流転、グランシスにて   作:Ghotiolo

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2023/11/30:修正
2023/12/1:修正
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宵の片隅で暁を待つ――長城砦

 野暮用を済ませてからの出発だったゆえに、覚者とその専従が長城砦に到着したのは陽射しに橙色が混じり始めたころのことだ。

 駐留する兵士たちに挨拶を済ませ、テントを一つ借り受ける。腹ごなしを済まれば陽はすっかり山の端に隠れ、音もなく忍び寄った夜のとばりが辺りを包みこんでいた。

 行き交う兵士たちは皆一様に緊張していた。浮き足立ち、哨戒にもろくに集中できていない。その視線は砦の向こう側へと向けられては、すぐに恐ろしいものを見たかのように逸らされる。

 長城砦に降り立ち、そしてすぐに穢れ山の奥に戻ったドラゴンは、あれから動きを見せていない。いくら精鋭揃いとはいえ、あの偉容を間近に目撃して恐怖を感じない者はいないらしい。ただ現れただけで堅牢な砦を崩落させたこともそれに拍車を掛けているようだった。ドラゴンにとっては、この砦の兵士たちを壊滅させるなど息をするよりたやすいはずだ、と。

 

 どこか他人事のように思考を巡らせながら、覚者エインセルは焚き火の前に片膝を立てて座っていた。時折思い出したかのように、隣に積んだ枯れ枝を手に取ると火中へ放り込む。

 

 夜明けを待ち、エインセルは戦徒らを連れて穢れ山に向かう。そこでどんな形であれ、ドラゴンとの(いん)(ねん)に決着がつくだろう。

 緊張は、今はもうない。

 ようやくここまでたどり着いた。その実感だけがある。

 パチリと焚き火が小さく爆ぜる。背後から聞こえていた大弓の整備の音が途切れ、テントの中から専従が姿を現した。

 

「覚者様。明日に備えて、もう休まれた方がよろしいのでは」

「火の始末をしたら休ませてもらうつもりだ。お前も早く休むように」

 

 専従は覚者の隣に積まれた枯れ枝の小山を一瞥し、主を挟んでその反対側に腰を降ろした。ポーン特有の凪いだ表情を崩すことなく、じっと主の顔を見つめた。

 

「我々の会話が聞こえる範囲に兵士はいません。外向きの口調でなくとも大丈夫かと。近づく者があればお伝えします」

「……なら、気兼ねなく。ありがとうね、グッドフェロー」

 

 口からこぼれた言葉は年相応の緩さだが、姿勢は変えない。いつ誰に見られてもいいように常に気を張ることにもすっかり慣れた。

 

「眠れないのですか」

「寝ようと思えば寝られるだろうけど、もう少し起きてるつもり。救済の残党がいないとも限らないから、見張り番の交代を見届けたら寝るよ。それに余裕があるように見せておきたいっていう打算もあるしね。明日が命日になるかもしれないドラゴン退治の尖兵がこうなんだ。兵士たちも少しは落ち着くだろうから」

 

 見くびられないために虚勢を張る、というのは、覚者なんてものを田舎者の小娘が務める上で非常に重要なことだ。そもそも覚者なんて称号はごろつきの代名詞となって久しい。領王エドマンのような傑物の方が珍しいのであって、大抵は特権にあぐらを掻くばかりだという。多数派であるろくでなしどもの積み重ねは、当の覚者をして舐められて当たり前だと断言するに足りるものだ。

 そんな風潮の中にあっても、覚者が先頭に立って解決に当たるよう任務が下されてきた。眩み砦の奪還やグリフィン討伐など、人間の兵士たちと共同で任に当たることも多かった。そういう時に先陣を切る覚者が情けないところを見せれば、兵士たちの士気もつられて下がってしまう。

 

 そういった理由から、立ち振る舞いを意識して変えた。兵士長の声の響かせ方をまね、不作法なりに自信があるような所作を心掛けた。田舎者だと侮辱する者を前にしても眉一つ動かさず、へりくだらない。同時に助力があれば礼を伝え、決して傲慢にならぬよう気を配り続けた。

 グランシスの青空の色に染められたサーコートと領王陛下より下賜された紅色のマントを翻し、専従を引き連れて堂々と歩く。今となっては覚者エインセルを侮る者はずいぶん少なくなった。元々の性分ゆえ頼まれ事も進んで解決していたために、街での評判も立派だと誉める声の方が大きい。

 それは同時に、覚者の本性を知る者はこと領都においては片手の指の数ほどしかいないということでもあった。

 

 そんなことを考えて、エインセルは思わず内心で笑ってしまった。

 本性なんていうほど大したものではない。心臓を奪われて死にぞこないとなろうが、人ならぬポーンの民を従えていようが、手を貸して貰ったり心配したりしてもらえれば嬉しく思い、()()をすれば歯を食いしばって痛みを耐える。そんな単なる人間に過ぎないというだけだ。

 

「思えば遠くまで来たものだね。魚や(フカ)とやり合ってた時は、こんな格好でこんな場所にいることになるなんて思ってもみなかったよ」

「ドラゴンがカサディスに襲来する前のことですね。以前は、覚者様はアダロ様のように旅に出てみようとは思わなかったのですか?」

「あはは……カサディスに帰ったらみんなに聞いてみなよ。私のガキの頃の話。じいちゃんはもちろん、マイラねえちゃんやベニータさんにも心配かけてばかりだった。歳の近いキナとバルミロは大人しかったからなおさらね」

 

 村の外に飛び出しては、体中に生傷を作って帰る。あの頃は魔物も大人しかったとはいえ、それ以外の危険がないわけではない。どこかでうっかり死んでいてもおかしくはなかっただろうし、実際に数度死にかけた。

 

「でも、そんな悪ガキでも夕方には必ず帰ってたよ。それにじいちゃんと一緒に魚を獲るのも、イオーラばあちゃんと機を織るのも結構好きだったしな。大人になってからはちょっとした遠出ならともかく、こんな風に長い旅に出ることは考えてもいなかったと思う。あの頃は、変わらない毎日がずっと続くものだと信じていたから」

 

 波の音が聞こえない場所で眠ることに慣れたのは、いったいいつからだっただろう。今耳を澄ませても、聞こえてくるのは耳慣れない虫の声と目の前で焚き火がはぜる音だけだ。

 随分遠くまで来てしまったものだ。エインセルは静かに息をついた。襲い来る魔物を斬り捨てることにも、敵対する人間の息の根を止めることにもすっかり慣れた。変わらぬ日々が続いていたなら、慣れるはずもない行為に。

 立ち向かうための強さを求めてこの道を選び進んできた以上、今の状況に不満を持つのはお門違いだと分かっている。それでも抑えつけ続けてきた後悔は膨らんでは圧迫してきて、歩む足を引き留めようとしてくる。なぜ自分は、こんなところでこんなことをしているのだろう、と。

 

「覚者様」

 

 隣からの気遣う声に、エインセルは安心させるための笑顔を浮かべて相棒を見つめた。

 

「でもまあ、色々ありはしたけど、悪いことばかりではなかったよ。それにつらい時は、お前が隣にいてくれたから」

「私は覚者様のお役に立てていたのでしょうか」

「うん。お前がいてくれて、いろいろなことを一緒に経験して、折れそうな時は支えてくれた。本当にありがたいことだよ。お前やポーンの人たちが力を貸してくれたから、私はここまで来れたんだもの」

「そう言っていただけるのは、とても嬉しく思います」

 

 グッドフェローの表情は全く動かないものの、声には(わず)かばかりの喜色がにじんでいる。ポーンは意志が希薄だというが、それゆえか発露する感情は喜怒哀楽のどれも素朴なことが多い。凪いだ表情から幼子のように純粋な機微を見つけられるとなんだかほっと心が安らいで、騒ぎ立てる不安もおとなしくなってくれる。

 それに、とエインセルは焚き火へと視線を戻した。

 

「ポーンの人たちだけじゃない。たくさんの人たちに会って、助けてもらったね。……なあ。お前と出会った次の日の、カサディスを出る時のこと。覚えてる?」

「はい。ポール氏からの調査依頼を済ませて、マデリン様に宿営地までの護衛を依頼されました。わき見をしてよく立ち止まるマデリン様を、覚者様は見守っておられました」

「見守ってたっていうか、どちらかと言えば呆れて眺めてただけだよ。吟遊詩人はそんなんじゃ話が締まらないって怒りそうだけど、あれが旅のはじまりなんだもんな」

「締まらないということはないと思いますが。それに今から思えば、とてもマデリン様らしい行動だったと納得できます」

 

 凪いだ表情のまま、グッドフェローは小首を傾げた。

 

「本当に、マデリン様はとても自由な方でしたね。お金に一途で、夢を成し遂げようとする活力に満ちていました。領都で再会した時には、こちらの方が絶対似合うから、とポーンの私にも装備を見繕って下さいました」

「あれは、そうすれば私が買うって分かった上でやってたんだろうなぁ。実際にセンス良かったから、文句を言えなかったんだけど」

 

 有り合わせからあか抜けた装備に着替えたグッドフェローを、そしてまんまと策にはまり歯軋りするエインセルが差し出した代金を見て、とても満足そうに頷いていた腐れ縁の女商人の姿を思い出す。領都を追われ、今はどこで何をしているやら。

 

「同じ商人でも、レイナード様はまた違った方でした。マデリン様ほど金銭に執着がなくて、飄々としているというのはああいう方のことを言うのでしょうか。武具を調整している間に、私にかつて訪れた土地の話を聞かせて下さいました。……もう、グランシスを出られた頃でしょうか」

 

 レイナードと別れた後、グッドフェローがどこか寂しげにしていたことをエインセルは思い出した。ポーンのグッドフェローにとって、レイナードの在り方は真似できないからこそ眩しく映っていたようだった。

 エインセルもレイナードとは親しいが、その好意は気の置けない友人に向けるものだ。グッドフェローがレイナードに向けている尊敬の念とは違う。ポーンは感情が希薄だからこそ、グッドフェローには自らの内に湧き上がった気持ちを大切にしてほしいと思うのだ。

 

「そうだ。ならさ、こっちから会いに行こうよ。片付いて一段落着いたら、レイナードの故郷まで。どこの生まれかは聞いてるし、遠いけど歩いて行けない道のりでもないから」

「……いいのですか?」

 

 目を瞬くグッドフェローに、エインセルは笑って頷く。

 

「ポーンのお前はともかく、平民の私が国の外に出るのは色々と面倒だろうけど、その辺は陛下やオルダス殿にお願いしてみよう。ドラゴン退治の報奨とか、助力してくれた他国へのどうのこうのとか、そんな感じで」

 

 覚者が国外に出るのは政治としては不都合もあるだろうが、その辺は手腕で補ってもらって何か適当な理由づけをしてくれても罰は当たらないはずだ。なにせドラゴン退治というのは、領王になれるくらいの大きな功績なのだから。難しいことは知らないので丸投げである。

 

「なら、バルミロ様のことも気になります。また行き倒れていないか、今でもたまに心配になりますから」

「バルミロはまああれでしぶといし、失敗してもなんとかやってるだろうとは思うけどね。目的地にたどり着けてるかな。ぼんやりして通り過ぎてないといいけど」

 

 幼なじみとしてはむしろいつもの調子に戻ったみたいだと安堵したものだが、グッドフェローからするとあの行き倒れ三連続はあまりに衝撃的だったらしい。いつも静かな専従が呆れた口調でものを言うのは、マデリンに続き二人目だったように思う。それでもバルミロのどこか憎めないところはなんとなく感じ取ってくれたようだから嬉しい。ついでに頭の片隅で、そういえばあそこまで呆れられてたんだから自分の悪ガキ時代のころの話を聞いてみなよとか言わなきゃ良かった、と今さら思う。

 

「それにメルセデス様のことも。国に戻られてからどうなさっているのでしょう」

「確か隣国の領主のご息女だったか。メルセデス殿も、自分が国元に帰ってすぐドラゴンが降りてくるなんて思ってなかっただろうから。無理にこっちに来ようとしてないといいんだけどね」

 

 彼女が援軍を出してもらえるように説得して戻ってくるとグランシスを離れたのは、まだ数日前のことだ。焦って無理をしてほしくないが、メルセデスの性格を考えると難しいだろうと思う。

 

「本土の大教会にいるキナさんともお会いしたいです。元気になさっているといいのですが」

「――キナは大丈夫だよ。あいつは強いから。でも、うん……情けないけど、会いたいなぁ」

 

 養父に引き取られて共に育っただけで、お互い血の繋がりはない。それでもキナは守るべき大切な家族だ。

 キナが本土の大教会に行くと打ち明けてきた時、本当は止めたかった。胸の傷のことはもう気にしないで、自分の代わりに幸せになってほしかった。だが同時に、一度目標を定めて走り出したキナは止められないこともよく分かっていた。

 真に守られているのは自分の方だ。エインセルはそう思っている。たとえどれだけ離れていても、キナはエインセルの幸せを想ってくれている。まだキナの両親が健在だったあの幼い日に、傷だらけで帰ってきた自分を泣きながら叱ってくれた時から、ずっと。

 

「私のためにドラゴンの知識を得たいって本土に行ったのに、こっちでさっさと解決したら怒られるかな」

「そうでしょうか。キナさんはきっと喜ばれると思います。あの方は覚者様のことを、本当に大切に思ってらっしゃるようでしたから」

「うん。……きっと無茶をしたことを叱られて、それから無事だったことを喜んでくれるだろうね」

 

 その様子がありありと想像できて、エインセルは小さく笑みをこぼした。

 

「でも、まずはカサディスに帰らないとね。じいちゃんとの約束もあるし。あと領都にも顔を出さないと。帰る頃にはあの人も戻ってきてるかな」

「しかし、誰にも行き先を告げずにあの場を離れるようなことはないはずなのですが……」

「急な用事だったのかもね。最後に会えたらよかったのだけど」

 

 右耳につけたイヤリングに指先で触れる。彼にいつから惹かれたのか、今となっては定かではなかった。

 想いを伝えるつもりはない。覚者などと呼ばれたところで、いつ野垂れ死ぬとも分からぬ身の上である。あの人は感情をともなわずとも応えてくれると分かっているからこそ、自分から線を引いた。

 己にとって大切なものを示すという指輪は、結局渡せずじまいでポーチの底に埋もれている。それでいいのだろう。お互いの誇りを守るためには。

 

 枯れ枝を手に取り、半分に折って焚き火に放る。橙色の炎にまかれる枝を眺めながら、意識を切り替えて目的地を頭の中で数えた。

 

「こうしてみると、あちこち回ることになりそうだね。もしかしたら、今までの旅よりずっと時間がかかるかも」

「それに風土が違いますから、準備も相応のものをしないとなりません。詳しい者から話を聞けるといいのですが。出発の前にポーンギルドで尋ねてみましょう」

 

 いつものように意見を述べ、それからグッドフェローはふっと空を見上げた。

 

「……まだ、旅が続くのですね」

 

 呟いた声は微かに弾んでいた。表情は変わらずともどこか嬉しそうな様子の専従を見つめていると、自然と口元に笑みが浮かんだ。

 

 いつか、専従のポーンは覚者の姿や心を写し取るという。

 そうは聞くものの、この手の掛かる弟分が自分に似てくるとはあまり思えない。グッドフェローはきちんと自分の価値観や感情を持っている。それに前例であるセレナは主に心を移してもらっても主そのものにはならず、あくまでセレナのままだ。同じように、グッドフェローも根っこの部分はグッドフェローのまま変わっていくのだろう。

 だいたい人間とて他の誰かと行動していれば、大なり小なり影響を受けるものだ。エインセルとキナの性根が、血の繋がらない養父そっくりに育ったように。

 

 グッドフェローがいてくれて良かった。

 出会ったばかりのころは、こんな風に他愛もない話をできるようになるなんて思ってもいなかった。エインセルはポーンの民そのものを疑っていたし、グッドフェローは唯一の衝動だった使命に忠実であろうとしていた。今の二人があるのは、お互いに相手のことを知ろうとし続けたからだ。

 エインセルが覚者として見栄を張り続けられたのも、いつも隣にグッドフェローがいたからだろう。格好の悪いところは、できればこの弟分に見せたくなかった。

 

「……本当にね、悪いことばっかりじゃなかったよ。つらいことも腹立たしいことも、泣きたくなるような気持ちになることもあったけど。旅に出たから会えた人がいて、見られた景色があった。そういう意味じゃ、ドラゴンのお陰って言えるかもね」

 

 鼓動なき胸を押さえた。エインセルの心臓を奪い、そして武器を取り出立するよう促したあの声の主に明日再会する。その真意を尋ねることができる。

 緊張はない。ようやくここまでたどり着いた。その実感だけがある。

 

 生きて帰ってこられるのかも分からない。死闘の果てに勝利を掴み取ることができるのか。それとも嵐の中の小舟のように、ただ無為に命を散らすことになるのか。

 それでも、約束を破るつもりはない。己の生を諦めるつもりはないのだ。

 

「明日はそのドラゴンとの決戦だ。頼りにしてるよ、相棒」

「お任せ下さい。覚者様のこと、これまで通りに支えてみせます」

 

 突き出した握り拳に、グッドフェローも同じように拳を軽くぶつけた。

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