雲の上で止まった麦わらの一味は、ずぶ濡れだった。それは当然、巨大な水滴の塊に真正面から突っ込んだからだが、それ以上の気怠さを覚えていたウタは、この雲が『海』であると素直に思った。
「見ろよ、おれたち、雲の上にいるぞ!」
見渡す限り、真っ白の雲。
ルフィは雲の上なら乗れると普通に思っているようだが、それが普通ではないことを知っているその他のメンバーはこの異質な光景に言葉を失っていた。
特にウソップなんて、白目をむいて息すらせずに横たわって……
「チョッパー! ウソップが息してないよ!?」
「本当だァ! 医者ァ〜〜!!」
「「おめぇだろうが!!」」
ゾロとサンジに引っ叩かれて、チョッパーは小さなヒヅメで胸をドンドンと圧迫する。
「なんとかしろ、人工呼吸を……そうだ! 大丈夫かい、ビビちゃん、ナミさん、ロビンちゃん! 辛いならおれが人工呼吸を」
「い、いらないわよ!? 私、元気だもの! 少し身体が重いけれど!」
「クエーーっ!」
バタバタと騒ぐ一味たちをスルーして、ナミは周りを見渡す。
「つまり。ここが、空の海ってわけね」
ナミは
「でも、
「どうやら、ここはまだ積帝雲の中層みたいね」
「まだ上へ? どうやっていくのかしら」
女性陣が悩んでいる中、男どもは呑気に手すりに座っていた。
どこから取り出したのか、ルフィたちは雲に向かって釣り針を垂らしていた。
「なんか釣れねーかなー。はらへったー」
「釣れるわけねえだろ、アホか」
「お、かかったぞ!」
釣り上げた竿の先には、タコとイカをごちゃ混ぜにしたような巨大な生物がくっついていた。
「なんじゃこりゃ〜〜!!!!」
海王類にも引けを取らないその大タコへ向かっていち早く動いたのは、ゾロだった。
「そうビビるほどのもんでもねえだろ」
剣を抜き、一閃。
風船が割れたような軽い破裂音とともに、大タコの足が弾ける。
空の上で独自に発達した生態系なのだろうが、通常ではありえない現象の連続に一味たちは息を吐く暇もない。
さらに。
「お、おい! 大変だ! 変な四角い牛がこっちにくる!」
「——! ウソップ、見える!?」
「ああ、人だ! 雲の上を走ってる!」
どういう原理だか知らないが、雲の海の上を滑って、誰かがこちらへと向かってきている。
ウタは即座に、その人物が向けている感情を聞き取り、身構えた。
「みんな! あいつには、敵意がある! 構えて!」
「上等だ」
「ナミさん、ロビンちゃん、ビビちゃん! おれの後ろに!」
「何だ何だ?」
身構えた一味たちの前に飛び出してきたのは、仮面をつけた誰か。草でできた腰巻きと、奇抜な模様をした仮面と盾。
民族的な印象がまずあって、
「排除する……」
明らかな攻撃性が、一味へと向けられた。
「ぐはッ!」
「ぶへッ!?」
流れるように、ルフィたちが殴り飛ばされた。
いつもならば簡単に受けないはずの攻撃を簡単に受けた理由を、同じように構えていたウタは感じ取った。
(身体が重い……! 空の上だから……!?)
今の動きで戦うのは、無謀だ。
歌で眠らせるのも、いつどれだけの敵が出てくるか分からない現状では愚策。
ならば。
「冒険の邪魔、しないでよね!」
——バチッ!
黒い稲妻が弾け、仮面の者を鋭く狙う。
身体が動けなくとも、精神力と思考自体はいつもと変わらない。
だが、それでも相手の動きを止める程度までしかできない。
上手く力を練れていないのか、もしくは。
(こんな雲の上で戦っていいレベルの相手じゃない……! せめて陸なら、メリー号も気にせずに戦えるのに……!)
自由に暴れてもいいならまだいいが、ここは雲の上で、メリー号に乗っているのだ。
落ちたら一貫の終わりであるし、メリー号が壊されてもどうしようもない。
マシラとショウジョウに補強してもらった部分も、
「——そこまでだァ!」
ウタの思考を遮ったのは、低く重い声。
空から鳥に乗って飛んできた老人騎士が、仮面の敵へ槍を向けた。
仮面の敵を雲の海へ弾き落とした老人騎士は、メリー号に着地して口を開く。
「我輩は、空の騎士!」
「…………!」
仮面の敵は、空の騎士と名乗る老人を睨みつけると、分が悪いと察したのか、素早く逃げていった。
「……去ったか」
ポツリと呟いた空の騎士へ、チョッパーとビビがペコリと頭を下げた。
「助けてくれてありがとう」
「ありがとうございます。私も、身体が動かなかったから」
「ウム。よい、やむを得ん」
「あいつは一体何者……? ってかそれより! どうしちゃったのよ、あんたたち! たった一人相手にあんなに手こずるなんて!」
「不甲斐ねえ……」
「身体が上手く動かねえ……」
ぐったりとするルフィたちを見て、ロビンは言う。
「きっと、空気が薄いせいね」
「……なるほど、言われてみれば……」
納得するナミを見て、空の騎士が問いかける。
「おぬしら、青海人か?」
「なにそれ?」
「青海人とは、雲下に住む者たちの総称だ」
この空島の海は、真っ白な雲だ。青い水で満たされた海から登ってきたのかと問いかける空の騎士へ、ルフィは頷く。
麦わらの一味が空島の知識を持たずにやってきた海賊だと判断した空の騎士は、丁寧に説明をしてくれた。
ここは青海より7000メートル上空の白海。
その上には白々海と呼ばれる上層があり、そこは10000メートルにも及ぶらしい。
通常の青海人では身体が持たないのは当たり前のことだと、空の騎士は言うが、
「おっし、慣れてきた!」
「そうだな。さっきよりも楽になった」
「うん。これならある程度は動けそうだね!」
「イヤイヤイヤイヤ。ありえんて」
空の騎士、ドン引き。
アホのような海賊たちを前に、こほんと咳払いをして空の騎士は続ける。
「それでもベストコンディションではあるまい。ここは危険の多い海だ。先ほどのようなゲリラに、巨大な空魚。空の戦いを知らぬ者では、命がいくらあっても足りん」
そこで、と空の騎士は持っていた槍をピンと立てた。
「1ホイッスル500万エクストルで、助けてやろう」
「…………???」
「何言ってんだ、おっさん」
「おぬしらまさか……」
空の騎士はいくつかの質問を投げかけた。聞き覚えのない知名と通貨。
あまりに無知な麦わらの一味を見て、空の騎士は目を丸くした。
「なんと……! あのバケモノ海流に乗って来たのか……!!」
「普通のルートじゃないんだ……やっぱり……」
ポロポロと涙を流すナミの肩に、ウタがポンと手を置く。
「まあまあ、着いたからいいじゃん、ナミ」
「そうだよ。それでいいじゃん」
「死ぬ思いだったじゃない! じっくり情報を集めてれば……!」
ブンブンとルフィの頭を掴んで振るウタの肩に、今度はビビが手を置いた。
「そんな冒険こそ、海賊らしいじゃない! ロマンよ、ナミ!」
「冒険バカしかいないんだった……」
よろけたナミは、フラフラとロビンの胸に顔を埋める。
「私の気持ちを分かってくれるのは、もうロビンお姉様だけよ……」
「フフフ。ごめんなさいね、航海士さん。私もスリリングで少し楽しかったの」
「……きゅぅ」
ついには倒れてしまったナミを見て、空の騎士は笑いだす。
「ホッホッホ。確かに危険な賭けじゃが、おぬしらの場合はこれが正解だったかとしれんぞ」
「並の青海人では、ここに来るまでに一人も失わないというのは難しい。全員がここにいるという事実と、おぬしらの度量と実力は本物なのであろうよ」
楽しそうに笑う空の騎士は、懐から取り出した笛をルフィたちへ投げた。
「本来は料金が発生するが、今回はプレゼントしよう。その笛を吹いたとき、我輩は天よりおぬしらを助けに参上する。その笛で、いつでも我輩を呼ぶがよい」
言って、立ち去ろうとする空の騎士の背中に、ナミが声をかける。
「待って! 名前がまだ……!」
その言葉に振り返った空の騎士。そして、その隣にいる変な柄の鳥は、
「我が名は空の騎士、ガン・フォール! そして、相棒のピエール!」
「ピエ〜〜〜〜〜!!!」
そんな鳴き声とともに、ピエールの姿に変化が訪れる。
「言い忘れていたが、我が相棒のピエールは、鳥にしてウマウマの実の能力者! つまり、翼を持った馬になる!」
「うそ、素敵……! まさか……!?」
「そう、ペガサス!」
……凄まじく微妙だった。
ピエールの変な柄がペガサスなんていう神秘の生き物とは似ても似つかず、本当に変な柄の鳥に馬の特徴が追加されただけという、なんとも微妙な姿。
だが、そんなピエールに乗ったガン・フォールは、勇ましく去っていく。
「勇者達に幸福あれ!」
遠ざかっていくその姿を見つめながら、ロビンがポツリと呟く。
「……結局、何も教えてくれなかったわ」
「ホントだ……」
「どうやって行くんだ?」
「じゃあ、空の騎士に教えてもらおうよ! ルフィ、笛は?」
「おう。あるぞ! じゃあ早速——」
「待ちなさい、バカ! 緊急事態のときのための笛でもらったんでしょ!? こんなタイミングで使おうとしないで!」
「ぶべっ!」
思い切り引っ叩かれたルフィを尻目に、一味は白い海を見渡す。
「あ、あっち! 見てくれ、みんな!」
手すりに捕まって周囲を見渡していたチョッパーが、遠くを指差した。
ロビンが確認したのは、はるか上まで伸びている細長い雲。
「滝のようにも見えるわね」
「とりあえず、行ってみよう!」
早速、一応の指針を決めた一味だが、
「でかい雲、どうする……?」
進路には、メリー号の何百倍もの体積の雲がどっしりと構えている。
単なる雲ならば真っ直ぐ進めばいいだけだが、ここは雲の海の上。その上で漂う雲が、皆の常識に当てはまるとは思えない。
「触ったら分かるだろ」
手っ取り早く、腕の伸ばしてパンチを飛ばしたルフィだが、その拳はぽよ〜んと弾かれた。
この雲は、フワフワのプニプニだった。
ウタとルフィは目を合わせて、雲へと飛び乗った。
「すごーい! 沈まないよ!」
「ふかふかする! 綿みてえだ!」
それに続いて、チョッパーとウソップとビビ&カルーが飛び出した。
「スゲ〜〜〜!!」
「高級ベッドか、これは!」
「あははは! 見て、カルー! あなたも飛べてるわよ!」
「クエ〜〜〜!」
トランポリンのように遊ぶ中で、ウタの髪の毛がピクンと跳ねた。
「そうだ! ねえ、ビビ! ちょっと悪魔の実の力、出してもらっていい?」
「……? ええ。別に構わないけど……」
ネコネコの力で滑らかな水色の体毛をまとったビビに、ウタは抱きついて雲へと倒れる。
「わわっ!? どうしたの!」
「雲もビビのふわふわサンドイッチ……さいこ〜」
「そんなことのために私の力で遊ばないで!? 一応、アラバスタの国宝なのよ、この力!」
「あはははっ! いいじゃーん! 今はビビの力なんだし!」
ワーギャーと騒ぐウタたちを眺めながら、ナミは眉間にシワを寄せていた。
「これだと、盛り上がった雲のある場所で船は通れないのね。どうしようかしら」
「オイ、ルフィ! こっちに何かあるぜ!」
「遊びすぎよアンタたちっ!」
真剣に考えているところで水を刺されたナミが怒鳴り声を上げるが、さらにその上からビビの声が響く。
「ナミ! あの滝みたいな場所の下に、門があるのよ!」
ちょうどネコネコの力を使っていたビビが、空中に浮かんで先の景色を確認していた。
一応の目的地を設定した一味は、船に戻って先にある門まで向かう。
「Heavens gate……?」
辿り着いた先の門に書かれた文字を見て、ウタは首を傾げた。
「やっぱり、あの雲は滝だったのね。でも、天国の門って……?」
「案外、おれたちはもう死んでるのかもな」
「なるほどな。それならおかしな世界にも納得が行く」
「おれたち、死んだのか!?」
「天国かぁ〜! 楽しみだなぁ!」
「遊ぶものとか、たくさんあるのかな!」
やたら呑気にワイワイと話しながら門の中へと船を進める一味たちは、門の端の小さなドアが開くのに気づいた。
そこから出てきたのは、白い翼が生えたちっちゃいおばあちゃんだった。
「観光かい? それとも、戦争かい?」
カメラを持ったおばあちゃんは、カシャカシャと一味の写真を撮って、
「どっちでも構わない。上層に行くなら入国料を一人十億エクストルおいていきなさい。それが法律」
その言葉を受けて一味たちはそれぞれの言葉を口にする。
「十億エクストルって何ベリーなんだ……?」
「天使ってあんなんだったのか……! 梅干しみてえだ……!」
「ビビとカルーみたいな綺麗な翼! 素敵!」
「観光か戦争の二択……! これが、海賊……!」
「あの、もしお金がない場合はどうすれば……?」
こちらをじっと見つめたおばあちゃんは、言う。
「通っていいよ」
「いいのかよッ!」
「それに……通らなくてもいいよ」
どこか不気味な口調で、おばあちゃんは続ける。
「あたしは門番でも衛兵でもない。あんたたちの意志を聞くだけさ」
「じゃあ、おれたちは空島に行くぞ! 金はねェけど、通るぞばあさん!」
「そうかい。九人とペット一匹でいいんだね……?」
「クエっ!?」
カルーだけペット判定されているようだが、ルフィは気にせず頷いていた。
「うん。でもよ、どうやって上まで登ったら……」
「白海名物、特急エビ……」
おばあちゃんがそう言った途端、雲の海の中から巨大な甲殻のハサミが飛び出し、メリー号を掴んだ。
ぐわんと船体が揺れる。
どうやら、本当に巨大なエビが下から船を抱えているようだ。
「うわ! 動き出した! 滝を登る気か!?」
先が見えぬほどに上へ伸びる滝の雲を、エビに抱えられたメリー号は登っていく。
川のように帯状になった雲を運河にして、船は凄まじい速度で先へと進んでいく。
「何か書いてあるぞ!」
「ウソップ、読める!?」
「神の国、スカイピア……っ!!!」
「もしかして……!」
「あの先は出口じゃなくて、入り口……!!」
一点に空いた穴以外は雲に覆われた上方から、強い光が差す。
そして、飛び出したルフィたちは、遂にそれを目にする。
「島だ……!!」
見慣れない外観をした建物たちと、それを囲むヤシの木のような森林。
人の痕跡ではなく、明らかな文化の存在。
そこに足を踏み入れることは、まさしく上陸と言えるだろう。
つまり——
「空島に、着いたァ〜〜〜!!!!!」
苦難や試練を超えて。
麦わらの一味は、ついに。
白々海、神の国スカイピアへ、上陸をした。