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時は遡り、4月初旬――
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大きな窓の外には静かな夜が舞い降りる。
耳に飛び込む音は、微かに聞こえる波の音。
いつもの、懐かしいこの場所に。
いつもの3人が揃う。
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ダイニングテーブル上に浮かび上がる電子婚姻届。
向かいに座る兄の顔つきは、意外にも穏やかで落ち着いた様子。
兄は証人欄に、自身のサインを書き込めば、その様子を見守っていた目の前の2人に視線を戻す。
そして再び、灰皿に置いていたタバコを手に取ると、微かに口角を緩ませていた。
「ありがとう、お兄ちゃん。」
表示されていた電子婚姻届をデバイスに保存すると、舞白はニコッと嬉しそうに笑みを浮かべていた。隣に座る宜野座は、何故か少し緊張した様子で、少し擽ったいような表情で、狡噛に視線を向けていた。
ふぅーー…、と煙を吐き出せばクセのあるタバコの臭いが充満する。本来であれば、"外で吸って!"と妹に言われるはずだが、今はあえてそれを口にしない。兄の狡噛も、どうやらこの状況に少し緊張しているのか、タバコで気を紛らわそうとしているようだった。
「狡噛。悪いな、わざわざ」
「妹の門出を祝うのは当たり前だ。それにこうやって、この場所で、ゆっくり3人で話す事も、今後はなかなか無いだろうからな。」
宜野座、舞白の休みに合わせ、外務省本庁から自宅に訪れた狡噛。しかし、あと1時間程で再び本庁に戻らないといけない状況に、宜野座は申し訳なさげだった。
「にしても、ギノの証人欄。…まさか、常守だとはな。」
先程の電子婚姻届の証人欄。宜野座の欄は既に埋められており、そこには"常守朱"とサインがあった。
「ダメ元で送ってみたんだ。なんせ、拘留中だからな。矯正保護センターの人間にデータを弾かれると思ったんだが…どうやら常守に届いたらしい。すぐに署名されたデータが送り返されてきたよ。メッセージと一緒にな」
宜野座はそう口にすると、手元のデバイスを操作し、常守から届いたメッセージを表示する。
"おめでとうございます。自分の事のように嬉しいです。お2人にとって最良の門出を心からお喜び申し上げます――"
「アイツらしいな」
そのメッセージに、常守らしさを感じる狡噛は微笑む。
「まさか、朱さんに送ったなんて知らなくて。私もびっくりしたよ?」
常守に証人を頼むのは、正直意外だった。それに、常守の置かれている状況からそれを頼むなんて、思い切った行動だと宜野座に視線を向ける。
「常守に言われてな。婚約した事を伝えた時、"結婚する時は、届の証人欄に名前を書かせてください、宜野座さん"――って」
部下として、同僚として、上司として――
宜野座は常守と、今まで様々な立場で関わってきた。彼女なりに、宜野座の門出を祝う1人になりたかったのだろうと、宜野座はその気持ちを汲み取っていた。
「保護センターの人間。案外、心がある奴みたいで安心だな。」
「あぁ。まだ面会は難しいらしいが、ある程度メッセージのやり取りは許されてるみたいだ。」
拘留された常守。雑賀と同じ施設に身を置いている常守には、どうやら直接まだ会えないらしい。通話も未だに許されず、唯一繋がるものは端末間のメッセージのみ。
3人の間に沈黙が流れる。
暫くすると、タバコを灰皿に押し付ける狡噛。一度、天井に顔を向ければ、再び視線を宜野座へと戻す。
「それより、本題はお前達の結婚だ。婚姻届の証人欄にサインは済ませたが…」
"まだちゃんとした言葉を聞いてないが?"と言わんばかりの視線を向けると、宜野座は膝に乗せた両手にグッと力を入れる。
今まで、任務などで何度も顔は合わせているが、この事に関して特に話した記憶は無い。というよりも、その暇がなかった。
「…お前の妹……、舞白……
…舞白さんを―――」
「なに緊張してるの…?相手はお兄ちゃんだよ?」
「いや、改めて、この事を口にするのは気恥しいものだな…」
「それくらいで緊張する奴に、妹はやらんぞ?ギノ」
「…ッ……」
まるでその様子を楽しむかのように、狡噛はクスクスと笑みを浮かべていた。同じく、隣の舞白も面白がっている様子だった。
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「妹が嫁に行く時、お前発狂しそうだな」
「シビュラが相手を決めたとしても、ろくな奴じゃないと俺が判断すれば、速攻反対するさ」
「お前が義兄なんて、相手も可哀想だ」
「言っておくがお前にはやらんぞ」
「有り得ないだろ?歳を考えろ、歳を。…それに俺もお前が義兄になるのはゴメンだ――」
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舞白がまだ幼い頃の、自分たちの会話を思い出すと、より言葉に詰まりそうになる宜野座。
まさか、その状況が本当に実現するとは――
その時誰も想像できなかっただろう。
歳の差も、そして親友の妹を。過去には銃を向け合い、闘った仲でもある相手を。自分の妻に、夫に、将来の伴侶になるなんて、と。
宜野座は、ふーー…と息を吐くと、膝の上に置いていた右手を、隣に座る舞白の左手に伸ばす。そして手を重ね、一瞬舞白に視線を向ければ、意を決したように狡噛に顔を向け、口を開く。
「舞白さんと、"これから先の人生を"一緒に歩んでいきたいと思ってる。病める時も健やかなる時も…」
"これからの人生を"
その言葉に、狡噛も舞白も微かに口元に弧を描く。諦めていた舞白のその先の人生を、共に歩んでいきたいと強く願っていた。
「――狡噛。ずっと、命懸けで舞白を守ってきたお前の気持ちを、俺は一番近くで見てきた、一番の理解者だと思ってる。だからこそ、俺を信じて、委ねさせてくれ。」
狡噛はフッと息を吐き、ふと舞白に目を向ける。
あんなに幼かった妹は、半ば自分のせいで槙島の事件に巻き込み、そして共に日本を離れ、過酷な数年を過ごした。強く、賢く、美しく育った最愛の妹は、無茶苦茶な自分を咎めること無く、むしろいつまで経っても"お兄ちゃん"と慕い続けてくれていた。
兄である自分には弱音も、涙さえ見せない妹。心配させたくないと、その気持ちが妹を苦しめていたのかもしれない。だが、それを解いてくれるのはきっと宜野座だと、昔から心の奥底で考えていた。
ずっと、どんな時も、二人三脚で歩いてきた最愛の妹。その妹が、学生時代からの唯一の親友と、今は手を握り合っている。ついに自分の手元から完全に離れてしまうという寂しさと、信頼している親友と結ばれたという多幸感。様々な感情が入り交じり、上手く言葉に言い表せれない。
舞白の瞳を見据えていた狡噛は、その隣の宜野座へ視線を移す。
そして、向かいに座る宜野座へと手を伸ばせば、満悦の表情を浮かべ口を開く。
「妹を、…舞白を頼むぞ、ギノ」
その言葉に、宜野座も笑みを浮かべ、狡噛の手を掴み握手を交わす。
「ああ。……ありがとう、狡噛」
握手を交わす2人を横目に、舞白も満面の笑みを浮かべていた。そして、2人の手が離れると、狡噛は再びタバコに手を伸ばす。
「もし、舞白を泣かせるようなことをしたら、義兄の俺がお前をぶっ飛ばすからな?」
緊張の糸が切れたように、口から煙を吐き出せば、ニヤッと面白そうに宜野座へ視線を送る。
「心配するな。そんなヘマはしない。」
「お兄ちゃん。怒らせたら怖いよ〜」
ツンっと左肘で宜野座の腕を突く舞白。宜野座は、そんな舞白の頬をムギュっと摘み、仲睦まじい様子を見せる。
その様子を、深く内から押し広げられてゆくような幸福感に包まれるように、狡噛はタバコを片手に、じっと見据えているのであった。――
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「じゃ、舞白を頼んだぞ、ギノ」
「ああ、任せろ」
外務省本庁へと向かう為、自家用車に乗り込む狡噛。それを見送る為にと、エンジンのかかった車の傍で立つ宜野座。舞白は少し体を休めたいと、見送ることは諦め、家のソファで仮眠をとっていた。
「今夜は帰るのか?」
「…いや、舞白が心配だからな。悪いが今夜はお前の家にそのまま泊まらせてもらうよ。」
「そう言ってくれて助かるよ。…手術も控えてる。暫く、あいつから目を離さないでくれ。」
宜野座はこくりと頷く。
そして狡噛はハンドルを握ると、最後に宜野座へ、ある事を口にした。
「時期はまだ未確定だが、近々"ピースブレイカー"の残党と接触する可能性も高い。花城は、舞白を任務に入れるつもりは無いだろうが…上はそこまで気を遣う余裕はないだろう。…それに、舞白の戦力は必要だ。酷かもしれんが、俺たちで出来ることはやってやるんだ。」
"ピースブレイカー"というワードに眉を顰める宜野座。危険な事だと百も承知。外務省行動課の人間である限り、今後も危険な任務は避けて通れない。
「だからといって、あいつは外務省から抜けることは考えてない。俺たちと同じ考えだ。"成すべきを成す"。…結婚しようが、平穏な幸せを手に入れたとしても、あいつはその考えを曲げることは無い。」
狡噛は、真っ直ぐと宜野座に視線を向ける。
「ギノ。そんな妹を、お前は―――」
「心配するな、狡噛。俺はあいつの傍から離れないと決めた。どんな事が起こっても、お前と同じように…、いや、お前以上に、舞白を護る。」
宜野座の真っ直ぐな、信念を持った瞳に狡噛は安堵する。
「…舞白が選んだ相手が、お前で良かった。心底思ってる。」
口角を微かに緩ませ、車の窓を閉めれば、マンションの敷地から出ていく狡噛。
「お前が義兄でも、存外悪くないな。狡噛」
フッと息をつき、宜野座は踵を返すのであった―――
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