ウタは確信していた。
「危ねえって、ウタ!」
ウソップの声に、ウタは振り返ることすらしない。
ただまっすぐ、クジラの瞳を見つめて、
「苦しいよね、誰かを待つって」
どれだけの時間を、このクジラが待っているのかなんて見当がつかない。
どんな人たちを待っているのかだって、予想すらできない。
でも、この悲しみだけは、痛いほど理解できる。
あの日、シャンクスがエレジアで抱きしめてくれなかったら。
あの日、ルフィが迎えに来てくれなかったら。
きっと自分は歪み、夢すらも見失ってしまったのだと思うから。
——ブォォオオオオオ!!!
ウタの声に対し、クジラは
と、その泣き声の中に、ウタは先ほどとは別の感情を感じ取った。
「どうしたの!? 痛いの!?」
突然に慌て出したウタは、ナミの肩を掴む。
「ナミ! クジラに向かって進んで!」
「何言ってんの!? 食われろってこと!?」
「本当はそれがいいんだけど、どうなるか分からないし……そうだ!」
ウタの視線は、ウソップへと向く。
「ウソップ、何か見えない!? きっと何かあるはずなの! じゃなきゃ、助けてなんて言わない!」
「意味が分からねえが、とりあえず見てやる!」
ウソップは意識を集中させ、クジラの体を見つめる。少しずつ、その体が透けているような感覚になり、薄らと人間の影が見えた。
「見えた! 敵意を持つ人間の影が一つ! ……いや、二つか? 何にせよ、一人は確実に誰かを殺すつもりだ!」
「やっぱり、クジラの中に誰かがいるんだ!」
とは言っても、口から入るのは危険だ。どうにかして、クジラの中に入る方法を探さなければ。
「おーい! このクジラ、背中に入り口ついてるぞー!」
「いつの間に登ったんだルフィ!?」
クジラの上で手を振るルフィに、ウタは引き上げてもらい、ルフィとウタがクジラの中に潜入することにした。
「みんなは岬で待ってて!」
「分かったよ! 死ぬんじゃないわよ!」
「はーい!」
元気よく返事をしたウタは、ルフィと一緒にクジラの背中についた入り口を開いて中へと入っていく。
そこは生物の体内とは思えないほどに整備されており、足場は鉄ででき、下水道のように胃液や体液がその横を流れている。
不思議そうに体内を眺めながら二人が歩いていると、急に足場がひっくり返った。クジラが体勢を変えたのだろう。横だったはずの道が縦になって、ルフィとウタは落ちていく。
「「うわぁあああ〜〜!?!?!?」」
団子のようになって通路を転がり落ちたルフィとウタは、そのままずっと先にあった扉を壊して大きな空間に飛び出した。
目が周りながらも、ウタは視界に悪意を持つ二人を見つける。
「ルフィ! あの二人!」
「よっしゃ! とりあえず殴る!」
ドガン! とルフィが殴った後に、その二人がバズーカを持っていたことに気づく。
そして、そのバズーカが狙っていた先にいたのは、傷だらけの老人。
「大丈夫ですか!?」
ウタが駆け寄ると、老人は朦朧とした意識を首を振って取り戻し、こちらを見る。
「すまない、助かった……」
「えっと、応急処置しないと……! えっと、えっと……ルフィ、分かる!?」
「ん? これくらいなら寝りゃ治るぞ?」
「よし! おじいさん、寝てください!」
「……気持ちだけ受け取っておく。安心しろ、私は医者だ……」
小さく呟いて、老人は応急処置を始めた。
その間に、ウタはルフィが殴り飛ばした二人の男女を拘束する。
「ねえ、あなたたち誰?」
「言うことは何もねえな!」
「そうよ! このミス・ウエンズデーの口の固さは天下一品よ!」
「へー! ミス・ウエンズデーって言うんだ! よろしくね!」
「さっそく名乗ってんじゃねえか!」
「ご、ごめんなさい、Mr.9!」
「おれの名前まで言ってどうする!?!?」
なんだこいつら、というツッコミは置いておいて、ウタが拘束を終えたところで、老人も応急処置を終わらせていた。
「礼を言う。名も知らぬ海賊よ」
「いいよ、いいよ! このクジラさんが苦しんでたんだし!」
「…………お前、ラブーンを知ってるのか?」
「ううん。さっき初めて見たけど、なんとなく分かるの。この子、泣いてたから」
「驚いた。まさか、そんな人間に
「えへへ! 耳はちょっぴり良いんだ! ところでさ、おじいさん!」
ウタはにっこりと笑いながら、包帯を身体に巻いた老人にこう言った。
「このクジラさんから出る方法とかわからないから、助けてください!」
「はっはっは。良いだろう、ついてこい」
クジラの中に住んでいる不思議な老人、クロッカスに案内されて、ルフィとウタはクジラの外へ向かって歩き出した。
岬に着いて、一味と合流したルフィとウタは、クロッカスからこのクジラについての話を聞く。
ウタの推測通り、このラブーンという名前のアイランドクジラは、かつてこの双子岬で再会を誓った海賊の仲間がいたらしい。
群れから外れ、一人ぼっちだったラブーンと笑い、泣き、ともに冒険をした大切な仲間を、ずっと待ち続けている。
「……もう、五〇年も前になる」
その誓いの重みに、一味は思わずラブーンを見上げた。
今もなお
「強い子なんだね、ラブーンは」
「ああ、強いさ。だが、それももう限界に近い。毎日、山に頭をぶつけては傷つくだけの日々」
「…………」
聞けば、ラブーンの仲間の海賊は
逃げ出し、ラブーンとの約束を守れなかったのだと、クロッカスは言う。
「あの約束が偽物だとは思わない。あいつらは心の底から世界を一周すると夢を見ていた。だが、そんな夢が無情に泡と消えるのがこの海だ」
「夢、破れた海賊」
ラブーンだけは未だ、夢を見ているのだ。ふと気づいたら、壁の向こうから仲間たちがやってくるのではないのかと。
だから、ウタたちが来たときにラブーンは泣いていたのだ。
自分たちが待ち望んだ海賊ではなかったから。
「……そんなの、あんまりだよ」
ポツリとウタは呟き、ラブーンを見上げる。
ラブーンの鳴き声を何度か聞いて、さまざまな感情が流れ込んできた。
それをゆっくりと思い出すウタは、その中に記憶に似た何かを感じ取った。
ぼんやりとした何かではあるが、それでもそれが何かは分かる。
「ねえ、ラブーン」
ウタは一言、こう言った。
「どれだけ時間が経っても、歌はそれを超えて私たちにも届いてくれるんだよ」
「…………ブオ?」
ラブーンがわずかに首を傾げた直後。
ウタは、ゆっくりと歌い始めた。
——ビンクスの酒を、届けに行くよ
「…………!!」
たったワンフレーズで、ラブーンの脳内に思い出が駆け巡る。
——海風 気まかせ 波まかせ
ウタはたった一人で歌いながら、手拍子を始める。それに続いて、一味の皆も手拍子をする。
すると、ルフィの目の前にシンバルがポンッ! と飛び出してきた。
「うお!? なんだこれ!」
「もしかして、もうウタワールドにいるの、私たち」
ウタはこくんと頷いて、ルフィのシンバルを指差す。
——潮の向こうで 夕日も騒ぐ 空にゃ、輪をかく鳥の唄
最初の始まりは、ウタのアカペラの
そして、ゆったりとしたテンポに合わせてルフィがシンバルを鳴らす。
そうして、
——さよなら港 つむぎの里よ ドンと一丁唄お船出の唄
サンジの前にはトランペットが、ゾロの前にはドラムが、ウソップの前にはチェロが、ナミの前にはバイオリンが。
空想のままに現れた楽器たちが、麦わらの一味の手に現れる。
最初に手を動かしたのはナミ。
「お前、演奏できるのか!?」
「この世界なら、ウタがそう思えばできるのよ」
——金波銀波も しぶきにかえて おれ達ゃいくぞ 海の限り
ナミが加わり、
——ビンクスの酒を 届けにいくよ
半信半疑で、ウソップがチェロを弾く。
想像以上に美しい音が鳴ったのか、驚いたような顔をしてから、すぐに演奏を再開する。
——我ら海賊 海割ってく 波を枕に 寝ぐらは船よ
ウソップが加わり、
——帆に旗に 蹴立てるはドクロ
遅れて、ゾロとサンジが演奏に加わる。
そのまま、なんとMr.9とミス・ウエンズデーの前にも楽器が現れた。
「なにこれ! 私たちに演奏しろっての!?」
「おれたちを馬鹿にしてるのか!?」
「敵とか味方とか、なんでもいいよ! みんなで歌おう!」
ウタの言葉に、ラブーンはぴくりと反応した。
この歌も、その言葉も、忘れたくても忘れられないあの頃とそっくりで。
「私の夢は、歌で世界中のみんなを笑顔にすること! 泣く子も笑わせる、世界の歌姫になること!」
ウタの声が、ラブーンの深いどこかへと響く。
遠い遠い、思い出の中。
決して色褪せることのない、大切な記憶。
『泣く子も笑うルンバー海賊団の旗揚げだァ!』
「……ブオ…………!」
ラブーンの目に、涙が浮かんでいるからだろうか。
懐かしい仲間の影が、ウタと重なって見えた。
——嵐が来たぞ 千里の空に 波がおどるよ ドラムならせ
ガシャーン! とルフィが楽しそうにシンバルを鳴らす。
気がつけば、クロッカスも笑顔で手拍子をしていて。
「さあ、あとはあなただけだよ、ラブーン!」
ウタはラブーンへ手を伸ばす。
その手を、ラブーンはじっと見つめる。
「一緒に歌おうよ! 仲間がいるんでしょ! 私は夢を諦めない! もしかしたら、死んでも死にきれない仲間が生き返ってでも来てくれるかもしれない!」
それはきっと無責任な言葉かもしれない。
ウタだって、五〇年も帰ってこない海賊が、あと少しで帰ってくるなんて都合が良すぎると思う。
だから、ウタは口にする。
「それでも不安なら、私が約束する! 私たちはこの
高々に、ウタはそう宣言した。
相手を待たせるという意味を、誰よりも知っているウタが、言い切ったのだ。
「あなたの夢を、私に預けてちょうだい!」
——おくびょう風に 吹かれりゃ最後 明日の朝日が ないじゃなし
「だから一緒に歌おう、ラブーン! 私もあなたも同じ、海賊の仲間なんだから!」
「————!!!!」
ボロボロと涙を流しながら。
最後はみんなで肩を組んで歌う。
いつかこの場所で歌い踊った海賊達のように、どこまでも陽気に笑って。
何百年の時を越えてきた、海賊の歌を。
——ヨホホホ ヨホホホ〜♪
——ブォオオ ブォォオ〜♪
この日。
双子岬に、二つ目の約束が結ばれた。