本心を言えば。
あの言葉は自分のために言ってくれた誇張の表現なのだろうなと、どこかで思っていた。
ᚷᚨᚺ ᛉᚨᚾ ᛏᚨᚲ ᚷᚨᚺ ᛉᚨᚾ ᛏᚨᛏ ᛏᚨᛏ ᛒᚱᚨᚲ
鼓膜を超えて、心臓を強引に掴むような魔性の艶麗さを孕む歌声。
その歌声を奏でる歌姫に絡みつく漆黒の瘴気。
そして、歌姫の背後に現れた、禍々しい衣装に実を包んだ上半身だけの道化の巨人。
腕は鍵盤でできており、得体の知れない体液が上半身の切れ目から滴り、それが不思議にも音符の形になって地面へと落ちていく。
音楽が、その身体を作り上げていた。
ᛗᛁᛖ ᚾᛖᚷ ᛟᚾ ᚷᛁᛖᚲ ᚷᛁᛖᚲ
歌姫の内側で眠っていたそれを見て、チョッパーは理解をした。
あれが、ウタが自身を
なるほど、これは確かに。
「…………化け物」
ポツリと呟いてから、ハッと我に返る。
化け物の下で頭を押さえ、苦しみながら歌うウタが見えたのだ。
咄嗟に、チョッパーはウタの元へ走ろうとするが、
ᚾᚨᚺ ᛈᚺᚨᛋ ᛏᛖᛉᛉᛖ ᛚᚨᚺ
ほんの少し化け物が腕を振っただけで、チョッパーの身体が吹き飛ばされた。ウタがきっかけで出てきたとはいえ、敵や味方の区別がついていないのだ。
「せめて、ルフィとビビだけでも……ッ!」
チョッパーは懐からランブルボールを取り出し、身体の形を自在に変形させて化け物の攻撃を掻い潜りながら、ルフィとビビを抱えて走る。
対して、クロコダイルは取り乱すことはなかった。
七武海として生きてきた海賊の経験値の賜物ではあるが、それでもその光景に息を呑んでいた。
「……ニコ・ロビン。あれは、なんだ」
「私が研究してきた歴史にも、あんな外見の化け物はいなかった」
「ならば、あれは……」
「
「おいおい、冗談言うなよ、ニコ・ロビン」
化け物が振った腕が、今度はクロコダイルへと襲いかかる。
……はずなのだが。
「————ッッ!?!?」
その腕は、確かにクロコダイルの身体を捉えて吹き飛ばした。
すぐに身体を砂にして吹き飛ぶ衝撃を消したクロコダイルは、こめかみから血を流しながら立ち上がる。
「……こいつ、覇気をまとってやがるのか……ッ!」
しかし、それでも。
クロコダイルは、声を上げる。
「ニコ・ロビン! こいつは古代兵器なんかじゃねえだろ!」
「私は“ヴィーナス”に関わる何かだと思っているわ」
「いや、違うな……!」
クロコダイルは化け物へと向かい合い、叫ぶ。
「こいつが古代兵器だとしたら、おれが追い求めてきたプルトンも
化け物の攻撃を受けて、クロコダイルは確信じみた何かを感じた。
今の一撃よりも
「おれが求めたのは島一つを消し飛ばすほどの軍事力だ! この程度なら、“新世界”にいくらでもいるぞ!」
「…………もし、この姿が秘められた力のほんの一部だとしたら?」
「力の制御もできない。敵味方の区別もつかない。そんなもの、兵器とは呼ばねえ。ただの災害だ。おれが求める軍事力には、そんな不確定要素はいらねえ」
クロコダイルは、周到に積み上げた計画の上で目的を達成しようとする男だ。
こんな不安定で暴力的な怪物など、クロコダイルの興味をそそらない。
「引くぞ。どうせ、じきに麦わらも死んで、あいつらもあれに巻き込まれて死んでいく」
「では、あれどうするの? 暴れ回ってるけど」
「反乱軍の工作員に『国王が隠して飼っていた化け物によって戦場の混乱を図った』と連絡をしろ」
「王女は?」
「勝手に死んでいくだろう。このタイミングなら、反乱軍の間に入った場合の対策もある」
「……それならば。仰せのままに」
クロコダイルは化け物から離れ、ニコ・ロビンとともにその場から去っていく。
あの化け物はどうやら、歌姫の周囲から動くことはないようで、クロコダイルを追ってくることはない。
歌姫本人が頭を抱えて身動きが取れていないところを見ると、余計に兵器としての運用などできるとは思えない。
「歌姫?
それだけ吐き捨てて、クロコダイルは首都アルバーナヘと戻っていった。
ᚷᚨᚺ ᛉᚨᚾ ᛏᚨᚲ ᚷᚨᚺ ᛉᚨᚾ ᛏᚨᛏ ᛏᚨᛏ ᛒᚱᚨᚲ
「
チョッパーは二つ目のランブルボールを食べ、厚い毛皮でルフィとビビを覆うことでどうにか攻撃を耐え忍んでいた。
しかし、それも長くは続かない。
(二個目だから、変形も上手くできない……! 攻撃の直前に
チョッパーのヒトヒトの実の力を強化するための錠剤、ランブルボールには副作用がある。
時間を空けずに三個目のランブルボールを食べてしまえば、この場に二体目の化け物が現れることになる。
(ダメだ! そうなったら、どうやってルフィやビビの怪我を治すんだ! おれは医者だ!)
必死にウタが呼び出した化け物の攻撃を回避し続けるチョッパーだが、ついにそれにも限界が来る。
コロン、と身体の小さくなったチョッパーが砂漠に転がり、ルフィとビビが投げ出される。
「ご、ごめん、二人とも! 大丈夫か!」
ルフィからの返事はない。
ビビもクロコダイルへの抵抗をしたからか、致命傷はなくとも、全身に切り傷があった。
二人とも、この化け物に対抗する余力などあるはずがない。仲間として、医者として、逃げる以外の選択肢がない。
しかし。
「ウタ…………!」
見捨てられない仲間が、目の前で苦しんでいるのだ。
化け物である自分を笑わずに仲間だと言ってくれたウタが、自分と同じ苦しみを味わっている。
勝ち目がないはずなのに、チョッパーは逃げるという決断ができずにいた。
そんな中。
「——逃げて」
ウタの声だった。
涙を流して、苦しみながら。
溢れ出る力に蹂躙されながら。
自分を置いて行けと、そう言った。
「…………嫌だよ、ウタ」
返したのは、ビビだった。
骨が軋むほど拳を握りしめて、血が滲むほど唇を噛み締めて。
ビビは、言う。
「一緒に生きるって、約束したじゃない……!」
次はさらに、大きな声で。
「絶対に見捨てないからっ! 諦めの悪さなら、あなたたちに教わったんだから!」
ビビは走る。
あの化け物を対処することは不可能だとしても、ウタを気絶させるなどの方法なら、いくらでもあるはずなのだ。
どんなに絶体絶命な状況だったとしても、諦めずに進めばどこかで光が差すはずなのだ。
そんな仲間たちを、見てきたのだ。
「私はまだ、あなたと冒険がしたいの……!」
ないはずの希望を胸に、ビビは走る。
しかし、魔王の攻撃は容赦なくビビを襲う。
「——がっ……っ!」
ビビの華奢な体が吹き飛び、砂漠を転がる。
大柄に見えて、隙がない。自分が進もうとした場所に、的確に攻撃がやってくる。
血が溢れる。
体が重い。
だが、それでも。
「絶対、助ける……!」
ビビは折れない。
懸命に、勝ち目がなくても、ひたすらに進む。
魔王の右腕が上がる。
押し潰されると、本能が理解した。
足が固まる。前に進めない。
そして、ビビの頭上にそれは振り下ろされて——
「——防音壁」
目に見えない音を遮断する壁が、ビビの前に現れた。
直後、バチンッ! という弾ける音が鳴り響き、化け物の腕が弾き返され、透明な壁が砕け散る。
「さすがに、トットムジカ相手だとおれの壁も一回しか持たねえか……!」
だが、その一回で充分だった。
彼はビビの身体を抱き抱え、すぐにその場から離れる。
「ありがとう、おれの弟たちのために命を懸けてくれて」
「……あなたは」
ごつごつとしたゴーグルのついた黒いハットに、背中に『正義』を刻んだ白い軍服。
彼の姿は一度見たことがある。
つい数時間前にレインベースであった、ルフィとウタの兄弟、サボ。
「どうして、ここに」
「世界政府の王女を救出するのなら、海軍の仕事だからな」
化け物の攻撃が届かない位置までビビを運んだサボは、優しく地面に降ろして化け物と向き合う。
そして、傷だらけで倒れるルフィを見て、サボは状況を理解した。
「……さて、そこのトナカイくん」
「お、おれか!?」
「ああ。ルフィの応急処置はできるかい?」
「おう! 医者だからな!」
「じゃあ頼む。大切な弟なんだ。死なせないでやってくれ」
「…………でも、あれはどうすれば」
「おれが止める」
サボは即答した。
あの凶悪な魔王を前にして、臆することなく真っ直ぐに向き合う。
「まったく。世話が焼ける妹だな」
サボは笑っていた。
まるで、駄々をこねる妹を仕方がないとなだめる兄のような、そんな微笑み。
「やろうか、トットムジカ」
皮の手袋で覆われた指を鳴らし、サボはトットムジカへと向かっていく。
凶悪な腕がサボへと向かうが、
「防音壁!」
壁は砕け散るが、それでもトットムジカの攻撃を相殺している。
サボは砕けていく防音壁を見て笑っていた。
(まさか、この能力を防御として使うことになるとはな)
防音壁は本来、内側にいる事物の音を遮断し、無音の空間を作り出す能力。
本来ならば、攻撃を防ぐという能力は一切ない。
しかし、トットムジカが相手に限り、この能力は別の意味を持つ。
——その身体は、音楽でできている。
凪こそが、トットムジカの天敵だった。
音を拒絶する壁は、トットムジカそのものを拒絶するのだ。
「——
凄まじい速度で繰り出せれたパンチが、振り下ろされたトットムジカの右腕を弾き返す。
触れた瞬間に互いの腕が弾かれるが、決定打には至らない。
「やっぱり、ウタ本人に触れないと意味がないみたいだな」
サボの能力は、触れた人間から発生する音を全て消すという力だ。
つまり、ウタに触れることさえできれば、ウタから発生してる音楽であるトットムジカも消えるはず。
その可能性に賭けて、サボは戦いを続けるが、
「さすがに戦闘向きじゃない悪魔の実だと、火力が劣るな……!」
サボの打撃も、一般人が受けたら一撃で致命傷に至るような凄まじいものだが、相手がトットムジカとなるとそう上手くはいかない。
足踏みをするしかないサボが、わずかな苛立ちと隙を見せた、その瞬間。
「——しまっ」
その動きを予知していたかのように、トットムジカの攻撃が襲いかかる。
防音壁も、防御も間に合わない。
だが、
「
聞き覚えのある、精悍な声が聞こえた。
そして。
「——火拳ッッ!!!!!」
あと少しで当たるはずだった攻撃を、猛烈な勢いの炎が飲み込み、焼き尽くした。
空気まで熱されて肌がひりつき、すぐにサボは後ろへと下がる。
そして、炎の発生源へと視線をやると、
「久しぶりだな、サボ!」
「エースじゃないか! 来ていたんだな!」
「ちょっと野暮用があってな。アルバーナにいるって聞いたから来てみたらこれだ」
「いいのか、用事は」
「サボだけに任せられる状況でもないだろ?」
「ああ。良い年になった妹のヤンチャを止めるのは少々骨が折れる」
「ぷはははっ! いいじゃねえか!
「当然だ」
エースとサボは肩を並べ、トットムジカを睨みつける。
「いつぶりだ、一緒に戦うのなんて」
「さあな。忘れたよ」
「ちゃんと強くなってるんだろうな?」
「安心してくれ。夢を追おうと決意できる程度には、力をつけたつもりだ」
「なら。任せるぞ、背中」
「おう。お前こそ頼んだぞ、兄弟!」
二人は笑って、拳を構える。
海軍本部中佐、サボ。
白ひげ海賊団、エース。
二人の兄が泣き叫ぶ妹へ向かい、走り出す。
「待ってろ、ウタ! 今度こそ、お前を助けられる力をつけてきた!」
「心配かけやがって! 兄貴たちがゲンコツしてやるから、ちょっと待ってろよ!」
長い時を経て、偶然にも重なった道筋の上で、エースとサボはトットムジカへの戦いを始めた。