◇スーパークリーク◇
まだ少し薄寒い三月の末。卒業式が終わり、終業式も終わり、春休み。だがしかし、アスリートであるウマ娘にはあってないようなもので、私は今日も今日とてグラウンドを走っていた。
風を感じて、仮想敵をイメージして、次のレースでも一着を取るために走っていた。頬を伝う汗も、体に篭もる熱も、全てを払う風を纏って駆けるのは気持ちが良くて、飽きることはない。
これがウマ娘に生まれた故の性なのか、私自身の感覚かはわからないが、この時間が好きだ。──もちろん、トレーナーさんに見守られているから、というのもあるかもしれないが。
「お疲れ様、クリーク! いいタイムだったよ。次のレースはまだ少し先だけど、この調子なら調整もスムーズに進みそう!」
「ありがとうございます〜♪」
「うんうん、よーし。オーバーワークにならないよう、今日は上がろっか? 明日はオフにしたし、ゆっくり休んでね」
優しく微笑んでそう言ったトレーナーさんは、私の頭をぽんぽんと撫でたあとトレーナー室に戻るため、振り返り去っていく。トレーナーさんが言ったように、明日はお休み。だからこそ、誘うチャンスだった。タイシンちゃんに教えて貰った、人が少なくゆっくりできる桜の名所。夜桜を見ながらつまむための軽食の準備も今朝のうちに済ませて、外出届けも出してある。
あとは一歩、勇気を踏み出すだけ。
「……あの、トレーナーさん!」
「ん? どうかしたの、クリーク?」
「その……もし、このあとお時間があれば──夜桜を見に行きませんか?」
もっとも、私は忘れていた。
トレーナーさんは、私のトレーナーさんは、私に世界一厳しくて、私に世界一優しいことを。
「うん、いいよ」
二つ返事をするトレーナーさんは、嬉しそうに笑っていた。
◇
寮で汗を流したあと、軽食が入った大きめなバッグを持って、制服に着替えて、私はトレーナーさんが待つ正門前に向かった。身嗜みを整えていたからか、トレーナーさんはいつも通り紺のスーツに白のコートを羽織って、私を待っている。もうマフラーをつける時期じゃないからか、プレゼントしたものが使われてないのは少し悲しいが、仕方ないだろう。
仕方ない……はずなんだけどな。
「お待たせしました、トレーナーさん。暗くなり過ぎたら危ないですし、早速行きましょうか」
「だね。それじゃあ案内お願い、クリーク」
「はい! 任せてください〜♪」
寂しいとか、悲しいとか悟らせないように、私は笑顔でトレーナーさんの手を引く。少しでも隙を見せたら、トレーナーさんに甘やかされてしまいそうで。ワガママが抑えられなくなりそうで、バランスを取るように心に蓋をする。
けど、全部じゃない。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ隙間を作ってトレーナーさんに感情を魅せる。向けるべきでない感情を、薄めて薄めて、敬意や恩に近い感情にねじ曲げて、魅せる。
担当ウマ娘とトレーナー、そんな今しかない大切な関係を壊さないために。
「──へ〜、あのナリタタイシンさんからこの場所を。いや、でもクリークとは同部屋だったっけ? 楽しくやれてる?」
「えぇ、とても。昔は、私もタイシンちゃんも遠慮してたり、不安定だったりしましたけど、お互いトレーナーさんが着いてからは少しずつ仲良くなって。今では、偶に二人でお料理したりしてるんです♪」
「料理かぁ……いいね、青春って感じ」
「ふふっ。私にとっては、トレーナーさんとの三年間も全部青春でしたよ?」
「そっか、そうだよね。大事な三年間だったもんね」
舞う桜を眺めながら、どこか遠いどこかに想いを馳せるように、トレーナーさんはそう呟く。私にはわからないけれど、トレーナーさんには三年間を駆け抜けた実感が未だにないらしい。
最初のパートナーだったから、っていう理由もあると思うし。もしかしたら、それ以外の理由もあるかもしれないけど。トレーナーさんは昨日のことのように、初めて会った日のことを話す。
そんな、どこか儚げな彼女を放っておけなくて、私は桜と月がよく見える場所まで手を引いていく。シートを敷いて重石代わりにバッグを置いて、トレーナーさんに座るように促す。
上の空の彼女も、私が導けばいつものトレーナーさんに戻って、ごめんごめんと誤魔化すように笑う。
きっと、私が解決できないことを悟らせないように笑って、笑う顔も綺麗だから、許してしまう自分がいる。綺麗な桜も、綺麗な月もあなたには敵わなくて、目を奪われる。
夜桜が見たかったのも本当だけど、軽食でもいいから私の料理を食べてもらいたかったっていう願いもあって。底の底には、ただ二人の時間が欲しいからなんて自分が隠れている。
月明かりに照らされるあなたが綺麗で。
散る桜に手を伸ばすあなたが綺麗で。
暗闇の中で、あなただけが光っていて、あなただけが輝いていて、見惚れてしまう。
「今日は桜も月も綺麗だね」
「月はずっと前から綺麗でしたよ。ただ、桜があるから違って見えるだけで」
「ははは、かもね。でも、本当に──綺麗だね」
あぁ、やめて欲しい。
私に向かって微笑んで、綺麗なんて言わないで欲しい。
わかってるのに、わかっているのに、勘違いしてしまいそうになる。
トレーナーさんは──ズルい人だ。
◇結花◇
わたしは、クリークの想いを知っている。
いや、正確には知っていた。
わたしたちは互いに一目惚れして契約したから、いつかはその想いが変質してしまうことはわかっていた。だけど、担当ウマ娘とトレーナーという関係は、一度作ってしまえば簡単には変えられない。彼女が走り終わるまで、わたしは知らんぷりをし続けて、想いを留めなきゃいけないんだ。
最低だと理解していても、やめるわけにはいかない。
一番酷いのは、クリークの好きがわたしから離れないように、適度に隙を魅せなければいけないこと。年が離れているから、あの子は可愛いから、目を逸らさせてしまったら他の人を見つけてしまう。だから、わたしのわがままで離れられないようにする。
「本当に、なんでこうなっちゃったのかなぁ……」
大切な愛バ。大切な教え子。その、はずなのに。
愛おしくて、触れたくて、一時の間違いを犯してしまいそうになる。
居るには居るんだ。学生時代からお付き合いをして、卒業後に正式に交際を報告するトレーナーと担当ウマ娘は。けど、わたしもクリークも隠すのが下手だし、付き合い始めたら歯止めが効かなくなってレースが疎かになってしまう。
それだけは、ダメなんだ。
彼女を預かる者として。レースという、命や今後の生活も関わるものに送り出す者として、練習やらを投げ出せない。わたしには、その責任があるから。
もし、もし最低なわたしに付き合って最後まで駆け抜けて、それでもクリークがわたしを好いていてくれるなら、その時はわたしから──
「好きって、言いたいな」
不安にさせた分、それを返せるくらい言いたい。
言ってあげたい。
いつか、その時が来たら。
わたしから、全ての告白を。
次回もお楽しみに!
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