一方その頃。
ライブ会場で起きていた海賊の騒乱は収束していた。最後に立っていたのは、もちろんこの世界の創造主であるウタだ。
「悪い海賊は全員やっつけたよ!」
甲高い声が悪魔の実の能力によって拡声される。
百に近い海賊全員に勝利した。
海賊は会場の上に浮かんだ楽譜に張り付いて身動きのとれない状態に追い込まれていた。その中には四皇ビッグ・マム直属の幹部で、強者であったシャーロット・オーブンの姿もある。
「ぐぬぅぅぅっ……は、外れんっ」
「なんだあの能力はっ。歌姫は無敵なのか……?」
彼らは必死にもがいたが逃れられる気配はない。
自分にかけた能力を解除して鎧を解いてステージ衣装に戻る。気を取り直してファンに呼びかけた。
「みんな! 心配させちゃって本当にごめんね……!! 外に逃げた海賊も探してる。さっきみたいなことは二度と起こらないからもう大丈夫!」
実際に海賊を捕まえたことで、もう大丈夫だと安心するファンは多い。
状況が落ち着いたことでウタも一安心できた。
この世界は『ウタウタの実』の能力者のどんな願いも叶えることができるが、それでも想定外に時間がかかってしまった。状況が収束して息をついたウタは密かに会場を探す。
ルフィや、守ってくれようとしたルフィの仲間らしき人の姿は、どこにもない。
顔には決して出さないが、海賊にルフィとの話を邪魔されたことに苛立った。
「でもウタ様、俺たちの船はどうなったんだよ……?」
しかし中には安心できない者もいた。
勝手に船を港から無くしてしまった件はまだ解決していない。信じたいけど本当に大丈夫なのか。その声に応えようとウタはまた言葉を作った。
「大丈夫! みんなをエレジアに閉じ込める気なんてこれっぽっちもないよ。帰りたい人のために船はちゃんと返すし、私が送ってあげる。故郷に運ぶのにちょっとだけ時間はかかるけど、すぐやるから安心して!」
気丈に大きく両手を開いて笑顔で呼びかけた。
しかしファンたちの心を掴めない。
「でもさ。四皇の幹部を倒したってことは、四皇の海賊団が来るんじゃないか?」
「怪物ビッグマムがここに来るのか!?」
「やばいよ。早く逃げないと手遅れになるって!」
「新時代なんてやっぱり無理だよ。海賊には勝てないんだ」
落ち着かせようとするウタの思惑は虚しく、ファンのみんなは客席で表情を曇らせている。
不安は一つ潰しても新たに芽吹いてきて抑えきれなくなってきている。その様子を目の当たりにしたウタはかすかな不安を感じた。
「大丈夫だよ。私がいれば大丈夫だから……!!」
必死に説得の言葉を作りながら内心で焦った。
幸せな世界を築くための力を見せれば、喜んでついてきてくれると思っていた。
みんなの言葉を聞いて、全てを叶えられる新時代に必要なものはすべて用意したつもりだが、みんなの不安は全く消し去れていない。
(どうして?)
幸せになれる世界を築くために全てを賭けたのに、ファンのみんなは迷っている。作り上げた『新時代』そのものに対する信頼が得られていない。
不安を拭うための方法がウタには思いつかない。
(配信ではこんなことなかったのに、誰もわたしの言葉を聞いてくれてない……いや。違う、これでいい!! だってこうでもしないと世界は変わらないんだから!!)
芽生えた不安を押し殺して、歯を噛み締めた。
ウタは自分自身にこれが正しいのだと言い聞かせる。
まだ笑顔こそ取り繕えているものの、どうすればいいかわからなくなりつつあった。
しかし引き下がる選択肢はない。
誰にもできないことが自分の力なら成し遂げられるという根底は変わっていない。たとえ何かを感じていたとしても後に引けない。
だが必死に場を繋ぎ止めようと回していた思考はまたも遮られた。
「これが下下民の間で噂になっているという歌姫かえぇ~~?」
ウタが必死に考えている時、ステージ横から傲慢な声が発せられた。また海賊かとうんざりしながら、不愉快な表情でその方向を見る。
顔にシャボン玉のようなものをつけた小太りの男が一人。鼻水を垂らしたその男の隣に、護衛のような黒服が二人がやってきていた。
海賊ではなさそうなので安心した。
だがどうも厄介な雰囲気だ。
この状況でステージに無遠慮に上がってくるなんて、何を考えているのだろう。
「あなたもファンの人? ごめんね、ここはステージだから客席に戻ってほしいな」
ウタは困ったように笑ってお願いした。
ここで怒ったら本当にライブがダメになっちゃうと自分に言い聞かせて優しく対処する。
様子を見ていたファンたちは、苦笑しているウタとは全く違う反応を見せた。
「天竜人、嘘だろ……!?」
「バカ、顔を上げて見るな。頭を下げるんだ!」
会場中の人間がいっせいに首を垂れた。
恐怖の感情が入り混じっていることをウタも感じ取った。だがファンたちがとった行動の意味が分からずに目を丸くする。
頭の上にはてなマークを浮かべて困惑するウタを見て、天竜人はいやらしく笑った。
「なるほど美しいえ~~。むふふっ、10億ベリー出すえ。わちしのものになって子守唄を歌うんだえ~~~!」
「はっ。それではすぐに購入の手続きを、チャルロス聖」
年頃の少女をぞっとさせるような表情を見て、ウタの腕に鳥肌が立った。
何か、とんでもないことが勝手に進められようとしている。10億って何のお金だろう。多分、ろくでもないことに違いない。
(お、落ち着こう。相手が悪い人じゃないなら、守るべきファンなんだから、うん……!)
しかしウタにもプロ意識がある。
内に湧いた感情をおくびにも出さずに困ったように返した。
「ごめんね、おじさん。みんなのためにライブをしているから、誰かのためだけに歌うとか、今はそういうのは考えてないんだ」
「お、おじっ……!? なななっなんて無礼な女なんだえ~~!!?」
「あー……ごめんね。お兄さん?」
「っ~~許さんえ!」
世界貴族であるチャルロス聖は顔を真っ赤にして怒った。生まれて初めて下地民と同じような扱いを受けて『見下された』と感じたのだ。
やりとりを聞いていたファンは、とんでもないことになってしまったと怯えた。
天竜人には決して逆らってはいけない。
世界における絶対のルールを知らない者はいない。一様に飛び火を恐れていた。
「奴隷として聖地で骨になるまでこき使ってやるえ~~~!!」
「あはは、だからそういうのはダメだってば」
状況を知らないウタだけが、どこ吹く風。癇癪を起こした子供にしか見えずに笑うことしかできなかった。
何となく権力者の側にいるのだろうということは分かるが、新時代ではそういうのは関係ない。そのことを教えてあげなくちゃと思っていたところで、控えていた黒服の男達がウタを取り囲んで銃を向けてきた。
「……あなたたち、さっき私が海賊を倒したところを見てなかったのかな」
ウタは厳しい表情で護衛を睨みつけた。
子供の癇癪ならばタチの悪い冗談も我慢できるが、武器を向けてくるのなら話は違う。
彼らはウタの意志を無視して一方的に要求を突きつけてきた。
「お前はたった今、チャルロス聖の奴隷として買われたのだ、大人しく従え!」
「私が作る新時代では奴隷も王様もないよ。あなたも同じ」
「だ、だえっ?」
攻撃したい気持ちを我慢して根気強く説明した。
今日のライブを通して自分の未熟さは痛いほど味わっている。
海賊みたいに分かり合えない人もいるけれど、相手はどうやら『分かっていない』だけ。ならばできるだけ新時代から置いていくことはしたくない。
「みんなが平等に生きることができる世の中になるの。あなたが望むものは出してあげられる。歌が聞きたいならあとで歌ってあげるから、とりあえず落ち着いてね」
「何~~!? わっちは偉いんだえ! 貴族でお前は奴隷。立場を分からせてやるえ~~!!」
ウタが口を開けば開くほどチャルロス聖の怒りのボルテージは上がって、ついに懐から取り出した銃をウタに向けて発砲した。
しかし放たれた弾丸はウタに命中しない。
直前で、楽譜で作られたバリアのようなものに阻まれて弾かれた。
護衛と思われる残りの二人も合わせるように発砲したが、この世界の主人であるウタには傷一つつかなかった。
「な、なんで銃が当たらないんだえ!? ふざけるなえ~~!!!」
「いやそりゃ当たったら痛いもん。そんな危ないもの向けちゃダメだよ、没収」
ここまでしても分からないのかと呆れるウタは、指先をくるりと回して能力を行使。
チャルロス聖と護衛の持っていた銃は、何の変哲もないバナナへと変化して、目が飛び出さんほどに驚いていた。
「だえだえ~~!? わっちの銃が果物になった~~!?」
「そりゃ私は可愛い女の子かもしれないけど。奴隷になれって言われて素直に頷くはずないじゃん」
「おおおっおまえ〜〜!! こんな屈辱を受けたのは生まれて二度目だえ〜〜!!」
「屈辱って。ただ身を守っただけなんだけどな」
呆れているウタだったが、そんな彼女の前に新たな敵が現れる。またもステージ上に新手が登ってきたのを感じて最悪すぎる治安に心底うんざりした。
しかしどうも今までと様子が違う。
彼らは私服であるが、頭に『MARINE』と描かれた海軍の帽子をかぶっていることに気付いた。
現実世界で今まさに海軍を戦闘をしているウタは、彼らのかかげるマークをよく知っていた。
「今度は海軍の人? なんでわたしに銃を向けるの?」
ウタは困惑した。
明らかにシャボン玉の男に協力しようとして、ウタを捕らえようとする雰囲気を出しているが、それがウタには理解できない。
「仮にも海を守ってる人なんでしょ。正義を掲げてるのに、こんなやつに協力するの?」
「っ……」
ウタの責めるような視線を受けて、彼らは苦しそうに唇を噛んだ。
海軍のひどい対応はファンから話を聞いて知っている。しかし人間を奴隷に落とそうとする非道にまで協力しようとすることは想定外だった。
海の守護者である彼らの意図が理解できない。
「答えて。人が奴隷になるかもしれないっていうのに、なんで私のほうに銃を向けるのかって聞いてるの」
「っ、これも秩序のため。神にも等しい天竜人の言葉は絶対なんだ……!」
彼らは剣や銃を向けるのを止めない。
ライブを見て感動した彼らもウタを乏しめたいわけではなかった。
だがどんな事情があったとしても、天竜人に逆らうことは許されない。逆らったと後で分かれば家族や仲間まで地獄に落とされる可能性がある。
そんな彼らの事情もエレジアに引きこもっていた少女には理解できない。
「そっか、それじゃあ新時代には海軍もいらないね」
凶暴化の症状が進行しつつあるウタは短絡的だ。
自分を苦しめる存在を『黒』と断じた。
他人を傷つけて略奪を行う海賊。
人間を容赦なく奴隷に落とす天竜人。
助けを求める民間人に手を貸さない海軍。
こいつらは、新時代には不要だ。
彼らを追放しようと考えて、平伏しているみんなを安心させるために呼びかけた。
「みんな、大丈夫だよ! 天竜人なんて関係ない!!」
いい人だけが幸せに暮らせる世界を作ってしまえば問題は解決だ。そうするのが一番の新時代の近道だと信じた。
「新時代ではみんな平等なんだ。これからは、どんなことがあっても私が守って――」
海賊は悪。
海軍も悪。
奴隷制度は悪。
応援してくれるファンは善。
ウタは現実を白黒でしか判断することができない。
だから言い終えた時、ウタは愕然とステージに立ち尽くすことになった。
「――守ってあげる、から」
言葉尻が、すぼんで消える。
異変が起きていた。
誰もウタの言葉を聞いていない。
天竜人という男から顔を逸らして、今まさに奴隷に落とされようとしているウタを見て見ぬふりをしている。ウタが奴隷に落ちてもいいと言っているかのように見えた。
明るい声を出そうと努めていたウタの笑顔が初めて揺らいで消えた。
「え、えっと、どうしたのみんな。私、このくらい全然大丈夫だよ……?」
助けてほしいわけじゃない。
ウタウタの実の影響下にある以上は絶対の存在となれるから、奴隷になんてなることはありえない。動揺したのはそれが理由じゃない。
ファンのみんなは、救世主になった人間の言葉より天竜人のほうを畏れている。
そのことが受け入れられなかった。
「ね、ねえみんな……新時代を作ってほしいんだよね。辛い現実から自由になりたいんだよね?」
問いを投げかけるもファンは平伏したまま動かない。
ウタは天竜人が世界にとってどんな存在なのかを知らない。せいぜいファンに悪いことをする人という程度だ。それゆえに、誰一人として平伏したまま動かない理由がわからない。
「私がいなくなったら、新時代は来ないんだよ……?」
強がっていた声が、どんどん力を失っていく。
ここに集まったのは新時代に期待してきてくれた人たちのはずだ。
救世主が奴隷になることは、つまり新時代の終わりを意味する。だからせめて一人くらい、声をあげてくれるファンがいると思った。
ウタを応援するものは一人もいない。
ステージから見える景色は絶望に飾られていた。
「お前たち何をしてるえ~!! 生意気な奴隷に首輪をつけるえ~~!!」
「はっ……! おい、大人しくしてろッ!!」
チャルロス聖の命令で護衛と海兵が詰め寄ってくる。
護衛の手には奴隷の首輪が握られていた。
能力者の力を封じ込める海楼石製。逃亡すれば爆発する機能も備わっている。
呆然としたウタは、あっさりと両腕を拘束される。こんな状態になっても、新時代を望んだファンは誰も声をあげてくれない。
「どうして……? 誰でもいいから私を見てよ、ねえっ」
感情が大きくぶれたウタは、またも声を荒げた。
未練がましく最も守りたかったファンに手を伸ばす。しかし必死に発した言葉は聞かれていないように無視された。
私の歌をみんな好きだと言ってくれた。
でも、だめだった。
みんなの不安を取り除くことができない。
(私、新時代を作れないの……?)
ウタは思ってしまった。
こんなことは一時的だと思い込もうとするが、実力を披露したうえでこんな結果になった以上、ここからみんなを導く方法は思いつかない。一番大切な『信頼』を取り戻す方法がわからない。またライブを始めた時のように応援してくれるとは思えない。
自分の歌声にあった絶対的な自信は崩れ去っていた。
ウタの首に天竜人の奴隷である証が迫る。
目の前でチャルロス聖と呼ばれた男は下衆に笑っている。
抵抗するのは簡単だが動けない。
引き返せない道を往く気力が完全に折れてしまった。
「私は、歌でみんなを幸せにして、それから……」
夢は変わらない。
だがファンの気持ちを動かすことができなかったことは、歌姫にとって致命的な敗北だ。夢に手を伸ばしていた自分が愚かに思えた。
プリンセスウタの首に海楼石の首輪が嵌められる。
新時代に進めなかった歌姫は奴隷に落ちた。
歌姫と呼ばれて愛された少女の夢は終わった。