隻翼のドラゴンライダー   作:高田正人

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第47話:聖杯記念

 

◆◆◆◆

 

 聖杯記念当日。その日は朝からひどい雨だった。嵐と言ってもいい。何しろここフェルギュスに竜嵐が接近しているのだ。

 

「悪天候のレースはエミリアにはかなり有利だが……ものには限度があるぞ」

「確かにひどい雨ね。レースを行うには少々危険な状態だわ」

 

 設営された屋外の観覧席から退散した俺たちドラゴンライディングの関係者は、近くの建物のホールに移動していた。俺は壁際で窓から外を眺める。隣で長い赤い髪をタオルでぬぐうのは、エミリアの学校でのドラゴンライディングの教官のヘレンだ。

 

「英雄を勝たせるために延期するかもな。もっとも……この満員の観衆が納得すれば、だが」

 

 俺の視線の先には、傘をさしてレースの開始を今や遅しと待ち受ける、会場を埋め尽くした満員の観衆がいる。一応客席の上部には、レースの際に落下したライダーを受け止めるのと同じ風圧のドームが設けられているのだが、激しい雨はそれを貫通して吹き込んでくる。双眼鏡を目に当てると、明らかに赤の他人らしい数人が、一つの傘に仲良く収まって待っているのも見える。とにかく、聖杯記念が始まるまではてこでも動く気がないらしい。

 

「英雄のアーサー君と隻翼のエミリアちゃん。レースを制して聖杯を手にするのはどちらか。当代最強のライダーはどちらか。皆は知りたくてたまらないようね」

「あなたはどうだ? どちらが勝つと思う? ヘレン教官」

 

 ウイスキーの入った小瓶を取り出して、冷えた体を温めるために口に含むヘレンを見つつ、俺は尋ねる。彼女は先ほどまで会場周辺のフェザーの点検で空にいたのだ。ウイスキーの匂いが鼻腔をくすぐるが、幸い俺は飲みたいという衝動に駆られることはなかった。もうほとんど、俺の中からアルコールに対する欲求は失われたらしい。

 ヘレンが俺の疑問に答える前に、ドアが開くとどやどやとユニフォーム姿のライダーたちが広間に入ってきた。全員今回の聖杯記念に出場するライダーたちだ。

 

「ああ……もう、すごい豪雨ね。ジャック」

 

 窓際の俺に真っ先に近づいてきたのは、凛々しいユニフォーム姿のエミリアだった。鎧こそ身にまとっていないが、まるで騎馬にまたがる騎士のようなスタイルだ。

 

「エミリア、どうした?」

「待機よ。このままじゃ嵐になるわ」

 

 エミリアはそう言いつつ、俺の隣にいたヘレンに丁寧に一礼する。ヘレンは嬉しそうに笑って手を振る。

 

「国中が注目する聖杯記念も、さすがに今回は延期かな」

 

 俺がそうつぶやいた時だ。こちらに歩み寄ってくる長身が目に留まった。

 

「ジャックさん。来てくださって嬉しいです」

「アーサー……君か」

「はい、お久しぶりです」

 

 聖杯記念出場という、国内でもえりすぐりのライダーが集うこの場所にあって、なおひときわ目立つライダー。最強の名をほしいままにする英雄。すなわちアーサー・フィッツジェラルドが俺に握手を求めてきた。俺は断る理由もなく、義手で握手に応じた。作り物の手から、彼の手の感触が伝わる。

 

「相変わらず、非の打ち所がないな、君は」

「そう望まれていますから。ライダーの間は僕はそうふるまいます」

 

 アーサーはそう言って白い歯を見せて笑う。そのまま新聞に載せたいくらいのよくできた笑顔だ。まったく、俺たちのような凡人が抱く憧れも嫉妬も、この少年の前にはかすんでしまう。彼の乗るル・ファンタスクはその二つをはるか後方に置いて飛び去ってしまうだろう。

 俺たちが雑談に興じていると、こちらに一人のでっぷり太った老年の紳士が俺たちの方に近づいてきた。

 

「おお! アーサー君。すまないね、こんなことになって」

 

 礼服の上着のボタンが弾け飛ぶんじゃないかと心配するほどの太鼓腹だ。おまけに顔が正真正銘の球形のため、まるで歩く雪だるまのようだ。

 

「ああ、ヘンリーさん。大丈夫ですよ。僕たちのコンディションよりも観客の安全を第一にしてください」

 

 ヘンリー・スタンレー。プランタジネット有数の大実業家。その財力で聖杯記念の運営に食い込む政財界の大物だ。運輸業で財を成し、その資産は一国に匹敵するとも言われている。唸るほど金を得た彼が次に目を付けたのは、名誉ということか。ライダーの育成とドラゴンライディングへの出資。どちらも、彼にとっては名誉と栄光を得る貴重な手段だろう。

 

「君とエミリア君がこの聖杯記念に出場してくれて本当に嬉しいよ。始まる前から国中が二人に注目している。私も今日は最新の飛行船一隻用意していてね。各界のゲストを乗せて今こちらに向かっている。それに値するレースだよ、これは」

 

 眼鏡のつるをいじりながら得意げに言うヘンリーに、アーサーはかすかに眉を寄せた。

 

「大丈夫ですか? 竜嵐が接近しているんですよ?」

「うむ、君の心配ももっともだ。だが、安心したまえ。私の飛行船アルバトロス号は公国で開発された最新の熱水機関を搭載し、竜嵐を回避して安全な飛行ができるようになっている。しかし今回は、さすがにUターンの可能性も視野に入れなければ……」

 

 ヘンリーが太鼓腹を圧縮するように腕組みをする。本当に、見ていてはらはらする。隣をちらりと見ると、エミリアも心配そうな顔をしていた。彼女も、礼服のボタンが弾け飛ばないか気が気じゃないんだろう。俺が何か言って、ヘンリーの気をそらそうとしたその時だった。

 

「会長! スタンレー会長! こちらでしたか!」

 

 ホールに一人の男性が血相を変えて駆け込んできた。見たところ、聖杯記念の運営に携わっている事務員だろう。

 

「どうした?」

「緊急入電です! アルバトロス号が竜嵐に遭遇して救助を要請しています!」

 

◆◆◆◆

 

 

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