【完結】罪状記録   作:初弦

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談合

 牛肉と白菜、えのきに人参、長葱、椎茸。きれいに切られて、人参などは飾り切り、すべて鍋の中でぐつぐつと煮えている。

 

「なんか漫画とかであるだろ、大量のディスプレイに、揃いも揃って目元から下しか映らねえ会議」

 

 イザナは口火を切った。鍋に直で箸を突っ込みながらでもあった。

 せめて菜箸を使え。

 

「オマエいろいろ手ェ出しといてあれはやらねえの」

「メリットが少ない」

 

 純丘が応じた。

 反社会的勢力が勢揃いで何故鍋を囲んでいるのか、といえば、彼らの日常は高級料亭を食い飽きるような有り様なのと、単純に鍋にしておけば毒物混入等のリスク管理も楽だから、である。

 

「顔をろくに映さねえなら音声だけにしたほうが早い。顔も映すならやりようはあるが……個人的には食指が動かない」

「腹がハイテクポンコツだからってだけじゃねえだろうな?」

「俺はいつまでその呼び名で呼ばれるわけ。……立案するにしても明司に投げる」

「やめとけやめとけ」

 

 話を振られた明司、首を横に振る。取り皿の中に卵を落として、かき回す。

 

「やっぱりダメか」

「ダメだな。リオ・デ・ジャネイロはただでさえインフラに弱ェんだよ。インターネットを土壌にするにはまだろくなセキュリティが組めてねえ。なにより時期が悪すぎる」

「時期」

「ディープフェイク、知らねえか? 去年末にトランプがやられてたろ」

「あァ、あのトンデモ爺さん」

「アイツ面白ェから二期当選してほしーわ」

「相変わらずだな」

 

 灰谷兄弟の口々の他人事コメントに、純丘は目を細める。呆れの心持ちだ。

 兄弟は海を隔てた情勢に対してあまりに他人事極まりないが、メキシコの情勢を引っ掻き回されると余波はブラジルまで及ぶので、純丘としてはいろいろと穏便に済ませていただきたいところ。

 

「たしか、中国に嵌められたんだったか?」

「嵌めるっつうか、民間企業のイイ趣味の悪戯だ。信じた間抜けはいるかもしれねえが」

 

 鶴蝶が投げた質問が、話を本筋に戻す。

 横から空の茶碗(イザナのものだ)が突き出されたので、視線を向けずに器を受け取りしゃもじを握って、かたわらの炊飯器から米を盛った。山盛りになった茶碗はイザナに返却された。

 

「……まァそういうこったな、こりゃしばらくブームが続く。ンなときに遠隔の動画通話なんて疑心暗鬼しか生まねえよ。最悪仲介のウチに濡れ衣全部着せられる」

「なるほど……」

「……明司、ジジイのわりに詳しいよな」

「俺、まだ、アラフォー」

「軍神の頃はズッタボロだったくせに」

「うるっせえ奴らだな……」

 

 口々に叩かれて、顔をしかめる明司。

 

「技術は金になる」

 

 と、ここで寺野が言った。

 どうも肉を上手く噛み切れなかったらしく、今まで真剣に咀嚼を繰り返していて話に加わっていなかった。ようやく次の具材に箸を伸ばそうと目論んでいるようだ。

 

「特にITバブルがな。必要な情報がありゃ純丘が上手く当てるが、コイツは本当にITの目利きはズタボロ」

「俺に流れ弾が来たな」

「わかる」

「マジでわかる」

「フクブくん今はスリープとかわかンスか?」

「……一応……」

 

 説得力皆無の声色だった。

 

「もともと純丘は別のとこでも使い道がある、だったら手が空いてるやつが覚えるのが早ェ……ってことで若い奴らにやらせた」

「若い奴ら? それこそアラフォーと真逆だろ」

「余計なこと言わねえと生きてけねえのか」

「明司は下を取りまとめるのが上手いのと、ちょくちょく飲んで騒ぐのもあって情報が集まりやすい。メリットになりそうな情報は即寄越してくれるしな」

 

 アラサーとアラフォーが集っておいて全員肉ばかり狙うので、鍋にやたらと余ったえのき。

 純丘は鍋の中を菜箸で熱心に捜索しては、えのきを己の取り皿にひたすら積み上げている。

 

「というかそれを見込んで採用したところはある」

「え? 弟妹クンチャンから引き離すためじゃねえの?」

「は?」

「それもあるが」

「やっぱァ?」

 

 長年確かめていなかった推測に今更答え合わせが成り、納得したように頷く蘭。

 一方で全く寝耳に水の話に、お猪口を半端に傾けて、初耳! の顔をする明司。

 

「とはいえただのお荷物を採用するつもりはなかったぜ。俺は寺野くん直々に指詰めなぞされたくもない」

「俺がそんなことするわけねえだろ、相棒(parça)? まずは腎臓からに決まってる、指なんぞ売れもしねえ」

「ジョークのタチが悪すぎる」

 

 ジョークではあるがそれはそれとしてやるときはやる、本気ではないが嘘ではないのが寺野南。ギャングの現役ボス。

 まただよとばかりに純丘は首を横に振った。十二年の付き合いともなれば、さすがに慣れる。

 

「ブラックジョークは置いておこう……実際、明司を丸め込んだのは能力を買ったからだよ」

「丸め込んだ自覚はあんのかよ」

「そりゃあな。いくら初代黒龍(ブラックドラゴン)がいろいろと成し遂げたとか、君がそれに乗じて法螺吹いてたにしても、軍神伝説まで成立させるには一筋縄ではいかねえよ。単なる嘘じゃすぐに破綻する」

 

 ところで純丘が話を続けながらも、己の取り皿にえのきを追加する作業に集中している間。お留守の茶碗には、横から勝手に米がつがれていた。竜胆の仕業だ。

 しゃもじでひとすくいぶん盛って、きれいに形を固めて、同じ事を繰り返す。かなりキツめに固めて圧縮された山盛りの米、おおよそ三人前はあるだろう。

 

 いつ気づくかな〜。

 

「神の名付けは感心したね、この世のどこにも存在しない虚像だとしても、信者にとっては真実だ」

「出たよフクブ節」

「言ってろ」

 

 蘭のおちょくりを純丘は雑にあしらった。

 

「事実として、明司はハッタリを気取らせないのが上手い。口八丁は任せて、必要があれば裏付け用に都度立案して寺野くんに投げればいい。簡単なサイクルだ」

「は、簡単ね。嘘から出る誠なんざ早々ねえから、諺になるんだぜ」

 

 望月がぼやいた。

 彼は手元で乱雑に、発泡スチロールのトレーごと肉を覆ったフィルムを裂いている。追加の肉の準備中。

 

「これだからテメエの話はまるで信用なんねェんだ」

「君が思うほど難しくはないだろうさ」

 

 純丘はうそぶいた。「おまえにとってはな」切り返しには手心がなかった。

 

 初代黒龍(ブラックドラゴン)は、各創設メンバーのカリスマ性と人徳と実力ゆえに、無自覚にも奇跡的な均衡を実現していた。

 この前例からカリスマ性と人徳の大部分を差っ引いて、老獪さと賢しさとゴリ押しを足すと、だいたいこのギャング幹部三人組になる。

 

「純丘の野郎が信用ならねえのは今更として……」

「今更というレベルで常識扱い……?」

「内輪の奴らを飲みだの食事だの、プライベートに寄せて懐柔、情報抜いてくるってのは、確かに明司が適任だろうな。つうか、純丘も寺野も向いてねえ」

 

 武藤はコンロのつまみを回して火力を上げる。望月が追加の肉を投入しようとしている気配を察したからだ。

 

「寺野は単純に、ガタイと所業が厳つ過ぎる。誰も油断しねえ。外野に出すんなら、一番舐められるのは純丘だろうが、コイツは近ければ近いほど警戒されンだろ」

「じゃあ俺が君らに警戒されてるのは身内だからだな」

 

 適当な物言いで述べて、純丘は手元のえのきの山を一息に頬張った。

 

 ……えのきを咀嚼する間、誰も何も喋らなかったので、純丘は若干妙な表情でえのきを飲み下した。それからテーブル(折り畳み式のローテーブルだ。本当にビジネスのみの関係ならば会食にしても許されないだろうが、今更取り繕う柄でもない)を見渡した。

 

 コイツ……を多分に含んだ眼差しが集まっている。

 

「滑った?」

「滑った」

「ガチ滑り」

「センス悪すぎ」

「ゴミ」

「三枚で五百円のTシャツレベル」

「つうかフクブはそこで滑ったか聞くあたりが一番タチ悪ィ」

「ここぞとばかりにボロクソ言いよるわ……いや、おい待て、竜胆その米は誰が食べるんだ? 俺の茶碗に見えるんだが?」

「フクブの茶碗なんだからフクブが食うに決まってるだろ」

「ずいぶん澄んだ目で仰いますね……」

 

 アラサーがする悪戯か、これが。

 

 純丘は半眼になったものの、食事は粗末にしてはならないのだ。てのひらを差し出して、茶碗を寄越せと言外に要求。

 大人しく渡された茶碗が想定よりも重く、取り落としはしなかったが二度見した。米……なんだよな?

 

「……シメの雑炊用だな」

「俺に他人が口つけた米食わせる気か?」

「逆に聞くが、皆でつつく鍋にマイ箸突っ込んでたやつに口を開く権利があると思ってるのか」

「俺らの意見は」

「同僚のやらかしなので連帯責任」

「テメエの後輩だろーが」

「純丘くん、喧嘩買わねえでください」

「この流れで怒られるのって俺の方か? 本当に?」

「ほら鶴蝶に迷惑かけんなって」

「発端は君の弟なんだが?」

 

 勝手知ったる仲が過ぎて、これが反社会的勢力の会合なのかつくづく疑わしくなってくる。

 そんな茶番はさておき。

 

「他に新事業案は?」

 

 イザナが唐突に話を戻したので、純丘は思わず目を瞬かせた。

 コミックの悪の組織の如きオンライン会合、は、お答えした通りないとして。

 

「しばらくは特に。逆に、なにを撤退させるつもりもないが……」

「配給会社を買収するくらいか」

「君それ本気で言ってたのか」

「その程度ならネット配信サービスと絡められっかもな」

「……必要なら手を貸すからどうぞ好きにしてくれ」

「てなると、マジで今回の帰国は万次郎のジィさんの件だけのつもりか」

 

 服装が変わり、髪型が変わり、顔立ちも多少変化があろうと、イザナの虹彩は昔のように丸い紫色だ。ひとより大きく見える瞳が真正面から見据えれば、やはり奇妙な圧を感じる。

 純丘は嘆息のように息をこぼした。

 

「そうだな。日本警察も、まさか見逃しちゃないだろうが……万作さんには世話になった。手立ても考えたうえで来ているよ」

「ふうん……」

 

 会話はなにやら続いているがそんなことは食事には関係ない。

 

 じゅうぶん温め直された鍋に、望月は追加の肉を投下した。せっせと菜箸で肉を広げ、火が通りやすいように鍋奉行。「それなら、」肉を横目にイザナは言葉を続けた。狙ってる狙ってる。王様が狙っている。

 

「タイムリープ、ってのは? オマエの弟の研究にしちゃ、タイミングがズレてねえか」

「……言いつけたのはどっちだろうな、今回は竜胆か?」

「いや?」

 

 疑いをかけられた本人より早く、イザナの否定が返る。

 

「コイツら特にテメエ関連だと要らねえ気ぃ効かせて伏せやがるから、普通に盗聴つけてた」

「プライバシー権の侵害だが?」

 

 人権を侵害する側が人権を語っている。

 

「大将言うよなあ、仲間への信頼とかねえの?」

 

 信頼を利用する側が信頼を語っている。

 

 発言者たる蘭に視線を振って、イザナはわざとらしく、指折り数えてみせた。

 

「真一郎の件、十二年前のハロウィン、稀咲鉄太、まだ続けるか?」

「黙りまーす」

「エつけられてんのフツーに気づかなかったいつから?」

「俺と話すより蘭の機嫌取るほうがマシだって?」

「あっへえ〜竜胆ってそういうこと言うカンジ?」

「……た、助けて獅音センパイ」

「オマエなんでよりによってな二人を一息で敵に回してんの……?」

「よりによってってどういう意味だ?」

「ッベ」

 

 飛び火の速度でRTAでもしているのか。

 

「タイムリープ云々は、ビジネスじゃなく、俺の私用」

 

 純丘は二度目の茶番は黙殺することに決めた。

 茶碗に盛られた米を取り皿にうつして、残った汁につける——行儀は悪いが、とても美味い。

 

「私用? タイムリープが? おいおい、まさか……あんな与太話なんざ、オマエが一番信じねえタイプだろうが」

 

 ところで、このタイミングで訝ったのは明司である。

 

「もちろん、だから〝ついで〟なんだよ」

 

 純丘の応えは淡々としている。「本命にするほどの話題じゃあない」菜箸で肉をちょいとつまみ、まだ赤いことを確認、湯の中へとリリース。まだ食べ頃には遠かった。追加したばかりだしな。

 

「与太話?」

「……あれか? 前に酒のつまみに話してた。シン……タロウ?」

 

 鸚鵡返しの疑問形に、寺野が首を捻ってつぶやいた。

 イザナが眉をひそめた。イザナはシンタロウとやらは知らないが、似た名前の男は知っている。純丘と明司に共通する話題といえば——

 

「真一郎な」

 

 明司が嘆息混じりに訂正したため、疑惑は口に出す前に事実へと変化した。

 

「……昔、ダチから聞いた話だよ。(シン)が死ぬ前に変なこと言ってただのなんだの」

「まさか、それがタイムリープ?」

「真一郎って佐野真一郎だよな? とっくに死んでんだろ」

「そもそもタイムリープってのがまずなんだ」

 

 フィクションにはわりと疎い武藤泰宏の質問。

 

「時かけ的な。……知らねえのな?」

 

 あからさまに怪訝な顔をされたので「そうだな、」蘭はしばし記憶を参照したのち「バック・トゥー・ザ・フューチャーは聞いたことねえ? 過去とか未来に行ったり来たりするやつ」別の作品に置き換える試みを行なった。

 

「だいたい、そういうのだよ」

「……ドラえもんのタイムマシンか?」

 

 これは武藤と同じく疎いながらも、蘭の言葉を咀嚼したのち、なんとか近しいたとえを絞り出した望月。

 

「そそそそんな感じヤ待てよ嘘だろマジでウケるわ。望月(モッチー)の口からドラえもんて」

「殺すぞ」

「シンプルな殺意、おいやめろ箸をその握り方はガチで殺す気だろ」

「てかそんなオタクの妄想みてェなの、あったらフツー、死ななくねえ?」

「嘘つくんならもうちょいディティールをな」

「知るか……俺が聞いた話じゃ、譲ったとかなんとか」

「譲れんの!? 譲れるとして譲んの!? 支離滅裂すぎだろ、まーじでコミックじゃね!」

 

 さも馬鹿にする様子で囃し立てる斑目。

 

「センパイめちゃくちゃ面白がんじゃん」

 

 竜胆も窘めるわりには半笑いだ。心底から馬鹿にしている。

 

「だぁって実際、面白ェだろ、こんなの小坊のガキが信じたらまだいい方だワ。それが、ハッ、黒龍(ブラックドラゴン)初代の軍神サマ、今はギャングの幹部がよ!」

「消防?」

「119ってか? ある意味そうかもな、病院行った方がいんじゃね?」

 

 不良から半グレ、反社会勢力と順を踏んでいった者共に、世間一般的な倫理観を求めたところで意味はない。それにしてもどうかと思うよ。

 

「あーあーあーうるせえ!」

 

 人の不幸は蜜の味、弱味はいじりの格好のネタ、三つ子の魂百まで。極悪の世代は歳を重ねても根本的には成長していない。

 好き勝手囃し立てる外野に、心底辟易して(そりゃあ辟易もする)明司は大声を上げた。

 

「俺だって又聞きだからよく知らねえんだよ! なんなら(シン)がそンなホラ吹いてたのだって、ホントかどうか怪しいわ。たしかにあいつはしょうもねえ嘘は好きだったけどな」

「ああ、明司は洒落にならねえデケェ嘘つくもんな」

「おい……」

 

 口が減らないにも程がある。

 もちろんこの点においては、山程所業を積み重ねている明司にも非があるとして。

 

「根拠はなんだ?」

 

 騒がしくなった周囲の一切を無視して、イザナは尋ねた。

 紫の瞳は変わらず純丘を見据えている。他のものすべて視界に入れる気もないように。

 

「根拠というほどの根拠でもない。もとより眉唾、超常現象なんぞを馬鹿正直に信じたわけでもない。ただ、検討するには値する。ある種の勘に近しい」

 

 テーブルの上には卵が一ダース四パック置いてあり、うち二パックはすでに空だった。

 純丘は新しいパックを開けて、取り出した卵を軽く割り、新しい取り皿に開ける。

 

「オマエがそんなモンで動くワケねえだろ」

「信頼されたものだな」

 

 どうでも良さそうなつぶやきの傍ら、純丘は自身の箸で卵をかき混ぜた。

 生卵はブラジルのみならず世界規模で、あまり一般的な食文化ではなく、卵の衛生管理も基本的に火を通すことを前提としている。こういうときでもなければ食べられないんだよな。

 

「根拠というほどでもないのは確かだ……ただ、個人的にひとつ心当たりがあるんだ。君の食いつきは予定外だが、興味があるなら、少し協力してもらおうか」

「なに?」

「黒川くん、真一郎さんからの手紙はまだ保管しているかな」

 

 あるべきだった物語には、純丘榎という男はいない。彼に本来の役割などない。

 異分子の存在があったからこそ、伝えられるはずだった言葉が伝えられず、伝えられないはずだった言葉が伝えられて、あるいは、どこかに眠っている。

 

 二〇一八年一月から数えておよそ十五年前。

 二〇〇三年四月からたかだか数ヶ月、純丘は、伝書鳩の役割を請け負っていた。

 

 真一郎から預かった手紙、住所はなく、宛名と記名だけが書かれた封筒を、中身は一切見ることなく、黒川イザナに届けていた。

 最後の手紙を真一郎から預かったのは七月末。渡せたのは、八月中旬。渡せたその日が真一郎の命日だった。

 

 その手紙が記されたのは七月末のことだ。

 

 ——佐野真一郎のタイムリープは七月三十日に行われた。

 

 

  談合

 

 

〝ともかく——あくまでも俺の意見だが——読まなくてもいいぜ。箪笥の奥底にでも、仕舞い込んだところで、咎めやしない〟

 

 語調は柔らかで、表情もいつものように飄々としていた。それでも瞳だけは隠しきれない鋭さがにじんでいた。

 たった一度だけ述べられた言葉。純丘が隠しきれなかった本音。

 

 純丘榎は黒川イザナを羨ましがっている。イザナは覚えている。未だに、つぶさに覚えている。

 その心がおそらく、かけらも変わっていないことを——変わる機会もなかったことを——悟っている。

 

 なにせ彼は未だに純丘の苗字を用いる。

 イザナが黒川イザナと名乗り続ける理由とは似て非なる。

 

 純丘は、普段〝君〟や〝あなた〟といった二人称を用いる。〝お前〟という呼び方は、イザナは、たった一度しか聞いていない。

 旧知たる灰谷兄弟、あるいは今の同僚たる明司や寺野であれば別かもしれないが、少なくとも、イザナはそのたった一度しか知らない。

 

 十六年にもおよぶ付き合いの中で、一度きり。

 

〝ただ、受け取れ。破くな。捨てるな〟

 

 破く理由も、捨てる理由も、あのときのイザナにはいくらだってあった。その権利はもちろんイザナにあったはずだ。なにせ受け取り手は彼自身ゆえに。

 脅されたところで怖くもない。黒川イザナ、自らをリンチした集団を追い詰めて脅し返したのはまだ小六の頃の話だ。イザナが本気で排斥にかかれば、当時は所詮真っ当な倫理観の一般人ひとり、さすがに引き下がっただろう。

 

 言い訳だけは提供された。

 言い訳を飲み込んで、飲み干した。

 

「——それらしい内容はねェな」

 

 四月、五月、六月、七月。しめて四通。

 届けた日付はどちらもろくに覚えていなかったが、手紙がしたためられた日は、端に記載されていた。

 

 最後の手紙が記された日付は、七月の二十七日。あいにくと——佐野真一郎のタイムリープの前である。

 

「フクブにしちゃ、アテが外れた感じ?」

「てか俺らってここいていーわけ?」

「何度確認するつもりだよ、しつけェな」

 

 蘭の問いかけをイザナはうんざりと一蹴した。気遣いは立派だが、既に数回は確認されたので、そろそろウザい。

 

 もういないものに縋ったところで意味はない。灰にも骨にも意思はない。墓に亡霊は宿らない。世間がどのように定義しようと、偉人が魂や死後の先を語ろうと、イザナにとっての真実に変わりはない。

 宗教の死生観を信じる誰かと同じくらい、イザナは神も仏も亡霊も信じていない。かつて鶴蝶に述べたとおりだ。

 

 あるいは道を違えていたら、もしもの選択の先には、死者を見たかもしれない。幻影に問いかけたのやもしれない。

 そして、仮定とは実現していない事象を論じるものだ。

 有り得たかもしれない、とは、未だ有り得ない、と同じ事実を示している。

 

「いる必要もねえけどな」

「ヤ、興味はある。許可出るなら野次馬する」

「死ぬ気でスケジュール開ける」

「ちょうど俺の管轄は今の時期暇だからな」

「暇つぶしのつもりか?」

「面白半分でなんにでも噛みつくのヤメロ」

「最悪一週間ぐらいなら前原がなんとかする」

「前原はマジでオマエのママなの?」

「ダチだっつってんだろ」

「俺は望月と似たようなモンだが。むしろ、なんで寺野や明司はいねえんだか」

「俺たちは君らほどプライベートまでべったりではなくてな」

「……そういうことにしといてやるよ」

「助かるね」

 

 一応、クスリの販路だの漁船の密航ルートだのインサイダー取引云々賭博業云々ととかくに様々な打ち合わせは、雑談の片手間に連絡をしている。

 片手間に為される悪事って被害者が可哀想だと思わないんですか?

 ちなみにこのような問いかけに対し、思わない、と単に断じるよりも、思わなくもないけどそいつらが可哀想だからって俺らが我慢する必要、ある? と返してくる方が更生の余地がない。

 前者が竜胆で後者が蘭、とたとえればその違いは明白だろう——そう、どっちもどっちということですね。

 

「もとより、君の手元にあるぶんについては、駄目元だが」

 

 十数年の時を経たことで、封筒は純丘の記憶より若干黄ばんでいた。経年劣化はどんな物体にも訪れる自然の摂理だ。

 

「……しかしあのひと、こんな殊勝な台詞書けたのか」

「お前はお前でどこに感心してんだ」

 

 文面に一通り目を通した純丘は、へえ〜の顔で手紙を丁寧に畳んで封筒に戻した。

 ふとした仕草に育ちの良さが出ている。最終的な行いは育ちの悪さに染まり始めている。

 

「ってことは、駄目元で俺に協力仰いだわけ? ……この俺に?」

 

 こちらは不機嫌、に見せかけた戯れの圧力をかけるイザナ。

 

「手紙も破棄している可能性は否定できなかったからな」

 

 純丘の切り返しに動揺も悪びれもない。イザナの不機嫌程度で怯える可愛げは高校生の頃には既になかった。つまり初対面からなかった。

 

「さすがに本命にはしない。たしかに、捨てていないだろうと見込んではいたが」

「それはそれでムカつくな」

「君は捨てないだろ」

「破くか今から」

「天邪鬼が、」

 

 間髪入れずに脇腹を本気でど突く三十歳。

 攻撃こそ予想していたが、シンプルに防御が間に合わず、崩れ落ちた三十二歳。

 

「バッカ」

「あ〜あ」

「反射神経鈍ったな?」

「クッッッソイッッッテェ……」

「イザナの肘打ちくらって喋れるあたり、元気すよね」

 

 鶴蝶の称賛がある意味最も酷いかもしれない。そもそも講評している場合か。

 

「ッあ゛ーったく……とに、かく。君の許可が出るなら、読んでおいたほうが、いいと思った」

 

 起き上がった純丘は脇腹をさすっている。たぶん痣になっている。

 

「目を通しておいてよかったよ。仮説は補強された……」

「補強された? どこが」

 

 イザナは鼻で笑った。

 

「ただのつまんねえ謝罪文しか書いてねえだろ」

「そこはそうだろうとも。そして、君と真一郎さんの間にあった揉め事は今も俺はつつく気がないので割愛する」

 

 灰谷兄弟が〝フクブは俺等のこと散々言うくせして、自分だって突拍子もないところで蛮勇だろ〟と、思う一因がこれである。

 彼らの相性は決して悪くないはずだが、べつに良くもなく、なによりスタンスが正反対なので、周囲がひやりとするようなやり取りが頻発する。

 

「謝罪文しか書いてない。……だからおかしい」

 

 純丘は七月分の手紙を収めた封筒をイザナに返却した。

 

「前提から話そう。そもそも真一郎さんは、死ぬ少し前、長期の旅行に出向いていた。最後に君に届けた手紙、八月までずれ込んでしまったのはそこにも起因している。もちろん、単純に俺が君を捕まえるのに時間がかかったのもあるが。そもそも預かった時期が七月末だった」

「旅行ね」

「周りにはバイクのエンジン探しと言っていたな。実際掘り出し物があったらしく、バイクの修理に用いていた」

「ああ……マイキーのバブ? 真一郎のお下がりだろ」

 

 イザナの口ぶりは、まるで突き放したような響きをまとっている。

 とっくに過ぎ去った物事、帰結した過日、とうに荒れ狂ってそれからようやく割り切ったこと。

 だとしても、今でも、あまりいい気分にはならない。

 

「たしかに、ひとつは万次郎のバブに使われたそうだ」

「……ひとつは?」

「真一郎さんはもう一台、同じ車種のバイクを用意していた」

 

 イザナはなにも言わなかった。

 彼の顔から一瞬、表情が消えた。

 

「ちなみに、エンジン探しの旅行先はフィリピンだったそうだ」

 

 黒川イザナは、己の実の親の顔を知らない。父も母も。

 ただ、かつて育ての親だったカレンが話した言葉——投げつけられた言葉から、いくつかの情報だけを知っている。

 

 たとえば、父親は黒川カレンの元夫だ。

 たとえば、母親は、フィリピン人だったらしい。

 

 佐野真一郎は。

 ……知っていたはずだ。

 

「君の誕生日は八月末だったか……万次郎への誕生日プレゼントにバイクを用意したならば、同じく弟の君にも、同じように誕生日に、と。あの人にはそういう、言葉は悪いが、一種の無神経さがあった。——だからおかしい」

 

 念を押すように、純丘は、もう一度繰り返す。

 

「連絡手段がないなら伝えようもなかっただろう。ただ、俺は確かに毎回、君に手紙を届けていた。真一郎さんにその旨をきっちり報告していた。どれだけ手こずろうと、多少時間がかかろうと、毎月確実に届けていることを彼は知っていた。七月の手紙だからまだ書いていない、の、かもしれない。そこまではわかる」

 

 ここで純丘は一呼吸入れた。「けれど、」と言葉を続ける。

 

「当時の俺は、彼から八月の手紙をついぞ預からなかった」

 

 黒川イザナの誕生月に。佐野真一郎が弟と思っていたはずの少年の、誕生月に。

 

 たとえ仲違いの最中でも、佐野真一郎という男が、弟の誕生日を忘れただろうか。

 純丘にはそうは思えなかった。その疑問は単なる盲信には由来しない。

 

 なにせ当時は、万次郎の誕生日がつい直近に控えていた。片方のバイクはそのために整備されていた。

 わざわざ双子で揃えられたCB250T。

 まさかもう一方を忘れられるだろうか。

 

「佐野真一郎が死んだの、八月中旬だろ。書き上がってなかったんじゃねえの?」

 

 指摘したのは竜胆だ。

 普段、他人の命日など全く覚えないほうだが、この件に関しては純丘と竜胆は蘭を巻き添えに過去最大に揉めた。十数年経ったが、未だに時期まできっちり記憶に残っている。

 

「可能性はある」

 

 純丘は頷いた。

 

「だからそこも調べる。それはそれとして、以前の手紙は確認しておきたかった。少なくとも、既に伝えていたから、という可能性は今潰せた」

「……話が見えねえな。純丘、オマエの話はいちいち回りくどい」

 

 望月が腕組みをする。

 

「よしんば、イザナ宛の八月の手紙がなかったとして、書きかけでもバブのことが書かれてなかったとして、捨てられてたらわからねえ」

「そうだな。真一郎さんが死んでから本当にずいぶん経っている」

 

 純丘も否定はしない。

 十四、五年と来れば、生まれたての赤ん坊がそろそろ中学校を卒業できる年月に該当する。

 

「加えて、たとえ実物を見つけられても、単なる根拠の補強でしかない。状況証拠でしかない」

「……なにより妙なのはそこだ。奇跡的に条件が揃ったとして、テメエの考えのなにを補強する? タイムリープとやらと物忘れがどう繋がるんだよ、俺にはせいぜいがアルツハイマーにしか思えねえ」

 

 物忘れ。一時的健忘。認知症。

 ごく当然の疑い、現実的な思考回路だ。

 

 純丘とて、ある種の勘に等しいもので動いている。

 現に明司の酒の肴、若狭を経由した又聞きの与太話を知るまで、その可能性は頭の片隅にもなかった。

 

〝あー……映画んときですよね? ヒナと一緒だった〟

 

「……条件が揃ったときには、話すよ」




ディープフェイク
:中国の企業IFlyTekが、AIと中国を褒め称えるドナルド・トランプの合成映像を出したのが二〇一七年十一月のこと

二期当選
:この頃は第四五代アメリカ合衆国大統領(現役)

メキシコ
:壁を作る話とかありましたね

三枚で五百円のTシャツ
:抱えきれない「12 months ago」より

時かけ
:時をかける少女
 原作は筒井康隆のSF小説(一九六五-一九六六年公開)
 一九七二年テレビドラマ化
 一九八三年大林宣彦により実写映画化
 二〇〇六年細田守によりアニメ映画化

バック・トゥー・ザ・フューチャー
:原題はBack to the Future
 一九八五年公開

旅行先はフィリピン
:13巻113話

母親
:20巻177話
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