悲劇のヒロイン妄想症候群 作:けゆの民
これは、誰にとっても幸福でない戦争が佳境に向かっていた頃のお話。
一人、自分専用に宛がわれた部屋にて書類──そして、音声ファイルとひたすらに対話している人物がいた。
そう、それは
昨日出会ったロク・モロフルという転校生の発した言語。
それは様々な言語体系を人生を捧げて習得してきた彼にとって、人生を揺るがしかねない衝撃を与えるものであった。
──彼女との邂逅。
何やら今月から転入してくる海外出身の生徒とのコミュニケーションにその担任である富田が苦労しているらしい、と線文字Bの解読に関するヴェントリスの資料を印刷しにプリンターへと向かう時に気付いた。
どれ、言語関係で悩んでいるなら手伝ってやろうと近寄り、富田と件の転校生の会話……と呼べるのか怪しい意思のやり取りを数分間眺めていた。
そして英語や、富田が英語ら大学時代の第二外国語であるスペイン語を駆使しようとして失敗し続ける様子を見て、その言語を解析したい欲が湧いてきた。
そこで緊張しているのか、それとも別の要因があるのか微動だにしない彼女に対して話しかけた。
──それが、全ての始まりだった。
『すまない。名前を、言って、ほしい』
以下は以上の文章を日本語、英語、中国語、ロシア語でロクに送った時の返答である。
『はい、ロク・モロフルです』
『もういちど? まあいいですけれど。ロクです。ロク・モロフルというなまえです』
『わざわざげんごをかえてきくひつようありませんよね? しつこくないですか? ロクです、ロク』
『ロク』
一度として同じ発音が返ってこないことから、精度のそこそこ高い推論として『きちんと名前を発音しているのは1言語以下である』という推論が立てられた。
そしてその返答の長さから推測するにロシア語に対する返答は『
ならば、もう一度『わからない』という返答を誘発するような言葉をかければいい、と。
そう考えたところで富田による『何やってるんですか副校長。知らないなら知らないって素直に言ってくれません?』という言葉と校長による『君にも仕事があるんだから戻ってきたまえ』という正論により
副校長の権限を使って『ロク・モロフル』を知った時には、ここからどの言語で通じていたかわかるかもしれない! と期待したものの、どの返答にも『ロク・モロフル』またはそれに準ずる発声はされていなかった。
神はいなかった。
少なくとも日本語、英語、中国語、ロシア語の類似言語には彼女の発する言語が存在しないことがほぼ確定してしまった。
如何なる種類の言語であれば、彼女の母国語で会話出来るだろうか。いや、いずれ会話して見せる! と数年振りに川に戻った鮭のように生きの良さを見せ始める副校長。
かつての伝手を辿り、様々な言語の資料を集め始める──!
頑張れ副校長、あなただけがロクの化けの皮を剥がし得る人類だ!
「くっ、負けた……!」
「はぁ……はぁ……見たか莉愛! これが友情、努力、絆の勝利、ってやつだ……!」
どうやら『第百五十次幼馴染み戦争』は成明の勝利で終わったらしい。
リングを作るように三人を取り囲んでいた
「と、いうわけでロクさんは『転校聖女』に決定……!」
(ん? あれ? もしかしてさっきまでのイチャラブって私について争ってたりしたの? 私、奪い合われるヒロインポジションになっちゃってたりする? )
だとしたら友人ポジションを目指す私としてはかなり困るんだけど、と状況を全く理解出来ていないロクが首をひねる。
なんか争ってたらしいけど、実害は出なさそうだしいいや。と目の前の惨状をどうでもいいものと処理する。
いや、滅茶苦茶実害出そうなんですけれど。むしろお前以外に実害出そうな人が考えられないんだけど。
「まあ争って決まったものは仕方ない、か……ロクちゃん、『転校聖女』で良かった?」
「え? あっはい」
突然話を振られ、ロクは困惑を抱えたまま返事をする。
困惑が羞恥を上回ったことが要因となり、当社比的にはまともな滑舌と呂律で返事をする。
それが明らかは不幸を招くとは知らずに。
「え? はい、って……」
ロク、痛恨のミスである。
日本語を話せずに色々と勘違いを引き起こしてきた人類は、日本語を話すことによって更なる地獄を呼び起こす。
最早そういう星の下に生まれたんじゃないか、というほど綺麗なタイミングで発声された肯定の言葉が、これ以上ない勢いで運命の歯車を超高速で逆回転させる潤滑油となる。
「喜べ皆! 今日から本人公認で『転校聖女』だ! 」
今日からも何も、今日がロクとの発遭遇だろうに。
ワーッ! と大舞台でサッカーのゴールが決められたかのごとく歓声が上がる。
余りの歓声ボリュームの大きさに、隣で普通に授業をしている2組から苦情の壁ドン・デリバリーが入る。
だがそんな雑音(お前らのほうがよっぽど雑音)を気にもせず、クラスに生まれた新『
「聖女様ー!」「聖女様万歳!」「麗しの聖女様!」「踏まれたい!」「キャー聖女様の降臨よ!」
なんか違くない? 君たち。
(あれ……? なんか想定していたのと違う。もっと、こう……クラスに自然と溶け込んで、どこにでもいる友人ポジションになるつもりだったんだけど……)
そのコミュ力で本気でなれると思っているなら、それこそ笑止である。
よもや自分が本気で聖女と呼ばれているとは思っておらず、きっと別の人をそう呼んでいるたけだろうとロクは考えた。
「せいじょ、がんばれ」
そして、聖女という役割はきっと莉愛のものだろうと後ろを振り返りながら言う。
だからお前だって。現実逃避をするな。
「これから一緒に世界一のアイドル目指して頑張ろうね!」
現実が見えてないのはどっちも同じだったようだ。
バカは炙り出された。
アイドル? もしかして莉愛はアイドルを夢見るガールズでバンドなパーティーの一員なのだろうか、とロクは思考を纏め始める。
だとしたら応援するのもやぶさかではない。今までまともに見ていなかったからあれだけど、落ちついて見れば莉愛、普通にTRPGでAPP17とか叩き出せそうな顔面をしている。
そんなことを考える。
ロクは、人の顔面を数値化するタイプの人類であった。
その規格に合わせるなら自身の
「が、がんばってね」
困惑しながら苦笑いしたロクに対して、またもやクラス全体からの大歓声が上がる。いつからここは日本武道館になったんだ。
ロクの見せた困惑混じりの苦笑いが『聖女と呼ばれて恥ずかしい思いを抱えながらもクラスの雰囲気に溶け込めて嬉しい』ものと取られる。
「通じない日本語でもニュアンスは伝わった!」「愛は言語の壁を越える!」「我が生涯に一片の悔いなし!」
こんなことが悔いになっていた人生、醜くないか?
(なるほど、このクラスは莉愛を
そしてもう一人、とてつもない勘違いをしている奴はいた。
どちらかというとこの状況の姫はお前だ。
「──『転校聖女』ロク・モロフルのアイドル無双は此処から始まったのよ!」
数分前の自分がつけたクソダサネーミングに対する未練は既になく、『転校聖女』として日本武道館を満席にするロクと、裏方でプロデューサーをしている自分を思い浮かべる莉愛。
年俸、年俸、ぐへへ金だぁ……と余人には決して見せられない
しかしクラスの訓練された面子はいつもの莉愛の妄想癖か、とそのイメージ土砂崩れを気にも止めない。
訓練され過ぎた精鋭達の現在の感心事項は『転校聖女』にしかない。
顔を付き合わせれば3日に1回くらいは破顔爆笑みたいな表情をする夢小説主義者は眼中に入っていないのだ。
(あれ!?? もしかして『転校聖女』って私のこと!??)
一方、自身の取り返しのつかないミスに気づいてしまった救いようのない愚か者がここに1名。
(待て待て待て待て待とうか! なんで引きこもり陰キャプロフェッショナルの私が聖女に!? 私、なんかしちゃいましたか!?)
最近の流行りを十全に取り入れたライトノベルのような呻き声を出す。
しかしその悲鳴は決して口から漏れることはない。
ここまで行くと、コミュ能力がないというよりは口周りの筋肉が死滅しているとしか思えないが、当人は未だに自分はやれば出来る子だと思っている。なら速くやれよ。
「モロフル様の綺麗な緑の瞳が、更に透き通って……!」
それ、諦めてハイライトが消えただけだぞ。
(ああもうダメだ。さっきまで優しい人しかいないと思ってたけど、やっぱり現実はそんなことなかった……!)
一方、肝心のロクはと言うと、完全に世界から希望を失っていた。
人間不信になって人と会話出来なくなりそう、などと考えているがお前はいつ会話が出来ていた?
人間不信が世界不信に大幅アップデートされそうなロクを無視して、彼女の外面だけを見た観客達は、ドラッグでもキメたかのような盛り上がりである。
はやく取り締まられないかな、このクラス。
その華奢な体と、触れれば折れてしまいそうな儚さを秘めたロクにクラスの盛り上がりは最高潮を迎えた。
現在時刻朝の8時半過ぎだとは、とても思えない熱狂が教室を抱擁する。
そんな空前絶後の盛況を見せたホームルームの時間に、他全員のネガティブを全て吸い取ったような思考をした人がいた。
「…………」
完全に言葉を失ったロクである。
いや言われてみれば元々失っていたようなものだが、SANチェックに失敗し発声すら不可能になったロクが虚空を見つめる。
(このまま地下アイドルとしていいように仕立て上げられて、一生飼い殺し金銭供給源としてクラスの慰みものにされるんだ……)
それは流石に考え過ぎじゃないですか??
(──これじゃあ私が十八禁ゲームじゃないか!!)
それは絶対に違う。