エレジアの王城。
国民が死に絶えて役目を失った建物の一室に、蝋燭の明かりがともっていた。
小さな演奏用ホールに少女が座っている。静寂とした壇上に腰掛ける彼女は子供のように足をぶらつかせながら、物憂げに手元の可愛らしいキノコを見つめていた。
ライブを行う主催者で、紅白色の珍しい髪色を持つプリンセス・ウタだ。彼女の手は震えていた。
「いよいよ明日が本番だ」
部屋には埃をかぶった道具がいくつも放置されている。
国民がいなくなってから主を失った楽器や道具たちだ。数十年前には鳴り止まなかった音楽も、今は消え去っている。
ウタはパーカーの袖を強く握りしめた。
その部分には、彼女らしくない黄色と赤の歪なロゴが印刷されている。
「私、もうすぐ夢を叶えるよ」
前夜祭の声も届かないため、ウタの弱々しい呟きは静寂とした空間によく響いた。
「新時代を作ったら会えるかな……ルフィ」
縋るように、たった一人の名前を口にする。
とくんと胸が期待の鼓動を打つ。
幼い頃から願ってきた夢を叶えたとき、大切な人と再会できるかもしれない。ライブにもきっと気付いてくれると信じている。
しかし、うまくいかないかもしれない。
今は残酷な時代だ。ゴールド・ロジャーによって作られた大海賊時代の影響は全世界に及び、略奪や虐殺が絶えない世界に変わり果ててしまっている。
ウタも映像電伝虫を通して、ウタのもとにファンからの嘆きを絶え間なく聴いている。
ひょっとするとルフィも、知らないうちに命を落としてしまっているかもしれない。
死んでしまったら新時代では会えない。
明日、全てが分かる。
「……余計なこと考えちゃダメだ。絶対やりとげる。もう決めたんだから」
悪い予想をしたせいで違う嫌な感覚が体を這い上ってきたけれど、首を振って振り払う。
ライブまでもう十二時間を切っている。
こんな様子じゃファンのみんなを心配させちゃう。
余計なことは考えるな。
胸に燻る想いを押さえつけて、ウタは何度目かわからない深く息をついた。
そんな風に精神統一を図っていた時のことだった。
「足音……?」
ウタは不意に首を上げる。
城内を何かが駆け回る足音を聞いた。
誰だろう。ウタには育ての親がいるが、軽くて早い足取りは聞き慣れた彼のものとは違う。立ち入り禁止にした廃城に侵入した誰かを警戒した。
「誰!?」
握りしめていた桃色キノコを置いて、弾かれるように立ち上がる。
ひょっとすると『悪い人』が来たのかもしれない。
相手もウタの気配に気づいたのか、真っ直ぐに向かってくる。姿の見える場所にやってきた男の姿は、窓から差し込む月光で徐々にあらわになった。
最初に見えたのは小麦色の麦わら帽子だ。
それを見て、思い出したくもない記憶が蘇った。
ウタは表情をしかめる。
しかしまあ、麦わら帽子自体はとくに珍しいものではない。記憶にある人とは背格好も違う。
関係者ではなく、迷い込んだファンだろうと思い直した。
「あのね、ここは立ち入り禁止ってチケットに書いてあったでしょう。あなた悪い人?」
とりあえず穏便にと思ったが、無意識のうちに刺々しい口調になってしまう。
しかし無断で入り込んだ彼はお構いなし。ウタの警告を無視して無遠慮に近づいた。
「ウタ。やっぱり、お前ウタだよな……!?」
初対面の相手に馴れ馴れしく名前呼びされてムッとしかけた。
一方で、説明できない不思議な感覚に襲われる。自分を知るような言い草にウタは戸惑った。
「あなた誰?」
「何だよ~お前、おれのこと覚えてないのか!?」
侵入者は傾いていた麦わら帽子を持ち上げた。
ウタは目を見開く。
孤独に過ごしてきたウタが知っている、ずっと求めてきた顔だった。
「……あ」
そんな、まさか。
幻覚を見ているのかもしれないと思った。
記憶にある姿とは全く違ったけれど、しかし見間違えるはずがない。
「ルフィ、なの?」
無遠慮に両肩を掴んでくる無邪気な彼と顔が近づく。
警戒心は欠片もなくなった。温かい気持ちが洪水のように溢れて、目尻には涙まで浮かぶ。
「ししし、久しぶりだな~フーシャ村以来だな。元気だったか?」
「ルフィっっ!!」
ウタは思わず胸の中に飛び込んだ。
世界中に愛される歌姫が、いちファンである男に抱きつく。とんでもないことが起きていたが、ここに二人を咎める者はいない。
ルフィも急な行動に驚きこそしていたものの、特に何も言わず、決して離すまいとするウタの抱擁を受け入れた。
「気付いてくれたんだ。ライブ見にきてくれたんだ……!」
「おう! ウタに会えるとは思ってなかったぞ」
ウタの胸の中は歓喜で溢れた。
眠れないほど悩んでいたのに、モヤモヤした気持ちも丸ごと全部吹っ飛んでしまった。
目尻に残った涙を指先ですくいとったウタは、体を離してから微笑む。
「エレジアまで来るの、すっごく大変だったでしょ」
「今は仲間とたくさん冒険してっから、このくらいへっちゃらだ!」
「え、あ。そっか……ルフィは外の世界で頑張ってたんだね。いいなぁ」
「ん? ウタは冒険やめたのか?」
「あはは。私、ずっとこの島を出てないんだ」
十年越しに会う幼馴染が冒険をしていると知って羨ましく思った。ウタもかつては自分だけの冒険をしてみたいと思っていたからだ。
ルフィと一緒に自分の足で無茶をして、新しい世界を切り開いたのは忘れがたい記憶だ。あの時間はウタにとって宝物で、今はもう遠い過去の出来事となってしまった。
「なんだよ~海に出るの大好きだったじゃねえか」
「冒険が嫌いになったわけじゃないよ。昔ルフィと一緒に冒険した時も楽しかったし」
「ほんとか!? ししし。そんじゃおれと海に出るか?」
「それも楽しそうだけど、私にはやらなくちゃいけないことがあるの」
「ん~そっか。まあ、お前がそう言うなら仕方ねえな」
普段は粘るルフィだが、あっさりと引き下がる。
こう言う時は食い下がってきたので、少し意外な反応だった。時の移り変わりを感じてウタは少しだけ寂しくなった。
気持ちを誤魔化すために手を伸ばして、ちょっとだけ乱暴に弟分の頭を撫でた。
「ルフィはあの頃の夢を、ちゃんと叶えたんだね。偉い偉い」
「わっ。なんだよウタ、おれもう子供じゃないぞ!」
「私の方がお姉さんなのは変わらないでしょ」
「二歳違うだけだ!」
「二歳も違うの。あ。これは、また私の勝ち~?」
「あーずりぃ!! トシで勝負するのはルール違反だって決めただろ!!」
「残念覚えてたか。ならさ、他のことで久しぶりに勝負しようよ。まあどうせ私が勝っちゃうけどね」
「何言ってんだよ! おれの183連勝中だろ!」
「あははっ、でた。負け惜しみぃ」
からかうように意地悪に笑うと、ルフィは頬を大きく膨らませた。
負けを認めないのところも変わってない。
九歳の頃なら、きっとまだからかっていたはずだ。今は別な気持ちのほうが大きい。
「……ふふっ。勝負した数、ちゃんと覚えてたんだね」
「忘れるもんか!!」
当たり前のように言われて胸が暖かい鼓動を打った。
想定外のサプライズが嬉しすぎる。ライブを開催して本当に良かったと、ウタは心から思った。
「ルフィに聞いてほしいことがあるの」
「何だよ~勝負しねえのか?」
「私。あの時に約束した夢、ようやく叶えられそうなんだ」
そのことを誰より早く伝えたかった。
きっと私の夢を覚えてくれていると信じた。
思った通り。ルフィは何も言わなくても、納得したように大きく頷いてくれた。
「そっか~、お前の歌、すっげ~有名になったんだもんな」
「そう。歌の力でみんなを幸せにする、新時代を作るんだ。これからは私がみんなを……ルフィも守ってあげるから」
「ん? ……ん~よく分かんねえけど、お前が楽しそうならおれも嬉しいぞ!」
今度はウタが、ルフィのことを尋ねる番だ。
「ところでルフィは今は何をしてるの?」
「おれか? おれは、海賊やってんだ!」
「え……」
それまで宙に浮かんでいた心が、石のように固まったみたいになった。
ウタの表情が凍りつく。
そして必然、忌々しい帽子の持ち主に心が向いた。
「じゃあ、その帽子はやっぱりシャンクスの?」
「おう!」
「あいつもここに来てるの……?」
「いや、これは預かってんだ。シャンクスとはもうずっと会ってないから分からねえ」
赤髪のシャンクスとルフィの間に特別な絆を感じる。
ルフィは最初、自慢げに笑っていたが、ウタの様子が変わったことに気付いて首をかしげる。
「どうしたんだよウタ、急に変な声出して」
ウタは先ほどまでの素直な笑顔とは違う、どこか歪で作ったような表情を見せる。
「ルフィ、海賊やめなよ」
「やめねえ」
その瞬間、二人の間にあった穏やかな雰囲気はなくなる。
普段のおちゃらけた空気を一切消して即答した。
ウタは戸惑った様子で、真顔で見つめてくるルフィに詰め寄る。
「なんで? 海賊なんて最低なやつらじゃん。どうしてそんな風になっちゃったの……?」
「…………」
「今からでも遅くない。ね、海賊やめよ?」
大切な人を誤った道から引き戻さないと。
ルフィはほんの少しだけ迷うような仕草を見せたが、やがて決心したように、重々しく口を開いた。
「お前、シャンクスとなんかあったのか」
「っ……」
説得しようと詰め寄っていたウタが声を詰まらせる番だった。
最も聞かれたくない問いを投げかけられたウタは、パーカーの袖を握り締める。
二人はしばらく無言を貫いた。
ウタはうつむきながら声を絞る。
「……海賊になったルフィなんて、見たくなかった」
声には強い失望と動揺が混ざっていた。
背を向けたウタは奥の部屋に去っていこうとする。
「もういいよ。ルフィなんて知らない」
「どうしたんだよウタ」
ルフィは追いかけようと腕を掴んだ。その瞬間に、ある異変が起こった。
握ったはずの手が不自然に空を切ったのだ。
「え」
ルフィが握った部分からウタのパーカーが崩れていく。布地が小さな音符のようなもの変わって形を失ったのだ。
慌てて手を離したが、その現象は止まらない。砂の城が大波にさらわれるみたいに体そのものが七色の音符になって崩れる。
「な、何だよこれっ。おい!」
「明日から私が新時代を作る。でも、そこに海賊は入れてあげられない」
直感的に、
ウタの存在そのものが消えていくのが分かる。
「今までした悪いことは私が許してあげられる。まだもう少しだけ時間はあるから……」
「話してる場合じゃねえだろ!」
ルフィは崩れ落ちる幼馴染を前に慌てて手を伸ばしたが、間に合わない。
「……考え直すなら今のうちだからね、ルフィ」
全身を音符に変えて跡形もなく消えた。
幼馴染の気配はない。
「ウタ」
ルフィだけが取り残される。
空を切った自分の両手を見つめて、震えて、そして叫んだ。
「ウタァァァァっ!!!!!」
「――うおっ!?」
叫んだルフィの目の前で、誰かが驚いたようにおののいた。
ルフィは急に視界が変わったことに気付いて、ぱちくりと目を丸くした。
いつの間にか天井を見ている。気付いた時には固い床に横たわっていた。慌てて起き上がってあたりを見回すと、先ほどと同じ廃屋の演奏ホールだ。
ウタの姿はない。
かわりに目の前には、船長を心配して迎えにきたサンジとウソップがいた。
「おいルフィ、こんなとこで何してたんだ」
「悪夢でも見てたのか。ぜんぜん戻らないから、せっかくのお祭りも終わっちまったぞ」
何もない廃墟で寝そべっているルフィに戸惑っていた。
世界が切り替わったような不可思議な感覚が全身に残っている。ルフィはしばらく周囲を見渡してから、神妙な表情で座り込む。
二人は顔を見合わせた。
やっぱり今日のルフィは普段と全然違う。
「俺も緊張してはいるけどよ、お前この島に来てからちょっとおかしいぞ?」
「ここで何かあったのか」
「いや、何でもねぇ……」
立ち上がったルフィは、麦わら帽子を深くかぶりなおした。
サニー号に帰ると一言だけ残して部屋を出た。
どことなく落ち込んでいる風に見えたので、ウソップが事情を聞こうとした。
口を開きかけるが、しかし途中でやめた。
船長が何もないと言っているのだから、深く聞くべきではないと判断したのだ。
「ん……?」
二人とも早々に出て行ったルフィのあとに続く。
しかし部屋を出る時、サンジは部屋の片隅に奇妙なものが落ちているのを見つけた。
可愛らしいピンク色のキノコだ。
触れることなく屈んで観察し、それが危険な毒キノコだと見抜いた。
「こりゃネズキノコか。なんで、こんなもんが落ちてんだ?」
明らかに採取された形跡があるが、食材としての使い道はない。
ルフィが持っているはずがなく、またこの辺りでは取れない種類のもののはずだ。誰がこんなものを廃城に持ち込んだのかと首をかしげる。
「おーいサンジ、置いてっちまうぞ」
「おう、すぐ行く」
ウソップの呼びかけに言葉を返す。
不自然に感じたものの、触れることはせずに二人を追いかけた。
姿を消した船長。
歌姫の存在。
廃城に不自然に放置された毒キノコ。
何か良くないことが起きたことを悟った。
しかしこれから何が起きるのかを押し測ることまではできなかった。