていて聞いている

写メ
:画像添付メールのこと
 もとはソフトバンクが2001年に発表したサービス――ケータイから撮影した画像をメールに添付し、送信する機能――に「写メール」という名前がついていた
 のが略され、のちに類似サービスもそう呼ばれるようになった模様
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