◇スーパークリーク◇
穏やかに、されど激しく、三年という月日が流れた。ジュニア、クラシック、シニア。色々なレースに出て、勝った負けたを繰り返して、私とトレーナーさんは絆を重ねた。
春、練習疲れを取るために、トレーナーさんが連れていってくれた花見。散る桜が、持ってきた水筒のコップに乗ったのを見て二人で笑ったこと。
夏、合宿近くのお祭りに遊びに行って眺めた打ち上げ花火。私の走りを見てる時のように楽しそうなあなたに、少し妬いたこと。
秋、ハロウィンに浮かれてしたお揃いの仮装。恥ずかしそうに笑うトレーナーさんに、見惚れたこと。
冬、忙しなく走り回るあなたを甘やかしたくて作ったお鍋。美味しい、美味しいと言って、一緒に食べたこと。
同じようで違うことを何日も、何ヶ月も積上げて、
「……ふぅ」
二度目の大舞台。
年末に行われる夢のレース。G1の中でも、注目度が格別な一戦。それが、有マ記念。──去年は、急ぎ過ぎたせいで失格処分となってしまったけど、今回は違う。調整はキッチリ合わせて、コースの地形、重要になるポイント、全部全部頭に叩き込んだ。
だからきっと、大丈夫。大丈夫……なはずなのに、胸が苦しい。
理由は、わかりきってる。
これが最後だから。このレースに負けたら、私はURAファイナルズに出ることは叶わず、契約の延長も難しくなる。これから、まだまだ走っていくとしても、隣を歩く人がトレーナーさんじゃなくなってしまう。
嫌だ。それだけは嫌なのに、もし勝ったとしても誰かの大切を奪ってしまうかもしれない。
勝負の世界。スポーツの世界は残酷で、勝者と敗者が絶対に存在し、そこには見えない壁がある。私がその壁を作るかもしれないし、他の誰かかもしれない。
でも、どんな結果になっても壁はできて、多くの選手が心をすり減らしていく。学園に居れば、それこそ色んな子に会うから、嫌な結末を見たことだって一度や二度じゃない。同期の子が去ったことだって、少なくない。
今までは小さいチクチクで済んだのに。私の終わりを自覚すればするほど、それが大きくなって、耐えられなくなっていく。
だとしても──
「……行かなきゃ」
悔いだけは残したくない。
◇結花◇
冬の中山競バ場。初契約にして二度目の有マ記念。きっと、新人トレーナーとして誇ることなんだろう。けど、わたしの心にそんな余裕はなかった。
最近のクリークの異変。練習中の集中力の低下や、それによるタイムの不信。話を聞いてる時も偶に上の空で、酷く寂しそうな表情をしていた。本来なら、今回のレースへの出走を棄権すべきだったんだ。
多感な時期の少女としてのウマ娘は、簡単な精神的要素でもパワーにムラが出る。競争心は必要だが、複雑な感情は出力を無茶苦茶にして、限界以上の力を引き出してしまう可能性だって考えられるし、一歩間違えたら今後の生活全てを棒に振ってしまう。
他の子に怪我をさせる危険性だって孕んでいる。
けど、あの子が……
『お願いします。絶対に無事に帰ってきますから。……あなたとの最後のレースに出させてくだいっ!』
なんて言うから、わたしは何もできなくて。見守るために今、客席に居る。パドックでの姿もゲート前の姿もいつものクリークそのものだけど、一緒に走る面々の何人かは気付いているようで、つまらなそうな顔をしたり、心配そうな顔をして、彼女と話している。
出走者数は16人。クリークは三枠四番の二番人気。オグリキャップやイナリワン、同期の強豪が揃うこのレースでも、彼女が本領を発揮できれば一着だって夢じゃない。
それだけに、胸がザワつく。
一瞬の判断が事故に繋がりかねないレースという勝負の世界で、クリークの心中をわたしが察せても、ここからの言葉はきっと届かない。三年間の思い出が、浮かんでは消えて、浮かんでは消えて、時間が過ぎる。
ゲートインが完了するのを眺めながら、わたしはただ純粋に、クリークの無事を祈った。
あの子の未来はこれで終わりじゃない。
わたしとの契約が終わって、また始まるんだ。
例え専属のトレーナーじゃなくなっても、何度だってまた走りを見るから、どうか無事でいて欲しい。──そんなわたしの思いを他所に、レースは始まった。
ゲートから解き放たれた十六人は一斉に走り出し、それぞれのポジションを争い合う。クリークは五着目。前方よりやや中団よりにつき様子を伺う姿勢で、機を狙っている。
悪くないスタートだが、遠くにいてもわかるほど表情が険しい。
無理をしているのか、フォームもいつもより硬い。
あのままだと、彼女の流れるようなコース選択に支障が出てしまう。だけど、わたしにはそれを伝える術はなくて、レースはどんどん進んでいく。他の子達が仕掛けるより前に、クリークは先頭に近付き始めたが、それに続くようにオグリキャップとイナリワンも上がってくる。
よりによって、と言いたくなってくる二人のウマ娘に追われながら、彼女は前を目指す。
よく言われる、逃げが他の脚質の子達に比べて精神的にタフだったり、自分の心をコントロールできるタイプだと考えられているのは、一番前を走っているというプレッシャー故だ。
自分の前に敵はいない。それが安心感を与えることもあるし、優越感や気持ち良さを与えることもある。しかし、結局は諸刃の剣であり、不安感を与える種でもある。
逃げ切らなければいけない。
後ろに常に目を張ってなければいけない。レースの最中は、ずっと背中からに向けられる視線を耐えなければ、一着は守れない。だから、だからこそ、今のクリークの動きからは焦りを感じる。
正直、現在の彼女の精神状態じゃ、オグリキャップとイナリワンたちの圧に耐えられる余裕はない。かといって、あそこで仕掛けなかったら、バ群に埋もれて終わり。
わたしが送り出したばっかりに、あの子は死地に向かっている。自らの足と、自らの考えの元。地獄に足を踏み入れている。
三年間という月日の中で、わたしは一体、何を学んできたんだろうか?
スーパークリークの何を、見てきたんだろうか?
優しいウマ娘である彼女が、一瞬のキラメキのように一着の場所について、そこから競って、勢いを徐々に落としていく。ハナ差もない。タイム誤差もほぼない、着差0.0秒。イナリワンに敗れ──クリークは有マ記念二着として、ライブに立つことが決まった。
必死に笑おうとするあの子の不器用な微笑みがわたしの胸を貫いて、苦しくなって、彼女の元に走った。
◇スーパークリーク◇
負けた。
負けた。
もう、終わりだ。
これで、お終い。
掲示板は何度見直しても二着に私が居て、一着はイナリちゃんで、それから変わらない。結果がわかってしまったら、もう取り繕えないくらいボロボロで、溜まった涙が零れ落ちてしまいそうで、化粧直しをすると言って先に控え室の方に戻ってきてしまった。
地下バ道は静かで、独りに歩くにはもってこいだったのに……トレーナーさんは息を切らしながら、私の前に現れた。さっきまで必死に走っていた私より苦しそうな表情で、何も聞かず、思いっきり強く私を抱き締めた。
「トレーナー、さん?」
「苦しかったよね? 本当に、ごめん。わたしがもっと早く気付いてケアするべきだったのに……」
「違うんです……これは、私のわがままで……私が勝手に……」
「いいんだよ! わがまま言っていいの! あなたは私のパートナーなんだから!! 終わりたくないって、まだ一緒に居たいって言っていいの! 契約なんてまたすればいい──だがら、もうあんな風に走らないで……?」
泣きそうな声音で、でも強い言葉で、トレーナーさんは私を包み込む。
なんだ。良かったんだ。甘えて、わがまま言って、良かったんだ。
あぁ……バカだなぁ、私。自分から支え合おうって言ったのに、そんな大切なことも忘れて、終わりだけ考えて……
この人はずっと、私を見て、私を頼ってくれてたのに。
「……甘えて、いいですか?」
「いいよ。ほら……胸、借してあげるから」
「ありがとう、ございます……」
溢れだす涙を隠すようにトレーナーさんの胸を借りて、私は泣いた。初めてトレーナーさんの前で泣いて少し恥ずかしかったけど、優しく私を撫でる手が温かくて。
改めて、隣を歩く人がこの人でよかったと──心の底から思った。
次回もお楽しみに!
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