どうしてもそっちに行ってしまいます
五郎に招かれ、成彦は研究室に中に再び来室する。
入ると五郎は何か探すもがあるようで、部屋の奥の方へ行ってしまった。
手持ち無沙汰となった成彦は、適当に近くにあった椅子に座る。
「あっれ~? どこに置いたっけなぁ……」
奥から五郎の困った声が聞こえる。手伝いで必要となる機材か何かが見つからないのだろうか。一緒に探そうかと提案するが、すぐに見つかるからと言われてしまう。
やることがない成彦。今日は音楽機器を家に充電したまま置いて来てしまったし、大好きなゲームもこの前クリアしてしまったため飽きてしまった。勿論、まだ取っていない装備やサブイベントが残ってはいるのだが、メインストーリーである程度の達成感を感じてしまったため、完璧にこなす情熱を抱くことができなかった。
一度冷めてしまったコーヒーを温めるのに時間がかかるように、どんなに好きな趣味だろうと冷めてしまえば元に戻すには難しい。まあ、飲料水のように物理的な動作を必要とせず、ひょんなことで熱を取り戻すことはできるだろうが、今はそんな気分にはなれない。
それは女癖もまた同じ。女の子と遊ぶのが大好きな成彦。楽しいと思える物。興味を引く話題。嬉しいイベント事。考えて脳の記憶棚から取り出すのは中々骨が折れる。何せ、自分が全く気を引くものじゃなくても調べなくてはいけないからだ。彼女たちが自分といて楽しいとか、頼もしいと考えてもらうには多少は興味がなくともやらなくてはならない時がある。
馬鹿や博識な奴よりも、女の好きな話題を知っている男に興味を抱くもの。成彦はそれを実体験で理解している。
しかしそれでも興味がなければ苦でしかないのは変わらない。
今もこうしてやる気のないことをするために待たされているのも、ただ時間が無残に流れていくようにしか感じられない。決して無意味でないのはわかっている。五郎の頼みを聞くだけで、留年は免れるのだ。こんなおいしい話を無下にしてまで、潔い性質ではない。藤和成彦という男は。
「おお! あったあったっ! これだよ」
子供用に喜ぶ五郎の声。
これでやっと話が進む。成彦は相手にわからないよう、小さく息を吐いた。
部屋の奥から顔を出してきた五郎の髪の所々に埃が付いている。よほどわかりづらい所に置いていたのだろうか。
(大事なものならわかる場所に置いとくだろ普通。それほど大した要件じゃないのか?)
成彦は考えることを心に留め、五郎の持ってきた品に目を向ける。
両手ほどの小箱。年季の入ったそれは赤黒い皺のよった布で包まれており、開け口に鍵穴が付いている。
スマートフォンを入れるならちょうどいい大きさだろうか。彼はそれを成彦の前に置いた。
「まあ箱を見てくれればわかるだろうが、これは随分古い品物でね。今から七十年前に中国のある地方で見つかったんだ」
「七十年前? 通りで古いわけですね」
思ったことをただ単に言葉とする成彦。
指で小箱をこすると、少しざらりと感触がある。触った指を見ると黒い粒子が幾つも付着していた。灰だ。布が黒いのと、ざらりとした感触の正体は、こびりついた黒灰が原因だったようだ。
手に付いた灰に嫌な表情をしながら、五郎の次の言葉を聞く。
「七十年前と言えば、何があったかわかるかい?」
「その時期は確か、戦争中ですかね? 第二次世界大戦」
「そう。これはその第二次世界大戦時の遺産の一つさ。こびりついている灰は戦争時の戦車から撃たれた大砲の爆紛。小箱の所々が傷ついているのは、爆発や地面に転がり続けたときにできたもの。この箱は、あの激戦の中の生存者。つまり、真実を見てきた語り部。いや、この場合は物だから語り物というべきかな」
五郎は小箱を手に取り、どこか慈しんでいる。
「それで? これが何だった言うんですか? この箱の中身が今回、教授が俺に頼みたいことってことになるんですか?」
「ん? うん、そんなところかな?」
さっさと終わらせたい成彦は口早に問うと、彼はハッと顔を上げて答えた。
ただ少し、歯切れの悪い答え方に成彦は眉根を寄せる。
「なんすか? もしかして違うんですか? なんかどこか言い方がぎこちないんですけど」
「いや。決してそんなことはないさ。すまない。ただね、この箱を見ていると童心に帰った気持ちになるんだ」
「童心? 教授って別にそこまで歳行ってるわけじゃないですよね? ましてや、この箱を見て小さいころの気持ちに帰るなんて。あの時代には教授はまだ生まれちゃいないじゃないですか」
おかしなことを言う。成彦は、五郎の言葉の矛盾点を指摘すると、彼はどこか照れたように頬を掻きながら微笑む。
「まあ確かにそうなんだけどね。そんな真顔で返されると、このちょっとボケた感じが上手い具合に拾えなくなるじゃないかい」
「今もボケだったんですか」
五郎は立ち上がり、備え付けられたポットにお湯を入れて温め直す。
これを見た瞬間、成彦は嫌な予感がした。ポットが温め終わるまで時間がかかる。五分以上かかるのは確かだ。
それまでに頼みごとが終わるとは思っていないが、待つ間に少しでも話が進むだけの有益な時間を作ろうと果たして彼はするだろうか。
五郎はふうと息を吐くと、視線を窓の外に向けてしまう。
思った通りか。お湯ができるまで、彼は何もする気はないようだ。
早く終わらせたい成彦にとって、この無の時間を作ることは許せない。腹の底から何かが煮え切りだし、爆発する寸前まで一気に温度が上昇する。
「教授。この箱の中身、見させてもらいますよ!」
一応、五郎に確認を取るが、彼の許可を聞く前に成彦は箱に手をかけた。
その時、成彦の視界が光で覆われていった。
「――!?」
部屋全体を覆う光。
驚いて立ち上がった成彦が、今まで座っていた椅子や机が光に飲み込まれて消えていく。
椅子や机だけじゃない。棚もパソコンも、窓や五郎の姿も消えていく。何もかもを吸い取っていく。それは彼の意識の中にある記憶さえも吸い取って奪い去ろうとしているようにも感じられる。今まで生きて学んできた知識や知恵。大切にしてきた初恋や殴り合って培ってきた友情。
そして、切ることのできない家族との絆。永遠ともいえるそれらを、この光は奪い取ろうとしている。
「――さが――」
光の中。どこからか声が耳に入る。
「――あれ――ひつ――つぎ――」
「なんだ。何言ってるんだ」
声は途切れ途切れに聞こえるため、何を言っているのかわからない。
成彦はちゃんと聞き取ろうと耳を澄ませる。
「さが―せ。あれーは、ひつ―よう。つぎーの――せかい――」
「なんだって?」
必要な物がある。声はそういっている。
「必要な物って何だ?」
「われ――つかっ――もの」
相手が何を言いたいのか、どうして自分に語り掛けてくるのか。まるで意味が分からない成彦。
しかし、それ以上に今のこの状況を素直に受け入れて、存在の確認できない相手と意思疎通を取ろうとしていることに驚かない自分がいる。まるでこの対面が当たり前に訪れるものだと知っていたかのような、不思議な気持ちがこみ上げていた。
「なんなんだ……一体」
成彦は今の状況の異常さに気付きながらも、声主の言葉を聞き取ろうと努力している。
「いそ――はめ――が、ちか――まえ――」
「何?」
片眉を上げ、聞き返す。
「みる――。これ――おまえ――ち――」
声主の言葉に続くように光が成彦の前に大波のごとく襲い掛かる。
彼は声を上げようと口を開くも、勢いの強い光がそれを許してはくれなかった。