慌てて、ウタはルフィの元へ駆け寄った。
良くも悪くもルフィは誰に対しても対等なのだ。
故に、たとえ相手がただの犬だとしても。
「何すんだ、このっ!」
「ワン! ワン!」
「そんな小さなワンちゃんと喧嘩なんてするんじゃないっ!」
「痛え!!」
流れるような手つきで麦わら帽子を持ち上げてルフィに渾身の拳骨を叩き込んだウタは、頭を抑えて転がるルフィを睨みつける。
と、ウタが注意をする前に、どこからともなくやってきた見知らぬ初老の男性が怒鳴り声を上げた。
「こら! 小童ども! シュシュをいじめるんじゃねェ!」
「誰だ、お前?」
「ワシはこの町の長、プードルじゃ!」
堂々と名乗りを上げたプードルは、銅の鎧を身につけていた。
戦士が暮らす町のようにも見えないし、プードルの体も戦に慣れているようには見えない。
どうやらシュシュというのは、この白い犬の名前らしい。
ルフィはシュシュを睨みつけて、
「腹減ったからこいつのメシをちょっともらったら、急に噛みついてきやがったんだよ!」
「それはルフィが悪い!」
「あんたが悪いわね」
「はい…………」
普通に反省していた。
だが、喧嘩の経緯を聞いたプードルは、ルフィが悪人ではないと感じ取ったのか、大袈裟に笑った。
「はっはっは! シュシュが怒るのも無理はないさ。ここは、一〇年前にワシの親友のじじいとシュシュが一緒に開いたペットフード屋なんだ」
シュシュの飼い主は、自分がいない間はお前が店主だと言われていたらしい。
だから、お店の商品を勝手に食い始めたルフィと喧嘩をしていたのだろう。
シュシュは自分の店を守ろうとしていただけだったのだ。
プードルは、傷ついたシュシュの体を見つめる。
「これを見ろ。きっと同じように海賊と戦って、この店を守っていたのだ」
「だけど! いくら大切でも海賊相手なんて可哀想だわ! 店の人はみんなと避難してるんでしょ?」
ナミが強めの口調で言うと、プードルは力なく笑いながらその場に座ってタバコを吸い始めた。
「いや、奴はもう、病気で死んじまったよ」
三ヶ月前、病院に行ったきり。
それからシュシュの飼い主は文字通りの帰らぬ人となり、シュシュがこの店を守っている。
「もしかして、ずっとこの子は飼い主を待ってるの?」
ウタが寂しげに問いかける。
誰かを待つという苦しさは知っていた。
シャンクスたちが戦いに行く際も、船で待つ時間はとても長く、寂しいものだった。
もし、もしだ。
もし、あの日、
どれだけ自分は歪んでしまっていたのだろうかと、寒気がする。
だが、プードルの返事は想定とは違った。
「みんなはそう言うがね、ワシは違うと思う」
この店を懸命に守れる強い心と賢さを持った犬だ。飼い主が死んだことくらい、とうの昔に気付いてるのだと、プードルは言う。
「きっとこの店は、シュシュにとっての宝なんじゃ。大好きな主人の形見だから、それを守り続けているのだとワシは思う」
ふうう、とタバコの煙をプードルは大袈裟に吐き出した。
「困ったもんだよ。ワシがいくら避難させようとしても、一歩たりともここから動こうとせんのじゃ。こうして餓死をしないように様子を観にくることしかできん」
ナミがシュシュを見て優しく笑う中、そっとウタがルフィに声をかけた。
「ねえ、ルフィ。ちょっと時間もらっていい?」
「おう、構わねえ」
ゾロには悪いが、やらなければならないことができた。
コホン、とウタは喉を鳴らして大きく息をする。
「————♪」
ルフィ以外は、あまりに美しいその歌声に目を丸くしていた。
ウタに対して嫌悪感を丸出しにしていたナミでさえ、その声に惹きつけられる。
同じく町長のプードルも、番犬シュシュも、その歌声に魅了されていた。
そして、少しして。
「おーい! 待たせたなー!」
プードルは目を疑った。
死んだはずのシュシュの飼い主が。
戻らぬはずのペットフード屋の店主が、帰ってきたのだ。
「どうだ、シュシュ! 店は繁盛してるか!」
「…………ワ、ワン!!」
シュシュも当然戸惑っていたが、すぐに元気よく返事をした。
「はっはっは! どうだ、プードル! どうせお前が売れないからって買ってくれてんだろう!」
「……う、嘘じゃ……」
「俺の自慢のシュシュの面倒を見てくれてありがとな、プードル!」
プードルは困惑したような顔のまま、その場に立ち尽くしている。
対して、シュシュは走り出して飼い主の元へ飛び出した。
「ワン! ワン!」
「はっはっは! 元気そうでよかったぞ、シュシュ!」
「ワン! ワン!」
「ちゃんと商品は食ってないか?」
「ワンワン!!」
「そうかそうか! それは最高だな、シュシュ!」
「ワンワン!」
楽しそうに会話をするシュシュたち。
それを、ウタは穏やかな目で見つめる。
「どういうことなの、これ」
呆然とするナミに、ウタは流石に説明をする。
「私はね、ウタウタの実を食べたウタ人間なんだ」
「もしかしてそれって、悪魔の実を……?」
「うん。私の歌を聴いた人は、ウタワールドに取り込まれる」
ウタが作り上げる架空の世界では、すべてがウタの想像通りに作り替えられていく。
現実世界では眠っているようにか見えないが、その中ではどんな奇跡でも起こすことができる。
「じゃあ、シュシュの飼い主は……」
「うん。ちゃんと、死んでるよ。死んだみんな、骨しか残らないから」
これはウタが作り出した幻想に過ぎない。
覚めてしまえば消える夢でしかない。
それでも。
「せめて、夢の世界だけでも。みんなには笑ってほしいんだ。私の歌で、世界中の人々を笑顔にするために」
「そんな目的があって、なんで海賊を……」
「新時代を作らない限り、私の夢は叶わない。そのためには変えなきゃいけないんだ」
ウタは遠くを見て、はっきりとこう言った。
「この大海賊時代を、変えなきゃいけないんだ」
呆気に取られて、ナミは言葉を失っていた。
ゴールド・ロジャーによって始まり、今は当たり前になった大海賊時代。
それを変えると、大真面目に言っているのだ。
「……ワン!」
ナミがウタの言葉に戸惑っていると、シュシュが目の前に立っていた。
シュシュはウタのことを一心に見つめて、
「ワン!」
「……そっか。でも、それでいいの?」
「ワン!」
シュシュは分かっているのだ。
賢くて強い犬だから。
自分の主人が死んでいることも、もう帰ってこないことも。
この世界が、現実でないことも。
「この世界は、幸せな世界のはずだよ」
「ワン!」
「うん。それでも、シュシュは約束を守りたいんだね」
当たり前のようにシュシュと会話するウタは、腰を下ろし、シュシュの頭を撫でる。
「君は強いね。やっぱり、待ってるわけじゃなかったんだ」
シュシュは飼い主の帰りを待っているのではない。
自らの飼い主を、その思い出を、その宝を。
誇りそのものを守っていたのだ。
「ワン……!」
シュシュは小さく吠えて、飼い主の幻想に立つ。
涙を流しながらシュシュは鳴いた。
最後の別れを、告げるために。
「ワンワン!! ワンワン!!」
「……おう。じゃあな。俺の自慢の、大切な相棒」
そうして、シュシュの飼い主の姿が少しずつ薄くなっていく。
境界を認識することなく、ウタの仮想世界が終わっていく。
ナミやプードルは、いつの間にか自分が寝ていたことに気づき始めた。
たった一人、ルフィだけはずっと寝続けているが。
「海賊って、勝手に人の大切なものを奪うやつらじゃないの……?」
夢から覚めたナミが、小さく呟いた。
「うーん、どうだろうね。否定はしないよ」
ウタ自身だって、シャンクスが奪った宝箱の中にいて拾われたのだと聞いた。
海賊は奪うものではあれど、与えるようなものではない。
それは、間違いのない事実だ。
だが。
「ワンワン!」
シュシュがペットフードの袋をくわえて、ウタの元に持ってきていた。
凛とした姿勢で、シュシュはウタを見つめる。
「……くれるの?」
「ワン!」
遠慮なく、ウタは袋を開けてペットフードをつまんで、口に放り込む。
ポリポリと音を立てて、ウタはゆっくりとほれを飲み込んだ。
「うーん、美味しくはないかなぁ」
「ワンワンワン!!!」
「わわ! ごめんって!」
シュシュに攻撃する気はないようで、すぐに威嚇をやめてウタの手を舐める。
ウタはすっかり心を許してくれたシュシュを眺めながら、
「海賊はさ、誰よりも夢を見てるんだよ。誰でも笑っちゃうような、そんな馬鹿げた夢を」
ウタウタの実の力では、夢を見せることしかできない。
それでは足りないのだ。
新時代には、辿り着けない。
ウタはもう一つ粒、シュシュのペットフードをもらってナミへと渡す。
「奪うだけじゃないんだよ、海賊って」
「……はは」
小さく笑ったナミは、ウタから受け取ったペットフードを頬張る。
「うげー。不味い」
「ワンワン!!」
「わっ! ごめん、シュシュ!」
「あははは! ナミってば、怒られてるー!」
「あんただってついさっき怒られたばっかりでしょうが!」
ウタとナミはお互いを指さして笑い合う。
それを見て、プードルも笑い出し、シュシュも楽しげに吠える。
これ以上ないほど穏やかな空気で満ち始めた、その時。
ドゴォオン!
少し離れたところで、砂煙が上がった。
「あそこは、バギーがいる酒場の方か……!?」
「誰かがバギーとやり合ってるっていうの?」
ナミが困惑するのも無理はない。
バギーと対等に戦えるであろうルフィは、隣で寝ているのだ。
ほかに、バギーと戦えるであろう人間など……
「あ」
ここにきて、ようやく思い出す。
戦闘能力が高く、喧嘩を売られたら簡単に買ってしまいそうな血の気の多い男。
「ゾロのこと、忘れた!!!!」
ウタはルフィのことをはたき起こして、ナミと一緒にバギーの元へ向かうのだった。