どれだけの時間が経ったのだろうか。
歌って、歌って、歌って。
ウタウタの実の力を使い続けている反動による疲労で、意識はいつ途切れてもおかしくなかった。
「…………もう、つめ、なかったんだった」
意識を強引に覚醒させようと剥がした爪は、随分と前に全てなくなっていたことすら、覚えていなかった。
近くに転がっていたナイフで太ももを刺した気もするが、足にも感覚はほとんどなく、なにをどうしたかもわからない。
加えて、自傷によって溢れた血のせいで、ウタの顔は青ざめ、いつの間にか噛み切っていた唇からはもう血さえ出てこない。
「……あれ、いまって、うたってなかったんだっけ」
今も夢の世界ではアーロンたちや村人たちを止めるために歌での強化による拘束を行っていた。
ウタワールドの意識で歌っている自分と、現実世界でウタワールドからの脱出を防ぐために歌い続けている自分の境界が分からなくなる。
歪んでいく。
自分の輪郭が曖昧になっていく。
ふと、一瞬だけ。
「…………わたし、ねてた?」
眠ったという意識はない。
しかし、目の前に立っているアーロンが現実世界のそれであるのならば、きっと自分は寝てしまっていたのだろう。
「恐るべき能力だ。お前が甘っちょろい人間じゃなければ、俺たちは殺されていた」
ウタウタの実で眠らせてる間に、アーロンたちを殺してしまうことも、眠った人間を操って同志撃ちをさせることも、ウタにはできた。
だが、そんなことはしなかった。
「みんな……わらえる、じだいを……」
ルフィと目指すと決めた、新時代。
こんな苦しみと支配で窮屈な世界ではなく、誰もが笑って、楽しくご飯を食べれるような、そんな世界を。
「お前は危険だ。生かして海軍に引き渡して、懸賞金以上の金をもらおうと思っていたが、やめだ」
アーロンの手には、鮫肌を繋ぎ合わせたようなギザギザの大剣が握られていた。
キリバチ。アーロンが本気のときにしか取り出さない、恐怖で支配するためではなく、殺すためだけに使う凶器。
「夢に
アーロンはもう、ウタを舐めてはいなかった。
下等な人間でありながら、魚人を殺す力を持つ存在。
情けも容赦もなく、キリバチを振り上げ、下ろす。
その瞬間、ウタが小さく笑う。
聞こえたのだ。
自分の名を呼ぶ、彼の声が。
「ウタァァァァアア〜〜〜ッ!!!!!!!」
弾丸のように飛んできたルフィが、アーロンの顔面に向かって突っ込んできた。
大砲ですら噛み砕く力を持つアーロンだが、あまりの勢いに体ごと吹き飛ぶ。
「な、なんだ!?」
慌てて起き上がったアーロンが目にしたのは、小柄ながらも圧倒的な迫力で自分を睨みつける少年。
よく見れば、彼は全身傷だらけだった。
身体中に槍を刺したような穴が空いており、右の拳には棘の山を殴りつけたような無数の傷ができている。
しかし、そんな傷など、気にすらしていなかった。
静かにその場にしゃがんだ少年は、ウタの体をそっと抱き抱える。
「わりい、ウタ。遅くなった」
「……だい、じょうぶ。きてくれるって、しんじてたから」
「ああ。お前のためなら、どこだっていくよ」
ウタの体を優しくその場に寝かせたルフィは、首を鳴らして目の前に立つアーロンを睨みつける。
「なんだ、お前」
「ルフィ。海賊王になる男だ」
「お前が、この”歌姫”が待ってた仲間ってやつか。随分と貧弱そうだな」
アーロンの挑発を聞き流して、ルフィは周囲を見つめる。
眠っていた村人たちはゆっくりと体を起こして現実の世界に戻ってきたことに気づく。だが、彼らにもう戦う気はなかった。
風車を帽子につけた傷だらけの男は、皆をアーロンパークの外へ誘導する。
「退け。私たちのために戦ってくれた勇敢な歌姫の意志を、踏みにじるわけにはいかん」
何時間にも渡るウタワールドの中で、彼らはアーロンたちに抵抗するウタを見続けてきた。
これ以上誰も傷つかないように。もう誰も失わないように。
命を懸けて村人たちを守ろうとしたウタの気持ちに、村人は突き動かされた。
「おい、そこの少女が待っていた少年よ!」
ルフィが振り向くと、風車の男は声を張る。
「勝てるんだろうな、アーロンに!」
「ああ、勝てる」
「随分と威勢の良いガキだな……」
アーロンだけでなく、他の魚人たちも体を起こす。
間髪入れず、魚人たちはルフィへと襲いかかるが、
「「雑魚はすっこんでろ!!」」
魚人たちに襲いかかったのは、斬撃と蹴り(あとは気持ちばかりのパチンコ玉)。
瞬く間に、何人もいたアーロンの手下たちが倒れていく。
遅れてやってきたのは、緑髪の剣士と金髪のスーツ男。
「おせえぞ。ゾロ、サンジ」
「おめえが速いんだっての。船からすっ飛んでいきやがって」
「おい、クソ剣士。そんなことはどうでもいいだろ」
タバコを吹かしたサンジは、魚人たちを睨みつけて、
「女を泣かせるやつらには、蹴って分からせるしかねえ」
「おれは切る」
それだけ言って、二人はアーロンの幹部たちと戦い始める。
そして、横で戦闘が始まる中、睨み合う二人の船長。
先に口を開いたのは、ルフィだった。
「おれの仲間を、泣かすなよ」
「ふざけたこと抜かすんじゃねえ! ナミはうちの航海士だ!」
「無理やりやらせた旅にも、冒険にも、なんの価値もねえ!」
ルフィは拳を構えた。
「だからお前をぶっ飛ばして、ナミを自由にする」
「奇遇だな。おれもお前をぶっ殺してナミを連れ戻そうと思ってたところだ」
間髪入れずに、ルフィのパンチが放たれる。
ルフィの攻撃が全てアーロンに命中し、その体は吹き飛ばされる。
しかし、
「なにかしたか……?」
一切のダメージを感じさせないアーロンに、ルフィは真顔で言い切る。
「ん。準備運動」
ここからようやく、両者の戦闘が始まった。
アーロンの力は絶大だった。特に、凶暴で鋭利な歯とそれで噛み付いたものを容易く砕く顎の力。
ルフィが避けた場所にあった石製の柱が、最も容易く壊れていく。
「おれはお前たちとは違う。魚人はお前たちよりもよっぽど上等な種族なんだ」
「変わらねえよ、おれもお前も」
ルフィは傷口から赤い血が滲む拳で、アーロンの顔をより強く殴りつけた。
さらに力が増したルフィの拳は、アーロンの歯を砕き、口元から血を流させる。
それは、ルフィと同じ赤色だった。
「ほらな。同じ血の色じゃねえか」
「この……クソゴム……ッ!!」
ルフィとアーロンの戦いは、さらにヒートアップしていく。
彼らの周りではゾロとサンジ、それにウソップも加わり、幹部たちを相手にしていた。
そして、その戦いの最中。
「ごめん、ウタ」
「…………ナミ?」
ぽたぽたと、ウタの顔に涙がこぼれる。
自傷でボロボロになったウタを見ることに、ナミの心が耐えられなかった。
「わたし、あなたにこんなに酷いこと……」
「わるいのはアーロンじゃん。ナミがあやまることなんてないよ」
「……本当に、ごめ――」
ウタは震える指先で、ナミの言葉を止めた。
声を枯らして、ここまで追い込まれてもなお、ウタは優しく笑う。
「やくそく。ちがうでしょ」
「……でも」
「だいじょうぶ。みてて」
ウタは視線を横へ向けた。
そこには、アーロンとの戦いを続けるルフィ。
「……ルフィ」
かすれて消え入りそうな、小さな声。
しかしそれでも、ルフィはすぐに振り向いた。
「どうした、ウタ!」
アーロンを相手にしながら、ウタを見るルフィ。
ウタはゆっくりと、アーロンパークの最上階を指さした。
「あそこ。あそこに、ナミを閉じ込める檻があるの」
測量室。
ナミがアーロンの一味として支配されてから、海図を描くために閉じ込められてきた牢屋にも似た場所。
世界中の海図を描くのが夢だと言っていた。
ただそれは、こんな場所で強引に書かされて叶うものでは必ずない。
だから。
「ぶっ壊しちゃえ」
ルフィは不敵な笑みを浮かべた。
「ああ! このふざけた建物ごと、こいつをぶっ飛ばしてやる!」
「お前の方がよっぽどふざけた考えをしてやがるだろうが!」
アーロンのこめかみの血管が異常なほど膨れ上がり、目の瞳孔が細く締まった。
素早い動きでルフィの横を通り過ぎたアーロンは、プールへと飛び込み。
弾丸のような速度で飛び出してきた。
「
「うぐぁああ!」
アーロンの鋭い鼻が、ルフィの肩に突き刺さる。
しかし、ルフィは逃げずにその鼻を握りしめ、血を流しながらも強引にねじ折った。
「ギャアアアア!」
「おれとウタが目指す新時代に、こんな窮屈な檻はいらねえ!」
ルフィは鼻が折れた痛みでその場に転がるアーロンを掴み、アーロンパークへと投げつけた。
そして、大きく息を吸って。
「ナミ、見とけよッ!」
ルフィは建物ごと、アーロンを殴り始めた。
「ゴムゴムの
無数のパンチがアーロンへと襲い掛かる。
何度も何度も、体の傷から血が噴き出そうとも。
ルフィのパンチは、止まらない。
そして、一階が崩れた。
「おれはよく分かんねえけど、あんな場所にお前はいたくねえんだろ!」
続けて、二階まで壊れる。
「そんな居場所なんて、おれたちが壊してやる! だから、お前は自由だ!」
そのまま、三階、四階が壊れ、
「……ねえ、ナミ」
ウタが言う。
ナミがずっと言うことのできずに胸に秘めていた言葉。
アーロンのような道具としてではなく、真っすぐに対等に言ってほしかった言葉。
「仲間になってよ。私たちと一緒に、冒険しよう」
「…………うんっ!」
そして。
「おおああああああああああッッッ!」
ナミが書いてきた海図が散っていく。
長年使ってきた机が飛んでいく。
彼女を支配してきた象徴が、崩れていく。
「……はァ、はァ…………!」
ガラガラ、と。
そびえ立っていたアーロンパークは、跡形もなく崩れ落ち。
「おれの勝ちだ! アーロンッ!」
勝負は決した。
気を失ったアーロンの体がだらりと横たわる瓦礫の上で、ルフィは勝利のおたけびを上げた。
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