隻翼のドラゴンライダー   作:高田正人

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第55話:空を望む2

 

◆◆◆◆

 

 ――ありがとう、リチャード・ウィルキンソン

 

 私は一度も会ったことのない、彼の親友に思いをはせた。あなたのおかげで、私の大事なコーチはこんなにも解き放たれた顔をしている。生きたあなたに会いたかったけれども、もしそれが可能だったら、逆に私はジャックに会えなかっただろう。

 私たちは、複雑に織り成されたタペストリーの糸のようにして、人生という絵を描いている。

 

「よかったわね」

 

 万感の思いは、ただ私の口を経てありきたりな言葉にしかならなかった。けれども、それでジャックは充分だったみたいだ。

 

「君がここまで導いてくれたおかげだ。ありがとう」

 

 付きまとい続けていた痛みからも、後悔からも、罪責からも解放されたジャックの顔は、彼本来の穏やかで少しだけ照れ屋のように見えた。

 

「それにしても――綺麗な空だ。これが君の求めていた本当の空か?」

「ええ。ばい煙で汚れていない、私の探していた空よ。まさか、今少しだけ見られるなんて」

 

 私は空を眺める。この晴れ渡った空をエンタープライズと共に舞い上がっていけたならば、どんなにか気持ちがいいだろうか。

 

「アルバトロス号を助け出した君の手柄に対する褒賞かもな」

「それって、もしかしてグレイゴーストが……」

 

 私がそう言いかけた時だった。

 

「いや、私だよ」

 

 竜炎を通じて、誰かであって誰でもない声が聞こえた。私は驚きと共に振り返った。

 晴天でどこにも隠れるような場所がないにもかかわらず、忽然とそこにファントムがいた。彼の乗る竜は既にイラストリアスに戻っている。

 

「ファントム……」

「お気に召したかね、エミリア・スターリング」

 

 そう言うとファントムは、気障な調子でシルクハットを取って私に深々とお辞儀する。

 

「ええ。ここまであなたが導いてくれたの?」

「勇敢かつ献身的なライダーに対する、私からのプレゼントだ。どうか、受け取ってもらいたい」

 

 ファントム。空の亡霊。竜と共に空を駆けたすべてのライダーの残影。神秘が服を着て歩いているような存在でありながら、ずいぶんとはた迷惑な人だった。おまけに変に大仰で回りくどいし、性格も嫌みったらしい。口を開けばついつい文句が出てきそうだけど、一応お礼を言うしかない。

 

「ありがとう。私にはもったいないくらいのプレゼントよ」

 

 私がそう言うと、ファントムはシルクハットをかぶりなおし、安心したように仮面の下で息をつく。

 

「君の憧れとしての役割を果たし、ようやく私は舞台を降りることができる。ただのグレイゴーストに、名もなき数多のライダーの残滓に戻るとしよう」

「あら、あなたの仮面舞踏会はもう閉幕なのかしら? ファントムとしてのあなた、フライトを楽しんでいるみたいよ?」

 

 私は思わずそう言っていた。さっさと亡霊が本物の亡霊に戻るのを見送ればいいのに、なぜか私は彼を引き留めていた。案の定、ファントムは不快そうな声を上げる。

 

「知ったようなことを言う。私はファントム、顔のない亡霊。虚空を永遠にさ迷う独り舞台は実に滑稽で空しい。君はなぜ、私の舞台に降りるはずの緞帳を止めるのかね?」

 

 私はファントムのことを何も知らない。彼がどれだけ長い間、空をさまよっていたのか。その際に何を思っていたのか。確かに私は知ったようなことを言っている。その自覚はある。だから……私はずるいことに悪知恵を働かせるしかなかった。

 

「イラストリアス、あなたはどうなの?」

 

 私は自分が正答を言うのではなく、矛先を変えた。私の問いを受け、骸骨のようなシルエットの竜、イラストリアスはか細い笛のような声で鳴いた。エンタープライズが息をもらし、インディペンデンスがまた喉を鳴らした。

 

「あなたの竜は、まだあなたと一緒に飛びたいみたいね」

 

 もちろん私は竜の言葉は分からない。ただのあてずっぽうだけど、私はライダーだ。竜がその鳴き声で何を言わんとしているのか分からないほど、アマチュアではないつもりだった。

 

「……やれやれ」

 

 しばらくファントムは仮面の下の双眸で自分の竜を眺めてから、それはそれは大げさに肩をすくめた。なんとなく嬉しそうなのは、私の目の錯覚だろうか。

 

「やはり私は大根役者だ。引退宣言さえ受理されないとは。つくづく私は拍手喝采とは無縁のようだ。なんと最後の最後で自分の乗る竜にさえ手の平を返されるとは、まさに滑稽なる喜劇にして悲劇ではないか」

「これはカーテンコールよ。役者を自称するなら、最後まで納得のいく芝居をしなさい」

 

 私は彼の長広舌には付き合わず、そう告げる。そして、一番聞きたかったことを私は尋ねた。

 

「ねえファントム。いいえ、グレイゴースト」

 

 ファントムの目がこちらを見る。死者の目だ。誰でもない誰かが仮面の下からこちらを見ている感覚は、爽快で明るい青空の下であっても、鳥肌がかすかに立つ不快感だった。

 

「あなたは舞台に縛られていると言った。でも私にはそうは見えない。あなたは今――自由なの?」

 

 自由。その短い言葉に私はずっと突き動かされ、ここまで飛んできた。でもその始まりは、夜空を自由に飛ぶグレイゴーストの姿だった。空の舞台に縛り付けられているファントム。いったい、何が真実なのか。そんなものがないと知っていながら、なおも私は自分を納得させたくて人外の亡霊に問う。

 

「私は――」

 

 ファントムの声の質が変わったのが、はっきりと分かった。それまでの男女の区別さえつかないような声から、はっきりと女性の声へと。ううん。それは――――

 

「君が自由である限り、私もまた自由だ」

 

 ファントムは白い仮面を取った。その下の顔は――私だった。エミリア・スターリングの無表情の顔が、私自身を見ていた。ファントムはすべてのライダーの記憶と魂の集合体。ならばファントムは私でもあるのだ。私が自由ならば、ファントムも――グレイゴーストも自由なんだ。そのことをはっきりと、私は自分の胸に刻む。これからも自由でいるために、自由を失わないために。

 

「憧れのグレイゴーストを自由にできたのなら、私は光栄よ」

 

 私は手綱を握った。

 私は自由に――空に焦がれている。

 

◆◆◆◆ 

 

「ようファントム。とんだ跳ね返りのお嬢さんだろう、エミリアは」

 

 太陽を目指すかのように上昇していくエミリアとエンタープライズを見送りながら、俺はファントムの乗るイラストリアスに自分のインディペンデンスを近づける。

 

「まったくだよ。ああ、いったいいつになったら、私は名もなき亡霊として在ることができるのだろうか?」

 

 仮面をつけて顔のない亡霊に戻ったファントムは、男女の区別のつかない声で嘆く。どこまでこいつが本気なのかは分からない。本気で消えたかったのか、それとも引き留めてもらいたかったのか。いずれにせよ、こいつはエミリアの言葉でまだファントムとして在ることを選んだ。選んだのはこいつの責任だ。

 

「さあな。プロペラ機が本格的に空を飛ぶようになったら、引退じゃないのか?」

 

 この先まだまだ、グレイゴーストはライダーたちの間で語り継がれるだろう。だが、永遠じゃないはずだ。プロペラ機はどんどん発達している。いつかは俺たち竜に乗るライダーに代わって、熱水エンジンを備えた飛行機が空を席巻するだろう。案外その日は近いかもしれない。

 先のことは誰にも分からない。だから、今俺は空を飛ぶだけだ。翼で語る。それは、ライダーにとって生きることと同義だ。

 

「名誉も、目標も、大願も、危険も、警告も、何一つあの子を縛ることはできない。今この瞬間、世界で最も自由なのはきっと――」

 

 上空で大きくターンし、こちらに向かって手を振るエミリアに、俺は右手を振り返した。ああ、見えるとも。竜と共に空に在る君の姿が。だから、俺は君の名を口にするんだ。世界で一番自由な、君の名前を。

 

「――エミリア・スターリングだ」

 

◆◆◆◆

 

 

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