【完結】ビンクスの酒を歌う歌姫のFILM RED   作:ひび

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第8話 夢の果て

 

 エレジアに置いていかれたウタは、十二年も世間を知らずに島にこもって暮らしてきた。

 一方で、海賊『麦わらのルフィ』は想像した千倍は波瀾万丈の人生を送っていた。

 

「ええ!? ルフィが悪魔の実の能力者になってたのは、シャンクスの宝を勝手に食べちゃったからだったの……!?」

 

 まず旅に出る前。ウタも知るゴア王国で海軍のお爺ちゃんや友達に囲まれながら育った序盤の話から、開いた口が塞がらなくなる衝撃を受けた。

 

「なはははっ、あれめっちゃ不味かった」

「しかも近海の主がいる海に小舟で出るなんて。遭難することなんて分かるでしょ!」

「ウタだって、おれと一緒に樽で海に出ただろ!」

「ちょっと海に遊びに出るのと、本気で航海に出るのは違うでしょう!」

 

 幼馴染のあまりの無茶ぶりに、ウタは羨むどころか呆れ果てて涙も引っ込んだ。

 話は盛り上がっていく一方だ。ついさっきまで絶望して泣いていたことも忘れて、続く冒険話に惹き込まれていく。

 

 東の海(イーストブルー)で仲間を集めてローグタウンを出発。

 麦わらの一味を旗揚げして、ウタも聞いたことのない土地を冒険していた。

 アラバスタ、空島、エニエスロビー、スリラーバーク、シャボンディ諸島。そして先の『新世界』と呼ばれる海。

 ルフィは説明が上手ではなかったけれど、子供の頃から一緒にいた時からルフィの話を聞くことには慣れている。

 

 冒険の話の途中でウタはルフィにいくつかの疑問をはさんだ。

 それに対してルフィも、自分なりの答えをかえした。

 そんなやりとりの中で気づく。

 

「ねえ、もしかしてルフィが作りたい新時代ってさ。海賊王になって、それから――」

 

 ウタは、ルフィが冒険の果てに目指しているものに心当たりを思い付いた。

 予想を告げるとルフィは目を丸くする。

 

「あれ、おれウタに言ったことあったか?」

「私が先に新時代を作りたいって言ったあと、ルフィが夢を決める前に別れたでしょ。だから直接聞いたことはないよ」

「そっか。ししし、それで当たりだ」

 

 ルフィはあっさりと頷いた。

 幼馴染の気持ちが分かって嬉しくなった。

 冒険の話をしてくれると言ってきた時、元気づけようとしてくれただけかと思っていた。

 そこまで考えてくれていたとは思わず、笑った。

 

「あははっ。そっか。そういうことだったんだ。それで海賊になったんだ。てっきりシャンクスに憧れただけだと思ってた」

「まーそれもあるけどよ。それだけじゃ、ここまで来れなかっただろうなー」

「うん。それがルフィの夢の果てなんだね」

「おう」

 

 やっぱりウタの想像していたような『海賊』にはなっていなかった。彼の夢は子供のようだけれど、見据えている未来は自分の叶えたかった夢と重なっていた。

 目指したものが同じだったことを知って温かい気持ちになる。

 

「私、ルフィの夢を奪っちゃうところだったんだ」

 

 太陽のように輝く幼馴染を前に、ウタは寂しげにうつむいた。

 無理に作ろうとした新時代が、大切な人の夢を絶つことになるなんて思ってもみなかった。

 ウタワールドに全員を閉じ込めてしまえば、ルフィの夢は叶わなくなってしまう。そしてルフィの仲間や友達の人生も歪んでしまう。

 そんなの怒って当たり前だ。

 

「おれのことはいいよ。それより今のまま新時代を作っても、おめえが辛いだけだ」

「……っ」

 

 ルフィの静かな言葉に息を詰まらせる。

 胸元に置いた手をかたく握りしめた。

 

「そんな優しいこと言わないで怒ってよ。わたしルフィの夢を奪おうとしたんだよ……?」

 

 両膝を腕で抱えながら、膝の隙間に口元を沈めた。

 しかしルフィは気の抜けた声でかえしてくる。

 

「まだみんなをこの世界に閉じ込める気なら止める。けど、それはもうやめたんだろ」

「そうだけど……」

「じゃあいいじゃねえか。おめぇの歌はみんな大好きだけど、救世主になんてなる必要ねえよ」

 

 ルフィの言葉は鉛のように沈んでいたウタの心を軽くした。

 しかし同時に幼馴染の成長を痛いほどに感じて、惨めな気持ちが増していく。

 

「ダメ。救世主になれない私に、生きていく権利なんてないよ」

 

 ルフィと自分は違う。

 同じように夢を目指すことはできない。

 十二年前の出来事は今もウタの心を縛っていた。

 

 ルフィは何か言おうとした。

 しかし抱えた心の傷を打ち明けようとしていることを悟って何も言わない。ウタが自ら過去に起きた出来事を打ち明けた。

 

「何があったのかゴードンから聞いたんだよね」

「ああ、ぜんぶ聞いた」

 

 昨日会った時には明らかに知らない様子だったけれど、天竜人から助けにきてくれたルフィは事情を知っていた。

 つまりシャンクスが教えたわけじゃない。今、ウタワールドのどこかにいるゴードンが話したのだろう。

 

「一年前くらい前ね、エレジアが滅んだときの記録を見つけちゃったの」

「…………」

「記録されてたのは襲われている時の様子。この国を滅ぼしたのは赤髪海賊団なんかじゃなくて、元凶は私だって。私が危険なんだって言ってた」

 

 サニー号に乗ったウタは、その時の気持ちを思い出すみたいに桃色に染まった空を見上げた。

 

 それは本当に偶然だった。

 海に出て歌声を響かせるのは九歳の頃からのウタの日課だった。配信用の映像電伝虫を拾った時のように、浜辺で映像記録機能の付いた音貝(トーンダイアル)を拾った。

 記録されていたのは音楽ではなく、警鐘だった。

 

 ウタウタの実の能力者が呼び出せる魔王がこの世に存在する。

 ウタの歌声によってそれが解放されて、何の罪もないエレジア国民が死に絶えた。恐ろしい所業を引き起こした元凶が自分だったと訴える人の声を聞いたのだ。

 

 ウタはそれが真実だと理解した。

 大好きだった人が、あんなことをした理由がずっと納得できなかった。略奪なんてするはずがない。置いて行かれた理由がわからなかった。

 

 赤髪海賊団が全てを奪ったのではなかった。

 自分が何もかもを壊したのだと、最悪のタイミングで納得させられた。自分の人生が血塗られたものであることを悟ったウタは絶望した。

 

「何の罪もないエレジアのみんなを殺したのは私。救世主なんかじゃなくて悪魔だったの」

 

 ウタは吐き捨てるように言う。

 死んでしまった人はきっと無念だっただろう。

 善良に生きていた人の最後の気持ちを思うと、胸に針を突き刺したみたいに心が痛む。

 

「国を滅ぼしたのはバケモンの仕業なんだろ」

「うん。でも歌ったのは私。だからほんとは新時代を作る資格なんてなかったの。それなのにみんなを期待するだけ期待させて、それも失敗して……ほんと馬鹿だ」

「っ、お前のどこが馬鹿なんだ!」

 

 ルフィは怒ったように言い返してくる。

 だがウタは力なく首を横に振った。

 

「馬鹿だよ。ずっと赤髪海賊団のみんなを恨んで、ひどいやつだって思ってさ。本当のことが分かったのに恨むことをやめられなかった。そのせいでルフィも、ルフィの仲間もファンも傷つけた……」

 

 現実とウタワールド。

 両方の世界でウタはとめどなく溢れる涙を袖で拭う。

 

 魔王の力で、たくさんの人を死なせた。

 自分を守ってくれたシャンクスを恨み続けた。

 思い描いた新時代は望まれていなかった。

 そして、もうすぐ死んでしまう。

 なぜ今自分が生きているのか、もう分からない。

 

「取り返しがつかないんだよ……!」

「この国を滅ぼしたのはお前じゃないって言ってんだろ!!」

 

 ウタの言葉を怒声でかき消した。

 真っ直ぐすぎる瞳に見つめられたウタは、怯えたように身をすくめる。諦めて死んでしまおうとするウタの手を離さないように強引に掴んだ。

 

「間違ってるのは、みんなをここに閉じ込めようとしてるってことだけだ! みんなをもとに戻して、やり直しゃいいじゃねえか!」

「いまさら遅いよ。ファンのみんなは帰してあげられるけど、私もうすぐ死んじゃうんだ」

 

 ウタは最悪の状況を告白した。

 ルフィはネズキノコのことなんて知らないだろう。

 口にすれば眠れなくなって、ウタワールドは現実世界から切り離されて戻れなくなる。しかし、もう取り込むつもりはない。ルフィも仲間もファンのみんなも帰して、その後は一人ぼっちでここに残ることを決めていた。

 

 ルフィにまた怒られるだろう。

 心残りは最期までシャンクスに会えないことだが、それが罰だというのなら受け入れる覚悟はできていた。

 

「変なキノコのことなら大丈夫、助かる!」

「え……?」

 

 思いもよらない自信たっぷりな返答に驚いた。

 

「サニーにはすんげー医者が乗ってんだ! あいつが大丈夫って言ったから心配すんな」

「待って。どうしてそのことを知ってるの?」

「ん? おめーが自分で新時代をずっと続けるって言ったんだろ」

「いや、それはそうだけど……」

 

 なぜ一度も話していないネズキノコのことを知っているのかとウタは困惑した。

 しかしよく考えると別におかしな話ではない。

 自分だってエレジアに残った図鑑で『そういうものがある』ということを知ることができたくらいの知識だ。本業の医者が船に乗っているなら、ウタの陥った状況を推理できても不思議じゃない。

 

 助かる。まだ引き返せる。

 希望がウタの心をかすかに動かした。

 しかし、すぐに引き返す方向に舵を切れない。

 ルフィの言葉はずっと求めていた救いだったが、まだ足りない。ウタは抱えていた闇を吐き出した。

 

「怪物を呼び出しちゃったのは私なんだよ。私、もう人殺しなんだよ……?」

「だから違うって言ってんだろ。悪ぃのは怪物で、ウタはいつもみてーに歌っただけだ」

「死んじゃったみんなは、きっとそう思わないよ」

「だとしても、お前が夢を諦める理由にはならねェ」

 

 十二年間ずっと会いたかったルフィは、欲しい言葉を全部与えてくれた。泥沼に沈んで消えていくしかなかった心が、明るい場所に引き上げられる。

 新時代と呼んでいた独りよがりの世界はもう諦めている。

 力尽きる前に能力を使って全員を現実に返し、そのあとで一人で死のうと思っていた。しかしその気持ちは潰されてしまった。

 

「……本当にやり直せると思う?」

「おう、約束する!」

 

 即答されたウタは泣きそうになる。

 心を満たしたのは、シャンクスと別れる以前に感じていた温かい気持ちだ。ルフィの前で泣いてしまわないように息を整えて耐える。

 

 ルフィはウタの決断を待った。

 人生を賭けた決断を下してまでライブを開いたのだ。そう簡単に舵を切れないことは分かっている。

 どうしても大切な幼馴染を引き戻したいが、もうこれ以上は何もできることはない。

 真剣にウタを見つめ続けた。

 

 

「ねえ、久しぶりに勝負しよう」

 

 改めて向き直ったウタは、意地悪っぽい笑顔を浮かべながらそんなことを言った。

 理由がわからずに首をかしげる。

 

「なんだよ急に」

「いいからさ、昨日は一方的に私が帰ったから勝負できなかったでしょ。背の高さで勝負。ちょっとそこに立ってみて」

「まあいいけどよ……」

 

 こんな状況で急に出してきたウタの提案には、さしものルフィも戸惑った。しかし首をかしげながらも言われた通りに立ち、ウタも階段から降りて同じ芝生に立つ。

 ウタはその場で少しだけ視線を持ち上げてルフィの顔を見つめた。

 

「いつの間にか身長、ルフィに負けちゃったね」

「そうなのか?」

「うん。今回ばかりは私の負け。あーあ、連勝してたんだけどな」

 

 開けた空に向かってからりと声をあげる。

 現実でも、身を隠している建物の中から石造りの天井を見上げて声もなく微笑んだ。

 

「ルフィ……私、ライブやめるよ」

 

 決意を込めて口にする。

 少しの間口をぽかんと開けていたルフィ。

 大切な幼馴染の目を見ながら宣言した。

 

「夢を諦めて止めるんじゃなくて、もう一度考える。色んな人に謝らなくちゃいけないけど、もっと違う道を探して……って、わわっ、ルフィ!?」

「ウタ~~~っ!!」

 

 ルフィは嬉しそうにウタの腰に手を回して、大切に抱えるように抱きついた。

 

「ちょ、ちょっとルフィっ……そんな、急にっ!」

 

 再会した時のハグとは全く違う感じがしてウタは顔を真っ赤にした。ルフィの体温を直接感じて、気持ちが昂ってうまく動けなくなる。自分でもよくわからない熱い気持ちに戸惑った。

 そのうちルフィのほうが離れて、嬉しそうにお願いしてくる。

 

「そんじゃよ、さっそくみんなを起こしてくれ!!」

 

 胸に手を置いて確かめると、自分でも驚くくらい心臓がバクバクと鳴っていた。

 一息ついてから首を横に振った。

 

「そうしたいけど、私いまは眠れないからウタワールドは閉じれないの」

「え~~~!? じゃあ出られないのか!?」

「私以外の人は、私が寝なくても出してあげられる。でもあんまり練習したことがないから自信なくて……」

 

 自分の未熟さを申し訳なく思った。

 子供の頃、ウタウタの能力はいつも眠ることで閉じていた。

 ゴードンに手伝ってもらったこともあるけれど、この十二年はウタワールド内でできることを探るばかりで、現実に干渉する練習はしたことがなかった。

 能力者本人として何となく「帰すこともできる」ということは分かるのだが、実践するのは初めてだ。

 

「とりあえず、この世界のどこにいるか分かれば帰してあげられると思う」

「そっかー。まーチョッパーとサンジは薬の材料を探しにいってるはずだし、あいつらを待つか」

「その二人がルフィの船の船医なの?」

「チョッパーが医者で、サンジはコックだ!」

「そっか ……ところでライブを中止にするんだから、その後はルフィも手伝ってよね」

「ししし、もちろん! それより気分悪くなったらちゃんと言えよ。まだ大丈夫なんだよな」

「た、多分……?」

 

 すでに大量のネズキノコを口にしてしまっているウタは、若干視線を逸らした。

 医者でないウタには大丈夫かどうか分からない。

 現実の体は酷い調子だがまだ『本当にやばい』という所までは来ていない。曲作りに夢中で、いつの間にか夜が明けてしまった時くらいの体調で済んでいる。

 ルフィは少し納得いってなさそうだったが「ちょっと我慢してろ」と言い、この場を離れないようにしつつ、船の上から仲間の姿を探し始めた。

 

 

 

「変わらないなぁ、ルフィ」

 

 ただ前を向いているルフィを、ウタは耳に手を当てながら眺めていた。

 素直すぎて扱いやすいところも、目指したら夢に真っ直ぐなところも大好きなルフィのままだ。

 

 夢は途方もないけれど、きっとたくさんの人を幸せにするだろう。本当に叶えてしまうだろうとも思う。会ってないうちに強くなったんだなあと切ない気持ちを抱えた。

 そして夢を叶えるためには現実も見なくちゃいけない。

 ウタは生まれて初めてそう思った。

 

 階段に腰掛けながらヘッドフォンに手を伸ばす。

 装置を弄ると、能力によってしまいこんでいた数枚の古びた楽譜が自分の手元に落ちてくる。現実世界でもパーカーの懐にしまっていた楽譜を取り出した。

 

 Tot Musica。

 ウタウタの実の能力者が歌うことで邪悪な魔王を顕現させる。恐ろしくも美しい音楽を記した楽譜だ。

 ウタにとって全ての元凶であり、再び忌むべき最悪を引き起こしかねない兵器。しかし全てを分かった上で、城の隠し場所から持ち出してきていた。

 むろん使う気はない。

 しかし、いずれやってくる海軍や世界政府に対して、攻撃すれば呼び出すぞと脅しをかけることができる。身を守るために持つべきだと手放さなかった。

 しかし肌身離さず持っていた理由は、それだけじゃなかったと今だから思う。

 

(私、シャンクスにもう一度会いたかったんだ)

 

 もう一度これを歌えば来てくれるかもしれない。

 ウタにとっては、この楽譜こそシャンクスと今の自分を繋ぐ唯一の絆のように感じていた。

 方法としては最悪だけれど、心のどこかで会いたいと思っていたせいで持ち出してしまった。

 会わなくてよかったと今は思う。

 シャンクスはライブに来てくれなかったけれど、今はもう合わせる顔がない。

 

「ごめんね、ゴードン」

 

 ウタは両方の世界で、音楽を愛するゴードンが捨てられなかった楽譜の両端を強く掴む。

 ルフィが頑張っているのに、迷惑をかけるわけにはいかない。これはウタウタの実の能力者である自分が今すぐにすべきことだ。

 二度とこの世に魔王が甦らないようにする。

 破り捨てるために力を込める。

 

 ――握った楽譜に異変が起こった。

 

 封じられたトットムジカが脈動する。

 紫色の邪悪な魔力を帯び始めて、紙を握るウタの手が止まった。ウタウタの実の能力者を求めて、楽譜から発せられた邪悪な魔力が入り込んでくる。

 

「え。あ、あぁっ……」

 

 黒。黒。黒。

 心が別なナニカに塗りつぶされる。

 大量に口にしたネズキノコが感情の天秤を激しく揺らし、魔力に心を奪われる。

 古ぼけた楽譜を手にしたままうなだれた。

 穏やかだった心と理性が消える。

 邪悪な力に囚われた歌姫の瞳から光が消え失せていた。

 

「ん? おい、どうしたんだよウタ」

 

 仲間を待っていたルフィは、船上の雰囲気がおかしくなったことに気付いて振り返った。

 少し目を離した隙に、ウタはサニー号の上を移動していた。操舵輪のある船首でどこからともなく取り出した古い紙を握りしめている。

 

「ウタ……?」

「悪い人がいなければうまくいってた。海賊さえいなければよかった。上手くいかないのは、全部あいつらのせいだ……」

「おいウタ、どうしたんだよ急に?」

 

 駆け寄ってようやく聞きとった言葉には、不条理に対する暗い絶望と憎しみがこもっていた。

 ルフィが慌てて肩を掴むも、ウタはそれを容赦なく暴力的に振り払った。

 

「邪魔をするな海賊ッ!!」

「うわっ!」

 

 衝撃で背中から階段を滑り落ちてしまう。

 身体がゴムなのでダメージはない。しかし邪悪な気配が漂っていることに気付いて、即座に身体を起こした。

 ウタにはルフィが見えていないようだった。

 目の前にいる人物が大切な幼馴染であるのにそれが分からない。記憶と理性を奪われて何も分からなくなっていた。

 

「新時代にいらないやつは、これで、みんな消してしまおう!」

 

 破滅の未来を目前にウタは口角を吊り上げて笑う。

 握っていた楽譜から両手を離す。それらは地面に落ちることなく、能力者の目の前に掲げられるように宙に浮かびあがった。

 

「おい……何してんだ!」

 

 別の何かが乗り移ってしまったみたいに気配が変わっていることに気づくが、もう遅い。

 

 魔王の魔力に直に触れてしまったウタの心は、十二年積み上がった憎しみに囚われた。

 難しく考えなくていい。

 全部壊して絶望を終わらせれば楽になれる。

 辛くて苦しいことも、淋しいことも、無くしてしまえばいい。

 そのために新時代に不要な人間は消す。

 魔王の思考を受け入れてしまった。

 

「やめろ、ウタ!!!!」

 

 ルフィは止めようと叫ぶが届かない。

 ウタは魔王の操り人形となって、天上の歌声を奏でてしまった。

 

 

 

 

 

 

 世界が闇に染まる。

 救済の歌姫が、邪悪な者の死を願って破滅の歌を奏でた瞬間、海上に嵐が吹き荒れる。

 恨み、憎しみ、辛み。

 あらゆる暗い感情が心になだれ込んでくる。

 世界にあるあらゆるもの破壊し尽くしたい。

 理性によって押さえつけていた破壊衝動が爆発。神にでもなったような全能感が歌姫を酔わせた。

 

「あ、ははははっ……!!」

 

 真に神の力を得たウタは笑い続けた。

 紫に輝く瞳を大きく見開いて両腕を振り上げる。

 ウタウタの実の能力で作られた仮想世界が、邪悪なものに侵食される。魔女に成り果てた少女は、全てを破壊する魔王と融合を果たそうとする。

 

 最初からこうすればよかった。

 私を一人にしたみんなのことが嫌いだ。

 こんな世界いらない。

 何もかもなくなっちゃえばいい。

 

 

 

「ウタァァァッッッ!!」

 

 ――狂気に染まりかけたウタの笑いが止まった。

 

 その声は懐かく、そして温かい。

 魔王に囚われたウタの正気をかすかに引き戻した。

 視線をその方向に向ける。

 

「え――」

 

 嵐の中で、ルフィが船上で耐えている。

 引き起こされた風はエレジア中に広まっている。地面を抉ってドームの天井を崩落させようとしている。遠くでファンが逃げ惑っている。

 破壊の中心に立っているのはウタ自身。

 自分が何をしてしまったのかを理解した。

 

「どうして。わたし、あの歌を……っ」

 

 どうして、なんで。

 そんなことをするつもりなんてなかったのに、悪い夢が始まってしまったのかと思った。

 理解できない衝動に任せて、歌ってはならないはずだった破滅の歌を奏でてしまった。取り返しの付かないことをしたことを知って動揺していると、また声が聞こえた。

 

「ウタ、聞こえてっか!!?」

「ル、フィ……?」

 

 悪魔の実の能力によってゴムのように伸びた手が、自分に向けて伸ばされていた。

 

「うぎぎっ……戻ってこい! 手を掴め……うわあああっ!!」

「ルフィ!」

 

 わたしは一歩前に出て手を伸ばしたが、遅かった。

 震える手で握り返そうとしたが届かず、ルフィはどこかに吹き飛ばされていってしまう。

 追いかけようとしたウタは、嵐から出ることを許されずに闇に呑まれた。解き放たれてしまった音楽の魔王の力が人格ごと支配しようと入り込んで意識を塗りつぶす。

 

「ルフィっ、やだ。こんなのやだよ、たすけて――」

 

 能力によって禁忌を解いてしまった少女の、救いを求める声はかき消える。

 

 

 

 ――お願い、みんな逃げて。

 

 無駄だと知りながら、ウタは最後に残った力でウタウタの能力を行使する。

 邪悪なサイクロンに似つかわしくない桃色の光が紛れて、怯え惑っていたファンや海賊、倒れていた天竜人たちがライブ会場から消えていく。

 会場のすべてが光で覆われたあとで、ウタの意識は完全に闇に飲まれる。

 

 二つの世界に完全な魔王が顕現した。

 






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