西暦2012年――二月の下旬。春の訪れが近づいているとはいえ、雪は降るし、寒さも弱りを見せていないこの時期。彼――藤和成彦(とうわなるひこ)はイライラしながらも大学の廊下を歩いていた。
金色に染まった髪の毛、両耳についた光るピアス。粗暴の悪そうなチャラチャラした服の着こなしに、横を通り過ぎる生徒たちは、怯えた表情で彼に道を譲っていく。
「今日は香住ちゃんたちと朝まで遊ぶ約束だったってのに、なんで俺がこんな所にいやがるってんだ。クソッ!」
複数の女性と関係を持ち、浮気癖のある成彦は、何とも身勝手な物言い草をする。大学生となり、自由の時間が増えたとしても、未だ学生の身。学生は勉強が性分。特に大学時代は、これから社会進出するための最も大事な時期。自分の人生を決めるかもしれない。社会の扉の前に立った学生のゴール地点。
ここで頑張らなければ、他人と大きく差を付けられてしまうというのに、成彦にはそんなこと割とどうでもいいことのようだ。ただ、今が楽しければ何でもいい。学生として、自由に楽しめるのが今しかないのなら、その時間を有効に使わなくてどうするというのだ。彼は常にそう考えている。
そんな自由博愛主義を追求していたばかりに、彼は自身の単位が危ういことを気にも留めていなかった。次の三年時に昇級するための単位が足りない。一年の時は何となくやって、なんとなくテストを受けるだけで単位を取得してきたが、二年になって突然難しくなった授業やテストに面食らい、まともな成績を出す事が叶わなくなっていた。
成績が芳しくないというのに、成彦は自由博愛を貫き通してきたために何一つ対策を起こさずにいた。留年も悪くない、また学生時代が一年延びるのであれば願ったり叶ったりと思っている時期が彼にもあった。
だがしかし、留年が決定するということは、また同じ一年分の学費を請求されるということ。私立大で一年分の学費と言うと、あまり洒落にならない額が頭を痛める。
自分で出さないから関係ない……と、思えるほど、そこまで成彦は馬鹿ではなかった。
確かに今、自分の学費を出しているのは彼ではない。汗水たらし、下げたくもない頭を上司に下げてくれている親のおかげなのだ。今の親不孝者の代表格的な雰囲気を醸し出している成彦も、親には頭が上がらない。
感謝もしている。愛している。将来は親のために何かしてあげたいとも思っている。チャラチャラして女癖も悪い、どうしようもない屑野郎になったとしても、成彦は家族への愛情は決して捨てず、確かに持ち続けていた。
単位が取れなかったから留年しました。などと口が裂けても言えない。これ以上、親に迷惑はかけられない。
そんな時だった。
彼の家族への愛を感じ取ったのか、ある教員が話を持ちかけてきた。
『あるバイトを引きうけてくれるのであれば、君の留年を白紙に戻してあげよう』
そう言ったのは、成彦の担当教員――佐々木吾朗(ささきごろう)だった。まだ三十代前半と若い大学教師。女子大生たちの間では、どこか青さの残るおじさま的な雰囲気が受けて人気がある。成彦の気に入らない教員の一人だ。
気に入らないとは思いつつも、留年をなくすだけの大それたことをやってくれるとは、今の彼にとっては救い以上のなにものでもない。その手を掴まずして、これからどうせよと言うのだ。
成彦は渋々ではあるも、佐々木のこの救済に手を掲げた。
それが、これからの自分の人生を大きく変える第一歩だとは知らずに。