アヤベさんは恋を知る 作:雨川
ウマ娘と担当トレーナーの関係性は、当人達の性格や組み合わせによって様々な形に変わる。
よく見られるという意味で一般的なのは、恩師と教え子。指導者であるトレーナーに教えを請うのだから当然。むしろ一番自然だと思う。
次に多いのは対等なパートナーという関係性。トレーナーが経験浅い若手の人だと、同じ駆け出しということでお互いに親近感を抱きやすいらしく、レースで結果を残せればウマ娘にとって恩師以上の存在になり得る......らしい。カレンさんから少し聞いただけなので、詳しくは分からない。
他にも色んな関係が――中にはタキオンさんの所のようなアブノーマルなのもあるけれど、それらに共通するのは一つ。どんな形であれ、ウマ娘にとって信頼できる担当トレーナーの存在は、ただレースに勝つ以上の意義があるということ。
なら、私とトレーナーさんはどうなのだろうか。
独りで勝つつもりでトレーニングをしていた私の後ろを勝手に追いかけて来て、挙句に私を担当したいなどと言い出した、何をかんがえているかよくわからない人。妹の存在という生きる意味を失った私に、新たな誓いを与えてくれた人。いつも自分のことは後回しでウマ娘(わたし)のために自分の時間を裂いてばかりいる人。
それが、私のトレーナーさん。思い返す程に呆れてしまう、底抜けにおかしな人だ。
最初のころは彼のお節介を鬱陶しく感じていたが、それも過去の話。いまでは『彼はそういう人だから』とその行為を甘んじて受け入れる程度にはトレーナーさんを......それなりに信頼している。彼が居なければ、[[rb:私 > アドマイヤベガ]]は菊花賞で終わっていたと断言してもいい。
こういった経緯を踏まえれば、私にとってトレーナーさんは『恩人』と呼ぶのが、まあ妥当だろう。一生ものの借りを作ってしまうようであまり気乗りはしないけれど、仕方ない。それ以外に当てはまる言葉が無いのだから。
......でも、何故なのだろう。
こうやってトレーナーさんの事を考えるほどに、今まで感じた事のない不思議な熱が、胸の底から湧き上がる。ライバル達とレースを走っている時の、魂から燃え盛るような激しさとは違う。もっと穏やかな温もり――まるで寒夜にあたる焚火のような温かさ。
こんな気持ちになるのはトレーナーさんを曲がりなりにも信頼しているからだ――温もりの理由にそう結論づけるたび、心にそれを否定したがる自分が居た。
トレーナーさんがくれたこの温もりが信頼の証ではないと言うのなら、この気持ちをいったい何と呼べばいい?
悶かしい。
......悶かしい。
いつまでも堂々巡りの自問自答がじれったくて、最終的にカレンさんに相談した。周囲のことをよく見ているカレンさんなら、私が求めている答えに心当たりがあるかもしれない。そんな藁にも縋る思いで。
――それが、間違いだったのだろう。
話を始めたときカレンさんは驚いていたが、途中からは感慨深そうに何度も相槌をうって、最後まで静かに聞き続けてくれた。
どんな言葉が飛び出てくるのだろう。黙考するカレンさんを待ち続け、遂に彼女は口を開く。
「じゃあ、トレーナーさんとデートしましょっか! コーディネートとプランニングはカレンに任せてください♪」
ナニヲイッテイルノアナタハ?
☆
空を見上げた瞬間、星の海に溺れた。
「おぉ......」
呆けた声が口から零れでる。
テレビの向こうの芸能人のように洒落たコメントをしようにも、視界一杯にひろがる夜空の煌めきに圧倒されて考える余裕が無い。餌をねだる鯉のように、ぽかんと口を開くのが精々だった。
そんな俺の隣で、アヤベは肩から下げていたトートバッグを開いている。彼女が取り出したのは、二人分のタンブラーと魔法瓶だった。
「コーヒー、ブラックで良かったかしら」
「ん。ああ、ありがとう。用意がいいな、アヤベ」
「別に。いつも通りよ、これくらい」
開いた注ぎ口からコーヒーが注がれ、薄い湯気とコーヒーの香ばしい香りが立ち上った。よく近場のスーパーで買っている、ありふれたインスタントコーヒーの香りだ。日常に沁みついたこの匂いが鼻腔によく馴染む。
「どうぞ」とアヤベから差し出されたタンブラーを受け取り、なめるように一口すする。
「――うん、美味い。いつもより特別な感じだ」
「なにそれ。トレーナー室に置いているのと同じコーヒーよ」
「そうだけどさ。こうしてゆっくり星を見るっていう非日常感も含めてというか......あれだ、キャンプで食べるカップ麺は美味いってヤツ。ああいう感じだよ」
「私にはよくわからないけれど......まあ、喜んでくれたなら何よりだわ」
場の雰囲気やシチュエーションが味覚に作用する、という話を耳にしたことがある。独りで豪華なコース料理を食べるよりも、気心の知れた友人と鍋をつつく方がより満足感が得られる......らしい。人によりけりではあるだろうが。
俺にしてみれば、満点の星空を見ながらパートナーと飲むこの一杯は格別なものだ。
「凄いな。プラネタリウムには何度か通ったけど、迫力が段違いだ。自分がちっぽけな存在なんだって実感させられるよ」
「プラネタリウムは人間が見えている宇宙の動きを再現したものにすぎないわ。この夜空には、私達の目に見えていない無数の星が息づいている。きっとその違いでしょう」
地球から観測できる星の多くは恒星――太陽のように自ら光を放つ、ガスで構成された星だという。
星の内部で幾度となく核融合を繰り返し、その際に生じた強烈な光が何光年と離れたこの地球へと届いているのだそうだ。俺達が今こうして見ている輝きは、まさしく星の息吹そのものなのだろう。
「宇宙には惑星や衛星といった自ら光を発さない星も存在している。私達には見えていなくとも、はるか彼方の暗闇で呼吸をしているの」
「見えてるものが全てじゃないってことか。はー......果てしないなぁ、宇宙」
「そうね。本当に......遠いわ」
細くすき通った声が夜の静けさを揺らす。
彼女が呟いた一言には、言葉以上の質量がこもっていた。語る以上に過去が伝わってきた。
頭上で燦然と輝く一等星。あの光を目指し走り続けているからこそ、誰よりもその距離を知っているのだろう。俺はその道程をずっと近くで見守ってきたけれど、彼女が今どんな想いであの星を見上げているか、想像することしかできない。
「でも」と、アヤベが言葉を続ける。
「一人で走っていた頃よりもずっと近づけた気がする。......トレーナーさんが居てくれたおかげで」
「――」
空に向けていた目を隣に移す。
真っ直ぐに夜空を見つめるアヤベの瞳。夜明けの空を思わせる曙色の瞳が、やけに印象に残った。
俺の視線に気付いたアヤベは何か気に障ったのか、口をへの字に曲げてジトっとした目を向けてきた。
「なに? 人の顔をじろじろ見て。言いたいことがあるならハッキリ言って」
「いやその、なんだ。ちょっと不意打ちがすぎたというか」
「なによ」
「アヤベからそういう言葉を聞けるのって滅多にないからさ。嬉しくて...ちょっと驚いた」
「......そう」
彼女らしい簡素な返事だ。いつも通りのやり取りに頬が緩む。それでも、アヤベの顔はどこか浮かない様子だった。
それからしばらくの間、二人で夜空を見上げていた。アヤベが目についた星の解説をし、それを話す彼女の声に相槌をうつ。彼女の声は初夏の夜風のように涼しげで聞き心地良く、絵本の朗読のように穏やかな語りだ。
俺が聞き入ってしまっているせいで会話はそこまで多くはないが、この静かさが心地良い。
「トレーナーさん」
思わず微睡んでしまいそうな空気が破られたのは、タンブラーを軽く傾けると底が見えるまでにコーヒーが減った頃だった。
「......これでも」
「うん?」
「トレーナーさんの事は、信頼してるから」
そう俺を真っ直ぐに見て言ったアヤベの顔は、なにか決意を感じ取らせるような、ひどく切羽詰まったような表情をしている。
ロマンチックな雰囲気で淡い気持ちを曝け出す。そんなドラマで見たような一幕でする顔とは思えない。来る前に案じていた通り、何か思う所があったらしい。
世で言うところの空気の読める人なら、ここで相談を持ちかけるものなのだろう。「悩みがあるなら話を聞くよ」「話すだけで楽になる事もあるよ」と。
「...うん。ありがとう、アヤベ」
けれど、俺はアヤベを待つ。
彼女が伝えようとしている気持ちを、彼女の口からを聞きたい。
「~っ...」
俺の当たり障りのない返事を聞いて、自分の意図が伝わりきっていないことを悟ったのだろう。アヤベは悶かしそうに唇を引き結ぶ。
――きっと彼女は、自分でも何を言いたいのか分かっていないのだと思う。気持ちが先走るあまりに、アヤベ自身が結局なにを伝えたいのか分かっていない。自分の内面と向き合えていないのだろう。確証の無い直感だが、アヤベを見守ってきた時間が俺に確信を持たせた。
以前よりもアヤベは、自分の気持ちを知ることができるようになった。けれど、自分でも知らない自分が心の内に居ることをまだ知らない。それを自覚するには、彼女の情緒はまだ幼いのだ。
「...トレーナー、さん。私...ええと...」
しどろもどろになりながら、アヤベは言葉を繋げようとしている。そうさせるほど強い気持ちがアヤベの中にあるのだろう。
彼女がどんな思いを抱いているかまでは、俺には分からない。分からないが――
「焦らなくても良いよ、アヤベ」
「え......」
アヤベの目が見開く。曙色の瞳と、真正面から向き合った。
「アヤベが何かを伝えようとしているのは、十分伝わった」
「トレーナーさん...でも」
「君の気持ちに整理がついて、ちゃんと言葉になるまで、俺は待ってる。何日でも何か月でも、何年でもいつまでも待ってるから」
感情が昂る。言葉を一つ発するたびに、自分の心を覆う殻が剥がれていくような感触を覚える。
剥き出しの魂の叫びが、考えるよりも早く口から飛び出そうだった。
「俺は君のトレーナーだ。君が歩みを止めない限り、俺は傍で支え続けるよ」
「――っ」
ハッと息をのむ音が、夜の静寂の中ハッキリと聞こえた。勢い任せに口をついて出た言葉は果たして、彼女に届いてくれたらしい。
......なんだか漫画の登場人物のようなこと言っていて背筋が痒いが、もう今更気にしても遅いだろう。
「......」
アヤベの目線が下がる。何か考え事をしている時の彼女のクセだ。
数秒。彼女が次の言葉を発するまで、そう待つことは無かった。
「確かめたいことが、あったの」
静かな、しかしハッキリとした声が切り出す。俺は彼女の言葉を聞き漏らすまいと、彼女の話に集中力を総動員させた。
「――でも、もういいわ」
「え」
「あなたが焦らなくても良いって言ってくれたから。これからゆっくり考える事にする。......待っていてくれるのでしょう?」
そう言って柔かに笑ったアヤベの表情に、さっきまでの硬さは消えていた。
アヤベが俺に確かめたい事というのがなんなのか、皆目検討がつかないし、思い当たることも無い。だが、アヤベ本人がそう決めたなら、これ以上俺が踏み込むのも野暮だろう。
「勿論! トレーナーに二言は無いぞ」
「ふふ。なに、それ」
アヤベが再び夜空を見上げる。俺もそれに釣られて彼女が見ている先へ目を向けると、満点の星の中かでも一等強い光をはなつ星に惹かれた。
「あの星は――」
「ベガ。私達にとって、特別な星」
私達。その呼称がアヤベと彼女の妹を意味することは、言われずとも分かった。
「私はあの星のような一等星になる。暗闇の向こう、死者の世界にまで届くほどの輝きを放つ星に。......トレーナーさんが居てくれるなら必ず叶えられるって信じてる」
「――ああ。あの星に誓って、君の信頼に応えてみせるよ」
「...頼りにしてるわ」
彼方、[[rb:宙 > そら]]の向こうのベガがまたたく。
『――お姉ちゃんの事、お願いしますね』
そんな、爛漫な少女の声が――アヤベに似ている声が聞こえた気がした。
☆
今が夜で良かった――そんな風に思ったのは、生まれてこのかた初めてだった。
ただトレーナーさんに対する気持ちを確認するだけのつもりだったのに、あんなに緊張するなんて思いもしなかった。そのうえあんな歯の浮くような台詞を臆面無く口にされるのも予想外。そんな台詞に――羞恥はまだしも、喜びを覚えている事に自分が一番驚いた。
顔が熱いし、絶対変な顔になってる。見られるのも恥ずかしい。見られても構わないけど、あまり見られたくない。どのみち、落ち着くまでこうして星を見て誤魔化すしかないだろう。
――結局、私がトレーナーさんのことをどう思っているのか、ハッキリと答えは得られなかった。
「(でも...もう、別にいいかしら)」
いま抱いているこの感情の名前を私は知らないけれど、相談したカレンさんはそう言っていたのだし、もうそういう事にして受け入れた方が気が楽だ。
トレーナーさんから貰った温もりと安らぎ。少しでも長く彼と一緒に居たいという心の囁きを、素直に受けれよう。
この掛け替えのない気持ちを――私の『恋』と名付けることにしよう。
「トレーナーさん」
「ん?」
「また、一緒に来ましょう」
「ああ。喜んで」
彼に気づかれないよう、そっとシャツの袖を掴む。
視線の先でベガが、笑うようにまたたいた。
以上、アヤベさんとの彼女の育成ストーリーに惚れ込んだが故に溢れた妄想でした。
あの育成ストーリーだけで映画一本作れそうだなーと常々思っております。それくらいの読後感。他のウマ娘の育成では中々味わえない重厚さです。
育成ストーリーが競走馬のレースやエピソードをモデルとしている中、競走馬アドマイヤベガの物語は非常に短い。菊花賞から先のストーリーはウマ娘アドマイヤベガのオリジナルであり、彼女が切り開いた道と言えます。
実際の競走馬たちが辿るかもしれなかったIFというウマ娘のテーマを、彼女は強く意識させてくれました。
長くなりましたが、最後に。
本作を御精読いただき、誠にありがとうございました。
アヤベさんの別衣装まだ????